UFO

1969年にロンドンで結成されたUFO(ユー・エフ・オー)のバイオグラフィとディスコグラフィー。『UFO 1』から『The Salentino Cuts』までのスタジオ・アルバムとEP、再発盤、アーカイヴ・ライヴ盤、ボックス・セットを、収録曲、CD情報、ライナーノーツ、公式映像、来日公演の記録とともに掲載。

Biography

UFO
バイオグラフィー

UFOは、ロンドンで生まれたイギリスのハード・ロック・バンドである。歌手のフィル・モグ、ベースのピート・ウェイ、ギターのミック・ボルトンがHocus Pocusの名で活動していたところへ、1969年の夏にドラムのアンディ・パーカーが加わり、この4人がUFOの最初の顔ぶれとなった。Beacon Recordsから出た初期の作品はスペース・ロックの色が濃く、本国よりも日本とドイツで支持を得た。1973年にSCORPIONSからギタリストのマイケル・シェンカーを迎えると、Chrysalisから『Phenomenon』(1974年)に始まる5作のスタジオ・アルバムを発表し、1979年のライヴ・アルバム『Strangers in the Night』は全英7位まで上がった。シェンカーが去ったあとも『Mechanix』(1982年)が全英8位を記録したが、バンドは1983年にいったん活動を終え、その後は再編と再結成、顔ぶれの入れ替わりを重ねた。2003年に加わったギターのヴィニー・ムーアとともに2017年のカヴァー・アルバム『The Salentino Cuts』まで作品を出し続け、スタジオ・アルバムは22作を数える。結成50周年の「Last Orders」ツアーは、2022年にモグが心臓発作に倒れたことで最後の日程が取りやめとなり、モグは2024年にバンドの終わりを認めた。

結成とBeacon時代(1969〜1972年)

アンディ・パーカー自身の回想によれば、1969年の夏、ホッデスドンのパブThe Golden Lionで、フィル・モグ、ピート・ウェイ、ミック・ボルトンの3人と出会った。3人はドラマーを辞めさせたばかりで、ボルトンは自分たちのバンドHocus Pocusに入らないかとパーカーを誘った。オーディションを経てパーカーが加わったこの4人が、UFOの最初の顔ぶれである(アンディ・パーカー自身の略歴、2007年)。バンドの公式サイトも、UFOの歩みが1969年にロンドンで始まったとしている(公式サイト、2004年)。一方でモグは2018年を結成50周年の年と呼んでおり、1968年を結成の年とする資料もある(ブラバマウス、2018年)。Louderは、バンドのサイケデリックな出発点を北ロンドン郊外のエンフィールドとしている(Louder、2008年)。

バンドの名は、PINK FLOYDが初期に演奏していたロンドンのUFO Clubにちなむもので、最初の名であったHocus Pocusに代えて選ばれた。4人はこのクラブで見いだされ、独立系のBeacon Recordsと契約した(アルティメット・クラシック・ロック、2015年/公式サイト、2004年)。パーカーは、両親が代わりに署名することを拒んだため、18歳の誕生日を待って契約書に署名したと振り返っている(アンディ・パーカー自身の略歴)。

1970年10月に出たデビュー作『UFO 1』は、自作曲にEddie Cochranの「C'mon Everybody」やBo Diddleyの「Who Do You Love?」のカヴァーを交えた作品であった。翌1971年の『UFO 2: Flying』では、スペース・ロックの要素がいっそう前面に出た(アルティメット・クラシック・ロック、2015年)。パーカーは後年、このアルバムには片面に30分ほどの音楽が詰め込まれていたと語っている(Louder、2008年)。

『UFO 1』はイギリスでほとんど売れず、Motown傘下のRare Earthが1971年に発売したアメリカではさらに売れなかったが、日本と、それに次いでドイツがこのバンドを受け入れた(アルティメット・クラシック・ロック、2015年/Louder、2023年)。この時期の歩みはライヴ・アルバム『Live』で区切りを迎え、そのあとでミック・ボルトンがバンドを去った(アルティメット・クラシック・ロック、2015年)。パーカーによれば、バンドはBeaconでの録音から報酬を得られなかったが、そのレコードがUFOの名を世界に広め、その後の飛躍につながった(アンディ・パーカー自身の略歴)。

後任のギタリストはなかなか定まらなかった。のちにPINK FAIRIESやMOTORHEADで弾くラリー・ウォリスが1972年に短期間在籍し(ブラバマウス、2019年)、のちにWHITESNAKEに加わるバーニー・マースデンも、1972年に始まった職業音楽家としての歩みのなかでUFOに籍を置いた(ギター・ワールド誌、2023年)。

マイケル・シェンカーの加入とChrysalis(1973〜1976年)

1973年6月、UFOはドイツでのツアーに出たが、ギタリストが突然辞めたため、3人での渡独となった。フィル・モグ、ピート・ウェイ、アンディ・パーカーは、当時SCORPIONSにいた10代のギタリストのマイケル・シェンカーを借りてドイツの公演に臨み、シェンカーはまもなく正式にUFOに加わった(ローリング・ストーン誌、2008年)。バンドの公式サイトは、シェンカーがモグとウェイの誘いに応じてSCORPIONSを離れたとしている(公式サイト、2004年)。

Beaconを離れてChrysalisから1974年に出した『Phenomenon』は、シェンカーを迎えて最初のアルバムで、プロデュースはTEN YEARS AFTERのベーシストのレオ・ライオンズが担当した。モグとシェンカーが共作した「Doctor Doctor」は、シェンカーがSCORPIONS時代から使っていたテープ・エコーで重ねたリフから生まれた曲で、Chrysalisはこれをアルバムからの最初のシングルに選んだが、当時はチャートに入らなかった(Songfacts)。「Doctor Doctor」と「Rock Bottom」は、のちにバンドを代表する曲となった(公式サイト、2004年/ローリング・ストーン誌、2008年)。

1974年には、ウェールズ出身のギタリストのポール・チャップマンが、ステージの音を厚くする2人目のギタリストとして加わった。チャップマンは音楽紙「Melody Maker」の募集広告に応じ、ロンドンのUnity Theatreでのオーディションを経て『Phenomenon』のツアーに参加したが、アルバムの録音には加わらないまま1975年1月にバンドを離れ、LONE STARを結成した(ブラバマウス、2020年)。

1975年の『Force It』と1976年の『No Heavy Petting』もレオ・ライオンズがプロデュースした(Louder、2024年)。ローリング・ストーン誌は、『Force It』で曲作りが鋭さを増し、『No Heavy Petting』からキーボードが加わったと評している(ローリング・ストーン誌、2008年)。バンドの最初のキーボード奏者はダニー・ペイロネルで、1976年に後任としてポール・レイモンドが迎えられた(ブラバマウス、2019年)。この年、バンドはカリフォルニアでFLEETWOOD MACと3回の公演をともにしている(Louder、2021年)。

『Lights Out』から『Strangers in the Night』へ(1977〜1979年)

次の作品に向けて、バンドは自分たちの好きなアルバムを誰が手がけたのかを調べ、プロデューサーのロン・ネヴィソンに行き着いた。キーボードと2本目のギターを担うポール・レイモンドを加えた5人は、ロンドンのオックスフォード・サーカスにあるAir Studiosで、1977年の『Lights Out』を録音した(Louder、2024年)。アルバムは全英チャートで54位にとどまったが(オフィシャル・チャート・カンパニー)、アメリカでは23位まで上がった(Louder、2024年)。続く1978年の『Obsession』もネヴィソンのプロデュースでカリフォルニアで録音され(Louder、2024年)、全英26位を記録した(オフィシャル・チャート・カンパニー)。バンドの公式サイトは、この2作から生まれたヒット・シングルとして「Too Hot to Handle」「Lights Out」「Only You Can Rock Me」を挙げており(公式サイト、2004年)、「Only You Can Rock Me」は1978年8月に全英50位に入った(オフィシャル・チャート・カンパニー)。

アンディ・パーカーによれば、この頃のバンドは単独でアリーナ級の会場を回れるようになり、最大の市場だったシカゴでは3夜続けて公演を行うほどであった(Louder、2021年)。1978年10月のアメリカ・ツアーのうち、シカゴとルイヴィルでの2夜を録音したのが、2枚組のライヴ・アルバム『Strangers in the Night』である。ロン・ネヴィソンが仕上げを担い、収録する演奏はニューヨークのRecord Plantで選ばれた(Louder、2021年)。

マイケル・シェンカーは、このツアーを最後にバンドを離れた。パーカーは、メンバーはツアーの終わりにシェンカーが抜けることを知っていたと語っている。一般には、ツアー最終日のパロアルト公演(1978年10月29日)の直後に去ったとされるが、シェンカー自身は、アルバムのミックス作業まではバンドにいたと語っている。1979年1月に『Strangers in the Night』が出たとき、シェンカーはもうメンバーではなかった(Louder、2021年)。アルバムは全英アルバム・チャートで7位まで上がって11週とどまり、ライヴ版の「Doctor Doctor」も1979年1月に全英シングル・チャートに入って35位を記録した。初めて発表されてから5年を経て、この曲は初めてチャートに入ったのである(オフィシャル・チャート・カンパニー/Songfacts)。バンドの公式サイトは、このアルバムを、報道がいまも史上屈指のライヴ盤に数える作品であり、フィル・モグ、ピート・ウェイ、シェンカー、パーカー、レイモンドの5人の時代の終わりを告げる作品でもあったとしている(公式サイト、2004年)。シェンカーは短期間SCORPIONSに戻ったのち、自身のバンドMICHAEL SCHENKER GROUPを始めた(Louder、2021年/ブラバマウス、2019年)。

ポール・チャップマンの時代と1983年の幕切れ(1979〜1983年)

マイケル・シェンカーの後任には、1974年から1975年にかけてバンドにいたポール・チャップマンが呼び戻された(Louder、2024年)。1980年の『No Place to Run』はチャップマンが加わって最初のアルバムで、THE BEATLESを手がけたジョージ・マーティンがプロデュースし、カリブ海のモントセラトに開かれたばかりのマーティンのAIR Studiosで録音された(Chrysalis Records/ブラバマウス、2025年)。アルバムは全英11位、シングルの「Young Blood」は全英36位を記録した(オフィシャル・チャート・カンパニー)。

やがてポール・レイモンドがシェンカーのMICHAEL SCHENKER GROUPに移り(ブラバマウス、2019年)、それまでWILD HORSESにいたニール・カーターが後任としてキーボードとギターで加わった(ブラバマウス、2019年/Chrysalis Records)。1981年1月に出た『The Wild, the Willing and the Innocent』はカーターが初めて参加したアルバムで、カーターは「Lonely Heart」でサックスとバッキング・ヴォーカルも担った(Chrysalis Records/ブラバマウス、2026年)。アルバムは全英19位、「Lonely Heart」は全英41位を記録した(オフィシャル・チャート・カンパニー)。1982年2月の『Mechanix』は全英8位に達し、カーターが全面的に加わった最初のスタジオ作品となった(Chrysalis Records/ブラバマウス、2026年/オフィシャル・チャート・カンパニー)。

Louderは、サウンドが柔らかくなったことが、ピート・ウェイが『Mechanix』のあとでバンドを去った理由だったとしている(Louder、2024年)。ウェイは1983年の『Making Contact』には参加しておらず(Louder、2023年)、MOTORHEADのエディ・クラーク、HUMBLE PIEのドラマーのJerry ShirleyとFASTWAYを組み、旧友のオジー・オズボーンのバンドでもベースを弾いたのち、自身のバンドWAYSTEDを始めた(ブラバマウス、2020年)。

『Making Contact』は全英32位を記録した(オフィシャル・チャート・カンパニー)。アンディ・パーカーは1983年4月までバンドに残ったが、その頃にはバンドはすっかり行き詰まっており、最後のイギリス・ツアーを終えると全員がそれぞれの道に進んだと振り返っている(アンディ・パーカー自身の略歴)。ポール・チャップマンもこの年まで在籍し、のちにウェイのWAYSTEDに加わった(ブラバマウス、2020年)。同じ1983年には、編集盤『Headstone: The Best of UFO』が全英39位に入っている(オフィシャル・チャート・カンパニー)。

『Misdemeanor』と『Ain't Misbehavin'』(1984〜1988年)

フィル・モグはUFOを一から組み直し、1985年に『Misdemeanor』を発表した(Louder、2024年)。この作品は、日本生まれのギタリストのアトミック・トミー・Mとモグが初めて組んだアルバムで(Cleopatra Records)、全英74位を記録した。1986年3月には、シングルの「Night Run」が全英94位に入った(オフィシャル・チャート・カンパニー)。『Misdemeanor』を携えた1987年のツアーのあとで録音されたのが1988年のEP『Ain't Misbehavin'』で、ギターは引き続きアトミック・トミー・Mが弾いた(Cleopatra Records)。ピート・ウェイは、『Making Contact』『Misdemeanor』『Ain't Misbehavin'』のいずれにも参加していない(Louder、2023年)。

『High Stakes & Dangerous Men』(1991〜1993年)

1991年、フィル・モグとピート・ウェイは、マイケル・シェンカー抜きでバンドを立て直した(Louder、2024年)。1992年の『High Stakes & Dangerous Men』は、ウェイが参加した10年ぶりのUFOのアルバムで、ギターはGRAND SLAMやWILD HORSESで弾いてきたローレンス・アーチャー、ドラムはウリ・ジョン・ロートやバーニー・マースデンと演奏してきたクライヴ・エドワーズが務めた。2人がUFOのアルバムに参加したのは、この1作だけである(Cleopatra Records)。このアルバムのツアーで行われた1992年6月20日の日本公演は、ライヴ・アルバム『Lights Out in Tokyo』に収められた(Cleopatra Records)。

再結成と『Walk on Water』(1993〜1995年)

1993年の秋、フィル・モグ、ピート・ウェイ、マイケル・シェンカー、ポール・レイモンドがふたたび顔をそろえ、ファンを驚かせた(公式サイト、2004年)。アンディ・パーカーも10年あまりを経てバンドに戻り、同年12月にはQUIET RIOT、DOC HOLLIDAYとともにドイツを回った。1994年6月には日本で公演を行い、12月には旧知のプロデューサーのロン・ネヴィソンと『Walk on Water』の制作に取りかかった(アンディ・パーカー自身の略歴)。1995年に発表された『Walk on Water』は8曲の新曲を収め(Louder、2023年)、最初に日本でZero Corporationから発売された。ヨーロッパでは1997年にEagle Recordsから、アメリカでは1998年にCMC Internationalから出ている(MusicBrainz)。

しかし、メンバーの間の緊張は消えていなかった。パーカーはツアーへの参加を断ってイギリスに戻り(アンディ・パーカー自身の略歴)、シェンカーも『Walk on Water』のツアーの途中で再びバンドを離れて、自身のMICHAEL SCHENKER GROUPに戻った(公式サイト、2004年)。モグとウェイはMOGG/WAYの名で2枚のアルバムを作っており、その2作目が『Chocolate Box』である(公式サイト、2004年/Louder、2024年)。

『Covenant』と『Sharks』(1997〜2003年)

1998年のUFOでは、マイケル・シェンカーがフィル・モグ、ピート・ウェイ、ポール・レイモンドのもとに戻り、ドラムはAC/DCやDIOで叩いたサイモン・ライトが務めた。Cleopatra Recordsは、この顔ぶれを再結成したばかりのUFOとして紹介している(Cleopatra Records/公式サイト)。

2000年の『Covenant』と2002年の『Sharks』は、モグ、ウェイ、シェンカーにドラムのエインズレー・ダンバーを加えた顔ぶれで録音された。『Covenant』は『Walk on Water』に続く再結成メンバーでの作品であり、『Sharks』がシェンカーの参加した最後のUFOのアルバムとなった(Cleopatra Records/公式サイト、2004年)。2003年7月、バンドはシェンカーの後任としてヴィニー・ムーアを正式に迎えた(ブラバマウス、2003年)。

ヴィニー・ムーアの時代(2003〜2017年)

アメリカのギタリストのヴィニー・ムーアは、1987年のソロ・デビュー作『Mind's Eye』で知られていた(公式サイト、2004年)。UFOは当初、EUROPEやDOKKENで弾いたジョン・ノーラムとも話し合っていたが、ノーラムは自身のソロ・アルバムの制作を続け、2003年7月にムーアの加入が正式に決まった(ブラバマウス、2003年)。ドラムには、LED ZEPPELINのジョン・ボーナムの息子のジェイソン・ボーナムが加わった。フィル・モグ、ピート・ウェイ、ポール・レイモンドを含む5人は、ドイツのハノーファーに近いツェレのArea 51スタジオで、トミー・ニュートンのプロデュースのもと『You Are Here』を録音し、2004年に発表した(公式サイト、2004年)。新しい顔ぶれの最初の公演は、2004年2月のアテネであった(ブラバマウス、2021年)。

2005年、ジェイソン・ボーナムがFOREIGNERに移ると、ポール・レイモンドから声がかかったアンディ・パーカーがバンドに戻り、同年11月、スペインのグラナダで開かれたPiorno Rock Festivalで復帰後最初のステージに立った(アンディ・パーカー自身の略歴/公式サイト)。同じ2005年には、ライヴ作品『Showtime』がSteamhammer/SPVからCDとDVDで出ている(公式サイト)。2006年3月に録音された『The Monkey Puzzle』は、SPVから発表された(アンディ・パーカー自身の略歴/Louder、2023年)。2007年3月の公演では、足首を骨折したパーカーに代わって、DIOのサイモン・ライトが叩いた(公式サイト)。

ピート・ウェイがアメリカの就労ビザを得られなかったツアーでは、SPREAD EAGLEなどで弾いていたベースのロブ・デ・ルカが代役を務めた(公式サイト)。2009年2月、バンドは、肝臓の治療を受けているウェイがしばらくバンドを離れると発表した(公式サイト、2009年)。ウェイがUFOに戻ることはなかった(Louder、2024年)。この年にドイツで録音された『The Visitor』は全英99位を記録し、続く『Seven Deadly』(2012年)は全英63位、『A Conspiracy of Stars』(2015年)は全英50位に入った(公式サイト、2009年/オフィシャル・チャート・カンパニー)。ロブ・デ・ルカは2012年から正式なメンバーとなった(ブラバマウス、2024年)。2017年のカヴァー・アルバム『The Salentino Cuts』が、UFOの最後のスタジオ・アルバムとなった(ブラバマウス、2018年/ブラバマウス、2024年)。

「Last Orders」と終幕(2018〜2024年)

2018年5月、フィル・モグは、翌2019年の結成50周年のツアーを最後にUFOのフロントマンを退くと表明した。モグはツアーの名として「Last Orders」を挙げ、新しい作品はもう作らないとした。この時点の顔ぶれは、モグ、ヴィニー・ムーア、ポール・レイモンド、アンディ・パーカー、ロブ・デ・ルカであった(ブラバマウス、2018年)。

「Last Orders」ツアーのイギリスとアイルランドの日程は、ロンドンのシェパーズ・ブッシュ・エンパイアでの完売公演で締めくくられた。その直後の2019年4月13日、ポール・レイモンドが心臓発作で亡くなった。73歳であった(ブラバマウス、2019年)。バンドはツアーを続けることを決め、1980年代の初めに在籍したニール・カーターが戻った(ブラバマウス、2019年)。2020年6月9日には、66歳の誕生日のその日にポール・チャップマンが亡くなった(ブラバマウス、2020年)。同年8月14日には、2か月前の事故で重傷を負っていたピート・ウェイが69歳で亡くなった(ブラバマウス、2020年)。

2021年9月、バンドは2022年の夏から秋にかけての最後の公演を告知した。6月20日にハノーファーのBeatboxで公開リハーサルを、翌21日には300人を前にした非公開の野外公演を行い、最後の公演は、ムーアを迎えて初めてステージに立った地であるアテネで2022年10月29日に開くというものであった(ブラバマウス、2021年)。2022年7月16日のニュルンベルク近郊での「Lieder Am See」フェスティバルへの出演が、結果としてUFOの最後のステージとなった。8月にモグが心臓発作に倒れて手術を受け、9月1日に医師が当面の公演を禁じたため、10月15日から29日までのヨーロッパでの「Last Orders」の日程はすべて取りやめとなった(公式サイト、2022年)。モグは冠動脈に2本のステントを入れる治療を受けている(ブラバマウス、2024年/Louder、2024年)。

2024年4月、モグは、2019年のイギリス・ツアーが事実上の終わりであり、バンドは幕を下ろしたと語った(ブラバマウス、2024年)。同年10月のLouderの取材でも、UFOは本当に終わったのかと問われて、そうだと答えている(Louder、2024年)。

リイシューとアーカイヴ盤、フィル・モグのその後(2016年〜)

アメリカのCleopatra Recordsは、1980年から1982年までの4公演を収めたボックス・セット『Live Sightings』(2016年)をはじめ、UFOのアーカイヴ・ライヴ音源を次々に世に出してきた(Cleopatra Records/MusicBrainz)。1980年のシカゴ公演は、2016年9月に一部がLP『Lights Out Chicago』として出たのち、2023年12月に公演の全体を収めたCD『Lights Out Chicago 1980』となった(Cleopatra Records)。その国内流通仕様盤は、2026年7月24日に日本で発売された(タワーレコード)。1982年3月14日のセントルイス、キール・オーディトリアムでの公演は、『Live Sightings』の3枚目として初めて世に出たのち、2023年12月に単独のCDとなった(Cleopatra Records)。その日本盤が、ベル・アンティークの紙ジャケット仕様SHM-CD『Landing in St. Louis: Live 1982 (Remaster)』で、2026年11月25日発売である(タワーレコード/オリコン)。マイケル・シェンカー在籍時の1976年のハリウッド公演は、Cleopatra Recordsが2023年8月に『Hollywood '76』として出しており(Cleopatra Records)、ベル・アンティークの『Hollywood 1976 (Remaster)』も同じ2026年11月25日発売である(タワーレコード/オリコン)。シェンカー、フィル・モグ、ピート・ウェイ、ポール・レイモンド、サイモン・ライトによる1998年の公演は、2023年2月に2枚組CD『Werewolves of London』として出て、2026年5月にはジュエルケース仕様の2枚組(CLO7295CD)で再発され、6月にその国内流通仕様盤が日本で発売された(Cleopatra Records/タワーレコード)。同じ2023年には、『Walk on Water』と『Werewolves of London』がCleopatra RecordsからLPでも再発されている(公式サイト)。

2019年にリマスターされた『Phenomenon』は、デモやラフ・ミックスと1974年11月5日のアトランタ公演を加えた3枚組となり、日本では2025年に3枚組SHM-CDの『Phenomenon (3CD Special Edition)』として出た(タワーレコード)。2024年2月に出た『Lights Out (2024 Remaster)』は、1977年4月のロンドン、ラウンドハウスでの公演を加えた2枚組CDと3枚組LPで、CDには「Too Hot to Handle」と「Try Me」のエディットと、「Alone Again Or」のアコースティック版も収められた(Louder、2024年)。このリマスター盤は、スコットランドのアルバム・チャートで10位に入っている(オフィシャル・チャート・カンパニー)。Chrysalis Recordsは拡大版の再発シリーズを続け、2025年8月には1980年11月16日のロンドン、マーキーでの公演を加えた『No Place to Run』を(Chrysalis Records/ブラバマウス、2025年)、2026年5月には1981年1月29日のハマースミス・オデオン公演を加えた『The Wild, the Willing and the Innocent』を再発した(Chrysalis Records/ブラバマウス、2026年)。2026年9月には、シリーズの最新作として『Mechanix (2026 Remaster - Deluxe Edition)』が告知された。1982年1月28日のハマースミス・オデオン公演を新たにミックスして加えた2枚組CDと3枚組LPで、Michael Hannの解説にはモグ、アンディ・パーカー、ニール・カーターへの新たなインタビューが盛り込まれている。発売日は2026年12月4日である(Chrysalis Records/ブラバマウス、2026年)。

2014年には、『Phenomenon』から『Obsession』までの5作を収めたCD5枚組の『Original Album Series』と、『Phenomenon』から『Misdemeanor』までの10作を拡大版で収めたCD10枚組の『The Complete Studio Albums 1974-1986』が、いずれもChrysalisから出ている(MusicBrainz)。

フィル・モグは2024年、新しいバンドMOGGS MOTELを率いてSteamhammer/SPVと契約し、同年9月にアルバム『Moggs Motel』を発表した。曲はVOODOO SIXのベーシストのトニー・ニュートン、ニール・カーターとともに書き、録音はIRON MAIDENのスティーヴ・ハリスがエセックスに持つスタジオで行われた。ギターはGUNやTHE RAVEN AGEのトミー・ジェントリー、ドラムは元VOODOO SIXのジョー・ラザラスである(ブラバマウス、2024年/Louder、2024年)。モグはそれ以前にも、ピート・ウェイとのMOGG/WAYで2枚のアルバムを作り、2002年には$IGN OF 4というプロジェクトでも活動していた(Louder、2024年)。

影響

Classic Rock誌は、METALLICA、GUNS N' ROSES、IRON MAIDEN、JUDAS PRIEST、PEARL JAM、ALICE IN CHAINSがUFOを影響源に挙げてきたと書いている(Louder、2024年)。ローリング・ストーン誌は、マイケル・シェンカーを迎えた『Phenomenon』『Force It』『No Heavy Petting』の3作が、DEF LEPPARD、IRON MAIDEN、GUNS N' ROSESといった後続のバンドの手本になったと評した(ローリング・ストーン誌、2008年)。

IRON MAIDENは長年、開演前に「Doctor Doctor」を流している。ブルース・ディッキンソンは2022年、イントロのテープの前に5分ほどこの曲が流れるので、観客は開演が近いことがわかるのだと説明した(ブラバマウス、2022年)。IRON MAIDENは1996年にこの曲をカヴァーしてもいる(Louder、2023年)。スティーヴ・ハリスは2021年、『Strangers in the Night』の「Love to Love」を人生を変えた曲のひとつに挙げ、シェンカーとポール・チャップマンのギター、フィル・モグの歌を称えたうえで、1981年にカリフォルニアのロングビーチとサンバーナーディーノでUFOの前座を務めたことにも触れている(ブラバマウス、2022年)。

当のモグは、こうした賛辞はあまり真に受けないようにしていると語る一方、UFOがMAD SEASONの「River of Deceit」をカヴァーした際に、PEARL JAMのマイク・マクレディから心のこもった手紙が届いたことにも触れている(Louder、2024年)。

メンバーの変遷

歌手のフィル・モグは、UFOのすべての顔ぶれに加わった唯一のメンバーである(ブラバマウス、2018年)。主な時期の顔ぶれは次の通りである。

時期顔ぶれ
1969〜1972年フィル・モグ(ヴォーカル)、ミック・ボルトン(ギター)、ピート・ウェイ(ベース)、アンディ・パーカー(ドラム)
1972〜1973年モグ、ウェイ、パーカー。ギターはラリー・ウォリス(1972年)、バーニー・マースデン
1973〜1978年モグ、マイケル・シェンカー(ギター)、ウェイ、パーカー。1974〜1975年にはポール・チャップマン(ギター)も在籍。キーボードはダニー・ペイロネル、1976年からはポール・レイモンド(キーボード、ギター)
1979〜1983年モグ、チャップマン(ギター)、ウェイ(『Mechanix』まで)、パーカー、レイモンド、のちにニール・カーター(キーボード、ギター)
1984〜1988年モグ、アトミック・トミー・M(ギター)ほか
1991〜1993年モグ、ウェイ、ローレンス・アーチャー(ギター)、クライヴ・エドワーズ(ドラム)
1993〜1995年モグ、シェンカー、ウェイ、レイモンド、パーカー
1998年モグ、シェンカー、ウェイ、レイモンド、サイモン・ライト(ドラム)
2000〜2002年モグ、シェンカー、ウェイ、エインズレー・ダンバー(ドラム)
2003〜2005年モグ、ヴィニー・ムーア(ギター)、ウェイ、レイモンド、ジェイソン・ボーナム(ドラム)
2005〜2009年モグ、ムーア、ウェイ、レイモンド、パーカー
2009〜2019年モグ、ムーア、レイモンド、パーカー。2012年からはベースのロブ・デ・ルカが正式メンバー
2019〜2022年モグ、ムーア、パーカー、デ・ルカ、ニール・カーター(キーボード、ギター)

ディスコグラフィ

年タイトル種別
1970UFO 1スタジオ・アルバム
1971UFO 2: Flyingスタジオ・アルバム
1974Phenomenonスタジオ・アルバム
1975Force Itスタジオ・アルバム
1976No Heavy Pettingスタジオ・アルバム
1977Lights Outスタジオ・アルバム
1978Obsessionスタジオ・アルバム
1980No Place to Runスタジオ・アルバム
1981The Wild, the Willing and the Innocentスタジオ・アルバム
1982Mechanixスタジオ・アルバム
1983Making Contactスタジオ・アルバム
1985Misdemeanorスタジオ・アルバム
1988Ain't Misbehavin'EP
1992High Stakes & Dangerous Menスタジオ・アルバム
1995Walk on Waterスタジオ・アルバム
2000Covenantスタジオ・アルバム
2002Sharksスタジオ・アルバム
2004You Are Hereスタジオ・アルバム
2006The Monkey Puzzleスタジオ・アルバム
2009The Visitorスタジオ・アルバム
2012Seven Deadlyスタジオ・アルバム
2015A Conspiracy of Starsスタジオ・アルバム
2017The Salentino Cutsカヴァー・アルバム
2023Lights Out Chicago 1980ライヴ・アルバム(アーカイヴ)
2024Lights Out (2024 Remaster)リマスター盤(2CD)
2025Phenomenon (3CD Special Edition)リマスター盤(日本盤・3SHM-CD)
2026Werewolves of Londonライヴ・アルバム(アーカイヴ)
2026Hollywood 1976 (Remaster)ライヴ・アルバム(アーカイヴ、日本盤)
2026Landing in St. Louis: Live 1982 (Remaster)ライヴ・アルバム(アーカイヴ、日本盤)
2026Mechanix (2026 Remaster - Deluxe Edition)リマスター盤(2CD)

その他の主なライヴ・アルバムと編集盤

このほかに、ライヴ・アルバムの『Live』(1972年)、『Strangers in the Night』(1979年)、『Lights Out in Tokyo』(1992年)、『Showtime』(2005年)、ボックス・セットの『Live Sightings』(2016年)、『Hollywood '76』(2023年)と、編集盤の『Headstone: The Best of UFO』(1983年)、『The Best of UFO (1974-1983)』(2008年)、『The Best of a Decade』(2010年)などがある(オフィシャル・チャート・カンパニー/ローリング・ストーン誌、2008年/公式サイト/Cleopatra Records/MusicBrainz)。MOGG/WAYとMOGGS MOTELの作品は、UFOの名義ではない。

ボックス・セット (Box Sets)

年タイトル種別
2014Original Album Seriesボックス・セット(CD5枚組)
2014The Complete Studio Albums 1974-1986ボックス・セット(CD10枚組)

日本公演

日本では、1971年の2作を東芝音楽工業がStatesideレーベルから出し、1975年から1977年の『Phenomenon』『Force It』『No Heavy Petting』『Lights Out』をキングレコードが、1977年から1988年の作品を東芝EMIが発売した。1990年代以降は、『High Stakes & Dangerous Men』と『Sharks』をビクターが、『Walk on Water』をゼロ・コーポレーションが、『Covenant』と『You Are Here』を日本クラウンが、『The Monkey Puzzle』以降の作品をマーキー・インコーポレイティドが手がけている(日本盤の帯/オリコン/タワーレコード)。日本盤には『新たなる殺意』(Lights Out)、『宇宙征服』(Obsession)、『殺気!』(Ain't Misbehavin')、『暴発寸前!』(High Stakes & Dangerous Men)、『聖約』(Covenant)といった邦題が付けられた(日本盤の帯/オリコン)。1995年の『Walk on Water』は海外より約2年早く日本で発売され、オリコンのアルバム・チャートで17位に入った。1970年に日本で出たシングル「C'mon Everybody」(邦題「カモン・エヴリバディー」)は、オリコンのシングル・チャートで34位を記録している(オリコン)。

UFOが初めて日本の地を踏んだのは1971年である。ウドー音楽事務所は1998年の公演告知のなかで、デビュー作と続く2作目が日本とドイツで支持を集めていたこと、そしてこの初来日の際にライヴ・アルバムが録音されたことに触れている(ウドー音楽事務所、1998年の公演告知)。

2度目の来日は1979年6月で、招聘したのはウドー音楽事務所である。同社の公演史はこの来日を結成10年目の出来事として記録しており、掲載された画像にはツアー・パンフレットの表紙とともに「6.23」と印字されたチケットの半券が写っている(ウドー音楽事務所の公演史、1979年)。同社によれば、ギタリストのマイケル・シェンカーは『Strangers in the Night』の発売を目前に控えた時期、つまりこの2度目の来日の直前にバンドを離れていた(ウドー音楽事務所、2026年の公演ページ)。ツアー・パンフレット『UFO JAPAN LIVE』は、東京・中野サンプラザホールでの2公演と大阪での公演を記している(古書店によるパンフレットの記載)。

1992年の来日は、フィル・モグとピート・ウェイが新たに組み直した編成によるものであった。ライヴ・アルバム『Lights Out in Tokyo』は、『High Stakes & Dangerous Men』を携えたワールド・ツアーの途中、1992年6月20日に川崎のクラブチッタで収録された。レーベルが挙げるこの時のメンバーは、モグ、ウェイ、ギタリストのローレンス・アーチャー、ドラマーのクライヴ・エドワーズである(HNE Recordingsの商品資料、Cleopatra Recordsの商品ページ)。

1994年6月には、モグ、シェンカー、ウェイ、キーボードのポール・レイモンド、ドラマーのアンディ・パーカーという黄金期の5人がそろって来日した。招聘はウドー音楽事務所で、同社の公演史に掲げられたツアーの図版には「1994 JAPAN 'RETURN' TOUR」の文字と5人の名前が刷られている(ウドー音楽事務所の公演史、1994年)。パーカーも自身の経歴に、1994年6月に日本で何公演かを行ったと記している(パーカーの公式経歴)。シェンカーを擁するUFOが日本で公演を行うのは、これが初めてであった。この来日の東京公演を収めた『Too Hot in Tokyo 1994』は、日本ではマーキーから2024年に発売されている(マーキーの商品資料)。

1998年4月の来日を、ウドー音楽事務所は4年ぶりの日本公演として告知した。シェンカーを含む黄金期のメンバーに、1995年のアメリカ・ツアーからドラムを担当していた元AC/DC、DIOのサイモン・ライトが加わる編成であった(ウドー音楽事務所、1998年の公演告知)。日程は4月21日の大阪・IMPホール、22日の名古屋・ダイアモンドホール(中部日本放送の主催)、24日と25日の東京・中野サンプラザホール(bayfmの番組「パワー・ロック・トゥデイ」の主催)で、開演は25日のみ17時、ほかは19時、東京公演の料金はS席7,000円、A席6,500円(税込)であった(ウドー音楽事務所の公演スケジュール)。ところが同社は4月28日、24日と25日、そして2月の時点の日程にはなかった26日の東京公演を、シェンカーの体調不良を理由に中止し、チケット代を払い戻すと発表した(ウドー音楽事務所の告知、1998年4月28日)。

バンドの公式サイトによれば、最後のステージは2022年7月16日にドイツのニュルンベルク近郊で開かれたフェスティバル「Lieder am See」で、同年10月に予定されていたヨーロッパでのフェアウェル・ツアーはモグの心臓発作によりすべて中止された(UFOの公式サイト)。モグは2024年4月、UFOが終わったことを認めている(BARKS)。2026年1月に東京と大阪で行われた「MY YEARS WITH UFO」と題する公演は、シェンカー本人の名義によるものである(ウドー音楽事務所の公演ページ)。

日付会場公演
1979年6月23日中野サンプラザホール(東京)ウドー音楽事務所の公演史に半券が掲載
1992年6月20日クラブチッタ川崎(神奈川)『Lights Out in Tokyo』を収録
1998年4月21日大阪IMPホール(大阪)ウドー音楽事務所の招聘
1998年4月22日名古屋DIAMOND HALL(愛知)中部日本放送の主催

出典について

出典は、UFOの公式サイト(ufo-music.info。インターネット・アーカイヴに保存されたもの)と、そこに載るアンディ・パーカー自身の略歴、Chrysalis Records、Cleopatra Records、Steamhammer/SPVの発表と商品ページ、英国のオフィシャル・チャート・カンパニーのチャートの記録、ブラバマウス、Louder(クラシック・ロック誌)、ローリング・ストーン誌、アルティメット・クラシック・ロック、ギター・ワールド誌、Songfacts、タワーレコード、オリコン、日本盤の帯、ウドー音楽事務所の公演史と告知(インターネット・アーカイヴに保存されたもの)である。作品の発売元と発売時期の一部、ボックス・セットの内容はMusicBrainzで確かめた。

Trivia

1990年代のUFOは、日本でも足跡を残している。ピート・ウェイが10年ぶりに戻った1992年の『High Stakes & Dangerous Men』のツアーでは、川崎のクラブチッタでの公演を録音して、ライヴ・アルバム『Lights Out in Tokyo』を作った。新作の「Running Up the Highway」「Borderline」などに加えて「Lights Out」「Rock Bottom」「Doctor Doctor」といった代表曲も並び、最後はEddie Cochranの「C'mon Everybody」で締めくくっている。レーベルのCleopatra Recordsは、マイケル・シェンカーが加わる前のUFOが日本で絶大な人気を得ていたことを思えば、ここで録音したのは当然の選択だったと紹介している。翌1993年にはシェンカーとアンディ・パーカーが戻って黄金期の顔ぶれがそろい、パーカーによれば、同年12月のドイツでの短いツアーに続いて、1994年6月に日本で何度か公演を行った。その年の12月には、旧知のプロデューサーであるロン・ネヴィソンと『Walk on Water』の制作に取りかかっている。

出典: UFO公式サイト(Internet Archiveの保存版)Andy Parker「Bio」(2007年3月署名、2026年10月18日参照)

デビューしたばかりのUFOを熱心に迎えたのは、本国イギリスではなく日本だった。『UFO 1』はイギリスでもアメリカでも振るわなかったが、日本と、それほどではないもののドイツが思いがけずこの新人バンドを歓迎し、宇宙的なサウンドの路線をもうしばらく続けるだけの勢いを与えた。その流れは1971年のライヴ・アルバム『Live』まで続き、ギターのミック・ボルトンはその後バンドを去っている。ずっと後に、レーベルのCleopatra Recordsは2枚組『High Stakes & Dangerous Men / Lights Out in Tokyo』の商品紹介で、マイケル・シェンカーが加わる前の最初の顔ぶれが、1970年代初めの日本でTHE BEATLESの熱狂に迫るほどの人気を得ていたと書いている。

出典: Ultimate Classic Rock「45 Years Ago: UFO Get Their First Sighting on 'UFO 1'」(Eduardo Rivadavia、2015年10月31日)

アンディ・パーカーがUFOのドラマーになったのは、1969年の夏、まだ17歳の時だった。パーカーによれば、ホッデスドンの行きつけのパブThe Golden Lionで仲間と飲んでいたところへ、フィル・モグ、ピート・ウェイ、ミック・ボルトンの3人が、ドラマーのオーディションをする場所を探してやって来た。前のドラマーをくびにしたばかりだったという。一緒に飲んでいた仲間の1人がウェイと学校で一緒だったことから話が始まり、ボルトンから、バンドでドラマーを探していると持ちかけられた。ボルトンがマーシャルのアンプにギブソンのレスポール、そのうえマネージャーまで持っていると聞いて、パーカーはこれは大舞台だと色めき立ち、オーディションを受けて採用された。当時のパーカーは、のちにMICHAEL SCHENKER GROUPで客席から見えない位置でギターを弾くことになるSteve Caseyと、ブルース・バンドを組んでいた。

出典: UFO公式サイト(Internet Archiveの保存版)Andy Parker「Bio」(2007年3月署名、2026年10月18日参照)

UFOのデビュー・アルバム『UFO 1』は、1970年にBeacon Recordsから出た。ドラムのアンディ・パーカーは、契約書にサインするのに18歳の誕生日まで待たなければならなかったという。だまされているに違いないと考えた両親が、代わりにサインするのを断ったからである。パーカーは、結局は両親の見立て通りで、Beaconでの録音からは1度もお金を受け取れなかったと認めている。それでも、あの録音がUFOの名前を世界に広め、もっと大きな舞台につながったのだから、自分の決断は正しかったと書いている。実際、レーベルに資金が乏しかったこともあって、『UFO 1』は本国イギリスではほとんど売れず、翌年にMotown傘下のRare Earthからライセンス発売されたアメリカでは、さらに振るわなかった。

出典: UFO公式サイト(Internet Archiveの保存版)Andy Parker「Bio」(2007年3月署名、2026年10月18日参照)

ドイツの公式チャートには、UFOの初期のシングルが2曲記録されている。1971年2月22日付で初登場した「Boogie」が最高30位、同じ年の10月4日付で入ったBeacon盤のシングル「Prince Kajuku」が最高26位で、こちらは10週チャートにとどまった。アルバムでは、Deccaから出た『Live』が1972年9月15日付で入り、最高23位まで上がっている。これはUFOがドイツのアルバム・チャートで記録した最高位で、続くのは2015年の『A Conspiracy of Stars』の28位である。マイケル・シェンカーの在籍時に出たスタジオ・アルバムでは、1975年8月15日付で入った『Force It』の35位が最高だった。

出典: Offizielle Deutsche Charts「Prince Kajuku」チャート詳細(UFOの全チャート記録を含む、2026年10月18日参照)

全英シングル・チャートでのUFOのヒットは多くない。1974年にChrysalisが『Phenomenon』からの最初のシングルとして出した「Doctor Doctor」はチャートに入らず、UFOが初めて全英チャートに顔を出したのは1978年8月の「Only You Can Rock Me」で、最高50位だった。翌1979年1月27日付で入った、ライヴ・アルバム『Strangers in the Night』からの「Doctor Doctor」が35位まで上がり、これが初めてのトップ40入りとなる。その後トップ40に届いたのは1980年1月の「Young Blood」の36位だけで、全英チャートに入った8枚のシングルのうち、トップ40はこの2曲にとどまった。最後のチャート入りは1986年3月の「Night Run」で、94位だった。

出典: Official Charts「UFO songs and albums | full Official Chart history」(Official Charts Company、2026年10月18日参照)

全英アルバム・チャートでUFOがトップ10に入ったのは2回だけである。最高位はライヴ・アルバム『Strangers in the Night』で、1979年2月10日付で初登場7位を記録し、11週チャートにとどまった。もう1枚は1982年2月20日付で入った『Mechanix』の8位である。その間の『No Place to Run』も、1980年1月に11位まで上がった。一方、1977年の『Lights Out』は同年6月に54位まで上がったものの2週で姿を消し、翌1978年の『Obsession』も26位だった。

出典: Official Charts「UFO songs and albums | full Official Chart history」(Official Charts Company、2026年10月18日参照)

UFOという名前は、ロンドンのクラブ「UFO」から取られている。Syd Barrettがいた頃のPINK FLOYDが最初期に出演していた店で、のちにはスウィンギング・ロンドンのスターたちが集う人気の場所にもなった。バンドが最初に考えていた名前はHOCUS POCUSだったが、この店の名に切り替えた。ヴォーカルのフィル・モグ、ギターのミック・ボルトン、ベースのピート・ウェイ、ドラムのアンディ・パーカーの4人はこのクラブで目に留まり、インディペンデントのBeacon Recordsと契約している。パーカー自身も、1969年に初めて会ったボルトンから、HOCUS POCUSというバンドでドラマーを探していると声をかけられたと書いている。

出典: Ultimate Classic Rock「45 Years Ago: UFO Get Their First Sighting on 'UFO 1'」(Eduardo Rivadavia、2015年10月31日)

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News

UFO、1982年作『Mechanix』の拡張リマスター盤を12月4日に Chrysalis Records から発売 2CDデジパックと3LP

オリジナル・テープからの新規リマスターを AIR Mastering が手がけ、1982年1月28日ハマースミス・オデオン公演の未発表ミックス(ブライアン・キーヒューによる修復)を追加収録する。同作はニール・カーターがスタジオ作に初参加したアルバムで、全英アルバム・チャート8位を記録した。

出典: Blabbermouth(2026年9月23日)

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Albums

Mechanix (2026 Remaster - Deluxe Edition) CD
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1982年の『Mechanix』を2枚組に拡張した、Chrysalisの2026年デラックス・エディション。新リマスターにハマースミス・オデオン公演の新ミックスを加え、2026年12月4日発売。

Hollywood 1976 (Remaster) Live CD
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1976年5月3日、ロサンゼルスのスターウッドでのライヴ盤。マイケル・シェンカー在籍期の12曲を収めた、ベル・アンティークの2026年リマスター紙ジャケットSHM-CD。

Landing in St. Louis: Live 1982 (Remaster) Live CD
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1982年3月14日、セント・ルイスのキール・オーディトリアムでのライヴ盤。『Mechanix』期の12曲を収めた、ベル・アンティークの2026年リマスター紙ジャケットSHM-CD。

Werewolves of London Live CD
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1998年2月10日、ウルヴァーハンプトン・シヴィック・ホールでのライヴ盤。マイケル・シェンカーが復帰した再結成期の15曲を収め、Cleopatraが2023年に続いて2026年に2枚組CDで再発した。

Phenomenon (3CD Special Edition) CD
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1974年の『Phenomenon』の2019年デラックス・エディションを、マーキーが初めて日本盤化した3枚組SHM-CD。紙ジャケット仕様、品番MICP-30210、2025年7月23日発売。

Lights Out (2024 Remaster) CD
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1977年の『Lights Out』を2枚組に拡張した、Chrysalisの2024年デラックス・エディション。新リマスターに、1977年4月2日のラウンドハウス公演の新ミックスを加えた。

Lights Out Chicago 1980 Live CD
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1980年3月16日、シカゴのインターナショナル・アンフィシアターでのUFOを全12曲で収めたアーカイヴ・ライヴ盤。Cleopatraが2023年12月にCDで出した完全版である。

The Salentino Cuts Cover Album
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UFO初のカヴァー・アルバム。2017年9月29日にCleopatra Recordsから発売。THE YARDBIRDSやTHE DOORS、ZZ TOPなど、メンバーが愛する12曲を取り上げた。

A Conspiracy of Stars CD
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UFOの2015年のスタジオ・アルバム。2月18日に日本とスカンディナヴィアで先行発売。クリス・タンガリーディスのプロデュースで、ロブ・デ・ルカが初参加した。

Seven Deadly CD
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UFOが2012年に発表したスタジオ・アルバム。日本盤が2月22日に先行し、ドイツでは2月24日にSPV/Steamhammerから発売。全英ロック&メタル・アルバム・チャートで初登場1位を記録した。

The Visitor CD
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UFOのスタジオ・アルバム。日本盤が2009年5月20日に先行し、ドイツでは5月29日にSPV/Steamhammerから発売された。肝臓の病で療養中のピート・ウェイは録音に加わっていない。

The Monkey Puzzle CD
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UFOのスタジオ・アルバム。2006年9月25日にヨーロッパで発売。創設メンバーのアンディ・パーカーがドラムに戻り、ピート・ウェイが参加した最後のUFOのアルバムとなった。

You Are Here CD
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2004年2月16日にヨーロッパで発売されたUFOのアルバム。ヴィニー・ムーアとジェイソン・ボーナムが加わった最初の作品で、トミー・ニュートンがプロデュースした。

Sharks CD

UFOの16作目。2002年9月発売。マイケル・シェンカーが参加した最後のUFOのアルバムで、マイク・ヴァーニーとSteve Fontanoがプロデュースした。

Covenant CD

UFOの15作目。2000年7月発売。マイケル・シェンカーが戻り、エインズレー・ダンバーがドラムを叩いた。初回プレスには1995年のライヴ盤『Live USA』が付いた。

Walk on Water CD
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UFOの14作目。1995年4月15日に日本で先行発売。マイケル・シェンカーらかつての5人が再びそろい、ロン・ネヴィソンがプロデュースした。

High Stakes & Dangerous Men CD

UFOの13作目のスタジオ・アルバム。1992年2月発売。ローレンス・アーチャーとクライヴ・エドワーズが参加した唯一のUFO作品で、ピート・ウェイが10年ぶりに戻った。

Ain't Misbehavin' EP

1988年にFM-Revolverから出たUFOのEP。フィル・モグとアトミック・トミー・Mの最後の共演作で、ポール・グレイとジム・シンプソンが加わった全7曲。

Misdemeanor CD

UFOの12作目のスタジオ・アルバムで、1985年11月発売。フィル・モグがギターのアトミック・トミー・M、ベースのポール・グレイらと組んだ新編成による作品で、全英74位。

Making Contact CD

UFOの11作目のスタジオ・アルバムで、1983年初め発売。ピート・ウェイの抜けたベースはポール・チャップマンとニール・カーターが担当。全英32位。同年バンドは活動を止めた。

Mechanix CD

UFOの10作目のスタジオ・アルバム。1982年2月にChrysalisから発売され、UFOのスタジオ作では最高となる全英8位を記録した。発売後、ベースのピート・ウェイが脱退している。

The Wild, the Willing and the Innocent CD
/

UFOの9作目のスタジオ・アルバムで、1981年1月16日発売。プロデューサーを立てずにバンド自身が制作し、ニール・カーターがポール・レイモンドに代わって加わった。全英19位。

No Place to Run CD

UFOの8作目のスタジオ・アルバムで、1980年1月発売。ギタリストのポール・チャップマンが加わった最初の作品で、ジョージ・マーティンがプロデュースした。全英11位。

Obsession CD

UFOの7作目のスタジオ・アルバムで、1978年6月発売。ロサンゼルスで録音され、マイケル・シェンカーが最初の在籍期に残した最後のスタジオ作となった。全英26位、全米41位。

Lights Out CD

ロン・ネヴィソンを初めてプロデューサーに迎え、元SAVOY BROWNのポール・レイモンドが加わったUFOの6作目。1977年5月発売。全英54位、全米23位を記録した。

No Heavy Petting CD

元HEAVY METAL KIDSのダニー・ペイロネルをキーボードに迎え、5人編成で作ったUFOの5作目。1976年5月発売。プロデュースは3作続けてレオ・ライオンズが務めた。

Force It CD

UFOの4作目。1975年7月発売。レオ・ライオンズのプロデュースで、キーボードにチック・チャーチルが客演した。初めて全米チャートに入り、ビルボード200で71位を記録した。

Phenomenon CD

マイケル・シェンカーが加わったUFOの3作目で、Chrysalis移籍第1作。1974年5月発売。「Doctor Doctor」を収め、プロデュースはレオ・ライオンズ。

UFO 2: Flying CD

UFOの2作目。1971年にBeaconから出た。18分を超える「Star Storm」と26分半の「Flying」を軸にしたスペース・ロック作で、プロデュースはバンド自身が手がけた。

UFO 1 CD

UFOのデビュー・アルバム。1970年10月にBeacon Recordsから出た。ギターはミック・ボルトンで、全10曲のうち「C'mon Everybody」など3曲はカヴァーである。

BOX

ボックス・セットや複数枚組の記念盤・拡張盤を、アルバムとは別に掲載しています。

The Complete Studio Albums 1974-1986 Compilation

UFOが1974年から1985年にかけてChrysalisに残したスタジオ・アルバム10作を、2007年から2009年のリマスター音源と40曲を超えるボーナス・トラック付きで収めたCD10枚組。

Original Album Series Compilation

1974年の『Phenomenon』から1978年の『Obsession』まで、マイケル・シェンカー在籍時のUFOの5作を収めた「Original Album Series」の5枚組。