QUEEN

イギリスのロック・バンド、QUEEN(クイーン)のバイオグラフィとディスコグラフィー。1973年のデビュー作『Queen』から1995年の『Made in Heaven』までのスタジオ・アルバム15作と、デビュー作を新たにミックスし直した2024年の『Queen I』に個別ページを用意し、収録曲、CD情報、ライナーノーツ、公式ビデオ、来日公演の記録をまとめている。

Biography

QUEEN
バイオグラフィー

QUEEN(クイーン)は、1970年にロンドンで結成されたイギリスのロック・バンドである。ブライアン・メイとロジャー・テイラーのバンドSMILEにフレディ・マーキュリーが加わってQUEENと名乗り、1971年にジョン・ディーコンが加わって4人がそろった。1973年の『Queen』から1991年の『Innuendo』まで、フレディの在籍中に14作のスタジオ・アルバムを残し、1975年の「Bohemian Rhapsody」はイギリスで9週にわたって1位にとどまった。1991年11月24日にフレディが亡くなった後、残る3人は彼の最後の録音から1995年の『Made in Heaven』を完成させ、その後はメイとテイラーが、ポール・ロジャース、続いてアダム・ランバートを迎えて活動を続けている。日本では1975年4月の初来日から熱狂的に迎えられ、フレディの在籍中に6度ツアーを行い、その後も2024年までに5度来日した。

結成(1968〜1972年)

QUEENの前身は、1968年にブライアン・メイとティム・スタッフェルが組んだSMILEである。メイはロンドンのインペリアル・カレッジで物理学を、スタッフェルはイーリング・カレッジ・オブ・アートで学んでおり、ドラマーの募集に応じて、歯学を学んでいたロジャー・テイラーが加わった。SMILEは1969年8月にアメリカでMercury Recordsからシングル「Earth」を出したが反響はなく、1970年の春にスタッフェルが抜けると、レコード会社との契約も切れた(アルティメット・クラシック・ロック)。

フレディ・マーキュリーは、1946年9月5日にザンジバル島でファルーク・バルサラとして生まれ、少年時代の大半をインドで過ごした。1964年に家族とともにイングランドのミドルセックスへ移り、イーリング・カレッジ・オブ・アートでグラフィック・デザインを学びながら、WRECKAGEなどのバンドで歌っていた(公式サイト)。スタッフェルの友人としてSMILEの公演にたびたび足を運んでいたフレディは、メイとテイラーにまったく新しいバンドとして出直すよう説き、QUEENという名前を考えた。王者のような気品をまとったバンド、というのが彼の構想だった(アルティメット・クラシック・ロック、フレディ・マーキュリー公式サイト、ローリング・ストーン誌)。

公式サイトの公演記録によれば、QUEENとしての最初のステージは、1970年6月27日のコーンウォールのトゥルーロ市庁舎で、初期のベースはマイク・グロース、続いてバリー・ミッチェルが弾いた(公式サイト)。最後に加わったのは、ロンドン大学のチェルシー・カレッジで電子工学を学んでいたジョン・ディーコンで、1971年3月1日、19歳で4人目のメンバーとなった(公式サイト)。なお、2024年の『Queen I』の資料は、ディーコンの加入を1971年7月としている(ブラバマウス、ユニバーサル ミュージック)。

1971年11月から翌年1月にかけて、バンドはウェンブリーに新設されたDe Lane Leaのスタジオの試験録音を手伝って5曲入りのデモを作り、それを聴いたノーマンとバリーのシェフィールド兄弟のTrident Audio Productionsと契約した。デビュー作の録音は1972年5月にロンドンのTrident Studiosで始まり、作業はスタジオが空く時間、たいていは夜に行われた(ブラバマウス、ユニバーサル ミュージック)。デビュー作の裏ジャケットに載ったバンドの紋章は、この頃フレディがデザインしたもので、メンバー4人の星座が描き込まれている(公式サイト、ローリング・ストーン誌)。

デビューから『A Night at the Opera』まで(1973〜1975年)

1973年2月、QUEENはBBCレディオ1のジョン・ピールの番組のために初めてのセッションを録音した。TridentはイギリスではEMI、アメリカではElektraとの契約をまとめ、デビュー作『Queen』は1973年7月13日にイギリスで発売された(ブラバマウス、公式サイト)。日本盤は1974年3月に『戦慄の王女』の邦題で出ている(ユニバーサル ミュージック)。1974年3月の2作目『Queen II』の時期には初めてヘッドライナーとしてイギリスを回り、シングル「Seven Seas of Rhye」が最初のヒットとなって、アルバムはイギリスで5位まで上がった。同じ年の11月に出た3作目『Sheer Heart Attack』はイギリスで2位、アメリカで12位となり、シングル「Killer Queen」が国際的なヒットになった(公式サイト)。

それでも1975年の初めには、バンドは深刻な資金難に陥っていた。弁護士のジム・ビーチがTridentとの契約からの解放を交渉し、同じ年の8月から11月にかけて6か所のスタジオで録音した4作目『A Night at the Opera』(日本盤の邦題は『オペラ座の夜』)は、11月21日に発売されて、QUEENに初めてのイギリス1位とプラチナ・ディスクをもたらした(公式サイト)。先行シングル「Bohemian Rhapsody」は5分55秒あり、その長さと型破りな構成のために発表されないところだったが、フレディが譲らずに世に出て、イギリスで9週にわたって1位にとどまった。ブルース・ガワーズが監督したビデオは、公式サイトが本格的なプロモーション・ビデオの先駆けとしているものである(公式サイト)。

頂点へ(1976〜1979年)

1976年、QUEENはアメリカ、日本、オーストラリアを回り、9月にはロンドンのハイド・パークで無料コンサートを開いて、15万人から20万人を集めた(公式サイト)。12月10日の5作目『A Day at the Races』(邦題『華麗なるレース』)は、バンド自身がプロデュースした初めてのアルバムで、イギリスで1位となった。ブライアン・メイが日本のファンに向けて書いた「Teo Torriatte (Let Us Cling Together)」も、このアルバムに収められている(公式サイト、公式映像シリーズ『Queen The Greatest』)。1977年10月28日の6作目『News of the World』(邦題『世界に捧ぐ』)からは、フレディの「We Are the Champions」とメイの「We Will Rock You」を組み合わせたシングルが生まれ、アメリカではElektraのそれまでで最も売れたシングルになった(公式サイト)。

1978年11月10日の7作目『Jazz』(邦題『ジャズ』)は、スイスのモントルーと南フランスのニースで録音した、初めてイギリスの外で作ったアルバムである。1979年にはヨーロッパ・ツアーの録音から初めてのライヴ・アルバム『Live Killers』を出し、4月から5月にかけて15公演の日本ツアーを行った(公式サイト)。

1980年代(1980〜1986年)

1980年6月30日の8作目『The Game』(邦題『ザ・ゲーム』)は、ミュンヘンでプロデューサーのマックと組んだ最初のアルバムで、QUEENが初めてシンセサイザーを使った作品でもある。イギリスで1位となり、アメリカでも初めての1位アルバムになった。ディーコンの「Another One Bites the Dust」はアメリカで3週にわたって1位となり、フレディの「Crazy Little Thing Called Love」もアメリカで1位を獲得した。12月8日には、唯一の映画サウンドトラック・アルバム『Flash Gordon』(邦題『フラッシュ・ゴードン』)を出している(公式サイト)。

1981年2月には日本武道館で5回の公演を行い、2月の終わりからはアルゼンチンとブラジルのスタジアムを回った。公式サイトは、QUEENを南米でスタジアム・ツアーを行った最初のバンドとしている。同じ年に出た『Greatest Hits』は、のちにイギリスで最も売れたアルバムとなり、2022年にはチャート上の売上で初めて700万枚に達した(公式サイト、オフィシャル・チャート・カンパニー)。

1982年5月の10作目『Hot Space』(邦題『ホット・スペース』)はファンクやディスコの色を強め、一部のファンを戸惑わせた。モントルーのスタジオでデヴィッド・ボウイと生み出した「Under Pressure」は、前年10月にシングルとして出てイギリスで1位になっている。この年のアメリカ・ツアーが、QUEENにとって最後のアメリカ・ツアーとなった。1984年2月27日の11作目『The Works』(邦題『ザ・ワークス』)は本来のロックへの回帰と受け止められ、テイラーの「Radio Ga Ga」は19か国で1位となった(公式サイト)。

1985年7月13日には、エチオピアの飢饉の救済のために開かれたライヴ・エイドに出演し、ロンドンのウェンブリー・スタジアムで21分間演奏した。中継は世界で19億人が見たとされ、公式サイトは、この演奏が今も史上最高のライヴと評されているとしている(公式サイト)。1986年6月の12作目『A Kind of Magic』(邦題『カインド・オブ・マジック』)は映画『ハイランダー』のための曲から生まれ、イギリスで初登場1位となった。続くマジック・ツアーはイギリスとヨーロッパ9か国での26公演で、7月27日のブダペストでは東欧圏のスタジアムで公演した初めての大物ロック・バンドとなり、8月9日のネブワース・パークでの公演が、フレディが加わった最後のコンサートになった(公式サイト)。

フレディ・マーキュリーの最後の日々と『Made in Heaven』(1987〜1995年)

1987年、フレディはオペラ歌手モンセラート・カバリエとアルバム『Barcelona』を録音し、テイラーは新しいバンドTHE CROSSを結成した。1989年5月22日の13作目『The Miracle』(邦題『ザ・ミラクル』)は、初めて全曲を4人の共作名義にそろえたアルバムで、イギリスで1位となったが、ツアーは行われなかった(公式サイト)。

1991年2月4日の14作目『Innuendo』(邦題『イニュエンドウ』)もイギリスで1位となった。録音のあいだ、フレディの病状を知っていたのはごく身近な人だけで、メンバーは最後までそれを公にしなかった(公式サイト)。1991年11月23日、フレディはエイズを患っていることを公表し、翌24日にロンドン西部の自宅で亡くなった。45歳だった(公式サイト、BBC)。追悼の「Bohemian Rhapsody」と「These Are the Days of Our Lives」の両A面シングルはイギリスで5週にわたって1位となり、QUEENは同じシングルでイギリスの1位を2度とった初めてのバンドになった(公式サイト)。

1992年4月20日には、ウェンブリー・スタジアムでフレディ・マーキュリー追悼コンサートが開かれ、7万2,000枚の券が6時間で売り切れた。収益は、このときつくられたエイズ救済のための慈善団体、マーキュリー・フェニックス・トラストに充てられている(公式サイト)。残る3人はその後の4年をかけ、フレディの最後の録音をもとに15作目『Made in Heaven』(邦題『メイド・イン・ヘヴン』)を完成させて、1995年11月6日に発表した。ジャケットには、フレディが最後の曲を書いて録音したレマン湖のほとりに立つ、彼の像が写されている(公式サイト)。

1991年以後

ジョン・ディーコンは、1997年1月17日のパリでの公演を最後にステージを離れ、同じ年の10月に録音した「No-One But You (Only the Good Die Young)」を最後にQUEENの活動から退いた。メイとテイラーとは今も連絡を保っている(公式サイト)。QUEENは2001年3月にロックの殿堂入りを果たし、2002年5月にはQUEENの曲によるミュージカル『We Will Rock You』がロンドンで開幕して、ドミニオン劇場で12年にわたって上演された(公式サイト)。

メイとテイラーは、2004年11月に元FREE、BAD COMPANYのポール・ロジャースと初めて共演し、QUEEN + ポール・ロジャースとして2005年に1986年以来のツアーを行って、2008年にはスタジオ・アルバム『The Cosmos Rocks』を出した。ロジャースは2009年に共同作業を終えている(公式サイト、ブラバマウス)。2009年5月のテレビ番組『アメリカン・アイドル』の決勝で初めて共演したアダム・ランバートとは、2012年6月にウクライナのキーウで、QUEEN + アダム・ランバートとして最初の公演を行った(ユニバーサル ミュージック)。

2018年には、メイとテイラーが音楽総指揮を務めた伝記映画『ボヘミアン・ラプソディ』が公開され、公開当時の音楽伝記映画として最も高い興行収入をあげた。そのサウンドトラックには、ライヴ・エイドでの演奏の音源が初めて公式に収められている(フレディ・マーキュリー公式サイト、公式サイト、ユニバーサル ミュージック)。2020年10月2日に出たQUEEN + アダム・ランバートのライヴ・アルバム『Live Around the World』は、『Made in Heaven』以来25年ぶりにQUEENのアルバムとしてイギリスの1位となった(ユニバーサル ミュージック)。2024年10月25日には、デビュー作をミックスし直し、1973年の発売時に外された「Mad the Swine」を本来の4曲目に戻した『Queen I』(邦題『戦慄の王女(クイーンI)』)が出た(ユニバーサル ミュージック、ブラバマウス)。メイは2023年の新年叙勲でナイトの称号を受けている(公式サイト)。

ボックス・セットとしては、2026年の『Queen II (Collector's Edition)』(『Queen II』の2026年ミックスを核にしたCD5枚とLP2枚のボックス)も出ている。

メンバーについて

公式サイトは、フレディ・マーキュリー、ブライアン・メイ、ロジャー・テイラー、ジョン・ディーコンの4人をQUEENのメンバーとしている。現在活動しているのはメイとテイラーで、2012年からはアダム・ランバートがヴォーカルを務め、QUEEN + アダム・ランバートとして公演している(公式サイト、ユニバーサル ミュージック)。

フレディ・マーキュリー(ヴォーカル、ピアノ。1970〜1991年)は、「Bohemian Rhapsody」「Somebody to Love」「We Are the Champions」などを書き、1985年にはソロ・アルバム『Mr. Bad Guy』を出した(公式サイト、フレディ・マーキュリー公式サイト)。ブライアン・メイ(ギター)は1947年7月19日にトゥイッケナムで生まれ、10代で父と作ったレッド・スペシャルと呼ばれるギターを、QUEENのすべてのアルバムで弾いている(ガーディアン紙)。「We Will Rock You」「Who Wants to Live Forever」などを書き、2007年にはインペリアル・カレッジで天体物理学の博士号を取得した(公式サイト)。

ロジャー・テイラー(ドラム)は1949年7月26日にノーフォークのキングス・リンで生まれた。「Radio Ga Ga」「A Kind of Magic」などを書き、QUEENのスタジオ・アルバム15作のすべてに自作曲を残している。1981年の『Fun in Space』からはソロ・アルバムも重ねている(公式サイト)。ジョン・ディーコン(ベース。1971〜1997年)は1951年8月19日にレスターで生まれた。「You're My Best Friend」「Another One Bites the Dust」「I Want to Break Free」などを書き、1997年を最後にQUEENの活動から退いている(公式サイト)。

ディスコグラフィ

スタジオ・アルバム15作と、デビュー作を2024年にミックスし直した『Queen I』、『Queen II』の2026年ミックスを核にしたボックス・セット『Queen II (Collector's Edition)』を、最初に出た年の順に並べる(公式サイト、ユニバーサル ミュージック)。

発売題名種別備考
1973年Queenスタジオ・アルバムデビュー作。邦題『戦慄の王女』
1974年Queen IIスタジオ・アルバム「Seven Seas of Rhye」を収録。邦題『クイーンII』
1974年Sheer Heart Attackスタジオ・アルバム「Killer Queen」を収録。邦題『シアー・ハート・アタック』
1975年A Night at the Operaスタジオ・アルバム初めてのイギリス1位。邦題『オペラ座の夜』
1976年A Day at the Racesスタジオ・アルバム初めてのセルフ・プロデュース作。邦題『華麗なるレース』
1977年News of the Worldスタジオ・アルバム「We Will Rock You」「We Are the Champions」を収録。邦題『世界に捧ぐ』
1978年Jazzスタジオ・アルバム初めてイギリスの外で録音。邦題『ジャズ』
1980年The Gameスタジオ・アルバム初めてシンセサイザーを使用。邦題『ザ・ゲーム』
1980年Flash Gordonスタジオ・アルバム(サウンドトラック)同名の映画の音楽。邦題『フラッシュ・ゴードン』
1982年Hot Spaceスタジオ・アルバムデヴィッド・ボウイとの「Under Pressure」を収録。邦題『ホット・スペース』
1984年The Worksスタジオ・アルバム「Radio Ga Ga」を収録。邦題『ザ・ワークス』
1986年A Kind of Magicスタジオ・アルバム映画『ハイランダー』のための曲から生まれた。邦題『カインド・オブ・マジック』
1989年The Miracleスタジオ・アルバム全曲をQUEENの共作名義にそろえた。邦題『ザ・ミラクル』
1991年Innuendoスタジオ・アルバムフレディの生前に出た最後のスタジオ・アルバム。邦題『イニュエンドウ』
1995年Made in Heavenスタジオ・アルバムフレディの最後の録音をもとに完成。邦題『メイド・イン・ヘヴン』
2024年Queen Iデビュー作の2024年ミックス「Mad the Swine」を本来の位置に戻した。邦題『戦慄の王女(クイーンI)』
2026年Queen II (Collector's Edition)ボックス・セット『Queen II』の2026年ミックスを核に、全曲の未発表テイク、BBC音源、ライヴ音源を加えたCD5枚とLP2枚

このほか、ライヴ・アルバムには『Live Killers』(1979年)、『Live Magic』(1986年)、『Live at Wembley '86』(1992年)など、編集盤には『Greatest Hits』(1981年)、『Greatest Hits II』(1991年)、『Queen Rocks』(1997年)、『Queen Forever』(2014年)、日本だけの『Jewels』(2004年)などがある。QUEEN + ポール・ロジャースの『The Cosmos Rocks』(2008年)とQUEEN + アダム・ランバートの『Live Around the World』(2020年)は、それぞれの名義の作品である(公式サイト、ユニバーサル ミュージック、ブラバマウス)。

日本公演

日本では、1974年から音楽誌ミュージック・ライフがQUEENを取り上げ、1975年に日本で出た「Killer Queen」がヒットした(公式映像シリーズ『Queen The Greatest』、ユニバーサル ミュージック)。1975年4月17日、初めての日本ツアーのために羽田空港に着いた4人を、3,000人を超える若いファンが出迎えた。本国ではまだ駆け出しだった4人はこの光景に圧倒され、熱狂は「クイーン・マニア」と呼ばれて、その後の来日のたびにくり返された(公式サイト、ユニバーサル ミュージック)。4月17日は2015年に「QUEENの日」として正式に認定され、日本記念日協会に登録されている(ユニバーサル ミュージック)。最初の公演は4月19日の日本武道館で、ツアーは8公演だった(公式映像シリーズ、ユニバーサル ミュージック)。

この出会いから、ブライアン・メイは日本のファンに捧げる「Teo Torriatte (Let Us Cling Together)」を書いた。2回のサビを日本語で歌うこの曲は日本でだけシングルとして出て(公式映像シリーズ、公式サイト)、日本盤の邦題は「手をとりあって」である。QUEEN + アダム・ランバートの日本公演でも演奏されている(ユニバーサル ミュージック)。

QUEENはその後も1976年、1979年、1981年、1982年、1985年と来日を重ね、1982年11月3日の西武ライオンズ球場での野外公演は、日本だけのビデオ『Live in Japan』として出た。1985年の公演が、フレディが加わった最後の日本公演になった(公式サイト、ユニバーサル ミュージック)。フレディの死後は、2005年にQUEEN + ポール・ロジャースとして、2014年、2016年、2020年、2024年にはQUEEN + アダム・ランバートとして来日した。2016年9月23日の日本武道館公演は、1975年から数えてQUEENにとって20回目の武道館公演となり、2024年2月の初めてのドーム・ツアーでは、初めて東京ドームのステージに立った(公式サイト、ユニバーサル ミュージック)。

2004年には、テレビドラマ『プライド』で使われた曲を集めた日本だけの編集盤『Jewels』が100万枚を超え、QUEENは第19回日本ゴールドディスク大賞の洋楽部門でアーティスト・オブ・ザ・イヤーに選ばれた(公式映像シリーズ、ユニバーサル ミュージック、日本レコード協会)。2018年11月9日に日本で公開された映画『ボヘミアン・ラプソディ』の日本での興行収入は、2019年2月17日までに116億6,000万円に達し、アメリカに次いで世界で2番目となった(ユニバーサル ミュージック)。2023年の第74回NHK紅白歌合戦には、QUEEN + アダム・ランバートが出場した(ユニバーサル ミュージック)。

年ツアー都市・会場
1975年4〜5月初めての日本ツアー全8公演。東京・日本武道館(4月19日の初日と5月1日の最終日)、名古屋、神戸、福岡、岡山、つま恋(静岡県掛川市)、横浜
1976年3〜4月2度目の日本ツアー6都市で11公演。東京・日本武道館(3月22日の初日を含む3公演)、名古屋、姫路、福岡、大阪、仙台、東京・日大講堂(4月4日の最終日)
1979年4〜5月3度目の日本ツアー全15公演。東京・日本武道館(5公演)、大阪、金沢、神戸、名古屋、福岡、札幌など
1981年2月4度目の日本ツアー東京・日本武道館で5公演
1982年10〜11月『Hot Space』のツアー5都市で6公演。札幌(10月29日)、阪急西宮球場、西武ライオンズ球場(11月3日)など
1985年5月『The Works』のツアー東京・日本武道館(8日・9日)、国立代々木競技場(11日)、名古屋・愛知県体育館(13日)、大阪城ホール(15日)。フレディが加わった最後の日本公演
2005年10〜11月QUEEN + ポール・ロジャースさいたまスーパーアリーナ(2公演)、横浜アリーナ(2公演)、ナゴヤドーム、福岡 Yahoo! JAPANドーム
2014年8月QUEEN + アダム・ランバート(サマーソニック2014)大阪・舞洲サマーソニック大阪特設会場(16日)、東京・QVCマリンフィールド&幕張メッセ(17日)
2016年9月QUEEN + アダム・ランバート東京・日本武道館(21日〜23日の3公演)
2020年1月QUEEN + アダム・ランバート(ザ・ラプソディ・ツアー)さいたまスーパーアリーナ(25日・26日)、京セラドーム大阪(28日)、ナゴヤドーム(30日)
2024年2月QUEEN + アダム・ランバート(ザ・ラプソディ・ツアー)バンテリンドーム ナゴヤ(4日)、京セラドーム大阪(7日)、札幌ドーム(10日。GLAYがスペシャル・ゲスト)、東京ドーム(13日・14日)

出典について

出典は、QUEENの公式サイトqueenonline.com(バンドとメンバーの紹介、各アルバムの解説、公演の記録、ニュース)、フレディ・マーキュリーとブライアン・メイの公式サイト(公式映像シリーズ『Queen The Greatest』の解説を含む)、ユニバーサル ミュージックの日本のQUEENサイト(日本盤の解説、ニュース、来日公演の告知と報告)とユニバーサル ミュージック・カナダの資料、ロックの殿堂、日本レコード協会、オフィシャル・チャート・カンパニー、BBC、ガーディアン紙、ローリング・ストーン誌、アルティメット・クラシック・ロック、ブラバマウス、オリコンである。ジョン・ディーコンの加入の月など、資料によって食い違う点は、本文でその旨を記した。

Trivia

1975年4月17日、初めての日本ツアーのために羽田空港に降り立ったQUEENを、3,000人を超える若いファンが出迎えた。公式サイトによれば、4人は目に見えて圧倒され、この熱狂は「クイーン・マニア」と呼ばれて、その後の日本ツアーのたびにくり返された。ロジャー・テイラーは公式映像シリーズ『Queen The Greatest』で、日本に需要があることは知っていたが、空港に着いて初めて想像とは桁の違う歓迎だと気づいたと語っている。長年QUEENと親交のあるKAZ宇都宮は、あの日空港にいた人なら誰でもTHE BEATLESの再来だと思ったはずだと振り返っている。

出典: QUEEN公式サイト queenonline.com の公演記録(1975年)

日本では4月17日が「QUEENの日」である。初来日から40年にあたる2015年、QUEENが初めて羽田空港に降り立ったこの日が、日本における「QUEENの日(The Queen Day)」として正式に認定され、当日には羽田空港の国際線旅客ターミナルで記念のイベントが開かれた。ユニバーサル ミュージックによれば、この記念日は一般社団法人・日本記念日協会が認定し、登録している。

出典: ユニバーサル ミュージックのQUEENサイト、ニュース(2015年3月2日)

QUEENの日本での最初の公演は、1975年4月19日の日本武道館だった。2016年9月、QUEEN + アダム・ランバートとして1985年以来31年ぶりに武道館に立った3夜のうち、最終日の23日の公演は、その1975年4月19日から数えてQUEENにとって20回目の武道館公演となった。この日が追加公演として決まった際、ロジャー・テイラーは、1975年に日本で初めて演奏した会場で3度目の公演ができることを誇りに思うと語り、一巡して元の場所に戻ってきたと喜んだ。

出典: ユニバーサル ミュージックのQUEENサイト、2016年日本公演初日のレポート(2016年9月21日)

1976年の『A Day at the Races』に収められた「Teo Torriatte (Let Us Cling Together)」は、初来日で結ばれた日本との絆から、ブライアン・メイが日本のファンに捧げる曲として書いたもので、2回のサビが日本語で歌われる。日本でだけシングルとして出たため、1981年の『Greatest Hits』にこの曲が入っているのは日本盤だけで、同じように「Love of My Life」は南米盤にだけ収められている。日本盤の邦題は「手をとりあって」である。

出典: ブライアン・メイ公式サイト brianmay.com、公式映像シリーズ『Queen The Greatest』第14回(2021年6月18日)

元MUSIC LIFE編集長の東郷かおる子は、「Teo Torriatte」の存在を録音される前に聞いていたと書いている。1976年9月18日、ロンドンのハイド・パークでのフリー・コンサートを取材して次のアルバムについて尋ねると、ロジャー・テイラーは、まだ秘密だが今度のアルバムには日本語を交えた曲が入ると答えたという。曲名も曲調もわからなかったその曲が、翌年に日本盤が出た『A Day at the Races』の「手をとりあって」だった。

出典: ユニバーサル ミュージックのQUEENサイト、東郷かおる子のコラム(2011年3月25日)

QUEEN初のライヴ・アルバム『Live Killers』は、1979年1月から3月のヨーロッパ・ツアーで録音されたが、ジャケットの写真は日本で撮られている。公式サイトによれば、写真は1979年4月の日本ツアーの際に長谷部宏が撮影したもので、公演の終わりにステージへ下りてくる巨大な照明装置Pizza Ovenを背に、ほとんどシルエットになった4人の姿をとらえている。

出典: QUEEN公式サイト queenonline.com の作品解説(『Live Killers』)

1982年の日本ツアーは5都市で6公演を行い、11月3日の西武ライオンズ球場での野外公演で締めくくられた。この公演は撮影され、日本だけでビデオ『Live in Japan』として発売されている。同じツアーで1982年10月29日に札幌で演奏した後、QUEENが次に札幌に立ったのは42年後の2024年2月10日で、QUEEN + アダム・ランバートとしての札幌ドーム公演には、地元北海道出身のGLAYがスペシャル・ゲストとして出演した。

出典: QUEEN公式サイト queenonline.com の公演記録(1982年)

2004年に日本だけで発売された編集盤『Jewels』は、テレビドラマ『プライド』で使われたQUEENの曲を集めたもので、100万枚を超える大ヒットになった。この年の売上により、QUEENは第19回日本ゴールドディスク大賞の洋楽部門でアーティスト・オブ・ザ・イヤーに選ばれている。続く『Jewels II』と合わせた売上は160万枚を超え、2014年には来日を記念して2作が初めてデジタル配信された。

出典: ユニバーサル ミュージックのQUEENサイト、ニュース(2014年8月13日)

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News

QUEENのBrian May、「QUEENが二度とツアーしないとは言っていない」と説明

『The Times』紙での発言が誤って伝わったとしている。

出典: Blabbermouth(2026年10月8日)

QUEENのBrian May、今後はツアーを行わないと表明 「50年で十分かもしれない」

英The Timesに「18か月前に、もうツアーはしないと決めた」と語った。一方でQUEENの没入型ショーの構想はあるとし、現状ではAIなしに作れないことへの強い懸念も示した。

出典: Blabbermouth(2026年10月5日)

QUEEN、ブライアン・メイがロジャー・テイラーのロンドン公演に登場

9月28日、ロンドンのRoundhouseで行われたテイラーのソロ公演。テイラー(77)はソロ作『Violence Insane In A Beautiful World』のプロモーション中で、2時間のセットでは終始リード・ヴォーカルを執り、ドラムは1曲のみ。メイはセット最後の2曲「We Will Rock You」「Radio Ga Ga」で登場した。

出典: BLABBERMOUTH(2026年9月30日)

QUEENのBrian May、ロンドンの蒸留所と組んだ「The Red Special Gin」を発売

Portobello Road Distilleryとの共作で、自身のギター「Red Special」にちなんだ名を冠している。May本人は「エレクトリック・ギターと同じで、このRed Specialも責任をもって楽しんでほしい」と述べている。

出典: Louder (Metal Hammer)(2026年9月28日)

QUEENのRoger Taylor、ソロ作『Violence Insane In A Beautiful World』から「A Beautiful World」のMVを公開

アルバムの1曲目で、Ndlovu Youth Choirとの共演。アルバムはColumbia Recordsから発売中で、9月21日から英国ツアーを行う。

出典: Queen公式(2026年9月18日)

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BRIAN MAY、William Shatnerのヘヴィ・メタル・アルバムにTONY IOMMIも参加すると明かす

英Greatest Hits RadioのZoe Ballとのインタビューでの発言。QUEENのBrian Mayは95歳のWilliam Shatnerによるメタル・アルバムにゲスト参加することを認め、Tony Iommiも参加すると語った。Mayは自分のトラックをリモートで仕上げたあと、本人に直接聴かせるために面会を求めたという。

出典: BLABBERMOUTH.NET(2026年9月12日)

故Steve Cropperの遺作『Watching The Tide』が8月28日に発売 QUEENのBrian Mayが歌う「My Angels Are Calling」の映像も公開

全12曲入りで、「My Angels Are Calling」はMayが共作・歌唱し、ZZ TOPのBilly Gibbonsがソロを弾いている。Mayは、Cropper自身へのトリビュートとして彼の声で語ろうとしたと述べている。

出典: Louder(2026年8月28日)

MVを再生

QUEEN『QUEEN BUDAPEST』、日本の劇場公開詳細が決定 — 10月7日にIMAX特別先行上映

10月7日にTOHOシネマズ 新宿とTOHOシネマズ 名古屋栄でIMAX特別先行上映を行い、全国では10月7日と10月10日の2日限定上映となる(劇場により例外の日程あり)。鑑賞料金は3000円一律で、10月30日発売のマルチフォーマット版はブルーレイと2CDが国内盤でもリリースされる。

出典: NME Japan(2026年8月21日)

QUEEN、1986年ブダペスト公演の修復版フィルムを10月3日にロンドンで上映

Peter Jacksonのチームが修復した『Queen Budapest』を10月3日にThe Roundhouseで14時と19時の2回上映し、10月30日にBlu-ray/DVD/CD/3LPなどで発売する。Freddie Mercuryを擁した最後の記録映像となる。

出典: Louder (Metal Hammer)(2026年8月19日)

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QUEENのRoger Taylor、ソロアルバム『Violence Insane In A Beautiful World』を9月18日発売

Columbia Recordsより。先行第2弾シングル「I See You Now」を公開した。

出典: Blabbermouth(2026年8月12日)

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Current Members / 現メンバー

バンドの公式サイトで確認した現行ラインナップです。2026-10-15時点。

Brian May
ギター、ヴォーカル
Roger Taylor
ドラム、ヴォーカル

Albums

Queen I CD
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QUEENの1973年のデビュー作『Queen』を2024年に全面的にリミックスし、『Queen I』と改題した新装版。「Mad the Swine」を本来の4曲目に戻した。

Made in Heaven CD
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QUEENの15作目。1995年11月発売。フレディ・マーキュリーが最後の数か月に残した歌などをもとに、残る3人が約4年をかけて完成させた最後のスタジオ作。全英1位。

Innuendo CD
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QUEENの14作目。1991年2月発売(日本盤は1月30日)。フレディ・マーキュリーの存命中に出た最後のアルバムで、表題曲に続いて全英1位を記録した。

The Miracle CD
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QUEENの13作目。1989年5月発売。初めて全曲をバンド名義のクレジットで分け合い、4人の顔を1つに溶け合わせたジャケットで結束を示した。全英1位。

A Kind of Magic CD

QUEENの12作目。1986年6月発売。映画『ハイランダー 悪魔の戦士』のために書いた曲を軸にまとめたアルバムで、初登場で全英1位を獲得した。

The Works CD
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QUEENの11作目。1984年2月27日発売。「Radio Ga Ga」「I Want to Break Free」など4曲のシングルを生み、全英2位を記録した。

Hot Space CD

QUEENの10作目。1982年5月発売。「Another One Bites the Dust」の路線を推し進め、ホーンやシンセ・ベース、ドラム・マシンを取り入れたファンク/ディスコ寄りの作品。

Flash Gordon CD
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QUEENの9作目にして初のサウンドトラック。1980年12月8日発売。同名のSF映画のために書いた全18曲を、劇中の台詞や効果音と織り合わせて収めた。

The Game CD
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QUEENの8作目。1980年6月発売。ミュンヘンで録音し、初めてシンセサイザーを使った作品で、英国と米国の両方でアルバム・チャートの1位になった。

Jazz CD
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QUEENの7作目。1978年11月発売。初めて英国の外で録音した作品で、ロイ・トーマス・ベイカーが再びプロデュースに加わり、全13曲を収める。

News of the World CD
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QUEENの6作目。1977年10月発売。約10週間という短期間で作られた簡潔な作品で、「We Will Rock You」と「We Are the Champions」で幕を開ける。

A Day at the Races CD
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QUEENの5作目。1976年12月発売。初めてメンバーだけでプロデュースした作品で、日本語の歌詞を含む「Teo Torriatte (Let Us Cling Together)」で終わる。

A Night at the Opera CD
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QUEENの4作目。1975年11月発売。6つのスタジオで録られた12曲に「Bohemian Rhapsody」を含み、バンド初の全英1位アルバムとなった。

Sheer Heart Attack CD
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QUEENの3作目。1974年11月発売。ブライアン・メイの病を挟んで4つのスタジオで録音され、シングル「Killer Queen」とともに全英2位を記録した。

Queen II CD
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QUEENの2作目。1974年3月発売。メイの曲を中心にした“サイド・ホワイト”と、マーキュリーの曲だけの“サイド・ブラック”から成り、全英5位を記録した。

Queen CD
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QUEENのデビュー作。1973年7月発売。トライデント・スタジオの空き時間に録音され、「Keep Yourself Alive」「Liar」などを収める。日本盤の邦題は『戦慄の王女』。

BOX

ボックス・セットや複数枚組の記念盤・拡張盤を、アルバムとは別に掲載しています。

Queen II (Collector's Edition) CD
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1974年の『Queen II』の2026年ミックスを核にした、CD5枚とLP2枚のコレクターズ・エディション。全曲の未発表テイクやBBC音源、1974年のライヴを収める。