AC/DC

AC/DC (エーシー・ディーシー)は、単なるロックバンドの枠組みを超え、現代音楽史における一種の「現象」として存在している。

Biography

AC/DC
ロックンロールの雷鳴――その歴史と作品

第1章 不変の巨人とその文化的影響

AC/DC (エーシー・ディーシー)は、単なるロックバンドの枠組みを超え、現代音楽史における一種の「現象」として存在している。1973年のオーストラリア (Australia)・シドニー (Sydney)での結成以来、AC/DCはブルース・ロック (Blues Rock) とハード・ロック (Hard Rock)の境界線上で、極めてシンプルかつ強靭なサウンドを構築し続けてきた。パンク(Punk)、ニュー・ウェイヴ (New Wave)、グランジ (Grunge)、ブリットポップ (Britpop)、そしてEDM (Electronic Dance Music) といった数多の流行が興っては消える中で、AC/DCは頑なに自身のスタイル―― 「ロックンロール (Rock 'n' Roll)」―――を貫き通した。

AC/DCの音楽の真髄は、アンガス・ヤング (Angus Young) の象徴的なスクールボーイ (Schoolboy)の衣装や派手なリードギターだけでなく、その兄であるマルコム・ヤング (Malcolm Young) が構築した、極めて正確でドライヴ感のあるリズムギターにある。この「ヤング兄弟(Young Brothers)」による鉄壁のリズムセクションこそが、AC/DCを他のハードロックバンドと区別する決定的な要素である。

第2章 創世記: ヤング一家と初期の混乱 (1963年-1974年)

2.1 スコットランドからの移住と音楽的ルーツ

AC/DCの物語は、彼らの音楽と同様に、労働者階級の現実から始まる。1963年、ウィリアム (William) とマーガレット・ヤング (Margaret Young) 夫妻は、大寒波に見舞われたスコットランド (Scotland) のグラスゴー (Glasgow)を離れ、オーストラリア政府の移民支援制度を利用してシドニー (Sydney) へ移住した。一家にはジョージ (George)、マルコム (Malcolm)、アンガス (Angus) を含む大勢の子供たちがいた。

音楽的な成功を最初に手にしたのは次男のジョージ・ヤング (George Young) であった。彼はイージービーツ (The Easybeats) のリズムギタリストとして、「Friday on My Mind」を世界的ヒットさせ、弟たちに「ギターで世界を征服できる」という実例を示した。イージービーツ解散後、ジョージは元バンドメイトのハリー・ヴァンダ (Harry Vanda) と共にプロダクション・チーム「ヴァンダ・アンド・ヤング (Vanda & Young)」を結成し、後にAC/DCのサウンド形成における決定的な役割を果たすことになる。

2.2 バンド結成と 「AC/DC」の命名

1973年11月、20歳のマルコム・ヤングと18歳のアンガス・ヤングは、兄ジョージの指導の下、シドニーでバンドを結成した。初期のラインナップには、ヴォーカリストのデイヴ・エヴァンス (Dave Evans)、ベーシストのラリー・ヴァン・クリート (Larry Van Kriedt)、ドラマーのコリン・バージェス (Colin Burgess) が含まれていた。ラリー・ヴァン・クリートはサンフランシスコ出身で、ジャズの素養を持つミュージシャンであった。

バンド名は、姉のマーガレットがミシン (Sewing Machine) の裏側に記されていた「AC/DC」という表示を見たことに由来する。これは電気用語で「交流/直流 (Alternating Current / Direct Current)」を意味する。デイヴ・エヴァンスの証言によれば、バンド名を決める会議で誰も良い案を出せず、最終的にマルコムが姉の提案したこの名前を出したところ、全員が即座に「パワー (Power)」を連想させるとして賛同したという。彼らはこの名前が、彼らの荒々しくエネルギーに満ちた演奏スタイルを象徴していると考えた。なお、俗語として「バイセクシュアル」を意味することを知ったのは後のことである。

2.3 デイヴ・エヴァンス時代とグラム・ロックへの接近

1973年12月31日、シドニーのナイトクラブ 「チェッカーズ (Chequers)」 でのライブがバンドの初舞台となった。この時期のAC/DCは、当時の主流であったグラム・ロック (Glam Rock) の影響を色濃く受けており、スレイド (Slade) やT・レックス (T. Rex) のようなスタイルを模索していた。

1974年、AC/DCは唯一のシングル 「Can I Sit Next to You, Girl / Rocking in the Parlour」を録音した。この音源はジョージ・ヤングのプロデュースによるものであったが、バンド(特にマルコム)は、デイヴ・エヴァンスの演劇的なパフォーマンスやポップ寄りの声質が、自分たちの目指す硬派なブルース・ロック・サウンドに適さないと感じ始めていた。1974年9月、エヴァンスとマネージャーの間で対立が生じ、彼は解雇されることとなる。

第3章 ボン・スコットの時代: 野生の覚醒と世界進出 (1974年-1980年)

3.1「野良犬」ボン・スコットの加入

デイヴ・エヴァンスの後任として加入したのは、当時バンドの運転手などをしていたロナルド・ベルフォード・"ボン・スコット (Ronald Belford "Bon" Scott) であった。スコットは既にザ・スペクターズ (The Spektors)、ザ・ヴァレンタインズ (The Valentines)、フラタニティ (Fraternity) といったバンドでキャリアを積んでおり、業界の荒波を知るベテランであった。

スコットの加入は、AC/DCに決定的な化学反応をもたらした。彼の歌詞は、労働者階級の生活、酒、女性、そして暴力といった「ストリートの現実」をユーモアとアイロニーを交えて描いたものであり、アンガスとマルコムのリフに完璧に合致した。彼は「Can I Sit Next to You, Girl」を自身のヴォーカルで再録音し、バンドの方向性を決定づけた。

3.2 オーストラリア国内での成功とラインナップの安定

1975年、バンドはデビュー・アルバム 『High Voltage』 (オーストラリア盤) をリリースした。このアルバムはわずか10日間で録音された。続いてリリースされた『T.N.T.』により、AC/DCはオーストラリアのトップバンドへと躍り出る。この時期、「It's a Long Way to the Top (If You Wanna Rock 'n' Roll)」のプロモーション・ビデオ (PV) がメルボルン (Melbourne) の目抜き通りで撮影され、バグパイプ (Bagpipes) を演奏しながらトラックの荷台で演奏する姿は伝説となった。

また、この時期にリズム隊も固定された。ドラムにはメルボルン出身のフィル・ラッド (Phil Rudd)が、ベースにはマーク・エヴァンス (Mark Evans) が加入し、いわゆる「クラシック・ラインナップ」の原型が完成した。

3.3 国際展開と「編集盤」の混乱

1976年、アトランティック・レコード (Atlantic Records) との契約により、AC/DCは世界進出を果たす。しかし、ここで現在に至るまで続くディスコグラフィ上の混乱が生じた。国際市場向けのデビュー・アルバムとしてリリースされた『High Voltage』 (1976年)は、オーストラリア盤の同名アルバムとは全く内容が異なっていたのである。

  • 豪盤『High Voltage』 (1975): デビュー作。「Baby, Please Don't Go」 などを含む。
  • 豪盤『T.N.T.』(1975): 2作目。「T.N.T.」「The Jack」などを含む。
  • 国際盤『High Voltage』(1976): 実質的には豪盤『T.N.T.』 をベースに、豪盤『High Voltage』から「Little Lover」 と 「She's Got Balls」の2曲のみを追加したコンピレーション盤である。

この編集方針により、「Stick Around」 や 「Love Song」 といった初期の楽曲は、長い間オーストラリア国外のファンにとって入手困難な「幻の曲」となった。

3.4 『Dirty Deeds Done Dirt Cheap』 とアメリカの拒絶

1976年後半、バンドは 『Dirty Deeds Done Dirt Cheap』をリリースする。しかし、アトランティック・レコードのアメリカ本部は、このアルバムのサウンドやボン・スコットのヴォーカル・スタイルがアメリカ市場には「粗野すぎる」と判断し、リリースを拒否した。

このアルバムも豪盤と国際盤で大きな違いがある。豪盤に収録されていた「Jailbreak」と「R.I.P. (Rock in Peace)」は国際盤から削除され、代わりに『T.N.T.』収録の「Rocker」と、新曲「Love at First Feel」に差し替えられた。「Jailbreak」が名曲であるにもかかわらず国際盤から外された理由は、レコード会社の判断ミスであったと広く考えられている。

アメリカでの『Dirty Deeds...』の発売は、バンドが大成功を収めた後の1981年まで待たねばならなかった。

3.5 クリフ・ウィリアムズの加入と 『Powerage』

1977年、音楽的な相違からマーク・エヴァンスが解雇され、イギリス人のクリフ・ウィリアムズ (Cliff Williams) がベーシストとして加入した。ウィリアムズの加入により、バンドのサウンドはより強固で重厚なものとなった。

1978年にリリースされた『Powerage』は、ヒット・シングルこそ少なかったものの、ファンの間では最高傑作として挙げられることが多いアルバムである。このアルバムはキース・リチャーズ (Keith Richards) のお気に入りとしても知られる。この作品でもバージョン違いが存在し、初期のヨーロッパ盤には 「Cold Hearted Man」が収録されていたが、後のプレスでは「Rock 'n' Roll Damnation」 に差し替えられた。

3.6 『Highway to Hell』 とマット・ランジの魔法

アメリカ市場でのブレイクを目指し、バンドはプロデューサーを長年のパートナーであるヴァンダ&ヤングから、ロバート・ジョン・"マット・ランジ (Robert John "Mutt" Lange) に変更した。ランジは完璧主義者であり、バンドにコーラスワークの改善やリズムのタイトさを徹底的に要求した。

その結果生まれた1979年の『Highway to Hell (地獄のハイウェイ)』は、バンドの野生味を残しつつも、ラジオでのオンエアに耐えうる洗練されたサウンドを獲得した。「Highway to Hell」は世界的なアンセムとなり、AC/DCはついにアメリカでの商業的成功を手にした。

3.7 ボン・スコットの早すぎる死

バンドが次なるアルバム制作に取り掛かろうとしていた矢先の1980年2月19日、悲劇が起きた。ロンドン(London) のカムデン・タウン (Camden Town) での激しい飲酒の後、ボン・スコットは友人の車の中で眠り込み、翌日意識不明の状態で発見された。搬送先の病院で死亡が確認され、死因は急性アルコール中毒 (Acute Alcohol Poisoning) による吐瀉物の誤嚥と断定された。享年33歳。

バンドは解散も考えたが、スコットの両親からの「ボンならばバンドを続けることを望んだだろう」という言葉に背中を押され、活動継続を決断する。

第4章 ブライアン・ジョンソン時代前期: 再生と頂点 (1980年-1983年)

4.1 新たな声、ブライアン・ジョンソンの発掘

後任ヴォーカリストの探索は困難を極めた。多くの候補者が試されたが、最終的に選ばれたのは、ニューカッスル・アポン・タイン (Newcastle upon Tyne)出身で、グラム・ロック・バンド「ジョーディー (Geordie)」の元シンガー、ブライアン・ジョンソン (Brian Johnson)であった。彼はボン・スコットが生前に「あいつは凄い」と評価していた人物でもあった。ジョンソンの労働者階級然としたルックスと、金属的でパワフルな高音ヴォーカルは、AC/DCの新たなエンジンとなった。

4.2 『Back in Black』: 喪失を乗り越えた金字塔

ジョンソン加入直後の1980年4月、バンドはバハマ (Bahamas) のナッソー (Nassau)にあるコンパス・ポイント・スタジオ (Compass Point Studios)に入り、アルバム制作を開始した。熱帯の嵐が吹き荒れる中で録音されたこのアルバムは、ボン・スコットへの追悼の意味を込め、ジャケットは真っ黒にされた。

1980年7月にリリースされた『Back in Black』は、冒頭の「Hells Bells」 の鐘の音から始まり、タイトル曲「Back in Black」、「You Shook Me All Night Long」など、全曲が捨て曲なしの傑作となった。このアルバムは全世界で推定5,000万枚以上を売り上げ、マイケル・ジャクソン (Michael Jackson)の『Thriller』に次ぐ、音楽史上2番目に売れたアルバムとして記録されている。これはロックバンドとしては史上最高の売上である。

4.3 『For Those About to Rock』 と全米1位

1981年、勢いに乗るバンドは『For Those About to Rock (We Salute You) (悪魔の招待状)』をリリース。タイトル曲のライブ・パフォーマンスにおける21発の祝砲 (Cannons)は、バンドの象徴的な演出となった。このアルバムにより、AC/DCはキャリア初の全米ビルボード・チャート (Billboard 200) 1位を獲得した。

しかし、マット・ランジとのレコーディングは過酷を極め、完璧なサウンドを追求するあまり何週間も同じ曲のスネアドラムの音作りだけに費やすような状況に、メンバーは疲弊し始めていた。

第5章 混迷の80年代とメンバーの変遷 (1983年-1989年)

5.1 フィル・ラッドの解雇と 『Flick of the Switch』

1983年、アルバム 『Flick of the Switch』のレコーディング中に事件が起きる。ドラマーのフィル・ラッドが、薬物使用や精神的な不安定さを理由に、マルコム・ヤングとの殴り合いの喧嘩の末に解雇されたのである。後任には、元AIIZのサイモン・ライト (Simon Wright) が若くして抜擢された。

『Flick of the Switch』は、マット・ランジの過剰なプロダクションへの反動から、バンド自身のセルフ・プロデュースで制作された。音作りは非常にドライで生々しいものであったが、商業的には前2作ほどの成功を収めることはできず、バンドは緩やかなセールスの下降線を辿り始める。

5.2 『Fly on the Wall』 と 『Who Made Who』

1985年の『Fly on the Wall』は、ミュージック・ビデオを活用してMTV世代へのアピールを試みたが、ミックスにおけるヴォーカルの処理(リバーブが深く、音が埋もれている)などが批判の対象となった。

転機となったのは1986年のアルバム 『Who Made Who』である。これはスティーヴン・キング(Stephen King) が監督した映画『地獄のデビル・トラック (Maximum Overdrive)』のサウンドトラックとして企画された。キング自身が大ファンであったため実現したこのプロジェクトは、新曲「Who Made Who」 やインストゥルメンタル曲 「D.T.」 「Chase the Ace」に加え、「You Shook Me All Night Long」 などの過去のヒット曲を収録しており、実質的なベスト盤としての機能も果たした。「Who Made Who」のシングルヒットにより、バンドは再びメインストリームでの注目を集めた。

5.3 『Blow Up Your Video』 とマルコムの離脱

1988年、初期のプロデューサーであるヴァンダ&ヤングを呼び戻して制作された『Blow Up Your Video』は、「Heatseeker」 などのヒットを生んだ。しかし、それに伴うツアー中、マルコム・ヤングのアルコール依存症が限界に達する。彼は治療に専念するためにツアーからの離脱を決意し、その代役として甥のスティーヴィー・ヤング (Stevie Young) が一時的に参加した。スティーヴィーの演奏スタイルはマルコムに瓜二つであり、多くのファンはメンバー交代に気づかなかったと言われている。

第6章 復活の90年代から安定期 (1990年-2008年)

6.1 『The Razors Edge』と 「Thunderstruck」現象

1990年、ブルース・フェアバーン (Bruce Fairbairn) をプロデューサーに迎えた『The Razors Edge』は、AC/DCの完全復活を告げる作品となった。オープニングを飾る「Thunderstruck」は、アンガス・ヤングの驚異的なプリング・オフ/ハンマリング・オン奏法によるリードギターが炸裂する楽曲で、世界中のスタジアムを揺るがすアンセムとなった。

この時期、ドラマーはサイモン・ライトから、ザ・ファーム (The Firm) などで活躍したクリス・スレイド (Chris Slade) に交代していた。スレイドのドラミングはフィル・ラッドよりも手数が多く、バンドにメタリックな硬質感をもたらした。大規模なワールドツアーの模様はライブ・アルバム 『AC/DC Live』として1992年にリリースされた。

6.2 フィル・ラッドの帰還と 『Ballbreaker』

1994年、バンドは「AC/DC本来のグルーヴ」を取り戻すため、ニュージーランドに隠棲していたフィル・ラッドを呼び戻す。クリス・スレイドは解雇という形になったが、友好的な別れであったとされる。

1995年、リック・ルービン (Rick Rubin) プロデュースによる 『Ballbreaker』をリリース。ラッドの復帰により、バンドのサウンドは再び粘りのあるブルース・ロックへと回帰した。2000年の『Stiff Upper Lip』も同様の路線で、ジョージ・ヤングがプロデュースを担当し、円熟味を増したブルース・ロックを展開した。

6.3 『Black Ice』 と記録的なツアー

2008年、8年ぶりのスタジオ・アルバム 『Black Ice』をリリース。このアルバムは世界29カ国でチャート1位を獲得する大ヒットとなった。「Rock 'n' Roll Train」を筆頭に、往年の勢いを感じさせる楽曲が並んだ。続く「Black Ice World Tour」は20ヶ月に及び、全世界で約500万人を動員、音楽史上最も収益を上げたツアーの一つとして記録された。

第7章 試練の連鎖: 崩壊の危機 (2014年-2017年)

2014年以降、AC/DCは結成以来最大の存続の危機に見舞われる。主要メンバーが健康問題や法的トラブルにより次々とバンドを去ったのである。

7.1 マルコム・ヤングの認知症と引退

2014年4月、バンドの創設者であり、音楽的支柱であったマルコム・ヤングが重度の認知症 (Dementia)を患っていることが公表され、バンドからの引退を余儀なくされた。アンガスは、1988年のツアー同様、甥のスティーヴィー・ヤングを正式メンバーとして迎え入れ、アルバム 『Rock or Bust』を制作した。このアルバムはマルコムなしで制作された初の作品となった。

7.2 フィル・ラッドの逮捕と自宅軟禁

『Rock or Bust』 リリース直前の2014年11月、フィル・ラッドがニュージーランドの自宅で逮捕されるという衝撃的なニュースが飛び込んだ。容疑は「殺人の依頼を企てた疑い (attempting to procure a murder)」 および覚醒剤(Methamphetamine) と大麻の所持であった。殺人依頼の容疑は後に取り下げられたが、脅迫と薬物所持で有罪となり、8ヶ月の自宅軟禁処分を受けた。これにより彼はツアーに参加不可能となり、クリス・スレイドが再びドラマーとして呼び戻された。

7.3 ブライアン・ジョンソンの聴覚喪失とアクセル・ローズ

「Rock or Bust World Tour」の最中であった2016年3月、ブライアン・ジョンソンに対し、医師から「これ以上大音量のステージに立てば、完全な聴覚喪失(Total Deafness) になる」とのドクターストップがかかる。バンドは即座に残り10公演の延期を発表し、ジョンソンはツアーからの離脱を余儀なくされた。

アンガス・ヤングはツアーを完遂するため、代役としてガンズ・アンド・ローゼズ (Guns N' Roses) のアクセル・ローズ (Axl Rose) を迎えるという驚天動地の決断を下した。当初、ファンからはチケットの払い戻しを求める声も上がったが、ローズは椅子に座った状態(足を骨折していたため)でありながら、ボン・スコット時代の曲も含めて驚異的な声域で歌い上げ、批評家や懐疑的なファンを黙らせた。

7.4 クリフ・ウィリアムズの引退とマルコムの死

長年の同志たちが次々と去る状況に精神的な区切りをつけたのか、ベーシストのクリフ・ウィリアムズはツアー終了後の2016年9月に引退を表明した。これにより、オリジナルおよびクラシック・ラインナップのメンバーはアンガス・ヤングただ一人となり、AC/DCの歴史は終わったかに見えた。

そして2017年11月18日、マルコム・ヤングが64歳で死去。その数週間前には兄ジョージ・ヤングも他界しており、ヤング家とバンドにとって最も悲しい年となった。

第8章 『Power Up』: 奇跡の再結集と現在 (2020年-2026年)

8.1 秘密裏の再会と『PWR/UP』

2018年頃から、バンクーバー (Vancouver) のスタジオ周辺で、アンガスに加え、ブライアン・ジョンソン、クリフ・ウィリアムズ、そしてフィル・ラッドの姿が目撃され始めた。ブライアンは最新の聴覚補助技術により聴力を回復させ、フィルも刑期を終え更生していた。クリフも「昔の仲間が戻るなら」と引退を撤回したのである。

2020年、アルバム 『Power Up (PWR/UP)』がリリースされた。この作品は、亡きマルコム・ヤングへのトリビュートとして捧げられたものであり、全曲のクレジットにマルコムの名前が入っている(彼が生前にアンガスと書き溜めていた膨大なリフのアーカイブから構成されたため)。アルバムは世界中で1位を獲得し、AC/DCが依然として最強のロックバンドであることを証明した。

8.2 2024-2026年「Power Up Tour」 と最新ラインナップ

パンデミックによる中断を経て、バンドは2024年から大規模なツアーを開始した。しかし、ラインナップには再び変更が生じた。クリフ・ウィリアムズはレコーディングには復帰したがツアーからの引退意思は固く、フィル・ラッドも家庭の事情等によりツアーには帯同しなかった。

2026年1月現在、ツアーを行っているメンバーは以下の通りである:

  • アンガス・ヤング (Angus Young): リードギター
  • ブライアン・ジョンソン (Brian Johnson): ヴォーカル
  • スティーヴィー・ヤング (Stevie Young): リズムギター
  • マット・ラウグ (Matt Laug): ドラムス。アラニス・モリセット (Alanis Morissette) やアリス・クーパー (Alice Cooper) のバックを務めた実力派。2023年の「Power Trip」フェスティバルから参加。
  • クリス・チェイニー (Chris Chaney): ベース。ジェーンズ・アディクション (Jane's Addiction)の元メンバーであり、セッション・ミュージシャンとしても著名。

2026年のツアースケジュールは、南米と北米を中心に組まれている。2月から4月にかけてサンパウロ (São Paulo)、サンティアゴ (Santiago)、ブエノスアイレス (Buenos Aires)、メキシコシティ (Mexico City) でのスタジアム公演が行われ、夏からは北米ツアーがスタートする予定である。特に南米での公演は、かつての『Live at River Plate』で見られたような熱狂的な盛り上がりが期待されている。

8.3 オリジナル・ドラマー、コリン・バージェスの死

2023年12月16日、初代ドラマーであったコリン・バージェスが77歳で死去した。彼はバンドの最初期を支えた重要人物であり、その死に際してバンドは追悼のメッセージを発表した。

第9章 ディスコグラフィ : オーストラリア盤と国際盤の迷宮

AC/DCのディスコグラフィ、特に1975年から1976年にかけての作品群は、オーストラリア盤と国際盤で内容が大きく異なるため、非常に複雑である。以下にその詳細を整理する。

9.1 スタジオ・アルバム一覧と仕様の違い (Studio Albums Comparison)

以下の表は、主要なスタジオ・アルバムと、地域による仕様の違いを示したものである。

タイトル (Title) 仕様・差異の詳細 (Details of Variations)
1975 High Voltage (Australia) 豪州のみ。デビュー作。「Baby, Please Don't Go」 「She's Got Balls」収録。ジャケットは変電所の前に立つ犬のイラスト。
1975 T.N.T. (Australia) 豪州のみ。「It's a Long Way to the Top」 「T.N.T.」 「High Voltage」収録。国際盤『High Voltage』 のベースとなった作品。
1976 High Voltage (International) 世界デビュー盤。豪盤『T.N.T.』から7曲、豪盤『High Voltage』から2曲 (Little Lover, She's Got Balls) を抜粋した編集盤。ジャケットはアンガスとボン。
1976 Dirty Deeds Done Dirt Cheap 豪盤:「Jailbreak」 「R.I.P. (Rock in Peace)」収録
国際盤:上記2曲を削除し、「Rocker」(豪盤T.N.T.より) と「Love at First Feel」を追加。曲順も異なる。
1977 Let There Be Rock 豪盤:「Crabsody in Blue」収録。
国際盤:「Crabsody in Blue」を削除し、「Problem Child」 (国際盤Dirty Deeds収録済)を再収録。一部の初期プレスにはCrabsody収録版も存在。
1978 Powerage 欧州初期盤:「Rock 'n' Roll Damnation」未収録、「Cold Hearted Man」収録。ミックスもラフ。
現行盤:「Rock 'n' Roll Damnation」収録、「Cold Hearted Man」削除。リミックス版。
1979 Highway to Hell 世界共通仕様(ジャケットデザイン等の微細な差異のみ)
1980 Back in Black 世界共通仕様。
1981 For Those About to Rock 世界共通仕様。
1983 Flick of the Switch 世界共通仕様。
1985 Fly on the Wall 世界共通仕様。
1988 Blow Up Your Video 世界共通仕様。
1990 The Razors Edge 世界共通仕様。
1995 Ballbreaker 世界共通仕様。
2000 Stiff Upper Lip 地域によりボーナストラックの違いあり。
2008 Black Ice ジャケットのロゴ色違い(赤、黄、白)が存在
2014 Rock or Bust LP盤にはCDが付属するケースが多い。3Dジャケット仕様あり。
2020 Power Up (PWR/UP) ライトアップボックス仕様のデラックス盤などが発売。

9.2 サウンドトラックおよび企画盤 (Soundtracks & Compilations)

AC/DCは基本的に「ベスト盤」を出さないバンドとして知られるが、以下の作品は例外的にコンピレーションとしての側面を持つ。

  • '74 Jailbreak (1984): アメリカ等で未発売だった豪盤初期の楽曲を集めたEP。「Jailbreak」 「Soul Stripper」など5曲収録。
  • Who Made Who (1986): 映画『Maximum Overdrive』 サントラ。新曲3曲+既発曲6曲。インストゥルメンタル曲が含まれる珍しい作品。
  • Iron Man 2 (2010): 映画 『アイアンマン2』 サントラ。新曲はなく、1976年から2008年までの楽曲から選曲された実質的なベスト・アルバム。

9.3 ライブ・アルバム (Live Albums)

AC/DCの真価はライブにあると言われる。

  • If You Want Blood You've Got It (1978): ボン・スコット時代の絶頂期を捉えた名盤。グラスゴー公演が中心。「Riff Raff」 での演奏のスピードと熱量は凄まじい。
  • AC/DC Live (1992): 『The Razors Edge』 ツアーを収録。ドン・ニントン (Donington) やモスクワ (Moscow) での大規模コンサートの音源を含む。1枚組と2枚組 (Collector's Edition) がある。
  • Live at River Plate (2012): 2009年ブエノスアイレス公演。6万人を超える観客が曲に合わせて飛び跳ねる様子は圧巻。

9.4 映像作品 (Videography)

  • Let There Be Rock (1980): 1979年パリ公演を収録した映画。ボン・スコットの最後の雄姿が見られる。
  • Live at Donington (1992): 1991年のモンスターズ・オブ・ロック (Monsters of Rock) フェスティバルでのヘッドライナー公演。
  • No Bull (1996): 1996年マドリード (Madrid) 公演。監督はデヴィッド・マレット (David Mallet)。
  • Stiff Upper Lip Live (2001): 2001年ミュンヘン (Munich)公演。
  • Live at River Plate (2011): DVD/Blu-rayとして発売。多数のカメラを用いた迫力ある映像。

第10章 メンバー変遷と役割の詳細分析

AC/DCの歴史は、アンガスとマルコムという「不動の核」に対し、ドラムとベース、そしてヴォーカルが入れ替わる歴史でもあった。

10.1 歴代メンバー年表 (Member Timeline)

時期 (Period) ヴォーカル (Vocals) リードギター (Lead Guitar) リズムギター (Rhythm Guitar) ベース (Bass) ドラムス (Drums)
1973-1974 Dave Evans Angus Young Malcolm Young Larry Van Kriedt 他 Colin Burgess 他
1974-1975 Bon Scott Angus Young Malcolm Young Rob Bailey 他 Peter Clack 他
1975-1977 Bon Scott Angus Young Malcolm Young Mark Evans Phil Rudd
1977-1980 Bon Scott Angus Young Malcolm Young Cliff Williams Phil Rudd
1980-1983 Brian Johnson Angus Young Malcolm Young Cliff Williams Phil Rudd
1983-1989 Brian Johnson Angus Young Malcolm Young Cliff Williams Simon Wright
1989-1994 Brian Johnson Angus Young Malcolm Young Cliff Williams Chris Slade
1994-2014 Brian Johnson Angus Young Malcolm Young Cliff Williams Phil Rudd
2014-2016 Brian Johnson Angus Young Stevie Young Cliff Williams Chris Slade
2016 (Tour) Axl Rose Angus Young Stevie Young Cliff Williams Chris Slade
2020-2024 Brian Johnson Angus Young Stevie Young Cliff Williams Phil Rudd
2024-2026 Brian Johnson Angus Young Stevie Young Chris Chaney (Tour) Matt Laug (Tour)

10.2 リズムギターの重要性: マルコムとスティーヴィー

AC/DCサウンドの要は、リードギターではなくリズムギターにある。マルコム・ヤングは、グレッチ (Gretsch) のギター (ジェット・ファイアーバード) に極太の弦 (.012~.056ゲージ)を張り、アンプの歪みを抑えたクリーンに近い音色で、強力なダウンピッキングを刻んだ。彼の演奏は「人間メトロノーム」と称されるほど正確でありながら、独特の「スウィング感」を持っていた。

後任のスティーヴィー・ヤングもまた、マルコムと同じ機材、同じ奏法を継承している。彼は1988年のツアーで代役を務めた経験もあり、マルコムのスタイルを最も理解している人物である。ファンにとって、スティーヴィーの存在はバンドのアイデンティティを保つための生命線となっている。

10.3 ドラマーの変遷: フィル・ラッドのグルーヴ

AC/DCのドラムには、派手なフィルインは求められない。求められるのは、ギターリフを最大限に活かすための「ポケット」に入ったグルーヴである。フィル・ラッドのドラミングは、スネアの位置がほんの僅かに後ろにズレる (レイドバックする)ことで、独特の重さと粘りを生み出す。

一方、クリス・スレイドはより正確でパワフル、かつハイハットを逆手で叩くなどの視覚的要素も強かった。サイモン・ライトはシンプルで堅実なスタイルであった。現在のマット・ラウグは、これらの歴代ドラマーのスタイルを尊重しつつ、安定した演奏を提供している。

第11章 High Voltageの遺産と未来

AC/DCの歴史は、一見すると「同じことを繰り返している」ように見えるかもしれない。しかし、その内実は、予期せぬ悲劇や困難に対し、音楽への絶対的な献身と、家族(Family)としての結束で立ち向かってきた闘争の記録である。ボン・スコットの死、マルコム・ヤングの喪失、ブライアン・ジョンソンの聴覚障害。これらの一つ一つが、普通のバンドであれば解散に十分な理由となり得た。

しかし、2026年の現在、アンガス・ヤングは依然としてスクールボーイの格好でステージを走り回り、ブライアン・ジョンソンはその声を張り上げている。AC/DCが証明したのは、「ロックンロール」とは単なる音楽のジャンルではなく、生き方そのものであるという事実だ。

2026年のツアーがバンドにとって「最後の旅」になるのか、それとも新たな章の始まりなのかは誰にも分からない。しかし確かなことは、AC/DCが鳴らす「Aコード」一発の衝撃が、今後も世代を超えて鳴り響き続けるということである。AC/DCは、文字通り 「High Voltage (高電圧)」の伝説として、音楽史にその名を永遠に刻み込んだのである。

News

元AC/DCのクリス・スレイド、ドラム引退を発表 — 「重い心で、ひとまずお別れです」

79歳のスレイドは8月22日に自身のSNSへ投稿した動画で、7年前の軽い脳卒中の後遺症が悪化したことを理由に挙げ、16歳でトム・ジョーンズのバンドに入って以来60年のキャリアを終えると語った。

出典: Blabbermouth(2026年8月22日)

FOO FIGHTERS、9月8日セントルイス公演でAC/DCの前座を一夜限りで務める

自身の<Take Cover>スタジアム・ツアーの合間に、THE PRETTY RECKLESSの代役としてThe Dome at America’s Centerの1公演のみスペシャル・ゲストとして出演する。

出典: Blabbermouth(2026年8月20日)

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Albums

Power Up CD
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ブライアン・ジョンソンらの復帰と共に、AC/DCの不変のリフを再点火した力強い帰還作。

Rock or Bust CD
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揺るがないリフと直進するビートで、AC/DCの核を改めて鳴らした一作。

Black Ice CD
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重厚なリフとブルース感を拡張し、AC/DCが長編の中で揺るがない推進力を示した復帰作。

Stiff Upper Lip CD
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オールドスクールなブルース感覚を前面に出し、AC/DCの原点を研ぎ澄ました14作目。

Ballbreaker CD
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フィル・ラッドの復帰とリック・ルービンのプロデュースで、AC/DCが太いグルーヴへ立ち返った13作目。

The Razors Edge CD
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太いリフと新たな推進力で、AC/DCが90年代にロックンロールの核を再点火した第十二作。

Blow Up Your Video CD
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太いリフと直進するビートで、AC/DCが80年代後半にも不変のロックンロールを鳴らした第11作。

Who Made Who CD
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通常のスタジオ盤とは異なるが、AC/DCの歩みを補完する境界線の一作。

Fly on the Wall CD
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荒々しいリフと直進するビートに立ち返り、AC/DCが不変のロックンロールを鳴らした第10作。

Flick of the Switch CD
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乾いたリフと直進するビートへ立ち返り、AC/DCが飾りを削いだロックンロールを鳴らした第九作。

For Those About to Rock CD
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大砲の轟音と強靭なリフを掲げ、AC/DCがアリーナ級のスケールでロックンロールを鳴らした第8作。

Back in Black CD
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太いリフと揺るがないビートで、AC/DCが悲しみを前進するロックンロールへ変えた第七作。

Highway to Hell CD
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ボン・スコット時代の最終作。強靭なリフと大合唱コーラスで、AC/DCを世界規模へ押し上げた代表作。

Powerage CD
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ボン・スコット期の荒々しいグルーヴと鋭いリフが、AC/DCの核をむき出しにしたハード・ロック作。

Let There Be Rock CD
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生々しい演奏と巨大なリフで、ボン・スコット期AC/DCの爆発力を刻んだ第4作。

Dirty Deeds Done Dirt Cheap CD
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危険なユーモアとブルース感のあるリフで、ボン・スコット期AC/DCの猥雑な魅力を刻んだ第3作。

High Voltage CD
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太いリフ、ボン・スコットの奔放な歌、直進するビートでAC/DCの国際的な出発点を示した一作。

T.N.T. CD
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国際盤とは異なる初期AC/DCを記録した、豪州時代の重要な一枚。

High Voltage (Australian) CD
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国際盤とは別の姿で初期AC/DCを伝える、豪州オリジナル仕様の一作。