RIOT
ヘヴィメタル (Heavy Metal) の歴史という巨大なタペストリーにおいて、RIOT (ライオット)、現在はRIOT V (ライオット・ファイブ) として知られるバンドほど、その音楽的卓越性と商業的成功の不均衡が際立つ存在は稀有である。
Biography
鋼鉄の孤高
RIOT (RIOT V) の歴史と音楽的遺産
1. 不屈の旋律と「世界で最も不運なバンド」の逆説
ヘヴィメタル (Heavy Metal) の歴史という巨大なタペストリーにおいて、RIOT (ライオット)、現在はRIOT V (ライオット・ファイブ) として知られるバンドほど、その音楽的卓越性と商業的成功の不均衡が際立つ存在は稀有である。1975年の結成以来、RIOTは「世界で最も不運なバンド (The Unluckiest Band in the World)」という逆説的な称号を背負い続けてきた。レコード会社によるサポートの拒絶、マネージメントの失策、時代の潮流との不一致、すると主要メンバーの相次ぐ死――特にバンドの魂であり創設者であったギタリスト、マーク・リアリ (Mark Reale) の2012年の早すぎる死は、バンドの存続を根底から揺るがす悲劇であった。
しかし、約半世紀にわたるRIOTの歴史を紐解くと、そこには単なる「不運」という言葉では片付けられない、強靭な生命力と音楽的進化の軌跡が浮かび上がる。RIOTは1970年代後半のニューヨーク (New York) のアンダーグラウンドから出発し、NWOBHM (New Wave of British Heavy Metal) への共鳴を経て、1980年代にはパワーメタル (Power Metal) というジャンルの礎を築いた。そして現代においては、正統派ヘヴィメタルの守護者としての地位を確立している。
特に日本(Japan) との関係は特筆に値する。RIOTの音楽が持つ、哀愁を帯びたメロディと攻撃的な疾走感の融合は、日本のメタルファンの美的感覚と深く共鳴し、独自の強固な支持基盤を築き上げた。
2. 第1章: 創世記とガイ・スペランザ時代 (1975-1981)
2.1 ニューヨークの喧騒とバンドの結成
RIOTの物語は1975年の夏、ニューヨークのブルックリン (Brooklyn) で幕を開けた。中心人物は、当時まだ無名のギタリストであったマーク・リアリ (Mark Reale)である。彼は、ロックミュージックがディスコやパンク・ロック (Punk Rock) へと移行しつつあった当時のニューヨークのシーンにおいて、あくまでハードでメロディアスなロックを追求しようとしていた。
結成当初のオリジナル・ラインナップは以下の通りであった:
- ガイ・スペランザ (Guy Speranza): ヴォーカル (Vocals)
- マーク・リアリ (Mark Reale): ギター (Guitar)
- ルイ・"L.A."・クヴァリス (Louie "L.A." Kouvaris): ギター (Guitar)
- フィル・ファイト (Phil Feit): ベース (Bass)
- ピーター・ビテリ (Peter Bitelli): ドラムス (Drums)
ガイ・スペランザは、そのアフロヘアのルックスとは裏腹に、驚異的な声量とエモーショナルな表現力を併せ持つ稀代のフロントマンであった。彼らはブルックリンのクラブサーキットで活動を開始し、そのエネルギッシュなパフォーマンスで徐々に地元の支持を集めていった。この時期、彼らはプロデューサーのビリー・アーネル (Billy Arnell) とスティーヴ・ローブ (Steve Loeb) に見出される。ローブが所有するグリーン・ストリート・レコーディング・スタジオ (Greene St. Recording Studio)は、その後長きにわたりRIOTのサウンド制作の拠点となり、彼らのサウンド形成に決定的な役割を果たすことになる。
2.2 『Rock City』 とアザラシ人間 「ジョニー」の誕生 (1977)
1977年11月、記念すべきデビューアルバム 『Rock City (ロック・シティ)』がリリースされた。当初はマネージメントが設立したインディペンデント・レーベルであるファイア・サイン・レコード(Fire Sign Records) からのリリースであった。
このアルバムの音楽性は、エアロスミス (Aerosmith) やモントローズ (Montrose) といったアメリカン・ハードロックの系譜にありながら、より鋭角的なギターリフと疾走感を伴っていた。特にタイトルトラックの「Rock City」や「Warrior」は、後のスピードメタルの萌芽を感じさせるエネルギーに満ちていた。
しかし、このアルバムを語る上で避けて通れないのが、ジャケット・アートワークに登場したマスコットキャラクターである。アザラシの頭部と筋肉質な人間の体を持ち、斧を手にしたこの奇妙な生物は「マイティ・ティオ (Mighty Tior)」、通称「ジョニー (Johnny)」と呼ばれた。当時、アザラシの捕殺に対する抗議運動が社会的な話題となっており、レコード会社側の主導でこのキャラクターが考案されたとされるが、バンドメンバーの同意なしに進められたこのデザインは、バンドの硬派な音楽性との間に著しいギャップを生んだ。この「B級映画的」とも言えるビジュアルは、一部で嘲笑の対象となったが、同時にRIOTというバンドの特異な存在感を決定づけるアイコンとなり、以後数十年にわたりRIOTのアルバムカヴァーを飾り続けることになる。
2.3 『Narita』とNWOBHMとの共鳴 (1979)
デビュー作はアメリカ国内では大きな商業的成功を収めるには至らなかったが、大西洋を越えたイギリス (UK) で予期せぬ反応が起こっていた。当時、イギリスではアイアン・メイデン(Iron Maiden) やサクソン (Saxon) らに代表されるNWOBHM (New Wave of British Heavy Metal) のムーブメントが勃興しつつあった。著名なDJであるニール・ケイ (Neal Kay)が、RIOTの楽曲を自身のヘヴィメタル・サウンドハウス (Heavy Metal Soundhouse) のプレイリストに取り入れたことで、RIOTは「アメリカのNWOBHMバンド」としてイギリスのメタルファンから熱狂的な支持を受けるようになったのである。
この追い風を受けて1979年に制作されたセカンドアルバムが 『Narita (ナリタ)』である。アルバムタイトルは、日本の千葉県成田市 (Narita, Chiba) における新東京国際空港(現・成田国際空港)建設反対闘争、いわゆる三里塚闘争の激しさにインスパイアされたものである。ジャケットには、力士(Sumo Wrestler) の姿をしたジョニーが斧を持ち、背景には戦闘機と富士山(Mt. Fuji) が描かれるという、西洋から見た「エキゾチックな日本」が強調されたデザインが採用された。
音楽的には、前作のハードロック路線を継承しつつ、よりメロディアスでスピーディーな展開が強化された。特にインストゥルメンタル曲 「Narita」 や 「Road Racin'」 におけるツイン・ギターのハーモニーと疾走感は、後のパワーメタルの様式美を先取りしたものであり、ジューダス・プリースト (Judas Priest) と並んでヘヴィメタルの進化における重要なミッシングリンクとなった。
この時期、オリジナル・ギタリストのL.A. クヴァリスが脱退し、リック・ヴェンチュラ (Rick Ventura)が加入。また、リズム隊もジミー・アイオミ (Jimmy Iommi, Bass) とピーター・ビテリが脱退し、キップ・レミング (Kip Leming, Bass)とサンディ・スレイヴィン(Sandy Slavin, Drums) へと交代するなど、メンバーチェンジが激しくなっていった。
2.4 最高傑作『Fire Down Under』の受難と栄光 (1981)
1981年、バンドはキャリアの頂点とも言える3作目 『Fire Down Under (ファイアー・ダウン・アンダー)』を完成させる。しかし、そのリリースまでの道のりは苦難に満ちたものであった。当時バンドが契約していたキャピトル・レコード (Capitol Records)は、完成したアルバムを聴き、「商業的に見込みがない」としてリリースの拒否を通告したのである。
バンドとマネージメントは、ファンによる署名活動を展開し、最終的にキャピトルとの契約を解除してエレクトラ・レコード (Elektra Records) からのリリースに漕ぎ着けた。このアルバムは、RIOTの初期キャリアにおける最高傑作と広く認められている。「Swords & Tequila」、「Fire Down Under」、「Outlaw」といった楽曲は、攻撃的なリフ、哀愁を帯びたメロディ、精度ガイ・スペランザの絶唱が完璧に融合しており、USメタルの古典として今なお語り継がれている。
アルバムはビルボード・チャート (Billboard 200) にもランクインし、バンドはサミー・ヘイガー (Sammy Hagar) やラッシュ (Rush) のサポートアクトとしてツアーを行うなど、順風満帆に見えた。しかし、この成功の直後、バンドに最大の試練が訪れる。ヴォーカルのガイ・スペランザが、宗教的な理由および家族との生活を優先するため、音楽業界からの引退を決意し、バンドを脱退したのである。絶対的なフロントマンの喪失は、上昇気流にあったバンドの勢いを完全に削ぐ結果となった。
3. 第2章: レット・フォレスターの加入と迷走の時代 (1981-1984)
3.1 ブルースへの傾倒: 『Restless Breed』 (1982)
スペランザの後任として白羽の矢が立ったのは、レット・フォレスター (Rhett Forrester) であった。金髪の長髪をなびかせ、ワイルドな力を放つフォレスターは、スペランザとは対照的なブルージーでソウルフルな中音域の声を持っていた。
1982年にリリースされた4作目『Restless Breed (レストレス・ブリード)』は、フォレスターの声質に合わせて音楽性をシフトさせた作品となった。初期の疾走感は影を潜め、バッド・カンパニー (Bad Company) やホワイトスネイク (Whitesnake) に通じるミッドテンポのハードロックやブルース・ロックが主体となった。楽曲「Restless Breed」や「Loanshark」は質の高い楽曲であったが、スピードとメロディを求めていた従来のファン層には戸惑いを与え、バンドのアイデンティティは揺らぎ始めた。
3.2 『Born in America』 とバンドの崩壊 (1983-1984)
翌1983年、5作目『Born in America (ボーン・イン・アメリカ)』 がリリースされた。このアルバムでは、よりアメリカのメインストリーム市場、すなわちアリーナ・ロック (Arena Rock) への接近を試みた。タイトル曲や 「Wings of Fire」 などはキャッチーで力強いアンセムであったが、エレクトラ・レコードからのサポートを失い、カナダのインディペンデント・レーベルであるクオリティ・レコード (Quality Records) からのリリースを余余儀なくされたことで、プロモーションは不十分なものとなった。
さらに、レット・フォレスターの奔放な性格や不安定な行動がバンド内の人間関係を悪化させていた。商業的な不振と内部の不和により、マーク・リアリはバンドの継続を断念。1984年、RIOTは事実上の解散状態となり、リアリは故郷ニューヨークを離れ、テキサス州サンアントニオ (San Antonio, Texas)へと移住する。
この時期のRIOTの迷走は、1980年代前半のヘヴィメタル・シーンの激動を反映している。西海岸ではモトリー・クルー (Mötley Crüe) やラット (Ratt) などのLAメタル (Glam Metal) が台頭し、視覚的な派手さとポップなメタルが市場を席巻しつつあった。硬派で職人気質なRIOTは、この新たな潮流の中で居場所を見失っていたのである。
4. 第3章: 鋼鉄の復活とパワーメタルの確立 (1986-1992)
4.1 サンアントニオでの再起と新ラインナップ
テキサスに移ったマーク・リアリは、元S.A.スレイヤー (S.A. Slayer) のベーシスト、ドン・ヴァン・スタヴァン (Don Van Stavern) と出会う。意気投合した二人は新たなプロジェクト 「Narita」を立ち上げ、デモテープの制作を開始した。このデモに含まれていた楽曲こそが、後にパワーメタルの金字塔となる「Thundersteel」であった。
リアリはニューヨークに戻り、新たなRIOTを再建することを決意する。ヴォーカルには、驚異的なハイトーン・シャウトを持つトニー・ムーア (Tony Moore)、ドラムには超絶技巧派のボビー・ジャーゾンベク (Bobby Jarzombek)を迎えた。ここに、RIOT史上最強と謳われるラインナップが完成した。
4.2 パワーメタルの聖典 『Thundersteel』 (1988)
1988年3月、CBSレコード (CBS Records) より6作目 『Thundersteel (サンダースティール)』がリリースされた。このアルバムは、過去のブルース路線を完全に払拭し、スピード、アグレッション、そしてメロディを極限まで追求した作品であった。
表題曲「Thundersteel」のイントロから炸裂する高速リフとトニー・ムーアのスクリーミングは、当時のスラッシュメタル (Thrash Metal) の勢いに対抗しうるエネルギーを持っており、同時に正統派メタルの様式美を備えていた。他にも「Fight or Fall」、「Flight of the Warrior」、「Johnny's Back」 といった楽曲は、後のパワーメタル・バンドに多大な影響を与え、このジャンルの「教科書」として機能することになる。
4.3 実験的野心作『The Privilege of Power』 (1990)
完全復活を遂げたバンドは、続く1990年のアルバム『The Privilege of Power (ザ・プリヴィレッジ・オブ・パワー)』でさらなる進化、あるいは冒険を試みた。音楽的な基盤は前作同様のスピードメタルであったが、タワー・オブ・パワー (Tower of Power)のホーン・セクション(管楽器)を大胆に導入し、楽曲間に長いイントロやナレーションを挿入するというプログレッシブかつ実験的な構成を採ったのである。
また、ゲスト・ヴォーカルとしてジョー・リン・ターナー (Joe Lynn Turner, ex-Rainbow) が「Killer」に参加するなど、話題性にも富んでいた。このアルバムから、マーク・リアリのギター教室の生徒であったマイク・フリンツ (Mike Flyntz) がセカンド・ギタリストとして加入。これにより、ライブにおいてもスタジオ盤の複雑なツイン・ギターを完全再現できる体制が整った。
4.4 日本での熱狂とトニー・ムーアの脱退
『Thundersteel』と『The Privilege of Power』により、日本におけるRIOTの人気は爆発的なものとなった。1990年6月に行われた来日公演は、東京と大阪で熱狂的に迎えられ、その模様はライブ・アルバム 『RIOT in Japan - Live!! (ライオット・イン・ジャパン - ライヴ!!)』 として1992年にリリースされた。
しかし、バンドの歴史は繰り返す。ビジネス面でのトラブルや音楽的方向性の相違から、ヴォーカルのトニー・ムーアが脱退。さらに、ベースのドン・ヴァン・スタヴァンもバンドを去り、黄金のラインナップは短期間で崩壊することとなった。
5. 第4章: マイク・ディメオ時代とハードロックへの回帰 (1993-2006)
トニー・ムーアの後任として迎えられたのは、ディープ・パープル (Deep Purple) のリッチー・ブラックモア (Ritchie Blackmore) にもその才能を認められたヴォーカリスト、マイク・ディメオ (Mike DiMeo) であった。彼の加入により、バンドのサウンドはスピードメタル一辺倒から、より伝統的なハードロック、そしてメロディアスな要素を重視したスタイルへと再び変化していく。
5.1 『Nightbreaker』: ルーツへの回帰 (1993)
1993年の『Nightbreaker (ナイトブレイカー)』は、ディメオ時代の幕開けを告げる作品である。ディープ・パープルの名曲 「Burn」のカヴァーや、自身の過去の名曲 「Outlaw」の再録音が収録されており、バンドが自らのルーツであるブリティッシュ・ハードロックへの敬意を示した作品となった。ディメオの中音域の豊かな歌声は、楽曲に大人の哀愁と深みを与えた。
5.2 コンセプトと民族音楽の融合
- 『The Brethren of the Long House (ブレザレン・オブ・ザ・ロング・ハウス)』 (1995): 映画『ラスト・オブ・モヒカン (The Last of the Mohicans)』にインスパイアされたコンセプト・アルバム。ドラムにはジョン・マカルーソ (John Macaluso)が参加。ネイティブ・アメリカンの歴史や悲劇をテーマにし、民族的なメロディや壮大なオーケストレーションを取り入れた意欲作となった。
- 『Inishmore (イニッシュモア)』 (1997): マーク・リアリ自身のルーツでもあるアイルランドの伝承やケルト音楽 (Celtic Music) の要素を大幅に取り入れた作品。ボビー・ジャーゾンベクがドラマーとして復帰し、緻密なリズムと美しいメロディが融合した、ディメオ時代の最高傑作との評価が高い。「Angel Eyes」や「Kings Are Falling」などの楽曲は、日本市場で特に好意的に受け入れられた。
5.3 安定期と停滞
その後も、バンドはコンスタントにアルバムをリリースし続ける。
- 『Sons of Society (サンズ・オブ・ソサエティ)』 (1999): よりストレートなメタル・サウンドに回帰した作品。
- 『Through the Storm (スルー・ザ・ストーム)』 (2002): UFOのカヴァー 「Only You Can Rock Me」を収録。元レインボー (Rainbow) のボビー・ロンディネリ (Bobby Rondinelli)がドラムを担当した唯一のアルバム。
- 『Army of One(アーミー・オブ・ワン)』 (2006): フランク・ギルクリスト (Frank Gilchriest)がドラムで参加。ディメオ在籍最後のスタジオ・アルバムとなった。
この時期のRIOTは、日本や欧州では安定した人気を維持していたものの、アメリカ国内ではグランジ (Grunge) やニュー・メタル (Nu-Metal) の隆盛の中で完全に埋没していた。マイク・ディメオの歌唱は常に安定していたが、一部のファンは『Thundersteel』 時代の攻撃性と興奮を渇望していたのも事実である。2006年、ディメオはマスタープラン (Masterplan)への加入などを理由にバンドを離脱する。
6. 第5章: 再結成、遺作、そしてマーク・リアリの死 (2008-2012)
6.1 伝説の帰還と 『Immortal Soul』
2008年、ファンが長年夢見ていた『Thundersteel』 時代のラインナップ (マーク・リアリ、トニー・ムーア、ドン・ヴァン・スタヴァン、ボビー・ジャーゾンベク、マイク・フリンツ) での再結成がついに実現した。
数年のツアーと制作期間を経て、2011年にリリースされたアルバム 『Immortal Soul (イモータル・ソウル)』は、まさに奇跡のような作品であった。往年のスピードと攻撃性が現代的なプロダクションで蘇り、「RIOT is Back」を高らかに宣言する傑作として、批評家やファンから絶賛された。
6.2 悲劇の終幕 (2012年1月25日)
開演前、この復活劇の裏で、リーダーのマーク・リアリの体調は限界に達していた。彼は若年期からクローン病 (Crohn's disease) を患っており、長年の闘病生活が彼の体を蝕んでいた。2012年1月、バンドは「70,000 Tons of Metal」 クルーズでのライブ出演を予定していたが、リアリはくも膜下出血を併発し、サンアントニオの病院で昏睡状態に陥った。
2012年1月25日、マーク・リアリは56歳でその生涯を閉じた。バンドの唯一のオリジナルメンバーであり、全ての楽曲の創造主であった彼の死は、RIOTというバンドの完全な終焉を意味するように思われた。
7. 第6章: RIOT V - 継承される魂と新たな伝説 (2013-Present)
7.1 父の願いと「V」の誓い
マーク・リアリの死後、残されたメンバー (ドン・ヴァン・スタヴァンとマイク・フリンツ)は深い喪失感の中にいた。バンドを解散させるべきか、それとも続けるべきか。その答えを出したのは、マークの父親であるアンソニー・リアリ (Anthony Reale) であった。彼はメンバーに対し、「息子の音楽を死なせないでほしい。RIOTを続けてくれ」と強く要望したのである。
この言葉を受け、彼らは活動継続を決意する。しかし、マークのいないバンドをそのまま「RIOT」と呼ぶことへの躊躇もあった。そこで彼らは、バンド名を 「RIOT V (ライオット・ファイブ)」と改めることにした。この「V」には複数の意味が込められている。
- 5代目のヴォーカリスト: ガイ、レット、トニー、マイクに続く、5人目のシンガーを迎えること。
- 第5章(Chapter 5): バンドの歴史における新たな章の始まり。
- ローマ数字の5: メンバーが5人編成であること。
新ヴォーカリストには、ジャック・スターズ・バーニング・スター (Jack Starr's Burning Starr) などで活動していたトッド・マイケル・ホール (Todd Michael Hall) が抜粋された。彼の透明感のあるハイトーン・ヴォーカルは、トニー・ムーア時代の楽曲を完璧に歌いこなせるだけでなく、新たな魅力をバンドにもたらした。ドラムにはフランク・ギルクリストが復帰し、新ギタリストとしてニック・リー (Nick Lee)が加入した。
7.2 新生RIOT Vの快進撃と 『Mean Streets』
- 『Unleash the Fire (アンリーシュ・ザ・ファイア)』 (2014): RIOT V名義での第一弾アルバム(日本盤は契約上の理由で「RIOT」名義でリリースされた)。マーク・リアリへの追悼曲「Immortal」 や 「Until We Meet Again」を含み、往年のRIOTサウンドを継承しつつも、悲しみを乗り越えたポジティブなエネルギーに満ちた作品となった。
- 『Armor of Light (アーマー・オブ・ライト)』 (2018): ドイツの大手メタル・レーベル、ニュークリア・ブラスト (Nuclear Blast) に移籍しての作品。『Thundersteel』時代を彷彿とさせるスピードメタル・ナンバーが並び、トッド・マイケル・ホールのヴォーカルがバンドに完全にフィットした強力作となった。
- 『Mean Streets (ミーン・ストリーツ)』 (2024): 当初2023年のリリースが予定されていたが、レーベルの再編 (Atomic Fireから Reigning Phoenix Musicへ) などの影響で延期され、2024年5月にリリースされた最新作。アルバム・カヴァーには、バイカーギャング風の出で立ちをしたマスコットのジョニーが登場し、バンドが「ストリートから生まれたヘヴィメタル」であるという原点回帰を示唆している。
現在のRIOT Vは、単なるトリビュート・バンドではない。欧州の大規模フェスティバル(Wacken Open Airなど)や日本での公演において、往年のファンだけでなく若い世代のファンをも獲得し、マーク・リアリの遺志を継ぐ「正統派ヘヴィメタルの守護神」として、シーンの最前線に君臨し続けている。
8. ディスコグラフィ (Discography)
以下にRIOTおよびRIOT Vの全スタジオ・アルバムおよび主要ライヴ・アルバムを詳述する。
8.1 Studio Albums (スタジオ・アルバム)
| リリース年 | タイトル (英/日) | ヴォーカル | 主要収録曲 / 備考 |
|---|---|---|---|
| 1977 | Rock City (ロック・シティ) | Guy Speranza | Tracks: Warrior, Rock City, Tokyo Rose Note: 記念すべきデビュー作。ジャケット「ジョニー」初登場。 |
| 1979 | Narita (ナリタ) | Guy Speranza | Tracks: Narita, Road Racin', Born to Be Wild (Cover) Note: 日本先行発売。NWOBHM期に英国で評価される。 |
| 1981 | Fire Down Under (ファイアー・ダウン・アンダー) | Guy Speranza | Tracks: Swords & Tequila, Fire Down Under, Outlaw Note: 初期最高傑作。キャピトルからの発売拒否を経てエレクトラより発売。 |
| 1982 | Restless Breed (レストレス・ブリード) | Rhett Forrester | Tracks: Restless Breed, Loanshark, Hard Lovin' Man Note: ブルース色強まる。エレクトラからの最後のリリース。 |
| 1983 | Born in America (ボーン・イン・アメリカ) | Rhett Forrester | Tracks: Born in America, Wings of Fire Note: 一時解散前のラスト作。カナダのQuality Recordsより発売。 |
| 1988 | Thundersteel (サンダースティール) | Tony Moore | Tracks: Thundersteel, Flight of the Warrior, Johnny's Back Note: パワーメタルの金字塔。マーク・リアリによる再結成第一弾。 |
| 1990 | The Privilege of Power (ザ・プリヴィレッジ・オブ・パワー) | Tony Moore | Tracks: Metal Soldiers, Dance of Death, Killer (feat. Joe Lynn Turner) Note: ホーンセクション導入の実験作。マイク・フリンツ加入。 |
| 1993 | Nightbreaker (ナイトブレイカー) | Mike DiMeo | Tracks: Soldier, Burn (Deep Purple Cover), Outlaw (Re-recorded) Note: 正統派ハードロック回帰。 |
| 1995 | The Brethren of the Long House (ブレザレン・オブ・ザ・ロング・ハウス) | Mike DiMeo | Tracks: The Last of the Mohicans, Glory Calling Note: 映画『ラスト・オブ・モヒカン』をテーマにしたコンセプト作。 |
| 1997 | Inishmore (イニッシュモア) | Mike DiMeo | Tracks: Angel Eyes, Liberty, Kings Are Falling Note: アイリッシュ/ケルト音楽の影響色濃いメロディアスな名盤。 |
| 1999 | Sons of Society (サンズ・オブ・ソサエティ) | Mike DiMeo | Tracks: Snake Charmer, On the Wings of Life Note: 日本での人気盤。 |
| 2002 | Through the Storm (スルー・ザ・ストーム) | Mike DiMeo | Tracks: Turn the Tables, Only You Can Rock Me (UFO Cover) Note: ボビー・ロンディネリ (Dr) 参加。 |
| 2006 | Army of One (アーミー・オブ・ワン) | Mike DiMeo | Tracks: Army of One, Still Alive Note: マイク・ディメオ在籍最終作。フランク・ギルクリスト (Dr) 初参加。 |
| 2011 | Immortal Soul (イモータル・ソウル) | Tony Moore | Tracks: RIOT, Still Your Man, Wings Are for Angels Note: マーク・リアリ遺作。『Thundersteel』 メンバー再集結。 |
| 2014 | Unleash the Fire (アンリーシュ・ザ・ファイア) | Todd Michael Hall | Tracks: Ride Hard Live Free, Immortal Note: RIOT V名義始動(日本盤はRIOT名義)。マーク・リアリ追悼作。 |
| 2018 | Armor of Light (アーマー・オブ・ライト) | Todd Michael Hall | Tracks: Victory, Messiah, Angel's Thunder, Devil's Reign Note: Nuclear Blast移籍。スピードメタルへの回帰。 |
| 2024 | Mean Streets (ミーン・ストリーツ) | Todd Michael Hall | Tracks: Hail to the Warriors, Love Beyond the Grave Note: 2024年5月リリースの最新作。 |
8.2 Key Live Albums (主要ライヴ・アルバム詳細)
| タイトル | 録音年/場所 | 詳細データ |
|---|---|---|
| RIOT Live | 1980 (UK) | Recorded: Monsters of Rock (Donington), Hammersmith Odeon Note: ガイ・スペランザ時代の貴重な記録。1989年に日本で初CD化。 |
| RIOT in Japan - Live!! (ライオット・イン・ジャパン - ライヴ!!) | 1990 (Japan) | Recorded: Osaka & Tokyo (June 1990) Tracks: On Your Knees, Tokyo Rose, Rock City, etc. Note: 『The Privilege of Power』 ツアー。トニー・ムーア絶頂期のパフォーマンス。 |
| Shine On | 1998 (Japan) | Recorded: Club Citta, Kawasaki Note: 『Inishmore』ツアー。マイク・ディメオ時代の安定した演奏を収録。 |
| Live in Japan 2018 | 2018 (Japan) | Recorded: Club Citta, Kawasaki (March 11, 2018) Note: RIOT Vとしてのライヴ。『Thundersteel』30周年記念の完全再現セットを含む。 |
9. Biography: 主要メンバーの軌跡 (Key Members Profile)
RIOTというバンドは、リーダーであるマーク・リアリを中心に、多くの才能あるミュージシャンが出入りした「学校」のような側面も持っていた。以下に主要メンバーのプロフィールを記す。
- 在籍期間: 1975-1984, 1986-2012
- 人物: バンドの創設者、メインソングライター、そして精神的支柱。内向的で静かな性格であったが、音楽に対する情熱は人一倍強かった。彼のギタープレイは、ネオクラシカルな速弾きだけでなく、感情を揺さぶる「泣き」のメロディと、楽曲全体を構築するアレンジ能力において卓越していた。生涯を通じてクローン病に苦しみながらも、最期までステージに立つことを望んだ。
- 在籍期間: 1975-1981
- 人物: 初代ヴォーカリスト。ニューヨークのブルックリン出身。そのパワフルな歌唱とカリスマ性で初期RIOTの成功を牽引した。脱退後は完全に音楽業界から身を引き、フロリダに移住して害虫駆除業者(Exterminator) として家族との平穏な生活を送った。メタリカ (Metallica) のラーズ・ウルリッヒ (Lars Ulrich) が彼のファンであり、偶然彼に駆除を依頼したという逸話が残っている。2003年11月8日、膵臓癌により57歳で死去。
- 在籍期間: 1981-1984
- 人物: 2代目ヴォーカリスト。ジョージア州出身。ブルージーでソウルフルな歌声を持ち、デヴィッド・カヴァデール (David Coverdale) やポール・ロジャース (Paul Rodgers) と比較される実力者であった。しかし、その奔放なライフスタイルがバンド活動に影を落としたことも否めない。1994年1月22日、アトランタで自動車強盗に巻き込まれ、37歳の若さで射殺された。この事件は未解決のままである。
- 在籍期間: 1986-1992, 2008-2009, 2010-2012
- 人物: 『Thundersteel』時代の象徴的ヴォーカリスト。ロブ・ハルフォード (Rob Halford)にも比肩する超高音シャウトと、演劇的な表現力でRIOTのサウンドをパワーメタルへと昇華させた。一時期、音楽業界を離れていたが、再結成時に復帰し、その衰えぬ歌声を披露した。
- 在籍期間: 1993-2006
- 人物: 歴代で最も長く在籍したヴォーカリストの一人。ディープ・パープルやレインボーのスタイルを継承するソウルフルなハードロック・シンガー。現在はキーボーディストとしても多くのセッション活動を行っている。
- 在籍期間: 2013-Present
- 人物: RIOT Vのヴォーカリスト。ミシガン州出身。その驚異的な音域と、マーク・リアリへの深い敬意に基づいたパフォーマンスで、ファンの信頼を勝ち取った。NBCのオーディション番組『The Voice』に出演し、審査員を驚愕させたことでも知られる。
- 在籍期間: 1986-1990, 2008-Present
- 人物: 『Thundersteel』期のベーシストであり、マーク・リアリの盟友。「Thundersteel」のメインリフを作曲するなど、スピードメタル路線の要。テキサス在住で、マーク・リアリ亡き後のバンドを牽引するリーダー的存在。
- 在籍期間: 1989-Present
- 人物: 『The Privilege of Power』 ツアーから参加。かつてマーク・リアリのギター教室の生徒であり、リアリのスタイルを最も深く理解するギタリスト。リアリの存命中からツイン・ギターの相棒として支え続け、現在はその魂を継承するプレイを披露している。
10. 不滅の魂 (Immortal Soul)
RIOTの歴史は、決して平坦なものではなかった。RIOTは常に時代の逆風に晒され、ビジネスの不条理に翻弄され、そして死という不可避の運命に直面してきた。しかし、RIOTが遺した音楽――『Rock City』の荒々しさ、『Fire Down Under』の情熱、『Thundersteel』の鋼鉄の輝き、精度『Inishmore』の哀愁――は、流行り廃りを超えてヘヴィメタルの古典として輝き続けている。
『Mean Streets』で見せた力強さは、RIOTが現在進行形のメタルバンドとして進化を続けていることの証明である。マーク・リアリはもういない。しかし、彼の魂は、ドン・ヴァン・スタヴァン、マイク・フリンツ、そしてトッド・マイケル・ホールといったメンバーたち、そして世界中のファンによって、永遠に語り継がれていくことだろう。「Shine On (輝き続けろ)」――かつてRIOTが歌ったその言葉通り、RIOTの物語は終わることなく、鋼鉄の輝きを放ちながら未来へと続いている。
Trivia
RIOTのデビュー作『Rock City』(1977) は、翌1978年に日本で『ロック・シティ ~怒りの廃墟~』という邦題で発売された。収録曲「Warrior」は「幻の叫び」の邦題でシングル・カットされ、日本でヒットしている。バンドがアメリカ本国でほとんど売れなかった時期の話である。
2011年の『Immortal Soul』は日本先行発売だった。日本盤は10月19日にアヴァロン/マーキーからMICP-11020として、「Fight or Fall」のライヴ・テイクをボーナス・トラックに加えて出ている。ヨーロッパは10月26日のスカンジナビアを皮切りに10月末まで、米加は11月22日だった。マーク・リアリの生前最後のスタジオ盤である。
ライヴ盤『Shine On』は、2017年6月30日にメタル・ブレイドからボーナスDVD付きで再発されている。そのDVDは1998年1月31日と2月1日にクラブチッタで行われた公演の映像で、アンコールの一部には2月1日の演奏が収められている。
2018年3月10日・11日の川崎CLUB CITTA'公演は『Thundersteel』発表30周年の記念公演で、二部構成・約2時間半、第2部が同アルバムの完全再現だった。両日の違いは第1部の2曲だけで、10日にしか演奏されなかった「Still Your Man」と「Black Leather and Glittering Steel」は、のちに映像作品の日本盤限定ボーナスとして収録されている。
その『RIOT祭2024』に出演し、川崎・渋谷の両公演にゲストとして加わったのが、イタリアのWHITE SKULLのヴァレンティノ・フランカヴィラだった。2026年にトッド・マイケル・ホールが脱退すると、後任としてバンドの前に立つことになったのはこの人物である。作品化された『RIOT祭2024 LIVE IN JAPAN』には、結果的に新旧のヴォーカリストが同じステージで歌う場面が残された。
『Mean Streets』の日本盤限定ボーナスCDには未発表音源が収められている。1990年の『The Privilege of Power』に入っていた「Killer」の、ジョー・リン・ターナー単独ヴォーカル・ヴァージョンである。同じディスクには「Sign of the Crimson Storm」のレット・フォレスターが歌った1986年ヴァージョンも入っている。
その「Warrior」は1979年8月、日本の歌謡界にまったく別の姿で現れている。アイドル歌手・五十嵐夕紀のシングル「バイバイ・ボーイ」がそれで、原曲のサビ「Shine, shine on」は「バーイ バイ ボーイ」という日本語詞に置き換えられた。編曲は馬飼野康二。
2作目『Narita』(1979) は、まず日本だけで発売され、アメリカ盤はそのあとに出た。タイトルは東京の国際空港「成田」から採られている。ただし空港名を借りた理由をバンド自身が語った資料は確認できておらず、日本側の音楽コラムが成田闘争を動機として挙げるのに対し、英語圏の資料は空港名までしか踏み込まない。