JOURNEY

ジャーニー (JOURNEY)は、1973年にアメリカ合衆国カリフォルニア州サンフランシスコ (San Francisco, California) で結成されて以来、半世紀以上にわたりアメリカン・ロックの象徴として君臨し続けているバンドである。

Biography

ジャーニー (JOURNEY)
歴史的変遷、音楽的進化、文化的影響

1. Introduction

1.1 背景

ジャーニー (JOURNEY)は、1973年にアメリカ合衆国カリフォルニア州サンフランシスコ (San Francisco, California) で結成されて以来、半世紀以上にわたりアメリカン・ロックの象徴として君臨し続けているバンドである。JOURNEYは、初期の実験的なジャズ・フュージョン (Jazz Fusion) とプログレッシブ・ロック (Progressive Rock) の融合から出発し、1970年代後半には洗練されたメロディとダイナミックな演奏技術を結合させた「アリーナ・ロック (Arena Rock)」あるいは「産業ロック (Corporate Rock)」と呼ばれるジャンルの先駆者へと劇的な進化を遂げた。

1.2 バンドの商業的規模と地位

全米レコード協会 (RIAA) のデータによれば、ジャーニーの米国国内におけるアルバム総売上は4,800万枚を超え、歴史上最も売れたバンドの一つ (第28位) に位置づけられている。全世界での売上は7,500万枚とも1億枚とも推定される。特筆すべきは、JOURNEYの代表曲「Don't Stop Believin'」が、20世紀にリリースされた楽曲としては異例のロングセラーを記録し、iTunes史上最もダウンロードされたカタログトラックの一つとなっている事実である。これは、JOURNEYの音楽がデジタルネイティブ世代をも取り込み、現代のポップカルチャーの中で再生産され続けていることを示唆している。

2. 前史と結成: ゴールデン・ゲート・リズム・セクションの構想 (1970-1973)

2.1 サンタナ (Santana) からの派生

ジャーニーの核となる音楽的DNAは、サンフランシスコのラテン・ロック・バンド、サンタナ (Santana) に由来する。1971年から1972年にかけ、当時まだ10代後半であった天才ギタリスト、ニール・ショーン (Neal Schon)と、ハモンドオルガンの名手でありヴォーカリストでもあったグレッグ・ローリー (Gregg Rolie)は、サンタナのメンバーとして活動していた。特にニール・ショーンは、15歳でエリック・クラプトン (Eric Clapton) からデレク・アンド・ザ・ドミノス (Derek and the Dominos) への加入を打診されながら、カルロス・サンタナ (Carlos Santana) を選んだという早熟の天才であった。しかし、サンタナがより精神的かつ実験的な音楽性を追求し始めたことによる方向性の相違から、ショーンとローリーは相次いでバンドを離脱する。

2.2 ハービー・ハーバートの戦略とバンド結成

サンタナの元ロード・マネージャーであったハービー・ハーバート (Herbie Herbert)は、サンフランシスコ・ベイエリア (Bay Area) の有望なミュージシャンを集め、既存のスターアーティストのバックバンドを務めることができる多才な「バックアップ・グループ」の結成を構想した。このプロジェクトは当初、「ゴールデン・ゲート・リズム・セクション (Golden Gate Rhythm Section)」 という仮称で呼ばれていた。

ハーバートが招集したのは以下のメンバーであった:

  • ニール・ショーン (Neal Schon) : リード・ギター (元 Santana)
  • グレッグ・ローリー (Gregg Rolie): キーボード、ヴォーカル(元 Santana)
  • ロス・ヴァロリー (Ross Valory): ベース (元 Frumious Bandersnatch, Steve Miller Band)
  • ジョージ・ティックナー (George Tickner): リズム・ギター(元 Frumious Bandersnatch)
  • プレイリー・プリンス (Prairie Prince): ドラムス (The Tubes)

彼らは、バックバンドとして活動するよりも独自の音楽を創造することを選択した。バンド名はラジオ局 KSAN-FMでの公募を経て提案されたものが検討されたが、最終的に「ジャーニー (JOURNEY)」 というシンプルかつ旅路を示唆する名称に落ち着いた。

1973年12月31日、サンフランシスコのウィンターランド・ボールルーム (Winterland Ballroom) で行われたライブが、彼らの公式なデビュー・パフォーマンスとなった。

3. 第1期:フュージョン・イヤーズの苦闘 (1973-1977)

3.1 インストゥルメンタル・ロックへの志向

初期のジャーニーの音楽性は、後のヒット曲に見られるようなコンパクトなポップ・ロックとは対極にあった。JOURNEYは長尺のインストゥルメンタル・ソロ、変拍子、そしてジャズやプログレッシブ・ロックの要素をふんだんに取り入れたサウンドを展開していた。これは、メンバーの卓越した演奏技術を誇示するものであったが、ラジオでのエアプレイには不向きであった。

結成メンバーのドラマー、プレイリー・プリンス (Prairie Prince) はデビューアルバムの録音前に脱退し、自身のバンドであるザ・チューブス (The Tubes) に戻った。後任として、フランク・ザッパ (Frank Zappa) やデヴィッド・ボウイ (David Bowie) との共演歴を持つ英国の実力派ドラマー、エインズレー・ダンバー (Aynsley Dunbar) が加入した。

3.2 初期3部作の分析

CBSコロムビア (Columbia Records) と契約したバンドは、以下の3枚のアルバムをリリースした。

  • 1. 『宇宙への旅立ち (JOURNEY)』(1975年)
    • 概要: プログレッシブ・ロック色が最も強い作品。「Of a Lifetime」や「Kohoutek」などの楽曲では、ニール・ショーンのギターとグレッグ・ローリーのキーボードが激しく交錯する。
    • 人事異動: リリース直後、リズム・ギターのジョージ・ティックナー (George Tickner) が医学部への進学(スタンフォード大学)を理由に脱退。彼はその後医師となり音楽界から離れたが、楽曲の印税等でバンドとの関係は続いた (※ティックナーは2023年7月に死去)。
  • 2. 『未来への招待状 (Look into the Future)』 (1976年)
    • 概要: 4人編成となり、より直線的なロック・サウンドを模索し始めたが、依然として大作主義的な傾向が強かった。タイトル曲は8分を超える。
    • チャート: 全米100位。商業的なブレイクには至らなかった。
  • 3. 『ネクスト (Next)』 (1977年)
    • 概要: ニール・ショーンがヴォーカルをとる曲が含まれるなど試行錯誤が見られるが、方向性は定まらなかった。
    • 危機: アルバムは全米85位に終わり、セールスの不振から、コロムビア・レコードはバンドに対し「リード・ヴォーカリストを加入させてヒット曲を作るか、契約を打ち切るか」という最後通告を突きつけた。

4. 第2期:スティーヴ・ペリーの加入と転換 (1977-1978)

4.1 ロバート・フライシュマンの短命な在籍

マネージャーのハービー・ハーバートは、バンドの存続をかけてフロントマンの探索を開始した。最初に起用されたのはロバート・フライシュマン (Robert Fleischman) であった。

  • 活動: 彼はバンドとツアーを行い、「Wheel in the Sky (ホイール・イン・ザ・スカイ)」や「Winds of March」などの楽曲制作に貢献した。
  • 脱退の理由: 音楽性の相違に加え、マネージャーのハーバートとの個人的な確執(ハーバートは彼を「甘やかされたプードル」と評したという証言がある)により、正式なアルバムレコーディングを行う前に解雇された。

4.2 "The Voice" スティーヴ・ペリーの発見

1977年後半、ハーバートはデモテープを通じて、カリフォルニア州ハンフォード出身の無名なシンガー、スティーヴ・ペリー (Steve Perry) の存在を知る。ペリーは当時、音楽の道を諦めかけていたが、そのデモテープ (Alien Projectというバンドのもの)に収められた歌声は、サム・クック (Sam Cooke) を彷彿とさせるソウルフルさと、ロックの力強さを兼ね備えていた。

ニール・ショーンとグレッグ・ローリーは当初、ポップなシンガーを受け入れることに難色を示したが、ペリーが加入して初めて音を合わせた瞬間、その圧倒的な声量と表現力に疑念は払拭された。

4.3 アルバム 『インフィニティ』とスタイルの確立

1978年1月にリリースされたアルバム 『インフィニティ (Infinity)』 は、バンドの運命を決定づけた。

  • 音楽前変化: クイーン (Queen) などを手掛けたロイ・トーマス・ベイカー (Roy Thomas Baker) をプロデューサーに迎え、音の厚みを増すためにヴォーカル・ハーモニーを多重録音する手法(マルチ・トラッキング)が導入された。
  • 成果: シングル 「Lights (ライツ)」 や 「Wheel in the Sky」がヒットし、アルバムは全米21位を記録。初のプラチナ・ディスクを獲得した。

しかし、このポップ路線への転換は、ジャズ・フュージョン志向の強かったドラマー、エインズレー・ダンバー (Aynsley Dunbar) にとっては受け入れがたいものであった。彼は「単純なビートを叩くこと」を拒否し、バンドを解雇された(あるいは自ら去った)。後任には、ロニー・モントローズ (Ronnie Montrose) のバンドで活動していたバークリー音楽大学出身のドラマー、スティーヴ・スミス (Steve Smith)が抜擢された。

5. 第3期:進化と黄金時代への助走 (1979-1980)

5.1 『エヴォリューション』と『ディパーチャー』

スティーヴ・スミスを迎えたラインナップ (ペリー、ショーン、ローリー、ヴァロリー、スミス)は、1980年代前半まで続く黄金期の基盤となった。

  • 『エヴォリューション (Evolution)』(1979年):
    • 「Lovin', Touchin', Squeezin'」が全米シングルチャートで16位となり、バンド初のトップ20ヒットとなった。この曲のリフレイン ("Na Na Na"の合唱)は、ライブでの観客との一体感を生む定番となった。
  • 『ディパーチャー (Departure)』(1980年):
    • 「Any Way You Want It (お気に召すまま)」が大ヒット。よりハードでエッジの効いたサウンドプロダクションが採用され、全米アルバムチャートで初のトップ10入り(8位)を果たした。

5.2 異色作『ドリーム・アフター・ドリーム』と日本との関わり

1980年、バンドは日本のファッションデザイナー、高田賢三 (Kenzo Takada) が監督した映画『夢・夢のあと (Yume, Yume No Ato)』のサウンドトラック制作を依頼された。

  • アルバム『ドリーム・アフター・ドリーム (Dream, After Dream)』:
    • 制作背景: 日本の信濃町ソニー・スタジオで録音された。
    • 音楽性: 当時のアメリカでのヒット路線とは異なり、初期のプログレッシブ・ロックやフュージョンへの回帰が見られる。ヴォーカル曲は少なく、幻想的で複雑なインストゥルメンタルが中心である。
    • 評価: 商業的には地味な存在だが、バンドの芸術的側面を記録した重要な作品として、特に日本のファンからの評価が高い。

この時期、過酷なツアー生活に疲弊したオリジナル・メンバーのグレッグ・ローリーが脱退を決意する。彼は自身の後任として、ベイビーズ (The Babys) のキーボーディスト、ジョナサン・ケイン (Jonathan Cain)を推薦した。

6. 第4期:商業的頂点とアリーナ・ロックの覇者(1981-1983)

6.1 ジョナサン・ケインの加入とソングライティング革命

ジョナサン・ケインの加入は、ジャーニーにとって最後の、そして最も重要なピースとなった。ケインはピアノの名手であるだけでなく、優れたメロディメーカーであり作詞家でもあった。彼の加入により、ニール・ショーンのギターリフ、スティーヴ・ペリーの歌声に、ピアノを中心とした叙情的なバラードという要素が加わり、「ジャーニー・サウンド」が完成した。

6.2 アルバム『エスケイプ (Escape)』 の衝撃 (1981年)

1981年7月にリリースされたアルバム 『エスケイプ (Escape)』 は、バンドのキャリアにおける最高傑作であるだけでなく、1980年代のロック史における金字塔となった。

  • チャート実績: ビルボード・アルバムチャートで1位を獲得。アメリカ国内だけで1,000万枚(ダイヤモンド認定)を売り上げた。
  • 主要楽曲:
    • 「Don't Stop Believin'」: 特徴的なピアノのリフで始まるこの曲は、リリース当時全米9位だったが、時代を超えて評価を高め、現在では「最も有名なロックアンセム」の一つとなっている。
    • 「Open Arms (オープン・アームズ)」: ジョナサン・ケインがベイビーズ時代に書き溜めていたメロディをペリーと完成させた究極のパワー・バラード。全米2位を記録し、ビルボード・アダルト・コンテンポラリー・チャートでは6週連続1位となった。
    • 「Who's Crying Now (クライング・ナウ)」: ペリーのソウルフルなヴォーカルとショーンの抑制の効いたギターソロが光るR&Bテイストの曲。
    • 「Stone in Love」: 典型的なアリーナ・ロック・ナンバー。

6.3 『フロンティアーズ (Frontiers)』 と人気絶頂 (1983年)

1983年の次作 『フロンティアーズ (Frontiers)』 も巨大な成功を収めた。発売後すぐに全米2位まで上昇したが、マイケル・ジャクソン (Michael Jackson) の 『スリラー (Thriller)』という歴史的な壁に阻まれ、1位獲得はならなかった。

  • 「Separate Ways (Worlds Apart) (セパレイト・ウェイズ)」: シンセサイザーの攻撃的なリフとハードなギターが融合した楽曲。そのミュージックビデオは、メンバーが楽器を持たずに演奏するふりをする(エア・インストゥルメント) 演出が後に「史上最悪かつ最高のビデオ」としてカルト的な人気を博した。
  • 「Faithfully (時への誓い)」: ツアー中の孤独と家族への愛を歌ったバラード。ジョナサン・ケインのペンによる名曲。

この時期、バンドはNFLのサンフランシスコ・49ers (San Francisco 49ers) との強い絆を築き、スタジアムでの国歌斉唱やハーフタイムショーなどにも登場した。

7. 第5期:分裂、変質、そして活動休止 (1984-1987)

7.1 スティーヴ・ペリーのソロ活動と主導権

『フロンティアーズ』ツアーの後、スティーヴ・ペリーはソロ・アルバム『ストリート・トーク (Street Talk)』 (1984年)をリリースし、「Oh Sherrie」などのヒットを飛ばした。この成功により、バンド内でのペリーの発言力は絶対的なものとなり、バンドの民主的な運営は崩れ始めた。

7.2 『レイズド・オン・レイディオ』 とリズム隊の解雇

1986年のアルバム 『レイズド・オン・レイディオ~時を駆けて (Raised on Radio)』 の制作段階で、ペリーは音楽的な方向性をよりR&Bやソウル、ポップス寄りに修正しようとした。その過程で、長年のメンバーであったベースのロス・ヴァロリーとドラムのスティーヴ・スミスが「サウンドに合わない」として解雇 (あるいは降板) させられる事態が発生した。

  • レコーディング: ベースにはランディ・ジャクソン (Randy Jackson) (後に『アメリカン・アイドル』の審査員として有名になる)、ドラムにはスタジオ・ミュージシャンのラリー・ロンディン (Larrie Londin) が起用された。
  • 成果: 「Be Good to Yourself」などのヒットは生まれたが、バンドのサウンドはかつての一体感を欠き、ペリーのソロ・プロジェクトに近い色彩を帯びていた。

7.3 1987年の活動停止

『レイズド・オン・レイディオ』のツアーは、オーディションで選ばれたメンバー (マイク・ベアード等)を加えて行われたが、ツアー終了後の1987年、ペリーは心身の疲労と母親の看病などを理由に活動停止を宣言。バンドは事実上の解散状態(無期限活動休止) に入った。

8. 第6期:再結成とスティーヴ・ペリーとの決別(1995-1998)

8.1 アルバム『トライアル・バイ・ファイアー』

1995年、コロムビア・レコードの強い働きかけにより、黄金期のラインナップ(ペリー、ショーン、ケイン、ヴァロリー、スミス)が集結した。1996年にリリースされた再結成アルバム 『トライアル・バイ・ファイアー (Trial by Fire)』は、全米3位を記録。シングル「When You Love a Woman」はグラミー賞にノミネートされ、大人のためのロックバンドとしての健在ぶりを示した。

8.2 股関節負傷と最終的な分裂

アルバムの成功を受け、大規模なツアーが計画されていたが、スティーヴ・ペリーがハワイでのハイキング中に股関節を骨折する事故が発生した。ペリーは手術を受けることに慎重であり、リハビリに長い時間を要した。一方、ツアーに出て収益を上げることを熱望していたニール・ショーンとジョナサン・ケインは、ペリーの決断を待てず、苛立ちを募らせた。

1998年、バンド側は「ペリーがツアーに参加できないなら、代わりのシンガーを探して活動する」という最後通告を行い、ペリーはバンドを去った。この際、ドラマーのスティーヴ・スミスは「ペリーがいないならジャーニーではない」として、再びバンドを脱退した。

9. 第7期:模索の時代~オウジェリーとソート (1998-2007)

9.1 スティーヴ・オウジェリーの時代 (1998-2006)

ペリーの後任として選ばれたのは、声質やルックスがペリーに似ていたスティーヴ・オウジェリー (Steve Augeri) (元 Tall Stories)であった。ドラムには、ハードロック畑のテクニシャン、ディーン・カストロノヴォ (Deen Castronovo) (元 Bad English) が加入した。

  • 活動: アルバム『アライヴァル (Arrival)』 (2001年)、EP『レッド13 (Red 13)』 (2002年)、『ジェネレーションズ (Generations)』 (2005年)をリリース。精力的にツアーを行い、バンドの存続に尽力した。
  • 脱退: 長年のツアーによる喉の酷使が原因で慢性的な声帯の問題を抱え、2006年のデフ・レパード (Def Leppard) とのジョイント・ツアー中にドクターストップがかかり、バンドを離脱した。

9.2 ジェフ・スコット・ソートの短期在籍 (2006-2007)

オウジェリーの緊急代役として、イングヴェイ・マルムスティーン (Yngwie Malmsteen) バンドやタリスマン (Talisman) で知られるジェフ・スコット・ソート (Jeff Scott Soto) が加入した。

  • 評価: 彼はツアーを完遂し、正式メンバーとして迎えられたが、そのソウルフルでハスキーな声質や、よりヘヴィ・メタル寄りなバックグラウンドが、ニール・ショーンやジョナサン・ケインの求める「ジャーニーのクリアなサウンド」と合致しなかった。
  • 解雇: 加入からわずか数ヶ月後の2007年、具体的な理由を告げられないまま解雇された。ソートは後に「理由がわからず苦しんだ」と語っているが、ショーンは「サウンドがしっくりこなかった」と述べている。

10. 第8期:現代のジャーニー~アーネル・ピネダの奇跡 (2007-現在)

10.1 YouTubeによる発掘

2007年、ニール・ショーンはYouTubeで新しいシンガーを探していた際、フィリピンのカバーバンド「The Zoo」 がジャーニーの曲を演奏している動画を偶然発見する。そこで歌っていたアーネル・ピネダ (Arnel Pineda)の声は、全盛期のスティーヴ・ペリーに驚くほど似ており、かつ独自の情熱を帯びていた。マニラで極貧生活を送り、一時は路上生活も経験した、ショーンからのメールを当初「いたずら」だと思ったという。オーディションを経て正式加入した彼の物語は、世界中のメディアで取り上げられ、ドキュメンタリー映画『Don't Stop Believin': Everyman's JOURNEY』となった。

10.2 完全復活と『レヴェレイション』

2008年、ピネダを迎えて制作されたアルバム 『レヴェレイション (Revelation)』 は、新曲とクラシック・ヒットの再録音 (ピネダのヴォーカルによる) の2枚組としてリリースされた。

  • 戦略: ウォルマート (Walmart) 独占販売という戦略をとり、全米5位、プラチナ・ディスクを獲得する大ヒットとなった。ピネダのエネルギッシュなパフォーマンスは、バンドに若々しい息吹をもたらし、ジャーニーは再びアリーナを満員にするバンドへと返り咲いた。

10.3 近年の動向と内紛 (2011-2025)

  • 『エクリプス (Eclipse)』 (2011年): よりハードロック色の強いアルバム。
  • 2020年の内紛: 2020年3月、ニール・ショーンとジョナサン・ケインは、ロス・ヴァロリー(ベース) とスティーヴ・スミス(ドラム)を解雇し、訴訟を起こした。理由は、ヴァロリーとスミスが 「Nightmare Productions」 という企業を通じて「JOURNEY」の商標権を掌握しようとする「クーデター」を企てたというものであった。この争いは後に和解に至ったが、二人はバンドを去った。
  • 『フリーダム (Freedom)』(2022年): パンデミック中に制作された15曲入りの大作。ランディ・ジャクソンやナラダ・マイケル・ウォルデン (Narada Michael Walden) が一時的に復帰したが、ツアー前に離脱。
  • 現在: 2025年時点のラインナップには、ディーン・カストロノヴォがドラマーとして復帰し、ベースにはトッド・ジェンセン (Todd Jensen) が加入している。

11. 日本における受容と文化的影響(Reception in Japan)

ジャーニーは日本において、単なる洋楽バンド以上の特別な地位を築いている。そのメロディアスな楽曲は、日本の歌謡曲やJ-POPの感性と親和性が高く、独自の受容史を持っている。

11.1 邦題と独自企画盤

  • 『ライヴ・エナジー (Live Energy)』: 1981年のライブ・アルバム『Captured』は、当初日本国内のプロモーションや一部のLPリリースにおいて『ライヴ・エナジー』という独自の邦題が付けられた。これは当時の日本の担当ディレクターが「ライブの熱量」を伝えるために考案したものであり、日本市場独自のマーケティングの一例である。
  • 『ドリーム・アフター・ドリーム』: 前述の通り、高田賢三監督映画のサントラとして日本主導で制作された稀有な例。

11.2 映画『海猿』と 「Open Arms」 のリバイバル

2004年、日本の大ヒット映画 『海猿 (Umizaru)』(伊藤英明主演)の主題歌として「Open Arms」が起用された。

  • 経緯: 羽住英一郎 (Eiichiro Hasumi) 監督が脚本執筆中にこの曲を繰り返し聴いていたことから熱望し、使用が実現した。
  • 影響: 映画の大ヒットに伴い、楽曲もリバイバル・ヒット。結婚式の定番ソングとして定着し、ジャーニーを知らない若い世代にも認知されるきっかけとなった。

11.3 WBCと 「Separate Ways」

TBS系列で放送されるワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の中継テーマソングとして、「Separate Ways (Worlds Apart)」が長年使用されている。

  • 文化的定着: イントロの緊迫感あふれるシンセサイザーのフレーズは、日本人にとって「侍ジャパン (Samurai Japan)」の挑戦や「負けられない戦い」を象徴するサウンドとして刷り込まれている。これは日本独自の現象であり、バンド側もこの使われ方を認識している。

11.4 CMでの使用

「Don't Stop Believin'」 や 「Any Way You Want It」は、トヨタ自動車 (Toyota) や東京ガス(Tokyo Gas) をはじめとする数多くのCMで使用されており、お茶の間に浸透している。

12. ディスコグラフィー (Discography)

以下に、主要な作品をカタログデータと共に詳述する。特に日本盤の仕様や邦題に注目する。

12.1 スタジオ・アルバム (Studio Albums)

発売年 原題 (Original Title) 邦題 (Japanese Title) 全米 (US) 日本 (JP) 備考・特徴
1975 JOURNEY 宇宙への旅立ち 138 72 インスト主体。プログレ色が強い。
1976 Look into the Future 未来への招待状 100 58 ビートルズのカバー 「It's All Too Much」収録。
1977 Next ネクスト 85 47 初期の最終作。
1978 Infinity インフィニティ 21 238 ペリー加入。名曲「Lights」収録。
1979 Evolution エヴォリューション 20 70 「Lovin', Touchin', Squeezin'」収録。
1980 Departure ディパーチャー 8 61 「Any Way You Want It」収録。よりハードに。
1980 Dream, After Dream 夢・夢のあと - 19 日本映画サントラ。日本録音。
1981 Escape エスケイプ 1 26 全世界で大ヒット。ダイヤモンド・ディスク認定。
1983 Frontiers フロンティアーズ 2 3 日本で最も売れたアルバムの一つ。
1986 Raised on Radio レイズド・オン・レイディオ~時を駆けて 4 3 3人編成での制作。
1996 Trial by Fire トライアル・バイ・ファイアー 3 6 再結成アルバム。「Message of Love」収録。
2001 Arrival アライヴァル 56 19 オウジェリー加入作。日本盤ボーナスあり。
2005 Generations ジェネレーションズ 170 20 メンバー全員がリード・ヴォーカルを担当する曲がある。
2008 Revelation レヴェレイション 5 17 ピネダ加入。新曲+再録の2枚組。
2011 Eclipse エクリプス 13 19 コンセプトアルバム的な重厚な作り。
2022 Freedom フリーダム 88 88 15曲収録。日本盤ボーナスあり。

(チャート順位出典: Billboard 200, Oricon)

12.2 ライブ・アルバム及びコンピレーション (Live & Compilations)

発売年 タイトル (Title) 邦題/日本盤仕様 概要
1981 Captured ライヴ・エナジー (Live Energy) 1980年のツアー録音。デトロイト・東京公演収録。邦題は当初「ライヴ・エナジー」とされた。
1988 Greatest Hits グレイテスト・ヒッツ 全米1,800万枚売上の怪物アルバム。2004年以降の日本盤は「Open Arms」を1曲目にした『オープン・アームズ〜グレイテスト・ヒッツ』として発売されることがある。
2019 Escape & Frontiers Live in Japan 再現~ライヴ・イン・ジャパン2017 2017年武道館公演。名盤2枚を完全再現。

13. メンバー詳細プロフィール (Detailed Member Profiles)

13.1 現行メンバー (Current Members as of 2025)

  • ニール・ショーン (Neal Schon) [Guitar, Vocals] (1973-現在)
    オクラホマ州出身。15歳でサンタナに参加した神童。ジャーニーの結成から現在まで在籍する唯一のオリジナル・メンバーであり、バンドのリーダー。ハードな速弾きから泣きのメロディまでこなす。バッド・イングリッシュ (Bad English) やハードライン (Hardline) でも活動。
  • ジョナサン・ケイン (Jonathan Cain) [Keyboards, Guitar, Vocals] (1980-現在)
    シカゴ出身。ベイビーズを経て加入。「Open Arms」 「Faithfully」を作曲したメロディ・メーカー。彼が持ち込んだピアノ・バラードの要素がジャーニーをアリーナ・ロックの頂点へ押し上げた。
  • アーネル・ピネダ (Arnel Pineda) [Lead Vocals] (2007-現在)
    フィリピン、マニラ出身。YouTubeで発掘されたシンデレラ・ボーイ。その強力なハイトーン・ヴォイスと謙虚な人柄で、分裂状態にあったバンドとファンを再び結びつけた。
  • ディーン・カストロノヴォ (Deen Castronovo) (1998-2015, 2021-現在)
    超絶技巧ドラマーでありながら、リード・ヴォーカルをとれるほどの歌唱力を持つ。一時、薬物問題とDVによる逮捕でバンドを解雇されたが、更生して復帰を果たした。
  • トッド・ジェンセン (Todd Jensen) (2021-現在)
    ハードラインやデヴィッド・リー・ロス (David Lee Roth) バンドでショーンと共演歴があるベーシスト。
  • ジェイソン・ダーラトカ (Jason Derlatka) [Keyboards, Vocals] (2019-現在)
    作曲家としても活動。ライブではケインをサポートし、高音域のコーラスや一部リード・ヴォーカルを担当する。

13.2 過去の主要メンバー (Past Key Members)

  • スティーヴ・ペリー (Steve Perry) [Lead Vocals] (1977-1998)
    「The Voice」と称される稀代のヴォーカリスト。サム・クックへの敬愛に裏打ちされたソウルフルな歌唱法で、ロック・バラードのスタイルを確立した。現在はソロ活動を行っている。
  • グレッグ・ローリー (Gregg Rolie) [Keyboards, Vocals] (1973-1980)
    オリジナル・メンバー。サンタナ時代からのショーンの盟友。「Just the Same Way」などでリード・ヴォーカルも担当した。
  • ロス・ヴァロリー (Ross Valory) (1973-1985, 1995-2020)
    オリジナル・メンバー。独特のベースラインと「ロパク奏法」などのコミカルなパフォーマンスで愛されたが、2020年の商権紛争により解雇された。
  • スティーヴ・スミス (Steve Smith) (1978-1985, 1995-1998, 2015-2020)
    ジャズ・ドラミングの巨匠。ジャーニーのリズムに繊細さとダイナミズムをもたらした。ヴァロリーと共に2020年に解雇された。
  • ジョージ・ティックナー (George Tickner) (1973-1975)
    オリジナル・メンバー。初期の楽曲制作に大きく貢献したが、デビュー直後に医師になるため脱退。2023年死去。
  • エインズレー・ダンバー (Aynsley Dunbar) (1974-1978)
    初期の屋台骨を支えたが、ポップ路線への転換に反対し脱退。後にジェファーソン・スターシップ (Jefferson Starship) やホワイトスネイク (Whitesnake)に参加。
  • スティーヴ・オウジェリー (Steve Augeri) [Lead Vocals] (1998-2006)
    ペリーの後任という重圧の中でバンドを支えた功労者。
  • ジェフ・スコット・ソート (Jeff Scott Soto) [Lead Vocals] (2006-2007)
    短期間の在籍だったが、その後のソロ活動やサンズ・オブ・アポロ (Sons of Apollo) などで活躍。

14. Conclusion

ジャーニーの歴史は、絶え間ない変化と適応の歴史である。サンフランシスコの実験的なジャム・バンドとして始まり、スティーヴ・ペリーという稀有な才能を得てメインストリームの頂点へ登り詰め、その後も幾多のメンバーチェンジや時代の変化、内部の亀裂を乗り越えて生き残ってきた。

JOURNEYの音楽が持つ普遍的な魅力―――ニール・ショーンの情熱的なギター、ジョナサン・ケインの美しい旋律、そして歴代ヴォーカリストたちの天を突くような歌声――は、世代や国境を超えて人々の心を揺さぶり続けている。特に日本において、映画やスポーツという日常の風景と結びついたJOURNEYの楽曲は、勇気や希望を与えるアンセムとして機能し続けている。

「Don't Stop Believin'」 というJOURNEYのメッセージは、バンド自身の歩みそのものであり、その旅路 (JOURNEY) は現在も続いている。

Trivia

結成年については、バンド自身の記述のあいだで食い違いがある。公式サイトの紹介文は、ニール・ショーンが1972年にジャーニーを結成したと書いている。一方、バンド公認のドキュメンタリー映画の公式サイトも、2023年の公式プレスリリースも、結成は1973年としている。ただしどちらの資料も一致している点がひとつある。ショーンは唯一、一度も欠けたことのないメンバーであり、これまでの全アルバムと全ツアーに参加してきた、ということである。

異説あり出典: ジャーニー 公式サイト About

コロンビア・レコードがバンドと契約したのは1974年11月である。デビュー作『Journey』(1975年)、続く『Look into the Future』(1976年)、『Next』(1977年)は、それぞれ前作より高い順位まで上がっていった。当時の彼らは年に9か月を路上で過ごすという過酷な日程を組んでおり、その頃鳴らしていた音楽をショーンは、マハヴィシュヌ・オーケストラのロックンロール版だと呼んでいる。

出典: 『Don't Stop Believin': Everyman's Journey』公式サイト

スティーヴ・スミスは、バンドの外から連れてこられた人ではない。もともと彼はジャーニーのドラム・ローディーだった。1978年に正式に迎え入れられ、ジャズ・フュージョンで培った腕前をバンドの音に加えている。彼が加わって作られた1979年の『Evolution』は、バンドにとって2作目のミリオン・セラーとなった。

出典: 『Don't Stop Believin': Everyman's Journey』公式サイト

1981年の『Escape』は、バンドにとって初めての全米1位アルバムだった。トップ40に1年以上留まり、認定は8回のプラチナに達している。さらに2021年、発売から40年という節目に、この作品はRIAAからダイヤモンド認定を受けた。1000万相当単位以上を売ったことを示す認定である。

出典: ジャーニー 公式サイト About

ジャーニーには、ダイヤモンド認定を受けた作品が2つある。ひとつは『Escape』、もうひとつは1988年に出たベスト盤『Greatest Hits』である。後者は15回のプラチナ認定を経て2008年4月にダイヤモンドとなり、2021年10月の時点でビルボードのカタログ・アルバム・チャートに通算1,328週ランクインしていた。公式サイトによれば、この編集盤は時期によっては全世界で年に50万枚近く売れており、バンドの全世界売上は1億枚を超えているという。

出典: ジャーニー 公式サイト About

アーネル・ピネダを見つけるまでのニール・ショーンの探し方は、徹底していた。公式サイトの記述によれば、彼はYouTubeで何千人もの歌い手を観ており、次のリード・ヴォーカリスト探しをもう諦めようかというところまで来ていたという。そこでピネダに行き当たると、今度は投稿されていた40本の動画をすべて観た。加入が発表されたのは2007年12月5日である。リハーサルに入ってから全員が噛み合うまでには数日かかったが、3日目には形になり、時差ぼけが抜けるとショーン、ケイン、ピネダの3人はカリフォルニア州ノヴァートのスタジオへ入って何曲かに取り掛かった。

出典: ジャーニー 公式サイト About

ジャーニーは1973年、サンフランシスコで生まれたバンドである。中心となったのは、サンタナに在籍していたニール・ショーン(ギター)とグレッグ・ローリー(キーボード、ヴォーカル)、そしてロス・ヴァロリー(ベース)だった。ショーンとローリーはサンタナで知り合っており、両バンドのあいだの時期、ショーンはサンフランシスコ界隈で他の面々と演奏し、ローリーはシアトルで父親とレストランを開いていた。

出典: BARKS(ジャーニー、2024年10月に来日公演決定)

バンド名は公募で決まった——ということになっている。結成にあたって彼らはサンフランシスコのラジオ局KSAN-FMで名前の公募を行い、優勝者にはライヴの生涯無料チケットを出すと告知した。ところが集まった案がどれもひどく、実際に「Journey」という名前を思いついたのは、バンドの管理側で働いていたジョン・ヴィラヌエヴァだった。そこで彼らは、トビー・プラットという架空のリスナーを当選者としてでっち上げたのである。

出典: Songfacts「Journey Artistfacts」

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Albums

Freedom CD
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JOURNEYの大らかなメロディと演奏力を、長尺構成で味わう再始動作。

Eclipse CD
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力強いギター・リフを前面に出し、JOURNEYがよりハードな表情を見せた後期作。

Revelation CD
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伸びやかな歌と大きなコーラスを軸に、JOURNEYがメロディック・ロックの王道を現代へつないだ復帰作。

Generations CD
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伸びやかな歌と大きなコーラスを軸に、JOURNEYが成熟したアリーナ・ロックを鳴らした一作。

Arrival CD
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スティーヴ・オージェリーを迎えたJOURNEYが、壮大なメロディとアリーナ・ロックの力強さを再提示した復帰作。

Trial by Fire CD
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黄金期ラインナップの再集結により、成熟したメロディとバンド演奏を蘇らせたJOURNEYの10作目。

Raised on Radio CD

スティーヴ・ペリーの情感豊かな歌と整ったアレンジで、JOURNEYが都会的なアリーナ・ロックを深めた一作。

Frontiers CD
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伸びやかな歌、鮮やかなキーボード、硬質なギターで、JOURNEYがアリーナ・ロックの完成度を高めた第八作。

Escape CD
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大合唱コーラスと叙情的なメロディで、JOURNEYがアリーナ・ロックの頂点へ到達した第7作。

Departure CD
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鋭い演奏と大きなメロディを結び、JOURNEYがアリーナ・ロックの推進力を増幅させた第六作。

Evolution CD
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スティーヴ・ペリーの歌を中心に、JOURNEYがアリーナ・ロックの大きなメロディへ踏み出した第5作。

Infinity CD
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スティーヴ・ペリー加入を機に、JOURNEYがドラマティックなメロディアス・ロックへ大きく舵を切った第4作。

Next CD
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プログレッシヴな演奏性とハード・ロックの勢いを交差させ、初期JOURNEYの輪郭を示した第3作。

Look into the Future CD
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演奏主体だった初期JOURNEYが、流麗なギターと鍵盤でスケールを広げた第2作。

Journey CD
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後年のアリーナ・ロック像とは異なる、演奏の自由度を前面に出したJOURNEYのデビュー作。