SLAYER

ヘヴィメタル (Heavy Metal) の歴史において、スレイヤー (SLAYER / スレイヤー) ほど「攻撃性」と「妥協なき姿勢」を体現したバンドは存在しない。

Biography

スレイヤー (SLAYER)
エクストリーム・ミュージックの極北における歴史的・音楽的分析

1. スラッシュメタルの定義と「ビッグ4」における位置づけ

ヘヴィメタル (Heavy Metal) の歴史において、スレイヤー (SLAYER / スレイヤー) ほど「攻撃性」と「妥協なき姿勢」を体現したバンドは存在しない。1981年にアメリカ合衆国カリフォルニア州ハンティントン・パーク (Huntington Park, California)で結成されたこのバンドは、単に速い音楽を演奏する集団ではなく、音楽表現におけるタブーの境界線を破壊し、後続のエクストリーム・メタル (Extreme Metal) の在り方を決定づけた文化的触媒であった。

SLAYERは、メタリカ (Metallica)、メガデス (Megadeth)、アンスラックス(Anthrax)と共に「スラッシュメタル・ビッグ4 (The Big Four)」の一角を成す。しかし、商業的な成功や大衆性を一部取り入れた他バンドとは異なり、スレイヤーはそのキャリアを通じて、死、戦争、宗教批判、連続殺人、ナチズム、地獄といった暗黒のテーマを、一貫して高速かつ重厚なサウンドで描き続けた。特に1986年のアルバム『Reign in Blood (レイン・イン・ブラッド)』は、デスメタル(Death Metal) の誕生に直接的な影響を与えた金字塔として、音楽史にその名を刻んでいる。

2. 結成と黎明期: ハンティントン・パークの衝動 (1981-1983)

2.1 メンバーの邂逅と初期の編成

スレイヤーの歴史は、ロサンゼルス郡南東部の労働者階級の街、ハンティントン・パーク (Huntington Park)で幕を開けた。ギタリストのケリー・キング (Kerry King)は、バンドオーディションの場でジェフ・ハンネマン (Jeff Hanneman)と出会った。当時、彼らはアイアン・メイデン (Iron Maiden) やジューダス・プリースト (Judas Priest) といったNWOBHM (New Wave of British Heavy Metal) のバンドや、ヴェノム(Venom) のようなサタニックなバンドに影響を受けていた。

キングは、以前 「Quits」 というバンドで共にプレイした経験のあるチリ (Chile) 出身のベーシスト兼ボーカリスト、トム・アラヤ (Tom Araya) に声をかけた。アラヤは当時、呼吸療法士(Respiratory Therapist) として働いており、その収入が初期のバンド活動資金、特にデビューアルバムの制作費を支える重要な基盤となった。ドラマーには、ピザ配達員をしていたデイヴ・ロンバード (Dave Lombardo)が加わり、スレイヤーの「クラシック・ラインナップ」が完成した。

2.2 アンダーグラウンドでの活動とスタイル確立

結成当初、バンドは南カリフォルニア (Southern California) のクラブサーキットで、アイアン・メイデンやジューダス・プリーストのカバー曲を中心に演奏していた。彼らのスタイルは徐々に、より速く、より攻撃的なものへと変化していった。これは、当時勃興しつつあったハードコア・パンク (Hardcore Punk) のスピード感と、ヘヴィメタルの技巧的なリフを融合させようとする試みであった。

1983年、バンドはウッドランド・ヒルズ (Woodland Hills) のウッドストック・シアター (Woodstock Theater) で演奏していた際、メタル・ブレイド・レコーズ (Metal Blade Records)の創設者であるブライアン・スラゲル (Brian Slagel)に見出された。スラゲルはSLAYERのパフォーマンスに感銘を受け、同レーベルのコンピレーション・アルバム『Metal Massacre III』 への楽曲提供を打診した。バンドはこれに応じ、「Aggressive Perfector (アグレッシブ・パーフェクター)」を提供。この楽曲がアンダーグラウンド・シーンで注目を集め、メタル・ブレイドとのレコーディング契約へと繋がった。

3. メタル・ブレイド時代: 速さと邪悪さの追求 (1983-1985)

3.1 『Show No Mercy』: デビューの衝撃

1983年12月3日、デビュー・アルバム 『Show No Mercy (ショウ・ノー・マーシー)』がリリースされた。このアルバムは、トム・アラヤの私財とケリー・キングの父親からの借入金によって制作された。

音楽的には、まだNWOBHMの影響、特にアイアン・メイデンのようなツイン・ギターのハーモニーが色濃く残っていたが、そのスピードとサタニックな歌詞は異質であった。「The Antichrist」 や 「Die by the Sword」、「Black Magic」といった楽曲は、後のスレイヤーのスタイルの萌芽が見られるものの、ボーカルスタイルにはハイトーンの叫びが含まれるなど、初期特有の粗削りな魅力に満ちていた。このアルバムは、アメリカ国内でのチャートには入らなかったものの、アンダーグラウンド・メタル・シーンでカルト的な人気を獲得し、バンドは初の全米クラブ・ツアーへと出発した。

3.2 『Haunting the Chapel』とスタイルの進化

1984年6月、EP 『Haunting the Chapel (ホーンティング・ザ・チャペル)』がリリースされた。わずか3曲(再発盤では4曲)の収録であったが、この作品はバンドの進化における重要な转換点となった。特に「Chemical Warfare (ケミカル・ウォーフェア)」は、ライブでの定番曲となり、よりダークで、よりスラッシュメタルらしい攻撃的なリフ構成が確立された。このEPは、デビュー作の伝統的なヘヴィメタル・スタイルから、次作『Hell Awaits』の複雑かつ邪悪なスタイルへの架け橋となった。

3.3 『Hell Awaits』: プログレッシブ・スラッシュの完成

1985年4月にリリースされたセカンド・アルバム 『Hell Awaits (ヘル・アウェイツ)』は、スレイヤーのディスコグラフィの中で最も「プログレッシブ」で「邪悪」な作品と評されることが多い。

タイトルトラック 「Hell Awaits」は、逆再生された 「Join Us (我らに加われ)」 という悪魔的な声のイントロダクションで始まり、地獄への降下を音で表現したような重苦しい雰囲気を漂わせていた。楽曲は長尺化し、リフの構造は複雑さを増した。歌詞のテーマも、より直接的なサタニズムや地獄の描写へと深化し、バンドの「悪」のイメージを決定づけた。このアルバムの成功により、バンドはメジャー・レーベルからの注目を集めることとなる。

4. デフ・ジャム時代とスラッシュの頂点 (1986-1987)

4.1 リック・ルービンとの出会い

『Hell Awaits』の成功後、バンドはヒップホップ・レーベルとして知られていたデフ・ジャム・レコーディングス (Def Jam Recordings)のプロデューサー、リック・ルービン (Rick Rubin) と契約を結んだ。これは当時としては異例の組み合わせであったが、ルービンはスレイヤーの音楽に潜むポテンシャルを見抜き、SLAYERに全く新しいプロダクション・アプローチを提案した。

4.2 『Reign in Blood』: 29分間の暴力

1986年10月7日(一部資料では20日)、サード・アルバム 『Reign in Blood (レイン・イン・ブラッド)』がリリースされた。このアルバムは、ヘヴィメタルの歴史を変えた作品として広く認識されている。

リック・ルービンは、それまでのメタルの常識であった「深いリバーブ (残響音)」を極力排除し、ドラムとギターを極めてドライでタイトな音質で録音した。これにより、バンドの驚異的な演奏スピードと正確さが際立ち、アルバム全体が「一つの巨大な塊」のように聴こえる効果を生んだ。全10曲で29分弱という短さは、パンク・ロックにも通じる潔さと衝撃をリスナーに与えた。

楽曲分析と論争
  • Angel of Death (エンジェル・オブ・デス): オープニングを飾るこの曲は、アウシュヴィッツ強制収容所(Auschwitz concentration camp) の医師ヨーゼフ・メンゲレ (Josef Mengele) による人体実験を詳細に描写したものである。ジェフ・ハンネマンが作詞したこの曲は、「ナチズムを賛美しているのではないか」という激しい批判を招いた。バンド側は「ドキュメンタリーのように事実を描写しただけであり、賛美ではない」と反論したが、この論争によりデフ・ジャムの配給元であるコロムビア・レコード (Columbia Records) が販売を拒否し、ゲフィン・レコード (Geffen Records) から配給される事態となった。
  • Raining Blood (レイニング・ブラッド): アルバムの最後を飾るこの曲は、雷鳴のSEと不穏なリフで始まり、血の雨が降る情景を描く。スレイヤーのライブにおいてクライマックスを飾る最も重要な楽曲の一つである。

4.3 デイヴ・ロンバードの脱退と復帰

『Reign in Blood』 に伴うツアー 「Reign in Pain」の最中、ドラマーのデイヴ・ロンバードがバンドを離脱した。理由は「経済的な懸念(稼ぎが十分に得られない)」と述べられている。ツアーの残り期間は、ウィップラッシュ (Whiplash) のトニー・スカリオーネ (Tony Scaglione)が代役を務めた。しかし、リック・ルービンの説得もあり、ロンバードは1987年にバンドに復帰した。

5. 減速と深化: テンポの変化と実験 (1988-1993)

5.1 『South of Heaven』: 意図的な減速

『Reign in Blood』でスピードの限界に達したと感じたバンドは、次作で意図的に異なるアプローチを取った。1988年リリースの『South of Heaven (サウス・オブ・ヘヴン)』は、テンポを落とし、より不気味なメロディやトム・アラヤの歌唱 (叫びだけでなく、歌うスタイル)を取り入れた。

ジェフ・ハンネマンとケリー・キングは、「同じことを繰り返しても『Reign in Blood』を超えることはできない」と考え、ドゥーム・メタル (Doom Metal) 的な重さを追求した。当初、ファンからは「遅すぎる」という批判もあったが、タイトルトラック 「South of Heaven」や「Mandatory Suicide」、「War Ensemble」(※これは次作だが、この時期のライブで重要な位置を占めるようになる)などは、バンドのセットリストに不可欠なアンセムとなった。

5.2 『Seasons in the Abyss』: スタイルの融合

1990年10月9日、アルバム『Seasons in the Abyss (シーズンズ・イン・ジ・アビス)』がリリースされた。この作品は、『Reign in Blood』のスピードと 『South of Heaven』のメロディックなヘヴィネスを完璧に融合させた傑作と評される。

「War Ensemble (ウォー・アンサンブル)」の猛烈なスピードから、「Dead Skin Mask (デッド・スキン・マスク)」の不気味なグルーヴ、そしてタイトルトラック 「Seasons in the Abyss」の壮大な展開まで、バンドの持つ全ての要素が凝縮されていた。

5.3 「Clash of the Titans」 とロンバードの再脱退

1990年から1991年にかけて、スレイヤーはメガデス、アンスラックス、アリス・イン・チェインズ (Alice in Chains) と共に伝説的なツアー 「Clash of the Titans (クラッシュ・オブ・ザ・タイタンズ)」を行った。このツアーはスラッシュメタルの全盛期を象徴するイベントとなった。

しかし1992年、デイヴ・ロンバードが再びバンドを脱退する。今回は、第一子の誕生に際してツアーを休みたいという要望がバンド側と対立したことが原因とされている。ロンバードの脱退はバンドにとって大きな損失であり、後任ドラマーの選定が急務となった。

6. ポール・ボスタフの加入と90年代の混沌(1994-2001)

6.1 ポール・ボスタフの加入と『Divine Intervention』

バンドは、フォビドゥン (Forbidden) のドラマーであったポール・ボスタフ (Paul Bostaph)を新メンバーに迎えた。ボスタフのドラミングは, ロンバードのグルーヴとは異なり、極めてテクニカルで正確無比なスタイルであった。

1994年9月27日、ボスタフ加入後初のアルバム 『Divine Intervention (ディヴァイン・インターヴェンション)』 がリリースされた。このアルバムは、ビルボード・チャートで初登場8位を記録し、当時のバンドにとって最高のチャート順位となった。楽曲「Dittohead (ディットーヘッド)」や「Killing Fields (キリング・フィールズ)」に見られるように、スピードと攻撃性は維持されていたが、プロダクション (音質) に関しては「音が分離しすぎている」「迫力に欠ける」といった批判も一部で見られた。

6.2 パンク・カバーと 『Undisputed Attitude』

1996年5月28日、バンドは自らのルーツであるハードコア・パンクへの敬意を表したカバー・アルバム『Undisputed Attitude (アンディスピューテッド・アティテュード)』をリリースした。マイナー・スレット (Minor Threat) やT.S.O.L.などの楽曲をスレイヤー流にアレンジしたこの作品には、ジェフ・ハンネマンがかつて在籍したパンク・プロジェクト「Pap Smear」の楽曲や、新曲「Gemini (ジェミニ)」も収録された。

この時期、ポール・ボスタフが自身のプロジェクトに専念するため一時離脱し、テスタメント (Testament) のジョン・デッテ (Jon Dette) が1996年から1997年にかけてドラムを担当したが、その後ボスタフが復帰している。

6.3 実験作『Diabolus in Musica』

1998年6月9日、アルバム『Diabolus in Musica (ディアボラス・イン・ムジカ)』がリリースされた。ラテン語で「音楽の中の悪魔 (不協和音)」を意味するこのタイトルを冠した本作は、ファンや批評家の間で賛否が分かれた作品である。

ジェフ・ハンネマン主導で制作されたこのアルバムは、ギターのチューニングを大幅に下げ(Drop C#)、当時隆盛を極めていたニュー・メタル (Nu Metal) やグルーヴ・メタル(Groove Metal) の要素を取り入れた。「Stain of Mind」などの楽曲は、従来のスラッシュメタルとは異なるリズムアプローチを見せたが、一部の保守的なファンからは「スレイヤーらしくない」と敬遠された。

7. 新世紀の怒りとオリジナル・ラインナップの復活 (2001-2010)

7.1 『God Hates Us All』 と9.11

2001年9月11日、アルバム『God Hates Us All (ゴッド・ヘイツ・アス・オール)』がリリースされた。皮肉にもアメリカ同時多発テロ事件の当日に発売されたこのアルバムは、「神は我々すべてを憎んでいる」という挑発的なタイトルと、極限まで高められた攻撃性で衝撃を与えた。

ケリー・キングが多くの歌詞を手掛けた本作は、宗教、復讐、自己制御の喪失といったテーマを扱い、「Disciple (ディサイプル)」 はグラミー賞ベスト・メタル・パフォーマンス部門にノミネートされた。サウンドはよりモダンでヘヴィになり、トム・アラヤのボーカルも叫びの要素を強めた。

7.2 ロンバードの帰還と 『Christ Illusion』

『God Hates Us All』 リリース直後、ポール・ボスタフが慢性的な肘の怪我を理由にバンドを脱退した。バンドはツアーを継続するため、オリジナル・ドラマーのデイヴ・ロンバードに声をかけ、彼はこれを受諾した。当初は一時的な復帰と思われたが、そのまま正式メンバーとして定着した。

2006年8月8日、オリジナル・ラインナップによる16年ぶりのアルバム 『Christ Illusion (クライスト・イリュージョン)』がリリースされた。このアルバムは、初期の獰猛なスラッシュ・スタイルへの回帰を示し、「Eyes of the Insane (アイズ・オブ・ジ・インセイン)」と「Final Six (ファイナル・シックス)」で2年連続グラミー賞を受賞するという快挙を成し遂げた。特に「Jihad (ジハード)」は、9.11テロを実行したテロリストの視点から描かれた歌詞であり、再び論争を巻き起こしたが、楽曲のクオリティは高く評価された。

7.3 『World Painted Blood』と「ビッグ4」共演

2009年、アルバム 『World Painted Blood (ワールド・ペインテッド・ブラッド)』をリリース。ジェフ・ハンネマンの作曲能力が遺憾なく発揮された本作は、『Reign in Blood』と『South of Heaven』の要素を併せ持つ作品と評された。「Psychopathy Red (サイコパス・レッド)」は、ソ連の連続殺人鬼アンドレイ・チカチーロを題材にしている。

2010年6月22日、ブルガリアのソフィア (Sofia, Bulgaria) で開催された 「Sonisphere Festival」において、メタリカ、スレイヤー、メガデス、アンスラックスの「ビッグ4」が初めて同じステージに立った。アンコールでは、各バンドのメンバー (スレイヤーからはデイヴ・ロンバードのみ参加)がステージに上がり、ダイアモンド・ヘッド (Diamond Head)の曲「Am I Evil?」 をセッションした。これはスラッシュメタルの歴史的瞬間として記録されている。

8. 喪失と終焉: ハンネマンの死とファイナル・ツアー (2011-2019)

8.1 ジェフ・ハンネマンの闘病と死

2011年初頭、ジェフ・ハンネマンが毒蜘蛛に腕を噛まれ、壊死性筋膜炎(necrotizing fasciitis)を発症するという悲劇が起きた。彼は緊急手術を受け、腕の切断こそ免れたものの、演奏活動からの長期離脱を余儀なくされた。バンドは代役として、エクソダス(Exodus)のギタリスト、ゲイリー・ホルト (Gary Holt)をツアー・メンバーに迎えた。また、ホルトが自身のバンド活動で参加できない期間は、カンニバル・コープスのパット・オブライエン (Pat O'Brien) が代役を務めた。

リハビリを続けていたハンネマンであったが、2013年5月2日、南カリフォルニアの病院で肝不全(liver failure) により死去した。享年49歳。死因は当初の蜘蛛の咬傷に関連するものと思われたが、最終的にはアルコール性肝硬変(alcohol-related cirrhosis) によるものと発表された。スレイヤーのサウンドの核を担っていた主要ソングライターの死は、バンドとファンに深い悲しみをもたらした。

8.2 ロンバードの解雇とボスタフの復帰

ハンネマンの死と前後して、バンド内にはもう一つの亀裂が生じていた。2013年2月、オーストラリアのツアー直前に、デイヴ・ロンバードがバンドの財務状況 (ツアー収益の配分など)に関する不透明さを指摘し、契約交渉が決裂したため解雇された。バンドは急遽、ジョン・デッテを代役に立て、その後ポール・ボスタフを正式メンバーとして呼び戻した。

8.3 『Repentless』 と最後の活動

2015年9月11日、ハンネマン亡き後初となるアルバム 『Repentless (リペントレス)』がリリースされた。タイトル曲はハンネマンへの追悼の意も込められており、ゲイリー・ホルトはギターソロのみで参加し、作曲はすべてケリー・キングが担当した (1曲のみハンネマンの遺作「Piano Wire」が含まれる)。

2018年1月、バンドは「ファイナル・ワールド・ツアー (The Final World Tour)」を行い、活動を終了することを発表した。この決断の背景には、トム・アラヤが長年のヘッドバンギングによる首の手術を経て、ツアー生活に肉体的な限界を感じていたことや、家族との時間を大切にしたいという意向があったとされる。

ツアーは2018年5月から2019年11月まで続き、世界各地でソールドアウトを記録した。2019年11月30日、ロサンゼルスのザ・フォーラム (The Forum) での公演をもって、スレイヤーは38年間の歴史に幕を下ろした。

9. 再結成と現在(2024)

9.1 予期せぬ復活

解散から約5年が経過した2024年2月、スレイヤーは突如として再結成を発表した。ラインナップは解散時と同じく、トム・アラヤ、ケリー・キング、ゲイリー・ホルト、ポール・ボスタフの4人である。

この発表は、ケリー・キングが自身のソロプロジェクト 「Kerry King」を始動させ、「スレイヤーの再結成はあり得ない」とインタビューで語った直後のことであり、多くのファンとメディアを驚かせた。キング自身も、再結成のオファーがこのタイミングで実現することに驚きを隠さなかったが、あくまで「記念的なショー」であり、ツアーの再開や新作のレコーディングを意味するものではないと強調している。

9.2 フェスティバルでのパフォーマンス

再結成後の初ステージは、2024年9月22日のシカゴ 「Riot Fest (ライオット・フェスト)」であった。続いて10月10日にはサクラメントの「Aftershock (アフターショック)」に出演した(当初予定されていたケンタッキーの 「Louder Than Life」 は悪天候により出演キャンセルとなった)。セットリストには「South of Heaven」 「Raining Blood」 「Angel of Death」といった代表曲に加え、『Repentless』 からの楽曲も含まれ、ブランクを感じさせない圧巻のパフォーマンスを披露した。

10. ディスコグラフィ (Discography)

スレイヤーのスタジオ・アルバムおよび主要作品を以下の表にまとめる。

10.1 スタジオ・アルバム (Studio Albums)

発売日 (Release Date) タイトル (Title / Katakana) レーベル (Label) 概要と主な収録曲 (Key Details & Tracks)
1983-12-03 Show No Mercy
(ショウ・ノー・マーシー)
Metal Blade 概要: デビュー作。NWOBHMと初期ブラックメタルの影響が色濃い。
収録曲: The Antichrist, Die by the Sword, Black Magic
備考: アラヤの貯金で制作費を賄った。
1985-04-08 Hell Awaits
(ヘル・アウェイツ)
Metal Blade 概要: 長尺で複雑な構成。地獄のようなリバーブ感。
収録曲: Hell Awaits, At Dawn They Sleep, Necrophiliac
備考: プログレッシブ・スラッシュの傑作。
1986-10-07 Reign in Blood
(レイン・イン・ブラッド)
Def Jam 概要: リック・ルービン初プロデュース。スピードと攻撃性の頂点。
収録曲: Angel of Death, Raining Blood, Postmortem
備考: 29分弱の収録時間。ゴールドディスク獲得。
1988-07-05 South of Heaven
(サウス・オブ・ヘヴン)
Def Jam 概要: テンポを落とし、メロディと重さを重視。
収録曲: South of Heaven, Mandatory Suicide, Spill the Blood
備考: スピード競争からの離脱を図った意欲作。
1990-10-09 Seasons in the Abyss
(シーズンズ・イン・ジ・アビス)
Def American 概要: 初期のスピードと前作の重厚さを融合。
収録曲: War Ensemble, Dead Skin Mask, Seasons in the Abyss
備考: ロンバード脱退前最後のスタジオ盤。
1994-09-27 Divine Intervention
(ディヴァイン・インターヴェンション)
American 概要: ボスタフ初参加。ドライで分離の良い音像。
収録曲: Divine Intervention, Dittohead, 213
備考: ビルボード初登場8位。
1996-05-28 Undisputed Attitude
(アンディスピューテッド・アティテュード)
American 概要: ハードコア・パンクのカバー・アルバム。
収録曲: Disintegration/Free Money, Gemini (オリジナル)
備考: ルーツ回帰作。
1998-06-09 Diabolus in Musica
(ディアボラス・イン・ムジカ)
American 概要: Drop C#チューニング導入。モダン・ヘヴィネス。
収録曲: Stain of Mind, Bitter Peace, Death's Head
備考: 最も実験的で賛否両論ある作品。
2001-09-11 God Hates Us All
(ゴッド・ヘイツ・アス・オール)
American 概要: 9.11当日発売。極限の怒りと重低音。
収録曲: Disciple, God Send Death, Bloodline
備考: グラミー賞ノミネート。
2006-08-08 Christ Illusion
(クライスト・イリュージョン)
American 概要: ロンバード復帰作。初期衝動の復活。
収録曲: Cult, Jihad, Eyes of the Insane
備考: グラミー賞受賞作収録。
2009-11-03 World Painted Blood
(ワールド・ペインテッド・ブラッド)
American 概要: ハンネマン遺作。スタジオライブ的な生々しい音。
収録曲: World Painted Blood, Hate Worldwide, Psychopathy Red
備考: 最後のオリジナル・ラインナップ作。
2015-09-11 Repentless
(リペントレス)
Nuclear Blast 概要: ハンネマン死後初のアルバム。キング主導。
収録曲: Repentless, You Against You, Piano Wire
備考: ゲイリー・ホルト参加。

10.2 その他の重要作品 (Live Albums, EPs, Box Sets)

  • Haunting the Chapel (EP, 1984): スラッシュの進化を示す3曲入りEP。名曲「Chemical Warfare」収録。
  • Live Undead (Live, 1984): スタジオに観客を入れて録音されたとされる初期ライブ盤。
  • Decade of Aggression (Live, 1991): 結成10周年記念の2枚組ライブ盤。全盛期の凄まじい演奏を記録。
  • The Big Four: Live from Sofia, Bulgaria (Video/Live, 2010): メタリカらとの共演を収めた歴史的作品。
  • Soundtrack to the Apocalypse (Box Set, 2003): レア音源やデモを含む集大成ボックスセット。

11. メンバー詳細プロフィール (Member Profiles)

スレイヤーのメンバーは、それぞれの楽器において独自のスタイルを確立し、メタル界に多大な影響を与えた。

11.1 オリジナル・メンバー (Original Members)

Tom Araya (トム・アラヤ)
  • 担当: Vocals, Bass
  • 出身: チリ、ビニャ・デル・マール (Viña del Mar, Chile)
  • 生年月日: 1961年6月6日
  • 特徴: 元呼吸療法士。ステージ上では笑顔を見せる穏やかな性格だが、歌詞はシリアルキラーや死をテーマにした狂気的なものが多い。ベースプレイはピックを使用せず指弾きで行うこともあるが、主に高速なルート弾きでバンドのボトムを支える。ヘッドバンギングのしすぎで首を痛め、手術を受けたことが引退の大きな理由となった。
Kerry King (ケリー・キング)
  • 担当: Guitar
  • 出身: アメリカ、カリフォルニア州ロサンゼルス
  • 生年月日: 1964年6月3日
  • 特徴: スキンヘッドにトライバル・タトゥー、大量のスタッズ付きリストバンドがトレードマーク。B.C. Richの変形ギター (WarlockやV)を使用。カオティックで無秩序なギターソロ(アーミングの多用)と、リフ・メイキングにおける中心人物。バンドのビジネス面やスポークスマンとしての役割も担う。
Jeff Hanneman (ジェフ・ハンネマン)
  • 担当: Guitar
  • 在籍: 1981-2013 (2013年死去)
  • 特徴: 金髪のロングヘアー。ESPのギターを使用。ハードコア・パンクの愛好家であり、スレイヤーの音楽にパンクのスピードと攻撃性を持ち込んだ張本人。「Angel of Death」 「Raining Blood」 「War Ensemble」など、バンドの代表曲の多くを作曲した。
Dave Lombardo (デイヴ・ロンバード)
  • 担当: Drums
  • 在籍: 1981-1986, 1987-1992, 2001-2013
  • 出身: キューバ、ハバナ (Havana, Cuba)
  • 特徴: 「ゴッドファーザー・オブ・ダブルバス (Godfather of Double Bass)」と称される。圧倒的なスピードだけでなく、ラテン音楽の影響を受けたグルーヴ感のあるドラミングが特徴。彼の脱退と加入はバンドの音楽性に大きな変化をもたらした。

11.2 歴代・現メンバー (Current & Past Members)

Paul Bostaph (ポール・ボスタフ)
  • 担当: Drums
  • 在籍: 1992-2001, 2013-2019, 2024-
  • 特徴: 元フォビドゥン (Forbidden)。ロンバードの後任として加入し、『Divine Intervention』以降の90年代スレイヤーを支えた。ロンバードよりも機械的で正確無比なツーバス・ドラミングが特徴で、バンドにモダンなヘヴィネスをもたらした。
Gary Holt (ゲイリー・ホルト)
  • 担当: Guitar
  • 在籍: 2011-2019, 2024-
  • 特徴: エクソダス (Exodus) のリーダーであり、ベイエリア・スラッシュメタル (Bay Area Thrash Metal) の創始者の一人。ハンネマンの病気療養中に代役として参加し、死後正式メンバーとなった。自身のバンドではメインソングライターだが、スレイヤーでは作曲には関与せず (ソロパートのみ)、ハンネマンへの敬意を払いながら演奏に徹した。
Jon Dette (ジョン・デッテ)
  • 担当: Drums
  • 在籍: 1996-1997, 2013
  • 特徴: ボスタフの一時離脱時やロンバード解雇直後の緊急時にバンドを救ったドラマー。テスタメントなどでも活動。

12. 文化的影響と論争 (Cultural Impact & Controversies)

12.1 「SLAYER」という現象

スレイヤーのファンベースは極めて熱狂的であり、コンサート会場以外でも 「SLAYER!」と叫ぶ行為(通称: SLAYER call)は、メタル・コミュニティにおける一種の挨拶やミームと化している。SLAYERのロゴを身体に刻むファンも多く、バンドへの忠誠心は宗教的ですらある。

12.2 ナチズムと検閲

ジェフ・ハンネマンが収集していたナチスの勲章や、「Angel of Death」の歌詞、またファンクラブ名 「Slaytanic Wehrmacht (スレイタニック・ヴェーアマハト/悪魔の国防軍)」などは、常にネオナチ疑惑や批判の的となった。しかし、メンバー (特に有色人種であるアラヤやロンバード)はこれを強く否定し、あくまで「悪の歴史への興味」と「衝撃を与えるアート」としての表現であると主張し続けた。

12.3 スラッシュからデスメタルへ

SLAYERの音楽、特に『Reign in Blood』 における極端なスピードと、不穏な半音階のリフ、そして絶望的な歌詞世界は、後のデスメタル (Death Metal) バンド (カンニバル・コープス、モービッド・エンジェルなど)に直接的な青写真を提供した。スレイヤーがいなければ、エクストリーム・メタルの進化は数年遅れていたと言っても過言ではない。

13. Conclusion

スレイヤーは、音楽がいかにして「恐怖」や「怒り」を芸術的に昇華できるかを証明し続けたバンドである。SLAYERは商業的なトレンドに迎合することなく(『Diabolus in Musica』での実験はあったにせよ)、自らのスタイルを貫き通した。ジェフ・ハンネマンという偉大な才能を失った後も、SLAYERはその遺産を守り抜き、2019年に一度はその歴史を閉じた。

2024年の再結成は、SLAYERの音楽が持つエネルギーが時代を超越していることを改めて示した。スラッシュメタルの帝王として、スレイヤーの名は永遠に語り継がれるであろう。

Trivia

スレイヤーは2009年10月18日、幕張メッセで開かれた LOUD PARK 09 のトリを務めている。ケリー・キングによれば、直前がオーストラリア公演だったため時差ぼけが無く、前日の土曜日から会場に入ってジューダス・プリーストやアーチ・エネミーを客として観ていたという。本番の1曲目に彼らが選んだのは、まだ発売されていなかった新作の表題曲「World Painted Blood」だった。ほとんどの客が聴いたことのない曲で始めるのは賭けだったが、演奏中に客席を見渡すと巨大なピットができていて驚いた、というのがキングの弁である。

出典: 激ロック(ケリー・キング インタビュー)

スレイヤーが初めて人前で演奏したのは、1981年10月31日、カリフォルニア州サウス・ゲートのサウス・ゲート・パーク・オーディトリアムで開かれたバンド・コンテストである。入場料は1ドルだった。ジェフ・ハンネマンは後年、出番の前は死ぬほど緊張していたが、演奏が始まった途端に楽しくなったと振り返っている。自分は見せびらかすのが好きなのだと彼は言い、ステージに上がってしまえばあとは最高だったという。

出典: SLAYER 公式サイト(Slaytanic Verses アーカイブ)

2作目『Hell Awaits』は1985年4月にメタル・ブレイドから出ている。『Show No Mercy』の曲がほとんど4分未満だったのに対し、この作品は全7曲のうち3曲が6分を超える。ケリー・キングの説明では、当時の自分とハンネマンはまだ音楽家として自分たちが何者かを探っている最中で、二人ともマーシフル・フェイトの『Melissa』に入れ込んでいた。だから曲数が少なく、しかも1曲が長い。そしてこういうことは後にも先にもこの1回きりだった、と彼は述べている。

出典: Metal Blade Records(レーベル公式)

『Hell Awaits』のツアー初日は1985年3月15日、サウスカロライナ州コロンビアのストライダーズだった。この日スレイヤーは60分のセットを2回、19時30分と23時に演奏している。バンドが持ち帰った金額は520ドルで、そこからガソリン代、ハワード・ジョンソンのモーテル代、セブン-イレブンでの買い物、そして鏡の代金が差し引かれていく。この記録は当時のツアー・ノートに残っており、その日のセットリストは赤いインクで書かれていた。

出典: SLAYER 公式サイト(Slaytanic Verses アーカイブ)

イギリスでの初公演は1985年6月24日、ロンドンのマーキー・クラブだった。500人が入り、外に溢れた客が騒がしくなったため、店の従業員が一時は扉を鎖で閉ざし、中止も検討されたという。緊張が頂点に達したところで扉が開いた。前座はアトムクラフトで、機材の不調でセットを切り上げ、腹いせにバス・ドラムを客席へ転がしていった。スレイヤーはその日15曲を演奏している。

出典: SLAYER 公式サイト(Slaytanic Verses アーカイブ)

2015年の『Repentless』は、アメリカのビルボード200に4位で初登場し、初週で50,000ユニットを記録した。これはそれまで32年に及ぶ彼らのレコード歴の中で最も高い初登場順位であり、2006年の『Christ Illusion』の5位を上回っている。国別ではドイツと日本のインターナショナル・チャートで1位、オランダ2位、オーストラリア3位、ニュージーランド8位、イギリス11位、日本のチャートでも10位に入った。

出典: SLAYER 公式ニュース(Wayback Machine の保存版)

スレイヤーは1981年にロサンゼルスで結成された。ジェフ・ハンネマンとケリー・キングがギター、デイヴ・ロンバードがドラム、トム・アラヤがベースとヴォーカルという編成である。土台にあったのはブラック・サバス、ジューダス・プリースト、アイアン・メイデンといった正統的なメタルだった。ただしハンネマンはハードコア・パンクの聴き手でもあり、結果としてはそのことが、このバンドの進む方向を決定づけることになる。

出典: Louder / Classic Rock(Paul Elliott)

『Reign in Blood』の録音は1986年6月、ロサンゼルスのヒット・シティ・ウェスト・スタジオで始まった。プロデュースはリック・ルービン、エンジニアはアンディ・ウォレス。ルービンの方針は余計なものを削ぎ落としてライヴに近い状態を捉えることで、ギターにもヴォーカルにもリヴァーブをかけないという、当時のメタルの常識に真っ向から反する判断が下されている。セッションは夜10時か11時に始まって明け方まで続いた。ロンバードは、事前のリハーサルが行き届いていたためドラムは3〜4日で録り終えたと述べている。

異説あり出典: Louder / Metal Hammer(Dave Everley)

トリビアをすべて見る(全60件)

News

SATANIC PLANET、デイヴ・ロンバードら参加の新作『Dead Deities』を10月30日に発売

Relapse Recordsからのリリース。ルシアン・グリーヴス(サタニック・テンプル共同創設者)、ルーク・ヘンショウ、デイヴ・ロンバード(SLAYER、MISFITS、DEAD CROSS)、ジャスティン・ピアソン(THE LOCUST)の4人が、今回は全員がスタジオに揃って制作した。先行シングルは「Sam Alito's Mom」。

出典: Blabbermouth(2026年8月26日)

MVを再生

元SLAYERのデイヴ・ロンバード、タイラー・ベイツおよびGUNSHIPとの共作「Revolution.exe」を発表

8月21日にベイツの新レーベルGravel And Echo Recordingsから配信された。ミックスはロバート・カランザ、マスタリングはアビイ・ロード・スタジオのステファン・ブラウンが担当している。

出典: Blabbermouth(2026年8月21日)

MVを再生

DAVE LOMBARDO(元SLAYER)、LUSTMORDとの新プロジェクトLUSTMORD LOMBARDOを始動

デビュー・アルバム『The Pulse Of Atoms』(全7曲)を10月2日にIpecac Recordingsから発売。先行曲「Paleomagnetic Resonance」を8月11日に公開した。

出典: Blabbermouth(2026年8月12日)

MVを再生

ニュース一覧 →

Albums

Repentless CD
/

容赦ない刻み、荒々しいヴォーカル、冷たいリフを研ぎ澄まし、SLAYERのスラッシュ魂を現在形で刻む一作。

World Painted Blood CD
/

凶暴なスラッシュの速度感と不穏なリフで、SLAYERの本能を凝縮した後期の重要作。

Christ Illusion CD
/

鋭利なリフと容赦ない攻撃性を研ぎ澄まし、SLAYERがスラッシュ・メタルの緊張を再点火した第九作。

God Hates Us All CD
/

鋭く乾いたリフと苛烈なリズムで、SLAYERが短距離走のような暴力性を突き詰めた第9作。

Diabolus in Musica CD
/

重く沈むリフと硬質なグルーヴで、SLAYERが新たな角度から攻撃性を突き詰めた一作。

Undisputed Attitude CD
/

SLAYERを形作ったパンク/ハードコアの影響を、短く荒々しいカヴァー集としてむき出しにした7作目。

Divine Intervention CD
/

ポール・ボスタフ加入後初のスタジオ作で、SLAYERが無慈悲なスラッシュの切迫感を維持した第6作。

Seasons in the Abyss CD
/

無慈悲な疾走と不穏なミドル・テンポを統合し、SLAYERがスラッシュの暗黒性を深めた第五作。

South of Heaven CD
/

速度一辺倒ではない重いリズムと冷たい緊張で、SLAYERが新たな深度へ踏み込んだ第四作。

Reign in Blood CD
/

短く鋭い曲構成と極限まで研ぎ澄ました速度で、SLAYERの攻撃性を決定的に刻んだスラッシュ・メタルの金字塔。

Hell Awaits CD
/

不穏なリフと長尺の展開を深め、SLAYERが独自の極端なスラッシュ像を固めた第2作。

Show No Mercy CD
/

粗暴なスピードと邪悪な空気をむき出しにし、SLAYERが極端なスラッシュの原型を刻んだデビュー作。