DEF LEPPARD
デフ・レパード (DEF LEPPARD)は、1977年にイギリスのサウス・ヨークシャー (South Yorkshire) に位置する工業都市シェフィールド (Sheffield) で結成されたロックバンドである。
Biography
デフ・レパード (DEF LEPPARD)
歴史的軌跡、音楽的進化、ディスコグラフィー
1. シェフィールドからの胎動と世界的成功への道程
デフ・レパード (DEF LEPPARD)は、1977年にイギリスのサウス・ヨークシャー (South Yorkshire) に位置する工業都市シェフィールド (Sheffield) で結成されたロックバンドである。DEF LEPPARDは、1970年代後半に勃興した「ニュー・ウェイヴ・オブ・ブリティッシュ・ヘヴィ・メタル (New Wave of British Heavy Metal, NWOBHM)」の潮流の中から登場したが、その枠組みに留まることなく、緻密に計算されたソングライティングと革新的なプロダクション技術を駆使し、1980年代から現代に至るまで世界的なスタジアム・ロックのアイコンとして君臨し続けている。
2. バイオグラフィー: 栄光と苦難のクロニクル
2.1 黎明期: アトミック・マスからデフ・レパードへ (1977-1979)
アトミック・マス (Atomic Mass) の結成
物語は1977年、シェフィールドのタプトン・スクール (Tapton School) に通う3人の学生、リック・サヴェージ (Rick Savage, Bass)、ピート・ウィリス (Pete Willis, Guitar)、トニー・ケニング (Tony Kenning, Drums) によって結成されたバンド「アトミック・マス (Atomic Mass)」から始まる。彼らは当時、T・レックス (T. Rex) やデヴィッド・ボウイ (David Bowie)、シン・リジィ (Thin Lizzy) といったアーティストに影響を受けていた。
ジョー・エリオット (Joe Elliott) との出会いと改名
転機は、ピート・ウィリスがバスに乗り遅れ、歩いて帰宅していた際にジョー・エリオット (Joe Elliott) と偶然出会ったことから訪れた。当時18歳のエリオットは、自室で架空のバンドのレビューを書いたり、セットリストを考案したりするほどの熱狂的なロックファンであった。オーディションを経てボーカリストとして加入したエリオットは、彼が以前から温めていたバンド名「Deaf Leopard (耳の聞こえない豹)」を提案した。トニー・ケニングの提案により、当時流行していたパンク・ロックバンド (The Flying Lizardsなど)の綴りに倣い、よりインパクトのある 「DEF LEPPARD」へと改名された。
スティーヴ・クラーク (Steve Clark) の加入とツイン・ギター体制
バンドはサウンドに厚みを持たせるため、二人目のギタリストとしてスティーヴ・クラーク (Steve Clark) を迎え入れた。クラークはオーディションでレーナード・スキナード (Lynyrd Skynyrd) の名曲 「フリー・バード (Free Bird)」を完璧に演奏し、即座に採用が決まった。これにより、後にバンドの代名詞となる「ツイン・ギター」の基盤が完成した。クラークの加入により、バンドはリハーサルに没頭し、プロフェッショナルなバンドとしての自覚を高めていった。
デビューEPとリック・アレン (Rick Allen) の加入
1978年11月、レコーディング直前にドラマーのトニー・ケニングが脱退。バンドは急遽、フランク・ヌーン (Frank Noon) をセッション・ドラマーとして起用し、『The DEF LEPPARD E.P.』を制作した。その後、当時わずか15歳だったリック・アレン (Rick Allen) が正式なドラマーとして加入する。アレンの加入により、ジョー・エリオット、リック・サヴェージ、ピート・ウィリス、スティーヴ・クラーク、リック・アレンという、初期の黄金ラインナップが確立された。
2.2 NWOBHMの波とアメリカへの挑戦 (1980-1981)
『オン・スルー・ザ・ナイト (On Through the Night)』
1980年、バンドはファースト・アルバム『オン・スルー・ザ・ナイト (On Through the Night)』でメジャーデビューを果たした。このアルバムは全英チャートでトップ15入りし、アイアン・メイデン (Iron Maiden) やサクソン (Saxon) と共にNWOBHMの旗手として注目を集めた。しかし、「ハロー・アメリカ (Hello America)」 といった楽曲に見られるあからさまなアメリカ市場志向は、当時の英国音楽プレスの反発を招いた。レディング・フェスティバル (Reading Festival)では、観客から瓶や缶を投げつけられるという敵対的な反応にも直面したが、バンドはアメリカでの成功という明確なビジョンを持ち続けていた。
マット・ラング (Mutt Lange) との運命的な出会い
1981年、バンドはAC/DCのプロデューサーとして知られるロバート・ジョン・"マット・ラング (Robert John "Mutt" Lange) をプロデューサーに迎え、2作目『ハイ・アンド・ドライ (High 'n' Dry)』を制作した。ラングはバンドに対し、単なるハードロックバンドに留まらない、より洗練されたソングライティングと厳格な演奏技術を求めた。ラングの指導の下、楽曲は一度解体され、再構築された。その結果、「ブリンギン・オン・ザ・ハートブレイク (Bringin' On the Heartbreak)」のような、哀愁漂うメロディとハードなリフが融合した楽曲が誕生した。この曲のミュージックビデオは、開局間もないMTVで頻繁にオンエアされ、バンドのアメリカでの人気に火をつけるきっかけとなった。
2.3 『炎のターゲット』と世界的ブレイク (1982-1983)
フィル・コリン (Phil Collen) の加入
3作目のレコーディング中、ピート・ウィリスの過度の飲酒がスタジオワークに支障をきたすようになり、バンドは苦渋の決断として彼を解雇した。後任には、グラム・ロックバンド「ガール (Girl)」のギタリストであったフィル・コリン (Phil Collen) が抜擢された。コリンの流麗でテクニカルなプレイは、スティーヴ・クラークのリフ主体のスタイルと完璧な対比を見せ、バンドのサウンドをより重層的かつメロディアスなものへと進化させた。
『炎のターゲット (Pyromania)』の衝撃
1983年にリリースされた『炎のターゲット (Pyromania)』は、ハードロックにシンセサイザーや重厚なコーラスワークを大胆に導入した革新的なアルバムであった。「フォトグラフ (Photograph)」、「ロック・オブ・エイジ (Rock of Ages)」、「フーリン (Foolin')」 といったヒットシングルを連発し、アルバムは全米チャートでマイケル・ジャクソン (Michael Jackson)の『スリラー (Thriller)』に次ぐ2位を記録。アメリカ国内だけで1,000万枚(ダイヤモンド・ディスク) 以上のセールスを記録し、デフ・レパードはスタジアム級のスーパーバンドへと変貌を遂げた。
2.4 リック・アレンの事故と「サンダー・ゴッド」の復活 (1984-1986)
悲劇の交通事故
世界的な成功の絶頂にあった1984年12月31日の大晦日、バンドを悲劇が襲った。シェフィールド近郊のA57道路で、リック・アレンが運転するコルベットが壁に衝突し横転。アレンは車外に放り出され、左腕を肩から切断する重傷を負った。医師団による接合手術も試みられたが、感染症のため最終的に左腕を切断せざるを得なくなった。
不屈の闘志とバンドの絆
ドラマーにとって致命的とも言える左腕の喪失に対し、バンドメンバーとマット・ラングは「リックが復帰するまでバンドは活動しない」と断言し、代役を立てることを拒否した。アレンはこの信頼に応えるべく、入院中から左足でスネアドラムの音をトリガーする練習を開始した。彼はシモンズ (Simmons) 社の協力のもと、左腕の役割を左足のペダル操作で補う特注のエレクトロニック・ドラムキットを開発した。
モンスターズ・オブ・ロックでの帰還
約1年半のリハビリと練習を経て、アレンは1986年のドニントン・パーク (Donington Park)で開催された「モンスターズ・オブ・ロック (Monsters of Rock)」 フェスティバルで奇跡的なステージ復帰を果たした。数万人の観衆が彼に送った割れんばかりの歓声と拍手は、ロック史における最も感動的な瞬間の一つとして語り継がれている。この復活劇により、アレンは「サンダー・ゴッド (The Thunder God)」の異名で呼ばれるようになった。
2.5 『ヒステリア』: 完璧主義の極致 (1987-1989)
困難を極めた制作過程
アレンの事故に加え、マット・ラングの過労による一時離脱、レコーディングのやり直しなど、4作目の制作は困難を極め、実に4年の歳月と莫大な予算が費やされた。しかし、バンドとラングは「全ての曲がシングルカットできるアルバム (ロック版『スリラー』)」を目指し、妥協なき制作を続けた。
歴史的成功
1987年にリリースされた『ヒステリア (Hysteria)』は、その狙い通り、全12曲中7曲がシングルカットされ、すべてがヒットするという快挙を成し遂げた。「アニマル (Animal)」、「ラヴ・バイツ (Love Bites)」(全米1位)、「アーマゲドン・イット (Armageddon It)」、抵抗不能なアンセムとなった「シュガー・オン・ミー (Pour Some Sugar on Me)」 などがチャートを席巻した。アルバムは米英を含む世界各国で1位を獲得し、全世界で2,500万枚以上を売り上げ、『炎のターゲット』に続く2枚目のダイヤモンド・ディスクとなった。
2.6 スティーヴ・クラークの死と4人での再生 (1990-1992)
「リフマスター」の喪失
『ヒステリア』ツアーの成功後、バンドは次のアルバム制作に着手したが、ギタリストのスティーヴ・クラークのアルコール依存症が悪化していた。彼は「リフマスター」と呼ばれ、バンドの楽曲の核となるリフを生み出す天才的な才能を持っていたが、成功のプレッシャーと内向的な性格の葛藤から逃れるために酒に溺れていた。バンドは彼に休養を与え治療を促したが、その願いは届かなかった。1991年1月8日、スティーヴ・クラークはロンドンの自宅で遺体となって発見された。死因は鎮痛剤、抗うつ剤、アルコールの併用による呼吸不全(検視報告では脳浮腫とも記載)であった。享年30歳。
『アドレナライズ (Adrenalize)』 とヴィヴィアン・キャンベルの加入
深い悲しみの中、フィル・コリンはバンド脱退も考えたが、ジョー・エリオットの「スティーヴはバンドの解散を望まない」という説得により、残された4人でアルバムを完成させることを決意した。1992年にリリースされた『アドレナライズ (Adrenalize)』は亡きクラークに捧げられ、再び全米・全英1位を獲得した。ツアーに際して、バンドはディオ (Dio) やホワイトスネイク (Whitesnake) での活動で知られるヴィヴィアン・キャンベル (Vivian Campbell) を新ギタリストとして迎えた。キャンベルは1992年4月のフレディ・マーキュリー追悼コンサート (The Freddie Mercury Tribute Concert) でデビューを飾り、以降30年以上にわたり不動のメンバーとしてバンドを支えている。
2.7 模索と進化: 90年代から2000年代(1993-2010)
時代の変化への対応
1990年代半ば、グランジやオルタナティブ・ロックの台頭により、80年代スタイルのハードロックは逆風にさらされた。バンドはこの変化に対応すべく、1996年に『スラング (Slang)』をリリース。これまでの過剰なプロダクションを排し、より有機的でダークなサウンドを追求した。賛否両論となり商業的に苦戦した。その後、1999年の『ユーフォリア (Euphoria)』では往年のデフ・レパード・サウンドに回帰し、2002年の『X』ではモダンなポップ・サウンドに接近するなど、バンドは常に時代との接点を模索し続けた。2008年の『ソングス・フロム・ザ・スパークル・ラウンジ (Songs from the Sparkle Lounge)』では、ティム・マッグロウ (Tim McGraw) とのコラボレーションも果たした。
2.8 レジェンドとしての確立と現在 (2011-2025)
ロックの殿堂入りとリバイバル
2010年代以降、バンドはライブ活動を主軸に据え、ラスベガスでのレジデンシー公演などを成功させた。2019年にはロックの殿堂 (Rock and Roll Hall of Fame) 入りを果たし、クイーン (Queen) のブライアン・メイ (Brian May) がプレゼンターを務めた。授賞式でエリオットは、血の繋がりはないが兄弟以上の絆で結ばれたメンバーへの感謝を述べた。
創造性の継続: 『ダイアモンド・スター・ヘイロス』から『ジャスト・ライク・73』へ
2022年、パンデミック中にリモートで制作されたアルバム『ダイアモンド・スター・ヘイロス (Diamond Star Halos)』をリリース。70年代グラム・ロックへの回帰を示したこの作品は高く評価された。2023年にはロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団 (Royal Philharmonic Orchestra)と共演した『ドラスティック・シンフォニーズ (Drastic Symphonies)』を発表。2024年6月には、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン (Rage Against the Machine) のトム・モレロ (Tom Morello) をフィーチャーしたシングル「ジャスト・ライク・73 (Just Like '73)」をリリース。そして2025年1月、映画『Bank of Dave 2: The Loan Ranger』とのタイアップで、ベン・E・キング (Ben E. King) の名曲「スタンド・バイ・ミー (Stand By Me)」のカバーを発表。この収益はロサンゼルス山火事の救済基金 「FireAid」へ全額寄付されることが発表された。
2024年から2025年にかけては、ジャーニー (Journey) やスティーヴ・ミラー・バンド (Steve Miller Band) と共に大規模なスタジアム・ツアーを展開しており、結成45年以上を経てもなお、現役のトップバンドとして走り続けている。
3. メンバー詳細プロフィール (Members Profile)
現メンバー (Current Members)
| 名前 (Name) | 担当 (Role) | 在籍期間 | 特記事項 |
|---|---|---|---|
| ジョー・エリオット (Joe Elliott) |
Lead Vocals Keyboards Guitar |
1977- 現在 |
シェフィールド出身。バンドの顔であり主要ソングライター。デヴィッド・ボウイやモット・ザ・フープル (Mott the Hoople) への深い造詣を持つ。 |
| リック・サヴェージ (Rick Savage) |
Bass Backing Vocals |
1977- 現在 |
創設メンバー(元Atomic Mass)。通称「サヴ (Sav)」。堅実なベースプレイと、重要なバッキング・ボーカルを担当。「Hysteria」 のリフ考案者。 |
| リック・アレン (Rick Allen) |
Drums Backing Vocals |
1978- 現在 |
通称「サンダー・ゴッド」。1984年の事故で左腕を失うも、特注キットで復帰。バンドの精神的支柱。 |
| フィル・コリン (Phil Collen) |
Guitar Backing Vocals |
1982- 現在 |
ロンドン出身。元ガール (Girl)。テクニカルなプレイと肉体美で知られる。ブルース・スプリングスティーンのような長時間のショウをこなす体力を維持。 |
| ヴィヴィアン・キャンベル (Vivian Campbell) |
Guitar Backing Vocals |
1992- 現在 |
北アイルランド出身。元ディオ (Dio)、ホワイトスネイク。スティーヴ・クラークの後任として加入。2013年よりホジキンリンパ腫と闘いながら活動中。 |
過去のメンバー (Former Members)
| 名前 (Name) | 担当 (Role) | 在籍期間 | 特記事項 |
|---|---|---|---|
| スティーヴ・クラーク (Steve Clark) |
Guitar | 1978-1991 | 通称「リフマスター」。バンドの黄金期サウンドを構築。1991年にアルコール関連の事故で死去。 |
| ピート・ウィリス (Pete Willis) |
Guitar | 1977-1982 | 創設メンバー。リズムギターの名手だったが、過度の飲酒により『炎のターゲット』制作中に解雇。 |
| トニー・ケニング (Tony Kenning) |
Drums | 1977-1978 | 創設メンバー。「DEF LEPPARD」への改名を提案した人物とされる。 |
4. 音楽的スタイルと制作技術の革新
デフ・レパードの音楽は、単なるハードロックにとどまらず、ポップスの親しみやすさとメタルの力強さを融合させた点に最大の特徴がある。これを実現した背景には、プロデューサーのマット・ラングによる革新的なスタジオ技術があった。
4.1 マット・ラング (Mutt Lange) の影響と「科学的」 プロダクション
1981年の『ハイ・アンド・ドライ』から始まったラングとのパートナーシップは、バンドのサウンドを劇的に変えた。ラングのアプローチは、以下のような特徴を持っていた。
- 楽曲の解体と再構築: バンドが持ち込んだデモテープは、ラングによって一度バラバラに解体された。ブリッジ (Bメロ) がサビに格上げされたり、全く別の曲のリフが移植されたりといったプロセスを経て、一瞬の隙もない構成へと練り上げられた。
- EQとパンニングによる空間設計: 『ヒステリア』において、エンジニアのマイク・シップリー (Mike Shipley) と共に、特定の周波数帯域を極端にカットまたはブーストするEQ処理を施した。これにより、ギターを何層に重ねても各トラックが団子状態にならず、すべての音がクリアに聞こえる「分離の良い」 ミックスを実現した。
- ボーカル・ハーモニーの多重録音: クイーン (Queen) の影響を受けた重厚なコーラスワークは、メンバー全員の声を何トラックも重ねることで作られた。時には、ラング自身もコーラスに参加し、あたかも大聖歌隊が歌っているかのような効果を生み出した。
4.2 リズムの革命
リック・アレンの事故は、逆説的にバンドのサウンドを進化させた。彼が使用するシモンズ (Simmons) 製のエレクトロニック・ドラムパッドとサンプリング音源は、完全に正確なタイミングと、人間離れした重低音を可能にした。これにより、ギターやボーカルが乗るための「隙間(スペース)」が生まれ、デフ・レパード独特の、機械的でありながらグルーヴィーなビートが完成した。『炎のターゲット』の時点で既に、フェアライトCMI (Fairlight CMI) などのサンプラーを駆使し、生ドラムの音を一度も使わずにドラムトラックを構築する実験が行われていたとも言われている。
5. ディスコグラフィー (Discography)
以下に、デフ・レパードの主要な作品を網羅する。日本盤の邦題や仕様についても、確認できる範囲で記載する。
5.1 スタジオ・アルバム (Studio Albums)
| 発売年 | タイトル (Title) | 日本盤邦題 (Japanese Title) | 全米 | 全英 | 概要・特記事項 |
|---|---|---|---|---|---|
| 1980 | On Through the Night | オン・スルー・ザ・ナイト | 51 | 15 | 若きNWOBHMの衝動。シングル「Wasted」収録。 |
| 1981 | High 'n' Dry | ハイ・アンド・ドライ | 38 | 26 | ラング初プロデュース。「Bringin' On the Heartbreak」収録。一部日本盤シングルで「お前にNO NO (No No No)」等の邦題あり。 |
| 1983 | Pyromania | 炎のターゲット | 2 | 18 | 世界的ブレイク作。「Photograph」収録。日本盤は『炎のターゲット』として著名。 |
| 1987 | Hysteria | ヒステリア | 1 | 1 | 7曲がシングルカットされた金字塔。「Pour Some Sugar on Me」収録。 |
| 1992 | Adrenalize | アドレナライズ | 1 | 1 | クラーク亡き後、4人で完成。「Let's Get Rocked」収録。 |
| 1993 | Retro Active | レトロ・アクティヴ | 9 | 6 | 未発表曲・B面曲集だがオリジナルアルバム扱い。「Two Steps Behind」収録。 |
| 1996 | Slang | スラング | 14 | 5 | オルタナティブへの接近。生々しいサウンドへの転換。 |
| 1999 | Euphoria | ユーフォリア | 11 | 11 | デフ・レパード・サウンドへの回帰。「Promises」収録。 |
| 2002 | X | X | 11 | 14 | ポップ・ソングライターとの共作を含む、メロディ重視の作品。 |
| 2006 | Yeah! | YEAH! ~イェーイ! | 16 | 52 | 敬愛する70年代ロックのカバーアルバム。日本盤帯付きが存在。 |
| 2008 | Songs from the Sparkle Lounge | ソングス・フロム・ザ・スパークル・ラウンジ | 5 | 10 | ライブ感を重視した作品。「Nine Lives (feat. Tim McGraw)」収録。 |
| 2015 | DEF LEPPARD | デフ・レパード | 10 | 11 | セルフタイトル。バンドのアイデンティティを再提示。 |
| 2022 | Diamond Star Halos | ダイアモンド・スター・ヘイロス | 10 | 5 | アリソン・クラウス (Alison Krauss) がゲスト参加。70年代回帰作。一部非公式メディアで誤って『荒野の呼び声』と紹介された例もあるが…、公式邦題はカタカナ表記が一般的。 |
| 2023 | Drastic Symphonies | ドラスティック・シンフォニーズ | 54 | 4 | ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団との共演によるセルフカバー・アルバム。 |
5.2 主要ライブ・アルバム (Live Albums)
- Mirror Ball: Live & More (2011) - 『ミラー・ボール』: 初の公式ライブ盤。新曲3曲収録。
- Viva! Hysteria (2013) - 『ビバ! ヒステリア』: ラスベガスでの『ヒステリア』完全再現ライブ。
- And There Will Be a Next Time... Live from Detroit (2017)
- London to Vegas (2020)
- One Night Only: Live at the Leadmill (2024): 2023年にシェフィールドの小さなクラブで行われたライブを収録。
5.3 コンピレーション・アルバム (Compilations)
- Vault: DEF LEPPARD Greatest Hits (1980-1995) (1995) - 『ヴォルト』: 世界的大ヒットとなったベスト盤。
- Rock of Ages: The Definitive Collection (2005) - 『ロック・オブ・エイジ』
- The Story So Far - The Best Of (2018) - 『ザ・ストーリー・ソー・ファー』
5.4 2024-2025年の最新リリース詳細
Just Like '73 (feat. Tom Morello)
2024年6月13日にデジタルリリースされたシングル。トム・モレロをゲストに迎え、70年代グラム・ロックのリズムを現代的に解釈した楽曲。
- 日本盤仕様: 2024年8月2日に日本限定でCDシングルが発売された (紙ジャケット仕様、SHM-CD等の可能性あり)。また、輸入盤として7インチ・カラーヴァイナルもリリースされた。
Stand By Me (Cover)
2025年1月31日にリリースされたデジタル・シングル。Netflix映画『Bank of Dave 2: The Loan Ranger』のサウンドトラックとして制作され、映画のエンドクレジット (パート2)で使用されている。
- 背景: 映画にはバンドメンバーも出演しており、劇中で主人公たちと共にカラオケを歌うシーンがある。
- チャリティ: 本楽曲の収益は全て、ロサンゼルス地域の山火事被害者支援団体「FireAid」へ寄付される。メンバーの多くが長年LAに居住しており、地域への恩返しとしての意味合いが強い。
6. 最新のツアー活動状況 (Touring Activity 2024-2025)
デフ・レパードは現在も「世界で最も稼ぐライブバンド」の一つである。
6.1 The Summer Stadium Tour 2024
ジャーニー (Journey)、スティーヴ・ミラー・バンド (Steve Miller Band)、ハート (Heart)、チープ・トリック (Cheap Trick) らと共に北米のスタジアムを巡る大規模ツアーを敢行。セットリストは『Pyromania』の40周年を記念した選曲や新曲 「Just Like '73」が含まれた。
6.2 2025年のツアースケジュール (2025 Tour Dates)
| 日程 (Date) | 都市 (City) | 会場 (Venue) | 共演・備考 |
|---|---|---|---|
| 2025年5月15日 | プエルトリコ (San Juan) | Coliseo de Puerto Rico | |
| 2025年5月17日 | オーシャン・シティ (Ocean City, MD) | Boardwalk Rock 2025 | フェスティバル出演 |
| 2025年6月19日 | ミルウォーキー (Milwaukee, WI) | Summerfest | フェスティバル出演 |
| 2025年6月23日 | ロジャース (Rogers, AR) | Walmart AMP | with Bret Michaels |
| 2025年7月 | カナダ各地 (Canada) | Ottawa Bluesfest, etc. | カナダツアー |
| 2025年8月 | 全米各地 (USA) | State Fairs, Amphitheaters | ミネソタ、イリノイ等の州フェア |
これらのツアーでは、リック・アレンが「サンダー・ゴッド」として紹介される前のプレショー動画の公開や、パイロマニア (放火魔)をテーマにした演出が継続されている。
7. デフ・レパードの不朽の遺産
デフ・レパードの物語は、単なるロックバンドのサクセスストーリーではない。それは、シェフィールドの労働者階級からの脱出を夢見た少年たちが、予期せぬ悲劇 (リック・アレンの事故、スティーヴ・クラークの死)に直面しながらも、兄弟のような結束力でそれを乗り越えてきた「人間ドラマ」である。
DEF LEPPARDが作り上げた音楽――『炎のターゲット』や『ヒステリア』に代表される、完璧に構築されたメロディとハーモニーは、30年以上を経た今も色褪せることなく、世代を超えて愛されている。
2025年の現在も、新曲「Stand By Me」を通じたチャリティ活動や、スタジアムを満員にするツアー活動を通じて、DEF LEPPARDは「生きる伝説」としての地位を更新し続けている。デフ・レパードは、常に「次」を見据えて走り続ける、真のロック・ジャイアントである。
Trivia
2011年11月の来日について、公式年表は日本での歓迎ぶりに触れている。『Mirror Ball』が日本のハード・ロック/ヘヴィ・メタル誌『BURRN!』のチャートで1位になっていたためで、バンドは大阪と東京で各1公演を行ったのち、12月の英国公演へ向かった。
日本のレーベルであるユニバーサル ミュージック ジャパンのバイオグラフィでは、いくつかの作品が邦題で呼ばれている。3作目『Pyromania』は『炎のターゲット』、2作目は『ハイ・アンド・ドライ』、2006年のカヴァー集『Yeah!』は『イエーイ!』である。
ユニバーサル ミュージック ジャパンのバイオグラフィによれば、バンドが初めて日本で演奏したのは『炎のターゲット(Pyromania)』発売後に組まれた1年間のワールド・ツアーの中でのことだった。同ツアーは1984年2月7日、バンコクで終わっている。
『Adrenalize』は全米チャートに初登場1位で入り、5週にわたって首位を保って600万枚を売った。公式年表はそれに続けて、日本とメキシコをはじめとする多くの国では、この作品がそれまでのデフ・レパード作品で最も売れた1枚になったと記している。
2015年のセルフタイトル作は10月30日に世界同時発売され、その直前まで行われていた全米アリーナ・ツアーでは新曲が一切演奏されなかった。11月の日本武道館公演を含むジャパン・ツアーが、収録曲がライヴで披露される世界で最初の場になっている。4年ぶりの来日だった。
2015年の<デフ・レパード・35周年ジャパンツアー>は、11月9日の日本武道館を皮切りに、10日オリックス劇場(大阪)、12日Zepp Nagoya、13日仙台サンプラザホールの4公演で行われた。招聘はウドー音楽事務所。ジョー・エリオットは事前のインタビューで、日本ではしばらく演奏していない曲も掘り出したいと語っていた。
ジョー・エリオットは2015年の来日を前に、日本のファンへ向けてバンドのライティング・エンジニアであるケンジの名を挙げている。世界一のライティング・エンジニアだと考えている、というのが彼の説明だった。
2018年、『Hysteria』を全曲再現するワールド・ツアーの日本公演が行われた。10月24日の日本武道館を皮切りに、26日に大阪、29日にZepp Nagoyaという日程である。同作の全曲再現は2013年のラスヴェガス公演(全11公演)で始まり、その模様は『ビバ!ヒステリア』として映像化されていた。
News
DEF LEPPARDのPhil Collen、次作アルバムは「2028年になるかもしれない」と語る
チリのRadio Futuroのインタビューで、次作は「'28年になるかもしれない」「準備ができたときに出来上がる」と述べた。前作『Diamond Star Halos』は2022年発売。
DEF LEPPARDのフィル・コリン、1980年代の成功は「おそらく99%くらい」プロデューサーMutt Langeによるものだったと語る
デトロイトのラジオ局WRIFのMeltdownによるインタビューでの発言。
DEF LEPPARDのヴィヴィアン・キャンベル、がんの「再発」を公表
エルサルバドルのラジオ局YSKLのインタビューで、2013年にホジキンリンパ腫と診断されたキャンベルが、ドナー移植が定着しなかったためがんが再発したと明かし、「管理するための治療を続けている」と語った。
DEF LEPPARDのJoe ElliottとPhil Collen、ドキュメンタリー『If These Walls Could Rock』に出演 — 配信開始
ロックのアイコンたちが定宿にしたホテル、サンセット・マーキスを軸に、語られてこなかったロックンロールの逸話をたどる作品。Apple TVとPrime Videoで配信中。
CROSSBONE SKULLY、DEF LEPPARDのPhil Collen参加の新曲「Thunder Love」を公開
プロデューサーにRobert John "Mutt" Langeを迎えた、earMUSICから発売予定の2ndアルバム『Condemned To Rock N' Roll』の先行第1弾。
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