THE CULT
英国ブラッドフォード (Bradford) の湿った石畳の街並みから出現し、世界の巨大スタジアムを揺るがす存在へと変貌を遂げたザ・カルト (THE CULT)は、ロック・ミュージックの歴史において極めて特異な位置を占めている。
Biography
ザ・カルト (THE CULT)
音楽的変遷、文化的影響、ディスコグラフィ
1. ポストパンクの黎明からアリーナ・ロックの頂点へ
英国ブラッドフォード (Bradford) の湿った石畳の街並みから出現し、世界の巨大スタジアムを揺るがす存在へと変貌を遂げたザ・カルト (THE CULT)は、ロック・ミュージックの歴史において極めて特異な位置を占めている。THE CULTは、1980年代初頭のポストパンク (Post-Punk) やゴシック・ロック (Gothic Rock) シーンの陰鬱な美学を出発点としながらも、レッド・ツェッペリン (Led Zeppelin) やAC/DCといったクラシック・ロックの肉体性を大胆に取り入れることで、ジャンルの境界線を軽々と越境した。
中心人物であるボーカリストのイアン・アストベリー (Ian Astbury) とギタリストのビリー・ダフィー (Billy Duffy)は、それぞれが異なる極を持つ磁石のように機能してきた。アストベリーがネイティブ・アメリカンの神秘主義やシャーマニズム、そして内省的な精神性を帯びた「陰」であるならば、ダフィーはギブソン・レスポール (Gibson Les Paul) やグレッチ・ホワイト・ファルコン (Gretsch White Falcon) を駆り、リフ主体のハードロックを体現する「陽」である。この二人の緊張関係と化学反応こそが、ザ・カルトのサウンドの核であり、THE CULTを単なるゴシック・バンドやヘヴィメタル・バンドの枠組みに留まらせなかった要因である。
2. 起源: サザン・デス・カルト (Southern Death Cult) の興亡 (1981-1983)
ザ・カルトの物語は、1981年のブラッドフォード (Bradford, West Yorkshire) に遡る。当時の英国はサッチャー政権下での社会的不安と、パンク・ムーブメントの余波が交錯する激動の時代であった。
2.1 結成とバンド名の由来
イアン・アストベリー (Ian Astbury)は、カナダでの居住経験を通じてネイティブ・アメリカン文化に深い感銘を受けていた。彼が結成したバンド「サザン・デス・カルト (Southern Death Cult)」という名は、アメリカ南東部のミシシッピ川流域にかつて存在した先住民族の宗教儀式、あるいはその部族自体を指す考古学用語に由来している。1540年に白人が足を踏み入れる以前に病によって滅びたとされるこの部族の「死」を中心とした宗教観 (Death-oriented religion)に、アストベリーは強いシンパシーを抱いていた。
当時のラインナップは以下の通りである:
- イアン・アストベリー (Ian Astbury): ボーカル
- デヴィッド・"バズ"・バロウズ (David "Buzz" Burrows): ギター
- バリー・ジェプソン (Barry Jepson): ベース
- ハック・クレシ (Haq Qureshi): ドラムス
2.2 活動の軌跡と音楽的特徴
サザン・デス・カルトの初ライブは、1981年10月29日、ブラッドフォードのクイーンズ・ホール (Queen's Hall) で行われた。彼らのサウンドは、鋭角的なギターワークとトライバル(部族的)なリズムセクション、そしてアストベリーの呪術的なボーカルが融合したものであり、当時のメディアからは「新しいセックス・ピストルズ (Sex Pistols)」と評されるほどの衝撃を与えた。
1982年、彼らはインディーズ・レーベルのシチュエーション・トゥー (Situation Two) と契約し、トリプルA面シングル 「Moya」 をリリースした。この楽曲で聴かれるアストベリーのインディアン・ウォー・クライ (雄叫び)は、バンドの独自性を決定づけるものであった。バンドはシアター・オブ・ヘイト (Theatre of Hate) やバウハウス (Bauhaus) のオープニング・アクトを務め、精力的にツアーを行った。
2.3 突然の解散とその後
しかし、急速な注目と過度なメディア露出は、若きバンドに亀裂を生じさせた。1983年2月26日、マンチェスターでのライブ終了後、アストベリーはバンドの解散を決断する。
解散後、他のメンバーの動向は以下の通りである:
- バリー・ジェプソン (Barry Jepson) とデヴィッド・バロウズ (David Burrows) は、後に「Into a Circle」を結成。ジェプソンはその後、コンサートプロモーターを経て、現在はBIMM (British and Irish Modern Music Institute) でライブサウンドとツアーマネジメントを教えている。
- ハック・クレシ (Haq Qureshi)は、政治的な主張を持つイスラム・ヒップホップ・グループ「ファン・ダ・メンタル (Fun-Da-Mental)」を結成し、ネーション・レコード(Nation Records)を設立した。
バンドの唯一のアルバム 『The Southern Death Cult』は、解散後の1983年にベガーズ・バンケット (Beggars Banquet) から死後リリースされた。これはシングル曲、BBCラジオ1のセッション、ライブ音源をコンパイルしたものである。
3. 転生: デス・カルト (Death Cult) の実験 (1983-1984)
サザン・デス・カルトの終焉は、より強力なパートナーシップの始まりを意味していた。アストベリーは、シアター・オブ・ヘイト (Theatre of Hate) のギタリストであったビリー・ダフィー (Billy Duffy)に接近し、新たなバンドの結成を画策する。
3.1 ビリー・ダフィーとの提携
マンチェスター出身のビリー・ダフィーは、アストベリーとは対照的に、より現実的でロックンロールの伝統に根ざしたギタリストであった。アストベリーの「ナイーブで落ち着きのない神秘主義」と、ダフィーの「地に足のついたスター性」の融合は、陰陽 (Yin/Yang) の調和のごとく、後の偉大なロックバンドの誕生を予感させるものであった。
1983年4月、彼らは新バンド「デス・カルト (Death Cult)」を結成する。バンド名は、アストベリーの以前のバンド名を短縮したものであったが、音楽的には全く新しい方向性を目指していた。
3.2 初期ラインナップの変遷
デス・カルトの初期リズムセクションは流動的であった。
- ボーカル: イアン・アストベリー (Ian Astbury)
- ギター: ビリー・ダフィー (Billy Duffy)
- ベース: ジェイミー・スチュワート (Jamie Stewart) - その後長きにわたりバンドを支えることになる。
- ドラムス: レイ・"モンド"・テイラー・スミス (Ray "Mondo" Taylor-Smith) - 元リチュアル (Ritual)のメンバー。
1983年9月、レイ・モンドが解雇され、セックス・ギャング・チルドレン (Sex Gang Children) のドラマーであったナイジェル・プレストン (Nigel Preston) が加入した。興味深いことに、解雇されたレイ・モンドは入れ替わりでセックス・ギャング・チルドレンに加入するというトレードのような事態が発生している。
3.3 『Death Cult』 EPと 「Gods Zoo」
1983年7月、同名デビューEP『Death Cult』(別名: Brothers Grimm EP) をリリース。「Christians」、「Ghost Dance」、「Horse Nation」 といった楽曲は、ポストパンクの鋭さと、より広がりのあるギターサウンドの萌芽を示していた。続くシングル 「Gods Zoo」では、よりロック的なダイナミズムが増強され、後のアリーナ・ロックへの道筋が示唆されていた。
4. 覚醒: ザ・カルト (THE CULT) への改名と 『Dreamtime』 (1984)
1984年1月、バンドは大きな決断を下す。アストベリーは、「デス (Death)」という単語が持つ「ゴシック」への限定的なイメージを嫌い、バンド名をシンプルに「ザ・カルト (THE CULT)」へと改名した。これは、特定のサブカルチャーに縛られない、より普遍的なロックバンドへの脱皮を意味していた。
4.1 『Dreamtime』の制作
1984年、デビュー・スタジオ・アルバム『Dreamtime』 がリリースされた。ウェールズのモンマス (Monmouth) にある伝説的なロックフィールド・スタジオ (Rockfield Studios) で録音されたこの作品は、プロデューサーのジョン・ブランド (John Brand) と共に制作された。
アルバムはUKチャートで21位を記録し、シングル 「Spiritwalker」 はUKインディーズ・チャートで1位を獲得した。このアルバムのサウンドは、アストベリーのネイティブ・アメリカン的な世界観と、ダフィーのサイケデリックかつエッジの効いたギターが融合し、独自の「ポジティブ・パンク」とも呼べるスタイルを確立した。初回プレス分には、ロンドンのライシアム・シアター (Lyceum Theatre) でのライブ音源を収録した『Dreamtime Live at the Lyceum』が付属していた。
5. 黄金時代の幕開け: 『Love』と 「She Sells Sanctuary」 (1985)
1985年、ザ・カルトはTHE CULTのキャリアにおける最初の頂点を迎える。2ndアルバム『Love』のリリースである。
5.1 サウンドの進化と制作背景
『Love』は、スティーヴ・ブラウン (Steve Brown) のプロデュースにより制作された。このアルバムでバンドは、60年代後半のサイケデリック・ロックの質感と、80年代のポストパンク的なプロダクション技術を見事に融合させた。
特に象徴的なのは、ビリー・ダフィーのギターサウンドである。彼はグレッチ・ホワイト・ファルコンにフランジャーやディレイといったエフェクトを多用し、煌びやかで空間的なリフを生み出した。
5.2 「She Sells Sanctuary」の衝撃
アルバムからのリードシングル 「She Sells Sanctuary」は、バンド最大のヒット曲の一つとなり、全英シングルチャートで15位を記録した。そのイントロのギターリフは、ロック史上最も認識しやすいリフの一つとして数えられる。この曲の成功により、ザ・カルトはゴシック・シーンの枠を超え、メインストリームのロックファンをも魅了する存在となった。
続くシングル「Rain」 や 「Revolution」もヒットし、アルバム 『Love』は全英アルバムチャートで4位を記録、ゴールドディスクを獲得した。
5.3 ドラマー問題の勃発
この時期、バンドはドラマーの問題に直面していた。ナイジェル・プレストンは薬物問題などにより信頼性を失い、1985年5月に解雇された。アルバム 『Love』のレコーディングの大半(「She Sells Sanctuary」を除く)は、ビッグ・カントリー (Big Country) のドラマーであるマーク・ブレゼジッキー( Brzezicki) がセッションとして担当した。「She Sells Sanctuary」のみ、解雇前のプレストンが叩いている。その後、オーディションを経てレス・ワーナー (Les Warner) が正式ドラマーとして加入し、ワールドツアーに参加した。
6. 音響の革命: 『Electric』 とリック・ルービン (1987)
『Love』の成功後、バンドは次なるステップへと進むが、それは予期せぬ方向転換を伴うものであった。
6.1 幻のアルバム 『Peace』 (The Manor Sessions)
1986年夏、バンドは『Love』のプロデューサーであるスティーヴ・ブラウンと共に、オックスフォードシャーのマナー・スタジオ (The Manor Studio) で新アルバムのレコーディングを行った。仮タイトル 『Peace』 と名付けられたこのセッションでは、「Love Removal Machine」や「Wild Flower」の初期バージョンを含む12曲が録音された。しかし、アストベリーとダフィーは完成した音源に対し、「『Love』の焼き直しに過ぎない」「過剰に装飾されすぎている」と感じ、満足できなかった。
6.2 リック・ルービンとの出会い
新しいサウンドを模索していたアストベリーは、ビースティ・ボーイズ (Beastie Boys) やスレイヤー (Slayer) のプロデュースで頭角を現していたリック・ルービン (Rick Rubin) に注目した。アストベリーとダフィーはニューヨークへ渡り、ルービンにプロデュースを依頼した。
ルービンは、バンドが持っていたゴシック/サイケデリックな要素をすべて剥ぎ取ることを提案した。彼はブルー・チアー (Blue Cheer) の 「Summertime Blues」の映像をバンドに見せ、「お前たちはナヨナヨした英国の音楽をやりたいのか、それともロックしたいのか?」と挑発したという。
6.3 ハードロックへの回帰
ルービンの指揮下で再録音されたアルバムは『Electric』と名付けられ、1987年4月にリリースされた。そのサウンドは衝撃的であった。リバーブやキーボードは排除され、AC/DCや初期レッド・ツェッペリンを彷彿とさせる、ドライでタイトなギターリフと強烈なビートが前面に押し出された。「Love Removal Machine」、「Lil' Devil」、「Wild Flower」 といった楽曲は、レザー・ジャケットとバイカー・カルチャーのイメージを纏い、バンドを完全に「ハードロック・バンド」へと変貌させた。
この大胆な転換は一部の初期ファンを戸惑わせたが、結果としてアメリカ市場での成功(プラチナディスク獲得)をもたらし、バンドのファンベースを劇的に拡大させた。
7. 商業的頂点: 『Sonic Temple』 とアリーナ・ロック (1989-1990)
1989年、ザ・カルトは商業的キャリアの頂点を極める。THE CULTはロサンゼルスに移住し、当時の音楽シーンの中心地で制作を行った。
7.1 ボブ・ロックによる重厚なプロダクション
4thアルバム 『Sonic Temple』のプロデューサーには、ボン・ジョヴィ (Bon Jovi) やモトリー・クルー (Mötley Crüe) を手がけ、後にメタリカ (Metallica)の『Black Album』で名を馳せるボブ・ロック (Bob Rock) が起用された。彼は、『Love』の旋律美と 『Electric』のハードなエッジを融合させ、それをスタジアム級の巨大なスケールで鳴らすことに成功した。
7.2 シングルヒットと全米トップ10入り
アルバムからは「Fire Woman」、「Edie (Ciao Baby)」、「Sun King」、「Sweet Soul Sister」といったヒットシングルが連発された。「Edie (Ciao Baby)」は、アンディ・ウォーホル (Andy Warhol) のファクトリーのスターであったイーディ・セジウィック (Edie Sedgwick) に捧げられたバラードであり、ストリングスを導入した壮大な楽曲である。
『Sonic Temple』は全米ビルボード200で9位を記録し、バンド史上最高のチャート順位となった。
7.3 マット・ソーラムの加入と脱退
レコーディング・ドラマーにはミッキー・カリー (Mickey Curry) が起用されたが、ツアー・ドラマーとしてマット・ソーラム (Matt Sorum)が加入した。彼のパワフルなドラミングはバンドのサウンドを支えたが、1989年から1990年にかけてのツアー終了後、ガンズ・アンド・ローゼズ (Guns N' Roses) からのオファーを受け、彼はバンドを去った。
また、結成時からのメンバーであったベーシストのジェイミー・スチュワートも、1990年に引退を表明し脱退した。これにより、オリジナルメンバーはアストベリーとダフィーの二人だけとなった。
8. 混迷の90年代: 『Ceremony』から解散へ (1991-1995)
1990年代に入ると、ニルヴァーナ (Nirvana) などのグランジ・ムーブメントが台頭し、80年代的な煌びやかなハードロックは急速に時代遅れと見なされるようになった。ザ・カルトもこの時代の波に翻弄された。
8.1 『Ceremony』の苦闘 (1991)
1991年のアルバム『Ceremony』は、再びヒットメーカーのリッチー・ズィトー (Richie Zito)をプロデューサーに迎えて制作されたが、バンド内の人間関係は悪化していた。特に、ジャケットに使用されたネイティブ・アメリカンの少年の写真に関する法的トラブルはバンドに暗い影を落とした。楽曲的には「Wild Hearted Son」などがヒットしたものの、前作ほどの勢いはなく、批評家からは「方向性の欠如」を指摘された。
8.2 『THE CULT』 と解散 (1994-1995)
1994年、ボブ・ロックを再びプロデューサーに迎え、セルフタイトル・アルバム『THE CULT』(通称「Black Sheep」 アルバム)をリリースした。ここでは、当時のオルタナティブ・ロックやグランジの影響を色濃く反映し、より内省的で荒削りなサウンドへの回帰を試みた。ベーシストにはクレイグ・アダムス (Craig Adams) (元ザ・ミッション)、ドラマーにはスコット・ギャレット (Scott Garrett) が参加した。
しかし、1995年の春、アメリカツアー中にバンド内の緊張は限界に達した。アストベリーとダフィーの関係修復が不可能となり、アストベリーが脱退を宣言。バンドは解散した。
9. 再生と模索: 再結成と『Beyond Good and Evil』 (1999-2005)
解散中、アストベリーはソロ・プロジェクト 「Holy Barbarians」などで活動し、ダフィーも「Coloursøund」などを結成していたが、1999年に再びザ・カルトとして集結する。
9.1 『Beyond Good and Evil』 (2001)
マット・ソーラムをドラムに呼び戻し、2001年にアルバム 『Beyond Good and Evil』をリリースした。ボブ・ロックがプロデュースしたこのアルバムは、ダウンチューニングを多用した極めてヘヴィなサウンドが特徴であり、バンド史上最もアグレッシブな作品となった。シングル「Rise」 はラジオで好評を博したが、所属レーベルであるアトランティック・レコード (Atlantic Records) とのトラブルによりプロモーションが停止され、アルバムは商業的に苦戦した。失望したバンドは2002年に再び活動を休止した。
9.2 イアン・アストベリーのザ・ドアーズ参加
2002年から2007年にかけて、イアン・アストベリーはザ・ドアーズ (The Doors) の再結成プロジェクト 「Riders on the Storm」 (またはThe Doors of the 21st Century) にボーカリストとして参加した。彼は敬愛するジム・モリソン (Jim Morrison) の代役を務め、レイ・マンザレク (Ray Manzarek) やロビー・クリーガー (Robby Krieger) と共に世界ツアーを行った。
10. 現代のザ・カルト: ロードランナー時代からインディペンデントへ (2006-2021)
2006年、バンドは再び活動を本格化させる。ここから、ドラマーのジョン・テンペスタ (John Tempesta) (元エクソダス、ホワイト・ゾンビ)が加入し、バンドのリズムセクションに長期的な安定をもたらした。
10.1 三部作の制作
- 『Born Into This』 (2007): ロードランナー・レコード (Roadrunner Records) からリリース。「Dirty Little Rockstar」など、シンプルでパンキッシュなロックンロールへの回帰が見られた。
- 『Choice of Weapon』 (2012): ボブ・ロックとクリス・ゴス (Chris Goss) の共同プロデュース。「For The Animals」 や 「Lucifer」など、ザ・カルトの集大成的な楽曲が収録され、ファンと批評家の双方から高く評価された。
- 『Hidden City』 (2016): 『Choice of Weapon』から続く三部作の完結編と位置づけられた作品。「Deeply Ordered Chaos」など、シリアスで深みのある楽曲が並ぶ。
11. 最新の動向: 『Under The Midnight Sun』から活動休止へ (2022-2026)
2020年代に入り、ザ・カルトは新たな創造的ピークを迎える。
11.1 『Under The Midnight Sun』 (2022)
パンデミックの影響下で制作された11枚目のスタジオ・アルバム 『Under The Midnight Sun』は、トム・ダルゲティ (Tom Dalgety) をプロデューサーに迎えて制作された。アストベリーは、フィンランドの音楽フェスティバル 「Provinssirock」 での白夜 (真夜中の太陽)の体験からインスピレーションを得たと語っている。オーケストレーションを取り入れた壮大かつ幻想的なサウンドは、初期のゴシック・ロックの雰囲気を現代的にアップデートしたものであった。
11.2 デス・カルト再結成ツアー (2023)
2023年、バンド結成40周年を記念して、アストベリーとダフィーは「デス・カルト (Death Cult)」名義での活動を一時的に復活させた。「Death Cult 8323」と銘打たれたツアーでは、サザン・デス・カルトおよびデス・カルト時代の楽曲を中心に、ザ・カルトの初期アルバムの曲も演奏された。
11.3 ライブアルバム 『Paradise Live』 と活動休止宣言 (2025-2026)
2025年10月22日、ザ・カルトは公式声明を発表し、同年10月30日のロサンゼルス公演をもって、ツアー活動を「無期限休止 (undetermined amount of time)」 することを宣言した。アストベリーとダフィーは声明の中で、「精神的なバッテリーを充電し、新しい音楽の創作に集中するため」と説明している。「月が満ち欠けし、潮が満ち引きするように、変化は創造と再生のために必要である」というアストベリーらしい詩的な表現で、ファンへの感謝と再会への希望が綴られた。
この休止期間中の贈り物として、2026年1月16日にライブアルバム 『Paradise Live』がリリースされる。これは2023年11月18日にマンチェスターのアルバート・ホール (Albert Hall)で録音されたデス・カルト名義のライブ盤であり、以下のメンバーによる演奏が収められている:
- イアン・アストベリー (Vocals)
- ビリー・ダフィー (Guitar)
- ジョン・テンペスタ (Drums)
- チャーリー・ジョーンズ (Bass)
12. メンバーの変遷と役割
ザ・カルトは、アストベリーとダフィーという不動の二人と、流動的なリズム隊によって構成されてきた。以下に主要メンバーを整理する。
12.1 コア・メンバー
| 名前(日本語) | 名前(英語) | 担当 | 在籍期間 | 役割と特徴 |
|---|---|---|---|---|
| イアン・アストベリー | Ian Astbury | ボーカル | 1983-1995, 1999-現在 | バンドの精神的支柱。作詞、コンセプト立案。バリトンボイスとシャーマニックなステージングが特徴。 |
| ビリー・ダフィー | Billy Duffy | ギター | 1983-1995, 1999-現在 | サウンドの構築者。作曲。グレッチ・ホワイト・ファルコンとレスポールを使い分けるリフメイカー。 |
12.2 歴代の主要メンバー (Timeline)
| 役割 | 名前(日本語/英語) | 在籍期間 | 参加重要作品・備考 |
|---|---|---|---|
| Bass | ジェイミー・スチュワート (Jamie Stewart) | 1983-1990 | 『Dreamtime』から『Sonic Temple』まで。初期~黄金期のサウンドを支えた功労者。 |
| Bass | キッド・カオス (Kid Chaos / Stephen Harris) | 1987-1988 | 『Electric』ツアーに参加。 |
| Bass | マーティン・ルノーブル (Martyn LeNoble) | 1999, 2001-2002 | ポルノ・フォー・パイロス (Porno for Pyros)出身。再結成初期に参加。 |
| Bass | クリス・ワイズ (Chris Wyse) | 2000, 2006-2015 | 『Beyond Good and Evil』, 『Choice of Weapon』に参加。 |
| Bass | チャーリー・ジョーンズ (Charlie Jones) | 2020-現在 | ロバート・プラント (Robert Plant) バンドのベーシストとしても著名。 |
| Drums | レイ・モンド (Ray Mondo) | 1983 | デス・カルト初期。 |
| Drums | ナイジェル・プレストン (Nigel Preston) | 1983-1985 | 『Dreamtime』。「She Sells Sanctuary」でのドラミングは象徴的。 |
| Drums | マーク・ブレゼジッキー (Mark Brzezicki) (Session) | 1985 | ビッグ・カントリー所属。『Love』の大部分を録音。 |
| Drums | レス・ワーナー (Les Warner) | 1985-1988 | 『Electric』期。パワフルでタイトなドラミング。 |
| Drums | ミッキー・カリー (Mickey Curry) (Session) | 1989, 1991 | 『Sonic Temple』, 『Ceremony』のレコーディングに参加。ブライアン・アダムスのドラマー。 |
| Drums | マット・ソーラム (Matt Sorum) | 1989-1990, 1999-2002 | 『Sonic Temple』ツアーで世界的名声を得る。後にGNRへ。 |
| Drums | ジョン・テンペスタ (John Tempesta) | 2006-現在 | エクソダス (Exodus)、テスタメント(Testament)出身。在籍期間最長のドラマー |
13. ディスコグラフィ (Discography)
13.1 スタジオ・アルバム (Studio Albums)
| 発売年 | タイトル(英語/カナ) | 英チャート | 米チャート | 認定(UK/US/CAN) | 備考 |
|---|---|---|---|---|---|
| 1984 | Dreamtime (ドリームタイム) | 21 | - | UK: Silver | ポストパンク/ゴシック。シングル 「Spiritwalker」収録。 |
| 1985 | Love (ラヴ) | 4 | 87 | UK: Gold, US: Gold, CAN: 2xPlatinum | 代表作。「She Sells Sanctuary」 「Rain」収録。 |
| 1987 | Electric (エレクトリック) | 4 | 38 | UK: Gold, US: Platinum, CAN: 2xPlatinum | リック・ルービンPro 「Love Removal Machine」収録。 |
| 1989 | Sonic Temple (ソニック・テンプル) | 3 | 10 | UK: Platinum, US: Platinum, CAN: 2xPlatinum | ボブ・ロックPro。最大ヒット作。「Fire Woman」収録 |
| 1991 | Ceremony (セレモニー) | 9 | 25 | UK: Gold, CAN: Platinum | 「Wild Hearted Son」収録。 |
| 1994 | THE CULT (ザ・カルト) | 21 | 69 | CAN: Gold | 通称「Black Sheep」。ボブ・ロックPro。 |
| 2001 | Beyond Good and Evil (ビヨンド・グッド・アンド・イーヴィル) | 69 | 37 | - | ヘヴィ・ロック路線。「Rise」収録。 |
| 2007 | Born Into This (ボーン・イントゥ・ディス) | 72 | 70 | - | ロードランナー移籍第一弾。 |
| 2012 | Choice of Weapon (チョイス・オブ・ウェポン) | 20 | 36 | - | 「For The Animals」収録。 |
| 2016 | Hidden City (ヒドゥン・シティ) | 19 | 153 | - | 三部作完結編。 |
| 2022 | Under The Midnight Sun (アンダー・ザ・ミッドナイト・サン) | 15 | - | - | 最新スタジオ作。トム・ダルゲティ Pro。 |
13.2 ライブ・アルバム&コンピレーション (Selected)
| 発売年 | タイトル(英語/カナ) | 形式 | 詳細 |
|---|---|---|---|
| 1983 | The Southern Death Cult | Comp | 前身バンドの唯一のアルバム。 |
| 1984 | Dreamtime Live at the Lyceum | Live | 『Dreamtime』初回盤に付属 |
| 1993 | Pure Cult: for Rockers, Ravers, Lovers, and Sinners | Best | 初のベスト盤。全英1位を獲得。 |
| 1996 | Ghost Dance | Comp | デス・カルト時代のEPと未発表音源集。 |
| 2026 | Paradise Live (パラダイス・ライブ) | Live | 2023年マンチェスター公演を収録したデス・カルト名義のライブ盤。 |
13.3 『Paradise Live』 トラックリスト (2026)
2026年1月リリースの最新ライブアルバムの収録曲は以下の通りである。デス・カルト時代の楽曲とザ・カルト初期の楽曲がブレンドされている。
| No. | タイトル(英語) | タイトル(日本語訳/カナ) | オリジナル収録 |
|---|---|---|---|
| 1 | 83rd Dream | 83rd ドリーム | Dreamtime |
| 2 | Christians | クリスチャンズ | Death Cult EP |
| 3 | Gods Zoo | ゴッズ・ズー | Single |
| 4 | Brothers Grimm | ブラザーズ・グリム | Death Cult EP |
| 5 | Ghost Dance | ゴースト・ダンス | Death Cult EP |
| 6 | Butterflies | バタフライズ | Single B-side |
| 7 | A Flower in the Desert | ア・フラワー・イン・ザ・デザート | Death Cult EP |
| 8 | Resurrection Joe | レザレクション・ジョー | Single |
| 9 | Horse Nation | ホース・ネイション | Death Cult EP |
| 10 | Go West | ゴー・ウェスト | Dreamtime |
| 11 | Hollow Man | ホロウ・マン | Love |
| 12 | Dreamtime | ドリームタイム | Dreamtime |
| 13 | Spiritwalker | スピリットウォーカー | Dreamtime |
| 14 | Rain | レイン | Love |
| 15 | Moya | モヤ | Southern Death Cult Single |
| 16 | She Sells Sanctuary | シー・セルズ・サンクチュアリ | Love |
14. Conclusion
ザ・カルトは、40年以上にわたるキャリアを通じて、安易なカテゴリー分けを拒絶し続けてきた。THE CULTは「ゴス」の教祖として崇められる一方で、「ハードロック」の救世主としても君臨した。イアン・アストベリーの探求心とビリー・ダフィーのリフへの執念は、幾多のメンバーチェンジや音楽シーンの激変を乗り越え、バンドを存続させてきた原動力である。
THE CULTはツアー活動の休止という「静寂」を選択したが、それは終わりではなく、次なる創造への準備期間であると明言されている。『Paradise Live』で聴かれるTHE CULTの演奏は、現在進行形のロックバンドとしての生命力に満ちている。ザ・カルトの物語は、まだ最終章を迎えてはいない。