GREAT WHITE

マーク・ケンドールとジャック・ラッセルが1982年に結成したGREAT WHITE(グレイト・ホワイト)のバイオグラフィとディスコグラフィー。『Great White』から『Full Circle』までのスタジオ・アルバム13作を、収録曲、CD情報、ライナーノーツ、公式映像、来日公演の記録とともに掲載。

Biography

GREAT WHITE
バイオグラフィー

GREAT WHITE(グレイト・ホワイト)は、ギタリストのマーク・ケンドールと歌手のジャック・ラッセルを中心にロサンゼルスで生まれた、ブルースを土台にしたハード・ロック・バンドである。1970年代の終わりにふたりが組んだバンドはDANTE FOXを経て、1982年にGREAT WHITEと名を改めた。1984年にEMI Americaからアルバム・デビューを果たし、Capitolから出た1987年の『Once Bitten』はRIAAのプラチナ、1989年の『...Twice Shy』はダブル・プラチナに認定された。イアン・ハンターの曲をカヴァーした「Once Bitten Twice Shy」はビルボードのシングル・チャートで5位まで上がり、グラミー賞の最優秀ハード・ロック・パフォーマンス部門の候補にもなった。2001年にいったん活動を終えたのち2007年に再結成し、2017年の『Full Circle』まで13作のスタジオ・アルバムを残している。2003年には、ラッセルが率いていたJACK RUSSELL'S GREAT WHITEの公演中にロードアイランド州のナイトクラブで火災が起き、100人が亡くなった。ラッセルは2011年に自身のバンドを始めてGREAT WHITEを離れ、2024年8月に亡くなった。GREAT WHITEはケンドールを中心に、2022年10月から歌うBrett Carlisleを迎えて活動を続けている。

結成まで:DANTE FOX(1970年代末〜1982年)

マーク・ケンドールは南カリフォルニアの音楽一家に育った。父はジャズのトランペット奏者、母はジャズの歌手、祖父はピアニストで、本人は9歳でギターを始め、最初の手本としてジミ・ヘンドリックス、CREAM、THE DOORSを挙げている(公式サイト/Louder、2013年)。

ケンドールが自分のバンドの歌い手を探していた1970年代の終わりに出会ったのが、カリフォルニア州モンテベロ生まれのジャック・ラッセルである(Louder、2013年/アルティメット・クラシック・ロック、2024年)。その後ラッセルは、強盗を企てて使用人の女性を撃ち、負傷させた事件で懲役8年の判決を受けたが、2年足らずで出所するとケンドールのバンドに加わり、DANTE FOXと名乗ったそのバンドで最初のステージに立った(Louder、2013年/アルティメット・クラシック・ロック、2024年)。

ラッセル自身の言葉によれば、1982年のバンドはラッセル、ケンドール、ドラムのゲイリー・ホーランド、ベースのローン・ブラックの4人であった(ブラバマウス、2007年)。この年、のちにバンドのマネージャーとなるアラン・ニーヴンが演奏を見て、ケンドールの目を引くブロンドの髪にちなむGREAT WHITEという名を勧めた(ブラバマウス、2026年/Louder、2013年)。バンド自身も、GREAT WHITEのサウンドの始まりを1982年としている(公式サイト)。

『Out of the Night』とEMI America(1983〜1985年)

アラン・ニーヴンは当時ロサンゼルスでレコード配給会社のGreenworldに勤め、MOTLEY CRUEの最初のアルバムを手がけていた。このバンドを見に行ったのは、ドン・ドッケンに勧められたからであった(Louder、2013年)。1983年にAegean RecordsからEP『Out of the Night』が出ると、ニーヴンはロサンゼルスのラジオ局KMETとKLOSにその曲をかけさせ、数百人だった観客は、遊園地マジック・マウンテンでの公演で6000人を超えるまでになった(Louder、2013年/ブラバマウス、2017年)。

メジャー・レーベル8社から書面で契約の申し出を受けたバンドはEMI Americaを選び、マイケル・ワグナーのプロデュースでアルバム『Great White』を作って1984年に発表した。ヨーロッパではWHITESNAKEの前座も務めたが、その後EMI Americaはバンドとの契約を打ち切った(Louder、2013年/ブラバマウス、2017年)。

『Shot in the Dark』とCapitol(1985〜1986年)

アラン・ニーヴンは再び資金を集め、次のアルバム『Shot in the Dark』を独立系の作品として出した。THE ANGELSの「Face the Day」のカヴァーがラジオで流れ、バンドは、契約を切られたばかりのEMI Americaの親会社にあたるCapitolと契約を結んだ(Louder、2013年)。マーク・ケンドールは後年、子会社に切られたバンドを親会社が迎えた経緯を今も不思議に思うと振り返っている(Louder、2013年)。『Shot in the Dark』はCapitolからも出て、バンドのディスコグラフィには1986年のアルバムとして載っている(公式サイト/MusicBrainz)。

1985年には、ジャック・ラッセルの旧友だったドラムのオーディ・デスブロウが加わった(公式サイト/Louder、2013年)。続いて、『Shot in the Dark』の録音で第2エンジニアを務めたマイケル・ローディーがキーボードとギターで加わり、『Once Bitten』へ向かう顔ぶれが固まった(Louder、2013年)。以後、ケンドールとローディーがバンドの曲作りの中心を担った(公式サイト)。

『Once Bitten』(1987〜1988年)

1987年7月に出た『Once Bitten』で、バンドは大きく飛躍した。同じ月にはGUNS N' ROSESの『Appetite for Destruction』も出ており、アラン・ニーヴンは両バンドのマネージャーを兼ねていた(Louder、2013年)。「Rock Me」はビルボードのシングル・チャートで最高60位、「Save Your Love」は57位を記録し、アルバムは1988年4月にRIAAのプラチナに認定された(ビルボード/RIAA)。1988年までにバンドは、GUNS N' ROSESやTWISTED SISTERとツアーをともにしている(アルティメット・クラシック・ロック、2024年)。

『...Twice Shy』(1989〜1990年)

1989年の『...Twice Shy』は、バンドの商業的な頂点となった(アルティメット・クラシック・ロック、2024年)。イアン・ハンターの曲をカヴァーした「Once Bitten Twice Shy」は、1989年5月にビルボードのシングル・チャートに入って8月に5位まで上がり、26週にわたってチャートにとどまった。続いてシングルになったジャック・ラッセルの自作曲「The Angel Song」は30位に入った(ビルボード/AP通信、2024年)。

シングルの「Once Bitten Twice Shy」は1989年7月にRIAAのゴールドに、アルバムは同年9月にダブル・プラチナに認定され、アルバムの売り上げは200万枚を超えた(RIAA/アルティメット・クラシック・ロック、2024年)。この曲は1990年の第32回グラミー賞で、最優秀ハード・ロック・パフォーマンス部門の候補に挙がった(レコーディング・アカデミー/公式サイト)。1990年3月にはシングル「House of Broken Love」もチャートに入って83位を記録し、同じ年には、1989年にロンドンのウェンブリー・アリーナで録音したライヴ・アルバム『Live in London』が出た(ビルボード/公式サイト)。

『Hooked』と『Psycho City』(1991〜1993年)

1991年の『Hooked』は同年4月にRIAAのゴールドに認定され、「Call It Rock N' Roll」がビルボードのシングル・チャートで53位に入った(RIAA/ビルボード)。しかし、NIRVANAをはじめとするシアトルのバンドが台頭するなかで、GREAT WHITEのようなハード・ロック・バンドを取り巻く状況は変わり始めていた(Louder、2013年)。1992年の『Psycho City』がCapitolでの最後のアルバムとなり、売り上げはそれまでの作品を大きく下回ったとジャック・ラッセルは振り返っている(Louder、2013年)。1993年にはCapitolから編集盤『The Best of Great White 1986-1992』が出て、この作品は2015年にRIAAのゴールドに認定された(MusicBrainz/RIAA)。

Zoo、Imago、Portrait(1994〜2001年)

Capitolを離れたバンドは、1994年に『Sail Away』をZoo Entertainmentから出した(MusicBrainz)。表題曲はラジオで小さなヒットとなり、アルバムは25万枚を売った。この時期、バンドはアラン・ニーヴンをマネージャーから外している(Louder、2013年)。1996年の『Let It Rock』はアメリカではImagoから出た(MusicBrainz)。1999年の『Can't Get There from Here』はさらに別のレーベル、Portraitからの発売となり、バンドはRATT、POISON、L.A. GUNSと組んだパッケージ・ツアーにも加わった(Louder、2013年)。

2000年にマーク・ケンドールが活動を離れ、ドラムのオーディ・デスブロウも続いた。ジャック・ラッセルは2001年11月にGREAT WHITEの終わりを告げた(Louder、2013年/ローリング・ストーン誌、2024年)。

JACK RUSSELL'S GREAT WHITEとThe Stationの火災(2002〜2006年)

解散後、ソロ歌手としてクラブを回っていたジャック・ラッセルはマーク・ケンドールに助けを求め、ケンドールはそのツアーに加わった。公演はラッセルのソロ・バンドにケンドールが加わった顔ぶれで、JACK RUSSELL'S GREAT WHITEの名で行われた(Louder、2013年/ブラバマウス、2024年)。

2003年2月20日の夜、ロードアイランド州ウェスト・ウォリックのナイトクラブThe Stationで、このバンドの公演中に火災が起きた。公演で使われた火工品(パイロテクニクス)の火花が、ステージ周りの壁と天井に張られたポリウレタンのフォームに燃え移り、火はダンス・フロアの上の天井へと広がった。クラブにスプリンクラーはなく、正面の出入口に人が殺到して避難が妨げられた。この火災で100人が亡くなり、そのなかにはバンドのギタリストのタイ・ロングリーも含まれていた。負傷者は200人を超えた(米国立標準技術研究所〔NIST〕/AP通信、2024年)。

調査にあたった米国立標準技術研究所(NIST)によると、煙は着火から1分あまりで正面の出入口に達し、5分足らずで炎が屋根の一部を破った。スプリンクラーは、2003年当時の基準では既存の建物に義務づけられていなかった。NISTは報告書のなかで、建築の基準と規則、その運用の改善を勧告した(NIST)。

刑事責任を問われたのは、許可なく火工品に点火したツアー・マネージャーのDaniel Biecheleと、クラブの経営者のJeffrey Derderian、Michael Derderianの兄弟の3人で、3人とも司法取引に応じた(AP通信、2024年)。Biecheleは2006年2月に過失致死100件について有罪を認め、同年5月に禁錮4年と保護観察3年を言い渡された(ローリング・ストーン誌、2006年)。兄弟は同年9月、それぞれ過失致死100件について争わないと答弁し、Michael Derderianは禁錮4年、Jeffrey Derderianは執行猶予付きの刑を受けて服役はしなかった(WBUR、2006年)。ラッセルが罪に問われることはなかった(ローリング・ストーン誌、2024年)。

被害者と遺族が起こした民事訴訟では、バンドとラッセルも100万ドルを支払って和解し、これを含めた和解金の総額は1億7600万ドルとなった(ローリング・ストーン誌、2024年/AP通信、2024年)。火災のあと、バンドは被害者と遺族を支える基金のための慈善公演を行った(AP通信、2024年/Louder、2013年)。2017年5月には火災の跡地に、犠牲者全員の名前と誕生日を刻んだ花崗岩の碑を置くStation Fire Memorial Parkが開かれた(NPR、2017年)。

再結成、『Back to the Rhythm』と『Rising』(2007〜2009年)

2007年1月、ジャック・ラッセル、マーク・ケンドール、マイケル・ローディー、オーディ・デスブロウ、ベースのショーン・マクナブが慈善コンサートで再びそろい、結成25周年を記念して8年ぶりのアルバムを作った(ブラバマウス、2007年/公式サイト)。ローディーがプロデュースと録音、ミックスを手がけた『Back to the Rhythm』は、アメリカでは2007年7月にShrapnelから、ヨーロッパでは同年8月にFrontiersから発売された(ブラバマウス、2007年)。ローディーは2003年から2007年までNIGHT RANGERにも在籍していた(公式サイト)。

2008年にはシカゴ出身のベーシストのスコット・スナイダーが加わり、2009年にはFrontiersから『Rising』が出た。スナイダーはこの作品以降、バンドのすべての作品に参加している(公式サイト)。

歌い手の療養と離脱、名前をめぐる訴訟(2010〜2013年)

2010年、ジャック・ラッセルが腸の穿孔の手術を受けて療養に入ると、WARRANTのジェイニー・レイン、続いてXYZのテリー・アイロスが代わりに歌った(ブラバマウス、2012年/ブラバマウス、2022年)。ラッセルは2011年に自身のバンドJACK RUSSELL'S GREAT WHITEを始めた(ブラバマウス、2023年)。2012年には、療養中にバンドから外され、名前を奪われたとして、かつての仲間を訴えた。マーク・ケンドール、マイケル・ローディー、オーディ・デスブロウはロサンゼルスの連邦地裁に反訴し、双方は2013年7月に裁判に至らず和解した。ラッセルはJACK RUSSELL'S GREAT WHITEとして、ほかの3人はGREAT WHITEとして活動を続けた(ブラバマウス、2012年/ブラバマウス、2024年)。

アイロスを迎えたGREAT WHITEは、2012年にFrontiersから『Elation』を出した。曲作りの中心はケンドール、ローディー、アイロスの3人であった。2013年2月にはFrontiersからライヴ・アルバム『30 Years - Live From The Sunset Strip』が出た(ブラバマウス、2017年)。

『Full Circle』と歌い手の交代(2017〜2022年)

2017年6月に出た『Full Circle』で、バンドは最初のEPとデビュー作を手がけたプロデューサーのマイケル・ワグナーと再び組んだ。録音は同年1月から2月にかけて、ナッシュヴィルにあるワグナーのWireWorld Studioで行われた。9曲を収めたアルバムには制作の様子を記録したDVDが付き、先行シングルは「Big Time」であった(ブラバマウス、2017年/ブラバマウス、2018年)。

2018年7月、バンドはテリー・アイロスと別れ、ナッシュヴィルを拠点とするソングライターで歌手のミッチ・マロイを迎えた(ブラバマウス、2018年)。マーク・ケンドールは後に、アイロスへの知らせはメールで送られ、本人はそれより先にインターネットで知ってしまったと語っている(ブラバマウス、2022年)。2020年7月には、新型コロナウイルスの流行のさなかに、マスクの着用も距離の確保もないまま公演を行ったことが報じられた(ローリング・ストーン誌、2024年)。

2022年5月31日には、マロイの脱退と、LAST IN LINEのアンドリュー・フリーマンの加入が発表された(ブラバマウス、2022年)。しかしフリーマンが歌ったのは5か月ほどで、同年9月24日にラスヴェガスのキャナリー・カジノ・ホテルで初めてバンドと歌ったアラバマ州出身のBrett Carlisleが、10月20日に新しいリード・ヴォーカリストとして正式に発表された。バンドは、フリーマンがLAST IN LINEでの活動に専念するためと説明した(ブラバマウス、2022年/公式サイト)。

ジャック・ラッセルの晩年(2017〜2024年)

ジャック・ラッセルはJACK RUSSELL'S GREAT WHITEとしてアルバム『He Saw It Comin'』を出した。その7年後の2024年1月には、L.A. GUNSのトレイシー・ガンズと組んだRUSSELL - GUNSのアルバム『Medusa』をFrontiersから発表している(ブラバマウス、2023年)。

2024年7月17日、ラッセルは同年5月にレビー小体型認知症と多系統萎縮症と診断されたことを明かし、ツアーからの引退を表明した(ブラバマウス、2024年)。同じ夏には、K. L. Dotyとの共著の自伝『The True Tale of Mista Bone: A Rock and Roll Narrative』が出た(ローリング・ストーン誌、2024年/AP通信、2024年)。ラッセルは2024年8月に63歳で亡くなり、家族が8月15日にその死を公表した。死因はこの二つの病気であったとDotyが伝えている(ローリング・ストーン誌、2024年/ブラバマウス、2024年/NPR、2024年)。GREAT WHITEも哀悼の意を表した(ローリング・ストーン誌、2024年)。

現在の活動(2023年〜)

2026年10月の時点で公式サイトに載る顔ぶれは、ヴォーカルのBrett Carlisle、ギターのマーク・ケンドール、ギターとキーボードのマイケル・ローディー、ドラムのオーディ・デスブロウ、ベースのスコット・スナイダーである(公式サイト)。

ケンドールは2026年3月、2017年の『Full Circle』がバンドの最後のアルバムであり、Carlisleと新しい曲に取り組んでいると語った(ブラバマウス、2026年)。同年9月には、DIOでギターを弾いていた旧友のトレイシー・Gとスタジオに入っていると明かしている(ブラバマウス、2026年)。

2026年8月、ケンドールはDiversion Booksと自伝『Soul Of A Man: My Life In Great White, From The Stage And Beyond』の出版契約を結んだことを発表し、刊行の時期は2027年秋とされた。本では、南カリフォルニアのクラブから始まった歩みに加え、断酒と回復、妻との歩み、そしてステージIVの癌との現在の闘いにも触れるという(ブラバマウス、2026年)。

ディスコグラフィ(スタジオ・アルバム)

年タイトル種別
1984Great Whiteスタジオ・アルバム
1986Shot in the Darkスタジオ・アルバム
1987Once Bittenスタジオ・アルバム
1989...Twice Shyスタジオ・アルバム
1991Hookedスタジオ・アルバム
1992Psycho Cityスタジオ・アルバム
1994Sail Awayスタジオ・アルバム
1996Let It Rockスタジオ・アルバム
1999Can't Get There from Hereスタジオ・アルバム
2007Back to the Rhythmスタジオ・アルバム
2009Risingスタジオ・アルバム
2012Elationスタジオ・アルバム
2017Full Circleスタジオ・アルバム

このほかに、1983年のEP『Out of the Night』と、ライヴ・アルバムの『Recovery: Live!』(1988年)、『Live in London』(1990年)、『Stage』(1996年)、『Extended Versions』(2004年)、『Once Bitten, Twice Live』(2006年)、『30 Years - Live From The Sunset Strip』(2013年)がある(公式サイト)。バンドの公式ディスコグラフィには載っていないが、Deadline Musicからは『Great Zeppelin: A Tribute to Led Zeppelin』(1999年)と『Recover』(2002年)が、Capitolからは編集盤『The Best of Great White 1986-1992』(1993年)が出ている(MusicBrainz)。

日本公演

日本では、『Great White』(1984年)から『Hooked』(1991年)までを東芝EMIが、『Psycho City』(1992年)をポニーキャニオンが、『Sail Away』(1994年)をBMGビクターが、『Let It Rock』(1996年)と『Can't Get There from Here』(1999年)をビクターエンタテインメントが、『Back to the Rhythm』(2007年)と『Rising』(2009年)をキングレコードが、『Elation』(2012年)をマーキー・インコーポレイティドのAvalonレーベルが発売した(日本盤の帯/オリコン/タワーレコード)。『Let It Rock』と『Can't Get There from Here』は日本で先に発売された(オリコン)。日本盤にはしばしば日本だけのボーナス・トラックが加えられ、1987年に日本で初めてCD化された『Shot in the Dark』には「Red House」が、『Psycho City』の日本盤には「Somebody to Love」が収められた(日本盤の帯)。

GREAT WHITEの初来日は1990年5月であった。ウドー音楽事務所は後年、この初来日公演が東京で開かれたこと、アルバム『...Twice Shy』を携えたツアーであったこと、東京と川崎だけで6公演を行ったことを、自社の公式アカウントで振り返っている(ウドー音楽事務所のX)。ウドー音楽事務所が主催したこの来日は、雑誌「BURRN!」の創刊5周年記念「バーニング・ライヴ」の第6弾と銘打たれ、東京では5月1日と2日に五反田の簡易保険ホール、7日と8日に新宿の東京厚生年金会館大ホールで公演が行われた。ポスターに印刷された時刻は18時30分、料金はS席5,000円、A席4,500円(税込)で、後援はbayfmの番組「パワー・ロック・トゥデイ」、協力は東芝EMIであった(ウドー音楽事務所のポスター)。5月11日の川崎公演は「横浜公演」と銘打たれ、ウドー横浜とTVKテレビの主催で、時刻は18時であった(ウドー音楽事務所のポスター)。会場は川崎市の教育文化会館であり、ポスターには1988年の改称前の名称である川崎市立産業文化会館と印刷されている(ウドー音楽事務所のポスター、ツアーのパンフレット)。ツアーのパンフレットには、このほかに大阪と名古屋での公演と、5月9日に東京厚生年金会館大ホールで行われた追加公演が記されている(ツアーのパンフレット/ファンによるチラシの記録)。

1991年9月にも来日した。ウドー音楽事務所のチラシによれば、雑誌「BURRN!」の「バーニング・ライヴ」の第12弾として、9月10日に五反田の簡易保険ホール、12日に中野サンプラザホールで公演を行い、14日には「横浜公演」として川崎市教育文化会館に出演した。チラシに印刷された時刻は10日が19時、12日が18時30分、14日が18時、料金はS席5,500円、A席5,000円(税込)、主催はテレビ東京、後援はbayfmの「パワー・ロック・トゥデイ」、協力は東芝EMIであった(ウドー音楽事務所のチラシ)。

日付会場公演
1990年5月1日簡易保険ホール(東京)BURRN!創刊5周年記念バーニング・ライヴ Vol.6。初来日の初日
1990年5月2日簡易保険ホール(東京)同上
1990年5月7日東京厚生年金会館大ホール(東京)同上(ポスターに記載)
1990年5月8日東京厚生年金会館大ホール(東京)同上
1990年5月9日東京厚生年金会館大ホール(東京)追加公演(ポスターには記載がない)
1990年5月11日川崎市教育文化会館(神奈川)「横浜公演」。ウドー横浜とTVKテレビの主催
1991年9月10日簡易保険ホール(東京)BURRN!バーニング・ライヴ Vol.12
1991年9月12日中野サンプラザホール(東京)同上
1991年9月14日川崎市教育文化会館(神奈川)「横浜公演」

出典について

出典は、GREAT WHITEの公式サイト(officialgreatwhite.com)、レコーディング・アカデミー(グラミー賞)、RIAA(アメリカレコード協会)のゴールド&プラチナ認定のデータベース、ビルボードのチャートの記録、米国立標準技術研究所(NIST)によるThe Station火災の調査、ローリング・ストーン誌、AP通信、NPR、WBUR、ブラバマウス、Louder(クラシック・ロック誌)、アルティメット・クラシック・ロックである。作品の発売元と発売時期の一部はMusicBrainzで確かめた。

Trivia

『Can't Get There from Here』は日本で先に出た。ビクターエンタテインメントの日本盤(VICP-60628)は1999年5月に発売され、アメリカのPortrait盤は同じ年の7月に続いている。日本盤には13曲目として日本盤だけのボーナス・トラックが入っている。マーク・ケンドールによれば、このアルバムでは往年のツイン・リヴァーブのようなコンボ・アンプをずらりとそろえ、ほぼ全曲をそれで録ったが、日本向けのボーナス曲だけはMesa Boogieのアンプを使ったという。ケンドールはこの曲を「When the Good Die Young」と呼んでいる。

出典: タワーレコード オンライン「キャント・ゲット・ゼア・フロム・ヒア/Great White」(VICP-60628、2026年10月16日参照)

「Once Bitten Twice Shy」は、1990年のグラミー賞で最優秀ハード・ロック・パフォーマンスにノミネートされた。同じ部門の候補はAEROSMITHの「Love in an Elevator」、MOTLEY CRUEの「Dr. Feelgood」、GUNS N' ROSESの『G N'R Lies』で、受賞したのはLIVING COLOURの「Cult of Personality」だった。GUNS N' ROSESは当時、GREAT WHITEと同じアラン・ニーヴンがマネージメントしていたバンドで、この曲のカヴァーを勧めたのもGUNS N' ROSESのイジー・ストラドリンだった。

出典: Recording Academy「Best Hard Rock Performance 1990 Winners & Nominees」(2026年10月16日参照)

ジャック・ラッセルは11歳ですでにバンドに入っていた。16歳でオーディ・デスブロウと知り合い、しばらくデスブロウのバンドで活動したが、オリジナル曲をやろうとしないことに見切りをつけて抜けたという。その頃しきりに電話をかけてきたのが、張り合っていた別のバンドのギタリスト、マーク・ケンドールだった。ケンドールの側から見れば、組んでいたシンガーが高い音を出しきれずに気落ちしていたところへラッセルがオーディションに現れ、2人で自分たちのバンドを作ることにしたのだという。2人が組んだ時、ラッセルは17歳だった。ラッセルは2013年、人生の大半をケンドールと過ごしてきた、歴代の妻たち全員と過ごした時間を合わせたよりも長く一緒にいたと笑って語っている。デスブロウはのちに、ラッセルの旧友としてGREAT WHITEのドラムの座に就いた。

出典: Louder「The strange and terrible true story of Great White, and the Station nightclub fire」(Jon Hotten、2024年2月20日)

マーク・ケンドールに、自分たちにもできるかもしれないと思わせたのはVAN HALENだった。ケンドールは彼らが入場料1ドルの裏庭のパーティーで演奏するのを見ていたが、すぐ近所のそのバンドがワーナー・ブラザースと契約してレコードを出したのである。あのバンドにできるなら、運さえ味方すれば自分たちにもできると考えたとケンドールは語り、2013年の取材でも、VAN HALENが契約を手にした時に、これは実現できることなのだとみんなが思ったと振り返っている。1980年代初めのハリウッドは、MOTLEY CRUE、RATT、DOKKENと、いつも誰かが出演しているほど活気づいていたという。

出典: Louder「The strange and terrible true story of Great White, and the Station nightclub fire」(Jon Hotten、2024年2月20日)

DANTE FOXのシンガー探しは難航した。ジャック・ラッセルが服役でバンドを離れた後、マーク・ケンドールは一からやり直すことになり、新聞に広告を出して、ドラムのトニー・モンタナとベースのDon Costaを見つけた。3人はすぐに息が合ったが、シンガーが決まらない。ロブ・ハルフォードそっくりの声のシンガーがいたこともあり、ジョン・ブッシュもオーディションに呼んだ。ブッシュは見事だったがバンドには合わなかったという。次に加わった女性シンガーのLisa Bakerはバンドの色をがらりと変え、テレビの仕事をしていた父親が業界人向けのショーケースを用意したが、話が実を結ぶ前にジョージ・リンチが自分のバンドXCITERへ引き抜いていった。出所したラッセルが改めてオーディションを受けて加わったDANTE FOXは、やがてGREAT WHITEになる。

出典: Louder「The strange and terrible true story of Great White, and the Station nightclub fire」(Jon Hotten、2024年2月20日)

のちにマネージャーとなるアラン・ニーヴンにDANTE FOXを見に行けと勧めたのはドン・ドッケンだった。ロサンゼルスの配給会社Greenworldで働いていたニーヴンは、DOKKENの『Breaking the Chains』を持ち込んできたドッケンと親しくなり、同じ家に住んでいた。ところがニーヴンの第一印象は散々で、ベーシストは黒ずくめ、ギタリストは白ずくめ、シンガーは半分が黒で半分が白、VAN HALENとJUDAS PRIESTのなりそこないだったと振り返っている。見落としている、もう一度見ろと言われて出かけた2度目はさらにひどかったが、ドッケンへの敬意から3度目も足を運ぶと、Troubadourでのアンコールで演奏したHUMBLE PIEのカヴァーでマーク・ケンドールが会場を圧倒した。ニーヴンはバンドにテープを持ってくるよう頼んだという。

出典: Louder「The strange and terrible true story of Great White, and the Station nightclub fire」(Jon Hotten、2024年2月20日)

GREAT WHITEという名前を持ち込んだのはアラン・ニーヴンである。マーク・ケンドールによれば、マネージャーになったニーヴンがまず口にしたのは、DANTE FOXという名前が気に入らないということで、GREAT WHITEのほうがはるかに良いと勧めてきた。メンバーも初めは乗り気でなかったが、ホホジロザメを思い浮かべてみると悪くないと思えたという。ケンドールは、この名前が音楽の方向を縛らないことも良かったと語り、どの曲でも過激なことを歌わなければならないようなSLAYERという名前と比べている。

出典: Guitar World「Mark Kendall on Great White’s two tragedies, welcoming grunge」(Andrew Daly、2026年1月29日)

GREAT WHITEの最初のレーベルは、アラン・ニーヴンが始めたばかりのAegeanだった。名前はニーヴンの頭文字AGNから取ったもので、ニーヴンによれば、最初の契約アーティストはBERLINで、2組目にGREAT WHITEを据えたかったのだという。ジャック・ラッセルとマーク・ケンドールからマネージャーも引き受けてほしいと頼まれたニーヴンは、レーベルを持つ人間がマネージャーを兼ねるのは利害がまともにぶつかると答えたが、ラッセルにそのうち分かるさと返され、腹をくくって引き受けた。こうしてAegeanから出たのが、1983年のEP『Out of the Night』である。

出典: Louder「The strange and terrible true story of Great White, and the Station nightclub fire」(Jon Hotten、2024年2月20日)

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News

GREAT WHITEの創設メンバーMark Kendall、自伝『Soul Of A Man』を2027年秋に出版

Diversion Booksと契約し、Jeffrey Mangusとの共著で刊行。南カリフォルニアのクラブ・シーンからの歩みに加え、依存症からの回復とステージIVの癌との闘いにも触れる。

出典: Blabbermouth(2026年8月28日)

ニュース一覧 →

Current Members / 現メンバー

バンドの公式サイトで確認した現行ラインナップです。2026-10-16時点。

Mark Kendall
リード・ギター
Michael Lardie
ギター、キーボード
Audie Desbrow
ドラム
Scott Snyder
ベース
Brett Carlisle
ヴォーカル

Albums

Full Circle CD
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GREAT WHITEの13作目。2017年6月2日発売。最初のEPとデビュー作を手がけたプロデューサーのマイケル・ワグナーと再び組み、制作の記録を収めたDVDが付いた。

Elation CD
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GREAT WHITEの12作目。2012年5月にFrontiersから発売。XYZのテリー・アイロスが歌った最初のアルバムで、ジャック・ラッセル抜きで作られた初めてのスタジオ・アルバムである。

Rising CD
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GREAT WHITEの11作目。2009年3月13日にヨーロッパで発売。ベーシストのスコット・スナイダーが加わり、ジャック・ラッセルがバンドで歌った最後のスタジオ・アルバムとなった。

Back to the Rhythm CD
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GREAT WHITEの10作目。2007年7月17日発売。2007年1月に再結集したメンバーによる8年ぶりのアルバムで、マイケル・ローディーがプロデュースと録音、ミックスを手がけた。

Can't Get There from Here CD
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GREAT WHITEの9作目のスタジオ・アルバム。ジャック・ブレイズのプロデュースで、1999年5月に日本で先に発売され、アメリカではPortraitから出た。

Let It Rock CD
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GREAT WHITEの8作目のスタジオ・アルバム。1996年2月に日本のビクターエンタテインメントから先に発売され、アメリカでは同年5月にImagoから出た。

Sail Away CD

GREAT WHITEの7作目のスタジオ・アルバム。1994年5月にZoo Entertainmentから出たアメリカ盤は、ライヴ・ディスク『Anaheim Live』付きの2枚組だった。

Psycho City CD

GREAT WHITEの6作目のスタジオ・アルバム。1992年にCapitolから発売され、アラン・ニーヴンとマイケル・ローディーがプロデュースした。全米107位を記録した。

Hooked CD

GREAT WHITEの5作目のスタジオ・アルバム。1991年2月にCapitolから発売され、全米18位、全英43位を記録した。同年4月18日にRIAAのゴールドに認定されている。

...Twice Shy CD
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GREAT WHITEの4作目。1989年4月12日Capitol発売。イアン・ハンター作の「Once Bitten Twice Shy」がホット100で5位、アルバムはダブル・プラチナに。

Once Bitten CD

GREAT WHITEの3作目。1987年6月にCapitolから発売。7分を超える「Rock Me」がバンド初のホット100入りを果たし、アルバムはRIAAのプラチナに認定された。

Shot in the Dark CD

GREAT WHITEの2作目。1986年に自主レーベルTelegraphから発売され、同年Capitolが再発した。Wyn Davisのプロデュースで、ビルボード200で82位。

Great White CD

GREAT WHITEのデビュー・アルバム。1984年2月にEMI Americaから発売。プロデューサーはEPに続きマイケル・ワグナーで、ビルボード200で最高144位を記録した。