GREAT WHITE TRIVIA

Trivia

『Can't Get There from Here』は日本で先に出た。ビクターエンタテインメントの日本盤(VICP-60628)は1999年5月に発売され、アメリカのPortrait盤は同じ年の7月に続いている。日本盤には13曲目として日本盤だけのボーナス・トラックが入っている。マーク・ケンドールによれば、このアルバムでは往年のツイン・リヴァーブのようなコンボ・アンプをずらりとそろえ、ほぼ全曲をそれで録ったが、日本向けのボーナス曲だけはMesa Boogieのアンプを使ったという。ケンドールはこの曲を「When the Good Die Young」と呼んでいる。

出典: タワーレコード オンライン「キャント・ゲット・ゼア・フロム・ヒア/Great White」(VICP-60628、2026年10月16日参照)

「Once Bitten Twice Shy」は、1990年のグラミー賞で最優秀ハード・ロック・パフォーマンスにノミネートされた。同じ部門の候補はAEROSMITHの「Love in an Elevator」、MOTLEY CRUEの「Dr. Feelgood」、GUNS N' ROSESの『G N'R Lies』で、受賞したのはLIVING COLOURの「Cult of Personality」だった。GUNS N' ROSESは当時、GREAT WHITEと同じアラン・ニーヴンがマネージメントしていたバンドで、この曲のカヴァーを勧めたのもGUNS N' ROSESのイジー・ストラドリンだった。

出典: Recording Academy「Best Hard Rock Performance 1990 Winners & Nominees」(2026年10月16日参照)

ジャック・ラッセルは11歳ですでにバンドに入っていた。16歳でオーディ・デスブロウと知り合い、しばらくデスブロウのバンドで活動したが、オリジナル曲をやろうとしないことに見切りをつけて抜けたという。その頃しきりに電話をかけてきたのが、張り合っていた別のバンドのギタリスト、マーク・ケンドールだった。ケンドールの側から見れば、組んでいたシンガーが高い音を出しきれずに気落ちしていたところへラッセルがオーディションに現れ、2人で自分たちのバンドを作ることにしたのだという。2人が組んだ時、ラッセルは17歳だった。ラッセルは2013年、人生の大半をケンドールと過ごしてきた、歴代の妻たち全員と過ごした時間を合わせたよりも長く一緒にいたと笑って語っている。デスブロウはのちに、ラッセルの旧友としてGREAT WHITEのドラムの座に就いた。

出典: Louder「The strange and terrible true story of Great White, and the Station nightclub fire」(Jon Hotten、2024年2月20日)

マーク・ケンドールに、自分たちにもできるかもしれないと思わせたのはVAN HALENだった。ケンドールは彼らが入場料1ドルの裏庭のパーティーで演奏するのを見ていたが、すぐ近所のそのバンドがワーナー・ブラザースと契約してレコードを出したのである。あのバンドにできるなら、運さえ味方すれば自分たちにもできると考えたとケンドールは語り、2013年の取材でも、VAN HALENが契約を手にした時に、これは実現できることなのだとみんなが思ったと振り返っている。1980年代初めのハリウッドは、MOTLEY CRUE、RATT、DOKKENと、いつも誰かが出演しているほど活気づいていたという。

出典: Louder「The strange and terrible true story of Great White, and the Station nightclub fire」(Jon Hotten、2024年2月20日)

DANTE FOXのシンガー探しは難航した。ジャック・ラッセルが服役でバンドを離れた後、マーク・ケンドールは一からやり直すことになり、新聞に広告を出して、ドラムのトニー・モンタナとベースのDon Costaを見つけた。3人はすぐに息が合ったが、シンガーが決まらない。ロブ・ハルフォードそっくりの声のシンガーがいたこともあり、ジョン・ブッシュもオーディションに呼んだ。ブッシュは見事だったがバンドには合わなかったという。次に加わった女性シンガーのLisa Bakerはバンドの色をがらりと変え、テレビの仕事をしていた父親が業界人向けのショーケースを用意したが、話が実を結ぶ前にジョージ・リンチが自分のバンドXCITERへ引き抜いていった。出所したラッセルが改めてオーディションを受けて加わったDANTE FOXは、やがてGREAT WHITEになる。

出典: Louder「The strange and terrible true story of Great White, and the Station nightclub fire」(Jon Hotten、2024年2月20日)

のちにマネージャーとなるアラン・ニーヴンにDANTE FOXを見に行けと勧めたのはドン・ドッケンだった。ロサンゼルスの配給会社Greenworldで働いていたニーヴンは、DOKKENの『Breaking the Chains』を持ち込んできたドッケンと親しくなり、同じ家に住んでいた。ところがニーヴンの第一印象は散々で、ベーシストは黒ずくめ、ギタリストは白ずくめ、シンガーは半分が黒で半分が白、VAN HALENとJUDAS PRIESTのなりそこないだったと振り返っている。見落としている、もう一度見ろと言われて出かけた2度目はさらにひどかったが、ドッケンへの敬意から3度目も足を運ぶと、Troubadourでのアンコールで演奏したHUMBLE PIEのカヴァーでマーク・ケンドールが会場を圧倒した。ニーヴンはバンドにテープを持ってくるよう頼んだという。

出典: Louder「The strange and terrible true story of Great White, and the Station nightclub fire」(Jon Hotten、2024年2月20日)

GREAT WHITEという名前を持ち込んだのはアラン・ニーヴンである。マーク・ケンドールによれば、マネージャーになったニーヴンがまず口にしたのは、DANTE FOXという名前が気に入らないということで、GREAT WHITEのほうがはるかに良いと勧めてきた。メンバーも初めは乗り気でなかったが、ホホジロザメを思い浮かべてみると悪くないと思えたという。ケンドールは、この名前が音楽の方向を縛らないことも良かったと語り、どの曲でも過激なことを歌わなければならないようなSLAYERという名前と比べている。

出典: Guitar World「Mark Kendall on Great White’s two tragedies, welcoming grunge」(Andrew Daly、2026年1月29日)

GREAT WHITEの最初のレーベルは、アラン・ニーヴンが始めたばかりのAegeanだった。名前はニーヴンの頭文字AGNから取ったもので、ニーヴンによれば、最初の契約アーティストはBERLINで、2組目にGREAT WHITEを据えたかったのだという。ジャック・ラッセルとマーク・ケンドールからマネージャーも引き受けてほしいと頼まれたニーヴンは、レーベルを持つ人間がマネージャーを兼ねるのは利害がまともにぶつかると答えたが、ラッセルにそのうち分かるさと返され、腹をくくって引き受けた。こうしてAegeanから出たのが、1983年のEP『Out of the Night』である。

出典: Louder「The strange and terrible true story of Great White, and the Station nightclub fire」(Jon Hotten、2024年2月20日)

EP『Out of the Night』は、まともなレコード契約もないバンドのインディ盤ながら、ロサンゼルスのラジオ局KMETとKLOSのプレイリストに入った。アラン・ニーヴンが両局を説き伏せたもので、マーク・ケンドールは、ロサンゼルス最大の局KMETでQUEENやトム・ペティと並んでかかったのは前代未聞だったと振り返っている。数百人の前で演奏していたバンドは、やがてMagic Mountainで6000人を超える観客を前にヘッドライナーを務めるまでになった。1週間半にわたって毎日のようにメジャー・レーベルと会い、8社から書面で契約の申し出を受けて、バンドはEMI Americaを選んだ。

出典: Louder「The strange and terrible true story of Great White, and the Station nightclub fire」(Jon Hotten、2024年2月20日)

デビュー・アルバム『Great White』の「On Your Knees」は、もとは「In Love」という題だった。マーク・ケンドールによれば、マネージャーもプロデューサーもいなかった頃に書きためた曲は、契約の話を持ってきたA&Rの手で、特に歌詞が大きく変えられ、経験のあったドン・ドッケンも歌詞を少し手伝ったという。ケンドールは、当時の自分たちの歌詞は少々陳腐だったと認めている。同じアルバムの「Stick It」も、もとは「Money」という曲だった。2019年10月に出たデモ集『The Roots of Great White 1978-1982』には、この2曲の元の形が収められている。ジャック・ラッセルによれば、8トラックのテープで粗く録ったものだという。

出典: Songfacts「Mark Kendall of Great White」(Songwriter Interviews、2022年5月19日)

EMI Americaと契約したGREAT WHITEは、プロデューサーにマイケル・ワグナーを迎えてデビュー・アルバムを作り、ヨーロッパではWHITESNAKEの前座を務め、アメリカとカナダでは1984年にJUDAS PRIESTのツアーに同行した。ACCEPTやDOKKENでの仕事で知られるワグナーが、スタジオでジャック・ラッセルに拳を握れと何度も声をかけていたのをアラン・ニーヴンは覚えている。ラッセル自身はのちに、バンドはJUDAS PRIESTに近い音から出発し、1作目は重すぎ、2作目は柔らかすぎたが、『Once Bitten』でようやくブルースを土台にしたロック・バンドという本来の姿をつかんだと語っている。

出典: Louder「The strange and terrible true story of Great White, and the Station nightclub fire」(Jon Hotten、2024年2月20日)

デビュー作の後、GREAT WHITEはEMI Americaとの契約を失った。アラン・ニーヴンは前回契約を申し出てきた残りの7社に当たり直したが、最初に袖にされたことを根に持たれていたという。2作目『Shot in the Dark』は自分たちで作るしかなく、マーク・ケンドールによれば、ある人物から1万5000ドルを借りてまかなった。ケンドールは貸し主の名前を取って、これを冗談めかして「Fred Records」と呼んでいる。THE ANGELSの曲のカヴァー「Face the Day」は、レコード会社がついていないのにラジオ3局でかかり、やがてEMIの親会社であるCapitolがバンドと契約して、アルバムを改めて発売した。アルバムはビルボード200で82位まで上がっている。子会社に切られたバンドを親会社が拾うなど、二度目のチャンスはまずないことだとケンドールは振り返っている。

出典: Louder「The strange and terrible true story of Great White, and the Station nightclub fire」(Jon Hotten、2024年2月20日)

『Once Bitten』で固まったGREAT WHITEの顔ぶれには、スタジオのミキシング卓の側から加わったメンバーがいる。キーボードとギターのマイケル・ローディーは、『Shot in the Dark』の録音でセカンド・エンジニアを務めていた人物だった。同じ頃、ジャック・ラッセルの旧友のオーディ・デスブロウがドラムに収まった。ローディーはその後、ラッセルやマーク・ケンドール、マネージャーのアラン・ニーヴンとともに「Rock Me」「House of Broken Love」「Desert Moon」「Love Is a Lie」などの作者に名を連ねている。

出典: Louder「The strange and terrible true story of Great White, and the Station nightclub fire」(Jon Hotten、2024年2月20日)

「Rock Me」は、マーク・ケンドールが「やるか終わるか」の1枚と呼ぶ『Once Bitten』の要だった。ケンドールは、ここで人の心に残る曲を作れなければバンドはそこで終わっていたと考えている。曲は、1つの音を鳴らし続けながら、その上で別の動きを重ねたいというケンドールの発想から生まれた。ヴァースではベースが同じ音にとどまり、ギターのフレーズやハーモニカがその上で少しずつ表情を変えていく。仕上がった曲がスタジオのスピーカーから流れると、Capitolの人たちは部屋中を跳ね回って「これだ」と叫び、ケンドール自身も鳥肌が立ったという。アルバム版は7分19秒あるが、シングルは4分12秒に縮められ、1987年9月にビルボードのHot 100で60位まで上がった。これがGREAT WHITE初のHot 100入りである。

出典: Songfacts「Rock Me by Great White」(2026年10月16日参照)

7分を超える「Rock Me」をラジオに乗せるために、アラン・ニーヴンはひと芝居打った。マーク・ケンドールによれば、ニーヴンは『Once Bitten』の全曲の演奏時間を3分59秒と表記し、ラジオ局に送ったシングルにもそう書かれていた。それまでヒット曲がなく、CMまでに3、4分の曲を流したいラジオ局へ7分の曲を渡すことをケンドールはひどく心配していたが、誰も何も言わず、気づかれた時にはもうヒットしていたという。

出典: Songfacts「Mark Kendall of Great White」(Songwriter Interviews、2022年5月19日)

バラード「Save Your Love」は、わずか1か月だけGREAT WHITEにいたギタリストが残した曲である。ジャック・ラッセルと共作したStephan Williamsはマーク・ケンドールの親友で、ケンドールによれば、ステージではひどく緊張して力を出しきれなかったが、部屋で曲を書かせると抜群だった。ケンドールは彼と3週間ほど2人きりで曲作りをし、『Shot in the Dark』の「Waiting for Love」はその時に生まれている。Williamsの「Save Your Love」はもともと大仰なイントロにミュートを効かせたピッキングという作りだったが、曲の骨組みがとても美しかったので、バンドはそのアイデアを生かしながらアコースティックな形に仕立て直したという。シングルはビルボードのHot 100で57位まで上がった。

出典: Songfacts「Save Your Love by Great White」(2026年10月16日参照)

『Once Bitten』が出た1987年7月は、GUNS N' ROSESの『Appetite for Destruction』が出た月でもあった。2つのバンドは、どちらもアラン・ニーヴンが自分の会社Stravinski Bros.でマネージメントしていた。GUNS N' ROSESはGeffenのトム・ズタウトが契約したものの評判が悪く、ズタウトがニーヴンに引き受けてくれるよう拝み倒さんばかりに頼んだバンドだった。ニーヴンは2組の相乗効果を狙い、GREAT WHITEのミュージック・ビデオの撮影にGUNS N' ROSESの撮影をいくつか便乗させ、GREAT WHITEのツアーでは良い前座の枠を与えている。ニーヴンは日記に3つの欄を作り、GREAT WHITEがその日どこにいるか、GUNS N' ROSESがどこにいるか、自分がどこにいるべきかを書き分けていた。

出典: Louder「The strange and terrible true story of Great White, and the Station nightclub fire」(Jon Hotten、2024年2月20日)

「Once Bitten Twice Shy」をGREAT WHITEに勧めたのは、GUNS N' ROSESのイジー・ストラドリンだった。ストラドリンが両バンドのマネージャーだったアラン・ニーヴンに聴かせ、ニーヴンがバンドに持ち込んだのである。原曲はイアン・ハンターの1975年の曲で、イギリスでは14位のヒットになったが、アメリカではヒットせず、ほとんど知られていなかった。マーク・ケンドールもそれまで聴いたことがなかったという。ニーヴンが惚れ込んだのは、ツアー暮らしを描いた歌詞で、家に帰らず路上で暮らしていたバンドにはぴったりだった。前作『Once Bitten』に続くアルバムを『...Twice Shy』と名づければ、一度噛まれたら二度目は用心する、という言い回しも完成する。シングルにするつもりはなかったが、仕上がりがあまりに良く、レコード会社がこれで決まりだと言ったのだという。

出典: Songfacts「Once Bitten, Twice Shy by Great White」(2026年10月16日参照)

GREAT WHITEは、カヴァーを決めるずっと前からイアン・ハンター本人と妙な縁があった。マーク・ケンドールによれば、ある時ハンターがバンドのツアー・バスに乗り込んで公演先まで同行し、一緒に過ごしたことがあった。1984年のJUDAS PRIESTのツアーでは、ドラム・ライザーが必要になったバンドに、ハンターと親しいサウンド・エンジニアがハンターの家にあると教えてくれ、ニューヨークに住むハンターの家の裏庭から、文字どおりライザーを借りてきたのだという。おかしなことに、どちらの出会いもカヴァーとは何の関係もなかったとケンドールは語っている。

出典: Ultimate Classic Rock「35 Years Ago: Great White Break Out With '... Twice Shy'」(Jeff Giles、2014年4月12日)

GREAT WHITEは「Once Bitten Twice Shy」の歌詞を少しだけ変えている。イアン・ハンターの原曲の「Greyhound bus」は「grey tour bus」になり、ハンターが「I, I, I」と歌うコーラスを、ジャック・ラッセルは「My, my, my」と歌った。マーク・ケンドールは、コーラスの歌詞を少し変えたところで曲が独り歩きを始めたと振り返っている。原曲を知らない人が多かったので、カヴァーとは気づかれないことも多かった。ケンドールはレコード店で前に並んだ男性が、娘がこのバンドを大好きなのだが名前が分からない、「Once Bitten Twice Shy」のバンドはあるかと尋ねるのを、まさにそのバンドのギタリストとして後ろで聞いていたことがあるという。

出典: Songfacts「Once Bitten, Twice Shy by Great White」(2026年10月16日参照)

「Once Bitten Twice Shy」は1989年5月13日付でビルボードのHot 100に初登場し、8月12日付で5位まで上がって26週チャートにとどまった。GREAT WHITE最大のヒットで、RIAAは同年7月26日にシングルのゴールド・ディスクを認定している。アルバム『...Twice Shy』もビルボード200で9位まで上がって50週チャートに入り、1989年9月28日に2倍のプラチナ・ディスクとなった。前作『Once Bitten』も53週チャートにとどまり、1988年4月27日にプラチナに認定されている。ずっと後の2015年12月15日には、1993年のベスト盤『The Best of Great White 1986-1992』もゴールドに認定された。

出典: Billboard「Great White Chart History」(Hot 100、Billboard 200。2026年10月16日参照)

ピアノのバラード「The Angel Song」は、もともとギターで作られた曲である。マーク・ケンドールによれば、曲は最初から最後までギターで書かれ、そのパートをピアノに弾かせる形で仕上げた。メロディはジャック・ラッセルと固めたが、歌詞はおもにマネージャーのアラン・ニーヴンが手がけ、ラッセルも加わったという。ケンドールの記憶では、作者のクレジットはニーヴンとケンドールの2人だけである。シングルは1989年9月30日付でビルボードのHot 100に入って30位まで上がり、「Once Bitten Twice Shy」とともに、バンドにとって初めてのトップ40ヒットになった。

出典: Songfacts「Mark Kendall of Great White」(Songwriter Interviews、2022年5月19日)

「House of Broken Love」は『...Twice Shy』から切られた最後のシングルで、アルバムの発売から9か月ほどたった1990年初めに出た。アルバム版は1分44秒のイントロを含めて5分58秒あるが、シングルでは4分13秒に縮められた。シングルのB面には「Bitches and Other Women」と題したメドレーが入っていて、中身はTHE ROLLING STONESの「Bitch」と「It's Only Rock 'n' Roll」、FOREIGNERの「Women」をつないだカヴァーである。「House of Broken Love」の作者はジャック・ラッセル、アラン・ニーヴン、マイケル・ローディーの3人で、シングルはビルボードのHot 100で83位を記録した。

出典: Songfacts「House Of Broken Love by Great White」(2026年10月16日参照)

GREAT WHITEは、バンド名のサメをアルバムの題や映像にも持ち込んだ。1987年の『Once Bitten』に続く1989年のアルバムを『...Twice Shy』と名づけて言い回しを完成させ、ナイジェル・ディックが監督した「Rock Me」のミュージック・ビデオでは、女性がハープーン・ガンで銛を撃ち、女性たちがサメの歯のネックレスを身につけている。1991年の『Hooked』では、裸のモデルが巨大な釣り針に吊られて海へ下ろされていくジャケットを使った。Louderの記事は、このジャケットが失敗で、バンドを実際以上に時代から取り残されたように見せたと評している。

出典: Louder「The strange and terrible true story of Great White, and the Station nightclub fire」(Jon Hotten、2024年2月20日)

『Hooked』からの最初のシングル「Call It Rock N' Roll」は、レコード会社の反対を押し切って選ばれた。マーク・ケンドールによれば、ブルースを下敷きにしたこの曲は「Once Bitten Twice Shy」に作りが近すぎるとレコード会社がひどく気をもみ、シングルにすることに反対したが、マネージャーのアラン・ニーヴンが延々と議論して押し通した。ケンドール自身は今ではレコード会社に同意していて、自分ならアルバムに入れたSteve Marriottの曲のカヴァー「Afterglow」を先に出して、違う面を見せたかったという。シングルはビルボードのHot 100で53位にとどまったが、アルバムはビルボード200で18位まで上がり、1991年4月18日にゴールド・ディスクに認定された。

出典: Songfacts「Mark Kendall of Great White」(Songwriter Interviews、2022年5月19日)

1992年の『Psycho City』は、マネージャーのアラン・ニーヴンにとってとりわけ個人的なアルバムだった。「Big Goodbye」「Never Trust a Pretty Face」「Love Is a Lie」「Step on You」と、今から見れば曲名に裏切りの影がはっきり表れている。マーク・ケンドールによれば、「Love Is a Lie」のアイデアはニーヴンが持ち込んだもので、歌詞の一部はバンドではなくニーヴン自身の経験から来ていた。そこが少し引っかかってはいるが、ニーヴンは6人目のメンバーのような存在だったからとケンドールは語っている。『Psycho City』はCapitolでの最後のアルバムとなり、ビルボード200では107位にとどまった。

出典: Louder「The strange and terrible true story of Great White, and the Station nightclub fire」(Jon Hotten、2024年2月20日)

1999年の『Can't Get There from Here』は、NIGHT RANGERのジャック・ブレイズがプロデュースした。マーク・ケンドールによれば、ブレイズを推したのはレコード会社のジョン・カロドナーで、バンドにも異論はなかった。GREAT WHITEは「Rock Me」がラジオでかかり始めた頃にNIGHT RANGERとツアーを回っていて、ブレイズの腕前も人となりもよく知っていたのである。ドラムとベースはロサンゼルスで録り、そのテープをブレイズの牧場に持ち込んで、マイケル・ローディー、ジャック・ラッセル、ケンドールの3人がほかのパートを重ねた。1曲足りなくなった時には、断片しかなかった曲をブレイズが引き取り、ソングライターのGary Burrと仕上げた。ケンドールの記憶では、ナッシュヴィルの相手と電話でやりとりしながら10分ほどで書き上げたという。それがアルバムの「In the Tradition」である。

出典: Songfacts「Mark Kendall of Great White」(Songwriter Interviews、2022年5月19日)

LED ZEPPELINの曲を集めた『Great Zeppelin: A Tribute to Led Zeppelin』は、スタジオ録音ではなくライヴ盤である。1996年12月にカリフォルニア州サンタアナのGalaxy Theatreで行ったコンサートを収めたもので、1998年にフランスのレーベルAxe Killerから発売され、アメリカでは翌1999年にDeadline Musicから出た。ジャック・ラッセルは2019年、自分のバンドJACK RUSSELL'S GREAT WHITEで続編の『Great Zeppelin II』をライヴで作っていると語っている。

出典: Blabbermouth「JACK RUSSELL To Release Sequel To GREAT WHITE's LED ZEPPELIN Tribute Album 'Great Zeppelin'」(2019年2月1日)

一時期、GREAT WHITEを名乗るバンドは2つあった。ジャック・ラッセルは2011年に自分のGREAT WHITEを始め、2012年3月、自分が健康上の理由でバンドを離れている間もマーク・ケンドール、マイケル・ローディー、オーディ・デスブロウがGREAT WHITEの名前を使い続けているとして3人を訴え、3人も反訴した。1年あまりの争いの末、連邦の治安判事の前で3日間にわたる非公開の調停が行われ、2013年7月に和解が発表された。条件の多くは明かされなかったが、GREAT WHITEの名前は現在のバンドが使い続け、ラッセルはJACK RUSSELL'S GREAT WHITEとして活動することになった。

出典: Blabbermouth「GREAT WHITE, JACK RUSSELL Reach Agreement Over Use Of Band Name」(2013年7月23日)

2017年の『Full Circle』に入った「This Is the Life」のイントロを弾いたのは、マーク・ケンドールの4歳の孫である。金属製のピックでケンドールのギターの真ん中あたりの弦をこすってピック・スライドを鳴らし、ヘッドのところまで一気に駆け上がる音で、ケンドールがその弦から外れるなと声をかけると、孫は最初のテイクで完璧にやってのけたという。曲のもとになったリフは、ドラムのオーディ・デスブロウがハミングでベースのスコット・スナイダーに伝え、スナイダーがギターで形にしたもので、ケンドールがそれを曲に仕上げた。歌っているのは、当時のシンガーのテリー・アイロスである。

出典: Songfacts「This Is The Life by Great White」(2026年10月16日参照)