1. レッド・ロッカーの多面的な肖像
現代のアメリカン・ハードロック界において、サミー・ヘイガー (SAMMY HAGAR)、本名サミュエル・ロイ・ヘイガー (Samuel Roy Hagar) ほど、商業的な成功とアーティスティックな長寿、そしてビジネスマンとしての卓越した手腕を同時に体現している人物は稀有である。「レッド・ロッカー (The Red Rocker)」の愛称で親しまれるSAMMY HAGARは、1970年代初頭のモントローズ (MONTROSE) での衝撃的なデビュー以来、半世紀以上にわたり音楽シーンの第一線で活動を続けている。
SAMMY HAGARのキャリアは単線的なものではない。ソロアーティストとしての確固たる地位、世界的なスーパーバンドであるヴァン・ヘイレン (VAN HALEN) での黄金時代、そしてチキンフット (CHICKENFOOT) やザ・サークル (The Circle) といったスーパーグループでの活動と、常に形を変えながら進化を続けてきた。さらに、自身のライフスタイルを具現化したブランド「カボ・ワボ (Cabo Wabo)」の創設者として、テキーラおよびレストラン事業で巨万の富を築いた実業家としての側面も、SAMMY HAGARのアイデンティティを形成する不可欠な要素である。
2. 形成期: サリナスからフォンタナへの苦難の道のり (1947-1972)
2.1 不安定な幼少期と父の影響
サミー・ヘイガー (SAMMY HAGAR) は1947年10月13日、カリフォルニア州サリナス (Salinas, California)で生を受けた。父ロバート・アルトン・"ボビー"・ヘイガー (Robert Alton "Bobby" Hagar) と母アルバータ・"グラディス"・ヘイガー (Alberta "Gladys" Hagar) の間に生まれたSAMMY HAGARは、母方の祖父サム・ロイ・バイオ (Sam Roy Baio) にちなんで名付けられた。ヘイガー自身はアイルランド系およびイタリア系の血を引いていると公言している。
ヘイガーの人格形成において、父ボビーの存在は暗い影と強い反面教師としての影響を与えた。ボビーは第二次世界大戦 (World War II) から帰還した後、深刻なPTSDを抱えていたと推測され、友人たちからは「精神的にダメージを受けた」と評されていた。彼はプロボクサーとしての経歴を持ち、一度の試合で20回ダウンしたという壮絶な記録を持つ不屈のファイターであったが、リングの外では重度のアルコール依存症に苦しむ「町の酔っ払い (town drunk)」であった。
ヘイガー一家の生活は極貧を極めた。父は製鉄所であるカイザー・スティール・ミル (Kaiser Steel Mill) の平炉で働いていたが、稼いだ金の大半を酒に費やし、家賃を払えずに一家は転居を繰り返した。ヘイガーの回想によれば、カリフォルニア州フォンタナ (Fontana, California) だけで9回もの引っ越しを経験している。さらに、一家はレタス畑の労働キャンプや、父の暴力から逃れるためにオレンジ畑に停めた車の中で寝泊まりすることもあった。父は妻や子供たちに対して暴力を振るう「完全なアルコール中毒の狂人」であったとヘイガーは述壊しており、この過酷な家庭環境が、ヘイガーに早熟な自立心とハングリー精神を植え付けたことは想像に難くない。
2.2 音楽への転向と初期のバンド活動
ヘイガーが10歳の時、母グラディス (Gladys) はついに決断を下し、子供たちを連れて夫の元を去った。父の暴力からの解放は、ヘイガーにとって人生の転機となった。当初、SAMMY HAGARは父の影響もありボクサーを目指していたが、次第に音楽、特にロックンロールが持つ表現の自由とエネルギーに魅了されていった。
高校時代、SAMMY HAGARは家計を助けるためにフルーツの収穫、新聞配達、芝刈りといった労働に従事しながら音楽への情熱を育んだ。高校卒業後、「できるだけ早くフォンタナ (Fontana) を出たい」と願っていたSAMMY HAGARは、1970年にはすでに結婚し子供を設けていたが、音楽で身を立てるという決意を固め、本格的なバンド活動を開始する。
初期のキャリアにおいて、SAMMY HAGARはジョニー・ブールウェア (Johnny Boulware) やジャスティス・ブラザーズ (The Justice Brothers)、スキンニー (Skinny)、ダスト・クラウド (Dust Cloud) といったローカルバンドでボーカルを務め、R&Bやソウルミュージックの要素を取り入れた力強い歌唱法を磨いていった。この時期の下積み経験が、後のSAMMY HAGARの代名詞となる、観客を扇動し熱狂させるエネルギッシュなステージパフォーマンスの基礎となったのである。
3. モントローズ時代: ハードロックの夜明け (1973-1975)
3.1 鮮烈なるデビューとプロト・メタルの確立
1973年、ヘイガーのキャリアにおける最初の大きな飛躍が訪れる。エドガー・ウィンター・グループ (Edgar Winter Group) を脱退したギタリスト、ロニー・モントローズ (Ronnie MONTROSE) に見出され、彼の新しいバンド、モントローズ (MONTROSE) のリードシンガーとして抜擢されたのである。バンドのラインナップは、ドラムのデニー・カーマッシ (Denny Carmassi)、ベースのビル・チャーチ (Bill Church) を加えた4人編成であった。
同年リリースされたデビューアルバム 『モントローズ (MONTROSE)』は、プロデューサーにドゥービー・ブラザーズ (The Doobie Brothers) や後のヴァン・ヘイレン (VAN HALEN) を手掛けるテッド・テンプルマン (Ted Templeman) を迎え制作された。このアルバムは、アメリカン・ハードロックの歴史における金字塔と見なされている。収録曲である「Rock the Nation」、「Bad Motor Scooter」、そして「Space Station #5」は、ヘイガーの金属的で伸びのあるシャウトと、ロニー・モントローズの重厚かつ鋭利なギターリフが完璧に融合しており、後のヘヴィメタル・ブームの雛形となった。
ヘイガー自身が語るように、トム・ショルツ (Tom Scholz / Boston) やヴァン・ヘイレン (VAN HALEN) といった後続のミュージシャンたちは、このアルバムを「バイブル (The Bible)」として崇めた。モントローズ (MONTROSE) は、サンフランシスコ (San Francisco) やパリ (Paris) での公演ではヘッドライナーを務めるほどの人気を博し、特にフランスでの人気は絶大であった。
3.2 音楽性の相違と解雇劇
しかし、華々しいデビューの裏で、バンド内部、特にロニー・モントローズ (Ronnie MONTROSE) とサミー・ヘイガー (SAMMY HAGAR) の間には深刻な亀裂が生じていた。ロニーはバンドの絶対的なリーダーとして振る舞い、フロントマンとして急速に注目を集め始めたヘイガーに対して嫉妬や懸念を抱いていたとされる。
1974年にリリースされたセカンドアルバム『ペイパー・マネー (Paper Money)』の制作中、その対立は表面化した。ロニーは「ヘヴィメタルは終わった (Metal is over)」と主張し、ハードロック路線からの脱却を画策した。彼はよりソフトで実験的なサウンドを求め、ヘイガーが志向するラウドでアグレッシブなロックとは相容れない方向へバンドを導こうとした。
結果として、1975年のヨーロッパツアー中、ヘイガーはロニーによってバンドを解雇されるという屈辱を味わう。この出来事はヘイガーにとって大きな挫折であったが、同時に「自分の音楽は自分でコントロールする」という強い独立心を育む契機ともなった。皮肉なことに、ロニーが「終わった」と断じたハードロック/ヘヴィメタルは、数年後にヴァン・ヘイレン (VAN HALEN) の登場によって世界的な爆発的ブームを迎えることになる。
4. ソロキャリアの構築: キャピトルからゲフィンへの飛躍 (1976-1985)
4.1 キャピトル・レコード時代の苦闘と成長
この時期、ヘイガーはレコードセールスこそ爆発的ではなかったものの、年間を通じて過酷なツアーをこなし、ライブ動員を着実に増やしていった。SAMMY HAGARのライブはエネルギーに満ち溢れ、アメリカ中西部や西海岸を中心に熱狂的な支持基盤を築き上げた。しかし、キャピトル・レコード側はSAMMY HAGARをどのように売り出すべきか迷走しており、ヘイガーは自身の市場価値とレコード会社のサポートのギャップに苦しんでいた。
- 『ナイン・オン・ア・テン・スケール (Nine on a Ten Scale)』 (1976): ソロデビュー作。商業的には振るわなかったが、SAMMY HAGARのソングライティング能力の萌芽が見られる。
- 『サミー・ヘイガー (SAMMY HAGAR)』 (1977): 通称「レッド・アルバム」。このアルバム収録の「Red」により、SAMMY HAGARは「レッド・ロッカー (The Red Rocker)」としてのアイデンティティを確立した。ステージ上で赤い衣装を纏い、赤いギターをかき鳴らすスタイルは、SAMMY HAGARのトレードマークとなった。
- 『ストリート・マシーン (Street Machine)』 (1979): 「Plain Jane」や「This Planet's on Fire (Burn in Hell)」を収録。SF的なテーマや疾走感のある楽曲は、コアなファン層を拡大させた。
- 『デンジャー・ゾーン (Danger Zone)』 (1980): キャピトル時代最後のアルバム。ジャーニー (Journey) のスティーヴ・ペリー (Steve Perry) とニール・ショーン (Neal Schon) がゲスト参加している。
4.2 ゲフィン・レコード移籍と商業的ブレイク
- 『スタンディング・ハンプトン (Standing Hampton)』 (1981): キース・オルセン (Keith Olsen) プロデュースによる移籍第一弾。「I'll Fall in Love Again」や「There's Only One Way to Rock」といったアンセムが生まれ、自身初のプラチナ・ディスク (100万枚) を獲得した。
- 『スリー・ロック・ボックス (Three Lock Box)』 (1982): シンセサイザーを導入したポップなサウンドで、「Your Love Is Driving Me Crazy」がビルボード・ホット100で13位を記録するヒットとなった。
4.3 「I Can't Drive 55」と国民的認知
1984年、アルバム 『VOA (Voice of America)』 がリリースされた。このアルバムからのリードシングル 「I Can't Drive 55 (アイ・キャント・ドライヴ・55)」は、MTV世代におけるヘイガーの地位を決定づけた。当時アメリカで導入されていた最高速度55マイル (約88km/h) 制限に対する不満を爆発させたこの曲は、車社会アメリカのフラストレーションを代弁する文化的アンセムとなった。ミュージックビデオでの派手な演出も相まって、ヘイガーは一躍スタジアム級のロックスターへと登り詰めた。
4.4 HSAS プロジェクト: スーパーグループの予行演習
ヴァン・ヘイレン (VAN HALEN) 加入直前の1983年から1984年にかけて、ヘイガーは一時的なスーパープロジェクト「HSAS (Hagar Schon Aaronson Shrieve)」に参加している。メンバーは以下の通りである:
- サミー・ヘイガー (SAMMY HAGAR): ボーカル
- ニール・ショーン (Neal Schon): ギター (ジャーニー / Journey)
- ケニー・アーロンソン (Kenny Aaronson): ベース (フォガット / Foghat 他)
- マイケル・シュリーヴ (Michael Shrieve): ドラム (サンタナ / Santana)
彼らはアルバム『スルー・ザ・ファイア (Through the Fire)』 (1984) をリリースした。プロコル・ハルム (Procol Harum) の「A Whiter Shade of Pale (青い影)」のハードロック・カバーを含むこの作品は、ライブレコーディングにオーバーダブを施すという手法で制作され、ヘイガーの即興性とボーカルの力量を改めて証明した。
5. ヴァン・ヘイレン黄金時代: 頂点への到達と確執 (1985-1996)
5.1 運命の電話と加入劇
1985年、カリスマ的ボーカリストであったデヴィッド・リー・ロス (David Lee Roth) がヴァン・ヘイレン (VAN HALEN) を脱退。バンドは存続の危機に瀕していた。リーダーでありギタリストのエディ・ヴァン・ヘイレン (Eddie Van Halen) は、共通の知人であるフェラーリのメカニックを通じてサミー・ヘイガー (SAMMY HAGAR) の連絡先を入手し、彼に連絡を取った。
ヘイガーがスタジオ「5150」を訪れ、ジャムセッションを行った瞬間、両者の間には魔法のような化学反応が起きた。ヘイガーの広い声域とリズムギターのスキルは、エディにこれまでにない作曲の自由を与えた。ロス時代のショーマンシップ重視のスタイルから、より音楽的でメロディアスな方向への転換が可能になったのである。
5.2 「ヴァン・ヘイガー」によるチャート制覇
ヘイガー加入後のヴァン・ヘイレン (VAN HALEN) は、商業的に空前の成功を収めた。一部の熱狂的なロス信者からの反発(彼らは皮肉を込めて「ヴァン・ヘイガー (Van Hagar)」と呼んだ)はあったものの、数字は圧倒的な支持を証明していた。
- 『5150』 (1986): ヘイガー加入第一弾。アルバムは初の全米チャート1位を獲得し、「Why Can't This Be Love」、「Dreams」、「Love Walks In」などのヒットを連発した。
- 『OU812』 (1988): 2作連続の全米1位。「When It's Love」などのパワーバラードがヒット。
- 『F.U.C.K. (For Unlawful Carnal Knowledge)』 (1991): グランジ・ブームの最中にリリースされた、よりヘヴィで社会意識の高いアルバム。「Right Now」はそのミュージックビデオと共に社会現象となり、グラミー賞 (Grammy Award) のベスト・ハード・ロック・パフォーマンスを受賞した。
- 『バランス (Balance)』 (1995): 4作連続の全米1位を達成。しかし、歌詞やサウンドには当時のバンド内の緊張感やエディの精神状態を反映したダークな雰囲気が漂っていた。
5.3 崩壊への序曲と1996年の分裂
1990年代半ば、バンドの結束は崩れ始めていた。主な要因はエディ・ヴァン・ヘイレン (Eddie Van Halen) の深刻化するアルコール依存と健康問題、そして長年のマネージャーであったエド・レフラー (Ed Leffler) の死後に就任したレイ・ダニエルズ (Ray Danniels) とヘイガーの対立であった。
1996年、映画『ツイスター (Twister)』への楽曲提供を巡り対立が決定的となる。ヘイガーは妻の出産と休養を優先したかったが、エディとレイ・ダニエルズはスタジオ入りを強要した。さらに、予定されていたベストアルバム『ベスト・オブ・ヴォリューム1 (Best Of - Volume I)』に新曲を収録する際、ヘイガーへの相談なしにデヴィッド・リー・ロス (David Lee Roth) を呼び戻す画策が裏で進行していたことなどが、ヘイガーの不信感を決定的なものにした。
1996年の父の日 (Father's Day)、エディからの電話によりヘイガーは事実上の解雇を通告される。この分裂劇はメディアを通じて泥沼の非難合戦へと発展し、かつての「兄弟愛」は憎悪へと変わってしまった。
6. 再起と実験: ワボリタスとカボ・ライフスタイル (1997-2003)
6.1 ソロへの回帰と『マーチング・トゥ・マーズ』
ヴァン・ヘイレン (VAN HALEN) を追われたヘイガーは、精神的なリセットを図った。1997年のアルバム『マーチング・トゥ・マーズ (Marching to Mars)』は、SAMMY HAGARのキャリアの中でも特に評価の高い作品の一つである。このアルバムには、「Little White Lie」のようなヴァン・ヘイレン時代への決別を示唆する楽曲や、よりブルージーで内省的な楽曲が含まれており、アーティストとしての深みを見せつけた。
6.2 ザ・ワボリタスとパーティ・ロックの確立
この時期、SAMMY HAGARは自身のバックバンド「ザ・ワボリタス (The Waboritas)」を結成し、自身のライフスタイルブランド「カボ・ワボ (Cabo Wabo)」と連動した活動を本格化させる。メンバー構成は以下の通り:
- ヴィック・ジョンソン (Vic Johnson): ギター
- モナ・ネイダー (Mona Gnader): ベース
- デヴィッド・ラウザー (David Lauser): ドラム (初期からの盟友)
アルバム『レッド・ヴードゥー (Red Voodoo)』 (1999) に収録された「Mas Tequila」は、SAMMY HAGARのテキーラ・ビジネスと音楽が見事に融合した例であり、SAMMY HAGARのライブ(特にカボ・サン・ルーカスでのバースデー・バッシュ)は、音楽と祝祭が一体となった独自のエンターテインメントへと進化した。
6.3 サイドプロジェクト: ロス・トレス・グサノスとプラネット・アス
ヘイガーはこの時期、自由な音楽活動を謳歌するためにいくつかのサイドプロジェクトを行っている。
- ロス・トレス・グサノス (Los Tres Gusanos): 「3匹の芋虫」を意味するトリオ。ヘイガー、マイケル・アンソニー (Michael Anthony)、デヴィッド・ラウザー (David Lauser) で構成され、主にカボ・ワボ・カンティーナ (Cabo Wabo Cantina) でのライブやイベントで演奏した。公式リリースはないが、ファンにはカルト的な人気を誇る。
- プラネット・アス (Planet Us) (2002): ジャーニー (Journey) のニール・ショーン (Neal Schon) らと結成した短命なスーパーグループ。「Vertigo」などの楽曲を残したが、各メンバーのスケジュールの都合で本格的な活動には至らなかった。
7. 2004年の悪夢: ヴァン・ヘイレン再結成ツアー
2004年、ヴァン・ヘイレン (VAN HALEN) はベストアルバム『ザ・ベスト・オブ・ボス・ワールド (The Best of Both Worlds)』のリリースに伴い、サミー・ヘイガー (SAMMY HAGAR) の復帰とツアーを発表した。ファンは歓喜したが、内実は悲惨なものであった。
エディ・ヴァン・ヘイレン (Eddie Van Halen) の心身の状態は最悪であり、アルコールと薬物の影響で言動は支離滅裂であった。ヘイガーの回想によれば、エディはバックステージで「狂人」のように振る舞い、ステージ上でも演奏が崩壊することが度々あった。ヘイガーはエディの死を予感するほどの危機感を抱いたが、バンド内のコミュニケーションは完全に断絶していた。
80公演に及ぶツアーは商業的には成功したが、終了と同時にヘイガーとマイケル・アンソニー (Michael Anthony) は再びバンドを離れ、エディとの関係は修復不可能なほど悪化した。
8. 新たなる黄金期: チキンフットとザ・サークル (2008-現在)
8.1 チキンフット: 純粋なロックへの回帰
2008年、ヘイガーは「スーパーグループ」と呼ばれることを嫌いながらも、奇跡的なラインナップのバンド、チキンフット (CHICKENFOOT) を結成した。
- サミー・ヘイガー (SAMMY HAGAR): ボーカル
- ジョー・サトリアーニ (Joe Satriani): ギター
- マイケル・アンソニー (Michael Anthony): ベース
- チャド・スミス (Chad Smith): ドラム (レッド・ホット・チリ・ペッパーズ / Red Hot Chili Peppers)
カボ・ワボでのジャムセッションから自然発生的に生まれたこのバンドは、2009年のデビューアルバム『チキンフット (CHICKENFOOT)』でゴールドディスクを獲得。ヴァン・ヘイレン時代の重圧から解放されたヘイガーは、純粋に音楽を楽しむ姿勢を取り戻した。
8.2 ザ・サークル: キャリアの集大成
2014年には、自身の全キャリアを総括するバンド、サミー・ヘイガー&ザ・サークル (SAMMY HAGAR & The Circle) を始動させた。
- サミー・ヘイガー (SAMMY HAGAR)
- マイケル・アンソニー (Michael Anthony)
- ジェイソン・ボーナム (Jason Bonham): ドラム (レッド・ツェッペリンのジョン・ボーナムの息子)
- ヴィック・ジョンソン (Vic Johnson): ギター
彼らは、モントローズ、ソロ、ヴァン・ヘイレン、そしてレッド・ツェッペリン (Led Zeppelin) の楽曲を演奏し、ファンに究極のセットリストを提供した。2019年のスタジオアルバム『スペース・ビトウィーン (Space Between)』は、「金銭と貪欲さ」をテーマにしたコンセプトアルバムであり、批評的にも商業的にも成功を収めた。パンデミック中の2021年には『ロックダウン 2020 (Lockdown 2020)』を、2022年にはナッシュビル (Nashville) のRCAスタジオで録音された『クレイジー・タイムズ (Crazy Times)』を発表し、創造性が枯渇していないことを証明した。
8.3 「ザ・ベスト・オブ・オール・ワールド」ツアー (2024-2025)
2020年のエディ・ヴァン・ヘイレン (Eddie Van Halen) の死後(死の直前にヘイガーとエディはテキストメッセージで和解を果たしている)、ヘイガーはエディの功績を称えるための活動を開始した。2024年から2025年にかけて行われている「ザ・ベスト・オブ・オール・ワールド (The Best of All Worlds)」ツアーでは、ジョー・サトリアーニ (Joe Satriani) がエディのパートを演奏し、マイケル・アンソニー (Michael Anthony)、ケニー・アロノフ (Kenny Aronoff) (ジェイソン・ボーナムの後任) と共に、ヴァン・ヘイレンの名曲を中心としたステージを展開している。
9. ビジネス帝国の構築: カボ・ワボ・スピリット
サミー・ヘイガー (SAMMY HAGAR) の特筆すべき点は、ミュージシャンとしての成功と同等か、それ以上にビジネスマンとして成功を収めたことである。
9.1 カボ・ワボ・カンティーナ (Cabo Wabo Cantina) の伝説
1990年、SAMMY HAGARは当時まだ静かな漁村であったメキシコ (Mexico) のカボ・サン・ルーカス (Cabo San Lucas) に、「カボ・ワボ・カンティーナ (Cabo Wabo Cantina)」をオープンした。当初はヴァン・ヘイレンのメンバー全員が出資していたが、経営難によりヘイガー以外のメンバーは権利を放棄した。ヘイガーはこれを個人的な情熱で立て直し、世界中からロックファンが集まる聖地へと変貌させた。現在、ラスベガス (Las Vegas) のストリップ地区などにも支店を持つ。
9.2 テキーラ・ビジネスでの勝利
店で提供する最高のテキーラを求め、地元の蒸留所と提携して「カボ・ワボ・テキーラ (Cabo Wabo Tequila)」を開発した。SAMMY HAGARはこれを単なる「セレブリティのグッズ」として売ることを拒否し、品質本位で市場に投入した。その結果、プレミアム・テキーラ・ブームの先駆けとなり、2007年には株式の80%をイタリアのカンパリ・グループ (Gruppo Campari) に8000万ドル (約90億円) で売却。その後残りの株式も1100万ドル以上で売却し、総額1億ドル近い利益を得た。
その後も、「サミーズ・ビーチ・バー・ラム (Sammy's Beach Bar Rum)」や缶カクテル事業、レストランチェーン「サミーズ・ビーチ・バー&グリル (Sammy's Beach Bar & Grill)」を展開し、その収益の一部を「ヘイガー・ファミリー財団 (Hagar Family Foundation)」を通じてフードバンクや子供の支援活動に寄付している。
10. ディスコグラフィ (Discography)
以下に、サミー・ヘイガー (SAMMY HAGAR) が関わった主要なアルバムを網羅する。チャート順位は主に全米ビルボード200 (Billboard 200) を参照。
10.1 モントローズ (MONTROSE)
| 発表年 (Year) | タイトル (Title) | チャート (US) | 概要 (Overview) |
|---|---|---|---|
| 1973 | MONTROSE (モントローズ) | 133 | 「Rock the Nation」収録。アメリカン・ハードロックの原点。プラチナ認定。 |
| 1974 | Paper Money (ペイパー・マネー) | 65 | 「I Got the Fire」収録。より多様な音楽性を模索した作品。 |
10.2 ソロ・アルバム (Solo Studio Albums)
| 発表年 (Year) | タイトル (Title) | チャート (US) | 認定 (RIAA) | 主要曲・備考 (Key Tracks & Notes) |
|---|---|---|---|---|
| 1976 | Nine on a Ten Scale | - | - | ソロデビュー作。ドノヴァン (Donovan) のカバー等を収録。 |
| 1977 | SAMMY HAGAR | 167 | - | 通称「レッド・アルバム (The Red Album)」。「Red」収録。 |
| 1978 | Musical Chairs | 100 | - | 「Turn Up the Music」収録 |
| 1979 | Street Machine (ストリート・マシーン) | 71 | - | 「Plain Jane」、「This Planet's on Fire」収録 |
| 1980 | Danger Zone (デンジャー・ゾーン) | 85 | - | キャピトル最終作。「Love or Money」収録 |
| 1981 | Standing Hampton (スタンディング・ハンプトン) | 28 | Platinum | ゲフィン移籍第一弾。「I'll Fall in Love Again」収録 |
| 1982 | Three Lock Box (スリー・ロック・ボックス) | 17 | Gold | 「Your Love Is Driving Me Crazy」が大ヒット |
| 1984 | VOA (ヴォイス・オブ・アメリカ) | 32 | Platinum | 「I Can't Drive 55」収録。ソロ最大のヒット作の一つ。 |
| 1987 | I Never Said Goodbye | 14 | Gold | VH在籍中にリリース。エディがベースで全面参加。 |
| 1997 | Marching to Mars | 18 | - | 「Little White Lie」収録。VH脱退後の復帰作。 |
| 1999 | Red Voodoo | 22 | - | The Waboritas名義。「Mas Tequila」収録。 |
| 2000 | Ten 13 | 52 | - | The Waboritas名義。自身の誕生日に由来。 |
| 2002 | Not 4 Sale | 181 | - | The Waboritas名義。 |
| 2006 | Livin' It Up! | 50 | - | The Waboritas名義。 |
| 2008 | Cosmic Universal Fashion | 95 | - | 様々なミュージシャンとのコラボ作。 |
| 2013 | SAMMY HAGAR & Friends | 23 | - | キッド・ロック (Kid Rock) 等が参加したコラボ集。 |
10.3 HSAS (Hagar Schon Aaronson Shrieve)
| 発表年 (Year) | タイトル (Title) | チャート (US) | 概要 (Overview) |
|---|---|---|---|
| 1984 | Through the Fire (スルー・ザ・ファイア) | 42 | 「A Whiter Shade of Pale」カバー収録。ニール・ショーンとの共演作。 |
10.4 ヴァン・ヘイレン (VAN HALEN)
| 発表年 (Year) | タイトル (Title) | チャート (US) | 認定 (RIAA) | 概要 (Overview) |
|---|---|---|---|---|
| 1986 | 5150 | 1 | 6x Platinum | バンド初のNo.1アルバム。「Why Can't This Be Love」収録。 |
| 1988 | OU812 | 1 | 3x Platinum | 「When It's Love」、「Finish What Ya Started」収録。 |
| 1991 | For Unlawful Carnal Knowledge | 1 | 3x Platinum | 「Right Now」、「Poundcake」収録。グラミー賞受賞作。 |
| 1995 | Balance (バランス) | 1 | 3x Platinum | 「Can't Stop Lovin' You」収録。ヘイガー在籍最後のスタジオ作。 |
| 2004 | The Best of Both Worlds | 3 | Platinum | 新曲3曲を含むベスト盤。 |
10.5 チキンフット (CHICKENFOOT)
| 発表年 (Year) | タイトル (Title) | チャート (US) | 認定 (RIAA) | 概要 (Overview) |
|---|---|---|---|---|
| 2009 | CHICKENFOOT | 4 | Gold | 「Oh Yeah」収録。スーパーグループのデビュー作。 |
| 2011 | CHICKENFOOT III | 9 | - | 「Big Foot」収録。タイトルはジョークで実際は2作目。 |
10.6 サミー・ヘイガー&ザ・サークル (SAMMY HAGAR & The Circle)
| 発表年 (Year) | タイトル (Title) | チャート (US) | 種類 | 概要 (Overview) |
|---|---|---|---|---|
| 2015 | At Your Service | 4 | Live | 全キャリアからのベスト選曲ライブ盤。 |
| 2019 | Space Between | 4 | Studio | コンセプトアルバム。「Trust Fund Baby」収録。 |
| 2021 | Lockdown 2020 | - | Covers | パンデミック中のリモートセッション集。 |
| 2022 | Crazy Times | 95 | Studio | デイヴ・コブ (Dave Cobb) プロデュース。 |
11. 不屈の「レッド・ロッカー」
サミー・ヘイガー (SAMMY HAGAR) のキャリアを振り返るとき、そこには一貫した「生命力」と「楽しむことへの執着」が見て取れる。貧困からの脱出、バンドからの解雇、巨大な商業的成功、そして裏切りと和解。そのすべての局面において、SAMMY HAGARは自身の直感とポジティブなエネルギーを信じ、道を切り拓いてきた。
サミー・ヘイガー (SAMMY HAGAR) は、エディ・ヴァン・ヘイレン (Eddie Van Halen) という天才の隣で、その才能を最大限に引き出しながらも、決してその影に埋没することはなかった。むしろ、ヴァン・ヘイレンという巨大な器を利用して自身を成長させ、その後のビジネスと音楽活動の基盤を築いたのである。70代後半を迎えた現在も、SAMMY HAGARはテキーラを片手にステージに立ち、満面の笑みでロックンロールを歌い続けている。その姿は、ロックが決して若者だけのものではなく、人生を謳歌するための永遠のツールであることを証明している。