AEROSMITH

エアロスミス (AEROSMITH)は、アメリカ合衆国マサチューセッツ州ボストン (Boston, Massachusetts)を拠点とし、半世紀以上にわたりロックシーンの最前線を走り続けた伝説的なバンドである。

Biography

エアロスミス (AEROSMITH)
アメリカン・ハードロックの覇者、その栄光と苦闘

1. ボストンのバッド・ボーイズが遺した記念碑的遺産

エアロスミス (AEROSMITH)は、アメリカ合衆国マサチューセッツ州ボストン (Boston, Massachusetts)を拠点とし、半世紀以上にわたりロックシーンの最前線を走り続けた伝説的なバンドである。AEROSMITHは「アメリカ最高のロックンロール・バンド (America's Greatest Rock and Roll Band)」と称され、全世界で1億5,000万枚以上のアルバムセールスを記録した。その音楽性は、リズム・アンド・ブルース (Rhythm and Blues) に深く根差したハードロック (Hard Rock)であり、ローリング・ストーンズ (The Rolling Stones) やヤードバーズ (The Yardbirds) といったブリティッシュ・インヴェイジョン (British Invasion) の影響を色濃く受けながらも、アメリカ独自の荒々しさとスワッガー (Swagger) を加味したスタイルを確立した。

バンドの中核を成すのは、野性的かつ情感豊かなヴォーカルとアクロバティックなステージパフォーマンスで知られるスティーヴン・タイラー (Steven Tyler) と、ルーズでグルーヴィーなギターリフを生み出すジョー・ペリー (Joe Perry) である。この二人は、その退廃的なライフスタイルと破壊的なまでの相性の良さから「トキシック・ツインズ (The Toxic Twins / 中毒の双子)」と呼ばれ、ロック界を代表するソングライティング・コンビとして君臨した。

2. 黎明期: サナピー湖での邂逅とボストンへの集結 (1964-1970)

2.1 運命の交差点: ザ・バーン (The Barn)

エアロスミスの物語は、ニューハンプシャー州サナピー湖 (Lake Sunapee, New Hampshire) という、都会の喧騒から離れた避暑地で幕を開ける。1960年代後半、若き日のスティーヴ (後のスティーヴン・タイラー)は、ニューヨーク州ヨンカーズ (Yonkers, New York) 出身で、すでに「チェーン・リアクション (Chain Reaction)」などのバンドでドラマー兼ヴォーカリストとして活動し、レコードリリースの経験もあった。彼は毎年夏をサナピー湖にある家族の別荘 「トローウェン (Trow-Rico)」で過ごしていた。

一方、マサチューセッツ州出身のジョー・ペリーは、サナピー湖畔のレストラン「アンカレッジ (The Anchorage)」 で皿洗いのアルバイトをして生計を立てながら、ベーシストのトム・ハミルトン (Tom Hamilton) と共に「ジャム・バンド (The Jam Band)」 という名のトリオで活動していた。彼らの活動拠点は、地元のクラブ 「ザ・バーン (The Barn)」であった。

1969年から1970年にかけての夏、タイラーは「ザ・バーン」で演奏するジャム・バンドを目撃する。当時のジャム・バンドは、フリートウッド・マック (Fleetwood Mac)の「ラトルスネイク・シェイク (Rattlesnake Shake)」などを演奏していたが、その演奏は決して技術的に洗練されたものではなかった。ペリーのギターはチューニングが甘く、演奏も粗削りであったが、タイラーはそのサウンドに内包された圧倒的なエネルギーと、既存の枠に囚われない自由なスタイルに衝撃を受けた。「彼らの演奏は下手だったが、エネルギッシュなプレイが最高だった」とタイラーは後に回想している。

2.2 ボストンへの移住とメンバー探し

1970年、音楽的キャリアを本格化させるため、ペリーとハミルトンはボストンへと拠点を移した。彼らはコモンウェルス・アベニュー1325番地(1325 Commonwealth Avenue) のアパートに入居し、新たなバンドの結成を画策した。このアパートは「エアロスミス・アパートメント (AEROSMITH Apartment)」として知られ、バンドの歴史的聖地となっているが、当時はゴキブリが這い回るような劣悪な環境であったと伝えられている。

彼らはドラマーを探していたが、ここで運命的な再会が起こる。タイラーの旧友であり、同じくヨンカーズ出身のドラマー、ジョーイ・クレイマー (Joey Kramer) が合流したのである。クレイマーは当時、名門バークリー音楽大学 (Berklee College of Music) の学生であったが、バンド活動に専念するために退学を決意した。クレイマーは、タイラーがドラムではなくフロントマン (リード・ヴォーカル) に専念することを条件に、自身がドラマーとして加入することを提案した。タイラーは以前のバンドではドラムを叩きながら歌うスタイルをとっていたが、ジャム・バンドのスタイルに合わせ、ステージ前方でパフォーマンスを行うヴォーカリストへの転向を受け入れた。

2.3 バンド名の決定と初期ラインナップ

1970年10月、バンドは本格的に始動した。当初、リズム・ギターにはタイラーの幼馴染であるレイ・タバノ (Ray Tabano) が迎えられた。バンド名については、「ザ・フッカーズ (The Hookers)」や「スパイク・ジョーンズ (Spike Jones)」 といった候補が挙がっていたが、ジョーイ・クレイマーが高校時代にノートに書き留めていた「エアロスミス (AEROSMITH)」という名前を提案した。「空(Aero)」 と 「職人 (Smith)」 を組み合わせた造語であり、当初他のメンバーはこの名前に懐疑的であったが、最終的にこの名が採用された。

1970年11月6日、エアロスミスはマサチューセッツ州メンドン (Mendon, Massachusetts) にあるニプマック・リージョナル高校 (Nipmuc Regional High School) (現在はミスコ・ヒル中学校となっている場所)の体育館で、初の公式ライブを行った。この歴史的なギグは、AEROSMITHの長いキャリアの第一歩となった。

3. 飛躍への道程: クラブ・サーキットからデビューへ (1971-1974)

3.1 ブラッド・ウィットフォードの加入と黄金のラインナップ完成

初期のリズム・ギタリストであったレイ・タバノは、バンドの旧友であったが、演奏技術面での限界やプロフェッショナルとしての意識の欠如が指摘されるようになった。1971年、バンドはタバノを解雇し、代わってブラッド・ウィットフォード (Brad Whitford) を加入させた。

ウィットフォードもまたバークリー音楽大学に通っていた経歴を持ち、地元バンド「アース・インク (Earth Inc.)」 や 「シンバル・オブ・レジスタンス (Cymbals of Resistance)」での活動経験があった。彼の加入により、タイラー、ペリー、ハミルトン、クレイマー、ウィットフォードという、後に「クラシック・ラインナップ (Classic Lineup)」 と呼ばれる不動の5人が揃ったのである。ウィットフォードの堅実でテクニカルなリズム・ギターは、ペリーの直感的でルーズなリード・ギターと絶妙な対比を生み出し、エアロスミスのサウンドに厚みと奥行きをもたらした。

3.2 マックス・カンザス・シティでの伝説

ボストン周辺のクラブや大学でのライブ活動を通じて、エアロスミスは徐々にファンベースを拡大していった。AEROSMITHはローリング・ストーンズやヤードバーズのカバーを演奏しながら、徐々にオリジナル曲をセットリストに加えていった。

1972年、AEROSMITHはニューヨークに進出するチャンスを掴む。伝説的なライブハウス「マックス・カンザス・シティ (Max's Kansas City)」で行われたショーケースにおいて、コロムビア・レコード (Columbia Records) の社長クライヴ・デイヴィス (Clive Davis) がAEROSMITHの演奏を目撃したのである。逸話によれば、エアロスミスは本来その夜の出演リストには入っていなかったが、マネジメントの交渉 (あるいは強引な枠の買い取り) によってステージに立つ機会を得たとされる。

クライヴ・デイヴィスはAEROSMITHのパフォーマンスに圧倒され、その場で契約を申し出た。契約金は当時としては破格の125,000ドルであったと伝えられている。これにより、エアロスミスはメジャーデビューへの切符を手にした。

3.3 デビュー・アルバム『野獣生誕』と『飛べ! エアロスミス』

1973年1月、デビュー・アルバム 『野獣生誕 (AEROSMITH)』がリリースされた。このアルバムには、後にAEROSMITHの代表曲となる「ドリーム・オン (Dream On)」や「ママ・キン (Mama Kin)」が収録されている。当初、批評家からは「ローリング・ストーンズの亜流」といった冷ややかな評価を受けることもあったが、ボストンを中心としたニューイングランド地方では熱狂的な支持を集めた。特に「ドリーム・オン」は、当初チャートでの動きは鈍かったものの、バンドの粘り強いツアー活動により徐々に浸透していった。

翌1974年、セカンド・アルバム『飛べ! エアロスミス (Get Your Wings)』をリリース。この作品から、プロデューサーにジャック・ダグラス (Jack Douglas) を迎え入れたことが、バンドにとって極めて重要な転機となった。ダグラスはバンドの荒削りなエネルギーをスタジオ録音で再現する術を心得ており、「同じことの繰り返し (Same Old Song and Dance)」や「トレイン・ケプト・ア・ローリン (Train Kept A-Rollin')」 といった楽曲で、よりソリッドでヘヴィなサウンドを構築した。このアルバムはチャートにとどまり続け、ゴールド・ディスクを獲得する成功を収めた。

4. 黄金時代: スタジアム・ロックの覇者 (1975-1978)

4.1 『闇夜のヘヴィ・ロック』による全米制覇

1975年4月、サード・アルバム『闇夜のヘヴィ・ロック (Toys in the Attic)』がリリースされた。このアルバムは、エアロスミスを単なる人気バンドから、世界的なスーパースターへと押し上げる決定打となった。アルバム・タイトルは「屋根裏のおもちゃ」を意味するが、日本盤の邦題『闇夜のヘヴィ・ロック』は、AEROSMITHの音楽のダークで妖艶な側面を強調している。

収録曲「ウォーク・ディス・ウェイ (Walk This Way)」 と 「スウィート・エモーション (Sweet Emotion)」は、ハードロックのリフにファンク (Funk)のグルーヴを大胆に取り入れた革新的な楽曲であり、ラジオ局でヘビーローテーションされた。特に「ウォーク・ディス・ウェイ」におけるジョー・ペリーのギターリフとジョーイ・クレイマーのビートは、後のロックとヒップホップのクロスオーバーの萌芽を感じさせるものであった。このアルバムは全米チャートで11位まで上昇し、バンド初のプラチナ・ディスクを獲得した。

4.2 最高傑作『ロックス』

1976年、4枚目のアルバム『ロックス (Rocks)』がリリースされた。多くの批評家やファン、そしてスラッシュ (Slash) やカート・コバーン (Kurt Cobain) といった後のミュージシャンたちが、このアルバムをエアロスミスの最高傑作、あるいはハードロック史上最高のアルバムの一つとして挙げている。

『ロックス』は、前作以上に荒々しく、ヘヴィで、一切の妥協がないサウンドが特徴である。「バック・イン・ザ・サドル (Back in the Saddle)」の不穏なベースラインから始まり、「ラスト・チャイルド (Last Child)」 のファンキーなリズム、「リック・アンド・ア・プロミス (Lick and a Promise)」の疾走感に至るまで、バンドの創造性は頂点に達していた。このアルバムは全米3位を記録し、即座にプラチナ・ディスクを獲得した。

4.3 スタジアム・ツアーと「トキシック・ツインズ」

この時期、エアロスミスはアメリカ国内で最も観客動員力のあるバンドの一つとなっていた。AEROSMITHは野球場やドームクラスの会場(スタジアム)を次々と満員にし、その圧倒的なライブパフォーマンスで「アメリカの王者」としての地位を不動のものにした。1977年には初来日公演も行い、日本武道館でのライブは伝説となっている。

しかし、成功の代償として、バンドを取り巻く環境は退廃的なものとなっていった。メンバー全員、特にスティーヴン・タイラーとジョー・ペリーの薬物依存とアルコール乱用は深刻なレベルに達していた。AEROSMITHはステージ裏でもホテルでも常にドラッグに溺れ、その破壊的なライフスタイルから 「トキシック・ツインズ (有毒な双子)」 という不名誉なニックネームで呼ばれるようになった。この「毒」は、バンドの結束を徐々に蝕んでいった。

1977年のアルバム『ドロー・ザ・ライン (Draw the Line)』は、レコーディング・セッションのために借り切った修道院での狂乱の中で制作された。タイトル曲「ドロー・ザ・ライン」や「キングズ・アンド・クイーンズ (Kings and Queens)」などの佳曲を含むものの、制作過程におけるメンバーの集中力の欠如や、タイラーとペリーの対立が表面化し始めた作品でもあった。

5. 崩壊と暗黒の時代 (1979-1983)

5.1 「ミルク・グラス事件」とジョー・ペリーの脱退

バンド内の緊張は、1979年のアルバム『ナイト・イン・ザ・ラッツ (Night in the Ruts)』のレコーディング中に限界を迎えた。1979年7月28日、オハイオ州クリーブランド (Cleveland, Ohio) でのワールド・シリーズ・オブ・ロック (World Series of Rock) 出演時の楽屋で、決定的な事件が起こる。

通称「ミルク・グラス事件」と呼ばれるこの出来事は、トム・ハミルトンの妻とジョー・ペリーの妻(エリッサ・ジェレット) との間の些細な口論から始まった。エリッサがトムの妻にミルクをぶちまけた(あるいはグラスを投げつけた)ことがきっかけとなり、スティーヴン・タイラーとジョー・ペリーの間で激しい罵り合いが発生した。積年の不満と薬物による精神不安定が爆発し、ペリーはバンドを脱退した。

ペリーは自身のバンド「ジョー・ペリー・プロジェクト (The Joe Perry Project)」を結成し、ソロ活動を開始した。エアロスミスは後任として、ニューヨーク出身のギタリスト、ジミー・クレスポ (Jimmy Crespo)を迎え入れた。クレスポはテクニカルなプレイヤーであったが、ペリー独特のカリスマ性とタイラーとの化学反応を埋めることは困難であった。

『ナイト・イン・ザ・ラッツ』は、ペリーが脱退前に録音した音源とクレスポの演奏が混在する形で完成された。シャングリラス (The Shangri-Las) のカバー「リメンバー (Remember (Walking in the Sand))」などが収録されているが、セールスは前作を大きく下回った。

5.2 ブラッド・ウィットフォードの離脱と『美獣乱舞』

崩壊は止まらなかった。1981年、バンドの方向性やタイラーの状態に失望したブラッド・ウィットフォードもまたバンドを去った。彼はデレク・セント・ホームズ (Derek St. Holmes) と共に「ウィットフォード/セント・ホームズ (Whitford/St. Holmes)」を結成した。後任にはリック・デュケイ (Rick Dufay)が加入した。

オリジナル・ギタリスト二人を欠いた状態で制作された1982年のアルバム『美獣乱舞(Rock in a Hard Place)』は、商業的には失敗とは言えないものの(ゴールド・ディスク獲得、全米32位)、かつての魔法は失われていた。「ライトニング・ストライクス (Lightning Strikes)」などの楽曲は一定の評価を得たが、タイラーのドラッグ問題は悪化の一途をたどり、ステージ上で意識を失って倒れる事故が頻発した。特に1982年のコンサートでタイラーが倒れたことは、バンドの終焉を予感させる出来事として広く報じられた。

6. 起死回生の復活劇 (1984-1986)

6.1 「バック・イン・ザ・サドル」 再結成ツアー

1984年、エアロスミスの歴史における最大の転機が訪れる。バレンタインデーの夜、ボストンのオルフェウム・シアター (Orpheum Theater) で行われたエアロスミスのライブの楽屋に、ジョー・ペリーとブラッド・ウィットフォードが訪れたのである。かつての仲間たちは和解し、オリジナル・メンバーによる再結成が決定した。

AEROSMITHは「バック・イン・ザ・サドル・ツアー (Back in the Saddle Tour)」と銘打った再結成ツアーを敢行した。ツアーは興行的に成功を収めたものの、メンバーは依然として薬物依存の問題を抱えており、演奏は不安定であった。ゲフィン・レコード (Geffen Records) と新たに契約を結び、1985年に再結成第一弾アルバム『ダン・ウィズ・ミラーズ (Done with Mirrors)』をリリースしたが、期待されたほどのセールスは記録できず、バンドの完全復活には至らなかった。

6.2 Run-D.M.C. との 「ウォーク・ディス・ウェイ」

エアロスミスが真に「復活」し、現代のアイコンとして蘇ったのは、1986年のことであった。ヒップホップ・グループのRun-D.M.C.が、プロデューサーのリック・ルービン (Rick Rubin) の提案により、エアロスミスの「ウォーク・ディス・ウェイ」をカバーすることになったのである。

スティーヴン・タイラーとジョー・ペリーはこのカバー・バージョンにゲスト参加した。ロックとヒップホップの壁を文字通り破壊する演出がなされたミュージック・ビデオは、MTVで大量にオンエアされ、社会現象となった。これにより、エアロスミスは70年代を知らない10代の若者たちに「クールなバンド」として認知されることとなった。これは、ロックバンドがヒップホップ世代とクロスオーバーして成功した最初の、そして最も重要な例の一つである。

6.3 徹底的なリハビリテーション

マネージャーのティム・コリンズ (Tim Collins) の強力なリーダーシップの下、バンドは生き残りをかけた最大の決断を下す。メンバー全員がリハビリテーション施設に入所し、完全にドラッグとアルコールを断つこと (ソビエティ / Sobriety) を誓ったのである。AEROSMITHは「クリーン」な状態で音楽制作に取り組む新たな体制を整えた。

7. 第二の黄金期: MTVとグローバル・アイコン (1987-2000)

7.1 『パーマネント・ヴァケイション』とヒットの方程式

1987年、アルバム『パーマネント・ヴァケイション (Permanent Vacation)』がリリースされた。このアルバムでは、デズモンド・チャイルド (Desmond Child) やジム・ヴァランス (Jim Vallance) といった外部のプロフェッショナルなソングライターを積極的に起用し、ラジオ・フレンドリーで洗練された楽曲制作を行った。「デュード (Dude (Looks Like a Lady))」、「ラグ・ドール (Rag Doll)」、「エンジェル (Angel)」 といったシングルが連続してヒットし、アルバムは全米だけで500万枚以上を売り上げた。この成功により、エアロスミスは完全に第一線に復帰した。

7.2 『パンプ』と『ゲット・ア・グリップ』

1989年のアルバム『パンプ (Pump)』は、前作の成功をさらに上回るものだった。「ラヴ・イン・アン・エレベーター (Love in an Elevator)」、「ジェイニーズ・ガット・ア・ガン (Janie's Got a Gun)」(グラミー賞受賞)などのヒット曲を含み、アルバムは700万枚を売り上げた。バンドの演奏はタイトで、タイラーのヴォーカルは円熟味を増していた。

そして1993年、アルバム『ゲット・ア・グリップ (Get a Grip)』がリリースされる。全世界で2,000万枚以上を売り上げたこのアルバムは、商業的なキャリアの頂点と言える。「クライン(Cryin')」、「アメイジング (Amazing)」、「クレイジー (Crazy)」のバラード三部作のミュージック・ビデオには、女優のアリシア・シルヴァーストーン (Alicia Silverstone) やタイラーの実娘リヴ・タイラー (Liv Tyler) が起用され、MTV世代に強烈なインパクトを与えた。エアロスミスは、若者文化の中心に君臨する稀有なベテラン・バンドとなった。

7.3 『ナイン・ライヴズ』と全米No.1ヒット

1997年、古巣のコロムビア・レコードに復帰し、アルバム『ナイン・ライヴズ (Nine Lives)』をリリース。アルバム・タイトル (「9つの命を持つ猫」の意)が示す通り、幾多の危機を乗り越えてきたバンドの姿を象徴する作品となり、全米アルバムチャート1位を獲得した。日本でも邦題『ナイン・ライヴズ』として親しまれ、先行シングル 「フォーリング・イン・ラヴ (Falling in Love (Is Hard on the Knees))」がヒットした。

さらに1998年、映画『アルマゲドン (Armageddon)』 (リヴ・タイラー出演)の主題歌として、ダイアン・ウォーレン (Diane Warren) 作曲の「ミス・ア・シング (I Don't Want to Miss a Thing)」を提供。このパワー・バラードは、バンド史上初となる全米シングルチャート初登場1位を記録し、世界的なアンセムとなった。一部の古いファンからは「産業ロック化」を嘆く声もあったが、その大衆的な訴求力は圧倒的であった。

8. 21世紀の航海と終幕への序曲 (2001-2023)

8.1 ロックの殿堂入りと『ジャスト・プッシュ・プレイ』

2001年、エアロスミスはその功績が認められ、「ロックの殿堂 (Rock and Roll Hall of Fame)」入りを果たした。授賞式では、かつてAEROSMITHを酷評した批評家たちへの皮肉を込めたスピーチを行い、健在ぶりをアピールした。

同年にリリースされたアルバム『ジャスト・プッシュ・プレイ (Just Push Play)』は、プロ・ツールス (Pro Tools) を駆使したデジタルでポップなプロダクションが特徴で、ジャケットには日本人イラストレーター空山基(Hajime Sorayama) のセクシーロボットが採用された。ヒットシングル 「ジェイディッド (Jaded)」を生んだが、バンドサウンドの加工に対するジョー・ペリーの不満も伝えられた。

8.2 原点回帰と最後のオリジナル・アルバム

2004年、バンドは原点であるブルースに立ち返ったカバー・アルバム『ホンキン・オン・ボーボゥ (Honkin' on Bobo)』をリリース。スタジオでのライブ録音に近い形式で制作され、バンドの本来のグルーヴを取り戻した作品として高く評価された。

その後、メンバーのソロ活動や健康問題 (タイラーの足の手術、ハミルトンの喉頭癌治療など)により活動ペースは緩やかになったが、2012年に11年ぶりとなるオリジナル・アルバム『ミュージック・フロム・アナザー・ディメンション! (Music from Another Dimension!)』をリリース。これが事実上のラスト・スタジオ・アルバムとなった。

8.3 ラスベガス常設公演とメンバーの健康問題

2019年から、ラスベガスでのレジデンシー公演「Deuces Are Wild」を開始。高度な演出とヒット曲満載のステージは好評を博したが、この頃からドラマーのジョーイ・クレイマーが健康上の理由(足首の怪我や心臓の負担など)でステージを欠席することが増えた。2020年には、クレイマーがグラミー賞パフォーマンスへの参加を求めてバンド側を提訴するという事態も発生したが、後に彼はバンドに復帰している(ただし、ステージへの完全復帰は叶わなかった)。

9. 終焉: Peace Out ツアーと引退宣言 (2023-2025)

9.1 「Peace Out」 フェアウェル・ツアーの開幕と中断

2023年5月、バンドは結成50周年を記念し、キャリア最後となるツアー 「Peace Out: The Farewell Tour」を発表した。「Peace Out (じゃあな / さようなら)」 というタイトルには、ファンへの感謝と別れのメッセージが込められていた。このツアーにはブラック・クロウズ (The Black Crowes) がサポート・アクトとして帯同し、ドラムにはジョーイ・クレイマーに代わり、長年のドラム・テクニシャンであるジョン・ダグラス (John Douglas) が参加することが発表された。

ツアーは2023年9月にフィラデルフィアで開幕し、絶賛を受けた。しかし、わずか3公演を終えた時点で、スティーヴン・タイラーが喉に深刻なダメージを負ったため、ツアーは一時中断された。当初は「声帯の損傷」と発表されたが、実際には喉頭 (larynx) の骨折を伴う重傷であることが後に判明した。

9.2 引退宣言: 不滅のレガシー

バンドはツアーの再開を目指し、タイラーは最高の医療チームの下でリハビリテーションに励んだ。しかし、2024年8月2日、エアロスミスは公式声明を発表し、タイラーの声帯が完全な回復に至る見込みがないことを明らかにした。

声明の中でバンドは次のように述べている。「スティーヴンの声は比類なき楽器である。彼は声の回復のために数ヶ月間、精力的に取り組んできたが、悲しいことに、怪我からの完全な回復は不可能であることが明らかになった。我々は、兄弟としてのバンド (Band of brothers)として、ツアー活動のステージから引退するという、心が張り裂けそうだが、必要不可欠な決断を下した」。

これにより、1970年のニプマック・リージョナル高校での初ライブから始まったエアロスミスのライブ活動の歴史は、正式に幕を閉じた。しかし、AEROSMITHの音楽はラジオ、映画、そしてファンの心の中で生き続けている。

10. メンバー詳細バイオグラフィ (Detailed Member Biographies)

10.1 現行メンバー (最終ラインナップ)

  • スティーヴン・タイラー (Steven Tyler)
    • 本名: Steven Victor Tallarico (スティーヴン・ヴィクター・タラリコ)
    • 生年月日: 1948年3月26日
    • 出身: ニューヨーク州マンハッタン
    • 担当: リード・ヴォーカル、ハーモニカ、ピアノ、パーカッション
    • 人物: 「The Demon of Screamin' (絶叫の悪魔)」の異名を持つ。広い声域、ハスキーなシャウト、スキャットを交えた独特の歌唱法は、アクセル・ローズ (Axl Rose) など多くの後進に影響を与えた。大きな口と派手なステージ衣装、マイクスタンドに巻き付けたスカーフがトレードマーク。
  • ジョー・ペリー (Joe Perry)
    • 本名: Anthony Joseph Perry (アンソニー・ジョセフ・ペリー)
    • 生年月日: 1950年9月10日
    • 出身: マサチューセッツ州ローレンス
    • 担当: リード・ギター、バッキング・ヴォーカル
    • 人物: ギブソン・レスポールを低く構える姿が象徴的な、アメリカン・ハードロック・ギターの体現者。テクニックよりもフィーリングとグルーヴを重視し、ブルージーでダーティなリフを生み出す天才。ソロ活動やジョニー・デップ (Johnny Depp)、アリス・クーパー (Alice Cooper) との「ハリウッド・ヴァンパイアーズ (Hollywood Vampires)」でも活動。
  • トム・ハミルトン (Tom Hamilton)
    • 本名: Thomas William Hamilton (トーマス・ウィリアム・ハミルトン)
    • 生年月日: 1951年12月31日
    • 出身: コロラド州コロラドスプリングス
    • 担当: ベース
    • 人物: バンドのボトムを支える長身のベーシスト。「スウィート・エモーション (Sweet Emotion)」のイントロや、「ジェイニーズ・ガット・ア・ガン」など、バンドの重要曲の作曲にも深く関与している。冷静で知的な人柄で知られる。
  • ブラッド・ウィットフォード (Brad Whitford)
    • 本名: Bradley Ernest Whitford (ブラッドリー・アーネスト・ウィットフォード)
    • 生年月日: 1952年2月23日
    • 出身: マサチューセッツ州ウィンチェスター
    • 担当: リズム・ギター、リード・ギター
    • 人物: バークリー音楽大学出身の理論派であり、確かな技術を持つ。ペリーとのツイン・ギターの絡みはバンドのサウンドの鍵であり、楽曲によってはペリーよりもテクニカルなソロを披露する。「ラスト・チャイルド (Last Child)」などのファンキーな楽曲のリフメイカーとしても知られる。
  • ジョーイ・クレイマー (Joey Kramer)
    • 本名: Joseph Michael Kramer (ジョセフ・マイケル・クレイマー)
    • 生年月日: 1950年6月21日
    • 出身: ニューヨーク州ブロンクス
    • 担当: ドラムス
    • 人物: バンド名の名付け親。R&Bやファンクの影響を受けたグルーヴィーなドラミングで、エアロスミスの「揺れる」リズムを作り出した。晩年は健康問題でツアーから離脱したが、公式メンバーとしては最後まで在籍した。

10.2 旧メンバーおよび主なサポート・メンバー

  • レイ・タバノ (Ray Tabano): オリジナル・リズム・ギタリスト (1970-1971)。脱退後はバンドのファンクラブ運営やグッズ・デザイン (有名な翼のロゴの初期バージョンの制作など)に関わり、裏方としてバンドを支えた時期がある。
  • ジミー・クレスポ (Jimmy Crespo): リード・ギタリスト (1979-1984)。ペリー脱退後の困難な時期を支え、『美獣乱舞』での貢献は大きい。
  • リック・デュケイ (Rick Dufay): リズム・ギタリスト (1981-1984)。ウィットフォード脱退後に加入。タイラーの良き相談相手となり、オリジナル・メンバーの再結成を後押ししたと言われている。
  • ラス・アーウィン (Russ Irwin): ツアー・キーボーディスト。長年にわたりライブでのコーラスや鍵盤を担当し、バンドの「6人目のメンバー」とも呼ばれた。
  • ジョン・ダグラス (John Douglas): ドラマー。ジョーイ・クレイマーの代役として晩年のツアーに参加。

11. ディスコグラフィ (Comprehensive Discography)

以下に、エアロスミスの全スタジオ・アルバムのデータを示す。邦題(日本盤タイトル)は、日本のファンにとって非常に重要な文化的意味を持つため、併記する。

スタジオ・アルバム一覧

発表年 原題 (Original Title) 邦題 (Japanese Title) 全米チャート 概要・主要収録曲
1973 AEROSMITH 野獣生誕 21位 デビュー作。ストレートなロックンロールとブルース。「ドリーム・オン (Dream On)」、「ママ・キン (Mama Kin)」収録。
1974 Get Your Wings 飛べ! エアロスミス 74位 ジャック・ダグラス初プロデュース。バンドの個性確立。「同じことの繰り返し (Same Old Song and Dance)」収録。
1975 Toys in the Attic 闇夜のヘヴィ・ロック 11位 ブレイク作。800万枚以上のセールス。「ウォーク・ディス・ウェイ」、「スウィート・エモーション」収録。
1976 Rocks ロックス 3位 最高傑作との呼び声高いハードロックの金字塔。「バック・イン・ザ・サドル」、「ラスト・チャイルド」収録。
1977 Draw the Line ドロー・ザ・ライン 11位 混乱の中での制作だが、荒々しい魅力がある。「ドロー・ザ・ライン」、「キングズ・アンド・クイーンズ」収録。
1979 Night in the Ruts ナイト・イン・ザ・ラッツ 14位 ペリー脱退直後の作品。カバー曲多め。「リメンバー (Remember (Walking in the Sand))」収録。
1982 Rock in a Hard Place 美獣乱舞 32位 クレスポ、デュケイ在籍時唯一のアルバム。「ライトニング・ストライクス」収録。
1985 Done with Mirrors ダン・ウィズ・ミラーズ 36位 オリジナル・メンバー再結成作。原点回帰のシンプルなサウンド。「レット・ザ・ミュージック・ドゥ・ザ・トーキング」収録。
1987 Permanent Vacation パーマネント・ヴァケイション 11位 完全復活作。ポップなヒット曲満載。「デュード」、「エンジェル」、「ラグ・ドール」収録。
1989 Pump パンプ 5位 第二の黄金期を決定づけた傑作。「ジェイニーズ・ガット・ア・ガン」、「ラヴ・イン・アン・エレベーター」収録。
1993 Get a Grip ゲット・ア・グリップ 1位 全世界でメガヒット。バラード三部作収録。「リヴィン・オン・ジ・エッジ」、「クライン」収録。
1997 Nine Lives ナイン・ライヴズ 1位 コロンビア復帰作。「フォーリング・イン・ラヴ」、「ピンク (Pink)」収録。
2001 Just Push Play ジャスト・プッシュ・プレイ 2位 デジタル・プロセッシングを導入。「ジェイディッド (Jaded)」収録。ジャケットは空山基。
2004 Honkin' on Bobo ホンキン・オン・ボーボゥ 5位 ブルース・カバー・アルバム。原点回帰。「ベイビー、プリーズ・ドント・ゴー」収録。
2012 Music from Another Dimension! ミュージック・フロム・アナザー・ディメンション! 5位 最後のスタジオ・アルバム。キャリー・アンダーウッドとのデュエットなど収録。

主要ライブ・アルバムおよびコンピレーション

  • Live! Bootleg (ライヴ・ブートレッグ) (1978): 70年代の絶頂期と混沌をパッケージしたライブ盤。邦題はかつて『魔物語』と表記されたこともある。
  • Greatest Hits (グレイテスト・ヒッツ) (1980): 初期コロンビア時代のベスト。アメリカだけで1,100万枚以上を売り上げるモンスター・アルバム。
  • Big Ones (ビッグ・ワンズ) (1994): ゲフィン時代のヒット曲を網羅したベスト盤。
  • O, Yeah! Ultimate AEROSMITH Hits (アルティメイト・エアロスミス・ヒッツ) (2002): レーベルの枠を超えたオールタイム・ベスト。

12. エアロスミスが遺したもの

エアロスミスの歴史は、ロックンロールの歴史そのものである。AEROSMITHは、成功と挫折、分裂と再結成、薬物依存と克服、そして老いと病気という、バンドが直面しうるあらゆるドラマを経験し、そのたびに不死鳥のように蘇ってきた。

AEROSMITHの音楽的功績は、単にレコードを売ったことだけではない。ハードロックにファンクの要素を持ち込み、ヒップホップとの融合を最初に成功させ、ミュージック・ビデオというメディアを最大限に活用してロックを視覚的なエンターテインメントへと昇華させた点にある。そして何より、50年以上にわたり、ほぼ同じメンバーで「兄弟」として転がり続けたAEROSMITHの生き様こそが、最大の遺産であると言えるだろう。

2025年、AEROSMITHはステージを降りたが、その音楽は「ドリーム・オン」の歌詞にあるように、永遠に鳴り響き続けるだろう。「夢を見続けろ、夢が叶うまで (Dream On, Dream On, Dream Until Your Dreams Come True)」。エアロスミスは、まさにその夢を体現したバンドであった。

Trivia

ユニバーサル ミュージック ジャパンが自社のリイシューに載せた『Nine Lives』のトラックリストでは、12曲目「フォーリング・オフ」に「Bonus Track for "NINE LIVES"[Japan](1997)」という注記が付いている。つまりこの曲は、1997年の日本盤に付いていた追加曲だった。

出典: ユニバーサル ミュージック ジャパン(エアロスミス CDコレクション 告知)

1999年12月31日、AEROSMITHは大阪ドームのステージ上で2000年を迎えた。0時になった瞬間、ドームの上部にくくり付けられていた1万2,000個の風船が落ちてくる。カウントダウンのあと、スティーヴン・タイラーは「世界の祈り」と題した自作の詩を英語で朗読した。日本語訳はその日のうちにスタッフに作ってもらったもので、彼の朗読に続けて女性が読み上げるかたちを取っている。

出典: ソニーミュージック(AEROSMITH "The Roar Of The Dragon Tour" 1999-2000 In Japan レポート)

2000年1月2日、名古屋ドーム公演の日の昼間、ジョー・ペリーは車で走っているときに偶然見つけた楽器店に立ち寄った。店内で奇妙な形をしたギターに興味を示し、店員にあれこれ尋ねて即座に買っている。ブライアンというメーカーの「バタフライ・ギター」と呼ばれるモデルで、ナショナルが作っていた日本でしか出回らなかったモデルのレプリカだった。ギター・テックがピックアップなどを1日で交換してステージで使えるように改造し、4日後の1月6日、東京ドームの「I Don't Want to Miss a Thing」で実際に鳴っている。

出典: ソニーミュージック(AEROSMITH "The Roar Of The Dragon Tour" 1999-2000 In Japan レポート)

2004年の日本ツアーで、スティーヴン・タイラーは左腕に日本語を書いてステージに立った日がある。名古屋では「復活」、東京では「帰京」、7月24日のロック・オデッセイ横浜では「猛暑」。そして7月25日、大阪でのこの年の日本最終日には「完→始」と書かれていた。

出典: ソニーミュージック(THE ROCK ODYSSEY 2004 公演レポート)

2006年に日本で出た1枚もののベスト盤『エアロスミス濃縮極極ベスト』は、選曲が日本盤独自だった。さらに初回生産分には日本盤のみのボーナスDVDが付き、ビデオ・クリップが4曲収められている。レーベルはこれを、エアロスミスのビデオ・クリップがボーナスDVDとして発売される初めての機会だと告知した。収録曲欄の見出しには、「ウォーク・ディス・ウェイ」がソフトバンクのCMソングであることも掲げられている。

出典: ソニーミュージック(『エアロスミス濃縮極極ベスト』告知)

2023年8月18日に出た編集盤『Greatest Hits』を、ユニバーサル ミュージック ジャパンは6形態で発売した。全形態が日本盤のみのSHM-CD仕様である。うち4種類は日本独自企画盤で、ヒット集にボーナスのライヴ・ディスクを組み合わせたものだった。ライヴ・ディスクはレーベルによれば日本のファンのためにバンド側が用意したもので、いずれも初商品化。その1枚『ロック・フォー・ザ・ライジング・サン(ライヴ・イン・ジャパン2011)』は、このときが初CD化である。

出典: ユニバーサル ミュージック ジャパン(『グレイテスト・ヒッツ』日本盤の告知)

1999年から2000年の来日中、スティーヴン・タイラーは原宿のキデイランドで携帯電話を買っている。目当ては電話機ではなく、店にあった着メロを入れる機械だった。そこにAEROSMITHの「Dude」と「Miss A Thing」があったため、まず近くにいたスタッフの携帯に半ば強引に入れさせ、そのうち自分も欲しくなったらしい。アメリカでは使えるはずのない機種を買い、1曲200円で2曲とも入れて、子供たちに聴かせて喜んでいたという。

出典: ソニーミュージック(AEROSMITH "The Roar Of The Dragon Tour" 1999-2000 In Japan レポート/来日こぼれ話)

日本盤『Just Push Play』の商品ページには、レーベル自身による断り書きが載っている。ボーナス・トラック13曲目「フェイス」が終わったあと、約30秒の無音を挟んで「アンダー・マイ・スキン(リプライズ)」が流れるが、そのことはアートワークのどこにもクレジットされていない、というものである。

出典: ユニバーサル ミュージック ジャパン(『ジャスト・プッシュ・プレイ』UICY-80551 商品ページ)

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News

HOLLYWOOD VAMPIRES、3年ぶりの欧州ツアー初日にRONNIE WOODが飛び入り

8月12日ロンドンO2アリーナ公演のアンコールで「Brown Sugar」とブルースの定番「Train Kept A-Rollin'」を共演。バンドはAlice Cooper、AEROSMITHのJoe Perry、Johnny Depp、Tommy Henriksen。欧州公演は9月2日まで。

出典: Blabbermouth(2026年8月13日)

AEROSMITHの楽曲を題材にしたコンテンポラリー・バレエ、2027年に米ヴァージニアで初演

バンドの楽曲群を使った新作バレエ作品として上演される。

出典: Louder (Metal Hammer)(2026年7月28日)

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Albums

Music from Another Dimension! CD
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ブルース、バラード、アリーナ・ロックを一枚に収め、AEROSMITHの幅広い魅力を映す後期作。

Honkin' on Bobo CD
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ブルースの古典曲を生々しい演奏で鳴らし、AEROSMITHが原点のロックンロールへ立ち返った一枚。

Just Push Play CD
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デジタルな質感とキャッチーなフックを交差させ、エアロスミスが新世紀のロックへ接近した13作目。

Nine Lives CD
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ブルース由来のグルーヴと大きなフックを再接続し、AEROSMITHが野性味を取り戻した12作目。

Get a Grip CD
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ハードなリフと大きなバラードを同居させ、AEROSMITHが90年代のアリーナ・ロックを決定づけた一作。

Pump CD
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ブルースの粘りと洗練されたポップ感覚を結び、AEROSMITHの完全復活を決定付けたヒット作。

Permanent Vacation CD
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外部ソングライターの感覚とバンド本来の荒々しさを結び、AEROSMITHが大きな再浮上を果たした復活作。

Done with Mirrors CD
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ジョー・ペリーとブラッド・ウィットフォードの復帰後、AEROSMITHが生々しいバンド感覚を取り戻した再出発作。

Rock in a Hard Place CD
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荒々しいリフと緊迫した歌で、AEROSMITHが不安定な時期の衝動を刻んだ第七作。

Night in the Ruts CD
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荒々しいブルース・ロックの熱量を保ちつつ、AEROSMITHが緊張感の高い局面を刻んだ第6作。

Draw the Line CD
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荒々しいブルース・ロックと緊張感を抱え、AEROSMITHが70年代後半の熱を刻んだ第5作。

Rocks CD
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荒々しいリフと危険な熱量で、AEROSMITHが70年代のハード・ロックを極限まで研ぎ澄ました第4作。

Toys in the Attic CD
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ブルースの泥臭さと鋭いフックを結び、AEROSMITHが全米規模へ飛躍した第3作。

Get Your Wings CD
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ブルースに根差した重いリフとスティーヴン・タイラーの歌を結び、AEROSMITHが飛躍の足場を築いた第二作。

Aerosmith CD
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ブルースを根にした荒いギターとスティーヴン・タイラーの歌で、エアロスミスの原型を刻んだデビュー作。