AEROSMITH トリビア 全120件

AEROSMITHにまつわる事実を、出典付きで120件掲載しています。

Trivia

ユニバーサル ミュージック ジャパンが自社のリイシューに載せた『Nine Lives』のトラックリストでは、12曲目「フォーリング・オフ」に「Bonus Track for "NINE LIVES"[Japan](1997)」という注記が付いている。つまりこの曲は、1997年の日本盤に付いていた追加曲だった。

出典: ユニバーサル ミュージック ジャパン(エアロスミス CDコレクション 告知)

1999年12月31日、AEROSMITHは大阪ドームのステージ上で2000年を迎えた。0時になった瞬間、ドームの上部にくくり付けられていた1万2,000個の風船が落ちてくる。カウントダウンのあと、スティーヴン・タイラーは「世界の祈り」と題した自作の詩を英語で朗読した。日本語訳はその日のうちにスタッフに作ってもらったもので、彼の朗読に続けて女性が読み上げるかたちを取っている。

出典: ソニーミュージック(AEROSMITH "The Roar Of The Dragon Tour" 1999-2000 In Japan レポート)

2000年1月2日、名古屋ドーム公演の日の昼間、ジョー・ペリーは車で走っているときに偶然見つけた楽器店に立ち寄った。店内で奇妙な形をしたギターに興味を示し、店員にあれこれ尋ねて即座に買っている。ブライアンというメーカーの「バタフライ・ギター」と呼ばれるモデルで、ナショナルが作っていた日本でしか出回らなかったモデルのレプリカだった。ギター・テックがピックアップなどを1日で交換してステージで使えるように改造し、4日後の1月6日、東京ドームの「I Don't Want to Miss a Thing」で実際に鳴っている。

出典: ソニーミュージック(AEROSMITH "The Roar Of The Dragon Tour" 1999-2000 In Japan レポート)

2004年の日本ツアーで、スティーヴン・タイラーは左腕に日本語を書いてステージに立った日がある。名古屋では「復活」、東京では「帰京」、7月24日のロック・オデッセイ横浜では「猛暑」。そして7月25日、大阪でのこの年の日本最終日には「完→始」と書かれていた。

出典: ソニーミュージック(THE ROCK ODYSSEY 2004 公演レポート)

2006年に日本で出た1枚もののベスト盤『エアロスミス濃縮極極ベスト』は、選曲が日本盤独自だった。さらに初回生産分には日本盤のみのボーナスDVDが付き、ビデオ・クリップが4曲収められている。レーベルはこれを、エアロスミスのビデオ・クリップがボーナスDVDとして発売される初めての機会だと告知した。収録曲欄の見出しには、「ウォーク・ディス・ウェイ」がソフトバンクのCMソングであることも掲げられている。

出典: ソニーミュージック(『エアロスミス濃縮極極ベスト』告知)

2023年8月18日に出た編集盤『Greatest Hits』を、ユニバーサル ミュージック ジャパンは6形態で発売した。全形態が日本盤のみのSHM-CD仕様である。うち4種類は日本独自企画盤で、ヒット集にボーナスのライヴ・ディスクを組み合わせたものだった。ライヴ・ディスクはレーベルによれば日本のファンのためにバンド側が用意したもので、いずれも初商品化。その1枚『ロック・フォー・ザ・ライジング・サン(ライヴ・イン・ジャパン2011)』は、このときが初CD化である。

出典: ユニバーサル ミュージック ジャパン(『グレイテスト・ヒッツ』日本盤の告知)

1999年から2000年の来日中、スティーヴン・タイラーは原宿のキデイランドで携帯電話を買っている。目当ては電話機ではなく、店にあった着メロを入れる機械だった。そこにAEROSMITHの「Dude」と「Miss A Thing」があったため、まず近くにいたスタッフの携帯に半ば強引に入れさせ、そのうち自分も欲しくなったらしい。アメリカでは使えるはずのない機種を買い、1曲200円で2曲とも入れて、子供たちに聴かせて喜んでいたという。

出典: ソニーミュージック(AEROSMITH "The Roar Of The Dragon Tour" 1999-2000 In Japan レポート/来日こぼれ話)

日本盤『Just Push Play』の商品ページには、レーベル自身による断り書きが載っている。ボーナス・トラック13曲目「フェイス」が終わったあと、約30秒の無音を挟んで「アンダー・マイ・スキン(リプライズ)」が流れるが、そのことはアートワークのどこにもクレジットされていない、というものである。

出典: ユニバーサル ミュージック ジャパン(『ジャスト・プッシュ・プレイ』UICY-80551 商品ページ)

『Honkin' on Bobo』は制作が押しに押した。ソニーミュージックの告知によれば、そのために全世界的にボーナス・トラックが見送られている。例外は日本盤だけで、CM曲だった「Jaded」が13曲目として加えられた。日本盤の発売日そのものも、当初予定していた3月24日の先行発売に間に合わず3月31日にずれ込んでいる。

出典: ソニーミュージック(『HONKIN' ON BOBO』発売日決定の告知)

『Honkin' on Bobo』の日本盤初回限定盤は、CDらしくない形をしていた。DVDほどの大きさの縦長の紙製パッケージで、上部に穴が開いており、中に入っているミニ・ハーモニカが外から見えるようになっている。品番はSICP566-7、税込2,940円だった。

出典: ソニーミュージック(『HONKIN' ON BOBO』発売日決定の告知)

オリコンのチャート・データで、AEROSMITHのアルバムにタイアップ欄が付いているのは『Honkin' on Bobo』だけである。日本ではコカ・コーラ「コカ・コーラC2」のCMソングとして扱われていた。同作の日本での最高位は6位、登場は21週だった。

出典: ORICON NEWS(エアロスミス アルバム売上ランキング)

日本で最初に出たAEROSMITHのアルバムは、デビュー作ではなくセカンドである。ユニバーサル ミュージック ジャパンの解説によれば、全米で1974年3月に出た『Get Your Wings』が日本では1975年5月に発売され、これが彼らの日本デビュー盤となった。

出典: uDiscover Music Japan(ユニバーサル ミュージック ジャパン/紙ジャケット・シリーズの告知)

1977年に初来日して以来、何度も日本を回っていながら、AEROSMITHには『ライヴ・イン・ジャパン』と呼べるアルバムが長く存在しなかった。それが実現したのは2023年である。2011年の来日公演の映像作品『Rock For The Rising Sun』の音源を日本盤のために新たにマスタリングし、編集盤『Greatest Hits』の日本独自形態にボーナス・ディスクとして付けた。同作は日本では6形態で出ており、そのうち4形態が日本限定だった。

出典: uDiscover Music Japan(増田勇一 による『Greatest Hits』日本盤の記事)

1998年3月の来日について、ソニーミュージックのスタッフによるツアー・レポートは「洋楽アーティストで初めて4大ドーム大成功というステイタスを得た」と書いている。ただしこのときの「4大ドーム」は4つの都市のことではない。同じレポートの日程は名古屋ドーム3月1日、大阪ドーム3月3日、東京ドーム3月8日と9日、そして横浜アリーナの追加公演2本で、福岡の文字は全編を通して一度も出てこない。翌日の記述では、タイラーがドーム公演を何回やったのかと尋ね、スタッフが「4回だけど……」と答えている。つまりドーム3会場での4公演を指していた。

異説あり出典: ソニーミュージック(SMEインターナショナル・スタッフによるエアロスミス来日レポート 完全版)

日本でAEROSMITHの曲が最もよく耳に入る場所は、長らくテレビCMだった。2018年1月22日、ソニーミュージックの公式アーティスト・ページは「ミス・ア・シング」がカップヌードルのCMで使われていると告知し、「HUNGRY DAYS 最終回予告 篇」30秒版へのリンクを載せている。同じ曲は2006年の日本盤ベスト盤で「ウォーク・ディス・ウェイ」がソフトバンクのCM曲として掲げられたのと同様、日本では作品より先にCMで知られる回路を持っていた。

出典: ソニーミュージック(エアロスミス 公式アーティスト・ページ INFO)

2023年9月14日から10月2日にかけて、AEROSMITHの日本公式サイトで楽曲人気投票が行われた。1位は「I Don't Want to Miss a Thing」、2位が「Dream On」、3位が「Walk This Way」。日本での投票では、1998年の映画主題歌が1973年と1975年の代表曲を上回っている。9位に「Crazy」、10位に「Eat the Rich」と、10位以内に『Get a Grip』から2曲が入った。

出典: ユニバーサル ミュージック ジャパン(エアロスミス公式サイト 楽曲人気投票の結果)

『Rocks』のツアー・サイクルで、AEROSMITHは日本で7公演を行っている。同じサイクルの内訳は、アメリカ74公演、ヨーロッパ14公演(うちイギリスが4公演)だった。アメリカでは6月にミシガンのポンティアック・スタジアムで8万人を集め、初めて大規模な野外のヘッドライナーを務めている。

出典: Louder(Classic Rock『Rocks』特集/Neil Jeffries)

初来日は1977年2月だった。初日のチケットは群馬県スポーツセンター、日本武道館の公演には専用の告知ポスターが刷られている。この3点——初日のチケット、28ページのツアー・パンフレット、武道館の告知ポスター——は、それから34年を経た2011年11月23日、日本だけの完全生産限定盤『ロックス 35周年記念エディション』(SICP-3308)に復刻されて封入された。実寸大なのはチケットだけで、パンフレットはB4から約A4に縮小され、ポスターはB2変形サイズである。

出典: BARKS(『ロックス 35周年記念エディション』の告知)

初来日で彼らが受けた反応を、クラシック・ロック誌の書き手はビートルマニアに近い熱狂と表現している。1977年1月、『Toys in the Attic』から遅れて切られたシングル「Walk This Way」が全米10位に入り、その翌月の来日だった。

出典: Louder(Classic Rock『Draw The Line』特集/Paul Elliott)

2002年6月27日、東京スタジアム(現・味の素スタジアム)で開かれたFIFAワールドカップ日韓大会の公式コンサートで、AEROSMITHは「Train Kept A-Rollin'」の演奏中にB'zをステージへ迎えた。ジョー・ペリー、ブラッド・ウィットフォード、そして松本孝弘の3本のギターが並んだこの場面が、両者にとって初の共演である。

出典: BARKS(AEROSONIC 告知記事)

その『Rock For The Rising Sun』は、2011年の来日公演7会場から編まれている。もともとこの映像はAEROSMITH自身の私的なアーカイヴのためだけに撮られていた。出来上がったものがあまりに良かったため、バンドとマネジメントがファンにも見せることにしたのだという。

出典: BLABBERMOUTH.NET(『Rock For The Rising Sun』の劇場公開告知)

ジョー・ペリーが自身の名前で初めて日本を回るツアーは2018年9月に組まれた。9月17日にメルパルクホール大阪、18日に東京・品川プリンス ステラボールの2公演で、ソロ・アルバム『SWEETZERLAND MANIFESTO』を携えてのものである。

出典: Rolling Stone Japan(ジョー・ペリー ジャパンツアー決定の記事)

『Get a Grip』を出した翌1994年春の来日は、日本武道館に偏った日程だった。ワールド・ツアーの一環として組まれたこのジャパン・ツアーは全13公演で、そのうち追加公演も含めて7回が武道館である。

出典: uDiscover Music Japan(増田勇一 コラム)

1988年に来日した際の取材で、スティーヴン・タイラーは日本の観客に戸惑ったと話している。わっと沸いた次の瞬間にぴたりと静まる。一瞬焦って、自分が何か間違えたのかと心配になったという。ただしそれは悪い緊張ではなかった。もしエルヴィスが生きていて今コンサートを開いたら、ファンは同じように静まるだろう——彼が何を話すのかを聞きたいから、と彼は言った。日本のファンもそれと同じで、長く待っていてくれた気持ちが分かった、と続けている。

出典: uDiscover Music Japan(今泉圭姫子 連載コラム)

『Toys in the Attic』の日本盤が出たのは1975年7月21日、全米での発売から3か月後だった。邦題は『闇夜のヘビイ・ロック』で、「ヘヴィ」でも「ヘビー」でもなく「ヘビイ」である。ミュージック・ライフ1975年8月号に載ったその広告は、彼らをこう売り込んでいた——クイーンに対するアメリカの解答がこれだ。ただし扱いは小さく、同じ号でキッスが1ページの全面広告だったのに対し、AEROSMITHはブルー・オイスター・カルトと半ページずつだった。

出典: uDiscover Music Japan(増田勇一「1970年代のエアロスミス」)

最初のライヴは1970年11月6日、マサチューセッツ州メンドンのミスコー・ヒル・スクールで行われた。この仕事が取れたのは、近くの学校に勤めていたジョー・ペリーの母親がミスコー・ヒルに知り合いがいて話を通してくれたからだ、とバンドの公式サイトは書いている。このときリズム・ギターに立っていたのはレイ・タバノで、ブラッド・ウィットフォードに交代するのはその1年後である。チケット代はおよそ1ドルだった。

出典: エアロスミス公式サイト(AeroHistory「45 years ago today!」)

ブラッド・ウィットフォードがAEROSMITHの一員として初めてステージに立ったのは、1971年8月24日、ヴァーモント州キャヴェンディッシュのサヴェッジ・ビーストという場所だった。公式サイトは2017年の投稿で、この夜をもって「今日まで続くラインナップ」が揃ったと書いている。

出典: エアロスミス公式サイト(AeroHistory「Brad joins Aerosmith」)

1972年8月5日、ニューヨークのマックス・カンザス・シティ。コロムビア・レコードの社長クライヴ・デイヴィスを招いたこの夜、そもそもAEROSMITHはその日の出演者に入っていなかった。彼らは自腹を切って出番を確保している。デイヴィスは演奏を気に入り、バンドは1972年半ばにコロムビアと契約した。契約金は12万5,000ドルと伝えられる。

出典: エアロスミス公式サイト(AeroHistory「Max's Kansas City」)

「Dream On」がビルボードHot 100に初登場したのは1973年10月20日付だった。ところが最高位の6位に届いたのは1976年4月10日付で、初登場からおよそ2年半が経っている。チャートに残った期間は通算29週だった。

出典: Billboard(エアロスミス チャート・ヒストリー)

2026年のリイシュー『Aerosmith (Legendary Edition)』には、1973年3月20日にクラブ「ポールズ・モール」で録られたライヴ一式が収められた。3CD版ではCD3がまるごとこの音源にあてられ、5LPのボックスでは180g重量盤1枚が割り当てられている。

出典: エアロスミス公式サイト(Capitol Records/UMe プレス・リリース)

ソニーミュージックの公式プロフィールは、70年代の作品を日本語の題で並べている。1973年のデビュー作『Aerosmith』は『野獣生誕』、1975年の3作目『Toys In The Attic』は『闇夜のヘヴィ・ロック』、1976年の『Rocks』は『ロックス』。同じページは『闇夜のヘヴィ・ロック』を、彼らが初めてプラチナを獲得したアルバムとしている。

出典: ソニーミュージック(エアロスミス 公式プロフィール)

『Toys in the Attic』が全米アルバム・チャートで記録した最高位は11位である。それから半世紀を経た現在、RIAAの認定でこの作品は9×プラチナに達しており、AEROSMITHのスタジオ・アルバムでは最も高い認定を受けている。カタログ全体で見るとその上に1枚だけあり、それはスタジオ作ではなく編集盤『Aerosmith's Greatest Hits』の12×プラチナである。

出典: RIAA Gold & Platinum(エアロスミス 認定一覧)

『Draw the Line』のジャケットに描かれたバンドの似顔絵は、著名なカリカチュアリスト、アル・ハーシュフェルドの手によるものである。ハーシュフェルドは「NINA」という名前を大文字で絵の中に隠し込むことで知られ、その習慣はニーナが生まれて以降に描いた作品の大半に及んでいる。

出典: エアロスミス公式サイト(AeroHistory「Draw The Line」)

『Draw the Line』が全米アルバム・チャートで届いたのは11位までだった。ところが日本では話が違い、この作品が彼らにとって初のトップ10入りとなった——というのが日本のレーベルの説明である。

出典: ユニバーサル ミュージック ジャパン(『ドロー・ザ・ライン』UICY-80543 商品ページ)

日本盤『Night in the Ruts』のボーナス・トラックには、別の題で入っているものがある。「アイ・リヴ・イン・コネチカット」は「Three Mile Smile」のリハーサル、「レット・イット・スライド」は「Cheese Cake」のリハーサルで、いずれも1979年の同アルバムのセッションから採られたものである。

出典: ユニバーサル ミュージック ジャパン(『ナイト・イン・ザ・ラッツ』UICY-16430 商品ページ)

AEROSMITHのスタジオ・アルバムでジョー・ペリーが不在なのは『Rock in a Hard Place』だけである。ペリーは1979年に脱退していた。そしてブラッド・ウィットフォードも制作の途中、1981年にバンドを離れている。つまりオリジナルのギタリストは2人とも、この作品を最後まで作らなかった。

出典: エアロスミス公式サイト(AeroHistory「Rock In A Hard Place」)

オリジナルのギタリストが2人とも欠けたアルバムに、日本盤だけは「オリジナル・メンバー5人による録音」が1曲加えられている。バンド自身が選んだそのボーナス・トラックは「リフ&ロール」で、1981年から1982年の『Rock in a Hard Place』セッションから採られたものである。本編でペリーとウィットフォードの後任を務めたのはジミー・クレスポとリック・デュファイだった。なおこの作品は日本では『美獣乱舞』の題で出ている。

出典: ユニバーサル ミュージック ジャパン(『美獣乱舞』UICY-16431 商品ページ)

『Done with Mirrors』の初回プレスでは、パッケージ上の文字がすべて裏返しに印刷されていた。題名どおり、鏡に映してはじめて普通に読めるようになっている。

出典: エアロスミス公式サイト(AeroHistory「Done With Mirrors」)

日本盤『Permanent Vacation』のクレジットを追うと、表題曲を書いたのはスティーヴン・タイラーとブラッド・ウィットフォードで、ジョー・ペリーの名前は無い。「Rag Doll」はタイラー、ペリーにジム・ヴァランスとホリー・ナイトを加えた4人の共作。そして「The Movie」だけは、メンバー5人全員の名前が並んでいる。

出典: ユニバーサル ミュージック ジャパン(『パーマネント・ヴァケイション』UICY-16433 商品ページ)

『Pump』は、同じ布陣で続けて作られた3作の真ん中にあたる。プロデューサーはブルース・フェアバーン、エンジニアはマイク・フレイザーとケン・ローマス、場所はリトル・マウンテン・サウンド・スタジオである。このときのセッションは撮影され、1990年に『The Making of Pump』として発表された。

出典: エアロスミス公式サイト(AeroHistory「Pump」)

『Nine Lives』のブックレットは、ステファン・サグマイスターによる入れ子構造の作品である。ジャケットを含む12点の絵から成り、それぞれの絵の中には一つ前の絵が縮小されて描き込まれている。最後の絵は最初の絵の中に収められており、列は永久に閉じない。

出典: エアロスミス公式サイト(AeroHistory「Nine Lives」)

1999年から2000年にかけての日本公演は「The Roar Of The Dragon Tour」と銘打たれていた。ソニーミュージックのツアー・レポートは、大阪・名古屋・福岡・東京を回ったこの日程を「2度目の4大ドームツアー」と呼び、総動員を20万人としている。

出典: ソニーミュージック(AEROSMITH "The Roar Of The Dragon Tour" 1999-2000 In Japan レポート)

2000年1月7日の東京ドームは、日本公演の最終日であると同時に、長く続いた『Nine Lives』ツアーそのものの最終公演でもあった。この日のセットには「Back in the Saddle」と「Draw the Line」が初めて登場している。ソニーミュージックが同じページに残した6公演分のセットリストを見ると、この2曲が並んだのは確かに最終日だけである。

出典: ソニーミュージック(AEROSMITH "The Roar Of The Dragon Tour" 1999-2000 In Japan レポート)

2004年7月の来日は5公演だった。7月10日の札幌ドームに始まり、13日が大阪ドーム、15日が広島グリーンアリーナ、17日がナゴヤドーム、20日が東京ドーム。ソニーミュージックの告知によれば、2002年6月のワールドカップのイベント以来、2年ぶりの来日である。チケットはS席9,000円、A席8,000円(税込)だった。

出典: ソニーミュージック(エアロスミス 来日公演 告知)

同じ2004年の夏、AEROSMITHはこの5公演に加えて、この年初めて開催されたロック・フェス「THE ROCK ODYSSEY 2004」にも出ている。7月24日の横浜国際総合競技場と25日の大阪ドームで、東京と大阪は出演者を入れ替える方式だった。同じ日程にはザ・フー、ポール・ウェラー、ミシェル・ブランチ、LOVE PSYCHEDELICO、稲葉浩志(横浜のみ)らが名を連ねている。チケットは1日券のみで14,000円(税込)、主催はフジテレビジョンとウドー音楽事務所だった。

出典: ソニーミュージック(THE ROCK ODYSSEY 2004 告知)

2011年の来日公演は11月22日から12月10日まで、金沢・広島・東京・福岡・大阪・名古屋・札幌を回る全8公演だった。ソニーミュージックによれば、このツアーで披露された曲はスティーヴンの弾き語り1コーラスを含めて全42曲。最終日の札幌ドームでは、それまで出ていなかった2曲——「S.O.S. (Too Bad)」と「Angel」——が加わり、「Angel」はアンコールの4曲目に置かれた。

出典: ソニーミュージック(2011年来日公演レポート)

2011年ツアーの東京ドーム2公演(11月28日・30日)は、2日間で7万人を集めた。同じ時期、前の週に配信が始まった「ミス・ア・シング」のモバイル配信が、邦楽も含めた週間総合チャートに初登場5位で入っている。13年前の曲が、来日に合わせて売れたのである。

出典: ソニーミュージック(2011年来日公演レポート)

2013年の来日公演の関東の日程は、B'zとの2組看板の興行「AEROSONIC」として組まれた。8月8日、QVCマリンフィールド(旧・千葉マリンスタジアム)、開場16時/開演17時半、主催はクリエイティブマン。B'zの公式サイトはこれを、2002年のFIFAワールドカップ日韓大会公式コンサート以来、実に11年ぶりのAEROSMITHとの共演だと告知している。

出典: B'z 公式サイト(AEROSONIC 出演告知)

2013年8月14日と16日、大阪市中央体育館での2公演で、AEROSMITHは「Walk This Way」にHIKAKINをゲストに迎えた。ソニーミュージックが公開した公式セットリストには、両日とも「WALK THIS WAY (with HIKAKIN)」と記されている。同じ資料では、8月8日のAEROSONICの「MAMA KIN」に (with B'z) の注記が付く。

出典: ソニーミュージック(JAPAN TOUR 2013 セットリスト)

AEROSMITHがグラミー賞を獲得したのは4回で、そのすべてが同じ部門である。最優秀ロック・パフォーマンス(デュオまたはグループ/ヴォーカル入り)で、対象は「Janie's Got a Gun」「Livin' on the Edge」「Crazy」「Pink」。1990年から1998年の間に集中している。なおグラミーの舞台で彼らが初めて演奏したのは1991年の第33回で、曲は「Come Together」だった。

出典: Grammy.com(レコーディング・アカデミー/エアロスミス アーティスト・ページ)

2020年、AEROSMITHはミュージケアーズのパーソン・オブ・ザ・イヤーに選ばれた。ガラは30回目の開催で、彼ら自身が登場するまでに13組が演奏している。口火を切ったのはチープ・トリックで、選んだ曲は1976年の『Rocks』から「Rats in the Cellar」だった。

出典: Grammy.com(レコーディング・アカデミー/ミュージケアーズ 2020 レポート/Ana Monroy Yglesias)

ジム・ヴァランスがタイラーとペリーに初めて会った日、その日のうちに書き上がったのが「Rag Doll」だった。1987年3月25日、ヴァランクーヴァーの彼の自宅スタジオでのことである。翌26日にギター、ベース、ドラムのベーシック・トラックを録り、そこからタイラーと歌詞に取りかかった。26日はタイラーの39回目の誕生日だった。なお当日この曲はまだ「Rag Time」で、「Rag Doll」の題が付くのは数週間後になる。

出典: jimvallance.com(ジム・ヴァランス公式サイト/「Rag Doll」のページ)

「Hangman Jury」の冒頭で唱えられる一節をめぐって、発表からおよそ1年後にバンドは訴えられた。タイラーはこれを「Linin' Track」(「Line 'Em」とも)から採っており、その曲はパブリック・ドメインだと思い込んでいた。実際には著作権がフォークウェイズ・ミュージックに登録されていた。共作者のジム・ヴァランスが自身のサイトで経緯を書いている。

出典: jimvallance.com(ジム・ヴァランス公式サイト/「Hangman Jury」のページ)

オリコンの集計では、AEROSMITHの日本で最も売れたアルバムは1997年の『Nine Lives』である。最高位は3位、16週チャートに載った。日本での商業的な頂点は、全米1位を獲った『Get a Grip』の時期ではない。同作の日本での最高位は7位(登場27週)、『Pump』は10位(7週)だった。

出典: ORICON NEWS(エアロスミス アルバム売上ランキング)

オリコンの週間シングルTOP50に入ったAEROSMITHのCDシングルは、これまでに2枚しかない。1枚は映画『アルマゲドン』の主題歌「ミス・ア・シング」で、23週チャートに残りながら最高位は11位。日本ではトップ10に入っていない。もう1枚は2001年の「ジェイディッド」で、最高39位、3週だった。

出典: ORICON NEWS(エアロスミス シングル売上ランキング)

2002 FIFAワールドカップ[韓国/日本]のオフィシャル・コンサートは、FIFAと実行委員会の主催で2002年6月27日と28日の2日間、約5万人収容の東京スタジアム(東京都調布市、現・味の素スタジアム)で開かれた。AEROSMITHとB'zが出たのは初日の「INTERNATIONAL DAY」で、開場15時、開演17時、終演予定21時半、チケットは税込15,750円だった。ソニーミュージックの告知はこの公演を「FIFAワールドカップ史上初の試みとなるオフィシャルコンサート」と表記している。

出典: ソニーミュージック(2002 FIFA WORLD CUP OFFICIAL CONCERT 告知)

2023年に発表されたお別れツアー「PEACE OUT」は、9月2日のフィラデルフィア(ウェルズ・ファーゴ・センター)に始まり、翌2024年1月26日のモントリオールまで北米40公演を回る予定だった。実際に行われたのは3公演である。9月2日フィラデルフィア、6日ピッツバーグ、そして9日、ニューヨーク州エルモントのUBSアリーナ。この3本目でスティーヴン・タイラーが声帯を痛め、ツアーは止まった。2024年8月2日、バンドはツアーからの引退を発表し、声の完全な回復は望めないことがはっきりした、と書いた。エルモントの夜が、彼らの最後のコンサートになった。

出典: エアロスミス公式サイト(「Important Touring Announcement」)

日本盤で日本語の題が付くのはアルバムだけではない。ユニバーサル ミュージック ジャパンが2025年の紙ジャケット・シリーズで公開したトラックリストでは、収録曲にも英題と並んで日本語題が添えられている。『Get Your Wings』では「Lord of the Thighs」が「支配者の女」、「Spaced」が「四次元飛行船」、「Woman of the World」が「黒いコートを着た女」、「S.O.S. (Too Bad)」が「エアロスミス、S.O.S.」、「Seasons of Wither」が「折れた翼」。『Toys in the Attic』では「Uncle Salty」が「ソルティおじさん」、「Round and Round」が「虚空に切り離されて」となっている。

出典: uDiscover Music Japan(ユニバーサル ミュージック ジャパン/紙ジャケット・シリーズの告知)

バンド名を出したのはドラマーのジョーイ・クレイマーである。ハリー・ニルソンの1968年作『Aerial Ballet』を愛聴していた彼は「Aero」という語の響きが気に入っていた。地元ヨンカーズで組んでいた昔のバンドが既にAerosmithを名乗っていたが、そちらは数年前に解散していた。ただし、それ以外の候補名については出典が食い違う。クラシック・ロック誌系のLouderはThe Hookersと、50年代のコメディアン兼バンドリーダーにちなむSpike Jonesを挙げ、レコーディング・アカデミーのアーティスト・ページはJack DanielsとSpike Jonesを挙げている。両者が一致しているのはSpike Jonesだけである。

異説あり出典: Louder(Classic Rock「Aerosmith: the early years」/Dave Everley)

デビュー作『Aerosmith』に入っている「Movin' Out」は、スティーヴン・タイラーとジョー・ペリーが初めて共作した曲である。アルバムはボストンのニューベリー・ストリートにあったインターメディア・サウンド・スタジオで録音された。スタジオに入るまでに、彼らは2年間ライヴ・バンドとして場数を踏んでいる。制作にかかったのはわずか2週間だった。

出典: uDiscover Music Japan(エアロスミス デビュー作の特集記事)

ブラッド・ウィットフォードによれば、デビュー作でエレクトリック・ギターは2本しか使われていない。ジョー・ペリーの黒いストラトキャスターと、ウィットフォード自身の1968年製レス・ポール・ゴールドトップ(P-90搭載)である。当時のそのストラトはヴィンテージでも何でもなく、買って2年ほどの新しい個体だった。バンドは小さな部屋にセットを組み、一発録りで演奏している。プロデューサーはエイドリアン・バーバーだった。

出典: Guitar World(ブラッド・ウィットフォード インタビュー)

「Dream On」をスティーヴン・タイラーが書いたのは、ニューハンプシャー州サナピーにあったトゥロウ・リコ・リゾートで、スタジオの外に置かれていたエステー・オルガンの前だった。そのスタジオでは毎週日曜の夜、彼の父がリサイタルを開いていた。歌詞はもっと後になる。アルバム録音を目前に控えてボストンの空港近くの古いモーテルに滞在していたとき、そのバルコニーに座って書いたという。

出典: Rolling Stone Japan(エアロスミス メンバーが語る名曲)

同じ『Legendary Edition』のコレクションには、これまで表に出ていなかったスタジオ音源も入った。「ハーモニカ・ベース・ジャム・ゼリー」、「メイク・イット」の未発表リハーサル別テイク、そして約6分のジャム「ジョインド・アット・ザ・ヒップ」である。最後の1曲のブリッジには、後の「Sweet Emotion」になるフレーズの萌芽が既に聴き取れるという。

出典: Rolling Stone Japan(『Legendary Edition』紹介記事)

ウィットフォードは、スティーヴ・ハンターが「Train Kept A-Rollin'」のソロを録る場に居合わせている。彼が覚えているのは、持ち込まれた機材の小ささだった。小型のフェンダーのツイード・アンプと、P-90が載った1957年製ギブソン・レス・ポール・ジュニア。ハンターはアンプを床に置き、ギターを掴み、テープが回り始めると何度か弾いてみせたという。

出典: Guitar World(ブラッド・ウィットフォード インタビュー)

「Train Kept A-Rollin'」はライヴ録音という触れ込みだった。ウィットフォードによれば、それはライヴではない。ジャック・ダグラスがスタジオで作り直し、大きなアリーナで録ったように聴こえるよう加工したものだという。観客の歓声は『バングラデシュ・コンサート』から持ってきたはずだ、と彼は記憶をたどっている。

出典: Rolling Stone Japan(エアロスミス メンバーが語る名曲/Andy Greene)

「Sweet Emotion」は危うく録られずに終わるところだった。トム・ハミルトンはリフも大まかなアレンジも用意していたが、それをバンドに聴かせて注目を集めるのが音楽的に気恥ずかしかったという。世に出たのは偶然である。『Toys in the Attic』のベーシック・トラック録りが予定より1日早く終わり、プロデューサーのジャック・ダグラスが「誰か遊べるリフを持っていないか」と言った。ハミルトンはおずおずと手を挙げ、その日のうちにベーシックが出来上がっている。

出典: Guitar World(トム・ハミルトン インタビュー/Bass Player 向け取材)

「Sweet Emotion」でヴァースとヴァースの間に挟まる間奏は、ジェフ・ベックのアルバム『Rough and Ready』から来ている。ハミルトンはあの作品のベースの躍動に惹かれ、同じ感触のものを作りたかったのだという。ここで彼が言っているのは間奏のことであって、あまりに有名なメインのベース・ラインのことではない。

出典: Guitar World(トム・ハミルトン インタビュー/Bass Player 向け取材)

「Walk This Way」のリフは、ハワイでのサウンドチェック中に組み上がった。ジョー・ペリーは自分が好きだったファンクの感触を狙っており、ジョーイ・クレイマーに「まっすぐな、ファンキーな2と4」を叩いてくれと頼んで、その上でリフを詰めていったのだという。曲名の方は、まったく別の場所から来ることになる。

出典: Guitar Player(『Toys in the Attic』50年)

ハミルトンの側から見ると、あの晩の時点で「Walk This Way」はほぼ出来上がっていた。パートを全部リハーサルしてアレンジも固めたが、タイトルが思いつかず、スティーヴン・タイラーのヴォーカル・パートもまだ無かった。その夜、彼らは揃って劇場へ出かけ、メル・ブルックスの『Young Frankenstein』を観る。マーティ・フェルドマンが駅でジーン・ワイルダーを迎え、「ウォーク・ディス・ウェイ」と言って足を引きずりながら階段を降り、ワイルダーも同じように足を引きずって降りていく——あの場面である。スタジオに残っていたペリーによれば、戻ってきたときもまだ全員が笑っていたという。

出典: Rolling Stone Japan(エアロスミス メンバーが語る名曲)

『Rocks』の「Nobody's Fault」では、始まって17秒のところでヴォーカル・マイクが余計な音を拾っている。ドアが開く音である。開けたのは、コロムビア・レコードが全セッションへの立ち会いを求めていた組合派遣の「エンジニア」だった。タイラーはこれを残すことにした。あのテイクを超える歌はもう録れないと思ったからである。

出典: Louder(Classic Rock『Rocks』特集/Neil Jeffries)

『Rocks』のジャケットは黒地で、バンドのロゴと5つのダイヤモンドが鏡の上に置かれている。ジョー・ペリーは自著で、5つのダイヤはメンバー5人それぞれを指すと書いた。自分たちはこのレコードを宝石だと思っていた、というのが彼の説明である。題名も同じ発想から来ている。ダイヤモンドは rocks と呼ばれ、ダイヤより硬いものは無い。なおクラシック・ロック誌の書き手は、この鏡にコカインの隠語という第二の読みも見ている。

出典: Ultimate Classic Rock(『Rocks』回顧記事、ジョー・ペリー自伝からの引用を含む)

『Rocks』の「Back in the Saddle」に入っている馬とカウボーイの音は、全部スタジオで手作りされている。スティーヴン・タイラーは大きなベニヤ板の上でカウボーイ・ブーツを踏み鳴らした。拍車の音は、そのブーツにタンバリンと鈴をガムテープで貼り付けて出している。これを手伝ったのは、たまたまスタジオに顔を出したニューヨーク・ドールズのデイヴィッド・ヨハンセンだった。終盤で駆けていく馬の蹄は、半分に割ったココナッツである。

出典: Ultimate Classic Rock(『Rocks』トラック・バイ・トラック)

「Lick and a Promise」の終盤で、もっと聴かせろと沸いている観客の声が入る。あれは観客ではない。そのときスタジオにいたのは6人だけで、その中にはドラッグの売人やアシスタントも含まれていた。ジャック・ダグラスはその6人を録り、重ね、また重ね、持ち上げていった。最後に返ってきたのは、満員のアリーナの音である。

出典: Ultimate Classic Rock(『Rocks』トラック・バイ・トラック)

「Sick as a Dog」は、演奏の途中で楽器を持ち替えながら録られている。リフを書いたのはトム・ハミルトンで、彼はそのままギターを弾いた。ベースに回ったのはジョー・ペリーである。そしてテープを回したまま、ブレイクダウンでペリーがベースをタイラーに渡し、自分はギターを取ってソロを弾いた。ペリー本人によれば、誰がどのドアからどこへ走るのかを整理するのに3、4回はやり直したという。

出典: Ultimate Classic Rock(『Rocks』回顧記事、ジョー・ペリー自伝からの引用を含む)

バンドのベーシストが、ギターで2曲を書いている。トム・ハミルトンはフェンダーのストラトキャスターで『Toys in the Attic』の「Uncle Salty」のギター・パートを書いて弾き、『Rocks』の制作時にはフェンダーのエスクワイアで「Sick as a Dog」を思いついた。テレキャスターとエスクワイアが好きなのだという。

出典: Guitar World(トム・ハミルトン インタビュー/Bass Player 向け取材)

『Rocks』が出たとき、バンドはツアーでロンドンにいた。当時イギリスで最も読まれていた音楽誌メロディ・メイカーに批評が載り、「Last Child」を褒め、この曲のギターはジェフ・ベックと比べても素晴らしいと書いていた。困ったのはその先である。記事はそのギターをジョー・ペリーが弾いていると断定していた。この曲のギターを全部弾いたのはブラッド・ウィットフォードで、読んだ彼は激怒したという。

出典: Rolling Stone Japan(エアロスミス メンバーが語る名曲)

「Back in the Saddle」のリフは、ギターではなく6弦ベースで書かれている。ジョー・ペリーは、ギタリストがレス・ポールを置いて6弦ベースを持ち替えるのを見たことがあり——たぶんフリートウッド・マックのピーター・グリーンだったと思う、と本人は言う——自分たちの界隈にもあれが欲しいと考えて1本探し出した。この楽器は何にでも使えるわけではないので、ライヴでは役割が入れ替わる。ペリーが6弦ベースを弾き、ソロはブラッド・ウィットフォードが取る。

出典: Guitar World(ジョー・ペリー インタビュー/Total Guitar 向け取材)

『Draw the Line』が録音されたのは、スタジオではなく建物ごと借りた元修道院だった。ニューヨーク州アーモンク近郊、100エーカーの敷地に立つ大邸宅セナクルである。ジャック・ダグラスたちは1階に移動録音のシステムを組み、太いケーブルを部屋から部屋へ這わせた。自然な響きを取り込むために、ジョーイ・クレイマーのドラムは礼拝堂で録られ、ジョー・ペリーの機材は人が入れる大きさの暖炉の中に据えられている。

出典: Louder(Classic Rock『Draw The Line』特集/Paul Elliott)

『Night in the Ruts』のジャケットには、既に脱退していたジョー・ペリーが写っている。使われたのは1978年3月に撮影された、メンバーが炭鉱夫の扮装をした写真だった。1979年10月10日付のプレス・リリースで彼の脱退が公表され、アルバムは11月16日に発売される。そしてその同じ晩、ペリーの新しいバンド、ジョー・ペリー・プロジェクトがボストン・カレッジでデビュー公演を行った。

出典: Louder(Classic Rock『Draw The Line』特集/Paul Elliott)

『Done with Mirrors』という題は二重の意味を担っている。ひとつは手品の「鏡を使った仕掛け」、もうひとつは、コカインを鏡のような面の上で吸う習慣である。ジョー・ペリーはのちに、この作品のあとで自分たちは mirrors と手を切らなければならないと気づいた、と語呂を逆手に取った言い方をしている。

出典: Louder(Classic Rock「1980年代の復活」特集/Neil Jeffries)

『Done with Mirrors』は、フォーマットによって収録曲数が違う。当初のアナログ盤は8曲で、「Darkness」がボーナスの最終曲として加えられたのはCDとカセットだけだった。

出典: Ultimate Classic Rock(『Done With Mirrors』回顧記事)

Run-D.M.C.版「Walk This Way」の話は、Def Jamのリック・ルービンからマネージャーのティム・コリンズにかかってきた1本の電話から始まった。参加したのはジョー・ペリー(ギター)とスティーヴン・タイラー(ヴォーカル)の2人だけである。録音は1986年3月9日の1日で終わり、壁を突き破るあのビデオはその2週間後に撮影された。

出典: Louder(Classic Rock「1980年代の復活」特集/Neil Jeffries)

「Rag Doll」の作詞作曲印税を、スティーヴン・タイラーはホリー・ナイトと分けることになった。彼女の関与は、曲の元の題「Rag Time」を「Rag Doll」に変えてはどうかと言ったこと、それだけである。タイラーはこの割り当てに納得がいかず、ゲフィンのジョン・カロドナーに、あれだけで印税の半分を持っていかれるのかとこぼしたという。

出典: Louder(Classic Rock『Pump』特集/Mick Wall)

「Dude (Looks Like a Lady)」は、はじめ「Cruisin' for the Ladies」というかたちで歌われていた。ゲフィンのA&R、ジョン・カロドナーが招き入れた共作者デズモンド・チャイルド——AEROSMITHが外部のソングライターと組んだのはこれが初めてだった——は、その案はひどいと率直に伝えている。するとタイラーがばつが悪そうに白状した。バーで、後ろ姿のモトリー・クルーのヴィンス・ニールを女性と見間違え、そこから dude looks like a lady と歌い出したのだ、と。チャイルドの反応は、そちらこそヒット曲の題名だ、というものだった。

出典: Ultimate Classic Rock(デズモンド・チャイルドの回想を伝える記事)

『Pump』では、「Janie's Got a Gun」の前に10秒の小品「Water Song」が置かれている。演奏しているのはカナダの実験的なマルチ奏者ランディ・レイン=ロイシュで、グラス・ハーモニカ、ウィンド・ゴング、ネイティヴ・アメリカンのブルローラーが使われている。

出典: Louder(Classic Rock『Pump』特集/Mick Wall)

「Janie's Got a Gun」は、もともと「Danny's Got a Gun」だった。Dannyはタイラーの実在の友人の名前である。彼はメロディを何か月も抱えたまま歌詞が書けずにいたが、転機はタイム誌だった。アメリカ国内の拳銃による死を48時間、分刻みで数え上げた記事に目が留まり、そこでサビが決まる。名前と性別が変わってジェイニーになったのは、その後のことである。

出典: Ultimate Classic Rock(「Janie's Got a Gun」の成り立ち)

「Janie's Got a Gun」のソロで鳴っているのは、ほとんどアコースティックとして作られたギターである。ジョー・ペリーが使ったのはチェット・アトキンス・シグネチャー・モデルで、初期のピエゾ・ピックアップが載っていた。音量を上げるとアコースティックらしさが消える性質があり、彼はこれを15ワットのマーシャルの練習用アンプに繋いで、つまみを全部上まで回した。プロデューサーは、ひどい音だ、絶対うまくいかない、と言ったという。ペリーの返事は、とりあえずテープを回してくれ、というものだった。

出典: Guitar World(ジョー・ペリー インタビュー/Guitarist 向け取材)

「Janie's Got a Gun」にトム・ハミルトンの名がクレジットされているのは、予定されていたことではない。彼はハーモニクスとE弦を駆け上がるリフを組み合わせたイントロを持つデモをスタジオに持ち込んだが、誰も気に留めず、腹を立てて帰った。1か月ほど後、タイラーが「Janie's Got a Gun」を持ってきたとき、そのコード進行の中に自分のベース・フレーズが入っているのに気づく。ハミルトンは黙っていることにした。数か月後、まだヴァンクーヴァーでミックスをしていたタイラーからボストンに電話がかかってきて、君の名前をクレジットに入れる、と告げられた。

出典: Guitar World(トム・ハミルトン インタビュー/Bass Player 向け取材)

1977年の初来日のあと、AEROSMITHが再び日本に来るまでに11年かかった。1988年の公演は予定を30分超えて2時間15分に及び、15年ぶりに演奏された曲もあった。公演後に彼らを取材した今泉圭姫子は、バンド自身が楽しんでいる様子だったと書いている。

出典: uDiscover Music Japan(今泉圭姫子 連載コラム)

その「S.O.S. (Too Bad)」は、2011年の日本ツアー全体でただ1回、12月10日の札幌ドームでしか演奏されていない。そのたった1回が、ツアーから作られたライヴ映像作品『Rock For The Rising Sun』に収められた。ちなみに同ツアーのオープニングは、全公演が「Draw the Line」だった。

出典: BARKS(『ロック・フォー・ザ・ライジング・サン』収録内容の記事)

そのAEROSONICの中盤、スティーヴン・タイラーが稲葉浩志と松本孝弘をステージに呼び込み、「Mama Kin」を一緒に演奏した。この日B'zは17時半に登場して16曲、AEROSMITHは「Draw the Line」から始めて全17曲を披露している。

出典: 音楽ナタリー(AEROSONIC ライヴ・レポート)

その週末に向けて、法廷が動いていた。2020年1月、マサチューセッツ州プリマス郡上位裁判所のマーク・ギルディア判事は、ジョーイ・クレイマーが「ミュージケアーズのガラとグラミー賞に自分も出させるようバンドに命じてほしい」と求めた申立てを退けている。判事が挙げた理由は、クレイマーが半年間バンドと演奏していないこと、そして本番までのリハーサル時間が乏しいことだった。

出典: BLABBERMOUTH.NET(ジョーイ・クレイマーの申立てに対する判断の記事)

マサチューセッツ州は1993年4月13日を「エアロスミス・デー」と宣言している。宣言したのは当時の州知事ウィリアム・ウェルドで、バンドが1970年にボストンで結成されたことにちなむ。

出典: BLABBERMOUTH.NET(ツアー活動終了の発表を伝える記事の末尾のバンド紹介)

2026年4月、ジョー・ペリーは次にリミックスするつもりの作品として『Toys in the Attic』を挙げた。1973年のデビュー作をリミックス/リマスターした『Legendary Edition』が同年3月に出たあとの発言である。デビュー作については、ドラムの音にずっと納得がいっていなかったという。実際に部屋で鳴っていた音とは違い、平たくて締まりのない音だった、というのが彼の説明である。『Toys in the Attic』は音の面でも狙いに近かったが、それでも手を入れたいところはある、とも語っている。

出典: Ultimate Classic Rock(ジョー・ペリー インタビュー)

『Get a Grip』は二度作られている。1992年の初め、ゲフィンのA&Rジョン・カロドナーが最初にまとまった曲を聴き、やり直せと突きつけた。このアルバムはひどい、いま止めて新しいアルバムを書くか、さもなくば自分の名前をクレジットから外す——タイラーが自伝で振り返っている言葉である。バンドはロサンゼルスからヴァンクーヴァーのリトル・マウンテン・サウンド・スタジオへ移り、曲を書き直した。

出典: Ultimate Classic Rock(「Livin' on the Edge」30周年記事)

「Livin' on the Edge」の最後で鳴る3発の重いドラムは、スティーヴン・タイラーが高校のマーチング・バンドから持ち出したバス・ドラムである。彼はドラッグでルーズヴェルト高校を退学になり、9月にはもう戻ってくるなと言われた。その年の6月末、自分のバンドがシニア・プロムで演奏した後、在籍中に叩いていたそのバス・ドラムを校舎から運び出したのだという。1997年の自伝の時点では、まだ持っていると書いている。

出典: Ultimate Classic Rock(「Livin' on the Edge」30周年記事)

カロドナーは「Cryin'」の歌詞も気に入らなかった。タイラーは1か月かけて書き直している。部屋の壁はセロテープと紙切れで覆われ、3度か4度は全部やり直した。そして1か月が過ぎたところで彼はあきらめ、最初に書いた歌詞をそのまま歌った。2011年の自著で本人が振り返っている。

出典: Ultimate Classic Rock(「Cryin'」30周年記事)

「Cryin'」のビデオに出たときアリシア・シルヴァーストーンは16歳だった。監督のマーティ・カルナーが彼女に目を留めたのは、映画デビュー作『The Crush』(1993年)である。カルナーはその後「Amazing」と「Crazy」でも彼女を起用した。「Cryin'」は1994年のMTVビデオ・ミュージック・アワードでビデオ・オブ・ザ・イヤーを獲っている。

出典: Ultimate Classic Rock(「Cryin'」30周年記事)

『Get a Grip』のジャケットには動物愛護の活動家から抗議が寄せられた。ピアスを通された乳房が本物ではなく、デジタルで作られた画像だと明らかになって収まっている。

出典: Louder(Classic Rock 1990年代特集)

1994年、AEROSMITHは『Get a Grip』のセッションから生まれたB面曲「Head First」を、CompuServeの会員向けに4メガバイトのWAVファイルとしてネットに置いた。3分14秒の曲を落とすのに、当時のモデム接続では60分から90分かかった。アメリカン・ソングライター誌は2014年のVice誌の回顧記事を引いて、最初の1週間で約1万人がダウンロードしたとしている。

出典: American Songwriter(『Get a Grip』全米1位に関する記事)

1994年8月13日のウッドストック'94で、AEROSMITHは契約により手足を縛られていた。専用のステージ・セットも花火も使えず、物販で売れるTシャツは1種類だけ、しかもイベント名を入れてはならない。彼らの直後に出たMETALLICAが自前のステージ・セットを持ち込み、フェス限定のTシャツを売ったため、楽屋でマネージャーのティム・コリンズと共同プロデューサーのジョン・シェアーが取っ組み合いになった。シェアーは後にこの件を、誇張されて語り継がれている不幸な出来事だと述べている。

出典: Louder(Classic Rock/Gary Graff によるウッドストック'94の記事)

『Done with Mirrors』を録るために、プロデューサーのテッド・テンプルマンはスタジオの赤い「RECORDING」ランプから電球を抜いた。録音されていると気づかせないためである。そうやって捕まえた演奏を彼は使った。ただし後年テンプルマンは、その部屋の勝手が分からないまま作業したせいで、ジョー・ペリーとブラッド・ウィットフォードのギターとジョーイ・クレイマーのドラムを削いでしまったと悔やんでいる。

出典: Louder(Classic Rock『Done With Mirrors』特集/Paul Rees)

ゲフィンのA&Rジョン・カロドナーがAEROSMITHと打ち解けたきっかけは、拳銃だった。ロサンゼルスのグリーク・シアターでの公演で、彼は白いスーツの裾をめくり上げ、ブラッド・ウィットフォードの妻に足首のホルスターに差した.357マグナムを見せた。LAではこうやって歩き回るんだ、と。見栄を張っただけだが効き目はあった。銃を持ち歩く男だと分かった途端、バンドは彼を認めたという。彼らは銃が好きだったのである。ゲフィンとの契約はその後に決まった。

出典: Louder(Classic Rock「1980年代の復活」特集/Neil Jeffries)

1984年の再結成は、ジョー・ペリーがアリス・クーパーのギタリストになりかけたことから動き出した。クーパーのマネージャー、シェップ・ゴードンがティム・コリンズに打診し、自分のプロジェクトに先が見えなくなっていたペリーは飛びついて、ゴードンの田舎の邸宅でクーパーと顔を合わせセッションした。翌日、クーパーがゴルフに出ている間に、ペリーはこれ見よがしにタイラーへ電話をかける。この電話がタイラーを本気にさせた。

異説あり出典: Louder(Classic Rock「1980年代の復活」特集/Neil Jeffries)

『Permanent Vacation』の外部ソングライターとして、カロドナーが最初に声をかけたのはジム・スタインマンだった。自宅を離れて仕事をしたくないという理由で流れている。プロデューサーは再びテッド・テンプルマンで進めるはずだったが、こちらも決裂した。カロドナーが『Done with Mirrors』のときと違ってスタジオに立ち入らせろと要求し、テンプルマンが拒んだのである。

出典: Louder(Classic Rock「1980年代の復活」特集/Neil Jeffries)

『Nine Lives』の制作中、ジョーイ・クレイマーは体調を崩して離脱し、マイアミでのセッションではセッション・ドラマーのスティーヴ・フェローンが叩いていた。ニューヨークでの録音を前にクレイマーが復帰し、まずフェローンの演奏を自分のもので置き換えようとしたが、うまく鳴らなかった。そこでバンドはマイアミの素材を捨て、5人で最初から演奏し直した。

出典: Ultimate Classic Rock(『Nine Lives』回顧記事)

その離脱の期間について、クレイマーはのちにMojo誌で重い主張をしている。自分が治療のために離れているあいだ、マネージャーのティム・コリンズが他のメンバーに嘘をついた、というのである。レコード会社がアルバムを早く仕上げろと圧力をかけている、という話だったが、そんな事実は無かった。コリンズは自分をバンドから追い出そうとしていた、というのがクレイマーの言い分である。

出典: Louder(Classic Rock 1990年代特集)

『Nine Lives』の当初のジャケットにはヒンドゥー教徒から抗議が寄せられ、1997年4月、コロムビアは対応を発表した。バンドの広報担当によれば、既存のジャケットでのCD製造は停止し、以後のプレスではブックレットの最初の3ページを差し替える。問題の図像はこの3ページに含まれていた。ただし既に店頭に並んでいる分を回収する予定は無い、とされた。

出典: The Spokesman-Review(ビルボード配信の記事)

そのジャケットをデザインしたステファン・サグマイスターは、2026年のD&ADフェスティバルで別の話をしている。ソニーは自分にもバンドにも相談せず、抗議したヒンドゥー教の一派に50万ドルを支払って問題を消した。そのうえで、その金額を彼の小さなスタジオから回収するつもりだと通告してきたという。サグマイスターは自らインドへ飛び、あの図像が保護される知的財産ではなく何世紀も前から続く文化的な蓄積であることを確かめた。

出典: LBB Online(D&ADフェスティバル2026でのステファン・サグマイスターの講演を伝える記事)

「Pink」はフロリダ州サウス・ビーチのマーリン・ホテルで、リッチー・スーパとの共作として書かれた。もっとも、題名は危うく別のものになるところだった。スーパは「Kink」にしようと言い、タイラーは断っている。歌詞に it's kink の一行が入っているのは、その名残である。

出典: Ultimate Classic Rock(「Pink」に関する記事)

『Just Push Play』は、それまでのAEROSMITHの作り方を裏返して作られている。バンドで一緒にリズム・トラックを録ってから歌とソロを乗せるのではなく、ドラムとベースが最後に録られた。ほとんどのパートが個別に足され、各自がPro Tools上に既にあるものへ反応していく。結果として、この作品にはバンドが一緒に演奏したテイクが1曲も無い。

出典: Mix magazine(Blair Jackson によるセッション取材/Internet Archive 保存版)

タイラーは後に、レコード会社の重役から聞かされた話を明かしている。あのヒットが出ていなかったら、ソニーはAEROSMITHを切る準備をしていた、というのである。あのヒットとは「Jaded」のことである。

出典: Ultimate Classic Rock(『Just Push Play』回顧記事)

1979年7月28日、クリーヴランド・ミュニシパル・スタジアムのワールド・シリーズ・オブ・ロック。楽屋での言い争いの引き金になったのは、投げつけられた1杯の牛乳だった。ジョー・ペリーの当時の妻エリッサはのちに、自分が牛乳を手にしていたのは牛乳しか飲まなかったからだと説明している。彼女の記憶では、皮肉を言った自分に相手が氷を投げたのが先だという。この日の口論のあと、ペリーは制作途中だったアルバムを残してバンドを離れた。

異説あり出典: Ultimate Classic Rock(ジョー・ペリー脱退についての記事)

『Honkin' on Bobo』のセッション中、ジョー・ペリーは朝刊で、チャック・ベリーのバンドでピアノを弾いていたジョニー・ジョンソンがその日ハウス・オブ・ブルースに出演するために来ていることを知った。彼は電話を何本かかけて車を回し、気づけばジョンソンは自宅の地下でピアノの前に座っていたという。

出典: Louder(Classic Rock/Gary Graff による『Honkin' on Bobo』取材)

『Honkin' on Bobo』は、バンド全員が同時に演奏するかたちで録られた。ギター・ソロまで同時である。音がかぶらないよう、スティーヴン・タイラーの周りにはヴォーカル用の遮音板が立てられた。ペリーによれば、後に残った本当の作業はミックスだけだったという。

出典: Ultimate Classic Rock(『Honkin' on Bobo』回顧記事)

『Music from Another Dimension!』の「Freedom Fighter」で鳴っている1930年代のギブソンL-00は、ジョニー・デップの私物である。ジョー・ペリーはロサンゼルスで納得のいくパーラー・ギターを探したが見つからず、デップに電話をかけて借りた。デップはこの曲でバッキング・ヴォーカルも歌っている。

出典: Guitar World(スティーヴン・タイラーとジョー・ペリーのインタビュー/Alan Di Perna)

「Can't Stop Loving You」のキャリー・アンダーウッドとのデュエットを、バンドの他のメンバーは録り終わるまで知らなかった。タイラーによれば、アンダーウッドはちょうどロサンゼルスを発つところだったので、すぐ来てくれと呼び、彼女はその晩のうちに1時間ほどで歌ってしまった。バンドに話す時間すら無かった、というのが彼の説明である。

出典: Guitar World(スティーヴン・タイラーとジョー・ペリーのインタビュー/Alan Di Perna)

『ジョジョの奇妙な冒険』第5部でナランチャ・ギルガが操るスタンド「エアロスミス」は、このバンドから採られている。ソニー系の音楽配信サービスmoraが、アニメ『黄金の風』の音楽ネタを解説する連載でそう説明した。日本では『アルマゲドン』の主題歌「ミス・ア・シング」で有名なハード・ロック・バンド、という紹介のされ方である。

出典: mora トピックス(『ジョジョの奇妙な元ネタ紹介〜黄金の風編〜』)

HIKAKINがAEROSMITHと初めて同じステージに立ったのは日本ではない。2013年5月23日、シンガポールのマリーナ ベイ サンズ ホテルで初開催されたSocial Star Awardの授賞式である。その3か月後の来日公演での共演を、彼は自分のチャンネルで告知した。投稿は最初の大阪公演の前日、2013年8月13日の夕方だった。

出典: YouTube 日本版公式ブログ(Google)

そのお別れツアーに、創設メンバーのジョーイ・クレイマーは加わっていない。ドラム席に座っているのは、クレイマーのドラム・テックを長く務めてきたジョン・ダグラスである。最初は2019年、ラスヴェガスのレジデンシー公演の最中にクレイマーが負傷して立てなくなったときの代役だった。2022年3月にはバンドがその年の公演をクレイマー抜きで行うと発表し、以後ダグラスが叩き続けて「PEACE OUT」に至っている。当のダグラスの言い分はこうである——ジョーイ・クレイマーは今もエアロスミスのドラマーだ、昔からずっとそうだ。自分は自分の主張をしに来たわけではない、と。

出典: Ultimate Classic Rock(ジョン・ダグラスの発言を伝える記事)