RAVEN
RAVENの詳しいBiographyと全作品のディスコグラフィ。アルバムごとの個別ページも掲載するMETAL BOOSTのアーティストページ。
Biography
RAVEN
バイオグラフィー
概要
| 結成 | 1974年(バンド公式サイトによる) |
|---|---|
| 出身 | イギリス・ニューカッスル・アポン・タイン |
| ジャンル | NWOBHM/ヘヴィメタル/スピードメタル |
| 現編成 | ジョン・ギャラガー(vo, b, 12弦ベース)/マーク・ギャラガー(g, vo)/マイク・ヘラー(ds) |
| 近作レーベル | シルヴァー・ライニング・ミュージック |
| 公式サイト | ravenlunatics.com |
ニューカッスルからの出発
レイヴンはイングランド北東部の工業都市ニューカッスル・アポン・タインで、ギャラガー兄弟——ベースとヴォーカルのジョン、ギターのマーク——を中心に生まれたバンドである。公式サイト、現在のレーベルであるシルヴァー・ライニング・ミュージック、かつての所属先SPV、そしてBARKSやBlabbermouthといった媒体は、いずれも結成年を1974年としている。一方でリイシューを手がけたチェリー・レッドの資料だけは、兄弟が構想を得たのは1972年、初ライヴは1975年と書いており、この一点は資料が食い違ったままである。
始まりは慎ましいものだった。ジョンはClassic Rockの取材で、二人でアコースティック・ギターを1本しか持っていない時期にバンドを組もうと決め、クリスマスに中古の楽器をもらってようやく本格的に動き出したと語っている。しばらくはツイン・ギターの4人編成だったが、1979年から1980年にかけてジョン、マーク、そしてドラムのロブ・"ワッコ"・ハンターという3人組の形に落ち着く。公式サイトはハンターの加入をもって編成が固まったとしている。
転機は地元のライヴだった。同じニューカッスルのタイガース・オブ・パンタンのマネージャー、トム・ノーブルが彼らの演奏を見てシングル録音の機会を持ちかける。こうして1980年、ニート・レコードから「Don't Need Your Money」が世に出た。ラジオDJのジョン・ピールがこれを流し、バンドの名は地元の外へ広がっていく。ニートはニューカッスル近郊ウォールセンドの、ビンゴ・ホールの上の事務所から運営されていた小さなレーベルで、ヴェノムやフィストも抱えていた。翌1981年のデビュー作『Rock Until You Drop』は、そのニートが世に出した最初のLPである。
「アスレティック・ロック」という呼び名
レイヴンを長く言い表してきた言葉に「athletic rock」がある。ただし、この言葉を誰が作ったのかについては、確認できる範囲で説明が二つ並立している。
バンドの公式サイト(2015年のアーカイヴを含む)、シルヴァー・ライニング・ミュージック、メタル・ブレイドのいずれも、これをレイヴン自身が自分たちの音楽に与えた名前として紹介している。一方でジョン・ギャラガー本人は、2015年のClassic Rockと2022年のClassicRockHistoryの取材で、これは自分たちの造語ではなくニート・レコードを率いたデイヴ・ウッドが考えたものだと述べている。最初に目にしたのはニートの広告に刷られた「Athletic rock from Neat」の一文だった、あるいはファースト・シングルのスリーヴに印刷されていた、というのが本人の記憶である。ランニング・トップスやアームバンドを身につけて演奏していた彼らの姿に、その言葉がよく合っていたのだという。
いずれにせよバンドはこの言葉を受け入れ、1983年の『All For One』の最後に「Athletic Rock」という曲を置いた。当サイトはどちらか一方を正しいものとして提示しない。
アメリカ、そしてメタリカ
1983年、レイヴンは初のアメリカ・ツアーに出る。その前座を務めたのが、当時まだ無名だったメタリカだった。メタリカにとっては初のツアーであり、二組のアルバム名を合成した「KILL 'EM ALL FOR ONE TOUR」の名で知られている。同じ興行にはアンスラックスやエクソダスも名を連ねた。
メガフォースのジョン・ザズラがメタリカを「サンフランシスコで一番のバンド」と売り込んできたとき、レイヴンはY&Tのことだと思い、メタリカという名前すら知らなかった。ジョンが彼らの音源に抱いた第一印象は「モーターヘッドを間違った速度で再生したような音」というもので、それが同行を決めさせた。オクラホマの公演では観客が両バンドに向かって物を投げ続け、メタリカは客に背を向けたまま最短で演奏を終えたという。ジョンが若いメタリカに感じたのは、フロントマンと雇われ演奏者の集まりではなく徒党として動いている点で、それは自分たちの自己像と同じだった。
1984年8月、マンハッタンのローズランド・ボールルームでレイヴンがヘッドライナーを務めたソールドアウト公演をきっかけに、出演した無契約のバンドが揃ってメジャー契約に至る。レイヴンの相手はアトランティック・レコードだった。
アトランティック期
バンドは拠点をニューヨークへ移し、1985年に『Stay Hard』、1986年に『The Pack Is Back』を発表する。しかし方向性は商業的な側へ大きく振れ、結果は芳しくなかった。ジョン・ギャラガーは、レーベルが自分たちに求めていたのは二つのアリーナ・バンドを掛け合わせたようなものだったと繰り返し語り、その公式は完全に失敗したと述べている。契約したのはロック担当のA&Rが不在だったためダンス/ディスコ担当のラリー・ヤスガーで、それが会社との噛み合わなさを最初から決めていた、というのも本人の弁である。
路線の修正は早かった。1986年のEP『Mad』は自主プロデュースで、続く1987年の『Life's A Bitch』をジョン自身は良いアルバムの一枚に数えている。本当に商業的だったのは『The Pack Is Back』だけだ、というのが彼の見立てである。アトランティックとの関係が終わったとき、ジョンはニューヨーク州北部に15ドルを持って取り残され、空港で野菜の箱を運ぶ仕事をしていた。
1987年、結成期からのドラマー、ロブ・"ワッコ"・ハンターがバンドを去る。在籍は7年、辞意はローディを介してマネージャーに伝えられ、その後8年ほど連絡は途絶えたという。ジョンは理由を、家族と過ごしたかったこと、そしてバンドを楽しめなくなっていたことだと説明している。ハンターは後に音楽の別の側へ進み、ハリー・コニック・Jr.らと仕事をするグラミー受賞のジャズ・プロデューサーになった。後任には元ペンタグラムのジョー・ハッセルヴァンダーが入り、1988年の『Nothing Exceeds Like Excess』からスピード・メタル寄りの地力が戻ってくる。
崩れた壁と、四年の沈黙
2001年11月、マーク・ギャラガーが重傷を負う。ジョンの説明によれば、マークはその前にT字路での自動車事故で全身を打っており、そのうえで建設現場にいた友人を訪ねた際、風で飛ばされた帽子を追いかけたところに長く分厚い壁が倒れてきて下敷きになった。両足首が脱臼し、片方のふくらはぎは脚から裂けていた。ジョンは、弟が生き延び、やがて再び歩けるようになったのは体力と頑固さのおかげだと語っている。
バンドは三年以上にわたって演奏を止めた。活動を再開したときマークはまだ車椅子だった。復帰作となる『Walk Through Fire』が世に出るのは2009年、それも最初に発売したのは日本のキングレコードだった。
マイク・ヘラー加入以降
2017年5月、ジョー・ハッセルヴァンダーが重い心臓発作に見舞われ、長い在籍に区切りがつく。公演は三人の代役——シカゴをジミー・メス、東海岸をマイク・ヘラー、ヨーロッパをデイヴ・チェドリック——で乗り切り、同年後半にヘラーが正式に加わった。フィア・ファクトリーやマリグナンシーでも叩いてきた人物で、ジョンは彼がバンドのテンポと技術の上限を押し上げたと評している。
ヘラーを迎えた最初のスタジオ作が2020年の『Metal City』、続いて2023年の『All Hell's Breaking Loose』が彼のロサンゼルスのスタジオで録音された。2022年にはフロリダで、1980年代に両バンドを手がけたジョン&マーシャ・ザズラを追悼する公演にメタリカと共に出演している。今度はレイヴンが前座の側だった。それ以前にもサンパウロのスタジアムで約7万人を前にメタリカのオープニングを務めており、バンド自身がその逆転を自らの歴史の一場面として語っている。
2025年2月、結成50周年を記念するEP『Can't Take Away The Fire』が発表された。しかし同年、バンドはジョン自身が「医療的なギャップ・イヤー」と呼ぶ一年をほぼ失うことになる。脳内出血に伴う手術を受け、マークは足首と膝の置換手術を受けた。2026年4月時点で次のアルバムはまだ録音されておらず、ジョンは同年夏に録音を始めて2027年初頭の発表を目指していると語っている。
日本との関わり
レイヴンの初来日は1995年、川崎のクラブチッタだった。ワードレコーズの資料はこれをバンドにとってもファンにとっても待望の公演だったとし、その模様がライヴ・アルバム『DESTROY ALL MONSTERS - LIVE IN JAPAN』として世に出たと記している。ただしジョン・ギャラガーはこのとき喉を痛めており、後年その点に自ら触れている。
2019年3月のRAVEN JAPAN TOUR 2019は東京二夜——14日の吉祥寺CLUB SEATA、15日の新宿BLAZE——で行われた。bayfm78の主催、BURRN!の後援、UPP-tone musicの招聘・企画による公演で、二夜は意図的に性格を変えてあった。初日は最初の3作だけで組む「RAVEN classics day」、二日目は未発表の新曲も含むオールタイム・ベストである。初日にはマーティ・フリードマンがスペシャル・ゲストとして登場し、Young Guitar誌が掲載したセットリストでは「Fire Power」と「Wiped Out」の2曲に名前が入っている。ジョンによれば、フリードマンが最初の2枚からならどの曲でも弾けると伝えてきたことから曲が決まったという。二夜とも予定外のダブル・アンコールに至り、二日目は幕が下りて客電がついてもなお声が止まず、バンドが戻って「Crash Bang Wallop」を演奏した。
2024年5月にナイト・デーモンとの二夜が代官山UNITで予定されていたが中止となり、代わりに同年11月、渋谷DUO MUSIC EXCHANGE(12日)と大阪Live House ANIMA(14日)で50周年ツアーの日本公演が実現した。13日には東京・有楽町で50人限定のファン・ミーティングも開かれている。日本盤の発売も長く続いており、『All Hell's Breaking Loose』はキングレコードのMETAL FRONTIERラインから、『Metal City』と2019年のライヴ盤はワードレコーズから出ている。
メンバー
ジョン・ギャラガー(John Gallagher)
リード・ヴォーカルとベース。近作のクレジットでは12弦ベースも担当している。結成時からのメンバー。
マーク・ギャラガー(Mark Gallagher)
ギターとヴォーカル。結成時からのメンバー。
マイク・ヘラー(Mike Heller)/2017年〜
ドラム。フィア・ファクトリー、マリグナンシーなどでも活動。2017年5月に代役として関わり、同年後半に正式加入した。
ジョー・ハッセルヴァンダー(Joe Hasselvander)/1987年〜2017年
ドラム。ペンタグラム、サヴォイ・ブラウンを経て加入。2017年5月の心臓発作により離脱した。
ロブ・"ワッコ"・ハンター(Rob "Wacko" Hunter)/〜1987年
ドラム。3人編成が固まった時期からのメンバーで、在籍は7年。脱退後はジャズのプロデューサーに転じた。
ディスコグラフィ(当サイト登録分)
| 年 | タイトル | 形態 |
|---|---|---|
| 1981 | Rock Until You Drop | アルバム |
| 1982 | Wiped Out | アルバム |
| 1983 | All for One | アルバム |
| 1984 | Live at the Inferno | ライヴ |
| 1985 | Stay Hard | アルバム |
| 1986 | The Pack Is Back | アルバム |
| 1987 | Life's a Bitch | アルバム |
| 1988 | Nothing Exceeds Like Excess | アルバム |
| 1991 | Architect of Fear | アルバム |
| 1994 | Glow | アルバム |
| 1995 | Destroy All Monsters: Live In Japan | ライヴ |
| 1997 | Everything Louder | アルバム |
| 1999 | One for All | アルバム |
| 2009 | Walk Through Fire | アルバム |
| 2015 | ExtermiNation | アルバム |
| 2015 | Party Killers | カヴァー集 |
| 2019 | Screaming Murder Death from Above: Live in Aalborg | ライヴ |
| 2020 | Metal City | アルバム |
| 2023 | All Hell's Breaking Loose | アルバム |
| 2025 | Can't Take Away The Fire | EP |
出典
この記事は、バンド公式サイト ravenlunatics.com(Wayback Machineに残る旧版を含む)、シルヴァー・ライニング・ミュージック、SPV/シュタインハンマー、メタル・ブレイド、キングレコード、ワードレコーズ、タワーレコード、チェリー・レッド/HNEの各公式ページと、Blabbermouth.net、Louder(Classic Rock/Metal Hammer)、Loudwire、BARKS、Young Guitar、Songfacts、Ultimate Guitar、KMUW、NYS Music、ClassicRockHistory、Extreminalなどの記事に基づいている。結成年、「athletic rock」の由来、『Walk Through Fire』の年号については資料が食い違っており、本文ではその食い違い自体を記した。作品ごとの通算番号は、レーベルやバンド自身が明示しているもの以外は用いていない。
Trivia
レイヴンの初来日は1995年、川崎のクラブチッタだった。ワードレコーズの資料は、この公演がバンドにとってもファンにとっても待望のものだったとし、その模様がライヴ・アルバム『Destroy All Monsters - Live In Japan』として世に出たと記している。ただしジョン・ギャラガーは後年、このとき喉を痛めていたことに自ら触れている。
バンド名の由来はいたって淡白である。ジョン・ギャラガーは2023年のインタビューで、少年期に候補となる名前をいくつも書き出しており、RAVENはその中で一番耳障りでなかったものにすぎない、と述べている。あの鋭角のロゴを描いたのも彼自身で、ニート・レコードと契約した頃のことだという。
レイヴンを長く言い表してきた「athletic rock」という呼び名には、誰が作ったのかについて食い違う説明が並立している。バンドの公式サイトと、シルヴァー・ライニング・ミュージックやメタル・ブレイドといったレーベルの紹介文は、これをレイヴン自身が自分たちの音楽に与えた名前として提示する。一方でジョン・ギャラガー本人は2015年のClassic Rockの取材で、自分たちの造語ではなくニート・レコードを率いたデイヴ・ウッドが考えたものだと述べ、最初に目にしたのは「Athletic rock from Neat」と刷られたニートの広告だったと語っている。いずれにせよバンドはこの言葉を受け入れ、1983年の『All For One』の最後に同名の曲を置いた。
デビュー作『Rock Until You Drop』は、まとまった日程ではなく1日ずつ細切れに録音された。プロデューサーのスティーヴ・トンプソンは後年、バンドがあまりに手に負えなかったため、ニートのデイヴ・ウッドに「1日ずつしか引き受けられない」と伝えていたことを認めている。ジョン・ギャラガーは、そのためアルバムの中で音が変わっていくのが聴き取れると述べており、「Hell Patrol」と「Don't Need Your Money」が最初期、スウィートのメドレー「Hellraiser/Action」と「For The Future」が最後期の録音にあたるという。
機材が壊れ散らかった『Rock Until You Drop』のジャケット写真は、地下駐車場で入念に作り込まれたものである。ニートが撮影に送り込んだのは、ジョン・ギャラガーが「結婚式のカメラマン」と形容する人物だった。現場に足を踏み入れた彼は顎が落ちたという。
2作目『Wiped Out』とEP『Crash Bang Wallop』は、まとめてわずか6日間で録音とミックスが行われた。ジョン・ギャラガーは、ライヴで硬く速い曲ほど客の反応が良いことを目の当たりにしていたため、意識的に速度を上げたのだと説明している。
「Faster Than The Speed Of Light」の題名と着想は、当時ジョン・ギャラガーが読み漁っていた物理の本の山から出てきた。光より速く進めるものはあるのか、という問いを扱った本である。速い曲には速い発想が要る、というのが本人の説明である。
1983年の初の北米ツアーで前座を務めたのは、当時まだ無名だったメタリカだった。メガフォースのジョン・ザズラが「サンフランシスコで一番のバンド」として売り込んできたとき、レイヴンはY&Tのことだと思い、メタリカという名前すら知らなかった。ジョンが彼らの音源に抱いた第一印象は「モーターヘッドを間違った速度で再生したような音」というもので、それが同行を決めさせた。両者のアルバム名を合わせたこの興行は「KILL 'EM ALL FOR ONE TOUR」として知られる。
Albums
結成50周年を記念して2025年2月14日にシルヴァー・ライニング・ミュージックから出た8曲入りEP。新曲5曲に、3人の歴代ドラマーがそれぞれ叩くライヴ音源3曲を添えている。
通算15作目のスタジオ・アルバム。ドラマーのマイク・ヘラーが自ら構えたロサンゼルスのスタジオで録音され、2023年6月30日にシルヴァー・ライニング・ミュージックから発売された。
3作目のフル・ライヴ盤。2017年11月末のデンマーク・オールボー公演を、バンドが録音されていることを知らないまま収めた一枚。
『ExtermiNation』の制作資金を募ったKickstarterの支援者向けに作られたカヴァー集。バンド公式サイトも通常のスタジオ作ではなく特典盤として扱っている。