RAVEN トリビア 全30件

RAVENにまつわる事実を、出典付きで30件掲載しています。

Trivia

レイヴンの初来日は1995年、川崎のクラブチッタだった。ワードレコーズの資料は、この公演がバンドにとってもファンにとっても待望のものだったとし、その模様がライヴ・アルバム『Destroy All Monsters - Live In Japan』として世に出たと記している。ただしジョン・ギャラガーは後年、このとき喉を痛めていたことに自ら触れている。

出典: ワードレコーズ 商品ページ

バンド名の由来はいたって淡白である。ジョン・ギャラガーは2023年のインタビューで、少年期に候補となる名前をいくつも書き出しており、RAVENはその中で一番耳障りでなかったものにすぎない、と述べている。あの鋭角のロゴを描いたのも彼自身で、ニート・レコードと契約した頃のことだという。

出典: Extreminal(ジョン・ギャラガーへのインタビュー、聞き手クリス・フォーブス)

レイヴンを長く言い表してきた「athletic rock」という呼び名には、誰が作ったのかについて食い違う説明が並立している。バンドの公式サイトと、シルヴァー・ライニング・ミュージックやメタル・ブレイドといったレーベルの紹介文は、これをレイヴン自身が自分たちの音楽に与えた名前として提示する。一方でジョン・ギャラガー本人は2015年のClassic Rockの取材で、自分たちの造語ではなくニート・レコードを率いたデイヴ・ウッドが考えたものだと述べ、最初に目にしたのは「Athletic rock from Neat」と刷られたニートの広告だったと語っている。いずれにせよバンドはこの言葉を受け入れ、1983年の『All For One』の最後に同名の曲を置いた。

異説あり出典: Louder / Classic Rock「Welcome Back: Raven」(ジェフ・バートン)

デビュー作『Rock Until You Drop』は、まとまった日程ではなく1日ずつ細切れに録音された。プロデューサーのスティーヴ・トンプソンは後年、バンドがあまりに手に負えなかったため、ニートのデイヴ・ウッドに「1日ずつしか引き受けられない」と伝えていたことを認めている。ジョン・ギャラガーは、そのためアルバムの中で音が変わっていくのが聴き取れると述べており、「Hell Patrol」と「Don't Need Your Money」が最初期、スウィートのメドレー「Hellraiser/Action」と「For The Future」が最後期の録音にあたるという。

出典: Extreminal(ジョン・ギャラガーへのインタビュー、聞き手クリス・フォーブス)

機材が壊れ散らかった『Rock Until You Drop』のジャケット写真は、地下駐車場で入念に作り込まれたものである。ニートが撮影に送り込んだのは、ジョン・ギャラガーが「結婚式のカメラマン」と形容する人物だった。現場に足を踏み入れた彼は顎が落ちたという。

出典: Songfacts ソングライター・インタビュー(ジョン・ギャラガー、聞き手グレッグ・プラト)

2作目『Wiped Out』とEP『Crash Bang Wallop』は、まとめてわずか6日間で録音とミックスが行われた。ジョン・ギャラガーは、ライヴで硬く速い曲ほど客の反応が良いことを目の当たりにしていたため、意識的に速度を上げたのだと説明している。

出典: ClassicRockHistory.com(聞き手アンドリュー・デイリー)

「Faster Than The Speed Of Light」の題名と着想は、当時ジョン・ギャラガーが読み漁っていた物理の本の山から出てきた。光より速く進めるものはあるのか、という問いを扱った本である。速い曲には速い発想が要る、というのが本人の説明である。

出典: Songfacts ソングライター・インタビュー(ジョン・ギャラガー、聞き手グレッグ・プラト)

1983年の初の北米ツアーで前座を務めたのは、当時まだ無名だったメタリカだった。メガフォースのジョン・ザズラが「サンフランシスコで一番のバンド」として売り込んできたとき、レイヴンはY&Tのことだと思い、メタリカという名前すら知らなかった。ジョンが彼らの音源に抱いた第一印象は「モーターヘッドを間違った速度で再生したような音」というもので、それが同行を決めさせた。両者のアルバム名を合わせたこの興行は「KILL 'EM ALL FOR ONE TOUR」として知られる。

出典: Ultimate Guitar(ジョン・ギャラガーへのインタビュー、聞き手ダヴィド・スラヴコヴィッチ)

その1983年のツアーの移動は、ジョン・ギャラガー自身の言葉を借りれば「ゲリラ戦」だった。両バンドに加え、レイヴンのローディー3人、メタリカのクルー、サウンドマン、照明担当、ツアー・マネージャーまでが6人分の寝台しかないウィネベーゴ1台とトラック2台に詰め込まれていたという。

出典: Extreminal(ジョン・ギャラガーへのインタビュー、聞き手クリス・フォーブス)

1984年のライヴ盤『Live At The Inferno』の裏ジャケットの写真をめぐる逸話を、ジョン・ギャラガーは好んで語る。マネージャーのジョン・ザズラが写真家と値段の交渉をし、通常1,000ドルの料金に対して300ドルを提示し続けた。それ以上出さなければ駄目だと言われたザズラは、300ドル1セントの小切手を送り、写真をそのまま使ったのだという。

出典: Extreminal(ジョン・ギャラガーへのインタビュー、聞き手クリス・フォーブス)

『Live At The Inferno』のジャケットにはスタジオでの修正が一切ないことが誇らしげに記されているが、一夜の記録ではない。ジョン・ギャラガーは後年、本作がニューヨークやシカゴを含む複数の公演から組み立てられたものだと明かしている。一夜まるごとを収めたのは、2019年の『Screaming Murder Death From Above』のほうである。

出典: Extreminal(ジョン・ギャラガーへのインタビュー、聞き手クリス・フォーブス)

アトランティック・レコードとの契約には、最初から噛み合わなさの種があった。ジョン・ギャラガーによれば、レイヴンと契約したのはロック担当のA&Rではなく、ダンス/ディスコ担当のラリー・ヤスガーだった。ロック担当が不在だったためである。それがこのバンドの扱い方を最後まで決めかねた会社の空気を決定づけた、というのが本人の見立てである。

出典: KMUW(NPR系ラジオ局、聞き手ジェッド・ボードイン)

アトランティック期の『Stay Hard』に入った「On And On」は、レイヴン史上もっとも録音に手こずった曲の一つだという。マークのギターは音程が悪く、曲はサスペンデッド・コードだらけで、彼は最後にギターを部屋の向こうへ投げてバーへ出て行った。一方のジョンはこの1曲だけで18〜20本のヴォーカルを重ね、3声のハーモニーを重ねては倍にし3倍にするという昔ながらの方法で積み上げている。アルバムの他のどの曲よりも時間がかかったという。

出典: Songfacts ソングライター・インタビュー(ジョン・ギャラガー、聞き手グレッグ・プラト)

『The Pack Is Back』のプロデューサーには、バンドが一体で鳴る瞬間を捉えることに長けたエディ・クレイマーが起用された。ところが実際の録音では、ドラマーが誰も演奏しない状態でクリックに合わせて叩くことを主張した。本人にはもともとビートの後ろで叩く癖があり、結果として全体が重く鈍い仕上がりになった、というのがジョン・ギャラガーの説明である。この経験からレイヴンは、二度とクリックに合わせて録音しない、二度と8週も10週もスタジオに籠らないという方針を採るようになり、以後は事前準備に時間をかけて本番を5、6日で録るようになった。

出典: Blabbermouth.net(マーク・カジェラワ/69 Faces Of Rockのインタビューを収録)

『The Pack Is Back』のジャケットは、アメフト選手に扮した狂気の一団を写すはずのものだった。ジョン・ギャラガーの評価は辛辣で、出来上がったのは狂った美容師のような姿だった、と述べている。

出典: Blabbermouth.net(マーク・カジェラワ/69 Faces Of Rockのインタビューを収録)

アトランティック期には、NFLフィルムズと組んだミュージック・ビデオの構想もあった。バンドはニュージャージーの同社を訪ね、案を練るところまで進んでいる。しかしアトランティックが予算を出さず、計画は消えた。ジョン・ギャラガーは、要求した額はけっして法外なものではなかったとし、これがキャンペーン全体を沈めたと語っている。

出典: Songfacts ソングライター・インタビュー(ジョン・ギャラガー、聞き手グレッグ・プラト)

『Nothing Exceeds Like Excess』の「Die For Allah」は、書かれたというより一度に出てきた曲である。ジョン・ギャラガーによれば、作曲期間中にマーク・ギャラガーが腰を下ろし、思いつくままに最初から最後まで7分ほどを弾き通した。たまたまテープ・レコーダーが回っていたのだという。

出典: Songfacts ソングライター・インタビュー(ジョン・ギャラガー、聞き手グレッグ・プラト)

1994年の『Glow』が録音されたニュージャージー州ドーヴァーのショウプレイス・スタジオには、変わった来歴がある。レイヴンが以前に演奏したことのあるストリップ・クラブと同じ建物なのである。ジョン・ギャラガーによれば、テープ・ルームの脇のドアを開けると、そのままクラブに出る。

出典: NYS Music(ジョン・ギャラガーへのインタビュー、聞き手ジョン・ムーア)

マーク・ギャラガーが2001年に負った怪我は、バンドを4年近く止めた。ジョン・ギャラガーの説明によれば、マークはその前にT字路での自動車事故で全身を打っており、そのうえで建設現場にいた友人を訪ねた際、風で飛ばされた帽子を追いかけたところに長く分厚い壁が倒れてきて下敷きになった。両足首が脱臼し、片方のふくらはぎは脚から裂けていた。ジョンは、弟が生き延び、やがて再び歩けるようになったのは体力と頑固さのおかげだと語っている。活動を再開したとき、マークはまだ車椅子だった。

出典: Blabbermouth.net(ジョン・ギャラガーの発言)

『ExtermiNation』のボーナス・トラック「Malice In Geordieland」は、全編がジョーディー方言で歌われている。提案したのはドラマーのジョー・ハッセルヴァンダーだった。歌詞にはメイフェア・ボールルームをはじめ、ギャラガー兄弟が少年期を過ごしたニューカッスルの場所が次々に登場する。

出典: Louder / Classic Rock「Welcome Back: Raven」(ジェフ・バートン)

同じ『ExtermiNation』の「Thunder Down Under」は、ボン・スコットへの意識的な献辞である。ジョン・ギャラガーは、ニューカッスルのメイフェアでのAC/DC公演のあとにスコットとアンガス、マルコムのヤング兄弟に会っている。

出典: Louder / Classic Rock「Welcome Back: Raven」(ジェフ・バートン)

『ExtermiNation』の録音費用は、2014年10月に始めたKickstarterで賄われた。目標15,000ドルに対して27,000ドル超が集まっている。支援者への特典として作られたのが、思いつきで録られたカヴァー集『Party Killers』である。

出典: Blabbermouth.net

2019年のライヴ・アルバム『Screaming Murder Death From Above』は、バンドが録音されていることを知らないまま作られた。2017年11月末のデンマーク・オールボー公演のあと、会場のサウンド・エンジニアがドラマーのマイク・ヘラーにメモリー・スティックを手渡した。ヘラーはそれをポケットに入れたまま半年ほど忘れており、音源が必要になって初めて中身が確認されたのだという。

出典: Ultimate Guitar(ライヴ盤についてのインタビュー、聞き手ダヴィド・スラヴコヴィッチ)

『Metal City』のミックスをマイケル・ワグナーが手がけることになったのは、偶然の産物である。ロック・クルーズで出くわしたその場でバンドが依頼した。マイク・ヘラーのスタジオがまだ完成していなかったこともあり、ワグナーはナッシュビルの自分のスタジオを提供し、ベース、ギター、ヴォーカルを2週間ほどかけて録っている。

出典: KMUW(NPR系ラジオ局、聞き手ジェッド・ボードイン)

『Metal City』のコミック調のアートワークは、マイク・ヘラーが出したTシャツの案から始まった。3人が走っている絵である。ギャラガー兄弟の顔をどうしても似せられない絵描きとひと悶着あったのち、ヘラーがいっそパッケージ全体をコミックとして作ろうと提案した。曲ごとに別の絵を用意し、謝辞のページは昔のマーベルの広告ページを模した体裁になっている。

出典: KMUW(NPR系ラジオ局、聞き手ジェッド・ボードイン)

レイヴンが曲順にこだわるのには理由がある。ジョン・ギャラガーはKMUWの取材で、『Life's A Bitch』のときにバンドの意図に反してA面とB面の1曲目が誰かの手で入れ替えられた、と語っている。

出典: KMUW(NPR系ラジオ局、聞き手ジェッド・ボードイン)

2019年3月14日の吉祥寺CLUB SEATA公演には、マーティ・フリードマンがスペシャル・ゲストとして登場した。Young Guitar誌が掲載したセットリストでは、「Fire Power」と「Wiped Out」の2曲に彼の名前が入っている。ジョン・ギャラガーによれば、フリードマンが最初の2枚からならどの曲でも弾けると伝えてきたことから曲が決まった。マークは、フリードマンと共演するのは10年ぶりだと述べている。

出典: YOUNG GUITAR(シンコーミュージック)

2014年、レイヴンはサンパウロのスタジアムでメタリカの前座を務めた。31年前の立場が逆になった舞台である。そのメタリカの出番が押したため、レイヴンは「Break The Chain」を12分ほどまで引き延ばして間を埋めた。ジョン・ギャラガーによれば、その間ジェイムズ・ヘットフィールドは舞台の袖から彼らを撮影し、頭を振り、ハイタッチをしていたという。

出典: JoelGausten.com(ジョン・ギャラガーへのインタビュー、聞き手ジョエル・ガウステン)

結成期からのドラマー、ロブ・"ワッコ"・ハンターは1987年にバンドを去ったあと、音楽のまったく別の側へ進んだ。現在はグラミー賞を受けたジャズのプロデューサーで、ハリー・コニック・Jr.らと仕事をしている。

出典: Louder / Classic Rock「Welcome Back: Raven」(ジェフ・バートン)

2025年の50周年EP『Can't Take Away The Fire』が新曲5曲ではなく全8曲になったのには、商業上の事情がある。ジョン・ギャラガーは、流通側がEPを嫌い価格も下げざるを得ないため、ライヴ音源で尺を足したのだと説明している。結果としてそのライヴ3曲は、1984年、1991年、2022年と、それぞれ違うドラマーが叩いた3つの時代の記録になった。

出典: NYS Music(ジョン・ギャラガーへのインタビュー、聞き手ジョン・ムーア)