CATHEDRAL

イギリスのドゥーム・メタル・バンド、CATHEDRAL(カテドラル)のバイオグラフィとディスコグラフィー。1991年のデビュー作『Forest of Equilibrium』から2013年の『The Last Spire』までのスタジオ・アルバム10作と、2025年に発表された最後の録音『Society's Pact With Satan』に個別ページを用意し、収録曲、CD情報、ライナーノーツ、公式ビデオ、来日公演の記録をまとめている。

Biography

CATHEDRAL
バイオグラフィー

CATHEDRAL(カテドラル)は、コヴェントリーを拠点にしたイギリスのドゥーム・メタル・バンドである。1989年にNAPALM DEATHを離れたリー・ドリアンが、同じ年の暮れにCARCASSのローディーだったマーク・グリフィスとバンドを構想し、元ACID REIGNのギャリー・ジェニングスを加えて1990年に動き出した。1991年のデビュー作『Forest of Equilibrium』で、速さを競っていた当時のエクストリーム・メタルに極端な遅さを持ち込み、その後は1970年代のハード・ロックやプログレッシヴ・ロックへと音を広げていった。ドリアンとジェニングスを軸に10枚のスタジオ・アルバムを残し、2011年に解散を予告したうえで、2013年の『The Last Spire』を最後に活動を終えた。日本には1990年代前半から何度も訪れ、2011年4月の渋谷CLUB QUATTRO公演が最後の日本公演になった。

結成とデモ(1989〜1990年)

リー・ドリアンは、NAPALM DEATHに加わる前、コヴェントリー周辺でハードコアのライヴを企画し、ファンジンを作っていた。本人によれば、もともとバンドに入るつもりはなかったという(ブラバマウス、2017年)。NAPALM DEATHに在籍していた1988年には自分のレーベルRise Above Recordsを立ち上げ、ごく少数のハードコア・パンクの7インチを出すところから始めている(Rise Above Records)。1989年、ドリアンはNAPALM DEATHを離れた(Louder、2024年)。

バンドの公式サイトのバイオグラフィーによれば、CATHEDRALの始まりは1989年の暮れ、カーディフで開かれたCARCASSの公演だった。CARCASSのローディーとしてステージに映すゴア映像を受け持っていたマーク・“グリフ”・グリフィスとドリアンは、TROUBLE、PENTAGRAM、BLACK SABBATH、SAINT VITUS、CANDLEMASSといったバンドへの思いを語り合い、酒の勢いでドゥーム・バンドを組むことに決めた。グリフはドゥーム・メタルだけを扱うファンジン『Under The Oak』を作っていて、その1冊をCANDLEMASSの公演でギャリー・“ギャズ”・ジェニングスに売ったことがあった。スラッシュ・メタル・バンドACID REIGNのギタリストだったジェニングスは、MORBID DOOMの名でドゥームとスラッシュを合わせたデモ『Sorrow's Epitaph』を作っており、ドリアンとはNUCLEAR ASSAULTのダン・リルカーの紹介で知り合っていた(公式サイト、Louder 2024年)。

最初のリハーサルは1990年3月で、グリフがリズム・ギター、ジェニングスがリード・ギター、ドラムはSACRILEGEやTHE VARUKERSで叩いていたアンディ・ベイカーだった。遅すぎる曲調にベイカーは乗り気でなく、コヴェントリーのハードコア・バンドで叩いていたベン・モックリーに替わった。ベーシストが見つからなかったためグリフがベースに回り、初期TROUBLEのような2本のギターの絡みを求めて、ジェニングスの後にACID REIGNに入っていたアダム・リーハンが最初のデモの録音直前に加わった(公式サイト、Louder 2024年)。メンバーはコヴェントリー、ハロゲイト、リヴァプールに分かれて住んでいたため、リフを録ったカセットを送り合って曲を作った。ドリアンによれば、初期のリハーサル室はBLACK SABBATHの部屋の隣で、練習の代わりに壁に耳を当てていたこともあった(デシベル誌、2021年)。

1990年10月、バンドは自費で録ったカセットのデモ『In Memorium』を、ドリアンが始めたばかりのRise Above Recordsから出した(Rise Above Records、公式サイト)。その後はSAINT VITUS、MORBID ANGEL、THE YOUNG GODS、CRANESなどと各地を回ったが、ドリアンによれば、1990年にSAINT VITUSと回った最初のツアーでは、オックスフォードで入場料を払った客は8人だった(公式サイト、デシベル誌2021年)。

『Forest of Equilibrium』(1991年)

PeacevilleやRoadrunnerなど複数のレーベルが関心を示し、デモがCMJ誌で評されると注目を集めたが、バンドはNAPALM DEATH時代にドリアンと仕事をしていたディグ・ピアソンのEarache Recordsを選んだ(デシベル誌、2021年)。1991年の初めにはドラマーがいなくなり、ドリアンはアメリカのピッツバーグに住むPENANCEのドラマー、マイク・スメイルに手紙を書いて来てもらった。1991年7月、イングランドのレディッチにあるWorkshop Studiosで、デビュー作『Forest of Equilibrium』を録音した(デシベル誌、2006年)。録音の期間はおよそ2週間で、ドリアンの旧友のエンジニア、スティーヴ・ガーニーが手を貸した(Louder、2024年)。

ジャケットの絵はデイヴ・パチェットが描いた。ドリアンはコヴェントリーの中心街で、地元の画家を紹介する画廊のウィンドウにあったパチェットの絵に引きつけられ、芳名帳に連絡先を書き残した。翌日には返事が届き、パチェットはドリアンが住む高層住宅の隣の棟に住んでいたという(デシベル誌、2021年)。パチェットはその後もバンドのジャケットを描き続け、公式サイトでは「非公式のもう1人のメンバー」と呼ばれた(公式サイト)。アルバムが出た月は、1991年10月とする資料(Louder、2024年)と12月とする資料(Rise Above Records、デシベル誌2021年)に分かれる。2006年2月、デシベル誌はこのアルバムを12番目の殿堂入り作品に選んだ(デシベル誌、2006年)。

Columbiaとの契約(1992〜1994年)

1992年、ドラムに元ACID REIGNのマーク・ラムゼイ・ワートンが加わり、1970年代のハード・ロックの色が濃くなったEP『Soul Sacrifice』を録音した。同じ年にはCARCASS、ENTOMBED、CONFESSORと「Gods of Grind」ツアーを回り、3月18日のロンドン・アストリア公演はのちに映像作品に収められた(公式サイト)。この頃、バンドはEarache Recordsのライセンス契約を通じて、アメリカのメジャー・レーベルColumbia Recordsと契約した(デシベル誌、2024年)。アダム・リーハンによれば、この契約がなければアメリカでのツアーの費用は出せなかった。NAPALM DEATH、CARCASS、BRUTAL TRUTHと北米を2か月回った「Campaign for Musical Destruction」ツアーでは、CATHEDRALに車を運転できるメンバーがいなかったため、同じバンに乗ったBRUTAL TRUTHがハンドルを握った(デシベル誌、2020年)。このツアーの後、グリフがバンドを去った(公式サイト)。

2作目『The Ethereal Mirror』は、Columbiaが求める大きな音に応えるため、MIKE OLDFIELDの『Tubular Bells』やSEX PISTOLSの『Never Mind the Bollocks』が録音されたマナー・スタジオで録られた。ドリアンによれば、プロデューサーからは演奏が下手だとなじられ、曲もまだ仕上がっていなかった(メタル・ハマー誌、2013年)。正式なベーシストがいなかったため、ベースはジェニングスが弾いた。録音中の仮題は『Decadence』で(公式サイト)、1993年6月の日本盤は『デカダンス』の題で出ている(タワーレコード)。ドリアンはもっと暗く過激な作品を望み、ほかのメンバーはロックに寄った新しい方向に乗り気だった(デシベル誌、2024年)。

アルバムの発表後、SLEEPやPENANCEとヨーロッパを回り、続いてBRUTAL TRUTHとともに初めて日本で公演した。公式サイトによれば、この日本公演を最後に、1992年からライヴでベースを弾いていたマイク・ヒッキーが抜け、REPULSIONのスコット・カールソンが替わった(カールソン本人は、加入は『The Ethereal Mirror』の発売前だったと語っている)。続いてColumbiaの意向でMERCYFUL FATEの長いツアーの前座を務めたが、いくつかの出来事の末に降ろされてフロリダでツアーを離れ、2か月ほど後にはFIGHTとアメリカを回った。リーハンとウォートンは、1993年12月7日のニューヨーク公演を最後にバンドを離れた(公式サイト、ブラバマウス2018年、ノイズクリープ2013年)。

1994年のEP『Statik Majik』は、40分ほどの長さの半分を「The Voyage of the Homeless Sapien」1曲が占めた。Columbiaはこの曲を外して売りやすい曲に替えようとしたが、バンドは譲らず、アメリカでは別のジャケットで1曲を差し替えた『Cosmic Requiem』として出た(公式サイト)。その後、BLACK SABBATHのヨーロッパ・ツアーの前座に誘われ、PENTAGRAMのヴィクター・グリフィンとジョー・ハッセルヴァンダーの助けを借りて出演した。グリフィンが途中で帰国し、ギター1本で臨んだ最初の夜、トニー・アイオミからずっと良くなったと声をかけられた。公式サイトは、これがバンドがその後も4人編成を通した理由だろうと書いている(公式サイト)。

カールソンと同じくシカゴに住むTROUBLEのバリー・スターンがしばらくドラムを手伝い、イギリスでの公演やベルギー、フランス、スウェーデンのフェスティヴァルに出た。続いて、カールソンの友人でシカゴに住むドラマー、デイヴ・ホーニャクを試すため、ドリアンとジェニングスはシカゴに1か月ほど滞在して新曲を作り、年の終わりにはホーニャクとカールソンがイギリスに来て公演を行い、新曲5曲のデモを録った。しかしクリスマスの直前、アメリカのA&R担当から、Columbiaがもうバンドとは仕事をしないという電話が入り、アメリカに住む2人を抱え続けることはできなくなった(公式サイト)。ドリアンは後に、アンダーグラウンドのバンドだったのに、Columbiaの時代には次のTHE BLACK CROWESとして売り出されそうになり、居心地が悪かったと語っている(ノイズクリープ、2013年)。

4人編成の時代(1995〜2001年)

ドリアンとジェニングスの2人だけになったバンドは、オーディションでドラムのブライアン・ディクソンとベースのレオ・スミーを迎えた(公式サイト)。この4人で、ヘイスティングスのParkgate Studiosで1995年の3作目『The Carnival Bizarre』を録音し、「Utopian Blaster」ではトニー・アイオミがギター・ソロを弾いた(公式サイト、Louder 2024年)。ドリアンは2013年、アイオミの参加をバンドの歩みのなかでも大きな出来事に挙げている(ノイズクリープ)。アルバムの後には、CROWBARとのヨーロッパ・ツアー、MOTÖRHEADとの北欧ツアー、PARADISE LOSTとのイギリスとオーストラリアのツアーが続き、日本も再び訪れた。続くEP『Hopkins (The Witchfinder General)』では、THE CRAZY WORLD OF ARTHUR BROWNの「Fire」をカヴァーしている(公式サイト)。

ツアーが続いて準備の時間がとれず、1996年の『Supernatural Birth Machine』は、前作のちょうど1年後に同じスタジオで、わずか1週間の準備で録音された。ドリアンは録音の直前に歌詞を書いていたといい、のちに、一度もリハーサルしていない曲ばかりだったと振り返っている。1週間でアルバム1枚分の歌詞を求められたドリアンは、バンドを辞めようとさえした(公式サイト、メタル・ハマー誌2013年)。アメリカ盤は、Earacheのアメリカ支社がバンドに知らせずにパッケージを変えて出した(公式サイト)。

その後もMY DYING BRIDEとのヨーロッパ・ツアー、日本とオーストラリアへの再訪、ギリシャでの公演などを重ねたが、レーベルとの契約の事情で新作を出せない時期が続いた。1998年のDynamoフェスティヴァル出演を経て、5作目『Caravan Beyond Redemption』が完成した(公式サイト)。発売は当初1998年10月の予定だったが、実際には年が明けた1999年1月21日に日本盤が先に出て、イギリスでも同じ月にEaracheから発売された(Earache、トイズファクトリー)。このアルバムではORANGE GOBLINやTERRA FIRMAとヨーロッパを回り、ORANGE GOBLINとは日本も訪れた(公式サイト)。

ドリアンは、曲が磨かれすぎて本当の重さから離れていくと感じ、次のアルバムを最も重いものにしなければ脱退を考えるとメンバーに迫った。こうして生まれた2001年の『Endtyme』について、ドリアンは、それまでのすべてを壊し、ほとんど一からやり直すような作品だったと振り返っており(メタル・ハマー誌、2013年)、公式サイトも、バンドはおそらくそれまでで最も重い時期にあったと書いている(公式サイト)。Earacheとの10年に及ぶ関係はこのアルバムで終わり、バンドはRise Aboveに所属するHANGNAILとヨーロッパと日本を回った(公式サイト)。

レーベルを移って(2002〜2010年)

Earacheを離れたバンドはDream Catcher Recordsと契約し、2002年の初めからリヴァプールのリハーサル室で曲を書いて、7作目『The VIIth Coming』を発表した(公式サイト)。日本盤はトイズファクトリーから出ている(タワーレコード)。ドリアンは、『Endtyme』で取り戻した重さがこのアルバムで前の作風に戻ったと感じたが、前作で自分の意見を通した後だったため口を挟まなかったという(メタル・ハマー誌、2013年)。2004年10月にはHIMのイギリス・ツアーでメイン・サポートを務め、同じ年にはEarache時代の代表曲と未発表曲を集めた2枚組『The Serpent's Gold』が出た(ブラバマウス)。

『The VIIth Coming』の後には、バンドを続けたいのかどうかを見つめ直す時期が続いた。ドリアンは、バンドでいることではなく、バンドでいるために闘うことに疲れていたと振り返っている(メタル・ハマー誌、2013年)。2005年の8作目『The Garden of Unearthly Delights』でドイツのNuclear Blastに移り、DOWNなどを手がけたウォーレン・ライカーがプロデュースした。アルバムの頂点は27分に及ぶ「The Garden」で、「Corpsecycle」や「North Berwick Witch Trials」は最後までライヴの定番になった(Rise Above Records)。ドリアンは後に、実のところバンドは『The Garden』を録る前に終わっていてもおかしくなかったと語っている(ザ・クワイエタス、2011年)。その後、2010年まで新作は途絶え、復活を危ぶむ声もあった(Rise Above Records)。

2010年3月の9作目『The Guessing Game』は、バンドにとって初めての2枚組で、ウォーレン・ライカーが続けてプロデュースした(ブラバマウス)。ドリアンとジェニングスはまずデビュー作のような遅く重い曲でアルバム1枚分を書いたが、すでにやったことだとしてそれを捨て、プログレッシヴ・ロックやサイケデリア、フォークを前面に出した(ジ・オベリスク、2010年)。動物の権利を歌った「Requiem for the Voiceless」や、1970年代のアイルランドのフォーク・ロック・バンドMELLOW CANDLEのアリソン・オドネルが歌う「Funeral of Dreams」を収め、メロトロンやシタールも使っている(ブラバマウス、公式サイト)。

2010年12月3日、ロンドンのO2アカデミー・イズリントンで結成20周年の記念公演を開いた。『Forest of Equilibrium』を録音した顔ぶれが再び集まって、このアルバムを初めて全曲演奏し、続いて当時のメンバーが代表曲を演奏した。悪天候と交通の乱れで、ロンドンにたどり着けないファンも多かったという(公式サイト、Rise Above Records、デシベル誌2020年)。

終幕(2011〜2013年)

2011年2月、バンドは翌年に最後のスタジオ・アルバムを出し、その年の終わりでライヴ活動をやめると発表した。ドリアンは、21年は長い時間で、ここまで来られたのは奇跡に近いとコメントしている(ブラバマウス)。5月には、最後のアルバムのためのツアーは行わないことも明らかにした(ザ・クワイエタス、2011年)。

ライヴ活動の最後の年とされた2011年には、4月19日の大阪・心斎橋CLUB QUATTROと20日の東京・渋谷CLUB QUATTROでの公演や、アメリカのMaryland Deathfestへの出演が組まれた(ブラバマウス、クリエイティブマン、メトロポリス誌)。10月にドイツで予定していたHammer of Doomへの出演は、ほかの出演バンドが舞台で動物の血を使うことに反対して取りやめた(ブラバマウス)。同じ5月には、12月3日のロンドン、ケンティッシュ・タウンのフォーラム公演を最後にステージを去ることも告知され、GRAND MAGUSやCOMUSが共演に名を連ねた(ザ・クワイエタス)。ただし2011年12月に報じられたインタビューでドリアンは、オーストラリアから戻ったら1か月かけて最後のアルバムの曲を仕上げ、4月に録音を始めると話しており(ブラバマウス、2011年)、2013年には、オーストラリア、ブラジル、Maryland Deathfestでの最後のツアーを心から楽しめたと振り返っている(ノイズクリープ)。本当の最終公演は、2012年3月のオーストラリア、パースでの公演だった(ブレイヴ・ワーズ、2013年)。

2011年11月には、20周年公演を収めた2枚組『Anniversary』と、新曲2曲の12インチ『A New Ice Age』がRise Aboveから出た(Rise Above Records、タワーレコード)。最後のアルバム『The Last Spire』は、ロンドンのOrgone Studiosで、ドリアンとジェニングスがハイメ・ゴメス・アレジャーノの助けを得て自ら制作した。ベースにはスコット・カールソンが戻り、デイヴィッド・ムーアがハモンド・オルガンやメロトロンを弾いた。アルバムは2013年4月29日にRise Aboveから出た(ブラバマウス)。ドリアンは、デビュー作以来ずっと作りたかったアルバムで、ある意味で2作目を最後に作ったようなものだと語り(Rise Above Records)、PURSONのロザリー・カニンガムがメンバー1人ずつの墓に黒い蘭を手向ける「Tower of Silence」が、バンドの最後のミュージック・ビデオになった(ブラバマウス)。

解散の理由について、ドリアンは、このバンドを続けること自体がずっと闘いで、もう闘いたくなかったのだと語り、何年も前から考えていたことだとしている。先に終わりを告げたことで、最後の日々を楽しむ時間が持てたとも話した(ノイズクリープ、2013年)。ジェニングスに切り出すと、ジェニングスもほぼ同じ考えだったという(メタル・ハマー誌、2013年)。

解散後

ドリアンは2013年、高額の再結成の誘いを断ると明言し(ノイズクリープ)、2020年にも、終わらせたのには理由があるとして再結成に否定的だった(デシベル誌)。ドリアンはRise Above Recordsの運営を続け、ジェニングス、カールソンとSEPTIC TANKを始め、2013年5月3日にロンドンでの初ライヴが組まれた(ブラバマウス、2012年)。2014年には、ELECTRIC WIZARDの結成時のリズム隊だったティム・バグショウ、マーク・グリーニングとWITH THE DEADを結成し(ブラバマウス、2015年)、のちにレオ・スミーもベースで加わった(ブラバマウス、2017年)。ジェニングスはDEATH PENALTYやLUCIFERで(タワーレコード)、リーハンとウォートンは2014年に結成したWORKSHEDで(Rise Above Records)、それぞれ活動した。

2020年には、20周年公演の2つのセットが、それぞれ2枚組LP『Return to the Forest』と『Freak Winter』としてRise Aboveから出た(デシベル誌、2020年)。2025年には、『The Last Spire』の録音の最後に録られながら、ミックスされないまま忘れられていた約30分の曲「Society's Pact With Satan」を、プロデューサーのハイメ・ゴメス・アレジャーノが古い録音の整理中に見つけ、メンバーの同意を得てRise Aboveから発表した(Rise Above Records)。日本盤は2026年5月に『絶望-ソサエティーズ・パクト・ウィズ・サタン』の題でTrooper Entertainmentから出た(タワーレコード)。2026年には、バンドに権利が戻った『The Guessing Game』を、ゴメス・アレジャーノが元のマスターからリミックスし直した『The Guessing Game (Rethink)』が、2026年10月30日発売としてRise Aboveから告知された(Rise Above Records)。

メンバーについて

結成から最後まで在籍したのは、ヴォーカルのリー・ドリアンとギターのギャリー・ジェニングスの2人である(公式サイト、ブラバマウス)。最後のアルバム『The Last Spire』の編成は、この2人にドラムのブライアン・ディクソン、ベースのスコット・カールソンを加えた4人で、キーボードのデイヴィッド・ムーアが録音に加わった(ブラバマウス)。ディクソンとベースのレオ・スミーは1995年の『The Carnival Bizarre』から加わり(Louder、2024年)、スミーの在籍は2010年12月の20周年公演まで確かめられる(Rise Above Records)。

過去のメンバーは、結成時からリズム・ギター、のちにベースを弾き、1992年の北米ツアーの後に去ったマーク・“グリフ”・グリフィス、最初のデモの直前に加わり1993年12月まで在籍したギターのアダム・リーハン、最初期のドラムのアンディ・ベイカーとベン・モックリー、『Forest of Equilibrium』で叩いたマイク・スメイル、1992年から1993年12月まで叩いたマーク・ラムゼイ・ワートンである。このほか、1992年から1993年にライヴでベースを弾いたマイク・ヒッキー、BLACK SABBATHのツアーで加わったPENTAGRAMのヴィクター・グリフィンとジョー・ハッセルヴァンダー、ライヴで叩いたTROUBLEのバリー・スターン、新曲のデモでドラムを叩いたデイヴ・ホーニャクがいる。カールソンは『The Ethereal Mirror』の頃からライヴでベースを弾き(加わった時期は資料によって異なる)、Columbiaとの契約が切れた際にいったん離れていた(公式サイト、ブラバマウス2018年)。

ディスコグラフィ

スタジオ・アルバム10作を、最初に出た年の順に並べる。レーベルはイギリスでの発売元で、アメリカや日本で発売元が異なる作品は備考などに記した。このほかに、デモ『In Memorium』(1990年)、EP『Soul Sacrifice』(1992年)、『Twylight Songs』(1993年)、『Statik Majik』(1994年、アメリカ盤は『Cosmic Requiem』)、『Hopkins (The Witchfinder General)』(1995年)、7インチ『Gargoylian』(2001年、Southern Lord)、12インチ『A New Ice Age』(2011年)、約30分の1曲を収めた『Society's Pact With Satan』(2025年)がある。2026年には、『The Guessing Game』を元のマスターから全面リミックスし、別テイクや編集前のヴァージョンを加えた『The Guessing Game (Rethink)』(2026年10月30日発売、Rise Above Records)がある。編集盤には、EP2作を1枚にまとめた『Statik Majik / Soul Sacrifice』(1999年)と、Earache時代を2枚組にまとめた『The Serpent's Gold』(2004年)がある。映像作品は、東京公演を収めて日本で出た『Our God Has Landed (Live in Tokyo)』(1998年)と、プロモーション・ビデオを加えた『Our God Has Landed』(1999年、DVDは2001年)、ライヴ盤は20周年公演の『Anniversary』(2011年)と、それを2つに分けたLP『Return to the Forest』『Freak Winter』(2020年)である(公式サイト、Rise Above Records、ブラバマウス、タワーレコード)。

発売題名レーベル備考
1991年Forest of EquilibriumEaracheデビュー作。ドラムはマイク・スメイル。日本盤の題は『この森の静寂の中で』
1993年The Ethereal MirrorEarache(アメリカはColumbia)ジェニングスがベースも担当。日本盤の題は『デカダンス』
1995年The Carnival BizarreEaracheディクソンとスミーが加わった最初の作品。「Utopian Blaster」にトニー・アイオミ
1996年Supernatural Birth MachineEarache前作の1年後に同じスタジオで録音
1999年Caravan Beyond RedemptionEarache日本盤が1999年1月21日に先行して発売
2001年EndtymeEaracheEaracheでの最後のアルバム
2002年The VIIth ComingDream Catcher(アメリカはSpitfire)日本盤はトイズファクトリー
2005年The Garden of Unearthly DelightsNuclear Blast27分の「The Garden」を収録
2010年The Guessing GameNuclear Blastバンド初の2枚組
2013年The Last SpireRise Above Records(北米はMetal Blade)最後のアルバム。日本盤はTrooper Entertainment

日本公演

日本盤は、1992年2月に『Forest of Equilibrium』が『この森の静寂の中で』の題で出て以来、2005年の『ザ・ガーデン・オブ・アンアースリー・デライツ』まで、多くはイヤーエイクやトイズファクトリーの名で出た。2010年の『ザ・ゲッシング・ゲーム』からはTrooper Entertainmentが日本盤を出している(タワーレコード、公式サイト)。日本盤の多くにはボーナス・トラックが加えられた(公式サイト)。公式サイトによれば、初めての日本公演は『The Ethereal Mirror』発表後のBRUTAL TRUTHとの共演で、『Statik Majik』の日本盤には「live in japan '93」と記されたライヴ録音が収められている。その後も『The Carnival Bizarre』の後、『Caravan Beyond Redemption』のツアーではORANGE GOBLINと、『Endtyme』のツアーではHANGNAILとともに来日した。1997年4月13日の東京ON AIR EAST公演は、1998年に日本でビデオ『アワー・ゴッド・ハズ・ランデッド(ライヴ・イン・トーキョー)』として出た(公式サイト、タワーレコード)。2006年にはLOUD PARK 06に出演し、2011年4月には、それ以来4年半ぶりの単独公演として、19日の大阪・心斎橋CLUB QUATTROと20日の東京・渋谷CLUB QUATTROの2公演が組まれた。クリエイティブマンの告知は、それまでの来日公演を6度としている(クリエイティブマン)。東日本大震災の直後、ドリアンは来日すべきか迷っていたが、東京の会場は満員となり、メトロポリス誌の評はこの夜をバンドの日本での活動を締めくくる公演として伝えている(メトロポリス誌)。なお、2026年の日本盤の資料は初来日を1994年とし、日本公演は計7回としている(タワーレコード)。

日付会場公演
1993年8月3日クラブチッタ川崎(神奈川)初来日公演(BRUTAL TRUTHと)
1997年4月13日渋谷ON AIR EAST(東京)ライヴ・ビデオ『アワー・ゴッド・ハズ・ランデッド(ライヴ・イン・トーキョー)』収録
1999年6月11日心斎橋BIGCAT(大阪)ORANGE GOBLINと
1999年6月12日渋谷ON AIR EAST(東京)ORANGE GOBLINと
1999年6月13日渋谷ON AIR EAST(東京)ORANGE GOBLINと
2001年5月30日渋谷ON AIR EAST(東京)CATHEDRAL JAPAN TOUR 2001(HANGNAILと)
2001年5月31日心斎橋BIGCAT(大阪)CATHEDRAL JAPAN TOUR 2001(HANGNAILと)
2006年10月14日幕張メッセ(千葉)LOUD PARK 06
2011年4月19日心斎橋CLUB QUATTRO(大阪)LOUD PARK 06以来の単独公演
2011年4月20日渋谷CLUB QUATTRO(東京)最後の日本公演

出典について

このページは、バンド公式サイト cathedralcoven.com(Internet Archiveに残る2004年と2010年のバイオグラフィー、作品一覧と各作品のページ)、リー・ドリアンのレーベルRise Above Recordsのバンド・ページと作品ページ、タワーレコードとCDジャーナルの日本盤の商品データとレーベル資料、デシベル誌、Louder(メタル・ハマー誌ほか)、ブラバマウス、ノイズクリープ、ザ・クワイエタス(Internet Archiveの保存分)、ジ・オベリスク、東京の英字誌メトロポリス、2011年の来日公演を告知したクリエイティブマンのページに基づく。英語版と日本語版のWikipediaは手がかりとしてのみ使い、そこから得た事実は上記のいずれかで確かめた。発売の月など資料によって食い違う点は、本文でその旨を記した。

Trivia

1997年4月13日、東京のON AIR EASTでの公演は撮影され、1998年に日本でEarache/トイズファクトリーからビデオ『アワー・ゴッド・ハズ・ランデッド(ライヴ・イン・トーキョー)』として出た。「Utopian Blaster」「Hopkins (The Witchfinder General)」「Ride」などを収めている。翌1999年、Earacheはこの東京公演にバンドのプロモーション・ビデオを加え、『Our God Has Landed (AD 1990 - 1999)』として出し直した。

出典: バンド公式サイト cathedralcoven.com の作品ページ『Our God Has Landed (Live In Tokyo)』(Internet Archiveに残る2005年の保存版)

CATHEDRALの最後の日本公演は、2011年4月20日の渋谷CLUB QUATTROだった。東日本大震災の直後に取材を受けた時点では、リー・ドリアンは来日すべきか迷っていたが、当日の会場は満員になった。ドリアンは「Ebony Tears」を、自分のレーベルRise Aboveに所属する日本のバンドCHURCH OF MISERYをはじめとする日本の知人たちに捧げ、最後の曲の前には、自分は魔女狩り人マシュー・ホプキンスだと名乗ってみせた。

出典: メトロポリス誌(東京の英字誌)、2011年4月20日の渋谷CLUB QUATTRO公演のレビュー(2011年5月5日)

リー・ドリアンは日本のポップ・カルチャーの愛好家でもある。2011年の来日前のインタビューでは、今のアニメより、1960年代末から70年代初めの『ウルトラマン』や『スペクトルマン』のほうが好きだと話している。1980年代の日本のグラインドコアやパンクについても、S.O.B.、LIP CREAM、OUTO、SWANKYS、GISMの名を挙げ、ヨーロッパやアメリカのたいていのバンドよりはるかに過激だったと語った。

出典: メトロポリス誌(東京の英字誌)、2011年の来日を前にしたリー・ドリアンのインタビュー(2011年4月7日)

バンド公式サイトのバイオグラフィーによれば、CATHEDRALの始まりは1989年の暮れ、カーディフで開かれたCARCASSの公演だった。CARCASSのローディーとしてステージに映すゴア映像を受け持っていたマーク・“グリフ”・グリフィスとリー・ドリアンは、TROUBLEやSAINT VITUSへの愛を語り合ううちに杯を重ね、同じようなドゥーム・バンドを組もうと決めた。翌朝、ひどい二日酔いの2人に残ったのは、デス・メタルが全盛に向かう時代に、遅い音楽を愛する仲間がほかに誰がいるのかという疑問だった。

出典: バンド公式サイト cathedralcoven.com のバイオグラフィー(リー・ドリアンの文、Internet Archiveに残る2004年の保存版)

ギャリー・ジェニングスを誘うきっかけは、ファンジンだった。マーク・グリフィスはドゥーム・メタルだけを扱うファンジン『Under The Oak』を作っていて、その1冊を1年近く前にCANDLEMASSの公演でジェニングスに売っていた。スラッシュ・メタル・バンドACID REIGNにいたジェニングスは、MORBID DOOMの名でドゥームとスラッシュを合わせたデモ『Sorrow's Epitaph』を自ら演奏し、歌い、制作するほどのドゥーム好きで、リー・ドリアンとはNUCLEAR ASSAULTのダン・リルカーの紹介ですでに知り合っていた。バンドの公式サイトは、ジェニングスが2人の「標的第1号」になったと書いている。

出典: バンド公式サイト cathedralcoven.com のバイオグラフィー(リー・ドリアンの文、Internet Archiveに残る2004年の保存版)

2作目『The Ethereal Mirror』には、録音中『Decadence』という仮題がついていた。バンド公式サイトのバイオグラフィーは、ある雑誌の広告では『Journey into Jade』の題で告知されていたことにも触れている。日本では1993年6月、このアルバムが『デカダンス』の題で発売された。

出典: バンド公式サイト cathedralcoven.com のバイオグラフィー(リー・ドリアンの文、Internet Archiveに残る2004年の保存版)

1994年のEP『Statik Majik』は40分ほどの長さで、その半分を「The Voyage of the Homeless Sapien」1曲が占め、最後には水洗トイレを流す音まで入っている。Columbiaはこの曲を外して「Fountain of Innocence」を入れようとし、バンドに知らせないまま『Innocence Requiem』という題のカセットまで出していたが、バンドは最後まで譲らなかった。アメリカ盤は別のジャケットで1曲を差し替えた『Cosmic Requiem』として出ており、公式サイトは、ここからColumbiaとの蜜月が陰り始めたと書いている。

出典: バンド公式サイト cathedralcoven.com のバイオグラフィー(リー・ドリアンの文、Internet Archiveに残る2004年の保存版)

アダム・リーハンとマーク・ラムゼイ・ワートンが去った後、CATHEDRALはBLACK SABBATHのヨーロッパ・ツアーの前座に誘われ、PENTAGRAMのヴィクター・グリフィンとジョー・ハッセルヴァンダーの助けを借りて出演した。グリフィンがブダペスト公演の後で帰国し、ギター1本で臨んだ最初の夜、トニー・アイオミがバンドに歩み寄り、ずっと良くなったと声をかけた。バンド公式サイトのバイオグラフィーは、これがその後もバンドが4人編成を通した理由だろうと書いている。

出典: バンド公式サイト cathedralcoven.com のバイオグラフィー(リー・ドリアンの文、Internet Archiveに残る2004年の保存版)

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News

CATHEDRAL、2010年作『The Guessing Game』の全面リミックス盤が10月30日発売

Rise Above Recordsから『The Guessing Game (Rethink)』として発売。オリジナル・マスターからJaime Gomez Arellanoが全面リミックスし、2枚組だった原盤をヴァイナル5面に拡張して、別テイクや曲の拡張版を加えている。Lee Dorrianは以前より削ぎ落とされ、生々しくヘヴィになったと述べている。

出典: BraveWords(2026年9月9日)

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Albums

The Guessing Game (Rethink) CD
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CATHEDRALの2010年作『The Guessing Game』を、ハイメ・ゴメス・アレジャーノが元のマスターから全面リミックスした作品。別テイクや長尺版も収録。2026年10月30日発売。

Society's Pact With Satan EP
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CATHEDRALが最後に残した録音。2012年、最後のアルバム『The Last Spire』のセッションの終わりに録られた約30分の1曲で、2025年10月発売。

The Last Spire CD
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CATHEDRALの10作目にして最後のスタジオ・アルバム。2013年4月発売。解散を決めてから作られ、デビュー作に通じる重く遅いドゥームへ立ち返った。

The Guessing Game CD
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CATHEDRALの9作目。2010年3月発売。バンド初の2枚組で、メロトロンやシタール、女性ヴォーカルも取り込んだ全13曲を収める。

The Garden of Unearthly Delights CD
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CATHEDRALの8作目。2005年9月発売。Nuclear Blast移籍第1作で、女性ヴォーカルやヴァイオリンも交え、27分に及ぶ大曲「The Garden」で締めくくる。

The VIIth Coming CD

CATHEDRALの7作目。2002年10月発売。Earache離脱後の初作で、キット・ウールヴェンと録音した、前作より旋律的で多彩な作品。

Endtyme CD
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CATHEDRALの6作目。2001年2月発売。ビリー・アンダーソンを制作に迎え、初期の暗く重いドゥームへ立ち返った作品。

Caravan Beyond Redemption CD
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CATHEDRALの5作目。1999年1月発売。アンディ・スニープの制作で、ハマー・フィルムの怪奇映画や映画『The Omega Man』を題材にした曲を収める。

Supernatural Birth Machine CD

CATHEDRALの4作目。1996年10月発売。長いツアーを終えてほとんど準備期間のないまま録音され、SFを題材にした曲を含む。

The Carnival Bizarre CD

CATHEDRALの3作目。1995年9月発売。レオ・スミーとブライアン・ディクソンが加わった最初の作品で、「Utopian Blaster」にはトニー・アイオミがギターで参加している。

The Ethereal Mirror CD

CATHEDRALの2作目。1993年5月発売。デビュー作の極端な遅さから一転、70年代ハード・ロックのうねりを取り込んだ作品で、アメリカではColumbiaから発売された。

Forest of Equilibrium CD

CATHEDRALのデビュー作。1991年10月発売。1曲を除く全曲を極端に遅いテンポで押し通したドゥーム・メタルで、リー・ドリアンは自分が関わった作品の中で最も好きなアルバムだと語っている。