TWISTED SISTER

トゥイステッド・シスター (TWISTED SISTER)は、音楽史において極めて特異な位置を占めるバンドである。

Biography

トゥイステッド・シスター (TWISTED SISTER)
グラム・メタルの異形と反骨のクロニクル

1. ロングアイランドの怪物

トゥイステッド・シスター (TWISTED SISTER)は、音楽史において極めて特異な位置を占めるバンドである。TWISTED SISTERは1980年代のMTVブームとヘヴィメタル (Heavy Metal) の黄金期を象徴する存在として記憶されているが、その実態は「ヘア・メタル (Hair Metal)」 という安易なカテゴリーには収まりきらない、複雑かつ強靭なバックグラウンドを有している。

1972年の結成から1984年の世界的ブレイクまで、TWISTED SISTERは10年以上もの歳月をニューヨーク (New York)、ニュージャージー (New Jersey)、コネチカット (Connecticut) のクラブ・サーキット、いわゆる「トライ・ステート・エリア (Tri-State Area)」での過酷な下積みに費やした。この期間に培われた、いかなる劣悪な環境でも観客を熱狂させる圧倒的なライブ・パフォーマンス能力と、フロントマンであるディー・スナイダー (Dee Snider) の卓越した掌握力こそが、TWISTED SISTERを単なる一発屋 (One-hit wonder) ではなく、ロック・レジェンドたらしめている要因である。

2. バイオグラフィ (Biography)

2.1 創世記:シルバー・スターとグラム・ロックの残照 (1972-1973)

トゥイステッド・シスターの物語は、1970年代初頭、グラム・ロック (Glam Rock) が煌びやかな輝きを放っていた時代に幕を開ける。

バンドの起源:ホー・ホー・カス (Ho-Ho-Kus)

1972年12月、後にバンドのリーダーとなるギタリスト、ジェイ・ジェイ・フレンチ (Jay Jay French、本名 John Segall)は、ニュージャージー州 (New Jersey) のホー・ホー・カス (Ho-Ho-Kus) にあるバンド・ハウスでのオーディションに参加した。彼が加入を求められたバンドは、「シルバー・スター (Silver Star)」 という名で活動していた。

このシルバー・スターは、ドラマーのメル・アンダーソン (Mel Anderson、ステージネーム:メル・スター / Mell Star)によって結成された。興味深いことに、メル・アンダーソンの兄弟であるアル・アンダーソン (Al Anderson) は、ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズ (Bob Marley & The Wailers) のギタリストとして知られる人物である。メル・スターの構想は、ニューヨーク・ドールズ (New York Dolls) のニュージャージー版を作ることであり、煌びやかな衣装と中性的なメイクアップを特徴とする「グリッター・バンド (Glitter Band)」を目指していた。

トゥイステッド・シスターへの改名

ジェイ・ジェイ・フレンチは加入後すぐにリーダーシップを発揮し始めたが、彼は「シルバー・スター」というバンド名をひどく嫌っていた。彼の強い主張により、1973年2月のバレンタインデー (Valentine's Day) に、バンド名は正式に「トゥイステッド・シスター (TWISTED SISTER)」へと変更されたとされる説と、3月に改名の説がある。この名称は、彼らの音楽的ルーツであるグラム・ロックの倒錯した美学と、後にTWISTED SISTERのトレードマークとなる「ねじれた (Twisted)」 ユーモア感覚を象徴するものとなった。

2.2 クラブ・サーキットの煉獄 (1973-1975)

改名後のバンドは、直ちに過酷なライブ活動を開始した。当時のニューヨーク近郊のクラブ・シーンは、現在とは比較にならないほど活況を呈しており、バンドは週6日、同じクラブで演奏し続けることも珍しくなかった。

「マッド・ハッター」での伝説的レジデンシー

バンドはニューヨーク州イースト・クオーグ (East Quogue) にあるクラブ「マッド・ハッター (Mad Hatter)」でのレジデンシー (長期公演契約)を獲得した。メモリアル・デイ (Memorial Day) からレイバー・デイ (Labor Day) までの間、TWISTED SISTERは実に105夜にわたって演奏を行った。

特筆すべきは、その演奏回数と時間の長さである。TWISTED SISTERは一晩に40分のセットを5回こなし、各セットの合間には衣装チェンジを行っていた。ショーが終了するのは翌朝の8時になることもあったという。この常軌を逸したスケジュールは、バンドの演奏技術を飛躍的に向上させると同時に、観客を飽きさせないためのエンターテインメント性を磨く場となった。1974年12月にこの初期ラインナップが崩壊するまでに、ジェイ・ジェイ・フレンチは既に約600夜、通算3000回近い公演を行っていたとされる。

混沌とするラインナップ

この時期 (1973年~1975年)のメンバーチェンジは激しく、安定とは程遠い状態にあった。

  • 初代ボーカル: マイケル・オニール (Michael O'Neill) (1973-1974)
  • 二代目ボーカル: リック・プリンス (Rick Prince) (1974-1975)。彼はリハーサルに現れず解雇された。
  • ギター: ビリー・シュタイガー (Billy Steiger) やキース・アンジェリーノ (Keith Angelino) といったプレイヤーが出入りしていた。
  • ドラム: メル・アンダーソンが脱退した後も数人のドラマーが入れ替わった。

1975年のレイバー・デイの週末、バンドは一度解散状態に陥る。しかし、ジェイ・ジェイ・フレンチは不屈の闘志でバンドの再建に着手した。

2.3 ディー・スナイダーの登場とバンドの変革 (1976-1978)

1975年10月、ジェイ・ジェイは高校時代の友人であるエディ・オジェダ (Eddie Ojeda、通称 "Fingers") をセカンド・ギタリスト兼ボーカリストとして加入させた。さらに、『ヴィレッジ・ヴォイス (Village Voice)』紙の広告を通じてドラマーのケヴィン・ジョン・グレース (Kevin John Grace) を獲得。ベーシストのケニー・ニール (Kenny Neill) を加えた布陣で活動を再開した。

しかし、バンドの運命を決定的に変えたのは、1976年のディー・スナイダー (Dee Snider) の加入である。

究極のフロントマン

ディー・スナイダーは、単なるボーカリストではなかった。彼は卓越したソングライターであり、何よりも観客を扇動する天才的な才能を持っていた。彼の加入以前のトゥイステッド・シスターは、デヴィッド・ボウイ (David Bowie)、スレイド (Slade)、モット・ザ・フープル (Mott the Hoople)、ローリング・ストーンズ (The Rolling Stones)、ニューヨーク・ドールズ (New York Dolls) 等のカバー曲を中心としたグラム・ロック・バンドであった。

スナイダーの加入により、バンドはオリジナル楽曲の制作に本格的に着手する。スナイダーは1976年以降のほぼ全ての楽曲の作詞作曲を手掛け、バンドの音楽性をよりヘヴィでアグレッシブな方向へと導いた。彼の歌詞は、社会への疎外感、権威への反抗、そしてロックンロールへの純粋な信仰をテーマにしており、当時の閉塞感漂う若者たちの心に強く響いた。

黄金のラインナップへの布石

1978年、初期を支えたベーシストのケニー・ニールが脱退し、元ザ・ディクテイターズ (The Dictators) のマーク・"ジ・アニマル"・メンドーサ (Mark "The Animal" Mendoza) が加入した。メンドーサの加入は、バンドのサウンドに決定的な重厚さと攻撃性を加えた。彼のベースプレイは、弦を拳で叩きつけるような独特のスタイルであり、そのルックスと相まって「ジ・アニマル」の異名を恣(ほしいまま) にした。

この時点でのラインナップ:

  • Dee Snider: Vocals
  • Jay Jay French: Guitars
  • Eddie Ojeda: Guitars
  • Mark Mendoza: Bass
  • Tony Petri: Drums (1976-1980)

2.4 SMFの結束とレコード会社の冷遇 (1979-1982)

1970年代後半から1980年代初頭にかけて、トゥイステッド・シスターはニューヨーク近郊で「無冠の帝王」として君臨していた。TWISTED SISTERのライブには数千人のファンが詰めかけ、その動員力はメジャー・バンドをも凌駕していた。

SMF (Sick Mother F***** Friends)

この時期に形成された熱狂的なファンベースは、「SMF」と呼ばれた。これは当初「Sick Mother F***** Friends」 の略であったが、後に「Sick Mother F***** Fans」 としても定着した。ディー・スナイダーはステージ上からファンをSMFと呼び、ファンもまたそれを誇りとした。バンドとファンのこの強固な結束は、後の成功の基盤となった。

業界からの拒絶

驚くべきことに、これほどの動員力を持ちながら、アメリカの主要レコード会社はことごとくTWISTED SISTERとの契約を拒否した。理由は明白であった。TWISTED SISTERの見た目―――毒々しいメイク、ボロボロの女性服、スプレーで固めた長髪――はあまりにも奇抜で、パンクでもなければ伝統的なハードロックでもない、「得体の知れないもの」として映ったのである。また、当時のアメリカの音楽業界はディスコ・ブームやニュー・ウェイヴに湧いており、汗臭いロックバンドは時代遅れと見なされていた側面もある。

A.J.ペロの加入とクラシック・ラインナップの完成

1982年春、ドラマーのリッチー・ティーター (Ritchie Teeter) やジョーイ・ブライトン (Joey Brighton)を経て、ついにA.J.ペロ (A.J. Pero)が加入する。スタテンアイランド出身のペロは、ジャズの素養も持つテクニカルかつパワフルなドラマーであり、彼の加入によってトゥイステッド・シスターのサウンドは完成された。ここに、歴史に名を残す 「クラシック・ラインナップ」が揃ったのである。

【The Classic Lineup (1982-1987)】
Dee Snider: Lead Vocals
Jay Jay French: Rhythm Guitar, Backing Vocals
Eddie "Fingers" Ojeda: Lead Guitar, Backing Vocals
Mark "The Animal" Mendoza: Bass, Backing Vocals
A.J. Pero: Drums, Backing Vocals

2.5 英国への進撃: NWOBHMの波に乗って (1982)

アメリカでの契約に見切りをつけたバンドは、イギリス (UK) へと活路を見出す。当時、イギリスではアイアン・メイデン (Iron Maiden) やサクソン (Saxon) に代表される 「NWOBHM (New Wave of British Heavy Metal)」 のムーブメントが勃興しており、ヘヴィメタルへの支持熱が高まっていた。

シークレット・レコードとの契約

音楽誌『サウンズ (Sounds)』と『ケラング! (Kerrang!)』の記者の助言を受けたバンドは、1982年4月に渡英し、パンク系インディーズ・レーベル「シークレット・レコード (Secret Records)」と契約を結んだ。

デビュー・アルバム 『Under the Blade』

1982年9月、デビュー・アルバム『アンダー・ザ・ブレイド (Under the Blade)』をリリース。プロデューサーにはUFOのベーシスト、ピート・ウェイ (Pete Way) を迎えた。低予算で制作されたこのアルバムは、サウンドプロダクションこそ粗削りであったが、バンドの生々しいエネルギーと凶暴性を真空パックすることに成功した。タイトル曲や「What You Don't Know (Sure Can Hurt You)」は、即座にライブの定番曲となった。

レディング・フェスティバルの衝撃

1982年のレディング・フェスティバル (Reading Festival) への出演は、バンドのキャリアにおける最大の賭けであった。全く無名のアメリカのバンドに対し、当初、英国の聴衆は懐疑的であり、ブーイングすら飛ばしていた。しかし、ディー・スナイダーは持ち前の煽動力で観客を挑発し、最終的には数万人の観衆を熱狂の渦に巻き込んだ。翌日のプレスはTWISTED SISTERを絶賛し、トゥイステッド・シスターの名は一夜にして英国全土に轟いた。

2.6 世界的ブレイクとMTVの寵児(1983-1984)

英国での成功を実績として、バンドはついにアメリカの大手レーベル「アトランティック・レコード (Atlantic Records)」との契約を勝ち取る。

『You Can't Stop Rock 'n' Roll』 (1983)

1983年、メジャー・デビュー作となる2ndアルバム『ユー・キャント・ストップ・ロックンロール (You Can't Stop Rock 'n' Roll)』をリリース。タイトル曲のミュージック・ビデオにより、TWISTED SISTERのビジュアル・イメージはアメリカのお茶の間にも浸透し始めた。「I Am (I'm Me)」は全英チャートでヒットを記録し、バンドの勢いは加速していった。

『Stay Hungry』 と社会現象 (1984)

1984年5月、3rdアルバム『ステイ・ハングリー (Stay Hungry)』をリリース。このアルバムは、バンドをアリーナ・クラスのスターへと押し上げた決定的な作品となった。

成功の最大の要因は、MTVの爆発的な普及と、そこでヘヴィ・ローテーションされたミュージック・ビデオにある。「We're Not Gonna Take It (ウィア・ノット・ゴナ・テイク・イット)」と「I Wanna Rock (アイ・ワナ・ロック)」のビデオは、マーティ・コールナー (Marty Callner) が監督を務めた。

これらのビデオには、映画『アニマル・ハウス (Animal House)』 でニーダマイヤー (Niedermeyer) 役を演じたマーク・メトカーフ (Mark Metcalf)が、抑圧的な父親や教師役で出演した。彼が怒鳴り散らし、スナイダーが悪戯で反撃するという「スラップスティック (ドタバタ) コメディ」のスタイルは、当時のティーンエイジャーの反抗心をコミカルに代弁するものとして熱狂的に支持された。アルバムは300万枚以上のセールスを記録し、バンドは名実ともにトップ・スターの座に就いた。

2.7 PMRC公聴会: 表現の自由を賭けた闘い (1985)

1985年、人気の絶頂にあったトゥイステッド・シスターは、予期せぬ敵と対峙することになる。「PMRC (Parents Music Resource Center: ペアレンツ・ミュージック・リソース・センター)」である。

「ポルノ・ロック」への糾弾

ティッパー・ゴア (Tipper Gore、当時の上院議員アル・ゴアの妻) ら 「ワシントンの妻たち」によって設立されたPMRCは、ロック音楽の歌詞が性的、暴力的、あるいはオカルト的であり、青少年に悪影響を与えると主張した。彼らは特にメタル・バンドを標的にし、「フィルシー・フィフティーン (Filthy Fifteen: 不潔な15曲)」 というブラックリストを作成した。その中には、トゥイステッド・シスターの「We're Not Gonna Take It」(暴力) と 「Under the Blade」 (サドマゾヒズム、ボンデージ、レイプ) が含まれていた。

1985年9月19日:上院公聴会

この問題に関する上院通商科学運輸委員会の公聴会に、ディー・スナイダーはフランク・ザッパ (Frank Zappa)、ジョン・デンバー (John Denver) と共に証言者として召喚された。議員たちは、スナイダーを「知性の低い暴れん坊」と見なし、公聴会で晒し者にしようと待ち構えていた。スナイダーはスーツではなく、デニムのベストとジーンズ、Tシャツというロッカーの正装で議場に現れた。ポケットから折り畳んだメモを取り出した彼に対し、議場の空気は冷ややかだった。

しかし、スナイダーが口を開いた瞬間、形勢は逆転した。彼は極めて理知的かつ雄弁に、PMRCの主張の矛盾を突き崩していった。

歴史的証言:ゴア夫人の「汚れた心」

スナイダーの証言の中で最も有名なハイライトは、「Under the Blade」の解釈を巡る反論である。PMRCは、この曲がサドマゾヒズムや強姦を歌ったものだと断定していた。これに対し、スナイダーは次のように証言した。

「この曲は、バンドのギタリスト (エディ・オジェダ)が喉のポリープ手術を受けることになり、その恐怖について書いたものです。手術台のライト、輝くメス、喉を切り裂かれる恐怖...。それらは手術の情景です」

「断言しますが、この曲の中にサドマゾヒズムやボンデージ、レイプを見出しているのは、私の歌詞の中ではなく、ゴア夫人の頭の中 (in the mind of Miss Gore) だけです」

この痛烈なカウンターパンチは、PMRC側の恣意的な解釈を白日の下に晒した。また、彼はキリスト教徒としての自身の背景や、酒もドラッグもやらないクリーンな生活態度(彼は既婚者であり子供もいた)についても言及し、「見た目で判断する」ことの愚かさを説いた。

この公聴会でのスナイダーの勇気ある態度は、ロック界における表現の自由を守るための記念碑的瞬間として、現在も高く評価されている。

2.8 栄光の崩壊と解散 (1985-1988)

PMRCとの闘いには精神的勝利を収めたものの、バンドの内実は崩壊に向かっていた。

『Come Out and Play』の失敗

1985年11月にリリースされた4thアルバム『カム・アウト・アンド・プレイ (Come Out and Play)』は、前作の成功を再現しようとするあまり、過剰なプロダクションとポップな要素が盛り込まれた。アリス・クーパー (Alice Cooper) がゲスト参加したシングル 「Be Chrool to Your Scuel (ビー・クルール・トゥ・ユア・スクール)」は話題を呼んだが、そのミュージック・ビデオはゾンビ映画のような内容で、MTVによって放送禁止処分を受けてしまう。これがプロモーションに致命的な打撃を与えた。

A.J.ペロの脱退と 『Love Is for Suckers』

バンド内の人間関係も悪化し、1986年にはドラマーのA.J.ペロが脱退。後任としてジョーイ・フランコ (Joey Franco) が加入した。

1987年の5thアルバム『ラヴ・イズ・フォー・サッカーズ (Love Is for Suckers)』は、バンドの迷走を象徴する作品となった。元々はディー・スナイダーのソロ・アルバムとして制作が進められていたが、アトランティック・レコードの強い要望により、トゥイステッド・シスター名義でリリースされた経緯がある。レコーディングには外部ミュージシャン (レブ・ビーチやキップ・ウィンガー等)が多数参加し、ドラム・パートの一部にはドラムマシンが使用されたとも言われている。

かつての荒々しいヘヴィメタル・サウンドは影を潜め、洗練されたポップ・メタルとなったこのアルバムは、従来のファン (SMF) を失望させた。ツアーのキャンセルやセールスの不振が続き、1987年10月、ディー・スナイダーはバンドからの脱退を表明。1988年初頭に正式に解散が発表された。

2.9 ソロ活動と沈黙の時代 (1989-2000)

解散後、メンバーはそれぞれの道を歩んだ。

  • Dee Snider: アイアン・メイデンの元ドラマー、クライヴ・バーらと「デスペラード (Desperado)」を結成するも、アルバムはお蔵入りとなる不運に見舞われた。その後、「ウィドウメイカー (Widowmaker)」を結成し、よりモダンなヘヴィネスを追求。また、1998年にはホラー映画『ストレンジランド (Strangeland)』の脚本・主演を務め、カルト的な人気を博した。
  • Jay Jay French: 演奏活動から退き、マネージメント業に専念。オルタナティヴ・メタル・バンド、セヴンダスト (Sevendust) の発掘・育成に手腕を振るった。
  • Mark Mendoza: ブラックフット (Blackfoot) への一時参加を経て、プロデューサー業や建設業に従事した。
  • Eddie Ojeda: 「スケアクロウ (Scarecrow)」 「プリズナーズ・オブ・ウォー (Prisoners of War)」といったバンドで活動する傍ら、ギター講師としても働いた。
  • A.J. Pero: 「シティーズ (Cities)」への復帰や、様々なセッション活動を行った。

2.10 9.11とNYスティール: 不死鳥の帰還 (2001-2014)

長い沈黙を破るきっかけとなったのは、2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件であった。

NY Steel (ニューヨーク・スティール)

ニューヨークを拠点とするバンドとして、TWISTED SISTERは地元の復興と犠牲者支援のために立ち上がった。2001年11月、ラジオDJのエディ・トランク (Eddie Trunk) が主催したチャリティー・コンサート「NY Steel」 において、クラシック・ラインナップ(スナイダー、フレンチ、オジェダ、メンドーサ、ペロ)による再結成が実現した。14年ぶりの本格的なライブであったが、そのパフォーマンスはブランクを感じさせない凄まじいものであり、会場は熱狂の渦に包まれた。

完全復活とフェスティバルの覇者

この成功を受け、2003年から本格的に再結成ツアーを開始。特にヨーロッパのメタル・フェスティバルにおいて、TWISTED SISTERは絶大な人気を誇った。ドイツの巨大フェス「ヴァッケン・オープン・エア (Wacken Open Air)」などではヘッドライナーを務め、数万人の観衆を前に「I Wanna Rock」を大合唱させる光景は、21世紀のメタル・シーンにおけるハイライトの一つとなった。

2004年には、名盤『Stay Hungry』を当時の不満を解消する形で再録音した『スティル・ハングリー (Still Hungry)』をリリース。2006年にはクリスマス・アルバム『ア・トゥイステッド・クリスマス (A Twisted Christmas)』を発表し、メタル・アレンジされたクリスマス・ソングが意外な大ヒットを記録した。

2.11 終幕:A.J.ペロの死と 「Forty and Fuck It」 (2015-2016)

バンドの歴史に突然の終止符が打たれたのは、2015年3月20日のことであった。

A.J.ペロの急逝

ドラマーのA.J.ペロが、サイド・プロジェクトであるアドレナリン・モブ (Adrenaline Mob)のツアー中、ニューヨーク州ポキプシー (Poughkeepsie) のツアーバス内で意識不明の状態で発見された。搬送先の病院で死亡が確認された。死因は心臓発作であった。享年55歳。バンドの「エンジン」であり「心臓」であったペロの死は、メンバーに深い悲しみをもたらした。

ファイナル・ツアーと解散

残されたメンバーは、ペロへの追悼とバンドの40年の歴史を締めくくるため、最後のツアーを行うことを決断した。ペロの代役には、ドリーム・シアター (Dream Theater) の創設メンバーであり、ペロを敬愛していたマイク・ポートノイ (Mike Portnoy)が迎えられた。

ツアー・タイトルは「フォーティ・アンド・ファック・イット (Forty and Fuck It)」。2016年を通じて世界各地を巡ったTWISTED SISTERは、同年11月12日、メキシコのモンテレイ (Monterrey)で開催された「Corona Northside Rock Park Meeting Fest」 でのステージを最後に、その活動に幕を下ろした。最後の曲は、もちろん「We're Not Gonna Take It」であった。

3. ディスコグラフィ (Discography)

トゥイステッド・シスターの作品群は、スタジオ・アルバムだけでなく、解散後に発掘されたライブ音源やデモ音源においても重要な意味を持つ。以下にその詳細を記す。なお、規格番号は確認された主要な日本盤を中心に記載する。

3.1 スタジオ・アルバム (Studio Albums)

発売年 英題(Original Title) 邦題 (Japanese Title) 主要規格番号 (Japan) 解説・備考
1982 Under the Blade アンダー・ザ・ブレイド P-13147 (LP)
AMCY-376 (CD)
英国Secret Recordsからのデビュー作。ピート・ウェイ (Pete Way) プロデュース。音質は粗いが、バンドの生々しいエネルギーが充満している。後にAtlanticよりリミックス盤が再発された。
1983 You Can't Stop Rock 'n' Roll ユー・キャント・ストップ・ロックンロール P-11358 (LP)
AMCY-216 (CD)
メジャー (Atlantic)移籍第一弾。「The Kids Are Back」 「I Am (I'm Me)」収録。ジャケットの強烈なビジュアルでバンドのアイデンティティを確立。
1984 Stay Hungry ステイ・ハングリー P-11492 (LP)
18P2-2744 (CD)
バンド最大のヒット作。全米トップ20入り。「We're Not Gonna Take It」 「I Wanna Rock」 という2大アンセムを収録。プロデュースはトム・ワーマン (Tom Werman)。
1985 Come Out and Play カム・アウト・アンド・プレイ P-13233 (LP)
32XD-396 (CD)
スコーピオンズ (Scorpions) を手掛けたディーター・ダークス (Dieter Dierks) プロデュース。豪華なサウンドを目指したが、商業的には苦戦。「Leader of the Pack」収録。
1987 Love Is for Suckers ラヴ・イズ・フォー・サッカーズ 32XD-807 (CD) 本来はディー・スナイダーのソロ作として制作。ボー・ヒル (Beau Hill) プロデュースによるきらびやかなポップ・メタル・サウンド。A.J.ペロ不在.
2004 Still Hungry スティル・ハングリー APCY-8182 (CD) 『Stay Hungry』の全曲再録音盤。84年当時の薄っぺらい音質に不満を持っていたバンドが、本来のヘヴィネスを取り戻すために制作。ボーナス・トラック追加。
2006 A Twisted Christmas ア・トゥイステッド・クリスマス AVCY-13137 (CD) クリスマス・キャロルをヘヴィメタルアレンジでカバー。「White Christmas」や「O Come All Ye Faithful」を収録。リタ・フォード (Lita Ford) ゲスト参加。

3.2 ライブ・アルバム (Live Albums)

TWISTED SISTERの真骨頂であるライブ・パフォーマンスを記録した作品群。

発売年 タイトル 詳細
1994 Live at Hammersmith (ライヴ・アット・ハマースミス) 1984年6月15日、ロンドンのハマースミス・オデオンでの絶頂期のライブを完全収録。Atlantic時代には未発表だった音源。
2002 Club Daze Volume II: Live in the Bars (クラブ・デイズ Vol.2: ライヴ・イン・ザ・バーズ) 1979年から1980年にかけてのラジオ放送用ライブ音源 (WLIR, WBAB) などを収録。下積み時代の荒々しい演奏が聴ける貴重な歴史的資料。
2005 Live at Wacken: The Reunion (ライヴ・アット・ヴァッケン: ザ・リユニオン) 2003年のドイツ・ヴァッケンでの再結成ライブ。12万人近い観衆を前にした圧巻のステージ。
2011 Live at the Marquee (ライヴ・アット・ザ・マーキー) 1983年のロンドン・マーキー・クラブでのライブ。Secret Records時代の熱気が伝わる。
2016 Metal Meltdown - Live from the Hard Rock Casino Las Vegas 2015年5月、ラスベガスでのライブ。マイク・ポートノイ参加。A.J. ペロへのトリビュートが含まれる。

3.3 コンピレーション・アルバム (Compilations)

発売年 タイトル 詳細
1992 Big Hits and Nasty Cuts: The Best of TWISTED SISTER (ビッグ・ヒッツ・アンド・ナスティ・カッツ) 解散後に初めてリリースされた公式ベスト盤。初期3作からの選曲が中心で、ライブ音源も収録。
1999 Club Daze Volume 1: The Studio Sessions (クラブ・デイズ Vol.1: ザ・スタジオ・セッションズ) 1978年から1981年にかけて録音されたデモや未発表スタジオ音源集。「Under the Blade」の原曲などを含む。
2002 The Essentials (ザ・エッセンシャルズ) Atlantic時代の代表曲を網羅したベスト盤。

3.4 映像作品 (Videography)

  • Stay Hungry Tour (1984): VHS。1984年のツアーの模様を収録。
  • Come Out and Play (1985): VHS。同名アルバムのミュージック・ビデオ集。
  • The Video Years (2007): DVD。全盛期のミュージック・ビデオを網羅。
  • We Are Twisted F***ing Sister! (2014): ドキュメンタリー映画。結成から1983年のブレイク直前までの「クラブ・デイズ」に焦点を当てた作品。膨大なアーカイブ映像とインタビューで構成されている。

4. メンバーと担当楽器 (Members)

トゥイステッド・シスターの歴史はメンバーチェンジの歴史でもあるが、ファンの記憶に刻まれているのは「クラシック・ラインナップ」の5人である。

クラシック・ラインナップ (The Classic Lineup)

活動期間: 1982-1986, 2003-2015

1. ディー・スナイダー (Dee Snider)
  • 本名: Daniel Snider
  • 担当: リード・ボーカル (Lead Vocals)
  • 備考: バンドの顔であり、全楽曲の作詞作曲を手掛けるクリエイター。ラジオDJ、俳優、脚本家としても多才。
2. ジェイ・ジェイ・フレンチ (Jay Jay French)
  • 本名: John Segall
  • 担当: リズム・ギター (Rhythm Guitar)、バッキング・ボーカル
  • 備考: バンドの創設者であり、実質的なマネージャー。ビジネス面での手腕がバンドの生存を支えた。「Silver Star」 時代の唯一の生き残り。
3. エディ・"フィンガーズ"・オジェダ (Eddie "Fingers" Ojeda)
  • 本名: Eddie Ojeda
  • 担当: リード・ギター (Lead Guitar)、バッキング・ボーカル
  • 備考: 1975年加入。ジェイ・ジェイの旧友。メロディアスなギター・ソロを担当。
4. マーク・"ジ・アニマル"・メンドーサ (Mark "The Animal" Mendoza)
  • 本名: Mark Mendoza
  • 担当: ベース (Bass)、バッキング・ボーカル
  • 備考: 1978年加入。元ザ・ディクテイターズ。強面で屈強な外見と、ベースを殴打するようなプレイスタイルが特徴。
5. A.J.ペロ (A.J. Pero)
  • 本名: Anthony Jude Pero
  • 担当: ドラムス (Drums)、バッキング・ボーカル
  • 備考: 1982年加入、2015年死去。ジャズのテクニックをロックに持ち込んだパワフルなドラマー。

その他の主要メンバー

  • ケニー・ニール (Kenny Neill): Bass (1973-1978)。初期のクラブ時代を支えた。
  • トニー・ペトリ (Tony Petri): Drums (1976-1980)。
  • ジョーイ・フランコ (Joey Franco): Drums (1986-1988)。『Love Is for Suckers』期に参加。
  • マイク・ポートノイ (Mike Portnoy): Drums (2015-2016)。サポートメンバー。

5. アンチヒーローの遺産

トゥイステッド・シスターの歴史を振り返ることは、ロックンロールが本来持っていた「不純さ」と「生命力」を再確認する作業に他ならない。TWISTED SISTERは批評家からは嘲笑され、親たちからは敵視され、レコード会社からは無視された。しかし、TWISTED SISTERはライブハウスの床で汗と血にまみれながら、自らの力だけで道を切り拓いた。

TWISTED SISTERの音楽、特に「We're Not Gonna Take It」は、あまりにも強靭なメッセージを含んでいる。それは「理不尽な権威には屈しない」という普遍的な宣言であり、だからこそ時代や国境を超えて歌い継がれているのである。

PMRCの公聴会でディー・スナイダーが守ろうとしたのは、単に自分のバンドの歌詞ではなく、「解釈の自由」と「個人の尊厳」であった。その姿勢は、TWISTED SISTERが「色物」ではなく、真に知的で強固な意志を持ったアーティスト集団であったことを証明している。2016年の解散は一つの時代の終わりであったが、"TWISTED SISTER" という名前と精神は、ロック史において決して消えることのない、歪(いびつ)だが強烈な輝きを放ち続けるであろう。

News

TWISTED SISTER、Sebastian Bachを迎えた新ラインナップで初公演

8月28日(金)、ニュージャージー州セイヤーヴィルのStarland Ballroomで実施。Jay Jay French(g)、Eddie Ojeda(g)、Russell Pzütto(b)、Joey Cassata(dr)という編成で、SKID ROWの「I Remember You」「Youth Gone Wild」も演奏した。この秋さらに11公演を行う。

出典: Blabbermouth(2026年8月29日)

ニュース一覧 →

Albums

A Twisted Christmas CD
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原曲をTWISTED SISTERらしい音へ翻訳する、企画性の強いカバー・アルバム。

Still Hungry CD
/

代表作を再録音で再構築し、TWISTED SISTERがライヴ感あふれる荒々しいロックンロールを取り戻した一枚。

Love Is for Suckers CD
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大きなフックとグラム寄りの華やかさを取り入れ、TWISTED SISTERが異なる色合いを見せた最終章のスタジオ作。

Come Out and Play CD
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大合唱コーラスと遊び心を前面に出し、TWISTED SISTERがポップな表情も見せた第4作。

Stay Hungry CD
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反骨のアンセムと大合唱コーラスを備え、TWISTED SISTERが世界へ飛び出した第3作。

You Can't Stop Rock 'n' Roll CD
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荒々しいストリート感覚と大合唱コーラスで、TWISTED SISTERが反骨のロックンロールを突き付けた第二作。

Under the Blade CD
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粗削りなリフと反抗的な歌を突き付け、TWISTED SISTERがクラブ時代の熱を刻んだデビュー作。