SKID ROW
1980年代後半、アメリカの音楽シーンは「ヘア・メタル (Hair Metal)」あるいは「グラム・メタル (Glam Metal)」と呼ばれる煌びやかで過剰なロック・ムーブメントの支配下にあった。
Biography
スキッド・ロウ (SKID ROW)
栄光、崩壊、再生
1. グラム・メタルの夕暮れとヘヴィ・メタルの夜明け
1980年代後半、アメリカの音楽シーンは「ヘア・メタル (Hair Metal)」あるいは「グラム・メタル (Glam Metal)」と呼ばれる煌びやかで過剰なロック・ムーブメントの支配下にあった。しかし、その狂騒が頂点に達し、飽和状態を迎えようとしていた1986年、ニュージャージー州 (New Jersey) のトムズリバー (Toms River) という労働者階級の街で、一つのバンドが産声を上げた。その名はスキッド・ロウ (SKID ROW)。SKID ROWは、当時の流行であった派手なルックスを持ちながらも、既存のグラム・バンドとは一線を画す、パンク・ロック (Punk Rock) 由来の攻撃性と、ストリートの現実を反映した「荒々しさ (Grit)」を内包していた。
SKID ROWの物語は、単なる商業的な成功譚ではない。幼馴染との誓い、カリスマ的フロントマンとの運命的な出会いと決別、 Brewsterそして幾度ものメンバーチェンジを経てなお生き続ける、ロックンロールの執念の記録である。
2. 第1章: 結成前夜と初期の闘争 (1986年-1987年)
2.1 蛇と反逆者: デイヴ・セイボとレイチェル・ボランの出会い
スキッド・ロウ (SKID ROW) の核となるのは、ギタリストのデイヴ・“スネイク”・セイボ (Dave "The Snake" Sabo/本名: David Michael Sabo) と、ベーシストのレイチェル・ボラン (Rachel Bolan/本名: James Richard Southworth) という二人のソングライターである。
1964年9月16日、ニュージャージー州パースアンボイ (Perth Amboy, NJ) に生まれたセイボは、幼少期からジョン・ボン・ジョヴィ (Jon Bon Jovi) と同じ通りで育った親友同士であった。二人は7歳の頃、「どちらかが先に成功したら、もう一方を助ける」という盟約を交わしていたとされる。セイボは実際、ボン・ジョヴィ (Bon Jovi) の前身バンドでギターを弾いていた時期があり、リッチー・サンボラ (Richie Sambora) が加入する前のギタリストであった。
一方、1966年2月9日、ニュージャージー州ポイントプレザント (Point Pleasant, NJ) 生まれのレイチェル・ボランは、幼少期からのヒーローであるT・レックス (T. Rex) のマーク・ボラン (Marc Bolan) に敬意を表して「ボラン」というステージネームを名乗っていた。彼はパンク・ロックに傾倒しており、より生々しいサウンドを求めていた。1986年、トムズリバーの楽器店で働いていた際に二人は出会い、意気投合してバンドを結成する。
2.2 初期ラインナップの混乱とマット・ファロン
結成当初のラインナップは極めて流動的であった。ドラマーにはジョン・ラトコウスキー・ジュニア (John Ratkowski Jr.)、ギタリストにはスティーヴ・ブラザートン (Steve Brotherton) やカーティス・ジャクソン (Kurtis Jackson) といった名前が連なり、彼らはクラブサーキットでの活動を開始した。
1987年初頭までに、ニューヨーク州マンハセット (Manhasset, NY) 出身のギタリスト、スコッティ・ヒル (Scotti Hill/本名: Scott Lawrence Mulvehill) と、ニューヨーク州ニューバーグ (Newburgh, NY) 出身のドラマー、ロブ・アフュソ (Rob Affuso/ 本名: Robert James Affuso) が加入し、楽器隊の「クラシック・ラインナップ」が完成する。アフュソは、ボン・ジョヴィのオーディションを受けている際にセイボと出会った経緯があった。
しかし、フロントマンの座は安定しなかった。初期のボーカリストとしてマット・ファロン (Matt Fallon/本名: Matthew Frankel) が在籍していた。彼は元アンスラックス (Anthrax) のメンバーであり、セイボとは以前 「Steal Fortune」 というバンドで共演していた。ファロンの声質はジョン・ボン・ジョヴィに酷似しており、デモテープではその歌声を聴くことができる。しかし、彼はカリスマ性の欠如や、あまりにもジョンに似すぎていることへの懸念から、バンドを離れることとなった。
2.3 バンド名の権利問題
バンド名 「SKID ROW」を名乗るにあたり、彼らは予期せぬ障害に直面した。アイルランドに、かつてゲイリー・ムーア (Gary Moore) やフィル・ライノット (Phil Lynott) が在籍していた同名のブルース・ロック・バンドが存在したのである。アルバムデビューに向けて、彼らはこの名称使用権を確保する必要があった。最終的に、バンド(およびマネージメント)は35,000ドルをゲイリー・ムーア側に支払い、名称の権利を買い取った。無名の新人バンドにとっては巨額の出費であったが、これは後の成功への不可欠な投資となった。
3. 第2章: セバスチャン・バックの登場と黄金時代 (1987年-1996年)
3.1 運命の結婚式: セバスチャン・バックの発掘
1987年、バンドは理想のフロントマンを探し求めていた。その答えは、意外な場所で見つかった。著名なロック・フォトグラファーであるマーク・ワイス (Mark Weiss) の結婚式である。そこで歌っていたのが、バハマ (Bahamas) のフリーポート (Freeport) で生まれ、カナダのオンタリオ (Ontario) で育った18歳の青年、セバスチャン・バック (Sebastian Bach/本名:Sebastian Philip Bierk) であった。
バックは当時「キッド・ウィキッド (Kid Wikked)」 というバンドで活動しており、1985年にはアティック・レコード (Attic Records) から楽曲をリリースしていた。彼の長身痩躯なルックス、圧倒的な声域、そしてステージ上の狂気じみたエネルギーは、セイボとボランが求めていた「美しさと危険さ」の融合そのものであった。バンドは彼にデモテープを送り、オーディションを経て正式に加入させる。
3.2 ジョン・ボン・ジョヴィとの盟約とアトランティック契約
セイボとの幼少期の約束を守り、ジョン・ボン・ジョヴィは自身が設立したアンダーグラウンド・ミュージック社 (Underground Music) を通じて出版権契約を結び、マネージャーであるドック・マギー (Doc McGhee) を彼らに紹介した。マギーはモトリー・クルー (Mötley Crüe) やボン・ジョヴィを手掛けた大物マネージャーであり、彼の手腕によってバンドはアトランティック・レコード (Atlantic Records) とのメジャー契約を獲得する。
ただし、この支援は無償ではなかった。後にバックやバンドメンバーが語るところによれば、初期の収益のかなりの部分がボン・ジョヴィ側に流れる契約となっており、これが後の人間関係の摩擦の一因となったとも言われている。
3.3 デビュー・アルバム 『SKID ROW』の爆発的ヒット (1989年)
1989年1月、マイケル・ワグナー (Michael Wagener) のプロデュースによるデビュー・アルバム 『SKID ROW』がリリースされた。ウィスコンシン州レイク・ジェニーバ (Lake Geneva, Wisconsin) のロイヤル・レコーダーズ (Royal Recorders) で録音されたこのアルバムは、瞬く間に全米を席巻した。
- 「Youth Gone Wild (ユース・ゴーン・ワイルド)」: 第1弾シングル。チャート順位こそ99位と低かったが、MTVでのヘビーローテーションにより、疎外された若者たちのアンセムとなった。
- 「18 and Life (18・アンド・ライフ)」: 第2弾シングル。誤って友人を撃ってしまい、終身刑 (Life) を言い渡された少年の悲劇を描いたパワー・バラード。ビルボード Hot 100で4位を記録し、バンドをお茶の間に知らしめた。
- 「I Remember You (アイ・リメンバー・ユー)」: 第3弾シングル。全米6位を記録。卒業式の定番ソングとなるほどの普遍的なメロディを持つバラード。
アルバムは全米ビルボード200で6位に達し、最終的に500万枚以上のセールス (5× Platinum) を記録した。SKID ROWはボン・ジョヴィの「ニュージャージー・シンジケート・ツアー (New Jersey Syndicate Tour)」やエアロスミス (Aerosmith) のオープニング・アクトとして世界中を回り、その激しいパフォーマンスでヘッドライナーを食うほどの勢いを見せた。
3.4 『Slave to the Grind』: 史上初の快挙 (1991年)
1991年、2ndアルバム 『Slave to the Grind (スレイヴ・トゥ・ザ・グラインド)』がリリースされた。デビュー作の成功により、レコード会社からは同様のポップなヒット曲を期待されたが、バンドは正反対の方向へ舵を切った。パンテラ (Pantera) などのグルーヴ・メタル (Groove Metal) に触発され、より重く、より速く、より攻撃的なサウンドを追求したのである。
この賭けは吉と出た。本作は、サウンドスキャン (SoundScan) 時代において、ヘヴィ・メタル・バンドとして史上初めてビルボード200チャートで初登場1位を獲得したアルバムとなった。表題曲「Slave to the Grind」や「Monkey Business (モンキー・ビジネス)」、「Wasted Time (ウェイステッド・タイム)」といった楽曲は、バンドの演奏技術の高さとバックのボーカルの成熟を証明した。
3.5 『Subhuman Race』 とバンド内の亀裂 (1995年-1996年)
1990年代半ばに入ると、ニルヴァーナ (Nirvana) らグランジ (Grunge) 勢の台頭により、80年代型メタル・バンドは急速に居場所を失いつつあった。1995年、プロデューサーにボブ・ロック (Bob Rock) を迎えて制作された3rdアルバム 『Subhuman Race (サブヒューマン・レース)』は、時代の空気を反映し、オルタナティブ・メタルやパンクの要素を取り入れた実験的な作品となった。
しかし、制作過程でメンバー間の人間関係は最悪の状態にあった。スタジオ内での会話はほとんどなく、別々に録音することも多かったという。アルバムは全米35位にとどまり、ゴールド・ディスク認定すら逃す結果となった。
3.6 1996年の崩壊: KISSツアー論争とバックの解雇
1996年、決定的な亀裂が入る。再結成したキッス (KISS) のツアーのオープニング・アクトを務めるオファーが舞い込んだ際、セバスチャン・バックはこれを熱望した。しかし、レイチェル・ボランを含む他のメンバーは「スキッド・ロウはもはや前座をやる規模のバンドではない」として、このオファーを断った。
バックはこの決定に激怒し、スネイク・セイボの留守番電話に「お前らのようなビッグ・バンド気取りには付き合ってられない」といった趣旨の暴言メッセージを残したとされる。これが引き金となり、セイボは「二度と彼とは仕事をしない」と決意。バックは解雇 (あるいは脱退) され、ドラマーのロブ・アフュソもその後バンドを去った。黄金時代は、後味の悪い喧嘩別れで幕を閉じた。
4. 第3章: ジョニー・ソリンジャー時代と新たなアイデンティティ (1999年-2015年)
4.1 新生スキッド・ロウの始動
バック脱退後、残されたメンバーは「Ozone Monday」 というプロジェクト名で、ショーン・マッケイブ (Shawn McCabe) をボーカルに迎えて活動していたが、スキッド・ロウの名前を復活させることを決意する。1999年、新たなフロントマンとして白羽の矢が立ったのは、テキサス州ダラス (Dallas, Texas) 出身のジョニー・ソリンジャー (Johnny Solinger) であった。
ソリンジャーの加入経緯は興味深い。彼は当時、自身のバンド「Solinger」で活動しており、クルーズ船での演奏なども行っていた。共通の知人を通じてスキッド・ロウのオーディションを受けた彼は、2000年にKISSの「Farewell Tour」のオープニング・アクトとして抜擢され、皮肉にもバックが望んだステージに新シンガーとして立つこととなった。
4.2 『Thickskin』と『Revolutions per Minute』
ソリンジャーを迎えたバンドは、パンク・ロックやモダン・ロックの色合いを強めた。
- 『Thickskin (シックスキン)』(2003年): 8年ぶりのスタジオ・アルバム。ドラマーにはフィル・ヴァローネ (Phil Varone) が参加。「Ghost」や「New Generation」を収録。かつてのヘヴィ・メタル色は後退し、よりストレートなロック・サウンドとなった。
- 『Revolutions per Minute (レボリューションズ・パー・ミニット)』 (2006年): マイケル・ワグナーと再びタッグを組んだ意欲作。カントリー・ロックの要素も取り入れたが、商業的な成功には至らなかった。
ソリンジャーは2015年まで15年以上にわたり在籍し、歴代で最も長くバンドに留まったボーカリストとなった。しかし、2015年4月、バンドは「新たな方向性」を求めてソリンジャーを解雇する。ソリンジャー自身は「ソロ活動への専念」と発表したが、ボランとセイボはインタビューで「彼のパフォーマンスへの情熱が失われていた」として解雇であったことを認めている。悲劇的なことに、ソリンジャーは2021年6月26日、肝不全により55歳の若さでこの世を去った。
5. 第4章: 迷走するボーカリストの座 (2015年-2022年)
5.1 トニー・ハーネルの短命政権(2015年)
ソリンジャーの後任として発表されたのは、ノルウェーの人気バンドTNTの元ボーカリスト、トニー・ハーネル (Tony Harnell) であった。彼のハイトーン・ボイスは全盛期の楽曲を再現するのに適していると思われた。しかし、加入からわずか8ヶ月後の2015年12月、ハーネルは突如として脱退を表明する。
ハーネルはFacebookで「無視され、軽視されていると感じた」と述べ、バンド運営に対する不満を露わにした。一方、バンド側はハーネルの入院 (気管支炎) などを心配していた矢先にSNSで脱退を知らされたとし、コミュニケーションの欠如が露呈した。
5.2 ZPサートと未完のアルバム (2016年-2022年)
次にマイクを握ったのは、パワー・メタル・バンド、ドラゴンフォース (DragonForce) の初代シンガーであったZPサート (ZP Theart) である。2016年からツアーメンバーとして帯同し、2017年に正式メンバーとなった。南アフリカ出身のZPは、バンドの長年のファンであり、ライブパフォーマンスは安定していた。
バンドはZPと共にニューアルバムのレコーディングを進め、ほぼ完成状態にあった。しかし、2022年2月、バンドは突然ZPの解雇を発表する。ボランによれば、レコーディングが進むにつれて「意見の相違」や「方向性の違い」が顕著になり、これ以上共に進むことはできないと判断したという。ZPが録音したボーカルトラックは全て破棄され、アルバムは新たなシンガーによって再録音されることになった。
6. 第5章: エリック・グロンウォールと奇跡の復活 (2022年-2024年)
6.1 スウェーデンからの救世主
ZPサートの後任として白羽の矢が立ったのは、スウェーデンのハードロック・バンド、H.E.A.Tの元フロントマンであり、同国のオーディション番組『Idol』の勝者でもあるエリック・グロンウォール (Erik Grönwall) であった。彼は2009年の『Idol』 オーディションでスキッド・ロウの「18 and Life」を歌って審査員を驚愕させた経歴を持つ、筋金入りのファンであった。
しかし、彼の加入には重大な背景があった。エリックは2021年3月に急性リンパ性白血病 (Acute Lymphoblastic Leukemia) と診断され、過酷な闘病生活を送っていたのである。骨髄移植を経て寛解したばかりの彼にとって、スキッド・ロウへの加入は「死の淵から蘇り、夢を叶える」象徴的な出来事であった。
6.2 『The Gang's All Here』の成功
エリックの加入からわずか数週間後、バンドはラスベガスでのスコーピオンズ (Scorpions) のレジデンシー公演のサポートを務め、同時にニューアルバム『The Gang's All Here (ザ・ギャングズ・オール・ヒア)』を発表した。ニック・ラスクリネクズ (Nick Raskulinecz) のプロデュースによる本作は、エリックの若き日のセバスチャン・バックを彷彿とさせる圧倒的なボーカルと、バンドの原点回帰したサウンドが融合し、メディアやファンから「ここ数十年で最高傑作」と絶賛された。
6.3 健康優先のための勇気ある決断
世界ツアーが成功裏に進む中、エリックの体調管理は深刻な課題となっていた。骨髄移植後の免疫系は脆弱であり、ツアー中の移動や環境変化は彼のリスクを高めていた。2024年3月、エリックは「健康と完全な回復を最優先するため」バンドを友好的に脱退することを発表した。彼は「スキッド・ロウのシンガーとして求められるツアー生活と、自分の健康維持を両立させることは困難だ」と語り、バンドメンバーも彼の命を守るための決断を尊重した。
7. 第6章: 現在と未来 (2024年-)
7.1 リジー・ヘイルの代役とジョンの賛辞
エリック脱退後の2024年5月から6月にかけて予定されていた4公演について、バンドはヘイルストーム (Halestorm) の女性ボーカリスト、リジー・ヘイル (Lzzy Hale) を代役に迎えた。彼女のパワフルなパフォーマンスは絶賛され、ジョン・ボン・ジョヴィさえもが「彼女こそスキッド・ロウに加わるべきだ」と公言した。
リジー自身もスキッド・ロウへの深い愛情と敬意を示しており、「もしスケジュールが合えば恒久的なメンバーになることもあり得る」と含みを持たせた発言をしているが、自身の大成功しているバンド (Halestorm) があるため、2025年時点では正式加入には至っていない。
7.2 新たな声を探して
2025年後半現在、スキッド・ロウは再び専任のボーカリストを探している。レイチェル・ボランは「大規模なオーディションを行うつもりだ」と語っており、バンドの灯を消すつもりがないことを明言している。一方、エリック・グロンウォールは2026年にソロとして復帰コンサートを行うことを発表しており、それぞれの道で音楽活動を継続している。
8. スキッド・ロウ メンバー在籍年表 (Member Timeline)
バンドの歴史を彩ったメンバーたちの変遷を以下に整理する。
| 名前 (Name) | 担当 (Role) | 在籍期間 (Years Active) | 詳細・備考 (Details) |
|---|---|---|---|
| レイチェル・ボラン (Rachel Bolan) |
Bass, Vocals | 1986-現在 | 創設メンバー。メインソングライター。パンク・ロック愛好家。 |
| デイヴ・“スネイク”・セイボ (Dave "The Snake" Sabo) |
Guitar, Vocals | 1986-現在 | 創設メンバー。ジョン・ボン・ジョヴィの幼馴染。 |
| スコッティ・ヒル (Scotti Hill) |
Guitar, Vocals | 1987-現在 | 黄金期からの不動のギタリスト。 |
| ロブ・ハマースミス (Rob Hammersmith) |
Drums | 2010-現在 | ロケッツ・トゥ・ルーイン (Rockets to Ruin) 出身。歴代最長ドラマーの一人。 |
| セバスチャン・バック (Sebastian Bach) |
Lead Vocals | 1987-1996 | 黄金期のフロントマン。「18 and Life」等の声を担当。 |
| ロブ・アフュソ (Rob Affuso) |
Drums | 1987-1998 | 黄金期のドラマー。バック脱退後にバンドを離れる。 |
| ジョニー・ソリンジャー (Johnny Solinger) |
Lead Vocals | 1999-2015 | 再結成後のシンガー。2021年死去。 |
| トニー・ハーネル (Tony Harnell) |
Lead Vocals | 2015 | 元TNT。在籍期間8ヶ月で脱退。 |
| ZPサート (ZP Theart) |
Lead Vocals | 2016-2022 | 元DragonForce。アルバム完成直前に解雇。 |
| エリック・グロンウォール (Erik Grönwall) |
Lead Vocals | 2022-2024 | 元H.E.A.T。白血病治療のため脱退。 |
| マット・ファロン (Matt Fallon) |
Lead Vocals | 1986-1987 | 初代ボーカル。デモ音源が存在。 |
| フィル・ヴァローネ (Phil Varone) |
Drums | 2000-2004 | 元Saigon Kick。『Thickskin』に参加。 |
| デイヴ・ガラ (Dave Gara) |
Drums | 2004-2010 | 『Revolutions per Minute』に参加。 |
9. 詳説ディスコグラフィー (Comprehensive Discography)
スキッド・ロウの作品群について、特に日本市場 (Japanese Market) 向けの仕様やボーナストラックに焦点を当てて詳述する。SKID ROWの日本での人気は根強く、多くの日本独自企画盤が存在する。
9.1 スタジオ・アルバム (Studio Albums)
1. SKID ROW (スキッド・ロウ)
- 発売日: 1989年1月24日
- レーベル: Atlantic Records
- 概要: 500万枚を売り上げた衝撃のデビュー作。
- 日本盤の特徴: 初期のCDにはボーナストラックが含まれない場合もあったが、後の再発盤や記念盤にはライブ音源などが追加されている。
- 主要曲: "Youth Gone Wild", "18 and Life", "I Remember You"
2. Slave to the Grind (スレイヴ・トゥ・ザ・グラインド)
- 発売日: 1991年6月11日
- レーベル: Atlantic Records
- チャート: 全米1位、オリコン (日本) 3位。
- 概要: ヘヴィ・メタルとして初の全米初登場1位。ジャケットには2種類 (オリジナル盤と、過激な歌詞を削除した 「Clean Version」) が存在する。
- 日本盤の特徴: ボーナストラック "Beggar's Day" (ベガーズ・デイ) が収録されているバージョンがある (海外盤では "Get the Fuck Out" と差し替えられたり、両方収録されたりするなど仕様が異なる)。
3. Subhuman Race (サブヒューマン・レース)
- 発売日: 1995年3月28日
- レーベル: Atlantic Records
- チャート: 全米35位、オリコン6位。
- 概要: ボブ・ロック・プロデュース。よりダークで実験的。
- 日本盤の特徴 (Catalog: AMCY-808等): 日本盤は世界に先駆けて発売されることが多く、帯 (Obi) が付属。
4. Thickskin (シックスキン)
- 発売日: 2003年8月5日
- レーベル: Victor (日本盤)/SPV
- チャート: 日本111位。
- 日本盤 (Catalog: VICP-62490): ボーナストラックとしてインタビュー映像やライブ音源がエンハンスドCD仕様で収録されるケースがあった。
5. Revolutions per Minute (レボリューションズ・パー・ミニット)
- 発売日: 2006年10月24日
- レーベル: Victor (日本盤) / SPV
- チャート: 日本266位。
- 日本盤 (Catalog: VICP-63657): ボーナストラック "Stand Up" などの追加曲が収録されている。
6. The Gang's All Here (ザ・ギャングズ・オール・ヒア)
- 発売日: 2022年10月14日
- レーベル: Victor (日本盤) / earMUSIC
- 概要: エリック・グロンウォール参加作品。
- 日本盤 (Catalog: VICP-65605): ボーナストラック "Tear It Down (Clean Version)" などを収録。また、高音質のSHM-CD仕様なども市場に出回っている。
9.2 EP・ミニアルバム (Extended Plays)
B-Side Ourselves (B-サイド・アワセルヴズ)
- 発売日: 1992年9月22日
- 概要: SKID ROWが影響を受けたバンドのカバー集。ラモーンズ (Ramones) の 「Psycho Therapy」やKISSの 「C'mon and Love Me」を収録。
- 日本盤 (Catalog: AMCY-440): 日本独自の短冊型CDシングルや、独自のアートワーク仕様が存在した。
Subhuman Beings on Tour!! (サブヒューマン・ビーイングス・オン・ツアー)
- 発売日: 1995年(日本限定)
- 概要: 『Subhuman Race』ツアーのライブ音源を収録したEP。日本市場向けに企画された希少盤。
- 日本盤 (Catalog: AMCY-860): 帯付きの完全な日本盤としてリリース。現在ではコレクターズアイテムとなっている。
United World Rebellion シリーズ
- Chapter One (2013): 日本盤『ユナイテッド・ワールド・リベリオン: チャプター・ワン』。
- Chapter Two (2014): タイトル 『Rise of the Damnation Army - United World Rebellion: Chapter Two』。クイーン (Queen) の「Sheer Heart Attack」 やエアロスミスの「Rats in the Cellar」のカバーを収録。
9.3 映像作品・その他 (Video & Compilations)
- Oh Say Can You Scream (1990): 初期のライブと舞台裏を収めた映像作品。
- Road Kill (1993): 世界ツアーのドキュメンタリー。
- 40 Seasons: The Best of SKID ROW (1998): 活動休止中にリリースされたベストアルバム。未発表曲「Forever」収録。 (日本盤: ボーナストラックとして「Fire in the Hole (Demo)」などが追加されている場合がある)
10. スキッド・ロウの遺産と未来
スキッド・ロウの物語は、典型的な「成功と没落」のロック・クリシェ (常套句) を超えている。SKID ROWは、音楽業界のトレンドがグラム・メタルからグランジ、そしてモダン・ロックへと激しく変遷する中で、常に自分たちのアイデンティティ―ニュージャージーの労働者階級が持つ頑固さと、パンク・ロックの美学を貫こうとしてきた。
セバスチャン・バック時代が「黄金の輝き」であったことは疑いようがないが、その後のジョニー・ソリンジャーによる15年の献身、そしてエリック・グロンウォールが見せた一瞬の閃光もまた、バンドの歴史における重要な章である。特にエリックの参加は、バンドがまだ世界レベルの傑作を生み出せるポテンシャルを持っていることを証明した。
バンドは新たな声を求めて旅を続けている。スネイク・セイボとレイチェル・ボランがギターとベースを置かない限り、スキッド・ロウの「反逆 (Rebellion)」が終わることはないだろう。SKID ROWは今もなお、トムズリバーのガレージで夢を見たあの日のまま、荒ぶる若者の魂 (Youth Gone Wild) を体現し続けているのである。
Trivia
SKID ROWが公式のライヴ・アルバムを出したのは、活動35年を超えてからだった。2024年9月20日にearMUSICから発売された『Live in London』が最初で、コンサート映画も同時に公開されている。収録はロンドンのO2フォーラム・ケンティッシュ・タウンのソールドアウト公演である。
結成当初のバンド名はSKID ROWではなくDARKNESSだった。レイチェル・ボランによれば、デイヴ・スネイク・セイボがAEROSMITHの曲名から思いついたもので、その名前でライヴをやったことは一度もない。
SKID ROWの名を巡っては、1970年前後にフィル・ライノットとゲイリー・ムーアが在籍したアイルランドの同名バンドへ35,000ドルを支払った、という話が長く流通してきた。アイルランド側の創設者ブレンダン・ブラッシュ・シールズは2012年にこれを事実ではないと述べ、レイチェル・ボランは2026年の取材で、1986年に名付けた当時アメリカでアイルランドのSKID ROWを知る者はおらず、相手はとうに活動していなかったため法的な問題は一切起きなかったと語っている。
セバスチャン・バックがSKID ROWに繋がったのは、一本の結婚式だった。1987年6月14日、ニュージャージー州レッドバンクで開かれたロック写真家マーク・ワイスの披露宴で、当時19歳のバックは招かれて歌っている。列席していたジョン・ボン・ジョヴィの両親が、その直後にバックをバンドへ引き合わせた。
『Skid Row』のドラムの響きは、機材で作ったものではない。録音場所はウィスコンシン州レイク・ジェニーヴァのスタジオで、隣接するコンベンション・センターの巨大なホールにドラムを立てて録っている。ワグナーによれば、その部屋は前夜に120台の車を並べてオークションをやれるほどの広さで、レコードで聴こえるリヴァーブの大半はその空間そのものだという。スタジオを教えたのはロイ・トーマス・ベイカーだった。
デビュー作は全米で5倍プラチナに達したが、その成功には後味の悪さが伴った。ツアーへの帯同と引き換えに、バンドはジョン・ボン・ジョヴィが当時設立したばかりの出版会社アンダーグラウンド・ミュージック・カンパニーと契約し、出版印税の権利を手放していた。収入はジョン・ボン・ジョヴィとリッチー・サンボラに支払われ、公の論争を経て、サンボラは自分の取り分をバンドに返している。
「18 and Life」は、地元紙の記事から生まれた曲である。セイボは、18歳の少年が弾は入っていないと思って撃った銃で友人を死なせ、終身刑を受けたという報道を読んで書いた。共作者はレイチェル・ボランである。
「I Remember You」は、危うくアルバムに入らないところだった。セイボもボランも収録に乗り気ではなく、外す側の山に積まれていたという。入れるべきだと押し切ったのはバック、共同マネージャーのスコット・マギー、そしてプロデューサーのマイケル・ワグナーだった。曲が広く受け入れられたことで、自分がいつも正しいわけではないと学んだ、とセイボは振り返っている。
News
TWISTED SISTER、Sebastian Bachを迎えた新ラインナップで初公演
8月28日(金)、ニュージャージー州セイヤーヴィルのStarland Ballroomで実施。Jay Jay French(g)、Eddie Ojeda(g)、Russell Pzütto(b)、Joey Cassata(dr)という編成で、SKID ROWの「I Remember You」「Youth Gone Wild」も演奏した。この秋さらに11公演を行う。