METALLICA
METALLICA (メタリカ)は、1981年にアメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス (Los Angeles, California) で結成されて以来、40年以上にわたりヘヴィメタルシーンの頂点に君臨し続けているバンドである。
Biography
METALLICA (メタリカ)
現代ヘヴィメタル文化におけるバイオグラフィ、音楽的進化、産業的影響
1. ヘヴィメタルの帝王、その起源と持続的覇権
METALLICA (メタリカ)は、1981年にアメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス (Los Angeles, California) で結成されて以来、40年以上にわたりヘヴィメタルシーンの頂点に君臨し続けているバンドである。METALLICAは単なる音楽グループの枠を超え、現代音楽産業における商業的成功のモデルケースであり、同時にジャンルの芸術的境界を拡張し続けてきた革新者でもある。Anthrax (アンスラックス)、MEGADETH (メガデス)、Slayer (スレイヤー)と共に「スラッシュメタル四天王(The Big 4 of Thrash Metal)」の一角として1980年代のアンダーグラウンドシーンを牽引し、1990年代には『METALLICA』(通称: ブラック・アルバム)によってメインストリーム市場を完全に掌握した。
2. 黎明期: 結成と初期の衝動 (1981年-1983年)
2.1 運命的な出会いと結成の経緯
METALLICA (メタリカ) の歴史は、1981年のロサンゼルスにおいて、当時テニスプレイヤーを目指していたデンマーク出身のドラマー、Lars Ulrich (ラーズ・ウルリッヒ)が、地元紙『The Recycler』に掲載したメンバー募集の広告から始まった。NWOBHM (New Wave of British Heavy Metal: ニュー・ウェイヴ・オブ・ブリティッシュ・ヘヴィメタル)の熱狂的なファンであったラーズは、自身の音楽的趣向 (Diamond HeadやIron Maiden等)を共有できる仲間を探していた。この広告に応答したのが、ギタリスト兼ヴォーカリストのJames Hetfield (ジェイムズ・ヘットフィールド)であった。
ジェイムズ・ヘットフィールドは、厳格なクリスチャン・サイエンス (Christian Science)の家庭で育ち、その抑圧された環境から生じる怒りや疎外感を音楽に昇華させていた。ラーズの持つ欧州的な音楽的教養とビジネスセンス、そしてジェイムズの持つ生々しい攻撃性とリフメイキングの才能が融合した瞬間が、バンドの核となったのである。
2.2 ロン・マクガヴニーと 『No Life 'Til Leather』
初期のラインナップは流動的であった。ジェイムズの幼馴染でありルームメイトでもあったRon McGovney(ロン・マクガヴニー) が初代ベーシストとして加入した。彼らはロンのガレージを練習スタジオとして使用し、そこで初期の楽曲群が練り上げられた。この時期に制作されたデモテープ 『No Life 'Til Leather』は、テープトレードのネットワークを通じて地下シーンで爆発的な評判を呼び、バンドの名前を世界中のメタルマニアに知らしめる契機となった。
リードギタリストのポジションには、Dave Mustaine (デイヴ・ムステイン)が加入した。デイヴのプレイスタイルは極めて攻撃的でスピード感に溢れており、後のスラッシュメタルというジャンルを定義づける上で不可欠な要素であった。彼の書く複雑かつ高速なリフは、ジェイムズに多大な影響を与えたとされる。しかし、ロン・マクガヴニーは、デイヴの暴力的な振る舞いやバンド内の人間関係の悪化(特にジェイムズとの関係性における疎外感)に耐え兼ね、1982年12月にバンドを脱退することとなる。
2.3 『Metal Massacre』 とロイド・グラントの貢献
バンドの公式なディスコグラフィにおける最初の録音物は、Metal Blade Records (メタル・ブレイド・レコーズ) の創設者Brian Slagel (ブライアン・スラゲル)が企画したコンピレーション・アルバム 『Metal Massacre I』に収録された 「Hit the Lights」である。この楽曲の最初のレコーディング・バージョンには、ジャマイカ出身の黒人ギタリスト、Lloyd Grant (ロイド・グラント) がリードギターとして参加している。
ロイド・グラントは、ラーズの友人であり、バンドの正式メンバーというよりは、レコーディングのために一時的に協力したセッション・ミュージシャンに近い立ち位置であった。しかし、彼が弾いたギターソロは、メタリカの歴史における最初の「録音されたリードプレイ」として記録されており、2011年のバンド30周年記念公演にもゲストとして招かれるなど、その貢献は現在でも尊重されている。
3. スラッシュメタルの確立: クリフ・バートンの時代 (1983年-1986年)
3.1 クリフ・バートンの加入とサンフランシスコへの移転
ロン・マクガヴニーの脱退前後、ジェイムズとラーズは、Whisky a Go Go (ウィスキー・ア・ゴーゴー)で演奏していたバンド、Trauma (トラウマ) のベーシスト、Cliff Burton(クリフ・バートン)を目撃し、その演奏に衝撃を受けた。クリフはベースギターでワウペダルを使用し、まるでリードギターのようなソロを弾いていたのである。二人は即座に彼を勧誘したが、クリフは「ロサンゼルスの音楽シーンには馴染めない」として、バンドが彼の活動拠点であるサンフランシスコ・ベイエリア (San Francisco Bay Area) へ移転することを加入の条件として提示した。
バンドはこの条件を受け入れ、拠点をサンフランシスコへ移した。クリフ・バートンの加入は、メタリカに音楽理論的な深みをもたらした。彼はクラシック音楽やピアノの教育を受けており、ハーモニーや楽曲構成に関する知識をバンドに注入した。これにより、単なる「速くてうるさいバンド」から、構築美を持つ音楽集団へと進化を遂げたのである。
3.2 デイヴ・ムステインの解雇とカーク・ハメットの加入
1983年、デビューアルバムのレコーディングのためにニューヨーク (New York) へ向かったバンドであったが、デイヴ・ムステインのアルコール依存と暴力的な問題行動は限界に達していた。同年4月11日、バンドメンバーは眠っていたデイヴを叩き起こし、彼に帰りのバスチケットを渡して解雇を言い渡した。この出来事はデイヴにとって深い傷となり、後に彼が結成する MEGADETH (メガデス)の原動力となった。
デイヴの後任として白羽の矢が立ったのは、サンフランシスコのベイエリア・スラッシュシーンで活動していたExodus (エクソダス)のギタリスト、Kirk Hammett (カーク・ハメット)であった。カークは急遽ニューヨークへ飛び、デイヴが残したリフやソロを短期間で習得した。彼の加入により、現在のバンドの黄金期ラインナップ (ジェイムズ、ラーズ、クリフ、カーク)が完成した。
3.3 初期3部作の完成と進化
3.3.1 『Kill 'Em All』(1983年)
デビューアルバム 『Kill 'Em All』 (キル・エム・オール)は、当初『Metal Up Your Ass』というタイトルが予定されていたが、レーベル側の反対により変更された。本作は、NWOBHMのメロディとハードコアパンクのスピードを融合させた「スラッシュメタル」の原点とも言える作品である。「Hit the Lights」 「The Four Horsemen」 「Seek & Destroy」といった楽曲は、若きバンドの初期衝動をそのまま真空パックしたようなエネルギーに満ちている。
3.3.2 『Ride the Lightning』 (1984年)
2作目『Ride the Lightning』 (ライド・ザ・ライトニング)では、クリフ・バートンの影響が色濃く表れ始めた。アコースティックギターの導入 (「Fade to Black」)、複雑な楽曲構成、そして死や絶望といった重いテーマを扱う歌詞など、音楽的な幅が劇的に広がった。一部のファンからは「バラードをやるなどセルアウトだ」との批判もあったが、バンドは自らの音楽的探求を止めることはなかった。
3.3.3 『Master of Puppets』 (1986年)
1986年にリリースされた3作目 『Master of Puppets』 (メタル・マスター)は、ヘヴィメタル史上の最高傑作の一つとして広く認識されている。メジャーレーベル Elektra (エレクトラ)からの初のリリースとなった本作は、一曲目の「Battery」からラストの「Damage, Inc.」に至るまで、完璧な構成美と圧倒的な演奏力で貫かれている。タイトル曲 「Master of Puppets」では、薬物依存による支配と破滅が描かれ、中盤の静寂なパートと激しいリフの対比が、バンドの芸術的頂点を示している。このアルバムの成功により、バンドはOzzy Osbourne (オジー・オズボーン) の全米ツアーのサポートアクトに抜擢され、スタジアムクラスのバンドへの階段を駆け上がり始めた。
4. 悲劇と再生: Dörarpの事故とジェイソン・ニューステッドの苦闘 (1986年-2001年)
4.1 Dörarp (ドーラルプ)でのバス事故
1986年9月27日、ヨーロッパツアー 「Damage, Inc. Tour」の最中、バンドを悲劇が襲った。スウェーデン (Sweden) のDörarp (ドーラルプ)近郊を走行中、バンドのツアーバスが路面凍結によりコントロールを失い、横転事故を起こした。
事故の直前、バンドメンバーはカードゲームで寝場所を決めていた。クリフ・バートンは「エース・オブ・スペード (Ace of Spades)」のカードを引き当て、カーク・ハメットとの勝負に勝って窓側の快適なベッドを選んでいた。しかし、この勝利が彼の運命を暗転させた。バスが横転した際、クリフは窓から車外へ放り出され、そのまま横転してきたバスの下敷きとなった。
ジェイムズ、ラーズ、カークは軽傷で脱出したが、クリフは即死状態であったと伝えられている。現場ではクレーンでバスを持ち上げようとしたが、再度落下してしまい、クリフの生存の可能性を完全に断ち切ったという証言もある。享年24歳。バンドの音楽的支柱を失ったメンバーの喪失感は筆舌に尽くしがたいものでかった。現在、事故現場近くにはファンや遺族によって建立された記念碑 (Cliff Burton Memorial Stone)があり、バス停の名前も「Cliff Burton's Memorial Stone」 に変更されている。
4.2 ジェイソン・ニューステッドの加入と「Newkid」への洗礼
クリフの死後、バンドは解散も考慮したが、クリフの遺族からの「彼ならバンドを続けてほしいと望むはずだ」という言葉に背中を押され、活動継続を決意した。オーディションの結果、Flotsam and Jetsam (フロットサム・アンド・ジェットサム)のベーシスト、Jason Newsted (ジェイソン・ニューステッド)が選ばれた。
しかし、ジェイソンを待ち受けていたのは、過酷な「通過儀礼 (Hazing)」であった。悲しみを適切に処理できていなかったメンバー (特にジェイムズとラーズ)は、その怒りと喪失感を新入りのジェイソンに向けることで発散させた。彼は「Newkid」と呼ばれ、理不尽な悪戯や冷遇を受け続けた。音楽的にも、彼の意見が採用されることは少なく、バンド内での立場は常に不安定であった。
4.3 『...And Justice for All』 とベース音欠落問題
1988年にリリースされた4作目『...And Justice for All』 (メタル・ジャスティス)は、バンド史上最も複雑でプログレッシブな楽曲群を収録している。タイトル曲や「Blackened」に見られる変拍子の多用は、技術的な極致を示していた。しかし、このアルバムは音響制作の面で大きな論争を呼んだ。ミックスにおいてベースギターの音が極端に小さく、ほとんど聴こえないレベルまで下げられていたのである。これはジェイソンへの「いじめ」の一環であったとも、ラーズのドラムサウンドを優先した結果とも言われている。一方で、収録曲「One」はバンド初のミュージックビデオが制作され、映画『Johnny Got His Gun (ジョニーは戦場へ行った)』の映像を使用した衝撃的な内容はMTVで大量にオンエアされた。この曲により、バンドは第32回グラミー賞の「ベスト・メタル・パフォーマンス」を受賞し(前年のJethro Tullへの敗北という汚名を返上し)、名実ともにトップバンドの地位を確立した。
5. 世界的覇権の確立: ブラック・アルバムと変革 (1991年-1999年)
5.1 『METALLICA』 (ブラック・アルバム)の衝撃
1991年、バンドはプロデューサーにBob Rock (ボブ・ロック)を迎え、通称『The Black Album (ブラック・アルバム)』をリリースした。ボブ・ロックは、バンドの持っていた複雑な構成を解体し、シンプルで重厚なグルーヴと、ジェイムズのヴォーカルの表現力を最大限に引き出すことに注力した。「Enter Sandman」 「Sad but True」 「Nothing Else Matters」といった楽曲は、ラジオフレンドリーでありながらヘヴィさを失っておらず、全世界で爆発的なヒットを記録した。全米チャート初登場1位を獲得し、現在までに米国だけで1,600万枚以上を売り上げている。このアルバムにより、メタリカはメタルファンだけでなく、一般層をも巻き込んだ巨大なスタジアム・アクトへと変貌を遂げた。
5.2 『Load』 『Reload』 とオルタナティブへの接近
数年にわたる過酷なツアーの後、バンドは1996年に『Load』(ロード)、1997年に『Reload』(リロード)を相次いでリリースした。この時期、バンドは劇的なイメージチェンジを行った。メンバー全員が長髪を切り、ファッションも洗練されたものへと変化した。音楽的にも、ブルース、カントリー、オルタナティブ・ロックの要素を大胆に取り入れ、かつてのスラッシュメタルの要素は影を潜めた。特に『Load』 のアートワークには、写真家Andres Serrano (アンドレス・セラーノ)による、牛の血液と自身の精液を混ぜ合わせた作品「Blood and Semen III」が使用され、論争を呼んだ。古くからのファンの一部は、これらの変化を「裏切り」と捉え、激しく批判した。しかし、「Until It Sleeps」や「Fuel」などのヒット曲は、バンドの新たな音楽的可能性を示し、90年代後半のロックシーンにおいてもその存在感を維持することに成功した。
5.3 『Garage Inc.』 と 『S&M』
1998年には、METALLICAのルーツであるカバー曲を集めた『Garage Inc.』をリリース。Discharge (ディスチャージ)、Misfits (ミスフィッツ)、Diamond Head (ダイアモンド・ヘッド)などの楽曲を演奏し、METALLICAの音楽的背景を改めて提示した。1999年には、指揮者Michael Kamen (マイケル・ケイメン) 率いるSan Francisco Symphony (サンフランシスコ交響楽団)と共演したライブアルバム 『S&M』を発表。クラシック音楽とヘヴィメタルの融合という壮大な実験は成功を収め、バンドの楽曲が持つドラマ性を際立たせた。
6. 混乱と崩壊の危機: Napster裁判と 『St. Anger』(2000年-2005年)
6.1 Napster裁判: デジタル時代の著作権闘争
2000年、バンドは未完成の楽曲「I Disappear」(映画『Mission: Impossible 2』への提供曲)が、ラジオでの公開前にファイル共有サービスNapster (ナップスター)を通じて流出していることを発見した。これに激怒したバンドは、Napsterを著作権侵害とゆすり (RICO法違反)で提訴した。これはアーティストがP2Pファイル共有企業を訴えた最初の主要な事例となった。ラーズ・ウルリッヒは連邦議会で証言し、30万人以上のユーザーのアカウント停止を求めた。法的にはバンド側の主張が認められ、Napsterは最終的に破綻へと追い込まれたが、この行動は「富裕なロックスターが、音楽を愛するファンや学生を訴えている」という激しい反発を招いた。インターネット黎明期において、メタリカは「強欲」なバンドというレッテルを貼られ、長年にわたりパブリックイメージに傷を負うこととなった。
6.2 ジェイソン・ニューステッドの脱退
2001年1月、ジェイソン・ニューステッドが突如としてバンド脱退を発表した。表向きの理由は「身体的なダメージ」とされていたが、真の理由は、ジェイソンが自身のサイドプロジェクト Echobrain (エコーブレイン) を始動させようとしたことに対し、ジェイムズが強い難色を示し、活動を妨害したことにあった。ジェイソンにとって、メタリカは「家族」ではなく、常に抑圧される場所であった。セラピストのPhil Towle (フィル・トウル)は、ジェイソンの脱退は「バンドの現実を変えるための唯一の方法」であったと分析している。
6.3 『Some Kind of Monster』と『St. Anger』
ジェイソンの脱退後、ジェイムズはアルコール依存症とその他の依存症の治療のためにリハビリ施設へ長期間入所し、バンド活動は無期限の停止状態となった。バンドは解散の危機に瀕していた。この崩壊のプロセスと再生への道のりは、ドキュメンタリー映画『METALLICA: Some Kind of Monster』 (2004年) に克明に記録されている。カメラは、メンバー間の罵り合い、涙、そしてフィル・トウルによるグループセラピーの様子を赤裸々に映し出した。
2003年、Suicidal Tendencies (スイサイダル・テンデンシーズ) やOzzy Osbourne (オジー・オズボーン)のバンドで活躍していたRobert Trujillo (ロバート・トゥルージロ)が新ベーシストとして加入した。ロバートは指弾きによる強力なグルーヴと、ステージ上での独特なパフォーマンス (カニ歩き等)でバンドに新たな活力を注入した。同年にリリースされた『St. Anger』(セイント・アンガー)は、ボブ・ロックがベースをプレイして制作された。このアルバムは、ギターソロを完全に排除し、ラーズのスネアドラムが「缶を叩いているような音」と形容される独特の響きを持つなど、極めて荒々しく実験的なサウンドとなった。ファンの間では賛否が分かれたが、バンドが内面の怒りを吐き出し、浄化するために必要な作品であったと位置づけられている。
7. 復活と継承:『Death Magnetic』 から現在へ(2006年-2026年)
7.1 『Death Magnetic』 と原点回帰
2008年、バンドは長年のパートナーであったボブ・ロックと決別し、伝説的なプロデューサーRick Rubin (リック・ルービン) を迎えて 『Death Magnetic』 (デス・マグネティック)を制作した。リック・ルービンはバンドに対し、「『Master of Puppets』を作っていた頃の自分たちを思い出せ」と指示し、当時の影響源であった音楽を聴き直すことや、スタジオでの編集に頼らずバンド全体で演奏することを求めた。その結果、複雑なリフ構成、長尺の楽曲、そしてカークのギターソロが復活し、バンドは「スラッシュメタルへの帰還」を果たした。本作収録の「My Apocalypse」はグラミー賞を受賞した。一方で、音圧を極限まで上げたマスタリングにより音割れが発生しているという「ラウドネス・ウォー (Loudness War)」に関する批判も起きた。
7.2 ロックの殿堂入りとルー・リードとの共演
2009年、METALLICAはロックの殿堂 (Rock and Roll Hall of Fame) 入りを果たした。式典にはジェイソン・ニューステッドも招待され、現メンバーのロバート・トゥルージロと共にステージに立った。亡きクリフ・バートンの父、レイ・バートンも出席し、感動的なスピーチを行った。2011年には、The Velvet Underground (ヴェルヴェット・アンダーグラウンド)のLou Reed (ルー・リード) とのコラボレーションアルバム 『Lulu』を発表。極めて前衛的な内容により、批評家やファンを困惑させたが、バンドは「芸術的な挑戦」として本作を誇りに思っている。
7.3 『Hardwired... to Self-Destruct』 と自主レーベル
2016年、8年ぶりとなるスタジオアルバム 『Hardwired... to Self-Destruct』を、自ら設立したレーベルBlackened Recordings (ブラッケンド・レコーディングス) からリリースした。CD2枚組の大作であり、初期のスピード感と中期のグルーヴが見事に融合した、キャリアの集大成とも言える内容となった。「Moth Into Flame」 や 「Spit Out the Bone」は新たなライブの定番曲となった。
7.4 『72 Seasons』 とM72 World Tour
2023年、最新アルバム 『72 Seasons』をリリース。「人生の最初の72の季節(18年間)が、その後の人格を形成する」というコンセプトに基づき、ジェイムズの幼少期のトラウマや葛藤がテーマとなっている。これに伴い開始された 「M72 World Tour」は、2023年から2026年ににかけて行われる大規模なスタジアムツアーである。各都市で「No Repeat Weekend」と銘打ち、金曜日と日曜日の2公演を行い、セットリストを一切重複させないという前代未聞の試みを行っている。ステージはスタジアム中央に設置された円形ステージ (360度ビュー)で、中央にはファンが入れる 「スネークピット (Snake Pit)」 が設けられている。
2024年のメキシコシティ (Mexico City) 公演はApple Musicとの提携により収録され、2025年3月にはApple Vision Pro向けの没入型コンサート体験 (Immersive Concert) として公開される予定である。また、同公演の音源はライブEP 『METALLICA Live From Mexico City』としてリリースされる。
2026年には、ツアーの最終レグとしてヨーロッパ各地での公演が予定されている。5月9日のアテネ (Athens) 公演を皮切りに、フランクフルト (Frankfurt)、ロンドン (London)などで開催され、7月5日のロンドン公演でフィナーレを迎える予定である。
8. ディスコグラフィ (Discography)
METALLICAの主要作品を、スタジオアルバムを中心に詳細に分析する。各データの販売枚数やチャート順位は、入手可能な資料に基づく。
8.1 スタジオ・アルバム一覧
| タイトル (Title) | 発売年 (Year) | プロデューサー (Producer) | 特徴・概要 (Characteristics) | 主要収録曲 (Key Tracks) |
|---|---|---|---|---|
| Kill 'Em All (キル・エム・オール) |
1983 | Paul Curcio | スラッシュメタルの夜明け。NWOBHMの影響とパンクの疾走感が融合。若さと攻撃性が際立つ。 | Hit the Lights The Four Horsemen Seek & Destroy |
| Ride the Lightning (ライド・ザ・ライトニング) |
1984 | METALLICA Flemming Rasmussen |
音楽的成長の飛躍的瞬間。アコギやバラードの導入。歌詞のテーマが深化。 | Fade to Black For Whom the Bell Tolls Creeping Death |
| Master of Puppets (メタル・マスター) |
1986 | METALLICA Flemming Rasmussen |
バンドの最高傑作。全曲が完璧な構成を持つ。クリフ・バートンの遺作。 | Battery Master of Puppets Welcome Home (Sanitarium) |
| ...And Justice for All (メタル・ジャスティス) |
1988 | METALLICA Flemming Rasmussen |
プログレッシブ路線への傾倒。複雑な変拍子と長い楽曲。ベース音の欠落が特徴的。 | One Harvester of Sorrow Blackened |
| METALLICA (ブラック・アルバム) |
1991 | Bob Rock James Hetfield Lars Ulrich |
シンプルかつ重厚なサウンドへ転換。商業的に最大の成功を収める。 | Enter Sandman Sad but True Nothing Else Matters |
| Load (ロード) |
1996 | Bob Rock James Hetfield Lars Ulrich |
ハードロック、ブルース、オルタナへの接近。ビジュアルの変化と共に論争を呼ぶ。 | Until It Sleeps King Nothing Hero of the Day |
| Reload (リロード) |
1997 | Bob Rock James Hetfield Lars Ulrich |
『Load』の対となる作品。より荒削りで実験的な楽曲を含む。「Fuel」が人気。 | Fuel The Memory Remains The Unforgiven II |
| St. Anger (セイント・アンガー) |
2003 | Bob Rock METALLICA |
ギターソロなし、独特なスネア音、ドロップチューニング。バンドの怒りと混乱を体現。 | St. Anger Frantic Some Kind of Monster |
| Death Magnetic (デス・マグネティック) |
2008 | Rick Rubin | 原点回帰。複雑な構成とギターソロの復活。スラッシュメタルの復権。 | That Was Just Your Life The Day That Never Comes All Nightmare Long |
| Hardwired... to Self-Destruct (ハードワイアード...) |
2016 | Greg Fidelman James Hetfield Lars Ulrich |
キャリアの集大成。2枚組の大作。初期の鋭さと現代的なプロダクションの融合。 | Hardwired Moth Into Flame Spit Out the Bone |
| 72 Seasons (72シーズンズ) |
2023 | Greg Fidelman James Hetfield Lars Ulrich |
最新作。72の季節 (18歳までのトラウマ)がテーマ。NWOBHMへの回帰も見られる。 | Lux Æterna Screaming Suicide If Darkness Had a Son |
8.2 ライブ・アルバム及びその他の作品
- Garage Inc. (1998): 新録と過去のカバー曲を集めた2枚組アルバム。METALLICAのルーツを辿る上で不可欠な資料。
- S&M (1999): サンフランシスコ交響楽団との共演盤。「No Leaf Clover」など新曲も収録。
- Lulu (2011): ルー・リードとのコラボレーション。
- Through the Never (2013): 同名の3D映画のサウンドトラック。
- S&M2 (2020): 『S&M』20周年記念公演の記録。
8.3 主要シングルのチャート実績と影響
メタリカのシングルは、メタルバンドとしては異例のチャートアクションを見せている。「Enter Sandman」 はビルボードHot 100で16位、「Until It Sleeps」は10位を記録しており、METALLICAがポップ・ミュージックのフィールドでも競争力を持っていたことを証明している。また、「One」 はグラミー賞を受賞し、メタルの芸術的評価を向上させた。
9. メンバー詳細プロファイル (Detailed Member Profiles)
9.1 ジェイムズ・ヘットフィールド (James Hetfield)
- 担当: Vocal, Rhythm Guitar
- 在籍: 1981年-現在
- 役割: バンドのメインソングライターであり、歌詞の世界観を決定づける存在。
- 特徴: 「リフマスター」の異名を持ち、ダウンピッキングのみで高速かつ正確にリフを刻む右手の技術は、世界中のギタリストの指標となっている。歌詞は、個人的なトラウマ、怒り、社会制御、戦争の狂気などをテーマにすることが多い。アルコール依存症との闘いを経て、近年は精神的な弱さを吐露することも厭わない成熟した姿を見せている。
9.2 ラーズ・ウルリッヒ (Lars Ulrich)
- 担当: Drums
- 在籍: 1981年-現在
- 役割: バンドの創設者、スポークスマン、アレンジャー。
- 特徴: テニス選手トーベン・ウルリッヒ (Torben Ulrich) を父に持ち、裕福な環境で育った。ジェイムズが持ってきたリフを楽曲として構築 (アレンジ) する能力に長けている。ドラミングに関しては技術的な批判を受けることもあるが、楽曲にドラマチックな展開を与える独自のセンスは唯一無二である。Napster裁判では矢面に立ち、激しいバッシングを受けたが、バンドの権利を守るために戦った姿勢は後に再評価されている。
9.3 カーク・ハメット (Kirk Hammett)
- 担当: Lead Guitar
- 在籍: 1983年-現在
- 役割: リードギタリスト。バンド内の調停役。
- 特徴: ジョー・サトリアーニ (Joe Satriani) に師事した確かな技術を持つ。ワウペダル (Wah Pedal)を多用した流麗なソロプレイがトレードマーク。ホラー映画の熱心なコレクターとしても知られ、その趣味はギターのデザインや自身のフェスティバル主催にも反映されている。平和主義的な性格で、ジェイムズとラーズの対立を緩和するクッション役としても機能してきた。
9.4 ロバート・トゥルージロ (Robert Trujillo)
- 担当: Bass
- 在籍: 2003年-現在
- 役割: ベーシスト。グルーヴメーカー。
- 特徴: Suicidal Tendencies、Infectious Grooves、Ozzy Osbourneバンドを経て加入。指弾きによる強力なアタックと、ファンクやジャズの影響を受けた柔軟なリズム感が特徴。ステージ上での姿勢を低くして歩く「カニ歩き (Crab Walk)」は彼の代名詞である。加入以来、バンドの安定した活動を支える重要な柱となっている。
9.5 旧メンバー及び関係者
- クリフ・バートン (Cliff Burton) (1982-1986): 伝説的なベーシスト。その早すぎる死はバンドに永遠の影を落としたが、彼の音楽的遺伝子は今も楽曲の中に生きている。
- ジェイソン・ニューステッド (Jason Newsted) (1986-2001): 激しいステージングとコーラスでバンドを支えたが、創作面でのフラストレーションにより脱退。現在は自身のバンドやアート活動を行っている。
- デイヴ・ムステイン (Dave Mustaine) (1982-1983): 初期の作曲に大きく貢献。脱退後の敵対関係は長年続いたが、近年は「Big4」公演などで共演し、和解が進んでいる。
- ロン・マクガヴニー (Ron McGovney) (1981-1982): 初代ベーシスト。
- ロイド・グラント (Lloyd Grant): 「Hit the Lights」の最初のソロを弾いたギタリスト
10. 不滅の怪物 (Conclusion)
METALLICAの歴史は、喪失、怒り、成功、没落の危機、そして再生の物語である。METALLICAはDörarpでのクリフ・バートンの死という決定的な悲劇を乗り越え、『METALLICA』で商業的な頂点を極めた。Napster裁判や 『St. Anger』 期の内部崩壊といった危機に直面しても、常に音楽への情熱とバンドとしての絆を再確認することで復活を遂げてきた。
2026年、バンドは結成45周年を迎えるが、その勢いは衰えることを知らない。「M72 World Tour」で見られるような新しいライブ体験の提供や、Apple Vision Proのような最新技術への適応は、METALLICAが常に前進し続けていることの証左である。METALLICAは、単なるヘヴィメタルバンドではなく、困難に立ち向かい進化を続ける人間の強さを体現する文化的アイコンとして、今後も歴史にその名を刻み続けるだろう。
Trivia
公式サイトの通史は、バンドの誕生日を1981年10月28日と明記している。きっかけは求人広告で、ラーズ・ウルリッヒがロサンゼルスのフリーペーパー『The Recycler』に出した広告を通じて、ジェイムズ・ヘットフィールドと顔を合わせたのが始まりだった。ほどなくして、ヘットフィールドの友人で同居人でもあったロン・マクガヴニーがベースに、デイヴ・ムステインがリード・ギターに迎えられている。つまり最初の編成には、後に世界的に知られることになる4人のうち2人しかいない。
METALLICAという名前を思いついたのは、バンドのメンバーではない。公式の通史によれば、この名前はベイエリアのメタル・シーンにいた友人ロン・キンターナの提案を受けて採られたものである。つまりバンドは、外から差し出された言葉を自分たちの名前として引き受けたことになる。
『Master of Puppets』は、アメリカ議会図書館が保存対象として選ぶ National Recording Registry に収められている。発表は2016年3月で、その年に加えられた25作品のうちの1枚だった。選定の基準は文化的・歴史的・美的に重要であることで、対象となるのは発表から10年以上を経た録音に限られる。バンド自身は公式サイトで、1986年当時の自分たちは主流からかなり外れたところにいたと振り返り、この選出に驚きを隠していない。
2013年12月8日、METALLICAは南極大陸のカルリーニ基地でライヴを行った。会場はヘリポート脇のドームで、観客は基地の研究者と応募で選ばれた当選者を合わせた120人。約1時間で10曲が演奏された。この公演には他に類のない条件が付いている。環境への騒音を避けるため、音は通常の拡声装置を使わず、観客全員が着けたヘッドフォンへ送られたのである。バンド自身はこれを自分たちのサイレント・ディスコと呼んだ。この一夜によって、彼らは12か月のうちに7大陸すべてで演奏した最初のバンドになった。
1作目『Kill 'Em All』を録るために、バンドはニューヨークまでU-Haulのレンタル・トラックで移動している。話を持ちかけたのは東海岸のメタル商人ジョン・ザズラで、彼のインディー・レーベル Megaforce Records との契約が動き出したのが1983年のことだった。そして到着からまもない同年4月、リード・ギターのデイヴ・ムステインが外れ、EXODUSにいたカーク・ハメットが加わる。デビュー作の録音は、その顔ぶれで始まった。
2作目『Ride the Lightning』が作られたのは、アメリカではなくデンマークだった。公式の通史によれば、バンドは1984年の夏をコペンハーゲンのSweet Silence Studiosで過ごし、プロデューサーのフレミング・ラスムッセンと組んで録音している。ラスムッセンとの関係はここから続き、次の『Master of Puppets』、さらに4作目『...And Justice for All』にも及んだ。
1986年9月27日、スウェーデンでの移動中にツアー・バスが横転し、ベースのクリフ・バートンが亡くなった。バンドが次のベーシストを迎えるまでには、40人を超えるオーディションが行われている。最終的に選ばれたのは、FLOTSAM & JETSAMにいたジェイソン・ニューステッドだった。公式の通史は、バートンがジャムと実験を重ねるDIYの姿勢と、確かな音楽理論の知識の両方を持ち込んだ人物で、バンドの音楽的成長への影響は計り知れなかったと記している。
1987年に出したカバー曲のEP『The $5.98 E.P. - Garage Days Re-Revisited』は、スタジオを借りずに作られている。録音場所はラーズ・ウルリッヒのガレージで、しかもそこを小さなスタジオに仕立て直す作業自体、バンドが自分たちの手で行ったものだった。ジェイソン・ニューステッドを迎えてすぐの時期の作品である。
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