KING DIAMOND BIOGRAPHY
プロフィール
| 結成 | 1985年 |
|---|---|
| 出身 | デンマーク |
| メンバー | King Diamond(ヴォーカル) Gus G.(ギター) Mike Wead(ギター) Pontus Egberg(ベース) Matt Thompson(ドラム) |
| ジャンル | ヘヴィメタル、プログレッシヴメタル |
Biography
KING DIAMOND
バイオグラフィー
KING DIAMOND(キング・ダイアモンド)は、デンマーク出身の歌手、キング・ダイアモンドが1985年に結成したヘヴィ・メタル・バンドである。キング・ダイアモンドは1981年にコペンハーゲンで結成されたMERCYFUL FATEのフロントマンとして名を上げ、1985年4月にそのバンドが活動を終えると、同じMERCYFUL FATEのギタリストのマイケル・デナー、ベーシストのティミ・ハンセンとともに、自らの名前を冠したこのバンドを始めた。Roadrunner Recordsからは1986年の『Fatal Portrait』から1990年の『The Eye』まで5枚のスタジオ・アルバムを出し、2作目の『Abigail』(1987年)を最初として、アルバム1枚で一つの怪奇な物語を語るコンセプト・アルバムを数多く作ってきた。1992年にキング・ダイアモンドがテキサス州ダラスへ移り住んだのち、バンドは1995年の『The Spider's Lullabye』で5年ぶりに新作を出し、以後はアメリカではMetal Blade Records、ヨーロッパでは多くの作品をMassacre Recordsから発表した。2007年の『Give Me Your Soul...Please』で12枚目のスタジオ・アルバムに達し、2010年にキング・ダイアモンドが心臓の手術を受けたのち、2012年にステージへ戻っている。2019年のシングル「Masquerade of Madness」に続き、2024年には、三部作の第1部『Saint Lucifer's Hospital 1920』からの最初のシングルとして「Spider Lilly」を出した。2026年7月24日、バンドは1985年から在籍したギタリストのアンディ・ラ・ロックとの別れと、FIREWINDのガスG.の加入を発表した。
キング・ダイアモンドの出発とMERCYFUL FATE(〜1985年)
キング・ダイアモンドの本名はKim Bendix Petersenで、1956年6月14日に生まれた(デンマークの百科事典Lex/Gaffa、2016年)。Louderの2016年の取材によれば、音楽の世界への入り口は歌ではなくギターで、最初のバンドBRAINSTORMでギターを弾き、メイクをして舞台に立ちながら、キング・ダイアモンドという名前を名乗り始めた。名前に特別な意味はないという。歌い手になったのは次のバンドBLACK ROSEで、メイクの意匠もこの時期にはっきりした形をとった(Louder、2016年)。Gaffaも、芝居がかった怪奇趣味のステージへの関心が育ったのはBLACK ROSEの時代だとしている(Gaffa、2016年)。
その後に加わったパンク・バンドのBRATSで、キング・ダイアモンドはギタリストのハンク・シャーマンと出会った(Gaffa、2016年)。CBSと契約していたBRATSは、二人がヘヴィ・メタルへ舵を切ろうとしたことでレコード会社からより商業的な音楽を求められ、シャーマンとキング・ダイアモンドは、もう一人のギタリスト、マイケル・デナーとともにバンドを離れた(Louder、2016年)。MERCYFUL FATEは1981年の初めにコペンハーゲンでキング・ダイアモンドとハンク・シャーマンによって結成され、まもなくマイケル・デナー、ベーシストのティミ・ハンセン、ドラマーのキム・ルッズがそろった。1982年にオランダのRave On RecordsからEPを出したのち、Roadrunner Recordsと契約して、1983年に『Melissa』、1984年に『Don't Break the Oath』を発表している(MERCYFUL FATE公式サイト)。
1985年4月、MERCYFUL FATEは活動を終えた(MERCYFUL FATE公式サイト)。キング・ダイアモンドは翌年の取材で、主な原因は音楽性の違いにあり、ハンク・シャーマンが次のアルバムにより商業的な曲を持ち込もうとしたことだったと述べ、コペンハーゲンのSagaで演奏した翌日、1985年4月11日にバンドを離れたと振り返っている(Metal Forces、1986年)。
KING DIAMONDの結成と『Fatal Portrait』(1985〜1986年)
新しいバンドには、MERCYFUL FATEからギタリストのマイケル・デナーとベーシストのティミ・ハンセンが移り、ドラマーにはデンマークのバンドGEISHAにいたミッキー・ディーが迎えられた(Metal Forces、1986年)。初めはスウェーデン人のギタリスト、Floyd Konstantinも加わっていたが、アルバムの録音を2週間後に控えて外された。代わりに呼ばれたのが、ディーの友人でイェーテボリで働いていたスウェーデン人のギタリスト、アンディ・ラ・ロックである。午前3時の電話を受けたラ・ロックは翌朝コペンハーゲンへ飛び、「Dressed in White」で最初に弾いたソロが、そのままアルバムに収められた(Metal Forces、1986年)。2015年の旧公式サイトは、キング・ダイアモンドのほかに結成時からバンドにいる唯一のメンバーとしてラ・ロックを紹介していた(旧公式サイト)。
バンドの最初のレコードは、クリスマス・シングル「No Presents for Christmas」である。曲は1985年6月に録音されていたが、Roadrunner Recordsとの契約がまとまったのが12月の初めで、発売はその月にずれこんだ(Metal Forces、1986年)。新しいバンドとしての最初のライヴは、コペンハーゲンのSagaで行われた(Metal Forces、1986年)。1986年には、デビュー・アルバム『Fatal Portrait』がRoadrunner Recordsから出た(公式サイト/Metal Forces、1986年)。
Roadrunner Records時代と『Abigail』からのコンセプト・アルバム(1987〜1990年)
1987年の2作目『Abigail』は、KING DIAMONDがこのあと数多く作ることになるコンセプト・アルバムの最初の作品である(デシベル誌、2015年)。演奏したのはキング・ダイアモンド、アンディ・ラ・ロック、マイケル・デナー、ティミ・ハンセン、ミッキー・ディーの5人で(デシベル誌、2015年)、デナーとハンセンがKING DIAMONDの作品に加わったのは、これが最後となった(旧公式サイト)。『Abigail』のツアーの途中でデナーが抜け、マイケル・ムーンが代わりを務めた。ムーンの演奏が残っているのは、このツアーを収めたライヴ・アルバム『In Concert 1987: Abigail』だけである。ムーンの後任にはピート・ブラックが就き、ベースはハンセンからハル・パティーノに代わった(旧公式サイト)。
続く1988年の『Them』、1989年の『Conspiracy』、1990年の『The Eye』と合わせて、バンドはRoadrunner Recordsから5枚のスタジオ・アルバムを出した(MERCYFUL FATE公式サイト/Lex)。1988年にはEP『The Dark Sides』も出ている(Metal Blade Records/MusicBrainz)。ドラマーのミッキー・ディーは『Them』のあとバンドを離れたが、『Conspiracy』の録音には呼び戻され、そのツアーからはスノーウィ・ショウが叩いた。旧公式サイトは、『The Eye』の大半はドラム・コンピューターで録音され、ショウが叩いたのは一部だったと伝えている(旧公式サイト)。
『The Eye』後の空白とMERCYFUL FATEの再結成(1990〜1994年)
『The Eye』のあと、KING DIAMONDは5年にわたって新しいアルバムを出さなかった。この間にはのちに正式なメンバーとなるギタリストのマイク・ウィードを含む顔ぶれが一時期あり、旧公式サイトによれば、その顔ぶれで次の『The Spider's Lullabye』を録音するはずだった(旧公式サイト)。
1992年の夏、MERCYFUL FATEは再び集まることを決め、ブライアン・スレイゲルのMetal Blade Recordsと契約して、1993年に『In the Shadows』を出し、アメリカを回った(MERCYFUL FATE公式サイト)。再結成したMERCYFUL FATEは1999年までに5枚のアルバムを発表し(Gaffa、2016年)、1999年の『9』のあとにはMETALLICAとヨーロッパを回った。このツアーではキング・ダイアモンドとハンク・シャーマンが何度かMETALLICAのステージに加わり、METALLICAが1998年の『Garage Inc.』に収めたMERCYFUL FATEのメドレーを一緒に演奏している(MERCYFUL FATE公式サイト)。マイク・ウィードはMERCYFUL FATEでも、『Into the Unknown』のヨーロッパ・ツアーでマイケル・デナーの代わりを務めた(旧公式サイト)。
ダラスへ(1992〜1995年)
1992年、キング・ダイアモンドはアメリカ、テキサス州のダラスに移り住んだ。キング・ダイアモンドはのちに、着いたばかりの自分をまっ先に温かく迎えてくれたのはヴィニー・ポールとPANTERAの面々だったと振り返っている(ブラバマウス、2018年)。2015年の旧公式サイトは、キング・ダイアモンドが妻とともにダラスで暮らしていると紹介しており(旧公式サイト)、2010年の時点での本拠はダラス郊外のフリスコであった(ブラバマウス、2010年/Louder、2016年)。
KING DIAMONDは、新しい顔ぶれで再び動き出した。1994年の9月から10月にかけて、キング・ダイアモンドはアンディ・ラ・ロック、ギタリストのHerb Simonsen、ベーシストのChris Estes、ドラマーのDarrin Anthonyとともに、The Dallas Sound Labで『The Spider's Lullabye』の録音とミックスを終えた。ラ・ロックはアシスタント・プロデューサーも務めている(旧公式サイト)。Simonsen、Estes、Anthonyの3人は、いずれもMINDSTORMというバンドの出身である(旧公式サイト)。
Massacre RecordsとMetal Blade Records(1995〜2000年)
『The Spider's Lullabye』は1995年、ヨーロッパではMassacre Records、アメリカではMetal Blade Recordsから発売された(MusicBrainz/Metal Blade Records)。続く1996年の『The Graveyard』、1998年の『Voodoo』、2000年の『House of God』も、同じ2つのレーベルから出ている(MusicBrainz)。
この間に、顔ぶれは少しずつ入れ替わった。Darrin Anthonyは交通事故で重傷を負ってバンドを離れ、『The Graveyard』のヨーロッパ・ツアーからは、CHASTAINにいたJohn Luke Hebertがドラムを叩いた。Herb Simonsenは『Voodoo』のツアーの途中でグレン・ドローヴァーと交代し、Chris Estesは『House of God』のツアーでDave Harbourと交代した(旧公式サイト)。キング・ダイアモンドは2026年に、EstesやSimonsenをはじめ、途中でバンドを離れた多くのメンバーは、長いツアーと家族との暮らしを両立できなかったのだと語っている(ブラバマウス、2026年)。
『House of God』のヨーロッパ・ツアーでは、グレン・ドローヴァーに代わってギタリストのマイク・ウィードが、John Luke Hebertに代わってドラマーのマット・トンプソンが加わった。Dave Harbourの後任には、かつてのハル・パティーノが戻っている(旧公式サイト)。ウィードとトンプソンは、2026年に至るまでバンドに在籍している(ブラバマウス、2026年)。
『Abigail II: The Revenge』から『Give Me Your Soul...Please』まで(2002〜2009年)
2002年の『Abigail II: The Revenge』はハル・パティーノが戻って最初のアルバムで、ここから2007年の『Give Me Your Soul...Please』まで、キング・ダイアモンド、アンディ・ラ・ロック、マイク・ウィード、パティーノ、マット・トンプソンの顔ぶれが続いた(旧公式サイト/Lex)。この時期の作品は、2003年の『The Puppet Master』、2004年の2枚組のライヴ・アルバム『Deadly Lullabyes』、2007年の『Give Me Your Soul...Please』である(Lex/Metal Blade Records)。ヨーロッパでの発売元は、『Abigail II: The Revenge』がMetal Blade Records、『The Puppet Master』と『Give Me Your Soul...Please』がMassacre Recordsであった(MusicBrainz)。
『Give Me Your Soul...Please』に収めた「Never Ending Hill」は、グラミー賞の最優秀メタル・パフォーマンス部門にノミネートされた(ブラバマウス、2014年)。表題曲のビデオは2007年9月に撮影されたもので、バンドにとって17年ぶりのビデオであった(ブラバマウス、2010年)。
2008年8月、キング・ダイアモンドはダラスのOzzfestでMETALLICAのステージに加わり、METALLICAが『Garage Inc.』で録音したMERCYFUL FATEのメドレーを歌った。2009年には、ゲーム『Guitar Hero: Metallica』に、MOTÖRHEADのレミー・キルミスターと並んで、操作できるキャラクターとして登場している(Metal Blade Records)。
2010年の心臓手術とステージへの復帰(2010〜2012年)
2010年11月29日、キング・ダイアモンドは救急車で病院に運ばれた。妻のリヴィア・ジータが公表した経過によれば、検査で何度かの心臓発作と、心臓の3本の動脈の詰まりがわかり、開胸による3本のバイパス手術を受けた。手術はおよそ7時間に及び、キング・ダイアモンドは救急車で運ばれてから10日後に自宅へ戻った(ブラバマウス、2010年)。本人はのちに、妻とともに煙草をやめ、食事を改め、週に5日歩くようになったと語っている(ブラバマウス、2014年)。
キング・ダイアモンドが再びステージに立ったのは、2011年12月7日、サンフランシスコのFillmoreで開かれたMETALLICAの結成30周年を祝うファン・クラブ会員向けの公演で、MERCYFUL FATEのハンク・シャーマン、ティミ・ハンセン、マイケル・デナーが一緒だった(ブラバマウス、2012年)。
バンドとしての復帰は、2012年6月9日、スウェーデンのSölvesborgで開かれたSweden Rock Festivalである。MERCYFUL FATEのハンク・シャーマンとマイケル・デナー、VOLBEATのマイケル・ポールセン、そして当時MOTÖRHEADにいたミッキー・ディーがゲストとして加わった。6月15日にはフランスのClissonでHellfestに出演している(ブラバマウス、2012年)。Metal Blade Recordsによれば、この2つのフェスティバルでのステージは、バンドがそれまでに組んだどの舞台装置よりも大がかりなものだった(Metal Blade Records)。2012年12月には、Metal Blade Recordsとアルバム3作分の世界規模の契約を新たに結んだ(ブラバマウス、2014年)。
『Abigail』の再演と『Songs for the Dead Live』(2013〜2019年)
2013年から2018年にかけて、バンドはドイツのRock Hard FestivalとWacken Open Air、デンマークのCopenhell、ベルギーのGraspop Metal Meeting、イギリスのBloodstock Open Air、アメリカのPsycho Las Vegasなどのフェスティバルに出演した(ブラバマウス、2026年)。
2014年7月、ベーシストのハル・パティーノがバンドを離れた。キング・ダイアモンドはパティーノを解任したと発表し、パティーノは自分から辞めたと述べている。7月25日のストックホルムのGröna Lundでの公演からは、THE POODLESやLION'S SHAREで活動してきたスウェーデンのベーシスト、ポンタス・エグバーグが弾き、エグバーグは12月に正式なメンバーとなった(ブラバマウス、2014年)。
2014年11月には、Roadrunner RecordsとMetal Blade Recordsの両方の時期から選んだ23曲を、キング・ダイアモンドとアンディ・ラ・ロックがマスタリングし直したベスト・アルバム『Dreams of Horror』が出た(BraveWords、2015年)。2015年10月29日から12月5日にかけては、EXODUSを前座に、『Abigail』を全曲演奏する北米ツアーを行った(BraveWords、2015年)。
2019年1月にMetal Blade Recordsから出たDVDとBlu-rayの『Songs for the Dead Live』は、2015年11月のフィラデルフィアのFillmoreと、2016年6月のベルギーのGraspop Metal Meetingでの公演を収めたもので、どちらのステージでも『Abigail』が全曲演奏されている。顔ぶれはキング・ダイアモンド、アンディ・ラ・ロック、マイク・ウィード、ポンタス・エグバーグ、マット・トンプソンである(ブラバマウス、2018年)。
『Saint Lucifer's Hospital 1920』とシングル(2019〜2026年)
2019年の夏、ヨーロッパのフェスティバルで新しいステージと新曲を披露したバンドは、8月、12年ぶりとなるスタジオ・アルバムの題名を『The Institute』と明かし、最初のシングルをその秋に、アルバムを2020年に出すと告げた(ブラバマウス、2019年)。最初のシングル「Masquerade of Madness」は、12年ぶりの新曲として2019年11月に出た。物語は1920年代の精神科病院を舞台とし、このときは2枚のアルバムにわたる構想とされていた(Loudwire、2019年)。曲はアンディ・ラ・ロックが書き、キング・ダイアモンドが手を加えて歌詞を付けたものである(ブラバマウス、2022年)。2019年11月から12月にかけて、バンドは北米を回った(ブラバマウス、2019年/2026年)。
その後のキング・ダイアモンドは、再結成したMERCYFUL FATEとも並行して活動し、MERCYFUL FATEは2022年にヨーロッパ、アメリカ、メキシコで36公演を行った(Loudwire、2019年/MERCYFUL FATE公式サイト)。2023年10月には、「Masquerade of Madness」のミュージック・ビデオが公開された(ブラバマウス、2024年)。
2024年10月15日にテキサス州サンアントニオのBoeing Center at Tech Portで始まり、12月6日のダラスまで続いた北米ツアーは、『Saint Lucifer's Hospital 1920』の名を掲げ、OVERKILLとNIGHT DEMONが前座を務めた。初日に「Spider Lilly」が初めて演奏され、このツアーではもう1曲の新曲「Electro Therapy」も披露された。デンマークの歌手Myrkurが、バッキング・ヴォーカルとキーボードで加わっている(ブラバマウス、2024年)。キング・ダイアモンドによれば、アルバムの題名は、このツアーが始まるころに『The Institute』から『Saint Lucifer's Hospital 1920』に改められた(ブラバマウス、2025年)。
2024年12月17日には「Spider Lilly」がシングルとして出た。三部作の怪奇譚の第1部『Saint Lucifer's Hospital 1920』からの最初のシングルで、作詞・作曲はキング・ダイアモンド、ミックスとマスタリングはアーサー・リズクが手がけ、Myrkurがバッキング・ヴォーカルで参加した。ビデオの一部は、ツアー中のハロウィンの2日前に、フィラデルフィア郊外のPennhurst Asylumで撮影された(ブラバマウス、2024年)。
2025年の夏、バンドはヨーロッパを広く回った(ブラバマウス、2026年)。7月にはキング・ダイアモンドが溶連菌による咽頭炎と診断されたことを自ら明かし、ハンガリーのDunaújváros、ウィーン、ブカレスト、ソフィアの4公演が中止となった(Loudwire、2025年)。
2025年10月28日、デンマークの国立芸術財団Statens Kunstfondは、この秋に終身の顕彰(hædersydelse)を受ける5人の芸術家の一人としてキング・ダイアモンドの名を発表した。財団は授与の理由に、MERCYFUL FATEと自身のバンドKING DIAMONDの両方での仕事を挙げている(Statens Kunstfond)。
新作の発売時期は、なかなか定まらなかった。2026年3月、アンディ・ラ・ロックは年内の発売をめざしていると語ったが、6月には、いつ出るのかは誰にもわからないと認めている(ブラバマウス、2026年)。
アンディ・ラ・ロックの脱退とガスG.の加入(2026年)
2026年7月24日、バンドはアンディ・ラ・ロックとの別れと、FIREWINDの創設者で、2009年から2017年までオジー・オズボーンのギタリストを務めたガスG.の加入を発表した。キング・ダイアモンドは声明で、40年を経て、バンドとラ・ロックが互いに話し合って別々の道を選んだと記した。ガスG.は作曲、録音、ツアーに加わり、FIREWINDやソロの活動もこれまでどおり続けるとされた(ブラバマウス、2026年)。2日後の7月26日、ガスG.は動画で、自分も一人のファンだと語り、ラ・ロック本人から励ましのメッセージが届いたことを明かした(ブラバマウス、2026年)。
9月、キング・ダイアモンドはMetal Injectionの取材に、別れは一つの出来事ではなく、少しずつ方向が離れていった結果だと話し、今後のツアーの計画をラ・ロックが歓迎していないように感じていたことにも触れたうえで、二人は友人であり続けると述べた。ラ・ロックが加わったLEX LEGIONの活動は、理由ではなかったという。後任については、MERCYFUL FATEのハンク・シャーマンが最初に、Metal Blade Recordsの創設者、ブライアン・スレイゲルが続いてガスG.の名を挙げたと明かしている。同じ取材でキング・ダイアモンドは、新しい物語は3枚のアルバムにわたり、3作分の歌詞はすべて書き上げてあると語り、MERCYFUL FATEの新作を先に仕上げる考えを示した(ブラバマウス、2026年)。
メンバー
2026年7月24日に発表された顔ぶれは、次の5人である(ブラバマウス、2026年)。
| メンバー | 担当 | 在籍 |
|---|---|---|
| キング・ダイアモンド(本名Kim Bendix Petersen) | ヴォーカル | 1985年〜 |
| ガスG. | ギター | 2026年〜 |
| マイク・ウィード | ギター | 『The Eye』と『The Spider's Lullabye』の間の一時期、『House of God』のヨーロッパ・ツアー〜 |
| ポンタス・エグバーグ | ベース | 2014年〜(同年12月に正式加入) |
| マット・トンプソン | ドラム | 『House of God』のヨーロッパ・ツアー〜 |
かつてのメンバーは次の通りである(旧公式サイト/Metal Forces、1986年/ブラバマウス)。
| メンバー | 担当 | 在籍 |
|---|---|---|
| アンディ・ラ・ロック | ギター | 1985〜2026年 |
| マイケル・デナー | ギター | 1985年〜1987年の『Abigail』のツアー |
| ティミ・ハンセン | ベース | 1985年〜『Abigail』(2019年11月死去) |
| ミッキー・ディー | ドラム | 1985年〜『Them』、『Conspiracy』の録音 |
| Floyd Konstantin | ギター | 1985年(デビュー・アルバムの録音前に脱退) |
| マイケル・ムーン | ギター | 1987年の『Abigail』のツアー |
| ピート・ブラック | ギター | 『Them』〜『The Eye』 |
| ハル・パティーノ | ベース | 『Them』〜『The Eye』、『Abigail II: The Revenge』〜2014年 |
| スノーウィ・ショウ | ドラム | 『Conspiracy』のツアー〜『The Eye』 |
| Herb Simonsen | ギター | 『The Spider's Lullabye』〜『Voodoo』のツアー |
| Chris Estes | ベース | 『The Spider's Lullabye』〜『Voodoo』(『House of God』のツアーで交代) |
| Darrin Anthony | ドラム | 『The Spider's Lullabye』〜『The Graveyard』 |
| John Luke Hebert | ドラム | 『The Graveyard』のヨーロッパ・ツアー〜『House of God』のアメリカ・ツアー |
| グレン・ドローヴァー | ギター | 『Voodoo』のツアー〜『House of God』 |
| Dave Harbour | ベース | 『House of God』のアメリカ・ツアー |
日本との関わり
KING DIAMONDの初来日公演は、2013年のLOUD PARK 13になるはずだった。Creativeman Productionsが10月19日と20日の2日間、さいたまスーパーアリーナで開いたこのフェスティバルで、バンドの出演は2日目の20日に組まれていた。主催者は10月2日、KING DIAMONDがついに初めて日本の土を踏むと告知し、海外のフェスティバルで使ってきた過去最大級のステージセットを日本でも組み上げると伝えている(LOUD PARK公式サイト、2013年)。
しかし出演は、フェスティバル開幕前日の10月18日に取りやめとなった。主催者の発表によれば、バンドの機材を載せた船便が遅れ、手を尽くしても期日までに届かないことがわかった。代わりの機材で演奏する案も話し合われたが、自分たちの機材でなければ演奏しないというバンドの意思が固く、出演はキャンセルになったという。チケットの払い戻しは行われず、20日のタイムテーブルは組み直された(LOUD PARK公式サイト、2013年/rockinon.com、2013年)。
同じ18日、キング・ダイアモンドは公式サイトに声明を載せ、出演を取り消したのはバンドではなく主催者だと述べた。声明によれば、楽器と特殊効果を含むステージ一式はコペンハーゲンからハンブルクの港へ運ばれ、中国の寧波へ向かう船に積まれていたが、到着が6日遅れると知らされた。そこで、荷を寧波から上海までトラックで運び、貨物機で成田へ空輸する計画が、主催者側の協力も得て進められていた。機材が間に合わなかった場合に翌年、出演料なしで借り物の機材による公演を2回行うこと、ステージセットを数日で作り直すことという主催者の提案を、バンドは受け入れなかった。中止を知らせるメールが届いたとき、バンドの一行の一部はすでに日本へ向かう機上にいたという。キング・ダイアモンドは、金銭的な損失に加え、将来の映像作品のために10台のカメラで予定していた撮影と、日本の観客に自分たちのショウを見せる機会を失ったと記し、ファンに詫びている(バンド公式サイト、2013年)。
出典について
出典は、KING DIAMONDの公式サイト(kingdiamondcoven.com)、インターネット・アーカイブに残る旧公式サイトのメンバー紹介と作品ページ(2015年)、MERCYFUL FATEの公式サイト(mercyfulfatecoven.com)、Metal Blade Recordsのアーティスト・ページと作品ページ、デンマークの国立芸術財団Statens Kunstfondの発表、ブラバマウス、BraveWords、Loudwire、Louder(Classic Rock誌の記事)、デシベル誌、イギリスのMetal Forces誌の1986年のインタビュー、デンマークのGaffa、デンマークの百科事典Lexである。各作品のヨーロッパとアメリカでの発売元と、シングル、EP、コンピレーションの発売年はMusicBrainzで確かめ、『Abigail II: The Revenge』の発売年はフィンランドのオフィシャル・チャートの記録とも照らし合わせた。