KING DIAMOND TRIVIA
Trivia
1986年のピクチャー盤LP『Halloween』は3曲入りで、デビュー作『Fatal Portrait』から表題曲と冒頭曲「The Candle」を収め、残る「The Lake」は同じ時期に録られながら9曲入りのアルバムには入らなかった曲である。キング・ダイアモンドは1986年の取材で、「The Lake」はどのアルバムにも入れず、次のシングルのB面に回すと話していた。公式サイトのディスコグラフィーは、「No Presents for Christmas」とともにこの曲を『Fatal Portrait』のボーナス・トラックに挙げている。『Halloween』の制作はキング・ダイアモンドとRune Höyer、技師はロベルト・ファルカオで、ギタリストのマイケル・デナーも制作を手伝った。Metal Blade RecordsはMario Lopezによる新しいアートワークでの世界同時再発を告知しており、発売日は2026年10月23日である。
MERCYFUL FATEから移ってきた2人の在籍は、長くは続かなかった。公式サイトのメンバー紹介は、ギタリストのマイケル・デナーとベーシストのティミ・ハンセンの在籍を、シングル「No Presents for Christmas」から『Abigail』までとしている。デナーの後任のマイケル・ムーンは『Abigail』のツアーの途中で加わり、彼の演奏が残っているのはライヴ盤『In Concert 1987: Abigail』だけだという。ムーンのあとはピート・ブラックが引き継ぎ、ブラックは『Them』から『The Eye』まで在籍した。ベースはハル・パティーノが引き継いだ。Decibel誌によれば、ハンセンは円満にバンドを去り、後任のパティーノにライヴで演奏する曲を一通り教えていったという。
ミッキー・ディーは『Them』を最後にKING DIAMONDを離れたが、1989年の『Conspiracy』ではスタジオ録音のために呼び戻されている。公式サイトのメンバー紹介がそう記し、『Conspiracy』のクレジットにもドラムとしてディーの名がある。ツアーで叩いたのはスノーウィ・ショウで、ショウは『Conspiracy』のツアーから『The Eye』まで在籍した。1990年6月から8月にかけてコペンハーゲンのSweet Silence Studiosで録音された『The Eye』では、ショウがドラムとしてクレジットされている。ディーは2002年にはMOTÖRHEADのドラマーになっていた。
KING DIAMONDのアルバムは、アメリカのBillboard 200に5枚が入っている。最高位は『Them』の89位で、1988年8月に記録し、チャートには12週とどまった。1987年の『Abigail』は123位で13週、1989年の『Conspiracy』は111位で8週。1990年12月に初登場した『The Eye』は1991年1月に179位まで上がり、こちらも8週入っている。2007年7月には『Give Me Your Soul...Please』が174位で初登場し、1週だけチャートに入った。Blabbermouth.netによれば、このときのアメリカでの発売第1週の売り上げは4,500枚だった。
1990年の『The Eye』から1995年の『The Spider's Lullabye』まで、KING DIAMONDは5年間アルバムを出していない。公式サイトのメンバー紹介によれば、その間にはギタリストのマイク・ウィードを含む顔ぶれがあり、本来はその編成で『The Spider's Lullabye』を録るはずだった。実際に録音したのは、キング・ダイアモンドとアンディ・ラ・ロックに、ギタリストのHerb Simonsen、ベーシストのChris Estes、ドラマー、Darrin Anthonyを加えた5人で、新しい3人はそろってMINDSTORMというバンドにいた。録音とミックスは1994年9月から10月にかけて、The Dallas Sound Labで行われている。ウィードはMERCYFUL FATEでも、『Into the Unknown』のヨーロッパ・ツアーでマイケル・デナーの代わりを務めており、KING DIAMONDには『House of God』のヨーロッパ・ツアーで正式に加わった。
KING DIAMONDの録音の拠点は、1990年代にコペンハーゲンからテキサスへ移った。公式サイトのディスコグラフィーによれば、『Fatal Portrait』は1985年にSound Track Studio、『Them』と『Conspiracy』はM.M.C. Studio、『The Eye』は1990年にSweet Silence Studiosで録られ、いずれもコペンハーゲンのスタジオである。アンディ・ラ・ロックの記憶では、『Abigail』の録音も1986年12月、ひどく寒い冬のコペンハーゲンで始まり、録音とミックスに2か月ほどかかった。再始動後の『The Spider's Lullabye』(1994年9月〜10月)と『The Graveyard』(1996年3月〜5月)はThe Dallas Sound Lab、『Voodoo』と『House of God』はテキサス州キャロルトンのNomad Recording Studioで制作され、『Voodoo』はキング・ダイアモンド自身がそこでマスタリングまで手がけた。スウェーデンとのつながりも残り、『The Graveyard』の「Whispers」の鍵盤はラ・ロックがイェーテボリのLos Angered Recordingで録音し、『Voodoo』と『House of God』でも同じスタジオで追加の録音が行われている。
1990年代の終わり、KING DIAMONDの顔ぶれはツアーのたびに変わった。公式サイトのメンバー紹介によれば、ドラマー、Darrin Anthonyは『The Graveyard』の録音のあと交通事故をきっかけにバンドを離れ、同作のヨーロッパ・ツアーからはJohn Luke Hebertが叩いた。ギターは『Voodoo』のツアー中にHerb Simonsenからグレン・ドローヴァーに代わり、ドローヴァーはのちにMEGADETHでも弾いている。『House of God』のころにはベースがChris EstesからDave Harbourへ、さらにハル・パティーノへと移り、同作のヨーロッパ・ツアーでドローヴァーの後任にマイク・ウィードが、Hebertの後任にマット・トンプソンが加わった。ウィードとトンプソンはその後もバンドにとどまり、2024年の「Spider Lilly」でも演奏している。
2007年の『Give Me Your Soul...Please』の2曲目「Never Ending Hill」は、2008年の第50回グラミー賞で最優秀メタル・パフォーマンス部門の候補になった。グラミー賞の公式サイトでは、このノミネートがKING DIAMONDのページだけでなく、ギタリストのマイク・ウィードやドラマー、マット・トンプソンの個人のページにも載っている。アルバムを録音したのはキング・ダイアモンド、アンディ・ラ・ロック、マイク・ウィード、ハル・パティーノ、マット・トンプソンの5人で、リヴィア・ジータが追加のヴォーカルで加わった。キング・ダイアモンドは2014年の第56回でも、VOLBEATの「Room 24」で同じ部門の候補に名を連ねている。
2012年、KING DIAMONDは数を絞った公演でステージに戻った。公式サイトのバイオグラフィーによれば、その舞台となったのがフランスのHellfestとスウェーデンのSweden Rockで、両フェスティヴァルの観客が目にしたのは、バンドの歴史でいちばん大がかりで手の込んだステージ・セットだった。装飾には、いくつものアルバムのホラー物語が取り入れられていたという。
KING DIAMONDの作品は、Roadrunner RecordsのカタログとMetal Blade Recordsのカタログに分かれていた。2014年11月のベスト盤『Dreams of Horror』は、その両方からバンドが選んだ23曲を、キング・ダイアモンドとアンディ・ラ・ロックがマスタリングし直したものである。Metal Bladeは2020年3月30日、『Abigail』と『Fatal Portrait』をCDとLPで4月24日に再発すると告知し、その告知の中でキング・ダイアモンドは、これはリマスターではなく、最初に出たときの制作マスターから当時のダイナミクスをそのまま残したものだと説明している。4月に公開した動画では、Metal BladeがWarnerからKING DIAMONDとMERCYFUL FATEの旧作のカタログをすべて買い取ったことを伝え、かつてのゴールド・リマスター盤は圧縮とリミッターで音が押しつぶされていたと考えて、昔の音のまま出すよう自分が強く求めたと話した。再発は『Conspiracy』『Them』『The Eye』『In Concert 1987』にも続くと告知された。
『Abigail』の物語はグラフィック・ノベルにもなった。Z2 Comicsが2021年4月に発表したもので、キング・ダイアモンドが書いた初めてのコミックとされ、脚本のDan Watters、作画のDamien Wormとキング・ダイアモンド自身が組んで作り上げた。キング・ダイアモンドは、自分の物語がグラフィック・ノベルになるのは夢がかなったようなものだと語っている。豪華版には『Abigail』のピクチャー盤LPが付き、表にはグラフィック・ノベルの表紙、裏には元のジャケットと、画家のTorbjörn Jörgensenによる別のジャケット画があしらわれた。Z2 Comicsのサイトには、ハードカバー版とソフトカバー版が載っている。
2025年秋、キング・ダイアモンドはデンマーク芸術財団(Statens Kunstfond)の終身の顕彰給付を受ける5人の一人に選ばれた。財団の受給者名簿には、本名のKim Bendix Petersenの後ろに、括弧書きでキング・ダイアモンドと添えて載っている。この給付は質の高い芸術を生み出してきたデンマークの芸術家を称えるもので、財団の代議員会が分野ごとの委員会の推薦を受けて決め、受給者は全体で275人いる。BraveWordsが伝えた授与の理由は、MERCYFUL FATEのフロントマンとしての仕事と並べて、同じ名を持つ自分のバンド、KING DIAMONDでの作品を挙げている。
2003年の『The Puppet Master』には、バンドの5人のほかにリヴィア・ジータが追加のヴォーカルで参加している。ジータは2007年の『Give Me Your Soul...Please』でも同じ役割で名を連ねた。公式サイトのディスコグラフィーによれば、『The Puppet Master』にはDVDが付き、キング・ダイアモンド自身がこのアルバムの物語を語っている。録音はイェーテボリのLos Angered Recording、ダラスのNomad Recording Studio、スウェーデンのSolna Sound Recording、そしてテキサスのKing's Houseの4か所に分かれ、ミックスはキング・ダイアモンド、アンディ・ラ・ロック、J.T. LongoriaがKing's Houseで行った。
キング・ダイアモンドがMERCYFUL FATEを去った日は、本人の口から明かされている。1986年にMetal Forces誌の取材で語ったところでは、コペンハーゲンのSagaで演奏した翌日の1985年4月11日にバンドを離れ、ほかのメンバーには電話で決意を伝えた。いちばんの理由は音楽の方向で、次のアルバムにもっとポップで商業的な曲を入れたがったギタリストのハンク・シャーマンに同意できなかったのだと説明している。新しいバンドには、MERCYFUL FATEからギタリストのマイケル・デナーとベーシストのティミ・ハンセンが移り、新顔としてギタリストのアンディ・ラ・ロックとドラマーのミッキー・ディーが加わった。KING DIAMONDとしての最初のライヴも、同じSagaで行われている。キング・ダイアモンドによれば、ツアーに出る前に舞台での自分たちの姿を確かめるための公演だったが、雑誌の記者が大勢来ると聞いて焦ったという。
新しいバンドがMERCYFUL FATEを名乗らなかったのには、契約の事情もあった。1986年のMetal Forces誌で、ほぼ同じ顔ぶれなのになぜ別の名前で出直したのかと問われたキング・ダイアモンドは、MERCYFUL FATEの契約は平凡なものにすぎず、名前を変えることでRoadrunner Recordsとの交渉をやり直したのだと答えている。その結果、取り分の率も前払い金も引き上げられたという。一方、ギタリストのハンク・シャーマンは自分の新しいバンドにMERCYFUL FATEの名をそのまま使おうとしたが、旧バンドと思われてしまうとしてキング・ダイアモンドたちが認めず、そのバンドはFATEと名乗った。KING DIAMONDはツアーで、「The Oath」「Gypsy」「Come to the Sabbath」「Evil」など、キング・ダイアモンド自身が書いたMERCYFUL FATEの曲も演奏するつもりだと話している。
KING DIAMONDの最初のレコードは、1985年12月に出たクリスマス・シングル「No Presents for Christmas」である。キング・ダイアモンドが1986年に語ったところでは、ある日ギターを弾いていて、うっかりクリスマスの曲のメロディーに行き当たり、ふざけて弾き続けていると、ギタリストのマイケル・デナーが調子を合わせてきて、クリスマス・シングルを作ろうと言い出した。真面目一辺倒のヘヴィ・メタル・バンドではないところを見せようという思いつきだったが、曲そのものはテンポの速いヘヴィな曲に仕上げたという。録音は6月の半ばで、発売がクリスマス直前までずれ込んだのは、Roadrunner Recordsとの新しい契約がまとまったのが12月の初めだったからだと説明している。もう1曲は「Charon」で、公式サイトのディスコグラフィーによれば、ヨーロッパ盤はクリスマスの鐘を描いた白いジャケットだった。
デビュー作『Fatal Portrait』の録音を2週間後に控えて、KING DIAMONDはギタリストを入れ替えた。キング・ダイアモンドが1986年のMetal Forces誌で明かしたところでは、それまでいたスウェーデン人のギタリスト、Floyd Konstantinとは録音の直前に別れることになり、代わりに声をかけたのが、ドラマー、ミッキー・ディーの友人でイェーテボリで働いていたアンディ・ラ・ロックだった。夜中の3時に電話して、翌朝10時までにコペンハーゲンに来られるかと尋ねると、ラ・ロックは飛行機で駆けつけた。最初に頼まれたのは「Dressed in White」のソロで、曲を3回聴いてから弾いた最初のソロが、そのままアルバムに収められているという。ディー自身は、デンマークを拠点にしていたGEISHAから来たメンバーだった。公式サイトのディスコグラフィーによれば、『Fatal Portrait』は1985年7月から8月にかけてコペンハーゲンのSound Track Studioで録音とミックスが行われ、制作はキング・ダイアモンドとRune Höyerが担った。
キング・ダイアモンドのメイクは、KING DIAMONDというバンドより古い。1986年のMetal Forces誌で本人は、ギターを弾いていた最初のバンドのころから、つまりその時点で10年にわたってステージではずっとメイクをしてきたと語り、手本は一貫してアリス・クーパーだったと明かした。続ける理由は観客への効果で、最前列の客に不意に近づくと相手が一瞬ひるむ、その怖がらせる感覚が好きなのだという。舞台の仕掛けが増えれば、ホールの後ろの方からでも顔が見えるという利点もあると話している。そのメイクを落としてステージに立った夜もある。2015年7月、ミルウォーキーのThe Raveでの公演に、キング・ダイアモンドは素顔で現れた。Loudwireによれば、キング・ダイアモンドのサイトの告知は、重い目の感染症で薬を処方した医師から、メイクを一切使わないよう強く言われたためと説明していた。
1988年の『Them』の最初と最後の曲で鳴っているオルゴールは、キング・ダイアモンドが子どものころに持っていたものである。2021年にこのアルバムを取り上げたDecibel誌がそう伝えている。物語の中心にいるのは、Kingという名の少年と、精神科の病院から家に戻ってくる祖母である。公式サイトのディスコグラフィーによれば、アルバムは「Out From the Asylum」で始まり「Coming Home」で終わる。録音とミックスはコペンハーゲンのM.M.C. Studioで行われ、制作はキング・ダイアモンドとロベルト・ファルカオが担い、アンディ・ラ・ロックとミッキー・ディーが補佐した。
2002年1月、『Abigail II: The Revenge』の発売を目前にして、キング・ダイアモンドはMetal Blade Recordsへの不満を公にした。ドイツのTwilight誌の電話取材(1月16日)で語ったところでは、3月14日を初日とするアメリカ・ツアーが準備され、レーベルからはアメリカを2度、ヨーロッパを1度回り、ライヴ・アルバムとDVD用の撮影もしようと持ちかけられていた。キング・ダイアモンドが温めていたのは、2枚の『Abigail』を一つの物語として舞台にかける構想である。1987年の『Abigail』を「The Possession」以外すべて演奏し、ほかのアルバムから3曲ずつの幕間を4通り用意して入れ替えながら挟み、続けて新作を2曲ほど除いて曲順どおりに演奏する。その公演を3枚組のライヴ盤にするつもりだったという。ところが2001年のクリスマスの2日前、レーベルはツアーの支援金を出せないと伝えてきた。キング・ダイアモンドの説明では、資金難から所属バンド全体のツアー支援が削られたためだった。
『Abigail II: The Revenge』で、ベーシストのハル・パティーノは『The Eye』以来ひさしぶりにバンドへ戻った。公式サイトのメンバー紹介は、パティーノの2度目の在籍をこのアルバムから2007年の『Give Me Your Soul...Please』までとしている。パティーノの復帰は、もう一人の元メンバーを呼び戻しかけた。MOTÖRHEADのドラマーになっていたミッキー・ディーは2002年、ノルウェーのMetal Express誌に、パティーノが戻ったと聞いてキング・ダイアモンドとアルバムへの参加を話し合ったと語っている。しょっちゅう飲みに行く仲のアンディ・ラ・ロックにもぜひ叩けと勧められたが、キング・ダイアモンドはツアーまで一緒に回れるドラマーを望んだのだろうとディーは見ており、MOTÖRHEADのツアーに追われる自分にはそれができなかったと説明した。
2014年7月にハル・パティーノがバンドを離れると、ベースにはTHE POODLESやLION'S SHARE、ZAN CLANで弾いてきたスウェーデン人のポンタス・エグバーグが加わった。エグバーグを迎えた最初の公演は、同年7月25日、ストックホルムのGröna Lundでのステージである。公式サイトのメンバー紹介によれば、エグバーグが正式なメンバーになったのはその年の12月だった。
2015年秋、KING DIAMONDは1987年の『Abigail』を全曲演奏するアメリカ・ツアーを行った。10月29日に始まり12月5日のダラスで終わったこのツアーでは、EXODUSが前座を務めた。11月のフィラデルフィアのThe Fillmoreでの公演と、翌2016年6月のベルギーのGraspop Metal Meetingでのステージは撮影され、2019年1月にMetal Blade RecordsからDVD/ブルーレイ『Songs for the Dead Live』として発売された。どちらも18曲で、「Welcome Home」「Halloween」「Eye of the Witch」などを演奏したあとに『Abigail』を通す構成である。監督はDenise Koryckiで、映像には、幕開けの「Out From the Asylum」で運び出される車椅子の背に載せたカメラの視点や、「Funeral」の始まりを棺の中から見上げる視点もある。公式サイトは撮影当時、これをバンド初のライヴDVD/ブルーレイのための撮影として告知していた。
Decibel誌は、名盤を称える企画Hall of Fameに、KING DIAMONDのアルバムを2枚入れている。最初は『Abigail』で、2012年2月号に掲載された同誌の殿堂入り84作目である。2021年には『Them』が続き、録音に参加したメンバー全員への取材をもとにした6ページの記事が組まれた。
次のスタジオ・アルバムは、最初は別の題名で発表されていた。2019年8月、KING DIAMONDは12年ぶりとなるスタジオ・アルバムの題名を『The Institute』と明かした。その年の3月にキング・ダイアモンドが語っていたところでは、物語の舞台は1920年代の精神科の施設である。のちにキング・ダイアモンドはFistful of Metal誌に、アメリカ・ツアーの始まりとともに題名を『Saint Lucifer's Hospital 1920』に改めたと話し、「The Institute」はアルバムの中の曲名として残るかもしれないと付け加えた。2024年秋の北米ツアーは、すでにこの新しい題名で行われている。当初は2枚にわたるとされた物語は3部作に広がり、キング・ダイアモンドは3作すべての題名をもう決めているという。
2019年11月の「Masquerade of Madness」は、KING DIAMONDにとって12年ぶりの新曲で、同じ年のうちにライヴで先に披露されていた。ギタリストのアンディ・ラ・ロックによれば、まずラ・ロックが曲を書いてキング・ダイアモンドに渡し、キング・ダイアモンドが歌に合わせて手を加え、歌詞を書いた。ミックスは2人がSonic Train Studiosで行っている。ミュージック・ビデオには回り道があった。キング・ダイアモンドの話では、2019年の北米ツアーのリハーサル中に丸一日を充て、ツアーのステージ演出そのままに夜まで撮影したが、ツアーのあと新型コロナウイルスの流行で世の中が止まり、映像は誰も見ないまま忘れられていた。MERCYFUL FATEとKING DIAMONDの新作の曲作りが始まったころに問い合わせると、数週間で最初の編集版が届き、2023年10月に公開された。白黒の映像で、キング・ダイアモンドは「Sleepless Nights」「Welcome Home」と並ぶお気に入りのビデオに数えている。
2024年秋、KING DIAMONDは北米をヘッドライナーとして回った。ツアー名は次のアルバムと同じ『Saint Lucifer's Hospital 1920』で、10月15日にテキサス州サンアントニオのBoeing Center at Tech Portで始まり、12月6日のダラスまで続いた。前座はOVERKILLとNIGHT DEMONである。セットリストには新曲「Electro Therapy」と「Spider Lilly」が入り、デンマークの歌手、Myrkurがバッキング・ヴォーカルとキーボードで加わった。ギタリストのアンディ・ラ・ロックは、2曲ともすでに仕上がっていたので、ライヴで試してみることにしたのだと話している。
2024年12月17日の「Spider Lilly」は、KING DIAMONDにとって5年ぶりのシングルで、新しいホラー物語の3部作から最初に切り出された曲である。作詞作曲はキング・ダイアモンドで、自らハモンド・オルガンも弾いた。演奏はアンディ・ラ・ロック、マイク・ウィード、ポンタス・エグバーグ、マット・トンプソンという変わらない顔ぶれで、デンマークの歌手、Myrkurがバッキング・ヴォーカルを重ねている。ミックスとマスタリングは、バンドが初めて組むアーサー・リズクが担当した。ミュージック・ビデオの一部は、北米ツアーの移動日にあたるハロウィーンの2日前、フィラデルフィア郊外のPennhurst Asylumで撮影された。その日撮影に加われたのは、キング・ダイアモンド本人と女優のJodi Cachiaだけだったという。
KING DIAMONDの曲は誰が書いているのか。キング・ダイアモンドは2026年9月の取材で、これまでのアルバムを平均すると音楽のおよそ7割を自分が書き、歌詞はすべて自分のものだと説明した。ギタリストやキーボード奏者が曲を書くのが自然に思えるかもしれないが、このバンドではそうではなかったという。アンディ・ラ・ロックの側の話もある。ラ・ロックは2025年6月、ドラムを打ち込み、キーボードやリズム・ギターまで入れた、できるだけ完成に近いデモを作って渡すと語り、2026年3月には、4年ほど前に送った8曲のうち3曲が次のアルバムに採られたと話している。キング・ダイアモンドは9月の取材で、3枚のアルバムにわたる新しい物語は歌詞がすべて書き上がり、最初の1枚半分の音楽も録音できる状態にあるとも述べた。
2026年7月に発表されたギタリストの交代について、キング・ダイアモンドは9月、Metal Injectionの取材で経緯を語っている。アンディ・ラ・ロックと別れる決断は2日のうちに下したが、少しずつ向く方向が離れていった末のことで、40年をともにした2人は今も友人だという。ラ・ロックが加わっているもう一つのバンド、LEX LEGIONのことは理由とまったく関係がないとも明言した。後任として最初にガスG.の名を挙げたのは、MERCYFUL FATEのギタリスト、ハンク・シャーマンだった。キング・ダイアモンドはガスG.を知らなかったが、Metal Blade Recordsの創業者、ブライアン・スレイゲルからも同じ名前を勧められ、聴き込むうちに強く惹かれた。話に上った最初の候補がガスG.で、オーディションの話は一度も出ず、スレイゲルに頼んで連絡を取り持ってもらったという。