THIN LIZZY
20世紀後半のロック・ミュージックにおいて、シン・リジィ (THIN LIZZY) というバンドが果たした役割は、単なる「ハードロック・バンド」という定義では語り尽くせない多層的なものである。
Biography
シン・リジィ (THIN LIZZY)
全史、音楽的変遷、文化的遺産
1. アイルランドの魂とハードロックの融合
20世紀後半のロック・ミュージックにおいて、シン・リジィ (THIN LIZZY) というバンドが果たした役割は、単なる「ハードロック・バンド」という定義では語り尽くせない多層的なものである。アイルランド (Ireland) のダブリン (Dublin) で結成されたこのグループは、フロントマンであるフィル・ライノット (Phil Lynott) の詩的なリリシズム、アイルランドの伝統音楽(ケルト音楽)の旋律、そして後にヘヴィメタル (Heavy Metal) の様式美として定着する「ツイン・リード・ギター (Twin Lead Guitar)」のハーモニーを融合させ、独自の音楽ジャンルを確立した。
2. バンド・バイオグラフィ (Biography)
2.1 前史と結成: ダブリンの夜明け (1969以前-1970)
フィル・ライノットと初期のキャリア
物語の中核となるフィリップ・パリス・ライノット (Philip Parris Lynott)は、アイルランド人の母とガイアナ人の父の間に生まれた。ダブリンで育った彼は、10代前半から「ブラック・イーグルス (Black Eagles)」というバンドでボーカリストとして活動を開始した。その後、彼は「スキッド・ロウ (Skid Row)」参加し、ここで生涯の盟友でありライバルともなるベルファスト (Belfast) 出身の若き天才ギタリスト、ゲイリー・ムーア (Gary Moore) と出会う。スキッド・ロウでライノットはベースを学び始めたが、扁桃腺の手術のために一時離脱した際、バンド側から復帰を拒否されるという挫折を味わった。
「Orphanage」と運命の出会い
スキッド・ロウを追われたライノットは、幼馴染のドラマー、ブライアン・ダウニー (Brian Downey)と共に「オーファネイジ (Orphanage)」を結成する。ダウニーとライノットは以前から共にプレイしており、リズム隊としての相性は抜群であった。1969年末、ダブリンの「カウントダウン・クラブ (Countdown Club)」において、ギタリストのエリック・ベル (Eric Bell) とキーボードのエリック・リクソン (Eric Wrixon) が彼らに接近した。ベルとリクソンは、ヴァン・モリソン (Van Morrison) を輩出した伝説的なバンド「ゼム (Them)」の元メンバーであり、新たなバンドの結成を模索していた。ベルはオーファネイジの演奏を見て、ライノットとダウニーのリズムセクションに可能性を見出し、楽屋で新バンドの結成を持ちかけた。これがシン・リジィの誕生である。
バンド名の由来
「シン・リジィ (THIN LIZZY)」というバンド名は、エリック・ベルの提案によるものである。彼は子供向け漫画雑誌『The Dandy』に登場するロボットキャラクター「Tin Lizzie」から着想を得た。アイルランド訛り(ダブリン訛り)では "Thin" が "Tin" と発音されることや、"Lizzie" を女性の名前に見立てるなどの遊び心が込められていた。
2.2 デッカ・レコード時代: 模索と「ウィスキー」の呪縛 (1970-1973)
初期の音楽性と商業的苦戦
結成当初のラインナップ(ライノット、ダウニー、ベル、リクソン)から、キーボードのリクソンは短期間で脱退し、バンドはトリオ編成となった。1970年7月、パーロフォン (Parlophone) からデビューシングル「The Farmer」をリリースしたが、プレスされた500枚のうち売れたのは283枚という商業的な失敗に終わる。
しかし、THIN LIZZYのライブパフォーマンスは評判を呼び、デッカ・レコード (Decca Records) と契約を結ぶことに成功する。1971年のデビューアルバム『シン・リジィ (THIN LIZZY)』および1972年の『ブルー・オーファン (Shades of a Blue Orphanage)』は、後のハードロック・サウンドとは異なり、ヴァン・モリソンの影響を強く受けたフォーク・ロック、ブルース、そしてサイケデリックな要素が混在する内容であった。当時のレコーディングについてエリック・ベルは「メンバー全員が薬物の影響下にあった」と回想しているが、これらの作品にはライノットの詩的で内省的な歌詞世界が既に確立されていた。
「Whiskey in the Jar」の成功と葛藤
バンドにとっての転機かつ最大のジレンマとなったのが、1972年にリリースされたシングル「ウィスキー・イン・ザ・ジャー (Whiskey in the Jar)」である。アイルランドの伝統的なフォークソングをエリック・ベルによるロックなギターリフでアレンジしたこの曲は、イギリスのチャートで6位を記録する大ヒットとなった。しかし、この曲の成功はバンドに「フォーク・ロックのノベルティ・バンド」というレッテルを貼ることになり、THIN LIZZYが目指していたハードなロック路線との乖離を生んだ。特にエリック・ベルはこの状況に強いストレスを感じていた。
エリック・ベルの脱退
1973年のアルバム『西洋無頼 (Vagabonds of the Western World)』は、よりハードなサウンドへと舵を切った作品であり、「ザ・ロッカー (The Rocker)」という代表曲を生み出した。しかし、成功に伴うプレッシャーとアルコール、薬物の問題により、ベルの精神状態は限界に達していた。1973年の大晦日、ベルはベルファストでのコンサート中にギターを放り投げ、アンプを客席に押し倒してステージを降り、そのままバンドを脱退した。
2.3 黄金期の到来: ツイン・ギター体制の確立 (1974-1976)
スコット・ゴーハムとブライアン・ロバートソンの加入
ベルの脱退後、ゲイリー・ムーアが一時的に加入し、「Still in Love With You」の初期バージョンなどを録音したが、彼もまたすぐに脱退した。バンド存続の危機に瀕したライノットは、オーディションを行い、二人のギタリストを採用する。アメリカ・カリフォルニア (California) 出身のスコット・ゴーハム (Scott Gorham)と、スコットランド・グラスゴー (Glasgow) 出身の17歳の神童ブライアン・ロバートソン (Brian Robertson)である。
当初は一時的な措置とも考えられたこの「ツイン・ギター」体制は、結果としてバンドのサウンドに革命をもたらした。メロディアスで流麗なゴーハムと、ワウペダルを多用しアグレッシブなロバートソンという対照的なスタイルが絡み合うことで、シン・リジィ独特のハーモニー・サウンドが完成した。
『脱獄(Jailbreak)』による世界的ブレイク
ヴァーティゴ (Vertigo) レーベルに移籍し、『ナイト・ライフ (Nightlife)』(1974)、『ファイティング (Fighting)』(1975) をリリースしてサウンドを研磨した後、1976年にリリースされた『脱獄(Jailbreak)』でバンドは頂点を迎える。シングルカットされた「ヤツらは町へ (The Boys Are Back in Town)」は全米チャートでもトップ20入りするヒットとなり、シン・リジィの名を世界的なものにした。この曲のツイン・ギター・ハーモニーは、後のアイアン・メイデン (Iron Maiden) やデフ・レパード (Def Leppard)など、数多くのバンドに影響を与えた。
2.4 栄光と混乱: 怪我、脱退、そして伝説のライブ (1977-1979)
バンド内の亀裂と『悪名 (Bad Reputation)』
『脱獄』の成功によりアメリカツアーが組まれたが、ライノットが肝炎を患いツアーはキャンセルとなった。さらにその後、ブライアン・ロバートソンが酒場での喧嘩で手を負傷し、演奏不能となる事態が発生した。ライノットはロバートソン抜きでの活動を決意し、彼をゲスト扱いとした上で、実質的にライノット、ゴーハム、ダウニーのトリオ編成+ゲストとして1977年のアルバム『悪名 (Bad Reputation)』を制作した。プロデューサーのトニー・ヴィスコンティ (Tony Visconti) の手腕もあり、このアルバムはタイトで完成度の高い作品となった。
『ライヴ・アンド・デンジャラス (Live and Dangerous)』
1978年、バンドはライブアルバム『ライヴ・アンド・デンジャラス (Live and Dangerous)』を発表する。ロンドンのハマースミス・オデオン (Hammersmith Odeon) などでの録音を含むこの作品は、ロック史上最高のライブアルバムの一つと称賛されている。後年、プロデューサーのヴィスコンティによって「75%はスタジオでのオーバーダビングである」と明かされたが、それでもなお、このアルバムが捉えたバンドのエネルギーと魔法は揺るぎないものである。この時期にロバートソンは正式に脱退し、ワイルド・ホース (Wild Horses) を結成する。
ゲイリー・ムーアの復帰と『ブラック・ローズ』
ロバートソンの後任として正式に迎えられたのは、かつての盟友ゲイリー・ムーアであった。彼を迎えて制作された1979年の『ブラック・ローズ (Black Rose: A Rock Legend)』は、アイルランドの伝統とハードロックが融合した最高傑作の一つである。特にラストを飾る組曲「Róisín Dubh (Black Rose): A Rock Legend」では、ダニー・ボーイ (Danny Boy) などのトラッド曲を引用しながら、驚異的なツイン・ギターが展開される。しかし、ムーアもまた、薬物問題やツアー生活の疲弊により、アルバム発表後のツアー中にバンドを脱退した。
2.5 後期: ヘヴィメタルへの接近と終焉 (1980-1983)
スノーウィ・ホワイトとミッジ・ユーロ
ムーア脱退後、ウルトラヴォックス (Ultravox) のミッジ・ユーロ (Midge Ure) が一時的に参加し、日本のツアーではデイヴ・フレット (Dave Flett) を加えた編成も試みられた。その後、ピンク・フロイド (Pink Floyd) のサポートなどで知られるスノーウィ・ホワイト (Snowy White) と、キーボードのダレン・ウォートン (Darren Wharton) が加入する。『チャイナタウン (Chinatown)』(1980) と『反逆者 (Renegade)』(1981)は、よりメロディアスでポップな側面を見せたが、初期の荒々しさは後退し、セールスも徐々に下降した。
ジョン・サイクスと『サンダー・アンド・ライトニング』
1982年、よりアグレッシブなサウンドを求めたライノットは、タイガース・オブ・パン・タン (Tygers of Pan Tang) のギタリスト、ジョン・サイクス (John Sykes) を抜擢する。NWOBHM (New Wave of British Heavy Metal) の影響を受けたサイクスの加入により、バンドは劇的にヘヴィメタル化し、ラストアルバム『サンダー・アンド・ライトニング (Thunder and Lightning)』(1983)を完成させた。このアルバムは、「コールド・スウェット (Cold Sweat)」やタイトル曲に見られるように、高速なリフとテクニカルなソロが満載され、バンドに最後にして最大の活力を与えた。
フェアウェル・ツアーと解散
1983年、バンドは解散を発表し、世界規模のフェアウェル・ツアー(さよならツアー)を行った。このツアーには歴代のギタリストたちもゲスト参加し、有終の美を飾った。1983年8月28日のレディング・フェスティバル (Reading Festival) が最後のUK公演となり、9月4日のドイツ・ニュルンベルクでの「モンスターズ・オブ・ロック」がシン・リジィとしてのラストライブとなった。
2.6 フィル・ライノットの死 (1986)
解散後、ライノットは「グランド・スラム (Grand Slam)」を結成したが、メジャー契約を得られず活動は停滞した。長年の薬物乱用が彼の体を蝕んでおり、1985年のクリスマスに自宅で倒れ、1986年1月4日、敗血症による肺炎と心不全のため36歳の若さで死去した。
2.7 再結成、トリビュート、そしてブラック・スター・ライダーズへ (1994-現在)
ジョン・サイクス時代の再結成(1996-2009)
1994年以降、ジョン・サイクスがボーカルとギターを兼任する形でバンドは再結成された。スコット・ゴーハム、ブライアン・ダウニー、ダレン・ウォートン、マルコ・メンドーサ (Marco Mendoza)、トミー・アルドリッジ (Tommy Aldridge) らが参加し、ライノットへのトリビュートとして世界ツアーを行った。特に日本では根強い人気を誇り、1994年と1998年の来日公演はライブ盤(ブートレグ含む)としても記録されている。
ブラック・スター・ライダーズへの進化 (2012)
2010年、リッキー・ワーウィック (Ricky Warwick) をボーカルに迎えた新ラインナップが始動。新作のレコーディングが計画されたが、ライノット不在のまま「シン・リジィ」の名義でアルバムを出すことへの抵抗感から、2012年にバンド名を「ブラック・スター・ライダーズ (Black Star Riders)」に変更することを決断した。スコット・ゴーハムは「これはフィルへの敬意と、過去ではなく未来を見るための決断だった」と語っている。彼らは現在もシン・リジィのDNAを受け継ぐバンドとして活動を続けている。
3. ディスコグラフィ (Discography)
シン・リジィの作品群は、初期の実験的なフォーク・ロック、中期の完成されたハードロック、そして後期のヘヴィメタルへと変遷している。以下に詳細なリストを示す。
3.1 スタジオ・アルバム (Studio Albums)
| 発表年 | 原題 (Original Title) | 邦題 (Japanese Title) | レーベル | チャート (UK) | 備考 (Notes) |
|---|---|---|---|---|---|
| 1971 | THIN LIZZY | シン・リジィ | Decca | - | デビュー作。3人編成。アイルランドの風景描写が色濃い。 |
| 1972 | Shades of a Blue Orphanage | ブルー・オーファン | Decca | - | フォーク、ファンク、サイケデリックが混在する過渡期の作品。 |
| 1973 | Vagabonds of the Western World | 西洋無頼 | Decca | - | エリック・ベル在籍最後。「The Rocker」収録。 |
| 1974 | Nightlife | ナイト・ライフ | Vertigo | - | ゴーハム&ロバートソン加入。メロウでソウルフルな作風。 |
| 1975 | Fighting | ファイティング | Vertigo | 60 | ツイン・ギターのスタイルが確立。「Rosalie」収録。 |
| 1976 | Jailbreak | 脱獄 | Vertigo | 10 | 世界的ヒット作。「The Boys Are Back in Town」収録。 |
| 1976 | Johnny the Fox | サギ師ジョニー | Vertigo | 11 | コンセプトアルバム的色彩。「Don't Believe a Word」収録。 |
| 1977 | Bad Reputation | 悪名 | Vertigo | 4 | トリオ編成+ゲストで制作。タイトなハードロック。 |
| 1979 | Black Rose: A Rock Legend | ブラック・ローズ | Vertigo | 2 | ゲイリー・ムーア参加。アイリッシュ・ロックの最高峰。 |
| 1980 | Chinatown | チャイナタウン | Vertigo | 7 | スノーウィ・ホワイト加入。「Killer on the Loose」収録。 |
| 1981 | Renegade | 反逆者 | Vertigo | 38 | キーボードの比重が増加。「Hollywood」収録。 |
| 1983 | Thunder and Lightning | サンダー・アンド・ライトニング | Vertigo | 4 | ジョン・サイクス加入。ヘヴィメタル・サウンドへの転換。 |
3.2 ライブ・アルバム (Live Albums)
| 発表年 | 原題 | 邦題 | 内容詳細 |
|---|---|---|---|
| 1978 | Live and Dangerous | ライヴ・アンド・デンジャラス | 1976-1977年のツアーを収録。オーバーダビング論争はあるものの、ロック史に残る名盤とされる。 |
| 1983 | Life | ライフ | 1983年のフェアウェル・ツアーを収録。歴代ギタリストがゲスト参加。 |
| 1992 | BBC Radio One Live in Concert | BBC ライヴ・イン・コンサート | 1983年レディング・フェスティバルでのラストUK公演を収録。 |
| 2000 | One Night Only | ワン・ナイト・オンリー | ジョン・サイクス、スコット・ゴーハムらによる再結成バンドのライブ。 |
| 2009 | Still Dangerous | スティル・デンジャラス | 1977年フィラデルフィア公演のサウンドボード音源。『Live and Dangerous』の未編集版とも言える。 |
| 2011 | Live at the BBC | ライヴ・アット・ザ・BBC | BBCに残された膨大なセッション音源とライブ音源を集成したボックスセット。 |
3.3 日本独自企画・編集盤 (Japanese Exclusive & Compilations)
日本市場はシン・リジィにとって特別な場所であり、独自の編集盤や仕様が存在する。
- The Japanese Compilation Album (1980): 1980年の来日を記念して制作されたプロモーション用LP。白ラベルで、帯(Obi)が付いた完全な状態のものは極めて稀少である。「Wild One」「Jailbreak」などの代表曲が収録されている。
- The Best of THIN LIZZY (各社): 日本では何度もベスト盤が再発されており、解説書や帯のデザインが時代によって異なるため、コレクターの収集対象となっている。
- 紙ジャケット仕様 (Mini LP CD): 2000年代以降、ユニバーサルミュージック・ジャパンなどからリリースされた紙ジャケット再発盤は、オリジナルのLPアートワークを忠実に再現しており、世界的な評価が高い。
3.4 映像作品 (Videography)
- Live and Dangerous (VHS/DVD): 1978年のレインボー・シアター公演を収録。
- The Boys Are Back in Town (DVD): 1978年のシドニー・オペラハウス前での野外ライブを収録。
4. メンバー詳細と役割 (Detailed Personnel)
シン・リジィのサウンドは、フィル・ライノットという核を中心に、参加ミュージシャンたちの個性が化学反応を起こすことで成立していた。
オリジナル・メンバー
- フィル・ライノット (Phil Lynott)
- 在籍: 1969-1983
- 役割: バンドの絶対的なリーダー。アイルランドの歴史や神話、労働者階級の現実、そして自身の孤独を歌詞に投影した。ベーシストとしては、メロディラインを重視したドライビングなプレイが特徴。
- ブライアン・ダウニー (Brian Downey)
- 在籍: 1969-1983, 1996-1998, 2010-2013
- 役割: ジャズの影響を受けたスウィング感のあるドラミング (シャッフルビート) は、シン・リジィのグルーヴの根幹であった。ライノットとは幼馴染であり、彼を最後まで支え続けた。
- エリック・ベル (Eric Bell) [Guitar]
- 在籍: 1969-1973
- 役割: 初期のフォーク/サイケデリック・サウンドを形成。「Whiskey in the Jar」のイントロ・リフは彼の最大の功績の一つ。
黄金期のギタリスト (ツイン・リード時代)
- スコット・ゴーハム (Scott Gorham) [Guitar]
- 在籍: 1974-1983, 1996-現在
- 役割: アメリカ的な明るさとメロディセンスを持ち込む。スムーズなフレージングと完璧なハーモニー構築能力により、バンドのサウンドを世界レベルに引き上げた。解散後もバンドのレガシーを守り続けている。
- ブライアン・ロバートソン (Brian Robertson) [Guitar]
- 在籍: 1974-1978
- 役割: 攻撃的でテクニカルなプレイ、ワウペダルの多用が特徴。ゴーハムとの対比がバンドに緊張感とダイナミズムを生んだ。
- ゲイリー・ムーア (Gary Moore) [Guitar]
- 在籍: 1974, 1977, 1978-1979
- 役割: ライノットの長年の盟友。「泣き」のギターと超絶技巧で、『Black Rose』においてアイルランド魂を爆発させた。彼の参加期間は短かったが、その影響力は絶大である。
後期のメンバー
- スノーウィ・ホワイト (Snowy White) [Guitar]: 1980-1982。ブルース・フィーリング溢れる堅実なプレイ。
- ジョン・サイクス (John Sykes) [Guitar]: 1982-1983。NWOBHM世代のスピードとアグレッシブさを持ち込み、バンドをヘヴィメタルへと進化させた。彼のギター・トーンとピッキング・ハーモニクスは、後のザック・ワイルド (Zakk Wylde) 等に影響を与えた。
- ダレン・ウォートン (Darren Wharton) [Keyboards]: 1980-1983。サウンドに厚みを加え、後期の楽曲制作にも貢献した。
5. 楽曲と歌詞の深層分析: なぜTHIN LIZZYは特別なのか
5.1 「ツイン・リード」の構造的革新
シン・リジィ以前にもウィッシュボーン・アッシュ (Wishbone Ash) 等がツイン・ギターを導入していたが、シン・リジィのそれは「歌うようなハーモニー」として特化していた。スコット・ゴーハムは、「フィルのボーカル・フック (サビ) の後に、ギターによる第二のフックを作る」ことを意識していたと語る。例えば「The Boys Are Back in Town」の間奏部やエンディングにおけるハーモニーは、単なる伴奏ではなく、楽曲の主役となるメロディを持っている。この「ギターで歌う」スタイルは、言葉の壁を超えて世界中の聴衆に訴えかけた。
5.2 アイルランドのアイデンティティ (Irishness)
ライノットは、アイルランド人であることの誇りと葛藤を隠さなかった。「Emerald」ではアイルランドの戦士たちの闘争を描き、「Black Rose」ではアイルランド神話の英雄クーフーリン (Cú Chulainn) や、詩人ウィリアム・バトラー・イェイツ (W.B. Yeats) に言及している。ハードロックというフォーマットに、アイルランドのジグ (Jig) やリール (Reel) といった伝統音楽のリズムと旋律を融合させた手法は、ケルティック・ロック (Celtic Rock) の先駆けとなった。
5.3 詩人としてのフィル・ライノット
ライノットの歌詞は、ロマンチシズムとリアリズムが同居している。「Jailbreak」のようなSF的な逃走劇を描く一方で、「Sarah」のような娘への無垢な愛情、あるいは「Got to Give It Up」のような自身の薬物依存に対する悲痛な叫びも描いた。彼の描くキャラクターたち(「サギ師ジョニー (Johnny the Fox)」や「ジミー・ザ・ウィード (Jimmy the Weed)」)は、マンチェスターのギャング団「クオリティ・ストリート・ギャング (Quality Street Gang)」がモデルとされているが、ライノットは彼らを単なる悪党としてではなく、人間味あふれる存在として描いた。
6. 日本との絆
伝説の来日公演
- 1979年: 『Black Rose』リリース後のツアー。ゲイリー・ムーアが直前に脱退し、ミッジ・ユーロが代役として来日するという波乱があったが、日本のファンは温かく迎えた。
- 1983年: 解散直前の5月に行われたファイナル・ツアー。ジョン・サイクスを含むラインナップで、中野サンプラザ等で演奏。サイクスの若きエネルギーとライノットの円熟したパフォーマンスが融合し、伝説的なライブとなった。
ジョン・サイクス時代の日本
1994年の「A Tribute to Phil Lynott」ツアーでは、ジョン・サイクス、スコット・ゴーハム、ブライアン・ダウニーらが来日。この時の音源はブートレグ等で広く流通しており、サイクスが「Please Don't Leave Me」などの自身のソロ曲も交えつつ、ライノットの魂を継承しようとした姿が記録されている。1998年、2004年にも来日しており、日本市場が彼らの活動継続の支えとなっていたことは間違いない。
邦題と日本盤の魅力
日本盤LPの帯 (Obi) や、ライナーノーツ (解説文) は、作品への理解を深める重要な要素であった。特に『サギ師ジョニー (Johnny the Fox)』や『悪名 (Bad Reputation)』といった邦題は、原題のニュアンスを汲み取りつつ、日本のファンに親しみやすいイメージを与えた。現在、これらの日本初回盤は世界中のコレクターから高額で取引されている。
7. 永遠に「町に帰ってくる」男たち
シン・リジィの歴史は、栄光と悲劇の繰り返しであった。しかし、フィル・ライノットが遺した楽曲群は、時代を超えて輝きを失っていない。メタリカ (Metallica)、ボン・ジョヴィ (Bon Jovi)、U2、そしてブラック・スター・ライダーズ (Black Star Riders) といった後続のバンドたちが、THIN LIZZY ofの音楽を継承し、語り継いでいる。
ブラック・スター・ライダーズのリッキー・ワーウィックはこう語っている。「我々は過去を振り返るためだけにここにいるのではない。しかし、シン・リジィの魂は我々のDNAの中にあり、それは永遠に消えることはない」。
フィル・ライノットの銅像がダブリンのグラフトン通り (Grafton Street) 近くに立っているように、シン・リジィの音楽はロックの歴史というストリートに永遠に立ち続けている。彼らはいつでも、レコードに針を落とせば、「町に帰ってくる (The Boys Are Back in Town)」のである。
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