1. サンセット・ストリップの生態系とRATTの位置づけ
1980年代の米国音楽産業、とりわけ西海岸のロサンゼルス (Los Angeles)において、ロックンロールはかつてないほどの商業的変貌を遂げた。ハリウッド(Hollywood) のサンセット・ストリップ(Sunset Strip) を中心とした「グラム・メタル (Glam Metal)」または「ヘア・メタル (Hair Metal)」と呼ばれるムーブメントは、派手なヴィジュアル、享楽的な歌詞、そしてMTVという新しいメディアを巧みに利用したマーケティング戦略によって、世界的な現象となった。この狂乱の時代の中心にいたのが、RATT (ラット)である。
RATTはモトリー・クルー (Mötley Crüe) と共にこのシーンの先駆者として認識されているが、その音楽性は単なる流行の産物ではなかった。スティーヴン・パーシー (Stephen Pearcy)の独特な歌唱法、ウォーレン・デ・マルティーニ (Warren DeMartini)とロビン・クロスビー (Robbin Crosby) による高度なギター・アンサンブル、そして「ラット・ン・ロール (Ratt N' Roll)」と自称する独自のグルーヴは、エアロスミス (Aerosmith) やヴァン・ヘイレン(Van Halen) の系譜を受け継ぎつつ、より鋭角的でダンサブルなハードロックを提示した。
2. 創世記:ミッキー・ラット (Mickey Ratt) とサンディエゴ (San Diego)の地下水脈(1973-1981)
2.1 サンディエゴ・シーンと初期の野心
RATTの歴史は、リーダーであるスティーヴン・パーシー (Stephen Pearcy) の個人的な野心から始まる。1970年代初頭、カリフォルニア州ロングビーチ (Long Beach, California)出身のパーシーは、交通事故で両足を骨折するという重傷を負い、長い入院生活を余儀なくされた。この期間に彼はギターを手にし、音楽への没頭を深めたと言われている。当初、彼は「Firedome (ファイアドーム)」や「Crystal Pystal (クリスタル・ピスタル)」といったバンド名で活動していたが、1976年、拠点をサンディエゴ (San Diego) に移すと共に、バンド名を「Mickey Ratt (ミッキー・ラット)」と改めた。
この奇妙な名前は、当時アンダーグラウンド・コミックとして知られていた卑猥なパロディ・キャラクター 「Mickey Rat」 に由来しているとの説があるが、パーシー自身は「Mickey Mouse (ミッキー・マウス)」への皮肉とロック的な響きを掛け合わせたものとしている。サンディエゴ時代の初期メンバーには、ギタリストのクリス・ヘイガー (Chris Hager)、ベーシストのマット・ソー (Matt Thorr)、ドラマーのジョン・ターナー (John Turner) らが名を連ねていた。彼らは地元のクラブやガレージ・パーティーで演奏し、エアロスミスやレッド・ツェッペリン (Led Zeppelin) のカヴァーと共に、徐々にオリジナル楽曲を練り上げていった。
2.2 ロサンゼルス (Los Angeles) への移住とジェイク・E・リー(Jake E. Lee) の存在
サンディエゴでの活動に限界を感じたパーシーは、音楽産業の中心地であるロサンゼルスへの進出を決意する。1980年、バンドは活動拠点をハリウッドに移した。この時期のMickey Rattはメンバーの出入りが激しい流動的な状態にあったが、特筆すべきはギタリストとしてジェイク・E・リー (Jake E. Lee) が在籍していたことである。後にオジー・オズボーン(Ozzy Osbourne) のバンドで世界的名声を得るリーのテクニカルなプレイは、初期のRATTのサウンド形成に大きな影響を与えた。
彼らは、サンセット・ストリップの象徴的なライブハウスであるウィスキー・ア・ゴーゴー(Whisky a Go Go)、ザ・ロキシー (The Roxy)、ギャザリーズ (Gazzarri's) などで演奏活動を行った。当時のLAシーンは、ヴァン・ヘイレンの成功以降、次なるギター・ヒーローを擁するバンドを求めており、Mickey Rattもその候補の一つとして注目され始めていた。この時期に録音されたデモ音源、例えばシングル 「Dr. Rock」などは、後のコンピレーション・アルバム『The Garage Tape Dayz 78-81』などで確認することができ、すでにRATT特有のリフ主体の楽曲構成の萌芽が見て取れる。
3. クラシック・ラインナップの結成と 『Ratt EP』(1981-1983)
3.1 運命の交差点: ウォーレン・デ・マルティーニ (Warren DeMartini) の加入
1981年、バンド名を短縮して「RATT (ラット)」 とした彼らにとって、最大の転機が訪れる。ジェイク・E・リーがラフ・カット (Rough Cutt) やディオ (Dio) への参加を模索して脱退した後、パーシーはサンディエゴ時代の知人を通じて、当時まだ18歳だったウォーレン・デ・マルティーニ (Warren DeMartini)を発掘した。デ・マルティーニは当時、大学進学のためにロサンゼルスに来ており、皮肉にもジェイク・E・リーのアパートに居候していた。彼はリーから直接ギターの手ほどきを受けており、そのスタイルを継承しつつも、よりブルージーで流麗な独自の奏法を確立しつつあった。デ・マルティーニの加入により、RATTは「華」と「技術」の両方を手に入れたことになる。
3.2 リズム隊の強化とロビン・クロスビー (Robbin Crosby) の役割
デ・マルティーニに加え、もう一人のギタリストとしてロビン・クロスビー (Robbin Crosby) がバンドの中核を担っていた。身長190cmを超える巨漢のクロスビーは、視覚的なインパクトだけでなく、ソングライティングにおいても重要な役割を果たした。彼の堅実なバッキングとメロディックなセンスは、デ・マルティーニの自由奔放なリード・プレイを支える土台となった。
さらに、リズム隊の再編が行われた。1982年、ドッケン (Dokken) に在籍していたベーシストのフアン・クルーシェ (Juan Croucier) が引き抜かれる形で加入。クルーシェは優れたソングライターであり、かつコーラス・ワークにおいても重要な貢献を果たした。同時期に、ヴィック・ヴァーガ (Vic Vergeat) などで活動していたドラマー、ボビー・ブロッツァー (Bobby Blotzer)が加入。彼の重くグルーヴィーなドラミングは、RATTの音楽にダンサブルな要素をもたらした。
こうして、スティーヴン・パーシー (Vo)、ウォーレン・デ・マルティーニ(G)、ロビン・クロスビー(G)、ファン・クルーシェ (B)、ボビー・ブロッツァー (Dr) という、黄金の「クラシック・ラインナップ」が完成した。
3.3 インディーズ・デビューと『Ratt EP』
1983年、RATTは地元のインディペンデント・レーベル「Time Coast Records (タイム・コースト・レコード)」と契約し、デビューEP『Ratt EP』をリリースした。この作品には初期の代表曲「You Think You're Tough」や、エアロスミスのカヴァー「Walkin' the Dog」が収録されていた。「You Think You're Tough」は、地元の有力ラジオ局KMETで頻繁にオンエアされ、リスナーからのリクエストが殺到した。この局地的な熱狂はメジャー・レーベルの争奪戦を引き起こした。最終的に、アトランティック・レコード (Atlantic Records) の社長ダグ・モリス (Doug Morris) がビバリー・シアター (Beverly Theater) でのライブを視察し、その場で契約を即決したと伝えられている。
4. 黄金時代:MTVとアリーナ・ロックの覇者 (1984-1986)
4.1 『情欲の炎(Out of the Cellar)』の衝撃(1984)
1984年2月、メジャー・デビュー・フルアルバム 『アウト・オブ・ザ・セラー (Out of the Cellar)』(邦題: 情欲の炎) がリリースされた。プロデュースには、その後「LAメタル・サウンドの建築家」と呼ばれることになるボー・ヒル (Beau Hill) が起用された。ヒルのプロダクションは、ドラムのゲート・リバーブを強調し、ギター・サウンドを鋭利に研ぎ澄ませ、パーシーの声をミックスの前面に押し出すことで、ラジオ・フレンドリーかつ攻撃的なサウンドを実現した。
「Round and Round」の社会的現象
アルバムからの1stシングル「ラウンド・アンド・ラウンド (Round and Round)」は、ビルボード・ホット100 (Billboard Hot 100) で最高12位を記録し、バンドを象徴するアンセムとなった。この曲の成功の背後には、MTVでのミュージック・ビデオ (MV) の大量オンエアがあった。MVには、当時のマネージャー、マーシャル・バール (Marshall Berle) の叔父である伝説的コメディアン、ミルトン・バール (Milton Berle) が女装して出演し、屋根裏部屋で演奏するバンドの騒音に悩まされる老婦人と執事の二役を演じた。このコミカルで豪華な映像は、RATTの「危険だがユーモアもある」イメージを決定づけた。アルバム・ジャケットには、当時ロビン・クロスビーの恋人であった女優タウニー・キテイン (Tawny Kitaen)が起用され、地下室から這い出る彼女の姿は、バンドの「地下からの脱出(Out of the Cellar)」というテーマを視覚化した。アルバムは全米だけで300万枚以上(トリプル・プラチナム)を売り上げ、RATTは瞬く間にアリーナ・クラスのヘッドライナーへと成長した。
4.2 『インヴェイジョン・オブ・ユア・プライヴァシー (Invasion of Your Privacy)』と確立されたスタイル (1985)
デビュー作の成功から間髪入れず、1985年には2ndアルバム『インヴェイジョン・オブ・ユア・プライヴァシー (Invasion of Your Privacy)』をリリース。前作同様ボー・ヒルがプロデュースを担当し、音楽性はよりタイトでミッド・テンポのグルーヴを強調したものとなった。シングル「レイ・イット・ダウン (Lay It Down)」 はビルボード40位にランクインし、その印象的なギター・リフは80年代を代表するものの一つとなった。アルバム・ジャケットには、プレイボーイ・モデルのマリアンヌ・グラヴァット (Marianne Gravatte)を起用。彼女は「Lay It Down」のMVにも出演し、バンドの「女性、車、ロックンロール」という享楽的な世界観を補強した。このアルバムは200万枚 (ダブル・プラチナム)を売り上げ、バンドの人気を不動のものとした。この時期、RATTはオジー・オズボーンやボン・ジョヴィ(Bon Jovi) らと共に大規模なツアーを行い、日本でも1985年、1986年と立て続けに来日公演を成功させている。
4.3 『ダンシング・アンダーカヴァー (Dancing Undercover)』 と硬質化 (1986)
3rdアルバム『ダンシング・アンダーカヴァー (Dancing Undercover)』では、バンドはよりストレートで装飾を削ぎ落としたサウンドへとシフトした。シングル「ダンス (Dance)」や「ボディ・トーク (Body Talk)」は、グラム・メタルの華やかさを残しつつも、スラッシュ・メタル (Thrash Metal) の台頭を意識したようなスピード感と攻撃性を含んでいた。特に「Body Talk」は映画『ゴールデン・チャイルド (The Golden Child)』 のサウンドトラックにも使用され、MTVで頻繁に流された。アルバムはプラチナム認定 (100万枚)を受けたものの、前2作に比べると爆発力には欠けた。しかし、ポイズン (Poison) やシンデレラ(Cinderella) といった後続バンドをオープニング・アクトに起用したツアーは盛況であり、RATTは依然としてシーンの頂点に君臨していた。
5. 転換期と衰退:商業的圧力と時代の変化(1988-1991)
5.1 『リーチ・フォー・ザ・スカイ (Reach for the Sky)』の苦悩(1988)
1988年の4thアルバム『リーチ・フォー・ザ・スカイ (Reach for the Sky)』の制作は難航した。バンドは当初、クイーン(Queen) やジャーニー (Journey) を手掛けたマイク・ストーン (Mike Stone) をプロデューサーに迎えたが、録音された音源のクオリティにレーベル側が難色を示し、急遽ボー・ヒルが呼び戻されて再構築が行われた。この混乱にもかかわらず、アルバムからは「ウェイ・クール・Jr (Way Cool Jr.)」 というバンドの新境地を示すヒット曲が生まれた。この曲は、それまでの直球ハードロックとは異なり、サザン・ロックやブルースの要素を取り入れたルーズなグルーヴが特徴であった。アルバムはプラチナムを獲得したが、バンド内の人間関係、特に薬物問題を抱えるロビン・クロスビーの状態悪化が徐々に影を落とし始めていた。
5.2 『ディトネイター (Detonator)』 とグランジ前夜 (1990)
1990年、5thアルバム 『ディトネイター (Detonator)』をリリース。バンドはソングライティングの強化を図るため、当時ヒットメーカーとして知られていたデズモンド・チャイルド(Desmond Child) やダイアン・ウォーレン (Diane Warren) を共作者に迎えた。また、ジョン・ボン・ジョヴィ (Jon Bon Jovi) がゲスト・ボーカルとして参加するなど話題作りも行われた。サウンドはより洗練され、プロダクションはクリアになったが、従来のRATTが持っていた「荒々しさ」や「危険な香り」は後退した。シングル 「ラヴィン・ユーズ・ア・ダーティ・ジョブ (Lovin' You's a Dirty Job)」 やパワー・バラード「ギヴィン・ユアセルフ・アウェイ (Givin' Yourself Away)」 は質の高い楽曲であったが、時代はすでにニルヴァーナ (Nirvana) やパール・ジャム (Pearl Jam) といったグランジ (Grunge) 勢の台頭前夜にあり、ヘア・メタルへの風当たりは強くなっていた。結果としてアルバムのセールスはゴールド (50万枚)にとどまり、これがアトランティック時代最後のスタジオ・アルバムとなった。
5.3 クラシック・ラインナップの崩壊
1991年、アルバムに伴うツアー終了後、ロビン・クロスビーがバンドを離脱した。表向きは様々な理由が語られたが、実態は彼の深刻なヘロイン中毒と、それに伴う演奏能力の低下、 Holden 金銭トラブルが原因であった。クロスビーの離脱は、バンドの「魂」の一部が欠落したことを意味し、翌1992年にはスティーヴン・パーシーも脱退を表明。RATTは事実上の解散状態へと追い込まれた。
6. 混迷の90年代とロビン・クロスビーの悲劇 (1992-2002)
6.1 ソロ・プロジェクトとオルタナティブへの接近
解散後、スティーヴン・パーシーは自身のバンド 「アーケイド (Arcade)」を結成した。元シンデレラのフレッド・コウリー (Fred Coury) らを迎えたこのバンドは、RATT時代よりもヘヴィでダークなサウンドを志向し、アルバム 『Arcade』 (1993) などをリリースしたが、大きな商業的成功は得られなかった。その後、パーシーはインダストリアル・メタルの要素を取り入れた「ヴァーテックス (Vertex)」 などのプロジェクトも展開し、時代の音に同調しようと試行錯誤を続けた。一方、ウォーレン・デ・マルティーニはホワイトスネイク(Whitesnake) のツアーに参加したり、ソロ作『Surf's Up!』を発表するなど、ギタリストとしての評価を維持し続けた。
6.2 再結成と『Ratt』 (1999)
1996年、コンピレーション・アルバム『コラージュ (Collage)』のリリースを機に、パーシー、デ・マルティーニ、ブロッツァーの3人が再集結した。ベーシストには、ヴィンス・ニール (Vince Neil) のバンドなどで活動していたロビー・クレイン (Robbie Crane)が加入した(クルーシェは不参加)。1999年にはセルフタイトルのアルバム 『Ratt』(通称: Ratt 1999) をリリース。コロンビア・レコード (Portrait) からのリリースとなったこの作品は、往年のスタイルとは異なり、ブルース・ロックや当時のモダン・ロックの影響を強く受けた内容であった。「Over the Edge」 などの楽曲が含まれていたが、ファンや批評家の反応は芳しくなく、商業的にも失敗に終わった。2000年には再びパーシーが脱退し、バンドはジジー・パール(Jizzy Pearl, Love/Hate) やジョン・コラビ (John Corabi, Mötley Crüe)をボーカルに迎えてツアーを継続するという、迷走期に入った。
6.3 ロビン・クロスビーの死 (2002)
2002年6月6日、かつてのギタリスト、ロビン・クロスビーがロサンゼルスの自宅で死去した。享年42歳。死因はエイズによる合併症であり、長年の薬物使用が背景にあった。彼は長年の薬物使用によりHIVに感染し、晩年はエイズ (AIDS) を発症して闘病生活を送っていた。かつて「キング」と呼ばれ、サンセット・ストリップで最も華やかな存在だった男の孤独で悲劇的な最期は、80年代メタルの狂乱の代償を象徴する出来事として、ファンや元メンバーに深い衝撃を与えた。
7. 復活と再度の分裂、そして泥沼の法廷闘争(2007-2020)
7.1 『インフェステーション (Infestation)』での奇跡的復活(2010)
2007年、スティーヴン・パーシーがバンドに復帰。2008年には元クワイエット・ライオット(Quiet Riot)のカルロス・カヴァーゾ (Carlos Cavazo) がギタリストとして加入した。そして2010年、ロードランナー・レコード (Roadrunner Records) から11年ぶりとなるスタジオ・アルバム『インフェステーション (Infestation)』をリリースした。このアルバムは、プロデューサーにマイケル・“エルヴィス”・バスケット (Michael "Elvis" Baskette)を迎え、80年代のRATTサウンドを現代的な音圧で蘇らせた傑作と評された。シングル「ベスト・オブ・ミー(Best of Me)」や「イート・ミー・アップ・アライヴ (Eat Me Up Alive)」は往年のファンを歓喜させ、ビルボード・チャートでも30位にランクインした。2012年にはオリジナル・ベーシストのフアン・クルーシェも復帰し、完全復活への期待が高まった。
7.2 「二つのRATT」 と商標権争い (2015-2018)
しかし、2014年にパーシーが再び脱退を示唆すると、バンド内の権力闘争が表面化した。ドラマーのボビー・ブロッツァーは、自身が代表を務める管理会社「WBS, Inc. (Warren, Bobby, Stephenの頭文字)」がRATTの商標権を独占的に保有していると主張。2015年、ブロッツァーは他のオリジナル・メンバーを排除し、雇われミュージシャンを集めた自身のバンドを「RATT」と名乗ってツアーを開始した。
これに対し、パーシー、デ・マルティーニ、クルーシェの3人は結束し、ブロッツァーを相手取って訴訟を起こした。争点は「1997年のWBS設立時に、パートナーシップ契約 (1985年締結)からクルーシェを排除した手続きが有効だったか」という点であった。2016年、裁判所は「クルーシェの排除は全パートナーの同意を得ておらず無効」との判決を下し、RATTの商標権は依然として4人のパートナーシップ (パーシー、デ・マルティーニ、クルーシェ、ブロッツァー)に帰属すると認定した。さらに、ブロッツァーによる独断での「RATT」名義使用は権利侵害にあたるとされ、彼はバンド名を使用する権利を失った(「元RATTのドラマー」と名乗ることは許される)。この判決により、パーシーらが「正統なRATT」としての地位を回復した。
7.3 ウォーレン・デ・マルティーニの解雇と活動休止 (2018-2022)
法的勝利の後、バンドは順調に活動を再開するかと思われたが、2018年にウォーレン・デ・マルティーニがバンドを去った。報道によれば、デ・マルティーニはブロッツァーを排除した形での活動継続に消極的であったり、ビジネス面での不一致があったとされる。
パーシーとクルーシェを中心とした新体制 (ジョーダン・ジフ、クリス・サンダースらが参加)でツアーを行ったが、コロナ禍の影響もあり、2022年以降バンドは活動休止状態(Hiatus) となった。
8.現在:2025年の再結成と展望
2025年1月、スティーヴン・パーシーとウォーレン・デ・マルティーニの長年にわたる確執が解消され、デュオとして活動を再開することが発表された。彼らは2025年5月に開催される「M3 Rock Festival」 にヘッドライナーとして出演する予定である。ただし、今回の再結成は「RATT」名義ではなく、「Pearcy & DeMartini」 としてクレジットされている。これは、彼らが「ロビン・クロスビー不在のバンドは完全なRATTではない」という認識を持っていること、あるいは依然として残る権利関係の複雑さを回避するためと推測される。彼らのバックバンドには、カルロス・カヴァーゾ (G)、マット・ソー(B)、ブラス・エリアス(Dr, ex-Slaughter)が参加する。パーシーはインタビューで、「これはRATTのレガシー(遺産)を祝うためのものであり、新しい音楽の可能性も排除しない」と語っており、ファンにとっては待望の雪解けとなっている。
9. ディスコグラフィー (Discography)
ここでは主要なスタジオ・アルバムと、日本市場における特筆すべきリリースを網羅する。
9.1 スタジオ・アルバム (Studio Albums)
| 発売年 | タイトル(邦題/原題) | 米国チャート | RIAA認定 | 概要と日本盤の特徴 |
|---|---|---|---|---|
| 1983 | Ratt EP | - | Platinum | インディーズ盤。「You Think You're Tough」収録。 |
| 1984 | Out of the Cellar (情欲の炎/アウト・オブ・ザ・セラー) |
7位 | 3× Platinum | 全米300万枚。代表曲「Round and Round」収録。日本盤(P-11472)は帯・解説付で人気。 |
| 1985 | Invasion of Your Privacy (インヴェイジョン・オブ・ユア・プライヴァシー) |
7位 | 2× Platinum | 全米200万枚。「Lay It Down」収録。日本盤(P-13143)あり。 |
| 1986 | Dancing Undercover (ダンシング・アンダーカヴァー) |
26位 | Platinum | よりハードな路線。「Dance」収録。日本盤(P-13388)発売。 |
| 1988 | Reach for the Sky (リーチ・フォー・ザ・スカイ) |
17位 | Platinum | 「Way Cool Jr.」収録。日本盤(23P1-2165)発売。 |
| 1990 | Detonator (ディトネイター) |
23位 | Gold | ジョン・ボン・ジョヴィ参加。日本盤(AMCY-122)にはボーナス要素がある場合も。 |
| 1999 | Ratt (ラット) |
169位 | - | ブルース/グランジ寄りのサウンド。日本盤(PHCR-89) にはボーナストラック収録。 |
| 2010 | Infestation (インフェステーション) |
30位 | - | 原点回帰の快作。日本盤(RRCY-21364) には 「Scatter」 などのボーナス曲収録。 |
9.2 コンピレーション&レア・トラックス
- Ratt & Roll 81-91 (1991): アトランティック時代のベスト盤。
- Collage (1997): 日本先行発売(VICP-60050)。B面曲、未発表曲、ミッキー・ラット時代の再録音源(「Steel River」 「Dr. Rock」など) を含むファン必携のアルバム。
- Tell the World: The Very Best of Ratt (2007): ライノ・レコード (Rhino) からの決定版ベスト。
9.3 日本盤シングル (Japanese Singles)
日本のシングル盤は独自のアートワークやカップリングが多く、コレクター市場で高値で取引されている。
| タイトル(邦題/原題) | 発売年 | 規格番号 | 備考 |
|---|---|---|---|
| Round and Round (ラウンド・アンド・ラウンド) |
1984 | P-1859 | B面: The Morning After。バンド最大のヒット。 |
| Wanted Man (ウォンテッド・マン) |
1984 | P-1909 | 西部劇テーマの楽曲。 |
| Lay It Down (レイ・イット・ダウン) |
1985 | P-1989 | 印象的なリフ。MVにはマリアンヌ・グラヴァット出演。 |
| You're In Love (ユア・イン・ラヴ) |
1985 | P-2015 | ライブの定番曲。 |
| What You Give Is What You Get (ホワット・ユー・ギヴ) |
1986 | P-13143 等 | 日本独自のカットやプロモ盤が存在。 |
| Dance (ダンス) |
1986 | P-2177 | - |
| Body Talk (ボディ・トーク) |
1987 | P-2216 | 映画『ゴールデン・チャイルド』挿入歌 |
| Way Cool Jr. (ウェイ・クール・Jr) |
1988 | 07P7-6026 | ブルース色の強い楽曲。 |
| Lovin' You's a Dirty Job (ダーティ・ジョブ) |
1990 | AMDY-5027 | 日本盤短冊CDシングルが存在。 |
| Shame Shame Shame (シェイム・シェイム・シェイム) |
1990 | - | - |
| Givin' Yourself Away (ギヴィン・ユアセルフ・アウェイ) |
1991 | - | バラード曲。 |
10. 日本との絆: ツアーの記録 (Japan Tour History)
RATTは日本において、「LAメタルの象徴」として絶大な人気を誇った。
- 1985年: World Infestation Tour
- 初の来日公演。東京、大阪、名古屋などをサーキット。空港には数千人のファンが押し寄せたと言われる。
- 1986年: Invasion of Your Privacy Tour
- 4月に行われたツアー。横浜文化体育館(4月23日)での公演はブートレグ等で伝説化している。セットリストには初期のレア曲も含まれていた。
- 1987年: Dancing Undercover Tour
- バンドの脂が乗り切っていた時期のツアー。日本武道館公演を含む。
- 1989年: Reach for the Sky Tour
- 1月開催。東京ドームで行われたイベント 「New Year's Eve Special」などにも出演し、日本のスタジアム級の人気を証明した。
- 1991年: Detonator Tour
- 2月に開催。大宮ソニックシティ、渋谷公会堂、横浜文化体育館、中野サンプラザ、大阪フェスティバルホールなどで公演。これがロビン・クロスビーを含むオリジナル・ラインナップでの最後の日本ツアーとなった。
- 2010年: LOUD PARK 10
- 『Infestation』 リリース後の来日。さいたまスーパーアリーナでのフェスティバル出演で、往年の名曲を披露し健在ぶりをアピールした。
11. RATTの遺産
RATTの歴史は、ロックンロールの栄光と悲劇の縮図である。RATTは「Round and Round」一曲で世界を変えたが、その後のキャリアは内紛と訴訟によって傷つけられた。しかし、ウォーレン・デ・マルティーニの革新的なギター・プレイ、スティーヴン・パーシーの唯一無二の声、転換期ロビン・クロスビーが築いたサウンドの骨格は、80年代という時代を超えて評価されるべき音楽的遺産である。2025年のパーシーとデ・マルティーニの再会は、RATTの物語がまだ終わっていないことを示唆している。RATTは、その名の通りしぶとく、決して消え去ることのないロックの生命力を体現し続けている。