DAVID LEE ROTH
元VAN HALENのシンガー、DAVID LEE ROTH(デイヴィッド・リー・ロス)のバイオグラフィとディスコグラフィー。1985年のEP『Crazy from the Heat』から2003年の『Diamond Dave』までのソロ8作を、収録曲、CD情報、ライナーノーツ、公式映像、来日公演の記録とともに掲載。
Biography
DAVID LEE ROTH
バイオグラフィー
DAVID LEE ROTH(デイヴィッド・リー・ロス)は、1954年10月10日にインディアナ州ブルーミントンで生まれたアメリカの歌手である。1974年から1985年までVAN HALENの歌い手を務め、1996年に一時バンドに戻ったのち、2007年からは2020年まで再びその座にあった。ソロでは、1985年のEP『Crazy from the Heat』に続いて、1986年に『Eat 'Em and Smile』とそのスペイン語版『Sonrisa Salvaje』、1988年に『Skyscraper』、1991年に『A Little Ain't Enough』、1994年に『Your Filthy Little Mouth』を出し、1997年のベスト盤『The Best』をはさんで、1998年に『DLR Band』、2003年に『Diamond Dave』を発表した。Billboard 200での最高位は『Eat 'Em and Smile』の4位で、シングルでは「California Girls」がBillboard Hot 100の3位に入っている。2021年に引退を表明したが、2025年にステージに戻り、2026年にも北米を回った。
生い立ち(1954〜1973年)
デイヴィッド・リー・ロスは1954年10月10日、インディアナ州ブルーミントンで、眼科医の息子として生まれた(Biography.com)。ロス自身は、祖父母が1917年にヨーロッパから渡ってきてインディアナ州ニューキャッスルで雑貨店を営んでいたこと、父がインディアナ大学に通い、のちに医師になったことを語っている(ガーディアン紙、2012年)。
幼いころのロスは、インディアナの田舎で過ごす日々と、ニューヨークのグリニッジ・ヴィレッジでナイトクラブCafé Wha?を営む叔父マニー・ロスのもとで過ごす日々を行き来していた。1960年代の初めには店の上の部屋に暮らし、ボブ・ディランやLenny Bruceらのステージに触れたという(公式サイト、2005年/ガーディアン紙、2012年)。武術には12歳のころから打ち込んでいる(公式サイト、2005年)。
10代でカリフォルニア州パサデナに移ったロスは、パサデナ・シティ・カレッジで音楽理論を学び、そこでエディ・ヴァン・ヘイレンとアレックス・ヴァン・ヘイレンの兄弟と知り合った(Biography.com/ガーディアン紙、2012年)。ロスはRED BALL JETSなどのバンドで歌っており、兄弟のバンドMAMMOTHは、ときおりロスのPAシステムを借りて演奏していた(Biography.com)。
VAN HALEN時代(1974〜1985年)
ロスはMAMMOTHに加わり、バンドはVAN HALENと名を改めた(Biography.com)。1974年には、ロス、エディ・ヴァン・ヘイレン、アレックス・ヴァン・ヘイレン、ベースのマイケル・アンソニーの4人がそろった(アルティメット・クラシック・ロック、2020年)。KISSのジーン・シモンズの後押しでデモを録音したのち、1977年にWarner Bros. Recordsと契約し、1978年にデビュー・アルバム『Van Halen』を出した(Biography.com/ローリング・ストーン誌、2019年)。ロスは多くの曲の歌詞を書き、「Hot for Teacher」などのビデオでは共同で監督も務めた。1984年のアルバム『1984』からは、バンドにとって初めての全米1位のシングル「Jump」が生まれた(Biography.com)。「Jump」は1985年の第27回グラミー賞で、最優秀ロック・パフォーマンス(デュオ/グループ)部門の候補になっている(グラミー賞公式サイト)。
一方でロスとエディ・ヴァン・ヘイレンの間の緊張は高まり、1984年のツアーではロスは別に移動していた。1984年9月2日、ドイツのニュルンベルクで開かれたMonsters of Rockの公演が、ロスを迎えたVAN HALENのステージとしては、20年以上にわたって最後のものになった(アルティメット・クラシック・ロック、2015年)。ロスは1985年にバンドを去り、サミー・ヘイガーが後を継いだ。脱退の日付は、4月1日とする記事と、8月半ばに正式になったとする記事がある(アルティメット・クラシック・ロック、2014年・2015年)。
『Crazy from the Heat』(1985年)
VAN HALENに在籍したまま、ロスは1985年の初めに4曲入りのEP『Crazy from the Heat』を出した(アルティメット・クラシック・ロック、2020年・2014年)。EDGAR WINTER GROUPのためにDan Hartmanが書いた「Easy Street」、Louis Primaが1956年に録音した編曲をもとにした「Just a Gigolo」と「I Ain't Got Nobody」のメドレー、THE BEACH BOYSのCarl Wilsonとクリストファー・クロスがコーラスに加わった「California Girls」、THE LOVIN' SPOONFULの「Coconut Grove」という、VAN HALENとはかけ離れた4曲である(アルティメット・クラシック・ロック、2020年)。制作には、VAN HALENの作品を手がけたテッド・テンプルマンがあたった(アルティメット・クラシック・ロック、2021年)。
EPはBillboard 200で15位に入り、「California Girls」はBillboard Hot 100の3位、「Just a Gigolo/I Ain't Got Nobody」は12位まで上がった(ビルボード)。EPはプラチナ・ディスクとなり、2曲のビデオはMTVで繰り返し流された(アルティメット・クラシック・ロック、2014年)。同じ題名の映画も企画され、ロスが脚本を書いてCBS Theatrical Filmsから1,000万ドルの予算を得たが、1985年11月、撮影開始の数日前にCBSが映画部門を閉じたため、実現しなかった(アルティメット・クラシック・ロック、2021年)。
『Eat 'Em and Smile』とソロ・バンド(1985〜1987年)
VAN HALENを離れたロスは、フランク・ザッパのバンドにいたギターのスティーヴ・ヴァイ、ベースのビリー・シーン、ドラムのグレッグ・ビソネットを集めて、自分のバンドを作った(アルティメット・クラシック・ロック、2026年)。プロデューサーは、ロスが在籍した時代のVAN HALENの6作すべてを手がけたテッド・テンプルマンである。テンプルマンは2020年の回想録で、この3人となら、VAN HALENの持ち味にできるだけ近いアルバムを作れると考えたと振り返っている(アルティメット・クラシック・ロック、2021年)。
最初のフル・アルバム『Eat 'Em and Smile』は1986年7月に出た(アルティメット・クラシック・ロック、2026年)。Billboard 200で4位に入ってプラチナ・ディスクとなり、シングルは「Yankee Rose」がBillboard Hot 100の16位、「Goin' Crazy!」が66位、「That's Life」が85位を記録した(ビルボード/アルティメット・クラシック・ロック、2021年)。同じ年には、歌をスペイン語で録り直した『Sonrisa Salvaje』も出た。こちらはアナログ盤で短い間だけ売られたもので、初めてCDになったのは2007年である(アルティメット・クラシック・ロック、2016年/ブラバマウス、2007年)。1988年の第30回グラミー賞では、ロスの映像作品が最優秀コンセプト・ミュージック・ビデオ部門の候補に挙げられた(グラミー賞公式サイト)。
『Skyscraper』(1988〜1989年)
2作目のアルバム『Skyscraper』は1988年1月に出た。そのころにはシーンがすでにバンドを去っており、グレッグ・ビソネットの弟マット・ビソネットが後を継いでいた。新たに加わったキーボードのブレット・タグルのシンセサイザーを前に出した音は、ファンの評価を二分した(アルティメット・クラシック・ロック、2016年)。最初のシングル「Just Like Paradise」はタグルが共作し、ヴァイが共同で制作した曲で、Billboard Hot 100の6位に入った(アルティメット・クラシック・ロック、2022年/ビルボード)。アルバムはBillboard 200の6位まで上がり(ビルボード)、前作に続いてプラチナ・ディスクになった(アルティメット・クラシック・ロック、2015年)。
ジャケットの写真は、カリフォルニア州ヨセミテ国立公園のハーフドームの岩壁で撮影され、同じ撮影の折に「Just Like Paradise」のビデオの場面も撮られた(アルティメット・クラシック・ロック、2024年)。ツアーは成功を収めたが、それを最後にヴァイもバンドを離れた(アルティメット・クラシック・ロック、2022年)。
『A Little Ain't Enough』(1990〜1992年)
3作目のアルバム『A Little Ain't Enough』は1991年1月に出た。プロデューサーはボブ・ロックで、ギターには、CACOPHONYでマーティ・フリードマンと組んでいた若いジェイソン・ベッカーが迎えられ、スティーヴ・ハンター、ブレット・タグル、グレッグ・ビソネットとマット・ビソネットの兄弟が加わった(アルティメット・クラシック・ロック、2016年/ブラバマウス、2007年)。ベッカーは加わって間もなく筋萎縮性側索硬化症(ALS)と診断され、病気が進むなかで録音に臨んだが、ツアーには加われなかった(アルティメット・クラシック・ロック、2016年・2026年)。
アルバムはBillboard 200の18位に入ってゴールド・ディスクとなったが、夏にはその勢いも尽きた(ビルボード/アルティメット・クラシック・ロック、2016年)。『Eat 'Em and Smile』からのメンバーで、この作品に残っていたのはグレッグ・ビソネットだけで、そのビソネットも間もなくバンドを離れた(アルティメット・クラシック・ロック、2015年)。
『Your Filthy Little Mouth』とラスヴェガス(1993〜1995年)
ロスはロサンゼルスからニューヨークに移り、長い髪も短く切った(アルティメット・クラシック・ロック、2015年)。4作目のアルバム『Your Filthy Little Mouth』は1994年3月に出た。プロデューサーはCHICのナイル・ロジャースで、ギターのテリー・キルゴアが曲作りの相棒を務めた。ロックのほか、Travis Trittを迎えたカントリー・ロックの「Cheatin' Heart Cafe」、ホーンと女性コーラスを使ったポップ、ラウンジ音楽、レゲエまで幅広い曲を収め、最初のシングル「She's My Machine」はBillboardのロック・チャートで12位に入ったが(アルティメット・クラシック・ロック、2015年)、アルバムはBillboard 200の78位にとどまった(ビルボード)。
翌1995年、ロスはラスヴェガスでラウンジ・ショーを始めた(Biography.com)。バックを務めたのはBLUES-BUSTIN' MAMBO SLAMMERSで、1995年の大晦日のラスヴェガス公演が、この時期の最後のステージになった(アルティメット・クラシック・ロック、2021年)。
VAN HALENとの再会(1996年)
1996年6月にサミー・ヘイガーがVAN HALENを去ると、ロスは7月にエディ・ヴァン・ヘイレンと再び連絡を取り、ベスト盤『Best Of – Volume I』のために新曲「Me Wise Magic」と「Can't Get This Stuff No More」を録音した。オリジナルの4人による12年ぶりの新曲だった(アルティメット・クラシック・ロック、2021年)。9月初めには4人でMTVビデオ・ミュージック・アワードに姿を見せたが、10月2日、ロスは再結成は実現しないとする声明を出し、バンドもすぐに声明を出して応じた。「Me Wise Magic」は10月26日付のBillboardのメインストリーム・ロック・チャートで1位になり、6週にわたってその座を守った(アルティメット・クラシック・ロック、2021年)。後任の歌い手には、EXTREMEのゲイリー・シェローンが選ばれた(アルティメット・クラシック・ロック、2016年)。
自伝と『DLR Band』(1997〜2001年)
1997年、ロスは自伝『Crazy from the Heat』を出した(Biography.com/公式サイト、2005年)。同じ年に出たベスト盤『The Best』は、Billboard 200に1週だけ、199位で顔を出した(ビルボード)。
1998年5月には「Slam Dunk!」と「King of the Hill」の両A面シングルを出し、6月にアルバム『DLR Band』を独立系のWawazat!! Recordsから発表した。アルバムの半分ほどの曲でギターとベースを弾いたのは、当時はまだ本名のJohn Loweryを名乗っていたジョン5で、ほかに若いギタリストのMike Hartman、RED BALL JETSでロスと組んでいたテリー・キルゴア、ドラムのレイ・ルジアーが加わった。ツアーは行わず、1年後の夏に、再結成したBAD COMPANYの前座として各地を回った(アルティメット・クラシック・ロック、2018年)。
2000年の夏には、VAN HALENの兄弟とふたたび新しい曲を録音したが、アルバムにはまとまらなかった(アルティメット・クラシック・ロック、2021年)。
『Diamond Dave』とラジオ(2002〜2006年)
2002年、ロスはかつての宿敵サミー・ヘイガーと組んで全米を回り、成功を収めた(Biography.com)。2003年7月には、Magna Carta傘下のMagnatude Recordsから『Diamond Dave』を出した。いくつかの新曲のほかに、SAVOY BROWNの3曲や、ジミ・ヘンドリックス、THE DOORS、THE BEATLESの曲を取り上げ、「Ice Cream Man」にはエドガー・ウィンターがサックスで、ナイル・ロジャースがギターで加わっている(ブラバマウス、2003年)。
2006年1月3日、ロスは衛星ラジオに移ったハワード・スターンの後を受けて、CBS Radioの朝の番組を始めた。番組はニューヨーク、フィラデルフィア、ボストンなど七つの都市で放送されたが、3か月あまりで打ち切られ、4月21日が最後の放送になった(ブラバマウス、2021年/AP通信、2006年/NPR、2006年)。
VAN HALENへの復帰(2007〜2020年)
2007年、VAN HALENはロックの殿堂入りを果たし、ロスも殿堂入りした5人に名を連ねたが、授賞式には出なかった(ロックの殿堂/Biography.com)。同じ年、ロスはエディ・ヴァン・ヘイレン、アレックス・ヴァン・ヘイレン、エディ・ヴァン・ヘイレンの息子でベースのウルフギャング・ヴァン・ヘイレンとともにバンドに戻った。2008年6月まで続いたツアーは、74公演で9,300万ドルを超える興行収入を上げた(ビルボード、2008年)。
2012年には、ロスにとって『1984』以来となるVAN HALENのスタジオ・アルバム『A Different Kind of Truth』が出た(アルティメット・クラシック・ロック、2015年・2020年)。2013年の初めには東京に住まいを移しており、日本刀の稽古と日本語の勉強に通っていた(ローリング・ストーン誌、2013年)。VAN HALENとしての最後の公演は、2015年10月4日のハリウッド・ボウルである(アルティメット・クラシック・ロック、2026年)。エディ・ヴァン・ヘイレンは2020年10月6日に亡くなり、ロスは2020年までバンドの歌い手であり続けた(アルティメット・クラシック・ロック、2020年/ブラバマウス、2025年)。
ソロ活動の再開と引退の表明(2019〜2022年)
2020年1月8日、ロスはラスヴェガスのHouse of Bluesで連続公演を始め、2月からはKISSの「End of the Road」ツアーで前座を務めた(ローリング・ストーン誌、2019年/ブラバマウス、2022年)。感染症の流行でツアーが止まり、ラスヴェガスの残る6公演も延期された。3月10日、テキサス州ラボックのUnited Supermarkets ArenaでKISSの前座として演奏したステージが、2025年までの最後の正式な公演になった(ローリング・ストーン誌、2022年/アルティメット・クラシック・ロック、2025年/ブラバマウス、2022年)。
2020年10月30日、ロスは亡くなったエディ・ヴァン・ヘイレンに捧げて「Somewhere Over the Rainbow Bar and Grill」を公開した。2010年代の初めにジョン5と録音したまま出ていなかったアルバムの曲である(Guitar.com、2020年/アルティメット・クラシック・ロック、2020年)。2021年10月1日には新しいシングル「Lo-Rez Sunset」を出している(コンシークエンス、2021年)。
同じ2021年10月1日、ロスはラスヴェガスの新聞Las Vegas Review-Journalに引退を表明し、マンダレイ・ベイのHouse of Bluesで年末年始に行う5公演を最後のステージにすると語った。公演はのちに追加されたが、2022年1月にすべて取りやめになり、主催者は感染症にかかわる事情を理由に挙げた(コンシークエンス、2021年/アルティメット・クラシック・ロック、2021年/ビルボード、2022年/ブラバマウス、2025年)。
2022年5月3日、ロスはハリウッドのHenson Recording StudioでVAN HALENの曲を2時間で14曲、音程の補正を使わずに一発で録音し、その音源をのちに自分の名前で少しずつ公開した(ブラバマウス、2025年)。アレックス・ヴァン・ヘイレンは2024年の取材で、エディ・ヴァン・ヘイレンを追悼するツアーをロスと計画して2022年にリハーサルも行ったが、ステージでエディ・ヴァン・ヘイレンをたたえる場面を設けるかどうかをめぐってロスと衝突し、計画は終わったと語っている。ロスはこの記事へのコメントを控えた(ビルボード、2024年)。
ステージへの復帰(2025〜2026年)
2025年5月3日、ロスはメリーランド州コロンビアのM3 Rock Festivalに出演し、VAN HALENのレパートリーばかり16曲を歌った。5年ぶりのフル・セットの公演だった(コンシークエンス、2025年/ブラバマウス、2025年)。夏には、7月22日のカリフォルニア州パソ・ロブレスから9月14日のナパまで全米を回った(ブラバマウス、2025年・2026年)。同じ年には、作詞作曲の権利を売却している(ブラバマウス、2026年)。ソロの最初の5作をまとめたボックス・セット『The Warner Recordings 1985–1994』も、この年に出た(アルティメット・クラシック・ロック、2025年)。
2026年4月10日、ロスはカリフォルニアのフェスティヴァルCoachellaでTeddy Swimsのステージに飛び入りして「Jump」を歌い、同じ月の終わりにはカントリー音楽のフェスティヴァルStagecoachでも同じ顔合わせで歌った(ロサンゼルス・タイムズ紙、2026年/Guitar.com、2026年/ビルボード、2026年)。4月16日には、ワシントン州エアウェイ・ハイツのSpokane Live!から、「Don't Love Me, Rent Me」と銘打った北米ツアーを始めた。バンドは、ギターのAl Estrada、ベースのショーン・マクナブ、ドラムのFrancis Valentino、キーボードのDanny Wagnerである(ブラバマウス、2026年/アルティメット・クラシック・ロック、2026年)。7月23日、残っていた日程の大半が取りやめになったが、理由は明らかにされていない(ビルボード、2026年/ブラバマウス、2026年)。7月30日には、ノースダコタ州ファーゴで開かれたTEDxの催しで、アレックス・ヴァン・ヘイレン、アーティストのRobert Vargasと語り合った。ロスとアレックス・ヴァン・ヘイレンがそろって公の場に姿を見せたのは、2015年10月以来のことだった(アルティメット・クラシック・ロック、2026年)。
音楽のほかの活動
2012年の秋、ロスはインターネットの番組『The Roth Show』を始め、東京からも配信した(ローリング・ストーン誌、2013年)。ロスはニューヨーク州の救急救命士(EMT)の資格も持ち、2012年の取材では、それまでの6年間で200回を超える救急出動に加わったと語っている(ガーディアン紙、2012年)。
ロスは自ら絵を描き、作品を公開している(公式サイト/ブラバマウス、2021年)。刺青を守るスキンケア用品のブランドINK the OriginalをAmi Jamesらと手がけ、2018年にはその事業について語っていたが、2022年3月には店を閉じたことが伝えられた(ブラバマウス、2022年)。登山や探検にも熱心で、ヒマラヤ、ニューギニア、アマゾン、南太平洋を旅している(公式サイト、2005年)。
ディスコグラフィ
ソロのスタジオ・アルバム6作と、EP、スペイン語版、ベスト盤を、最初に出た年の順に並べる。このほかに、2013年のベスト盤『Greatest Hits: The Deluxe Edition』と、2025年のボックス・セット『The Warner Recordings 1985–1994』があり、2020年からは配信で単独の曲をたびたび公開している(アルティメット・クラシック・ロック、2013年・2025年・2020年)。
| 発売 | 題名 | 種別 | レーベル | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 1985年 | Crazy from the Heat | EP | Warner Bros. Records | 4曲入り。「California Girls」がBillboard Hot 100で3位 |
| 1986年 | Eat 'Em and Smile | スタジオ・アルバム | Warner Bros. Records | スティーヴ・ヴァイ、ビリー・シーン、グレッグ・ビソネットとの最初の作品。Billboard 200で4位 |
| 1986年 | Sonrisa Salvaje | スタジオ・アルバム(『Eat 'Em and Smile』のスペイン語版) | Warner Bros. Records | 歌をスペイン語で録り直したもの。初めてのCD化は2007年 |
| 1988年 | Skyscraper | スタジオ・アルバム | Warner Bros. Records | 「Just Like Paradise」がBillboard Hot 100で6位 |
| 1991年 | A Little Ain't Enough | スタジオ・アルバム | Warner Bros. Records | ボブ・ロックの制作。ギターはジェイソン・ベッカー |
| 1994年 | Your Filthy Little Mouth | スタジオ・アルバム | Reprise Records | ナイル・ロジャースの制作 |
| 1997年 | The Best | ベスト盤 | Rhino Records | ソロの代表曲を集めたもの |
| 1998年 | DLR Band | スタジオ・アルバム | Wawazat!! Records | ジョン5がアルバムの半分ほどの曲でギターとベースを弾いた |
| 2003年 | Diamond Dave | スタジオ・アルバム | Magna Carta/Magnatude Records | 新曲とカヴァー曲を収める |
日本公演
日本盤は、1985年のEP『Crazy from the Heat』と1986年の『Eat 'Em and Smile』がワーナー・パイオニアから出たのが始まりである。『Skyscraper』は1988年2月25日に出てオリコンのアルバム・チャートで12位を記録し、『A Little Ain't Enough』は1991年2月25日に出て17位、『Your Filthy Little Mouth』は1994年3月18日に出て26位に入った。『Your Filthy Little Mouth』の日本盤には、ボーナス・トラック「Mississippi Power」が加えられていた。ベスト盤『The Best』は1997年11月25日に、『Diamond Dave』は2003年9月21日にビクターエンタテインメントから出たが、『DLR Band』は日本では出ていない。2026年3月4日には、ワーナー時代の4作が新しいマスターで日本盤として再発された(オリコン、タワーレコード、ワーナーミュージック・ジャパン)。
日本での最初の公演は、VAN HALENの一員として臨んだ1978年と1979年のものである(BARKS)。ソロでは1988年、1994年、2004年に日本を回った。1988年は『Skyscraper』に続くツアーで、10月3日には日本武道館で、スティーヴ・ヴァイをギターに擁するバンドとともに演奏した(ギター・プレイヤー誌)。1994年の日本公演は、当時のドラマーRon Wiksoの公式サイトに記録があり、ギターのテリー・キルゴアはこの日本公演の途中でバンドを離れた(Ron Wikso公式サイト)。2004年1月には、ウドー音楽事務所の招きで、26日に大阪のBIGCAT、28日に名古屋のクラブ・ダイヤモンドホール、30日に東京の渋谷公会堂で公演を行った。この3公演は、もとは2003年10月18日(東京)、20日(名古屋)、22日(大阪)に組まれていたもので、本人のけがのために延期され、大阪の会場はON AIR OSAKAからBIGCATに変わった。ウドー音楽事務所は、このときの来日を約10年ぶりとしている(ウドー音楽事務所、DIAMOND HALL)。2013年6月には、再結成したVAN HALENとして、18日に名古屋の愛知県体育館、21日に東京ドーム、24日と26日に大阪市中央体育館で演奏し、東京ドーム公演はライヴ・アルバム『Tokyo Dome Live in Concert』として発表された(ウドー音楽事務所、BARKS、Billboard JAPAN、タワーレコード)。
| 日付 | 会場 | 公演 |
|---|---|---|
| 1988年10月3日 | 日本武道館(東京) | 『Skyscraper』に続くツアー。ギターはスティーヴ・ヴァイ |
| 2004年1月26日 | BIGCAT(大阪) | 2003年10月22日の振替公演。ON AIR OSAKAから会場を変更 |
| 2004年1月28日 | クラブ・ダイヤモンドホール(愛知) | 2003年10月20日の振替公演 |
| 2004年1月30日 | 渋谷公会堂(東京) | 2003年10月18日の振替公演 |
出典について
出典は、デイヴィッド・リー・ロスの公式サイトdavidleeroth.com(Internet Archiveに残る2005年のバイオグラフィーと、現在のサイト)、グラミー賞(レコーディング・アカデミー)の公式サイト、ロックの殿堂、ビルボード(チャートの記録と記事)、ローリング・ストーン誌、ガーディアン紙、ロサンゼルス・タイムズ紙、AP通信、NPR、ブラバマウス、アルティメット・クラシック・ロック、コンシークエンス、Guitar.com、Biography.comである。作品のレーベルと一部の発売日はMusicBrainzで確かめた。日本盤と来日公演は、オリコン、タワーレコード、ワーナーミュージック・ジャパン、BARKS、Billboard JAPAN、ギター・プレイヤー誌、Ron Wikso公式サイト、ウドー音楽事務所とDIAMOND HALLのページ(Internet Archiveに残る2003年のもの)で確かめ、1980年代の日本盤の一部はDiscogsで確かめた。
Trivia
2013年の初め、ロスは東京に住まいを移していた。ロスによれば、日本刀を初めて手にしたのは9歳か10歳のころで、東京ではプロの指導者のもとで週に4回稽古をし、毎日2時間から4時間、日本語の学校に通っていた。言葉も知り合いもないまま一人で来日し、最初の3か月は大変だったと認める一方、小錦に教わりながら大相撲の場所や相撲部屋も訪ねたと語っている。インターネットの番組『The Roth Show』も東京から配信していた。
ロスが初めて刺青を入れたのは1977年か1978年、サンセット大通りのCliff Raven Studioで、足首に小さなタツノオトシゴを彫った。ロスは2018年の取材で、60歳になるのを待って全身に日本の伝統的な刺青を入れ、2年間で300時間を費やしたと語っている。図柄はロス自身の考えで、江戸の木版画のように描いた歌舞伎の顔だという。刺青を保護するスキンケア用品のブランドINK the Originalも手がけたが、2022年3月には店を閉じたことが伝えられた。
デイヴィッド・リー・ロスは幼いころ、ニューヨークのグリニッジ・ヴィレッジでナイトクラブCafé Wha?を営んでいた叔父マニー・ロスのもとで過ごす時期があった。1960年代の初めには店の上の部屋に暮らし、ボブ・ディランやLenny Bruceらのステージを間近に見ている。ロスは公式サイトで、ある夏にはジミ・ヘンドリックスを見逃したと語っている。遅刻を理由に、叔父がヘンドリックスをクビにしてしまったからだという。マニー・ロスは1988年までこの店を経営した。
ロスはグラミー賞の候補に2度挙がっている。1985年の第27回では、VAN HALENの「Jump」が最優秀ロック・パフォーマンス(デュオ/グループ)部門の候補になり、1988年の第30回では、ロス自身の映像作品が最優秀コンセプト・ミュージック・ビデオ部門の候補に挙げられた。受賞はしていない。
VAN HALENに加わる前のロスは、RED BALL JETSなどのバンドで歌っていた。エディ・ヴァン・ヘイレンとアレックス・ヴァン・ヘイレンの兄弟のバンドMAMMOTHは、ときおりロスのPAシステムを借りて演奏しており、やがてロスはそのMAMMOTHに加わった。RED BALL JETSの仲間だったテリー・キルゴアとは、のちにソロで再び組んでいる。キルゴアは『Your Filthy Little Mouth』で曲作りの相棒とギターを務め、『DLR Band』でもギターを弾いた。
1984年9月2日、ドイツのニュルンベルクで開かれたMonsters of Rockの公演が、ロスを迎えたVAN HALENのステージとしては、20年以上にわたって最後のものになった。この年のツアーでロスはほかのメンバーと別に移動していたが、1985年の初めにEP『Crazy from the Heat』を出したときにも、テレビ番組『Late Night with David Letterman』で、来月にもまたスタジオに入って言い争いを始めると話し、自分がバンドの一員であることを強調していた。
「Goin' Crazy!」のビデオでは、演奏するバンドをコントロール・ルームからあきれ顔で見つめるレコード会社の重役2人を、肥満体の着ぐるみを着たロスと、マネージャーで創作上の相棒でもあったPete Angelusが演じている。2人は「Fabulous Picasso Brothers」と名乗っていた。プロデューサーのテッド・テンプルマンは2020年の回想録で、撮影現場で金の鎖を下げた着ぐるみの男に話しかけられ、しばらく調子を合わせて笑っていたところ、それがロスだと明かされて驚いたと書いている。シングルはBillboard Hot 100の66位に入った。
『Eat 'Em and Smile』を作るにあたってテッド・テンプルマンは、EP『Crazy from the Heat』のビッグバンドやボードヴィル調の曲と並べて、思いきり激しいメタルをやろうと考えた。テンプルマンは2020年の回想録で、VAN HALENの『Diver Down』と『Fair Warning』を合わせたようなアルバムをめざしたと振り返っている。冒頭の「Yankee Rose」ではスティーヴ・ヴァイのギターがロスと言葉を交わすように鳴り、続く「Shyboy」はビリー・シーンが以前いたバンドTALASの曲である。
News
YNGWIE MALMSTEEN、VAN HALEN脱退直後のDavid Lee Rothにソロ・バンド加入を誘われたと回想 「やるべきだったかもしれないが、やらなかった」
Eonmusicのインタビューで、1985年にBilly Sheehan在籍のTALASを前座に従えたツアー中、Rothが毎回公演に来ていたと話した。
VAN HALEN、David Lee RothとAlex Van Halenが11年ぶりに公の場で同席 TEDxFargoの対談映像が公開
7月30日、ノースダコタ州ファーゴのBrewhallaで開かれたTEDxFargoに2人が登壇し、画家Robert Vargasの司会で15分の対談「Beyond Boundaries: How Human Experience Informs Art And Music」を行った。2人が公の場で同席したのは、2015年10月4日のハリウッド・ボウルにおけるVAN HALEN最終公演以来となる。対談の全編がYouTubeで公開された。
動画を再生VAN HALEN、1974年の未発表デモ「Glitter」が初公開へ Alex Van Halenの署名入り限定本に7インチ盤として付属
Genesis Publicationsが発表。世界1,500部限定・本人署名入りの公式本『Van Halen』に付く7インチ・ピクチャー・ディスクに収録され、公式にリリースされるVAN HALEN最古の音源となる。演奏はAlex Van Halen、Eddie Van Halen、David Lee Roth、オリジナル・ベーシストのMark Stone。
ALEX VAN HALENとDAVID LEE ROTH、7月30日のTEDxFargoで揃って登壇
画家Robert Vargasと共に参加。演奏は予定されていない。
Albums
DAVID LEE ROTHのソロ・アルバム。2003年7月8日にMagna Cartaから発売。SAVOY BROWNやTHE DOORSなどのカヴァー11曲に自作3曲を加えた全14曲。
DAVID LEE ROTHがDLR Band名義で出したアルバム。1998年6月9日に自身のレーベルWawazat!!から発売。新しい若手を集め、10日間で録音とミックスを終えた。
DAVID LEE ROTHのソロ作品のベスト盤。1997年10月にRhinoから発売。ワーナー時代の5作から19曲を選び、新録の「Don't Piss Me Off」を冒頭に置いた全20曲。
DAVID LEE ROTHの4作目のフル・アルバム。1994年3月8日にRepriseから発売。ナイル・ロジャースがプロデュースし、カントリー調やレゲエ調の曲まで取り込んだ。
DAVID LEE ROTHの3作目のフル・アルバム。1991年1月15日発売。ボブ・ロックのプロデュースで、録音を前にALSと診断されたジェイソン・ベッカーがリード・ギターを弾いた。
DAVID LEE ROTH初のフル・アルバム。1986年7月7日発売。新たに結成したバンドと録音し、ビルボード200で4位、発売から2か月でプラチナに認定された。
DAVID LEE ROTH初のソロ作で、カヴァー4曲のEP。1985年1月28日発売。VAN HALEN在籍中に出し、「California Girls」がHot 100で3位を記録した。
BOX
ボックス・セットや複数枚組の記念盤・拡張盤を、アルバムとは別に掲載しています。
デイヴィッド・リー・ロスのソロ初期5作、EP『Crazy from the Heat』から1994年の『Your Filthy Little Mouth』までを新たにリマスターしたCD5枚組。