DAVID LEE ROTH TRIVIA

Trivia

2013年の初め、ロスは東京に住まいを移していた。ロスによれば、日本刀を初めて手にしたのは9歳か10歳のころで、東京ではプロの指導者のもとで週に4回稽古をし、毎日2時間から4時間、日本語の学校に通っていた。言葉も知り合いもないまま一人で来日し、最初の3か月は大変だったと認める一方、小錦に教わりながら大相撲の場所や相撲部屋も訪ねたと語っている。インターネットの番組『The Roth Show』も東京から配信していた。

出典: ローリング・ストーン誌「Q&A: David Lee Roth Vents About Van Halen's Future」(2013年2月12日)

ロスが初めて刺青を入れたのは1977年か1978年、サンセット大通りのCliff Raven Studioで、足首に小さなタツノオトシゴを彫った。ロスは2018年の取材で、60歳になるのを待って全身に日本の伝統的な刺青を入れ、2年間で300時間を費やしたと語っている。図柄はロス自身の考えで、江戸の木版画のように描いた歌舞伎の顔だという。刺青を保護するスキンケア用品のブランドINK the Originalも手がけたが、2022年3月には店を閉じたことが伝えられた。

出典: ブラバマウス「DAVID LEE ROTH's Skin-Care Line INK THE ORIGINAL Closes Its Doors」(2022年3月8日)

デイヴィッド・リー・ロスは幼いころ、ニューヨークのグリニッジ・ヴィレッジでナイトクラブCafé Wha?を営んでいた叔父マニー・ロスのもとで過ごす時期があった。1960年代の初めには店の上の部屋に暮らし、ボブ・ディランやLenny Bruceらのステージを間近に見ている。ロスは公式サイトで、ある夏にはジミ・ヘンドリックスを見逃したと語っている。遅刻を理由に、叔父がヘンドリックスをクビにしてしまったからだという。マニー・ロスは1988年までこの店を経営した。

出典: David Lee Roth公式サイト「Diamond David Lee Roth Biography」(©2005、Internet Archiveの2011年7月28日の保存、2026年10月15日参照)

ロスはグラミー賞の候補に2度挙がっている。1985年の第27回では、VAN HALENの「Jump」が最優秀ロック・パフォーマンス(デュオ/グループ)部門の候補になり、1988年の第30回では、ロス自身の映像作品が最優秀コンセプト・ミュージック・ビデオ部門の候補に挙げられた。受賞はしていない。

出典: グラミー賞公式サイト「David Lee Roth」(2026年10月15日参照)

VAN HALENに加わる前のロスは、RED BALL JETSなどのバンドで歌っていた。エディ・ヴァン・ヘイレンとアレックス・ヴァン・ヘイレンの兄弟のバンドMAMMOTHは、ときおりロスのPAシステムを借りて演奏しており、やがてロスはそのMAMMOTHに加わった。RED BALL JETSの仲間だったテリー・キルゴアとは、のちにソロで再び組んでいる。キルゴアは『Your Filthy Little Mouth』で曲作りの相棒とギターを務め、『DLR Band』でもギターを弾いた。

出典: Biography.com「David Lee Roth Biography」(2021年4月22日更新)

1984年9月2日、ドイツのニュルンベルクで開かれたMonsters of Rockの公演が、ロスを迎えたVAN HALENのステージとしては、20年以上にわたって最後のものになった。この年のツアーでロスはほかのメンバーと別に移動していたが、1985年の初めにEP『Crazy from the Heat』を出したときにも、テレビ番組『Late Night with David Letterman』で、来月にもまたスタジオに入って言い争いを始めると話し、自分がバンドの一員であることを強調していた。

出典: アルティメット・クラシック・ロック「When Van Halen Played Their Last Concert With the Original Lineup」(2015年9月2日)

「Goin' Crazy!」のビデオでは、演奏するバンドをコントロール・ルームからあきれ顔で見つめるレコード会社の重役2人を、肥満体の着ぐるみを着たロスと、マネージャーで創作上の相棒でもあったPete Angelusが演じている。2人は「Fabulous Picasso Brothers」と名乗っていた。プロデューサーのテッド・テンプルマンは2020年の回想録で、撮影現場で金の鎖を下げた着ぐるみの男に話しかけられ、しばらく調子を合わせて笑っていたところ、それがロスだと明かされて驚いたと書いている。シングルはBillboard Hot 100の66位に入った。

出典: アルティメット・クラシック・ロック「When David Lee Roth Forayed Into Pop on 'Goin' Crazy!'」(2021年10月25日)

『Eat 'Em and Smile』を作るにあたってテッド・テンプルマンは、EP『Crazy from the Heat』のビッグバンドやボードヴィル調の曲と並べて、思いきり激しいメタルをやろうと考えた。テンプルマンは2020年の回想録で、VAN HALENの『Diver Down』と『Fair Warning』を合わせたようなアルバムをめざしたと振り返っている。冒頭の「Yankee Rose」ではスティーヴ・ヴァイのギターがロスと言葉を交わすように鳴り、続く「Shyboy」はビリー・シーンが以前いたバンドTALASの曲である。

出典: アルティメット・クラシック・ロック「40 Years Ago: How David Lee Roth Out-Gonzoed Van Halen on 'Eat 'Em and Smile'」(2026年7月7日更新)

『Eat 'Em and Smile』のスペイン語版『Sonrisa Salvaje』(「野性の微笑み」の意)は、英語版の演奏の上に、スペイン語で録り直した歌を重ねたものである。ロスは2002年の取材で、スペイン語とポルトガル語は流暢に話せると語っている。1986年にアナログ盤でごく短い間だけ売られたあと、長く手に入らなくなり、初めてCDになったのは2007年だった。「Goin' Crazy!」は「Loco Del Calor!」、「Big Trouble」は「En Busca De Pleito」と、曲名もスペイン語に改められている。

出典: アルティメット・クラシック・ロック「When David Lee Roth Went Spanish With 'Sonrisa Salvaje'」(2016年7月7日)

『Skyscraper』のジャケットは、ヨセミテ国立公園のハーフドームの岩壁で、アドベンチャー写真家のGalen Rowellが撮った。撮影の仕掛けを担ったWerner Braunが2005年にクライミングの掲示板に書いた回想によれば、ロスが体を預けるハーケンは岩に1インチも入っておらず、怖じ気づいたロスに、Braunは「長さ1フィートで、7インチは埋まっている」と言い聞かせて立たせた。Rowellは20本のフィルムを手早く撮り終え、そのハーケンはBraunがひと引きで抜けたという。同じ撮影で「Just Like Paradise」のビデオの場面も撮られた。

出典: アルティメット・クラシック・ロック「How David Lee Roth Risked His Life for the 'Skyscraper' Cover」(2024年1月26日更新)

ビリー・シーンは2023年の取材で、ロスとの最後の日を振り返っている。『Skyscraper』のツアーで流すため、スタジオでコーラスをすべてサンプル用に録音させられ、それはもともと自分の流儀に反することだったが、その日のうちにロスとの関係を終える話し合いがあったという。シーンはこの作品のキーボードを前に出した音にも不満を述べている。一方で、スティーヴ・ヴァイとのベースとギターの掛け合いのソロは、別々のソロでは楽しませ足りないと言ったロスの発案だったと認め、ロスとの仕事はショウビジネスの博士号を取るようなものだったとも語っている。

出典: アルティメット・クラシック・ロック「Billy Sheehan Wasn't on DLR 'Skyscraper' Tour but His Voice Was」(2023年3月26日)

『Skyscraper』の最初のシングル「Just Like Paradise」は、キーボードのブレット・タグルが共作し、スティーヴ・ヴァイが共同で制作した。ヴァイによれば、最初の簡単なデモで一発で弾いたソロをロスが気に入ったため、本番の録音ではヴァイがそのソロを覚え直して弾いた。ヴァイは本当は2本のギターを左右に振ってソロを掛け合わせたかったが、最初のソロがみんなのお気に入りになったため、実現しなかったという。シングルはBillboard Hot 100の6位まで上がった。

出典: アルティメット・クラシック・ロック「When David Lee Roth Scaled the Heights With 'Just Like Paradise'」(2022年12月30日)

『A Little Ain't Enough』の最初のシングルとなった表題曲「A Lil' Ain't Enough」のビデオは、MTVが放送を禁じた。その騒ぎも追い風になって、アルバムは発売当初はBillboard 200の20位以内に入り、ゴールド・ディスクを得たが、ポップのラジオには広がらず、夏にはその勢いも尽きていた。ロックのラジオでは、表題曲と「Sensible Shoes」がともに10位以内に入っている。

出典: アルティメット・クラシック・ロック「Why David Lee Roth Stumbled on 'A Little Ain't Enough'」(2016年1月15日)

『Your Filthy Little Mouth』でロスは、CHICの中心人物で名プロデューサーのナイル・ロジャースを起用して周囲を驚かせた。収録曲は、ロックのほか、カントリー歌手のTravis Trittと歌った「Cheatin' Heart Cafe」、ホーンと女性コーラスを使ったポップ、ラウンジ音楽、そしてレゲエの「No Big 'Ting」にまで及ぶ。最初のシングル「She's My Machine」は、Billboardのロック・チャートで12位に入った。

出典: アルティメット・クラシック・ロック「How David Lee Roth Tried to Grow Up on 'Your Filthy Little Mouth'」(2015年3月8日)

1996年にVAN HALENと録音した「Me Wise Magic」は、もとは「The Three Faces of Shamus」という仮題の曲で、エディ・ヴァン・ヘイレンが示した20曲ほどの候補からロスが選んだものだった。ロスは1997年の自伝で、プロデューサーと外部の作詞家が電話で書いた歌詞とメロディを兄弟が持ち込み、これを歌えと迫ったことに強く反発したと書いている。曲は6分あまりと、ロスとVAN HALENが録音した曲でもっとも長い。Billboardのメインストリーム・ロック・チャートでは6週にわたって1位を守ったが、ビデオは作られず、シングル盤も出ず、ライヴで演奏されたこともない。

出典: アルティメット・クラシック・ロック「25 Years Ago: Van Halen Release 'Me Wise Magic' Amid Reunion Fail」(2021年10月26日)

ロスによれば、両A面シングル「Slam Dunk!」と「King of the Hill」は4日で作って録音した。ギターのジョン5(当時はJohn Loweryと名乗っていた)は、ロブ・ハルフォードのバンド2WOのヨーロッパ・ツアーの準備と重なっていたため、ロスは録音を朝6時に始めると決めた。ジョン5によれば、ロスからは、VAN HALENのころと同じように2テイクでできなければそれまでだと言い渡されたという。ジョン5はアルバム『DLR Band』の半分ほどの曲でギターとベースを弾いた。もう一人のギタリストMike Hartmanは、21歳になったばかりで、インディアナ州マリオンから出てきたところだった。

出典: アルティメット・クラシック・ロック「How David Lee Roth Stormed Back With 'DLR Band'」(2018年6月11日更新)

2003年4月4日に伝えられた『Diamond Dave』の曲目は15曲で、自作の「Medicine Man」「Thug Pop」「Act One」に加えて、「Slip Away」とジミ・ヘンドリックスの「Bold As Love」が並んでいた。7月8日に出たアルバムは14曲で、この2曲は入らず、Rodger Collinsやウィルソン・ピケットが歌った「She's Looking Good」が加わっている。最初の曲目にあった「Ice Cream Man」ではエドガー・ウィンターがサックスを、ナイル・ロジャースがギターを弾き、「Bad Habits」にもウィンターのサックスが入っている。

出典: ブラバマウス「DAVID LEE ROTH To Issue New Solo Album」(2003年4月4日)

2006年1月3日、ロスは衛星ラジオに移ったハワード・スターンの後任として、CBS Radioの朝の番組を始めた。番組はニューヨーク、フィラデルフィア、ボストンなど七つの都市で流れたが、3か月あまりで打ち切られた。最後の放送となった4月21日、ロスは、打ち切りを知ったのはニューヨークのWFNY-FMのスタジオへ向かう車の中だったと語った。のちにロスは、局が求めたのはなじみのある朝のラジオだったのに、自分が差し出したのは、温かい街角の駄菓子屋の裏でTony Sopranoが銃を売っているような番組だったと冗談めかして振り返っている。

出典: ブラバマウス「DAVID LEE ROTH Looks Back On His Brief Stint As Radio Show Host In Latest Artwork」(2021年4月19日)

2007年にロスを迎えて動き出したVAN HALENのツアーは、ギターのエディ・ヴァン・ヘイレン、ドラムのアレックス・ヴァン・ヘイレンに、エディ・ヴァン・ヘイレンの息子ウルフギャング・ヴァン・ヘイレンがベースで加わった顔ぶれで、2008年6月2日のミシガン州グランドラピッズまで74公演を行い、100万人近い観客を集めて9,300万ドルを超える興行収入を上げた。ツアーの話を最初に伝えたのは、2007年1月のBillboardのサイトだった。

出典: ビルボード「Van Halen Tour Grosses More Than $93 Mil」(2008年6月5日)

2020年3月10日、テキサス州ラボックのUnited Supermarkets ArenaでKISSの前座を務め、「Jump」で締めくくったステージを最後に、ロスの正式な公演は途絶えた。再びフル・セットで歌ったのは5年後の2025年5月3日、メリーランド州コロンビアのM3 Rock Festivalで、VAN HALENのレパートリーばかり16曲を歌ったロスは、ステージで「これで最初の引退は終わり」と言い、ロッキーは何回引退したんだったか、9回かと冗談を飛ばした。

出典: ローリング・ストーン誌「Flashback: David Lee Roth Sings 'Jump' at Possible Final Solo Concert」(2022年1月4日)

2025年7月22日、カリフォルニア州パソ・ロブレスで始まった全米ツアーの初日に、ロスは亡くなったオジー・オズボーンをしのんだ。1978年、VAN HALENはBLACK SABBATHの前座としてイギリスで22公演を回っており、ロスは、その旅でオズボーンととても親しくなったと語ってから「Atomic Punk」を歌い、オズボーンにならって両手でピースサインを掲げた。

出典: ブラバマウス「DAVID LEE ROTH Pays Tribute To OZZY OSBOURNE At U.S. Tour Kick-Off」(2025年7月23日)

2020年10月30日に公開された「Somewhere Over the Rainbow Bar and Grill」は、その月の6日に亡くなったエディ・ヴァン・ヘイレンに捧げられ、添えられた絵にはエディ・ヴァン・ヘイレンへの別れの言葉が書かれていた。題名は、ロサンゼルスのロック・ミュージシャンが終演後に集まるウェスト・ハリウッドの店Rainbow Bar and Grillにかけたもので、歌詞は映画『The Wizard of Oz』の「Over the Rainbow」やエルトン・ジョンの「Crocodile Rock」にも触れる。2010年代の初めにジョン5と録音し、グレッグ・ビソネットがドラムを叩いた未発表のアルバムからの曲である。

出典: アルティメット・クラシック・ロック「David Lee Roth Releases New Song Dedicated to Eddie Van Halen」(2020年10月31日)

2022年5月3日、ロスはハリウッドのHenson Recording Studioで、ギターのAl Estrada、ベースのRyan Wheeler、ドラムのFrancis Valentinoとともに、VAN HALENの曲を2時間で14曲録音した。演奏も歌も一発録りで、サンプルも音程補正のAuto-Tuneも使っていない。ロスはそこから「Jump」「Unchained」「Panama」などを、自分の名前で少しずつ公開していった。

出典: ブラバマウス「DAVID LEE ROTH Announces Summer 2025 U.S. Tour」(2025年5月5日)

2026年4月、フェスティヴァルCoachellaの楽屋でロサンゼルス・タイムズ紙の取材を受けたロスは、自分の名前の由来を語った。ロスによれば、難産で生まれた赤ん坊を見た祖父は、週に70時間働く医師だったが、「この子は厄介者になる」と母に告げ、母はそれへの返事として、ミドル・ネームのLeeを加えたのだという。ロスはさらに、名前の文字を逆に並べると「the devil」になると冗談を飛ばしている。

出典: ロサンゼルス・タイムズ紙「10 minutes backstage with David Lee Roth at Coachella」(2026年4月11日)