QUIET RIOT

クワイエット・ライオット (QUIET RIOT)は、1980年代の米国音楽産業において、ヘヴィ・メタル (Heavy Metal) というジャンルをメインストリームへと押し上げた最大の功労者の一つである。

Biography

クワイエット・ライオット (QUIET RIOT)
バイオグラフィ、ディスコグラフィ

1. 米国ヘヴィ・メタル (Heavy Metal) 史における特異点としての評価

クワイエット・ライオット (QUIET RIOT)は、1980年代の米国音楽産業において、ヘヴィ・メタル (Heavy Metal) というジャンルをメインストリームへと押し上げた最大の功労者の一つである。QUIET RIOTが1983年に発表したアルバム『メタル・ヘルス (Metal Health)』は、ヘヴィ・メタル・バンドによるデビュー・アルバム (厳密には米国でのメジャー・デビュー作)として史上初めてビルボード200チャート (Billboard 200)の1位を獲得するという金字塔を打ち立てた。この偉業は、マイケル・ジャクソン (Michael Jackson) の 『スリラー (Thriller)』やポリス (The Police) の 『シンクロニシティ (Synchronicity)』 といった歴史的傑作がひしめくチャートの中で達成されたものであり、単なる商業的成功を超えて、当時のロック・シーンの地殻変動を象徴する出来事であった。

しかし、クワイエット・ライオット (QUIET RIOT) の歴史的価値は、「カモン・フィール・ザ・ノイズ (Cum on Feel the Noize)」の一発ヒットに留まるものではない。そのキャリアは1973年のロサンゼルス (Los Angeles) にまで遡り、伝説的なギタリストであるランディ・ローズ (Randy Rhoads) を輩出した揺籃 (ようらん)としての側面、日本市場 (Japanese Market) との特異な結びつき、創設メンバーの悲劇的な死、 tender して度重なるメンバーチェンジを経てなお存続し続ける「バンドという生命体」の執念の物語を含んでいる。

2. 第1章: 胎動期とサンセット・ストリップの覇者 (1973-1979)

2.1 結成前夜: リトル・ウィメン (Little Women) からの変遷

クワイエット・ライオット (QUIET RIOT) の物語は、1970年代初頭のカリフォルニア州ロサンゼルス (Los Angeles) で幕を開ける。ギタリストのランディ・ローズ (Randy Rhoads) とベーシストのケリー・ガーニ (Kelly Garni)は、少年時代からの友人であり、「マッハ1 (Mach 1)」というバンドで活動を共にしていた。彼らはより本格的なロック・バンドの結成を模索し、ドラマーにドリュー・フォーサイス (Drew Forsyth)を迎え入れた。フォーサイス (Forsyth)は以前、彼らと共に「ミルドレッド・ピアース (Mildred Pierce)」 というバンドでプレイした経験があった。

バンドの最後のピースとなったのが、ヴォーカリストのケヴィン・ダブロウ (Kevin DuBrow)である。ロサンゼルス出身の写真家でもあったダブロウ (DuBrow)は、その特徴的な声とカリスマ性でオーディションを勝ち抜いた。当初、バンド名は「リトル・ウィメン (Little Women)」や「ヴァイオレット・フォックス (Violet Fox)」と名付けられていたが、1975年5月、正式に「クワイエット・ライオット (QUIET RIOT)」として活動を開始した。このバンド名は、英国のロックバンド、ステイタス・クー (Status Quo) のギタリストであるリック・パーフィット (Rick Parfitt) と会話していた際に、「Quite Right (その通り)」という発音が「QUIET RIOT (静かなる暴動)」と聞き間違えられたことに由来するという説があるが、彼らのサウンドは「静寂」とは程遠いものであった。

2.2 スターウッド (Starwood) 時代の熱狂とライバル関係

1970年代中盤から後半にかけて、クワイエット・ライオット (QUIET RIOT) はウェスト・ハリウッド (West Hollywood) のクラブ・シーンにおいて、最も集客力のあるバンドの一つへと成長した。特に「スターウッド (Starwood)」や「ウィスキー・ア・ゴーゴー (Whisky A Go Go)」といった伝説的なヴェニュー (Venue)は、QUIET RIOTのホームグラウンドとなった。

1979年10月25日のスターウッド (Starwood) でのライブ映像は、ランディ・ローズ (Randy Rhoads) 在籍時のバンドのポテンシャルを証明する貴重な資料として現存している。当時のQUIET RIOTのサウンドは、後のヘヴィ・メタル (Heavy Metal) よりも、スレイド (Slade) やスウィート (Sweet)、デヴィッド・ボウイ (David Bowie) といった英国グラム・ロック (Glam Rock) の影響を色濃く反映した、キャッチーでメロディアスなハードロックであった。ランディ・ローズ (Randy Rhoads) は水玉模様のベストやボウタイを着用し、視覚的にもバンドのアイコンとなっていた。

この時期、同じロサンゼルス (Los Angeles) のシーンで頭角を現していたのが、エディ・ヴァン・ヘイレン (Eddie Van Halen) 率いるヴァン・ヘイレン (Van Halen) であった。両バンドは、レコード契約を獲得する以前から友好的ながらも激しいライバル関係にあった。L.A.ガンズ (L.A. Guns) のスティーヴ・ライリー (Steve Riley) の証言によれば、エディ・ヴァン・ヘイレン (Eddie Van Halen) 自身もスターウッド (Starwood) に足を運び、ランディ・ローズ (Randy Rhoads) のプレイを注視していたという。

2.3 日本市場 (Japanese Market) との特異な契約

ヴァン・ヘイレン (Van Halen) がワーナー・ブラザース (Warner Bros.) と契約し華々しいデビューを飾る一方で、クワイエット・ライオット (QUIET RIOT) は米国内での契約獲得に難航していた。QUIET RIOTの救世主となったのは、日本のCBSソニー (CBS/Sony)であった。当時、日本の洋楽市場ではキッス (KISS) やエアロスミス (Aerosmith)、クイーン(Queen) といったハードロック・バンドがアイドル的な人気を博しており、CBSソニーは「次のスター」としてクワイエット・ライオット (QUIET RIOT) に白羽の矢を立てたのである。

これにより、米国ロサンゼルス (Los Angeles) を拠点とするバンドでありながら、デビュー・アルバム weekend セカンド・アルバムが「日本限定発売」という極めて異例の状況が生まれた。

  • 1stアルバム 『静かなる暴動 (QUIET RIOT)』 (1978年3月)
  • 2ndアルバム『暴動に明日はない (QUIET RIOT II)』(1978年12月)

これらのアルバムは日本国内で熱狂的なファンベースを築いたが、米国のメインストリーム市場では輸入盤として一部のマニアに知られるのみであった。この「日本先行・限定」という事実は、後のランディ・ローズ (Randy Rhoads) 神話と相まって、初期作品の希少価値を高める要因となった。

2.4 第一期の崩壊: ケリー・ガーニ (Kelly Garni) の解雇とランディ (Randy) の旅立ち

バンドの内部では、成功への焦りと人間関係の軋轢が生じていた。特にベーシストのケリー・ガーニ (Kelly Garni) とヴォーカルのケヴィン・ダブロウ (Kevin DuBrow) の対立は深刻化し、1978年後半、ガーニ (Garni) がダブロウ (DuBrow) を射殺しようとするという衝撃的な事件が発生した。この事件によりガーニ (Garni) は解雇され、後任としてルディ・サーゾ (Rudy Sarzo) が加入した。なお、セカンド・アルバム 『QUIET RIOT II』 のクレジットにはルディ・サーゾ (Rudy Sarzo) の名が記載されているが、実際のレコーディングでベースを弾いているのはガーニ (Garni) とランディ・ローズ (Randy Rhoads) であることが後に判明している。

そして1979年、バンドにとって決定的な終焉が訪れる。ランディ・ローズ (Randy Rhoads) が、ブラック・サバス (Black Sabbath) を脱退したオジー・オズボーン (Ozzy Osbourne) の新バンド(後のブリザード・オブ・オズ (Blizzard of Ozz)) のギタリストとして抜擢されたのである。ランディ (Randy) の脱退により、オリジナルのクワイエット・ライオット (QUIET RIOT) は事実上の解散状態となった。

3. 第2章: 再生と栄光への道程 (1980-1983)

3.1 「ダブロウ (DuBrow)」 プロジェクトと雌伏の時

ランディ・ローズ (Randy Rhoads) の脱退後、ケヴィン・ダブロウ (Kevin DuBrow) は自身の名を冠したバンド 「ダブロウ (DuBrow)」を結成し、音楽活動を継続した。この時期、ドラマーとしてフランキー・バナリ (Frankie Banali)が加入し、二人は生涯にわたる盟友関係を築くこととなる。ギタリストやベーシストは流動的であり、グレッグ・レオン (Greg Leon)やチャック・ライト (Chuck Wright)、カルロス・カヴァーゾ (Carlos Cavazo) らが入れ替わり立ち替わり参加した。

1980年から1982年にかけて、「ダブロウ (DuBrow)」 はロサンゼルス (Los Angeles) のクラブ・サーキットで地道な活動を続けながら、よりヘヴィでアグレッシブなサウンドを模索していた。

3.2 ランディ・ローズ (Randy Rhoads) の死とバンド名の復活

1982年3月19日、ランディ・ローズ (Randy Rhoads) が飛行機事故により25歳の若さで急逝するという悲劇が世界を襲った。このニュースは、かつてのバンドメイトであるケヴィン・ダブロウ (Kevin DuBrow) とルディ・サーゾ (Rudy Sarzo) に計り知れない衝撃を与えた。当時オジー・オズボーン (Ozzy Osbourne) バンドのベーシストとして活動していたルディ・サーゾ (Rudy Sarzo)は、友の死をきっかけにオジー (Ozzy) の元を離れ、古巣であるロサンゼルス (Los Angeles) に戻ることを決意する。

プロデューサーのスペンサー・プロッファー (Spencer Proffer)は、ダブロウ (DuBrow) のバンドの可能性を見出し、パシャ・レコード (Pasha Records) との契約を取り付けた。そして、亡きランディ・ローズ (Randy Rhoads) への追悼の意と、オリジナルの遺産を継承するという意味を込め、バンド名を再び「クワイエット・ライオット (QUIET RIOT)」に戻すことが決定された。

この時点で固まったラインナップが、後に「クラシック・ラインナップ」と呼ばれる4人である。

  • ケヴィン・ダブロウ (Kevin DuBrow): ヴォーカル (Vocals)
  • カルロス・カヴァーゾ (Carlos Cavazo): ギター (Guitar)
  • ルディ・サーゾ (Rudy Sarzo): ベース (Bass)
  • フランキー・バナリ (Frankie Banali): ドラム (Drums)

ただし、アルバム『メタル・ヘルス (Metal Health)』 のレコーディングの一部(「Metal Health」や「Don't Wanna Let You Go」など)では、ルディ・サーゾ (Rudy Sarzo)加入前に在籍していたチャック・ライト (Chuck Wright) がベースを演奏している。

3.3 『メタル・ヘルス (Metal Health)』の爆発的成功

1983年3月11日にリリースされたアルバム『メタル・ヘルス (Metal Health)』(日本盤タイトル:『メタル・ヘルス~ランディ・ローズに捧ぐ〜』)は、当初の予想を遥かに超える社会現象を巻き起こした。

成功の起爆剤となったのは、スレイド (Slade) のカヴァー曲 「カモン・フィール・ザ・ノイズ (Cum on Feel the Noize)」であった。制作当時、ケヴィン・ダブロウ (Kevin DuBrow) はオリジナル曲で勝負したいという意向から、このカヴァーの収録に強く反対していた。彼は意図的に演奏を粗雑にすることで採用を阻止しようとしたが、その荒々しいエネルギーこそがプロデューサーと大衆の心を掴むこととなった。

1983年5月29日、カリフォルニア州サンバーナーディーノ (San Bernardino) で開催された「USフェスティバル '83 (US Festival 1983)」への出演は、QUIET RIOTの運命を決定づける瞬間となった。ヴァン・ヘイレン (Van Halen)、スコーピオンズ (Scorpions)、ジューダス・プリースト (Judas Priest) といった巨星たちが集う中、30万人以上の観衆の前で披露されたパフォーマンスは圧倒的な熱狂を生み出した。

MTVでのヘビーローテーションと相まって、アルバムはチャートを駆け上がり、1983年11月、ついにビルボード200 (Billboard 200)で1位を獲得した。これはヘヴィ・メタル (Heavy Metal) バンドとして史上初の快挙であり、米国だけで600万枚以上のセールスを記録した。

4. 第3章: 頂点からの転落と混乱 (1984-1989)

4.1 『コンディション・クリティカル (Condition Critical)』の停滞

巨大な成功の後、バンドには次回作への強烈なプレッシャーがかかっていた。1984年7月27日にリリースされた『コンディション・クリティカル (Condition Critical)』は、前作の成功体験を忠実に再現しようとした作品であった。

  • 再びスレイド (Slade) のカヴァー「ママ・ウィー・アー・オール・クレイジー・ナウ (Mama Weer All Crazee Now)」を収録。
  • パーティー・ロック路線を踏襲。

アルバムは全米チャートで最高15位を記録し、プラチナ・ディスクを獲得したが、『メタル・ヘルス (Metal Health)』ほどの爆発力はなかった。批評家からは「二番煎じ」との評価を受け、バンドの勢いは徐々に失速していった。

4.2 ケヴィン・ダブロウ (Kevin DuBrow) の暴走と解雇

バンドの衰退を加速させたのは、フロントマンであるケヴィン・ダブロウ (Kevin DuBrow) の言動であった。コカイン (Cocaine) の影響もあったとされるが、彼はメディアを通じて同時代のライバルバンドや音楽業界を激しく批判し、多くの敵を作ってしまった。

1986年のアルバム『QRIII』では、ベースがチャック・ライト (Chuck Wright) に交代し、サウンドもシンセサイザーを多用したメロディアスなものへと変化したが、セールスは低迷した。バンド内の緊張は限界に達し、1987年2月、バンドは自らの顔であるケヴィン・ダブロウ (Kevin DuBrow) を解雇するという決断を下した。

4.3 ポール・ショーティノ (Paul Shortino) 期と一時解散

ダブロウ (DuBrow) 無き後のバンドは、ラフ・カット (Rough Cutt) のヴォーカリスト、ポール・ショーティノ (Paul Shortino) を迎え入れた。また、ベースにはショーン・マクナブ(Sean McNabb)が加入した。1988年にリリースされたアルバム『QR』は、ショーティノ(Shortino) のブルージーで深みのある声を活かした成熟したハードロック作品であったが、ファンは「ケヴィン・ダブロウ (Kevin DuBrow) のいないクワイエット・ライオット (QUIET RIOT)」を受け入れず、商業的には大失敗に終わった。1989年、バンドは解散し、フランキー・バナリ (Frankie Banali) はW.A.S.P.へ参加するなど、メンバーは散り散りとなった。

5. 第4章: 再結成と90年代のサバイバル (1990-2003)

5.1 ケヴィン・ダブロウ (Kevin DuBrow) との和解と再始動

1990年代に入り、グランジ (Grunge) ムーブメントが席巻する中、80年代メタル・バンドは冬の時代を迎えていた。しかし、ケヴィン・ダブロウ (Kevin DuBrow) とカルロス・カヴァーゾ (Carlos Cavazo) は個人的な和解を果たし、ヒート (Heat) というプロジェクトを経て、1993年にクワイエット・ライオット (QUIET RIOT) を再始動させた。新ラインナップには、ベースにケニー・ヒラリー (Kenny Hillery)、ドラムにボビー・ロンディネリ (Bobby Rondinelli) (元レインボー (Rainbow)、ブラック・サバス (Black Sabbath)) が参加し、アルバム『テリファイド (Terrified)』 をリリースした。

5.2 ランディ・ローズ (Randy Rhoads) 音源の発掘

1993年、ダブロウ (DuBrow) はランディ・ローズ (Randy Rhoads) 遺族の協力を得て、1970年代の未発表音源や日本盤のみの楽曲をリミックス・再録音したコンピレーション・アルバム『ランディ・ローズ・イヤーズ (The Randy Rhoads Years)』を発表した。

  • ダブロウ (DuBrow) がヴォーカルをすべて再録音。
  • ドラム・トラックの差し替えや、現代的なミックス処理。

これにより、長らく「幻」とされていたランディ (Randy) の初期プレイが世界中のファンに届けられた。

5.3 黄金期メンバーの再集結とライブ活動

その後、フランキー・バナリ (Frankie Banali) が復帰し、ルディ・サーゾ (Rudy Sarzo) やチャック・ライト (Chuck Wright) が断続的に参加することで、バンドは往年の輝きを取り戻そうと奮闘した。

  • 『ダウン・トゥ・ザ・ボーン (Down to the Bone)』 (1995): アコースティック・アルバム。
  • 『アライヴ・アンド・ウェル (Alive and Well)』 (1999): AC/DCの 「Highway to Hell」のカヴァーや過去のヒット曲の再録を含む意欲作。
  • 『ギルティ・プレジャーズ (Guilty Pleasures)』(2001): 80年代スタイルへの回帰を目指した作品。

しかし、バンド内の人間関係は再び悪化し、2003年9月にバンドは再び分裂した。

6. 第5章: 悲劇の連鎖とケヴィン・ダブロウ (Kevin DuBrow) の死 (2004-2009)

2004年、ケヴィン・ダブロウ (Kevin DuBrow) はフランキー・バナリ (Frankie Banali)、チャック・ライト (Chuck Wright)、そして新たなギタリスト、アレックス・グロッシ (Alex Grossi) を迎えて活動を再開した。2006年にリリースされたアルバム 『リハブ (Rehab)』は、従来のメタル・サウンドから離れ、ダブロウ (DuBrow) とバナリ (Banali) が敬愛する70年代ブリティッシュ・ロック (レッド・ツェッペリン (Led Zeppelin) やハンブル・パイ (Humble Pie))へのオマージュを込めた作品となった。グレン・ヒューズ (Glenn Hughes) がゲスト参加するなど、音楽的な深みを見せた作品であった。

しかし、2007年11月25日、ラスベガス (Las Vegas) の自宅でケヴィン・ダブロウ (Kevin DuBrow) が遺体となって発見された。死因はコカイン (Cocaine) の過剰摂取による中毒死と断定された。享年52歳。バンドの創設者であり象徴であったダブロウ (DuBrow) の死により、フランキー・バナリ (Frankie Banali) は深い悲しみの中でバンドの活動終了を宣言した。

7. 第6章: フランキー・バナリ (Frankie Banali) の執念と闘病 (2010-2020)

7.1 「ケヴィン (Kevin) 無き再結成」への挑戦

沈黙から3年後の2010年、フランキー・バナリ (Frankie Banali) はクワイエット・ライオット (QUIET RIOT) の再始動を発表した。これにはダブロウ (DuBrow) の母であるリサ・ダブロウ (Lisa DuBrow) からの承認と激励があったとされるが、ファンや一部の関係者からは「ケヴィン (Kevin) のいないクワイエット・ライオット (QUIET RIOT) はあり得ない」という批判の声も上がった。しかし、バナリ (Banali) は「クワイエット・ライオット (QUIET RIOT) の音楽をライブで演奏し続けることこそが、ケヴィン (Kevin) とランディ (Randy) の遺産を守ることになる」という信念のもと、バンドを牽引した。

7.2 ヴォーカリストの迷走と定着

2010年代のバンドは、フロントマンの定着に苦しんだ。

  1. マーク・ハフ (Mark Huff) (2010-2012): 再結成時のシンガー。2012年、脳の手術に関連する健康問題の最中に解雇されたことが物議を醸した。
  2. スコット・ヴォキューン (Scott Vokoun) (2012-2013): 短期間のみ在籍。
  3. ジジー・パール (Jizzy Pearl) (2013-2016): ラヴ/ヘイト (Love/Hate) の元ヴォーカリスト。アルバム 『QUIET RIOT 10』に参加。
  4. ショーン・ニコルズ (Seann Nichols) (2016-2017): 短期間で脱退。
  5. ジェームズ・ダービン (James Durbin) (2017-2019): 『アメリカン・アイドル (American Idol)』出身。彼の加入によりバンドは若返り、アルバム『ロード・レイジ (Road Rage)』と『ハリウッド・カウボーイズ (Hollywood Cowboys)』を制作した。
  6. ジジー・パール (Jizzy Pearl) (2019-現在): ダービン (Durbin) 脱退後、復帰を果たした。

7.3 フランキー・バナリ (Frankie Banali) の最期

2019年4月、バンドの精神的支柱であったフランキー・バナリ (Frankie Banali)が、ステージIVの膵臓がん (Pancreatic Cancer) と診断された。余命6ヶ月という宣告を受けながらも、彼は化学療法を受けながらステージに立ち続けた。彼の闘病生活とバンドへの執念は、多くのファンに勇気を与えた。バナリ (Banali) は生前、自身の死後もクワイエット・ライオット (QUIET RIOT) が活動を続けることを強く望んでいた。2020年8月20日、フランキー・バナリ (Frankie Banali) はロサンゼルス (Los Angeles) で息を引き取った。享年68歳。

8. 第7章: レガシーの継承と現在 (2021-2025)

8.1 ルディ・サーゾ (Rudy Sarzo)の帰還

バナリ (Banali) の遺志を継ぎ、バンドは歩みを止めなかった。2021年、ファンにとって最大のニュースがもたらされた。黄金期のメンバーであり、『メタル・ヘルス (Metal Health)』の歴史を知るルディ・サーゾ (Rudy Sarzo)が、約18年ぶりにバンドに復帰したのである。彼の帰還は、オリジナル・メンバー不在のバンドに対し、正統性と歴史的な重みを与える決定的な要素となった。

8.2 2025年のラインナップと活動状況

2025年現在、クワイエット・ライオット (QUIET RIOT) は以下のラインナップで活動を行っている。

メンバー名 (Member) 担当 (Role) 備考 (Notes)
ルディ・サーゾ
(Rudy Sarzo)
ベース
(Bass)
1978年加入のレジェンド。オジー・オズボーン、ホワイトスネイク等を経て復帰。
アレックス・グロッシ
(Alex Grossi)
ギター
(Guitar)
2004年以降、断続的に在籍。現在のバンドサウンドの要。L.A.ガンズ、ラット等での実績を持つベテラン。
ジジー・パール
(Jizzy Pearl)
ヴォーカル
(Vocals)
ジョニー・ケリー
(Johnny Kelly)
ドラム
(Drums)
タイプ・オー・ネガティヴ、ダンジグ (Danzig) 等で活躍。バナリの後任として加入

QUIET RIOTは「40 Years of Metal Health」 ツアーや、各種フェスティバルへの出演を通じて、往年の名曲を現役のサウンドとして響かせている。2025年のツアースケジュールには、インディアナポリス (Indianapolis) やウェスト・ハリウッド (West Hollywood) での公演が含まれている。

9. ディスコグラフィー (Discography)

9.1 スタジオ・アルバム (Studio Albums)

以下の表は、クワイエット・ライオット (QUIET RIOT) の主要スタジオ・アルバムを網羅している。特に初期の日本盤限定リリースに関する情報は重要である。

発売年 (Year) タイトル (Title) レーベル (Label) 備考・チャート順位 (Notes/Chart)
1978 静かなる暴動 (QUIET RIOT) CBS/Sony (Japan) 日本市場限定デビュー作。ランディ・ローズ在籍。
1978/79 暴動に明日はない (QUIET RIOT II) CBS/Sony (Japan) 日本限定。1978年12月発売。ランディ・ローズ最後の参加作。
1983 メタル・ヘルス (Metal Health) Pasha/CBS 全米1位。ヘヴィ・メタル初のNo.1アルバム。
1984 コンディション・クリティカル (Condition Critical) Pasha/CBS 全米15位。プラチナ・ディスク獲得。
1986 QR III Pasha/CBS 全米31位。シンセサイザー導入期。
1988 QR Pasha/CBS 全米119位。ポール・ショーティノ(Vo)期。
1993 テリファイド (Terrified) Moonstone ケヴィン・ダブロウ復帰作。
1995 ダウン・トゥ・ザ・ボーン (Down to the Bone) Kamikaze アコースティック・リメイク中心。
1999 アライヴ・アンド・ウェル (Alive and Well) Cleopatra 再録音+新曲。
2001 ギルティ・プレジャーズ (Guilty Pleasures) Bodyguard 80年代回帰作。
2006 リハブ (Rehab) Chavis ダブロウ遺作。70sロック志向。
2014 クワイエット・ライオット10 (QUIET RIOT 10) RSK ジジー・パール加入。ライブ音源含む。
2017 ロード・レイジ (Road Rage) Frontiers ジェームズ・ダービン (Vo) 加入作。
2019 ハリウッド・カウボーイズ (Hollywood Cowboys) Frontiers ダービン参加第2弾。バナリ最後のスタジオ作。

9.2 アルバム解説

1. 『静かなる暴動 (QUIET RIOT)』 (1978)

  • 詳細: 日本のファンのみがリアルタイムで目撃できたランディ・ローズ (Randy Rhoads) の原点。スモール・フェイセス (Small Faces) の 「ティン・ソルジャー (Tin Soldier)」やデイヴ・クラーク・ファイヴ (The Dave Clark Five)の「グラッド・オール・オーバー (Glad All Over)」のカヴァーが収録されており、QUIET RIOTのルーツがブリティッシュ・ポップにあることがわかる。
  • 日本盤の意義: 2022年や2023年には、日本独自の紙ジャケット仕様やボックスセットで再発されており、コレクターズ・アイテムとしての価値が高い。

2.『暴動に明日はない (QUIET RIOT II)』 (1978/1979)

  • 詳細: 後の大ヒット曲 「スリック・ブラック・キャデラック (Slick Black Cadillac)」のオリジナル・ヴァージョンが収録されている。ランディ・ローズ (Randy Rhoads) のギター・プレイは前作以上に進化しており、ネオ・クラシカル的なフレーズの萌芽が見られる。
  • トリビア: クレジット上はルディ・サーゾ (Rudy Sarzo) がベースとなっているが、実際には演奏していないという事実は長らく公然の秘密であった。

3. 『メタル・ヘルス (Metal Health)』 (1983)

  • 詳細: 1曲目の「メタル・ヘルス (Metal Health (Bang Your Head))」 からラストまで、捨て曲のない構成。スレイド (Slade) のカヴァー「カモン・フィール・ザ・ノイズ (Cum on Feel the Noize)」 は全米シングルチャート5位を記録し、バンドを一躍スターダムに押し上げた。ランディ・ローズ (Randy Rhoads) に捧げられたバラード 「サンダーバード (Thunderbird)」も収録されている。

4. 『コンディション・クリティカル (Condition Critical)』 (1984)

  • 詳細: 前作の成功を受け、急ピッチで制作された。「ママ・ウィー・アー・オール・クレイジー・ナウ (Mama Weer All Crazee Now)」のカヴァーや「パーティ・オール・ナイト (Party All Night)」など、アンセム的な楽曲が並ぶ。商業的には成功したが、批評的には苦戦した。

5. 『ロード・レイジ (Road Rage)』 (2017)の異例の制作過程

  • 詳細: 当初、ショーン・ニコルズ (Seann Nichols) のヴォーカルで完成していたが、アルバム発売直前にニコルズ (Nichols) が脱退。急遽ジェームズ・ダービン (James Durbin) が加入し、ヴォーカル・トラックを全面的に差し替えてリリースされたという経緯を持つ。ダービン (Durbin) は作詞やメロディ作りにも貢献し、バンドに新たな息吹をもたらした。

10. 終わらない暴動

クワイエット・ライオット (QUIET RIOT) の歴史は、単なる音楽活動の記録ではなく、喪失と再生の連続であった。ランディ・ローズ (Randy Rhoads) という不世出の天才を失い、ケヴィン・ダブロウ (Kevin DuBrow) というカリスマを失い、そしてバンドを守り続けたフランキー・バナリ (Frankie Banali) をも失った。それでもなお、バンドが存続している事実は、QUIET RIOTの生み出した音楽 (「Metal Health」や「Slick Black Cadillac」)が、演奏者を超えて普遍的なエネルギーを持ち続けていることの証明である。

特に日本市場 (Japanese Market) との関係は特筆に値する。世界がQUIET RIOTを見過ごしていた1970年代に、いち早くその才能を見出し、レコードとして記録に残した日本のレコード会社の功績は大きい。その音源があったからこそ、ランディ・ローズ (Randy Rhoads) の初期の輝きは永遠のものとなり、後の再評価へと繋がったのである。

ルディ・サーゾ (Rudy Sarzo) の帰還により、バンドは自らのルーツと再び強く結びついた。2025年の現在も、QUIET RIOTはサンセット・ストリップ (Sunset Strip) で始まった「静かなる暴動」を、世界中のステージで鳴らし続けている。

Albums

Hollywood Cowboys CD
/

太いリフと歌いやすいコーラスで、QUIET RIOTの陽性ハード・ロックを現在形で鳴らす一枚。

Road Rage CD
/

直線的なリフと合唱向きのサビで突き進む、QUIET RIOT流のシンプルなハード・ロック。

Rehab CD
/

ブルース感のあるリフと荒々しい歌を基盤に、QUIET RIOTが円熟したハード・ロックを鳴らした第十一作。

Guilty Pleasures CD
/

キャッチーなコーラスとストレートなリフで、QUIET RIOTのグラム・メタル的魅力を再確認する再始動作。

Alive and Well CD
/

新曲と再解釈を交えながら、QUIET RIOTが陽性のグラム/ハード・ロックを鳴らした再始動作。

Down to the Bone CD
/

ケヴィン・ダブロウの個性を前面に、QUIET RIOTがブルージーでラフなハード・ロックへ寄せた再始動作。

Terrified CD
/

ケヴィン・ダブロウ復帰後、QUIET RIOTが荒々しいハード・ロックの感触を取り戻した再始動作。

QR CD
/

新しい歌声とブルージーな硬さを取り入れ、QUIET RIOTが異なる表情を見せた第六作。

QR III CD

大きなコーラスとキーボードの色彩を取り入れ、QUIET RIOTがメロディックな方向へ踏み込んだ第5作。

Condition Critical CD
/

前作の成功を受け、直球のリフと豪快なコーラスでQUIET RIOTが勢いを保った第4作。

Metal Health CD
/

太いリフと大合唱コーラスで、QUIET RIOTが80年代メタルをメインストリームへ押し上げた第三作。