STEVE VAI
フランク・ザッパの門下から出たアメリカのギタリスト、STEVE VAI(スティーヴ・ヴァイ)のバイオグラフィとディスコグラフィ。1984年の『Flex-Able』から2023年の『Vai/Gash』まで、本人名義の全11作品を収録曲・CD情報・ライナーノーツつきで作品ごとに掲載。METAL BOOST。
Biography
STEVE VAI
バイオグラフィー
スティーヴ・ヴァイ(Steven Siro Vai、1960年6月6日生まれ)は、ニューヨーク州カール・プレイス出身のギタリスト、作曲家、プロデューサーである。グラミー賞は3度受賞、15度ノミネート。18歳でフランク・ザッパの譜面の採譜係として職業音楽家の道に入り、1980年から1983年までザッパのバンドで演奏した。1983年からのソロ活動で11枚のスタジオ・アルバムを出しており、総売上は1,500万枚を超える。WHITESNAKE、デイヴィッド・リー・ロスのバンド、ALCATRAZZでの演奏も知られ、ギターを教えたのはジョー・サトリアーニである。
5歳の啓示からザッパまで(1960〜1983年)
ヴァイはイタリア系移民の子孫で、ジョンとテレサ・ヴァイの4番目の息子として生まれた。音楽との最初の出会いを本人はこう語っている——5歳のとき、ピアノに歩み寄って鍵盤を1つ叩き、右へ行くほど音が高く左へ行くほど低くなることに気づいた。その瞬間に、音楽がどう作られどう機能しているかが理論の側から一気に分かってしまった、と。翌年、6歳のときには小学校の講堂で9歳の少年がギターを弾いているのを見て、自分もいつかこの楽器をやると直感したという。
「音楽的な目覚め」として彼が挙げるのは1961年の映画『ウエスト・サイド物語』のサウンドトラックである。11歳で同時代のロックとプログレッシヴな音楽に触れ、12歳でレッド・ゼッペリンの「Heartbreaker」のソロを聴いてギターを始めることを決めた。1973年、同じニューヨーク出身のジョー・サトリアーニにギターを習い始める。友人のジョン・サージオがサトリアーニの電話番号を教えてくれたのがきっかけだった。高校時代はOhio Express、Circus、Raygeといった地元のバンドで弾いていた。
カール・プレイス高校を出た1978年、作曲と理論をさらに学ぶためボストンのバークリー音楽大学へ進む。在学中にフランク・ザッパの採譜係として働き始め、4学期目の途中でカリフォルニアへ移り、ザッパのセッションおよびツアー・メンバーとしての活動に入った。きっかけは1978年、ザッパの「The Black Page」の採譜と自分の学生バンドMorning Thunderの録音を送ったことである。ザッパはこれに感心し、『Joe's Garage』や『Shut Up 'n Play Yer Guitar』の譜面を作る仕事で彼を雇った。ザッパはヴァイをよく「私の小さなイタリア人のヴィルトゥオーゾ」と呼び、アルバムのクレジットには「stunt guitar」「impossible guitar」と記した。バークリーではのちの妻ピア・マイオッコとも出会っている。2003年、彼はバークリーから名誉音楽博士号を受けた。
『Flex-Able』、ALCATRAZZ、デイヴィッド・リー・ロス(1984〜1989年)
1983年にザッパのもとを離れたヴァイは、ロサンゼルスのシルマーに家を買い、最初の本格的なスタジオを作った。この時期にThe Classifiedと777という2つのバンドを組み、発表を前提としない音楽を大量に書いて録音している。その素材から編んだのが1984年1月のデビュー作『Flex-Able』で、自分で作ったレーベル、アカシック・レコード(のちのLight Without Heat Records)から流通に乗せた。
世に知られる契機は、発売の少し前にGuitar Player誌に載った「The Attitude Song」だった。1986年には映画『クロスロード』で悪魔側のギタリスト「ジャック・バトラー」を演じ、ラルフ・マッチオ演じる主人公との有名な弾き合いの場面では、スライド・ギターを除く全てのギターを自分で書いて弾いている(スライドはライ・クーダーである)。
ソロ作の合間に、1984年6月にはイングヴェイ・マルムスティーンの後任としてALCATRAZZに加入し『Disturbing the Peace』を録音した。ツアーの直後にはデイヴィッド・リー・ロスのバンドへ移る。1985年、元VAN HALENのロスが組んだこのバンドは、ヴァイ、元TALASのビリー・シーン(ベース)、元メイナード・ファーガソン楽団のグレッグ・ビソネット(ドラム)という編成だった。1986年7月7日のデビュー作『Eat 'Em and Smile』はビルボード200で4位に入り200万枚を超え、1988年の『Skyscraper』はロスとヴァイの共同プロデュースで6位に達した。1989年、ヴァイはバンドを離れる。後任はCACOPHONYのジェイソン・ベッカーだった。
1985年、ロスのバンドに入った直後に彼はJEMを設計した。ハムバッカー機での24フレット、中央のシングルコイル、ロック式トレモロなど、のちに業界の標準になった要素を備えた楽器である。1986年からアイバニーズと開発を始め、最初の量産機JEM 777は1987年に出た。
『Passion and Warfare』とWHITESNAKE(1990〜1999年)
1985年から1990年にかけて、ヴァイは自宅スタジオで2作目『Passion and Warfare』を録り続けた。ロスのバンドを離れた1989年にキャピトルとの契約を買い取り、Relativityと結び直している。その作業が終わりに近づいた頃、負傷したエイドリアン・ヴァンデンバーグの代役としてWHITESNAKEの『Slip of the Tongue』のギターを録音した。1989年11月に出た同作は世界で300万枚を超え、ビルボード200で10位に入り、ヴァイは13か月のワールド・ツアーに同行した。
1990年5月に出た『Passion and Warfare』はビルボード200で18位、世界で150万枚を売り、Guitar World誌とGuitar Player誌の「ベスト・アルバム」「ベスト・ロック・ギタリスト」を獲った。インストゥルメンタル作品として最も重要な1枚として語られ続けている。同年にはアイバニーズと共同設計した7弦ギターUniverseも発売された。
1990年にWHITESNAKEを離れ、デヴィン・タウンゼンド(ヴォーカル)、T. M. スティーヴンス(ベース)、テリー・ボジオ(ドラム)とバンドを組む。1993年7月の『Sex & Religion』はそのバンドの作品で、ツアーの後に解散した。1994年にはオジー・オズボーンと『Ozzmosis』のための作曲と録音を行ったが、事情により書き直され、ギターはザック・ワイルドで録り直された。同じ1994年、『Zappa's Universe』での「Sofa」の演奏で最初のグラミー賞を受ける。
4作目『Fire Garden』の録音中、彼は装飾を削いだEP『Alien Love Secrets』を挟んだ。1996年9月に出た『Fire Garden』は19曲入りの2部構成で、その後ヴァイはかつての師サトリアーニとエリック・ジョンソンとともにG3の第2回に加わっている。1998年には当時のマネージャー、ルータ・セペティスとMake a Noise財団を立ち上げた。楽器と音楽教育を、それを得られない人々に届けるための財団である。1999年8月の『The Ultra Zone』では、最後に置かれた「Asian Sky」にB'zの稲葉浩志と松本孝弘が参加した。
管弦楽、三部作、そしてFavored Nations(2000〜2019年)
2001年、ヴァイの自主レーベルFavored Nationsから出た『No Substitutions: Live in Osaka』は、彼自身のプロデュースとエンジニアリングで、2002年2月に2度目のグラミー賞(最優秀ポップ・インストゥルメンタル・アルバム)をもたらした。Favored Nationsはトミー・エマニュエル、エリック・ジョンソン、ビリー・シーンらの作品を含む70枚以上を出している。
2004年5月、オランダ放送協会の委嘱作「The Aching Hunger」をメトロポール・オーケストラとともに初演した。前半が彼の現代管弦楽作品、後半が自作をオーケストラ用に編み直したもので、この企画から2007年6月のDVD『Visual Sound Theories』とアルバム『Sound Theories Vol. I & II』が生まれた。高校時代に音楽理論を教えたビル・ウェストコットについて、ヴァイは「彼が書き方、作曲の仕方、音楽の味わい方を教えてくれた。私の人生でこれ以上の音楽的影響はない」と語っている。
2005年の『Real Illusions: Reflections』は三部構成の概念作品の第1作で、2012年の『The Story of Light』が第2作である。2006年にはドゥイージル・ザッパのZappa Plays Zappaツアーに特別ゲストとして参加し、そこでの「Peaches en Regalia」の演奏で2008年に3度目のグラミー賞を受けた。同じ2006年から「Alien Guitar Secrets」のマスタークラスを始め、2014年にはこれを発展させたギター合宿「Vai Academy」を開いている。2016年にはザック・ワイルド、イングヴェイ・マルムスティーン、ヌーノ・ベッテンコート、トーシン・アバシとGeneration Axeのツアーを回り、『Modern Primitive』と『Passion and Warfare』25周年記念盤を同時に出した。2019年には理論書『Vaideology』を刊行している。
『Inviolate』からSatchVaiへ(2020年〜)
2022年1月の『Inviolate』は、米ビルボードのCurrent Hard Rock Albumsチャートで初登場1位——彼にとって初の1位——を記録した。ジャケットに写るのはアイバニーズと作った3本ネックのギター「Hydra」である。2023年1月の『Vai/Gash』は1991年の録音で、歌ったジョニー・「ガッシュ」・ソンブロットが1998年にオートバイ事故で亡くなったため30年以上お蔵入りしていた作品である。
2024年初頭、ヴァイ、サトリアーニ、エリック・ジョンソンがG3の初期編成で「Reunion」ツアーを行い、その後ふたりはSATCHVAIとしてツアーを続けた。50年を越える付き合いのなかで初めて共作したシングル「The Sea Of Emotion, Pt. 1」は2024年3月29日に発表され、初のスタジオ・アルバムはearMUSICから2026年11月6日発売の『The Sea Of Emotion』である。2024年9月にはエイドリアン・ブリュー、トニー・レヴィン、TOOLのダニー・ケアリーと、1980年代のキング・クリムゾンを演奏するBEATを結成し、北米、中南米、日本、そして2026年の欧州を回っている。
日本での公演
単独での来日は2023年10月、『Inviolate』を携えた9年ぶりのツアーで、16日にZepp Namba(大阪)、17日に豊洲PIT(東京)で演奏した。主催はウドー音楽事務所である。最も新しい日本の舞台は2025年9月1日の日本武道館で、BEATの一夜限りの公演だった。1989年から1990年のWHITESNAKEのワールド・ツアーにもギタリストとして同行している。
ディスコグラフィ(当サイト登録分)
- Flex-Able (1984)
- Passion and Warfare (1990)
- Sex & Religion (1993)
- Alien Love Secrets (1995、EP)
- Fire Garden (1996)
- The Ultra Zone (1999)
- Real Illusions: Reflections (2005)
- The Story of Light (2012)
- Modern Primitive (2016)
- Inviolate (2022)
- Vai/Gash (2023)
『Flex-Able Leftovers』は当サイトに登録していない。1984年に10インチのミニ・アルバムとして出たものが1998年にCDで拡張再発されており、「その商品が最初に公開された日」が1984年と1998年のどちらとも言えるためである。ライヴ盤(『Alive in an Ultra World』『Sound Theories Vol. I & II』『Where the Wild Things Are』『Stillness in Motion』ほか)、編集盤と『Naked Tracks』の各巻、サウンドトラック扱いの『The Elusive Light and Sound, Volume 1』、10枚組の『The Secret Jewel Box』、そしてG3・Generation Axe・BEATのライヴ盤も登録していない。SatchVai名義の『The Sea Of Emotion』は共同名義のためJOE SATRIANI側に1件だけ登録している。
出典について
ここに記した事実は、本人の公式サイト vai.com のバイオグラフィとツアー日程、英語版Wikipediaの本人および各アルバムの項目、MusicBrainzの release 行(発売日・レーベル・品番・曲目)、Spotifyの埋め込みペイロード(アルバムの同一性と再生可否の確認)、YouTubeのoEmbed(公式動画の投稿者確認)、そして来日公演についてはウドー音楽事務所とキョードー東京の公演ページに拠っている。
Trivia
単独名義での来日は2023年10月、『Inviolate』を携えた「INVIOLATE TOUR 2023」として行われた。主催のウドー音楽事務所の公演ページによれば、16日がZepp Namba(大阪)、17日が豊洲PIT(東京)の2公演で、前座は付かない。協力はソニー・ミュージックジャパンインターナショナル。東京公演は前方が指定席12,000円、後方が立見11,000円(いずれも税込・ドリンク代別)だった。
ヴァイが日本の舞台に最も近く立ったのは2025年9月1日、日本武道館である。主催キョードー東京の公演ページによれば、エイドリアン・ブリュー(ギター、ヴォーカル)、トニー・レヴィン(ベース)、ヴァイ(ギター)、ダニー・ケアリー(ドラム)の4人によるBEATの一夜限りの公演で、1980年代のキング・クリムゾンの楽曲を演奏した。開場18時、開演19時。チケットは2階ステージサイドのA席15,000円からアリーナVIP席45,000円まで(いずれも税込)。
ヴァイがギターを習い始めたのは12歳のときで、教師はジョー・サトリアーニだった。公式のバイオグラフィはこの一行から彼の経歴を始めている。ふたりは同じロングアイランドの出で、のちにG3で同じ舞台に立ち、2024年からはSATCHVAIの名でツアーを共にすることになる。
18歳でヴァイは職業音楽家になった。最初の仕事は演奏ではなく採譜である。公式のバイオグラフィによれば、彼はフランク・ザッパの譜面を書き起こす仕事から始め、その後ザッパのバンドで演奏するようになった。
グラミー賞は3度受賞、15度ノミネートされている。公式のバイオグラフィはこの数字を、30年を越える活動と1,500万枚を超えるアルバム売上と並べて記している。
公式のバイオグラフィは、Guitar World誌が読者投票で彼を史上10位のギタリストに選んだことと、Guitar Player誌から15を超える賞を受けていることを記している。アルバムの総売上は1,500万枚を超える。
ヴァイはバークリー音楽大学とミュージシャンズ・インスティテュートの双方から名誉博士号を受けている。公式のバイオグラフィは、これを彼の経歴上の達成が招いたものとして記している。中退した学校から名誉博士号を受けた形である——彼は4学期目の途中でバークリーを離れ、ザッパの仕事に就いた。
2012年、TECファウンデーションはヴァイにレス・ポール賞を贈った。公式のバイオグラフィによれば、これは「技術の創造的な応用において最も高い卓越性の基準を打ち立てた」人物に与えられる賞で、同財団は彼を「最高位の音楽的錬金術師」と評している。
News
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earMUSICから11月6日発売。プロデュース/キーボードはEric Caudieux、「I Wanna Play My Guitar」にGlenn Hughesが参加する。
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80年代KING CRIMSONの楽曲を演奏するプロジェクト。ドラムはDanny Careyの代役としてTerry Bozzioが参加する。
Albums
COLLABORATION
JOE SATRIANI/STEVE VAI の共同名義による作品です。ALBUMページは JOE SATRIANI のページにあり、1作品につき1ページで扱っています。