JOHN SYKES
ハード・ロック (Hard Rock) およびヘヴィ・メタル (Heavy Metal) の歴史において、ジョン・サイクス (JOHN SYKES) ほど強烈な輝きと、ある種の悲劇性を帯びたギタリストは稀有である。
Biography
ジョン・サイクス (JOHN SYKES)
その生涯、音楽的功績、ディスコグラフィ
1. 1980年代ハード・ロックの構築者
ハード・ロック (Hard Rock) およびヘヴィ・メタル (Heavy Metal) の歴史において、ジョン・サイクス (JOHN SYKES) ほど強烈な輝きと、ある種の悲劇性を帯びたギタリストは稀有である。ニュー・ウェイヴ・オブ・ブリティッシュ・ヘヴィ・メタル (New Wave of British Heavy Metal / NWOBHM) の喧騒の中から現れたJOHN SYKESは、タイガース・オブ・パンタン (Tygers of Pan Tang) で頭角を現し、伝説的なバンドであるシン・リジィ (Thin Lizzy) に「劇薬」としての若きエネルギーを注入し、そしてホワイトスネイク (Whitesnake) においては、1980年代を象徴する商業的成功の礎となるサウンドを構築した。
JOHN SYKESのプレイスタイルは、レスポール・カスタム (Les Paul Custom) とマーシャル (Marshall) あるいはメサブギー (Mesa Boogie) のアンプから繰り出される、分厚く攻撃的なディストーション・サウンドと、それとは対照的なほどに艶やかで感情豊かなワイド・ヴィブラート (Wide Vibrato) によって定義される。ジョン・サイクス (JOHN SYKES) は単なるギタリストではなく、楽曲の骨格を決定づけるコンポーザー (Composer) であり、またフィル・ライノット (Phil Lynott) の精神的後継者とも言えるヴォーカリストでもあった。
2. 黎明期: レディングからイビサ、そしてブラックプールへ (1959-1979)
2.1 生い立ちとイビサでの啓示
ジョン・ジェームズ・サイクス (John James Sykes) は、1959年7月29日、イングランド (England) のバークシャー州レディング (Reading, Berkshire) に生まれた。JOHN SYKESの音楽キャリアの原点は、多くの同時代のブリティッシュ・ロック・ミュージシャンとは異なり、地中海の島で育まれた。JOHN SYKESが14歳の時、家族はスペイン (Spain) のイビサ島 (Ibiza) へと移住する。JOHN SYKESの継父はそこでナイトクラブを経営しており、多感な時期のジョン・サイクス (JOHN SYKES) は、華やかさと喧騒が入り混じる環境に身を置くこととなった。
JOHN SYKESがギター (Guitar) に興味を持ったのは、叔父であるビル (Bill) の影響であった。叔父が弾いて見せたエリック・クラプトン (Eric Clapton) のブルース・リック (Blues Licks) に衝撃を受けたJOHN SYKESは、古いナイロン弦のギターを手にし、独学での練習に補頭することとなる。イビサ島 (Ibiza) での約2年間、JOHN SYKESはブルース (Blues) のコピーに明け暮れ、指板上の感情表現の基礎を築き上げた。この時期に培われた「ブルース (Blues) への理解」こそが、後のJOHN SYKESのハイ・ゲイン (High-Gain) なメタル・サウンドの中に、常に歌心と哀愁 (Melancholy) を共存させることを可能にした決定的要因であると考えられる。
2.2 帰国とストリートファイター (Streetfighter) の結成
イングランド (England) に戻ったジョン・サイクス (JOHN SYKES) は、一時的にレディング (Reading) に住み、恋愛関係を理由に1年半ほどギターから離れる時期があったが、その後ブラックプール (Blackpool) へと移り住み、再び音楽への情熱を取り戻す。ここで運命的な出会いを果たすのが、後にダイアモンド・ヘッド (Diamond Head) やサムソン (Samson)、FMで活躍することになるベーシスト、マーヴィン・ゴールドスワーシー (Mervyn Goldsworthy) である。
1980年、ジョン・サイクス (JOHN SYKES) はマーヴィン・ゴールドスワーシー (Mervyn Goldsworthy) と共にバンド、ストリートファイター (Streetfighter) を結成する。このバンドは、ジョン・サイクス (JOHN SYKES) にとって最初の本格的なプロフェッショナル・キャリアのスタート地点となった。彼らはコンピレーション・アルバム 『New Electric Warriors』(1980年) に楽曲 「She's No Angel」を提供している。この楽曲におけるギタープレイは、荒削りながらも、後のJOHN SYKESのトレードマークとなる速いパッセージとアグレッシブなピッキング・ハーモニクス (Pinch Harmonics) の萌芽が見て取れる重要な録音物である。
この時期、JOHN SYKESはブラックプール (Blackpool) の質屋で、1978年製の黒いギブソン・レスポール・カスタム (Gibson Les Paul Custom) を購入している。クローム・パーツ (Chrome Hardware) に交換されたこのギターこそが、後のホワイトスネイク (Whitesnake) やブルー・マーダー (Blue Murder) のジャケットを飾り、JOHN SYKESのアイコンとなる伝説的な楽器であった。
3. NWOBHMの嵐: タイガース・オブ・パンタン (1980-1982)
3.1 既存バンドへの加入と化学反応
1980年代初頭、イギリス (UK) ではパンク・ロック (Punk Rock) の衰退と入れ替わるように、ニュー・ウェイヴ・オブ・ブリティッシュ・ヘヴィ・メタル (NWOBHM) のムーブメントが爆発していた。ウィットリー・ベイ (Whitley Bay) 出身のバンド、タイガース・オブ・パンタン (Tygers of Pan Tang) は、デビュー作『Wild Cat』で成功を収めていたが、さらなるサウンドの厚みを求めてセカンド・ギタリストを探していた。
オーディションを経てバンドに加入したジョン・サイクス (JOHN SYKES) は、創設メンバーであるギタリスト、ロブ・ウィアー (Robb Weir) とツイン・ギター (Twin Guitar) 体制を構築する。パンク的な衝動性が強かった初期のサウンドに対し、ジョン・サイクス (JOHN SYKES) はテクニカルなソロと、より現代的なヘヴィ・メタル (Heavy Metal) の構築美を持ち込んだ。
3.2 傑作『Spellbound』 と 『Crazy Nights』
1981年にリリースされたアルバム 『Spellbound』 (スペルバウンド) は、NWOBHMムーブメントにおける金字塔の一つとして評価されている。特に楽曲「Gangland」や「Take It」において、ジョン・サイクス (JOHN SYKES) のギターはバンド全体を牽引するエンジンとなり、スピーディーかつメロディアスなソロ・ワークは当時のギター・キッズたちに衝撃を与えた。
続いて同年にリリースされた 『Crazy Nights』 (クレイジー・ナイツ) でもJOHN SYKESの貢献は大きかったが、バンド側とマネージメントの間で、より商業的な成功を求める圧力と音楽的方向性の相違が生じ始めていた。ジョン・サイクス (JOHN SYKES) は、バンドの一部メンバーの献身性の欠如や、成功への渇望の温度差に不満を抱くようになる。
3.3 突然の脱退と『The Cage』 への痕跡
1982年初頭、フランス (France) ツアー開始のわずか2日前というタイミングで、ジョン・サイクス (JOHN SYKES) はタイガース・オブ・パンタン (Tygers of Pan Tang) を脱退する。この行動はJOHN SYKESの妥協を許さない性格と、プロフェッショナルとしての高い意識の裏返しであったとも言える。
しかし、脱退前にJOHN SYKESは次作 『The Cage』 (ザ・ケージ) (1982年) のためのレコーディングに参加していた。アルバムに収録された 「Love Potion No. 9」 (ラヴ・ポーション・ナンバー・ナイン) と「Danger in Paradise」の2曲には、JOHN SYKESのギタープレイがそのまま残されている。特にリーバー&ストーラー (Leiber & Stoller) のカバーである 「Love Potion No. 9」におけるソロは、ポップな楽曲構造の中に強烈なメタルの牙を隠し持った名演であり、JOHN SYKESが単なるメタル・ギタリストの枠を超え、楽曲を「ヒット・ソング」へと昇華させる能力を持っていたことを証明している。
4. 伝説の継承と再生: シン・リジィ (1982-1983)
4.1 スノーウィー・ホワイトの後任として
1982年、アイルランド (Ireland) の英雄的バンド、シン・リジィ (Thin Lizzy) は岐路に立たされていた。前任ギタリストのスノーウィー・ホワイト (Snowy White) が在籍した『Chinatown』や『Renegade』の時期は、音楽的には成熟していたものの、かつてのような危険なロック・バンドとしての鋭さを失いつつあった。リーダーであるフィル・ライノット (Phil Lynott) は、バンドに活力を取り戻すため、よりアグレッシブなギタリストを求めていた。
ジョン・サイクス (JOHN SYKES) はこの時期、オジー・オズボーン (Ozzy Osbourne) のバンド (ランディ・ローズ亡き後のポジション) のオーディションを受ける話もあったが、JOHN SYKESが少年時代から憧れていたシン・リジィ (Thin Lizzy) からのオファーを優先させた。
4.2 『Thunder and Lightning』における「スレッジハンマー」効果
ジョン・サイクス (JOHN SYKES) の加入による化学反応は劇的であった。1983年にリリースされたアルバム『Thunder and Lightning』 (サンダー・アンド・ライトニング) は、シン・リジィ (Thin Lizzy) の長い歴史の中で最もヘヴィで、かつ現代的なメタル・サウンドを持つ作品となった。
古参メンバーであるスコット・ゴーハム (Scott Gorham) は、ジョン・サイクス (JOHN SYKES) のアプローチを「スレッジハンマー (Sledgehammer) で殴りつけるような衝撃」と表現し、JOHN SYKESがバンドの寿命を延ばし、最後の輝きを与えたと称賛している。特にタイトルトラック 「Thunder and Lightning」や、ジョン・サイクス (JOHN SYKES) とフィル・ライノット (Phil Lynott) の共作である「Cold Sweat」 (コールド・スウェット) は、NWOBHMの若手バンドに対抗しうるエネルギーと、ベテランならではの哀愁が見事に融合していた。
4.3 終焉と「Please Don't Leave Me」
アルバムに伴うツアーは大成功を収め、その模様はライブ・アルバム 『Life』 (ライフ) (1983年) やBBCの記録に残された。しかし、フィル・ライノット (Phil Lynott) の深刻化する薬物問題や健康状態の悪化により、バンドは1983年のレディング・フェスティバル (Reading Festival) を最後に解散することとなる。
シン・リジィ (Thin Lizzy) の解散後も、ジョン・サイクス (JOHN SYKES) とフィル・ライノット (Phil Lynott) の絆は深かった。1982年にジョン・サイクス (JOHN SYKES) 名義でリリースされたシングル 「Please Don't Leave Me」 (プリーズ・ドント・リーヴ・ミー) では、フィル・ライノット (Phil Lynott) がヴォーカルを担当している。この楽曲は、泣きのギターとフィルのソウルフルな歌声が絡み合う名バラードであり、後のジョン・サイクス (JOHN SYKES) のキャリアにおいても常にハイライトとして演奏される重要なレパートリーとなった。
5. サーペンス・アルバスの栄光と追放: ホワイトスネイク (1984-1987)
5.1 『Slide It In』 USリミックスへの貢献
シン・リジィ (Thin Lizzy) 解散後、ジョン・サイクス (JOHN SYKES) はデヴィッド・カヴァデール (David Coverdale) 率いるホワイトスネイク (Whitesnake) へと勧誘される。当初、フィル・ライノット (Phil Lynott) への忠誠心から加入を躊躇していたが、最終的にこれを受諾する。
JOHN SYKESが最初に参加したのは、既に録音されていたアルバム 『Slide It In』 (スライド・イット・イン) (1984年) の米国市場向けリミックス作業 (US Remix) であった。ゲフィン・レコード (Geffen Records) のA&Rであったジョン・カロドナー (John Kalodner) の提案により、よりラジオ・フレンドリーかつハードな音像が求められたためである。ジョン・サイクス (JOHN SYKES) は、同じく新加入のニール・マーレイ (Neil Murray / Bass) と共に、ミッキー・ムーディ (Micky Moody) とコリン・ホッジキンソン (Colin Hodgkinson) のパートを差し替える形でオーバーダブを行った。
このUSリミックス版において、ジョン・サイクス (JOHN SYKES) のギターは鋭さと煌びやかさを増し、ホワイトスネイク (Whitesnake) が従来のブルース・ロック・バンドから、スタジアム級のハード・ロック・バンドへと脱皮する触媒となった。特に「Slide It In」や「Slow an' Easy」におけるJOHN SYKESのプレイは、アメリカ市場でのブレイクに不可欠な要素であった。
5.2 1987年の傑作 『Whitesnake』
ジョン・サイクス (JOHN SYKES) のキャリアの頂点であり、同時に最大の悲劇でもあったのが、1987年のセルフタイトル・アルバム 『Whitesnake』(通称『1987』または『Serpens Albus』) である。JOHN SYKESはデヴィッド・カヴァデール (David Coverdale) と共に南フランス (South of France) に滞在し、アルバムのほぼ全曲を共作した。
このアルバムにおけるジョン・サイクス (JOHN SYKES) のギター・ワークは、1980年代ハード・ロックの「完成形」と見なされている。「Still of the Night」 (スティル・オブ・ザ・ナイト) におけるレッド・ツェッペリン (Led Zeppelin) 的な壮大さと攻撃的なリフ、「Is This Love」 (イズ・ディス・ラヴ) における極めて叙情的なソロ・フレージング、そして「Crying in the Rain」 (クライング・イン・ザ・レイン) のリメイクにおける圧倒的なテクニックは、世界中で数千万人のリスナーを魅了した。
5.3 解雇と「ファントム・バンド」の悲劇
しかし、レコーディング過程においてデヴィッド・カヴァデール (David Coverdale) とジョン・サイクス (JOHN SYKES) の関係は修復不可能なほどに悪化していた。カヴァデール (Coverdale) が副鼻腔の手術で長期間離脱している間、制作進行に焦りを感じたジョン・サイクス (JOHN SYKES) とプロデューサーのマイク・ストーン (Mike Stone) の行動が、カヴァデール (Coverdale) には「バンド乗っ取りの画策」と映ったとされる。
結果として、アルバム完成直後にジョン・サイクス (JOHN SYKES) を含む全メンバーが解雇された。MTVで大量オンエアされた 「Here I Go Again」や「Is This Love」のミュージック・ビデオには、エイドリアン・ヴァンデンバーグ (Adrian Vandenberg) やヴィヴィアン・キャンベル (Vivian Campbell) といった新しいギタリストたちが映っていたが、そこで鳴っているギターの音は紛れもなくジョン・サイクス (JOHN SYKES) のものであった。自身の作り上げたサウンドが世界を席巻する中、その栄光の場に自身の姿がないというこの事実は、JOHN SYKESのその後のキャリアにおける人間不信や、自身のバンドへの執着に深い影を落とすこととなった。
6. 王冠なき帝王: ブルー・マーダー (1988-1994)
6.1 スーパー・トリオの結成
ホワイトスネイク (Whitesnake) を追われたジョン・サイクス (JOHN SYKES) は、自身の音楽的ヴィジョンを完全にコントロールするため、新たなプロジェクト、ブルー・マーダー (Blue Murder) を始動させる。JOHN SYKESが選んだパートナーは、ザ・ファーム (The Firm) でジミー・ペイジ (Jimmy Page) と活動していたフレットレス・ベースの名手トニー・フランクリン (Tony Franklin) と、ヴァニラ・ファッジ (Vanilla Fudge) やロッド・スチュワート (Rod Stewart) バンドで知られるドラムの重鎮カーマイン・アピス (Carmine Appice) であった。
当初、ヴォーカリストにはレイ・ギラン (Ray Gillen / Black Sabbath, Badlands) やトニー・マーティン (Tony Martin / Black Sabbath) らが候補に挙がり、実際にデモ録音も行われたが、最終的にジョン・サイクス (JOHN SYKES) 自身がリード・ヴォーカルをとる決断を下した。JOHN SYKESのアプローチは師であるフィル・ライノット (Phil Lynott) の影響を色濃く反映しており、中低域の艶と力強さを兼ね備えていた。
6.2 デビュー・アルバム 『Blue Murder』
1989年にゲフィン (Geffen) からリリースされたデビュー・アルバム『Blue Murder'] (ブルー・マーダー) は、ボブ・ロック (Bob Rock) のプロデュースにより、極めて重厚かつ洗練されたサウンド・プロダクションが施された。「Valley of the Kings」 (ヴァレー・オブ・ザ・キングス) におけるエジプト音階を用いた壮大なリフや、「Jelly Roll」 (ジェリー・ロール) におけるアメリカン・ロック的なおおらかさと哀愁の融合は、ジョン・サイクス (JOHN SYKES) のソングライティング能力の高さを証明した。
しかし、リリースのタイミングは不運であった。1989年はヘア・メタル (Hair Metal) ブームの末期であり、間もなくグランジ (Grunge) の波が押し寄せようとしていた。音楽的な質の高さにもかかわらず、セールスは期待されたほど爆発的なものにはならなかった。
6.3 『Nothin' But Trouble』 と日本での熱狂
続くセカンド・アルバム『Nothin' But Trouble』 (ナッシン・バット・トラブル) (1993年) の制作時には、メンバー・チェンジが発生していた。ベースにマルコ・メンドーサ (Marco Mendoza)、ドラムにトミー・オスティーン (Tommy O'Steen) を迎え、よりファンク要素やグルーヴを意識した楽曲 (「We All Fall Down」 など) が含まれていた。
アメリカ市場での苦戦とは裏腹に、日本 (Japan) においてジョン・サイクス (JOHN SYKES) の人気は絶大であった。1993年の来日公演を収録したライブ・アルバム 『Screaming Blue Murder』 (スクリーミング・ブルー・マーダー) (1994年) は、東京 (Tokyo) での熱狂的な反応を記録しており、スタジオ盤以上に荒々しくテクニカルなギタープレイを聴くことができる。
7. ソロ・キャリアとシン・リジィの再結成 (1995-2009)
7.1 『Out of My Tree』 から 『Nuclear Cowboy』 への進化
ブルー・マーダー (Blue Murder) の活動停止後、JOHN SYKESは名義をシンプルな「サイクス (Sykes)」または「ジョン・サイクス (JOHN SYKES)」とし、ソロ活動へ移行する。
- 『Out of My Tree』 (アウト・オブ・マイ・ツリー) (1995年): 当時のグランジ/オルタナティヴ・ロックの隆盛を意識し、ギターのチューニングを下げ、よりダークでヘヴィなリフを多用した作品。マルコ・メンドーサ (Marco Mendoza) とトミー・オスティーン (Tommy O'Steen) が参加。「Soul Stealer」など、自身のルーツである70年代ロックを90年代的に解釈したサウンドが特徴である。
- 『Loveland』 (ラブランド) (1997年): 全編バラードやミドル・テンポの楽曲で構成された異色作。タイトル曲や「Don't Hurt Me This Way」では、生前のフィル・ライノット (Phil Lynott) の未発表ヴォーカル・トラックを使用し、時空を超えたデュエットを実現させた。ストリングスを導入するなど、メロディメーカーとしての側面が強調されている。
- 『20th Century』 (20th センチュリー) (1997年): 『Loveland』 と対になるハード・ロック・アルバム。「Look in His Eyes」やアニメ『課長王子 (The Legend of Black Heaven)』のオープニング・テーマとして使用された 「Cautionary Warning」 (コーショナリー・ワーニング) を収録。日本のアニメ文化との結びつきにより、新たなファン層を獲得した。
- 『Nuclear Cowboy』 (ニュークリア・カウボーイ) (2000年): ドラム・ループやサンプリングを導入し、インダストリアル・ロック的なアプローチを試みた野心作。賛否両論を呼んだが、常に前進しようとするJOHN SYKESの姿勢を示していた。
7.2 シン・リジィ (Thin Lizzy) のフロントマンとして
1996年、ジョン・サイクス (JOHN SYKES) はスコット・ゴーハム (Scott Gorham) と共にシン・リジィ (Thin Lizzy) を再結成する。特筆すべきは、JOHN SYKESがギタリストとしてだけでなく、フィル・ライノット (Phil Lynott) の代役としてリード・ヴォーカルも務めたことである。
JOHN SYKESの声質やフレージングはフィルのそれを彷彿とさせ、かつJOHN SYKES自身がフィルの愛弟子であったことから、ファンからも正当な後継者として受け入れられた。このラインナップでの活動は2009年まで続き、ライブ・アルバム 『One Night Only』 (ワン・ナイト・オンリー) (2000年) を残している。しかし、あくまで「トリビュート (Tribute)」としての活動に限界を感じたのか、2009年にJOHN SYKESは自身のオリジナル曲に専念するためにバンドを離脱した。
8. 沈黙の年月と『Sy-Ops』、そして終焉 (2010-2024)
8.1 幻のアルバム 『Sy-Ops』 とゴールデン・ロボットとの確執
2010年代に入ると、ジョン・サイクス (JOHN SYKES) の活動は散発的になり、やがて長い沈黙期間に入る。ファン待望のニュー・アルバム、仮タイトル『Sy-Ops』の噂は長年囁かれていた。「Dawning of a Brand New Day」 や 「Out Alive」 といった新曲の断片やサンプルがオンラインで公開され、トニー・フランクリン (Tony Franklin) やジョシュ・フリース (Josh Freese / Guns N' Roses, Foo Fighters) の参加が報じられた。
2016年、オーストラリア (Australia) のレーベル、ゴールデン・ロボット・レコード (Golden Robot Records) との契約が発表され、2017年のリリースが確実視された。しかし、アルバムは発売されなかった。ジョン・サイクス (JOHN SYKES) 側はレーベルの契約不履行を主張し、レーベル側はコミュニケーションの断絶を示唆するなど、泥沼の状態となった。この間、JOHN SYKESは公の場に姿を現すことが極端に減り、音楽業界への不信感を深めていたとも推測される。
8.2 死去
2025年1月20日、JOHN SYKESの公式サイトおよびソーシャルメディアにて、ジョン・サイクス (JOHN SYKES) が2024年12月21日に65歳で逝去したことが発表された。死因は癌 (Cancer) との闘病の末であったとされる。このニュースは世界中を駆け巡り、かつて確執のあったデヴィッド・カヴァデール (David Coverdale) やカーマイン・アピス (Carmine Appice)、グレン・ヒューズ (Glenn Hughes) らからも追悼のコメントが寄せられた。
9. ディスコグラフィ (Discography)
以下に、ジョン・サイクス (JOHN SYKES) が関わった主要作品を詳細に記載する。
9.1 ストリートファイター (Streetfighter)
- 参加形態: 結成メンバー
- 主要メンバー: Mervyn Goldsworthy (Bass/Vocals), JOHN SYKES (Guitar)
| 年 | タイトル (Title) | 形式 | 備考 |
|---|---|---|---|
| 1980 | New Electric Warriors | Compilation | 収録曲「She's No Angel」に参加。 |
9.2 タイガース・オブ・パンタン (Tygers of Pan Tang)
- 主要メンバー: Robb Weir (Guitar), Jon Deverill (Vocals), Rocky Laws (Bass), Brian Dick (Drums)
| 年 | タイトル (Title) | チャート | 詳細・収録曲 |
|---|---|---|---|
| 1981 | Spellbound (スペルバウンド) | UK #33 | NWOBHMの名盤。 Gangland, Hellbound, Take It, Tyger Bay |
| 1981 | Crazy Nights (クレイジー・ナイツ) | UK #51 | Love Don't Stay, Do It Good, Running Out of Time |
| 1982 | The Cage (ザ・ケージ) | UK #13 | 脱退後のリリースだが、以下の2曲でギターソロを担当。 Love Potion No. 9, Danger in Paradise |
9.3 シン・リジィ (Thin Lizzy)
- 主要メンバー: Phil Lynott (Vocals/Bass), Scott Gorham (Guitar), Brian Downey (Drums), Darren Wharton (Keyboards)
| 年 | タイトル (Title) | 種別 | 詳細・収録曲 |
|---|---|---|---|
| 1983 | Thunder and Lightning (サンダー・アンド・ライトニング) | Studio | Cold Sweat (Sykes/Lynott共作), Thunder and Lightning, Holy War, The Sun Goes Down |
| 1983 | Life (ライフ) | Live | 解散ツアーの模様を収録。 |
| 2000 | One Night Only (ワン・ナイト・オンリー) | Live | 再結成シン・リジィ (Voはサイクス) によるライブ盤。 |
9.4 ホワイトスネイク (Whitesnake)
- 主要メンバー (1987): David Coverdale (Vocals), Neil Murray (Bass), Aynsley Dunbar (Drums)
| 年 | タイトル (Title) | 種別 | 詳細・収録曲 |
|---|---|---|---|
| 1984 | Slide It In (US Remix) (スライド・イット・イン) | Studio | US版のみギター・オーバーダブで参加。 Slide It In, Slow an' Easy, Love Ain't No Stranger |
| 1987 | Whitesnake (サーペンス・アルバス/白蛇の紋章) | Studio | 全米800万枚以上のセールス。 Still of the Night, Is This Love, Here I Go Again '87, Crying in the Rain '87 |
| 2014 | Live in '84: Back to the Bone | Live | 1984年の未発表ライブ音源集。 |
9.5 ブルー・マーダー (Blue Murder)
- メンバー: JOHN SYKES (Vo/Gt), Tony Franklin (Bass), Carmine Appice (Drums)
- 2nd以降: Marco Mendoza (Bass), Tommy O'Steen (Drums), Kelly Keeling (Vocals/Keys)
| 年 | タイトル (Title) | 詳細・収録曲 |
|---|---|---|
| 1989 | Blue Murder (ブルー・マーダー) | Valley of the Kings, Jelly Roll, Riot, Blue Murder |
| 1993 | Nothin' But Trouble (ナッシン・バット・トラブル) | We All Fall Down, Cry for Love, Itchycoo Park (Small Faces cover) |
| 1994 | Screaming Blue Murder (スクリーミング・ブルー・マーダー) | 1993年12月の東京公演を収録したライブ・アルバム。 |
9.6 ソロ・アルバム (Solo Albums)
| 年 | タイトル (Title) | 名義 | 主要参加メンバー | 詳細 |
|---|---|---|---|---|
| 1995 | Out of My Tree (アウト・オブ・マイ・ツリー) | Sykes | Marco Mendoza, Tommy O'Steen | Soul Stealer, I Don't Wanna Live My Life Like You |
| 1997 | Loveland (ラブランド) | JOHN SYKES | Marco Mendoza, Jamie Muhoberac | バラード集。 |
| 1997 | 20th Century (20th センチュリー) | Sykes | Marco Mendoza, Simon Phillips, Tommy Aldridge | Please Don't Leave Me '97, Wuthering Heights, Look in His Eyes, Cautionary Warning |
| 2000 | Nuclear Cowboy (ニュークリア・カウボーイ) | Sykes | Marco Mendoza, Carmine Appice, Jamie Muhoberac | 実験的アルバム。 Nuclear Cowboy, Arc Angel |
| 2004 | Bad Boy Live! (バッド・ボーイ・ライブ!) | JOHN SYKES | Marco Mendoza, Tommy Aldridge, Derek Sherinian | 歴代の名曲を網羅したライブ盤。 |
9.7 シングル・ゲスト参加・その他
- JOHN SYKES / Phil Lynott: "Please Don't Leave Me" (1982) - シングル。
- Various Artists: Crossfire: A Salute to Stevie Ray (1996) 「Pride and Joy」で参加
- Hughes Turner Project: HTP (2002) - 「Heaven's Missing an Angel」 でギターソロとコーラスを担当。
- Derek Sherinian: Mythology (2004) - 「God of War」に参加。
- Bob Daisley and Friends: Moore Blues for Gary (2018) - ゲイリー・ムーア・トリビュート。「Still Got the Blues」で参加。
- JOHN SYKES: Golden Robot EP (2025予定) - 死去後にリリース予定の未発表音源集。「Dawning of a Brand New Day」他を収録予定。
10. 音楽的分析と使用機材 (Equipment & Style)
10.1 プレイスタイルの特徴
ジョン・サイクス (JOHN SYKES) のギタープレイの最大の特徴は、その**ヴィブラート (Vibrato) **にある。ゲイリー・ムーア (Gary Moore) からの影響を公言している通り、JOHN SYKESのヴィブラートは非常に振幅が大きく、サステイン (Sustain) が長い。これにより、歪んだサウンドであっても感情的な「泣き」を表現することが可能となっている。また、**ピッキング・ハーモニクス (Pinch Harmonics) **の多用も特徴的で、リフの語尾に「スクイール (Squeal)」と呼ばれる金属的な高音を混ぜることで、サウンドに攻撃的なエッジを加えている。右手首を固定し、高速で正確なダウン・ピッキング (Down Picking) を行うことで生み出される重厚なリズム・ギターは、ジェイムズ・ヘットフィールド (James Hetfield / Metallica) ら後続のギタリストにも多大な影響を与えたとされる。
10.2 主要使用機材
- Gibson Les Paul Custom (1978): JOHN SYKESのメイン・ギター。元々は黒色だったが、長年の使用で塗装が剥げ、ボディーの木目が露出している。ピックアップはギブソン純正の「Dirty Fingers」や、後に自身のモデルなどに交換されている。エスカッションやピックガードなどのパーツがクローム (Chrome) に交換されているのが視覚的な特徴。
- Amplifiers: 初期はMarshall JMPを使用していたが、ホワイトスネイク (Whitesnake) 時代以降はMesa/Boogie Coliseumヘッドを愛用。これらを複数台リンクさせ、さらにコーラス・エフェクト (Chorus Effect) を薄くかけることで、あの分厚い壁のようなディストーション・サウンドを作り出していた。
11. 永遠の輝き
ジョン・サイクス (JOHN SYKES) のキャリアは、常に「あと一歩」のところで運命に翻弄されたものであったかもしれない。シン・リジィ (Thin Lizzy) の終焉、ホワイトスネイク (Whitesnake) での栄光直前の解雇、ブルー・マーダー (Blue Murder) の時代の不一致。しかし、JOHN SYKESが残した音源、特に『Whitesnake』 (1987) や 『Blue Murder』 (1989) におけるギター・ワークとソングライティングは、ハード・ロックの理想形として、今なお色褪せることなく輝き続けている。
2024年のJOHN SYKESの早すぎる死は、多くのファンにとって痛恨の極みであるが、契約上の問題を抱えつつ2026年に予定されている未発表音源のリリースは、この「ギター・ヒーロー」の最後のメッセージを世界に届けることになるだろう。