FAIR WARNING
1990年代初頭、世界の音楽シーンはグランジ (Grunge) やオルタナティブ・ロック (Alternative Rock) の台頭により、劇的な変革期を迎えていた。
Biography
フェア・ウォーニング (FAIR WARNING)
軌跡と音楽的遺産
1. メロディアス・ハードロックの至宝
1990年代初頭、世界の音楽シーンはグランジ (Grunge) やオルタナティブ・ロック (Alternative Rock) の台頭により、劇的な変革期を迎えていた。かつて隆盛を極めた80年代的な華やかなハードロックやヘヴィメタルは「時代遅れ」と見なされ、多くのバンドが路頭に迷い、あるいはスタイルの変更を余儀なくされていた。そのような逆風が吹き荒れる時代において、ドイツ (Germany) のハノーファー (Hanover) から、伝統的なメロディの美しさと構築美を極限まで追求したバンドが登場した。それが、フェア・ウォーニング (FAIR WARNING)である。
FAIR WARNINGの音楽は、単なるノスタルジーではなく、緻密なアンサンブルと「スカイ・ギター (Sky Guitar)」に代表される革新的な技術、 tenderそして魂を揺さぶる歌唱によって、ジャンルを超えた普遍的な芸術性を獲得していた。
2. 前史: ハノーファーの土壌と結成の経緯 (1980s - 1991)
フェア・ウォーニングの物語を語る上で、ドイツ・ロック界の巨星たちとの関わり、特にスコーピオンズ (Scorpions) のウリ・ジョン・ロート (Uli Jon Roth) とその実弟ジーノ・ロート (Zeno Roth) の影響を無視することはできない。
2.1 ジーノ (Zeno) の遺産と継承
1980年代中期、ベーシストのウレ・リトゲン (Ule W. Ritgen)は、ジーノ・ロート率いるバンド「ジーノ (Zeno)」 のメンバーとして活動していた。ジーノは、東洋哲学に裏打ちされた深遠な歌詞と、クラシック音楽の要素を取り入れた流麗なメロディを特徴としており、特に日本市場で熱狂的な支持を得ていた。
当時、このバンドの周辺には、若き天才ギタリスト、ヘルゲ・エンゲルケ (Helge Engelke)の姿があった。彼はウリ・ジョン・ロートが考案した超高音域を奏でるための楽器「スカイ・ギター (Sky Guitar)」の数少ない継承者であり、ジーノのレコーディングやデモ制作に関与していた。しかし、ジーノはビジネス面でのトラブルや契約問題により、十分な活動ができずに停滞を余儀なくされる。この「ジーノ」での活動停止が、新たなバンド結成への直接的なトリガーとなった。
2.2 運命の交錯と結成
ウレ・リトゲンは、ジーノで培った音楽的理想を追求し続けるため、新たなプロジェクトの立ち上げを決意する。彼は、かつてジーノのサポートとして関わっていたヘルゲ・エンゲルケを誘い、バンドの核となるソングライティング・チームを結成した。
問題はフロントマン、すなわちボーカリストの選定であった。ウレ・リトゲンは、ベルリン (Berlin)を拠点に活動していたバンド、V2のシンガーであったトミー・ハート (Tommy Heart)に白羽の矢を立てた。トミー・ハートは、力強いシャウトから繊細なバラードまでを歌いこなす圧倒的な表現力を持っており、ウレの求めるドラマティックな楽曲に生命を吹き込むことができる唯一無二の存在であった。
さらに、もう一人のギタリストとしてアンディ・マレツェク (Andy Malecek) が加入する。アンディは、ヘルゲのネオ・クラシカルで煌びやかなスタイルとは対照的に、ブルース (Blues)を基調とした情感豊かなプレイを得意としていた。この二人のギタリストの対比こそが、初期フェア・ウォーニングのサウンドに深みを与える重要な要素となる。ドラムスには、初期からの盟友であるC.C.ベーレンズ (C.C. Behrens) が座り、ここに最強のラインナップが完成した。
1991年、バンドは正式に「フェア・ウォーニング (FAIR WARNING)」 と名乗ることとなる。このバンド名は、ヴァン・ヘイレン (Van Halen) の名盤『FAIR WARNING (戒厳令)』に由来するとされることが多いが、FAIR WARNING自身にとっては、当時の流行に流されず、自分たちの信じるメロディアスなロックを貫くという、シーンへの「警告」としての意味合いも強かったと推察される。
3. 第1期: 黄金時代の到来と成功 (1992-1997)
3.1 衝撃のデビューアルバム 『FAIR WARNING』 (1992)
1992年、WEAドイツ (WEA Germany) よりデビューアルバム 『FAIR WARNING (フェア・ウォーニング)』がリリースされた。プロデューサーには、ジャイアント (Giant) やテン (Ten) などの名作を手掛けたレイフ・マッケナ (Rafe McKenna) が起用された。
このアルバムは、1曲目の「Longing For Love」から聴衆を圧倒した。ウレ・リトゲンによる哀愁を帯びたメロディ、トミー・ハートの伸びやかなヴォーカル、そしてヘルゲ・エンゲルケのスカイ・ギターによる突き抜けるような高音ソロは、瞬く間に日本のハードロック・ファンの心を掴んだ。
楽曲分析と受容:
- Longing For Love: オープニングを飾るこの曲は、バンドのアイデンティティを完璧に示していた。キャッチーなサビと、構築美に溢れたギターソロは、メロディアス・ハードロックの教科書的傑作である。
- When Love Fails: ヘルゲ・エンゲルケ作曲のナンバーで、よりハードでエッジの効いたリフが特徴。
- The Call of the Heart: ボン・ジョヴィ (Bon Jovi) などを彷彿とさせるアリーナ・ロック的なスケール感を持つバラード。
当時の音楽メディア、特に日本の『BURRN!』誌において、FAIR WARNINGは絶大な支持を集めた。同誌の読者投票では「ブライテスト・ホープ (Newcomer of the Year)」を獲得し、輸入盤市場や国内盤セールスにおいて驚異的な数字を記録した。これは、当時の日本市場が欧米のグランジ・ブームとは異なり、依然として美しいメロディを持つハードロックを求めていたことの証明でもあった。
3.2 自主プロデュースへの転換と 『Rainmaker』 (1995)
デビュー作の成功を受け、バンドは次なるステップへと進む。ここで特筆すべきは、制作体制の変更である。デビュー作の制作時、レコード会社側がプロデューサーの手による完成形よりも、バンドが制作したデモテープの荒々しくもダイレクトなサウンドを好んだという経緯があった。これを機に、ウレ・リトゲンとヘルゲ・エンゲルケは「自分たちの音は自分たちで決める」という決断を下し、2ndアルバム以降のセルフ・プロデュースに踏み切った。
1995年にリリースされた2ndアルバム 『Rainmaker (レインメイカー)』は、その決断が正しかったことを歴史に証明した傑作となった。
『Rainmaker』の到達点:
- Burning Heart: このアルバムからのリードトラックであり、バンド最大のヒット曲。イントロの劇的なギターフレーズから、トミー・ハートの情熱的な歌唱まで、すべてが完璧に噛み合ったアンセムである。日本だけで約15万枚という、当時の洋楽ロックバンドとしては破格のセールスを記録した。
- 多様性:「Don't Give Up」のようなポジティブなエネルギーに満ちた曲から、「Desert Song」のような壮大な叙事詩まで、楽曲の幅が大きく広がった。
オランダ (Netherlands) の有力誌 『Aardshock』では「アルバム・オブ・ザ・イヤー (Album of the Year)」に選出されるなど、日本だけでなく欧州の一部でも高い評価を獲得し、バンドは名実ともにトップ・アクトの仲間入りを果たした。
3.3 『Go!』の制作とヘルゲの事故 (1997)
順風満帆に見えたバンドのキャリアだったが、3rdアルバム 『Go! (ゴー!)』の制作期に大きな試練が訪れる。1996年、バンドのサウンドの要であるヘルゲ・エンゲルケが深刻な交通事故に遭遇し、両腕を骨折するという、ギタリストとして致命的ともなり得る重傷を負ったのである。
この事故により、アルバムのレコーディングやミキシング、そして予定されていたツアー計画は大幅な遅延を余儀なくされた。ヘルゲは約5ヶ月に及ぶ過酷なリハビリテーションを経て奇跡的に復帰したが、この空白期間はバンド内の結束に微妙な亀裂を生じさせる遠因となった可能性がある。
それでも完成した『Go!』は、「Save Me」や「Angels of Heaven」 といった名曲を収録し、バンドの円熟味を感じさせる作品となった。特に「Save Me」は、ウレ・リトゲンのソングライティング能力が極まったバラードとして、ファンの間で高い人気を誇る。
4. 崩壊への序曲と第1期の終焉 (1998-2000)
『Go!』 リリース後のツアー、そして続く時期は、バンドにとって緩やかな、しかし確実な崩壊のプロセスであった。
4.1 アンディ・マレツェクの離脱とサポートメンバーの変遷
バンド結成時からの重要メンバーであったギタリスト、アンディ・マレツェクのバンドへの関与が徐々に希薄になっていった。健康上の理由やモチベーションの低下など諸説あるが、実質的に彼はツアーやレコーディングの現場から姿を消し始めた。
この時期のライブ活動を支えたのが、サポート・ギタリストのヘニー・ウォルター (Henny Wolter)である。元サンダーヘッド (Thunderhead)、後にプライマル・フィア (Primal Fear) で活躍するヘニーは、アンディの代役としてツアーに参加し、ヘルゲと共にツインギターのアンサンブルを維持しようと努めた。しかし、ヘルゲ自身がインタビューで語ったように、オリジナルメンバーが欠けたことによる「ファミリー感 (Family feeling)」の喪失は、トミー・ハートにとって耐えがたいものであった。
4.2 4thアルバム 『Four』 と解散宣言
2000年、バンドは通算4作目となるスタジオアルバム 『Four (フォース)』をリリースする。タイトルは4枚目という意味と同時に、アンディを欠いた4人編成(トミー、ウレ、ヘルゲ、C.C.) で作られたことを象徴していた。
アルバム自体は「Heart on the Run」などの疾走曲を含み、クオリティの高いメロディアス・ハードロック作品であったが、バンド内部の人間関係は修復不可能なレベルに達していた。音楽性の微細なズレ、マネジメントの問題、そして「バンドとしての在り方」に対する考え方の相違が表面化し、2000年、フェア・ウォーニングは解散 (Split-up) を正式に発表する。
5. 分裂と個々の探求: ソウル・ドクターとドリームタイド (2000 - 2005)
解散後、主要メンバーはそれぞれの音楽的理想を追求するため、別々の道を歩み始めた。この分裂期間は、各メンバーが持つ音楽的ルーツをより明確にする結果となった。
5.1 ソウル・ドクター (Soul Doctor)
ボーカリストのトミー・ハートは、よりストレートでライブ感のあるロックンロールを志向し、バンド「ソウル・ドクター (Soul Doctor)」を結成した。フェア・ウォーニング時代の緻密な構築美よりも、AC/DCや初期ホワイトスネイク (Whitesnake) のような、汗とエネルギーを感じさせるサウンドを展開。トミーの「ロック・シンガー」としての野性が解放されたプロジェクトであった。
5.2 ドリームタイド (Dreamtide)
一方、ヘルゲ・エンゲルケは、フェア・ウォーニングの音楽的遺産を正統に継承するプロジェクト「ドリームタイド (Dreamtide)」を始動させた。元サンダーヘッドのオラフ・センクベイル (Olaf Senkbeil) をボーカルに迎え、スカイ・ギターを全面的にフィーチャーしたこのバンドは、フェア・ウォーニング以上に緻密でクラシカル、 tenderそして幻想的なサウンドを構築した。
5.3 ラスト・オータムズ・ドリーム (Last Autumn's Dream)
アンディ・マレツェクは、スウェーデン (Sweden) のシンガー、ミカエル・アーランドソン(Mikael Erlandsson) と合流し、「ラスト・オータムズ・ドリーム (Last Autumn's Dream)」を結成した。北欧的な透明感と哀愁あるメロディに、アンディのブルージーなギターが融合し、こちらも日本のファンから高い支持を得た。
6. 再結成と第2期: 円熟への回帰 (2006-2013)
6.1 『Brother's Keeper』での復活
解散から5年が経過した2005年、ファンからの根強い再結成待望論と、メンバー間の雪解けにより、フェア・ウォーニングは再結成を発表した。ただし、アンディ・マレツェクは参加せず、トミー・ハート、ウレ・リトゲン、ヘルゲ・エンゲルケ、C.C.ベーレンズの4人編成での再始動となった。
2006年にリリースされた復活作『Brother's Keeper (ブラザーズ・キーパー)』は、まさにファンが待ち望んでいたサウンドそのものであった。先行シングル「Don't Keep Me Waiting」は、往年の名曲「Burning Heart」を彷彿とさせる疾走感と哀愁を兼ね備えており、『BURRN!』誌のレビューでは92点という高得点を叩き出した。このアルバムにより、FAIR WARNINGは再びメロディアス・ハードロックの王座に返り咲いた。
6.2 鉄壁のライブ体制: 『Aura』とLOUD PARK出演
2009年には6thアルバム 『Aura (オーラ)』をリリース。これに伴う活動では、ライブにおけるサウンドの再現性を高めるため、強力なサポートメンバーが帯同した。
- ニクラス・ターマン (Niklas Turmann): ヘルゲの弟子筋にあたるギタリスト。
- トルステン・リューダーヴァルト (Torsten Luederwaldt): キーボーディスト。
- ヘニー・ウォルター (Henny Wolter): 第1期末期を支えた彼も再び協力した。
この布陣で臨んだ2009年のメタルフェスティバル 「LOUD PARK 09」でのパフォーマンスは、FAIR WARNINGの健在ぶりを日本の大観衆に見せつけるものとなった。その模様はライブ作品『Talking Ain't Enough - FAIR WARNING Live in Tokyo』に詳細に記録されている。
6.3 最高傑作への挑戦: 『Sundancer』
2013年、7thアルバム 『Sundancer (サンダンサー)』をリリース。ヘルゲ・エンゲルケはこの作品について、インタビューで「これまでの我々の作品の中で最高のものだ」と自信を隠さなかった。従来のキャッチーさに加え、「Hit and Run」などの楽曲ではよりプログレッシブで複雑な展開を見せ、バンドとしての成熟と進化を証明した。
7. 過去の再構築: 『Pimp Your Past』 (2016)
バンドはデビュー25周年を目前に控え、ユニークな試みを行った。それが2016年のアルバム『Pimp Your Past (ピンプ・ユア・パスト)』である。これは単なるベスト盤ではなく、初期の名曲群を現代の技術とアレンジで再録音 (Re-recording) した作品である。
「Burning Heart」や「Longing For Love」、「Angels of Heaven」といったクラシック・ナンバーが、よりヘヴィで現代的なプロダクションによって生まれ変わった。この試みは、FAIR WARNINGの楽曲がいかに普遍的な強度を持っているかを再確認させると同時に、常にブラッシュアップを続けるバンドの姿勢を示すものであった。
収録曲 (再録音):
- Longing For Love
- One Step Closer
- Out On The Run
- When Love Fails
- Long Gone
- Burning Heart
- Pictures Of Love
- Angels Of Heaven
- Rain Song
- Save Me
- Don't Give Up
8. 晩年とヘルゲ・エンゲルケの逝去 (2020 - Present)
8.1 突然の悲劇
2020年代に入り、世界的なパンデミックの影響もありバンドの表立った活動は減少していた。そして2023年4月28日、バンドと世界のメロディアス・ロック・ファンに衝撃が走った。バンドの創設メンバーであり、サウンドの要であったギタリスト、ヘルゲ・エンゲルケが、大腸がん(Colon cancer) の合併症により61歳で急逝したのである。伝えられるところによると、腫瘍が発見されてからわずか2日後の悲劇であったという。
ヘルゲの死は、単なるメンバーの喪失以上の意味を持っていた。彼の奏でるスカイ・ギターの音色、そして彼が書く緻密な楽曲こそが、フェア・ウォーニングを他のバンドと区別する決定的な要素だったからである。
8.2 バンドの未来
2025年1月現在、バンドからの公式な解散宣言は出されていないものの、活動は事実上の休止状態(Hiatus) にある。トミー・ハートやウレ・リトゲンといった残されたメンバーが、ヘルゲなしでフェア・ウォーニングという名を背負い続けるのか、あるいは別の形で活動を続けるのかは定かではない。しかし、FAIR WARNINGが30年以上にわたって築き上げた音楽的遺産は、ジャンルの歴史において不滅の輝きを放ち続けている。
9. メンバー詳細と使用機材 (Members & Gear)
フェア・ウォーニングのサウンドを構成した個々のメンバーについて詳述する。
9.1 オリジナル・メンバー (Original Members)
トミー・ハート (Tommy Heart)
- 担当: ボーカル (Vocals)
- 経歴: 元V2、Soul Doctor、Kee of Hearts。
- 特徴: エモーショナルで温かみのある中音域から、突き抜けるようなハイトーンまでを自在に操る。ライブパフォーマンスにおける安定感と、観客を煽るフロントマンとしてのカリスマ性は超一流である。
ウレ・リトゲン (Ule W. Ritgen)
- 担当: ベース (Bass)
- 経歴: 元Zeno。
- 特徴: バンドのリーダー的存在であり、メインソングライターの一人。彼の書く曲は、東洋的な旋律や哲学的な歌詞を含むことが多く、バンドに深みを与えている。画家としても活動しており、アルバムのアートワークに関与することもある。
ヘルゲ・エンゲルケ (Helge Engelke)
- 担当: ギター (Guitars)、キーボード (Keyboards)
- 生没年: 1961年9月24日 - 2023年4月28日
- 機材 - スカイ・ギター (Sky Guitar): ウリ・ジョン・ロートが考案した特殊なギター。指板のフレット数が30フレット以上 (モデルによっては6オクターブをカバー) あり、通常のギターでは物理的に不可能な超高音域を出すことができる。ヘルゲはこのギターを使用し、ヴァイオリンやシンセサイザーのような滑らかで神々しいリードトーンを生み出した。彼のプレイはネオ・クラシカルな要素と、美しいメロディへの執着が融合した唯一無二のものであった。
アンディ・マレツェク (Andy Malecek)
- 担当: ギター (Guitars)
- 在籍期間: 1991年 - 2000年
- 特徴: ヘルゲとは対照的に、レスポール (Les Paul) などを用いた太く甘いトーンと、ブルージーなフィーリングを持つギタリスト。彼の存在が、バンドのサウンドが「テクニカル一辺倒」になるのを防ぎ、ロックとしてのダイナミズムを加えていた。
C.C.ベーレンズ (C.C. Behrens / Jurgen "C.C." Behrens)
- 担当: ドラムス (Drums)
- 特徴: 派手さはないが、楽曲のドラマティックな展開を支える堅実なドラミングが持ち味。初期からのメンバーであり、バンドの屋台骨を支えた。
9.2 主なライブ・サポート・メンバー (Support Members)
トルステン・リューダーヴァルト (Torsten Luederwaldt)
- 担当: キーボード (Keyboards)
- 詳細: 1992年のデビュー直後から、ほぼ全てのツアーやライブアルバムに参加。スタジオ盤の重厚なキーボードアレンジをライブで再現するために不可欠な存在であり、実質的な「第5のメンバー」としてバンドを支え続けた。
ニクラス・ターマン (Niklas Turmann)
- 担当: ギター (Guitar)、コーラス
- 詳細: 第2期以降のライブで、ヘルゲの相棒としてギターを担当。
ヘニー・ウォルター (Henny Wolter)
- 担当: ギター (Guitar)
- 詳細: アンディ・マレツェク離脱後のツアーや 『Aura』 期のツアーに参加。
10. ディスコグラフィ (Discography)
フェア・ウォーニングが発表した全公式作品を体系的に記述する。
10.1 スタジオ・アルバム (Studio Albums)
| 発売年 | タイトル (Title) | 邦題 (Japanese Title) | レーベル (Label) | 概要と主要曲 (Notes) |
|---|---|---|---|---|
| 1992 | FAIR WARNING | フェア・ウォーニング | WEA | デビュー作。プロデューサー: Rafe McKenna。 主要曲: "Longing For Love", "When Love Fails", "One Step Closer" |
| 1995 | Rainmaker | レインメイカー | WEA/Gun | バンド最大のヒット作。セルフプロデュースへ移行。 主要曲: "Burning Heart", "Don't Give Up", "Desert Song" |
| 1997 | Go! | ゴー! | Gun | 音楽的な実験色を強めた3作目。 主要曲: "Save Me", "Angels of Heaven" |
| 2000 | Four | フォース | Frontiers | 第1期ラスト作。アンディ・マレツェクはゲスト扱い。 主要曲: "Heart on the Run" |
| 2006 | Brother's Keeper | ブラザーズ・キーパー | Frontiers/Marquee | 再結成アルバム。原点回帰したサウンド。 主要曲: "Don't Keep Me Waiting" |
| 2009 | Aura | オーラ | Metal Heaven/Marquee | より洗練されたメロディライン。 主要曲: "Fighting For Your Love", "Here Comes The Heartache" |
| 2013 | Sundancer | サンダンサー | SPV/Marquee | ヘルゲが最高傑作と評した意欲作。 主要曲: "Hit and Run", "Troubled Love" |
| 2016 | Pimp Your Past | ピンプ・ユア・パスト | SPV/Marquee | 過去の名曲を現代的に再録音した企画盤。 全11曲リメイク |
10.2 ライブ・アルバム (Live Albums)
フェア・ウォーニングの実力はライブでこそ発揮される。特に日本公演の記録が多い。
| 発売年 | タイトル (Title) | 邦題 | 詳細 |
|---|---|---|---|
| 1993 | Live in Japan | ライヴ・イン・ジャパン | 1993年の初来日公演 (クラブチッタ川崎など)を収録。デビュー直後とは思えない完成度。 |
| 1995 | Live at Home | ライヴ・アット・ホーム | ドイツでのライブを収録。 |
| 1998 | Live and More | ライヴ・アンド・モア | 1997年の来日公演音源と、スタジオ新録・未発表曲を組み合わせた変則アルバム。 |
| 2010 | Talking Ain't Enough - FAIR WARNING Live in Tokyo | トーキング・エイント・イナフ | 2010年1月の東京公演と、2009年のLOUD PARK出演時の映像・音源を収録した3CD+2DVDの大作。 |
| 2019 | Two Nights to Remember | トゥー・ナイツ・トゥ・リメンバー | 2017年の「Best Of」 ツアー (クラブチッタ)を収録。4CDやBlu-rayでリリース。 |
10.3 コンピレーション・アルバム (Compilation Albums)
- Early Warnings 92-95 (1997): 初期3作からの選曲。
- A Decade of FAIR WARNING (2001): デビュー10周年記念ベスト。未発表バージョン等を含む入門編。
- Best and More (2012): デビュー20周年を記念した2枚組ベストアルバム。
10.4 シングル・EP (Singles & EPs)
- In the Ghetto (1993) - エルヴィス・プレスリーのカバーを含む。
- Burning Heart (1995) - 代表曲のシングルカット。
- Angels of Heaven (1996)
- Save Me (1997)
- Heart on the Run (2000)
- Still I Believe (2000)
- Don't Keep Me Waiting (2006) - 再結成第一弾シングル。
10.5 映像作品 (Videography)
FAIR WARNINGのライブ映像は、視覚的にも「スカイ・ギター」の特異な形状やトミー・ハートのアクションを確認できる貴重な資料である。
- The Call of the East (2006): 元々はVHSでリリースされていた1993年の初来日公演をDVD化したもの。近年、ファンベースでのリマスター版なども話題となった。
- Talking Ain't Enough (2010): DVD/CDセット。
- Two Nights to Remember (2019): Blu-ray/DVD。
11. 永遠に響く「警告」
フェア・ウォーニングというバンド名は、当初、時代の流行に対するアンチテーゼとしての「警告」であったかもしれない。しかし、30年以上の時を経てFAIR WARNINGが遺したものは、警告よりもむしろ「祝福」に近い。それは、美しいメロディが決して古びないこと、 tenderそしてロックミュージックが持つ感情的な力が、国境や言語の壁を超えて(特にドイツと日本の間で)共鳴し合うことの証明である。
ヘルゲ・エンゲルケのスカイ・ギターが奏でた天空の旋律と、トミー・ハートの魂の歌声は、メロディアス・ハードロックというジャンルが存在する限り、永遠のスタンダードとして聴き継がれていくことだろう。FAIR WARNINGの音楽は、流行り廃りの激しい音楽業界において、真に質の高い音楽だけが持ち得る普遍的な価値を、私たちに提示し続けている。
Trivia
初の日本ツアーは、1992年のデビュー作発表から間もなく実現した。ワーナーミュージック・ジャパンによれば、そのハイライトとなったのが最終公演にあたる1993年4月18日の川崎クラブチッタで、この夜は丸ごと撮影されている。バンド公式のディスコグラフィーも、映像作品『The Call Of The East』を「1993年4月18日、日本・川崎のクラブチッタでのライヴ収録」と記している。
そのライヴ盤も、日本が先だった。アヴァロン・レーベルの2010年8月の新譜案内によれば、3枚組ライヴ・アルバム『TALKING AIN'T ENOUGH』(MICP-90048)は日本先行発売で、DISC2のみエンハンストCD仕様、ボーナス・トラック1曲を追加収録。同案内はこれを『ライヴ・アンド・モア』以来12年ぶりのライヴ・アルバムとしている。ヨーロッパ盤はSteamhammer/SPVから、ドイツ11月19日、ヨーロッパのその他地域11月22日、米国/カナダ11月23日の発売と告知された。
『Sundancer』は完全な日本先行発売だった。アヴァロン・レーベルの2013年4月の新譜案内によれば、日本盤は4月24日発売で、SHM-CD+CDの初回限定盤(MICP-30040)と通常盤(MICP-11080)の2形態。初回限定盤は特殊パッケージ仕様で、60ページのブックレットとボーナス・ディスクが付いた。一方Blabbermouthが伝えた発表では、ドイツでの発売は5月24日、ヨーロッパのその他地域が5月27日、アメリカとカナダが5月28日で、アジアを除く全世界をSPV/Steamhammerが担当した。
その日本盤は、キングレコードへの移籍第1弾として2016年8月31日に日本盤先行発売された(KICP-1760、SHM-CD仕様、初回生産分のみ「フェア・ウォーニング美旋律キャンペーン応募券」付き)。同じ日にキングは過去作5タイトル——『ゴー!』『ライヴ・アンド・モア』『フォー』『ブラザーズ・キーパー』『オーラ』——を最新デジタル・リマスターの廉価盤として一斉に再発している。ヨーロッパでの発売はSteamhammer/SPVから10月28日だった。
その最初の来日について、トミー・ハートは2017年のインタビューでこう語っている。ドイツ出身の自分たちにとって日本はまるで別の惑星のようで、客がどんな反応をするか想像もつかなかった。ところがステージに上がった瞬間に凄まじいエネルギーが押し寄せてきた。歌詞を知っていて、一緒に歌ってくれた。あまりの感動にステージの上で涙が出たという。
FAIR WARNINGは、初来日以来ずっと坂本九の「上を向いて歩こう」を歌い続けている。トミー・ハートは2017年、最初のジャパン・ツアーからずっと「スキヤキ」を歌っていると述べ、日本語は話せないが日本語の響きと起伏が好きで、発音やイントネーションがおかしくても心を込めて歌うことが大事だと語った。1993年のクラブチッタ公演を収めた映像作品にも同曲は入っており、2017年のデビュー25周年公演でも2日とも演奏されている。
再結成の引き金は日本にあった。トミー・ハートはMETAL HAMMER誌2006年2月号で、その間に自分が何をしていても、日本のファンからまたFAIR WARNINGのレコードを出してほしいという要望が来続けたと述べ、だからかつての同僚であるウレ・リトゲン、ヘルゲ・エンゲルケ、C.C.ベーレンスに連絡を取り、2006年にアルバムを出すと取り決めたのだと語っている。
この2度の日本公演が、次の作品を生んだ。ライヴ盤『Talking Ain't Enough - Fair Warning Live In Tokyo』の告知文は、2009年のLOUD PARK出演と2010年のソールドアウトした日本ツアーを受けて、バンドがライヴCDとライヴDVDを出すことにしたのだと説明している。3枚組CDはDISC1・2が2010年1月の東京公演、DISC3がLOUD PARK 2009で、2枚組DVDも同じ構成に私的な映像を加えたものだった。