BOSTON

ロック音楽の歴史において、Boston (ボストン) ほど特異な存在は稀有である。BOSTONは、ライブハウスでの下積み時代を経て名声を得た典型的なバンドではなく、一人の天才的なエンジニアが地下室で構築した「音響の理想郷」から生まれたプロジェクトであった。

Biography

BOSTON
音響完璧主義の軌跡と遺産

1. 工学的アプローチによるロックの再定義

ロック音楽の歴史において、Boston (ボストン) ほど特異な存在は稀有である。BOSTONは、ライブハウスでの下積み時代を経て名声を得た典型的なバンドではなく、一人の天才的なエンジニアが地下室で構築した「音響の理想郷」から生まれたプロジェクトであった。その中心人物である Tom Scholz (トム・ショルツ)は、マサチューセッツ工科大学 (MIT)で機械工学の修士号を取得したエンジニアであり、彼の音楽へのアプローチは、感情的な衝動よりも、物理学的な音響設計と執拗なまでの完璧主義に基づいていた。

1976年のデビューアルバム 『Boston (邦題:幻想飛行)』は、当時の音楽業界の常識を覆すものであった。ディスコやパンクが台頭しつつあった時代に、緻密に計算されたハーモニー、オーケストラのように層を重ねたギターサウンド、アンドBrad Delp (ブラッド・デルプ)の驚異的なボーカルレンジを融合させたそのサウンドは、瞬く間に世界を巻し、米国音楽史上最も売れたデビューアルバムの一つとなった。

しかし、その輝かしい成功の裏には、レコード会社との壮絶な法廷闘争、メンバー間の軋轢、長い沈黙期間、そして中心メンバーの悲劇的な死という暗い影が存在した。

2. 起源: MITエンジニアと地下室の実験 (1969-1975)

2.1 学究的背景と初期の衝動

Tom Scholz (トム・ショルツ)はオハイオ州トレド (Toledo, Ohio)で生まれ育った。幼少期からクラシックピアノを学び、ゴーカートや模型飛行機の製作に没頭するなど、機械いじりと音楽の双方に才能を示していた。1965年にオタワヒルズ高校 (Ottawa Hills High School)を卒業後、世界最高峰の工科大学である Massachusetts Institute of Technology (MIT / マサチューセッツ工科大学)に進学。1969年に学士号、1970年に機械工学の修士号を取得した。

MIT在学中、ショルツは当初ロック音楽に関心を持っていなかったが、The Kinks (ザ・キンクス) や The Yardbirds (ザ・ヤードバーズ)といった「ブリティッシュ・インヴェイジョン (British Invasion)」 のサウンドに触れ、エレクトリックギターの持つエネルギーに魅了された。卒業後、彼は Polaroid Corporation (ポラロイド社)にシニア・プロダクト・デザイン・エンジニアとして就職し、インスタント映画システムのためのサウンドシステム開発に従事した。この職務経験は、彼に二つの重要な資産をもたらした。一つはデモテープ制作のための資金、もう一つはアナログ録音技術と音響物理学に関する深い専門知識である。

2.2 バンド活動の失敗と地下室への撤退

1969年、ショルツは最初の楽曲であるインストゥルメンタル曲 「Foreplay」を作曲した。その後、彼は地元のバンド Freehold (フリーホールド)に参加し、そこでギタリストのBarry Goudreau (バリー・グドロー)とドラマーの Jim Masdea (ジム・マスデア)に出会った。特にマスデアとの出会いは決定的であった。マスデアのドラミングはショルツの楽曲構成と波長が合い、後の「ボストン・サウンド」の基礎となるリズムパターンを形成することになる。

1973年、ショルツはグドロー、マスデアと共に Mother's Milk (マザーズ・ミルク)を結成した。ボーカルには、地元の工場で働いていた Brad Delp (ブラッド・デルプ)が加入した。デルプは The Beatles (ザ・ビートルズ)の熱烈なファンであり、その影響を受けたメロディアスな歌唱法と、多重録音によるコーラスワークへの理解を持っていた。

しかし、Mother's Milk (マザーズ・ミルク)は商業的な成功を収めることはできなかった。彼らはボストン周辺のクラブやバーで演奏し、「Mother's Milk」 や 「Middle Earth」といった名前で活動したが、観客の反応は冷ややかであり、レコード会社からの関心も得られなかった。ショルツはこの経験から、「ライブ活動を通じてレコード契約を得る」という従来の方法論に見切りをつけた。彼はマサチューセッツ州ウォータータウン (Watertown) のアパートの地下室に、ポラロイド社での給与を投じて購入した Scully (スカリー) 製の12トラック・テープレコーダーなどのプロ用機材を設置し、独自のスタジオを構築した。

2.3 デモテープの錬金術

地下室のスタジオで、ショルツは孤独な作業に没頭した。彼はドラム以外のほぼすべての楽器(ギター、ベース、ハモンドオルガン) を自ら演奏し、多重録音を繰り返した。ドラムパートは Jim Masdea (ジム・マスデア)が担当し、ボーカルは Brad Delp (ブラッド・デルプ)がショルツの指示の下で重ねていった。

この時期に制作されたデモテープには、後に世界的なヒットとなる楽曲の原形が含まれていた。「San Francisco Day」は後の「Hitch a Ride (ヒッチ・ア・ライド) alloy」、「Life Isn't Easy」は「Something About You (サムシング・アバウト・ユー)」、そして当時はまだ荒削りだったが、明確なアンセムとしての輝きを持つ「More Than a Feeling (宇宙の彼方へ)」が録音された。

ショルツはこれらのデモテープを主要なレコード会社 (RCA、Capitol、Atlanticなど)に送り続けたが、返ってくるのは冷淡な拒絶の手紙ばかりであった。あるレーベル幹部からは「バンドには何も提案するものがない」という侮辱的な評価さえ受けた。しかし、ショルツは諦めず、録音技術を研ぎ澄まし続けた。

転機は、ABCレコードのプロモーション担当者であった Charles McKenzie (チャールズ・マッケンジー)と、独立プロモーターの Paul Ahern (ポール・エイハーン) がデモテープを聴いたことで訪れた。彼らはその音質の高さと楽曲の完成度に衝撃を受け、Epic Records (エピック・レコード)にテープを持ち込んだ。

3. 偉大なる欺瞞とデビュー・アルバムの衝撃 (1976)

3.1 契約の条件とメンバーの再編

Epic Records (エピック・レコード) のA&R部門はデモテープの内容に感銘を受けたが、疑念も抱いていた。彼らはこれが実在するバンドによる演奏ではなく、「地下室の狂った天才 (mad genius at work in a basement)」による多重録音の産物であることを見抜いていたからである(実際その通りであった)。レーベルは契約の条件として、プロのスタジオでの再録音と、実際に演奏可能な「バンド」としてのショーケース (実演)を要求した。

ショルツは急遽、ライブ演奏のためのメンバーを招集した。ボーカルの Brad Delp (ブラッド・デルプ)とギタリストのBarry Goudreau (バリー・グドロー)を呼び戻し、ベーシストとして Fran Sheehan (フラン・シーハン)を採用した。しかし、レーベル側はドラマーのJim Masdea (ジム・マスデア)の演奏スタイルに難色を示した。ショルツにとって苦渋の決断であったが、契約を成立させるためにマスデアを外し、代わりに Sib Hashian (シブ・ハシアン)をドラマーとして迎えた。

1975年後半、エアロスミスのマネージメント関係者などを招いたショーケースライブが行われ、その圧倒的なパフォーマンスにより、彼らは正式に Epic Records (エピック・レコード)と契約を結んだ。バンド名は、いくつかの候補 (Earthquakeなど)を経て、彼らの本拠地であり音楽的ルーツの地である「Boston (ボストン)」に決定された。

3.2 録音の陰謀: 地下室とロサンゼルス

契約後、レーベルはプロデューサーとして John Boylan (ジョン・ボイラン)を指名し、ロサンゼルスの最新鋭スタジオでの録音を命じた。しかし、ショルツは自らの地下室で作り上げたサウンドこそが至高であると確信しており、外部のスタジオ環境やエンジニアの介入によってその音が損なわれることを恐れた。

ここで、ロック史上最も有名な「欺瞞」の一つが実行された。ショルツとボイランは密かに結託し、レーベルを欺く計画を立てた。ボイランは、ショルツ以外のメンバー (グドロー、シーハン、ハシアン) を連れてロサンゼルスのキャピトル・スタジオに入り、そこで「レコーディング」を行っているように見せかけた。これは、レーベルの幹部たちを安心させ、ショルツへの干渉を防ぐための「囮(おとり)」であった。

その間、ショルツはマサチューセッツの自宅地下室に残り、プロデューサーのいない環境でアルバムの大部分を一人で再録音した。彼はギター、ベース、オルガンのほぼ全てのパートを演奏した。ドラムに関しては、「Rock and Roll Band (ロックン・ロール・バンド)」のみ Jim Masdea (ジム・マスデア) のデモテイクがそのまま使用され、それ以外の曲では Sib Hashian (シブ・ハシアン) がショルツの指示通りに、マスデアのパターンを忠実に再現して録音した。

最終的に、ロサンゼルスで録音されたのは Brad Delp (ブラッド・デルプ)のボーカルパートと、Barry Goudreau (バリー・グドロー)による一部のリードギター (「Long Time」の後半ソロなど)のみであった。アルバムの90%以上は、ショルツが地下室で一人で作り上げたものであった。

3.3 デビュー・アルバム『Boston (幻想飛行)』の分析

1976年8月25日にリリースされたデビューアルバム 『Boston (邦題:幻想飛行)』は、瞬く間に社会現象となった。

データ項目 詳細
アルバム名 Boston (邦題:幻想飛行)
リリース日 1976年8月25日
レーベル Epic Records (エピック・レコード)
プロデューサー John Boylan, Tom Scholz
RIAA認定(米国) 17× Platinum (Diamond)
RIAJ認定(日本) Gold
米国総売上 1,700万枚以上(米国バンドのデビュー作として歴代2位)

サウンドの特徴: アルバムジャケットには 「No Synthesizers Used (シンセサイザー不使用)」というクレジットが誇らしげに記載されていた。当時流行していたディスコ音楽やプログレッシブ・ロックが多用するシンセサイザーに対抗し、ショルツはギターとハモンドオルガンのみで宇宙的なサウンドスケープを構築した。特に、ギターの多重録音 (ダブリング)による分厚いハーモニーと、高音域を強調したイコライジング処理は、後の「スタジアム・ロック」の金字塔となった。

主要楽曲解説:

  • "More Than a Feeling" (邦題: 宇宙の彼方へ): アコースティックギターのアルペジオから始まり、爆発的なディストーションギターのサビへと展開する構成は、パワー・バラードの教科書となった。ブラッド・デルプのボーカルは、喪失感と希望を同時に表現する稀有な響きを持っていた。
  • "Foreplay/Long Time" (邦題: フォアプレイ/ロング・タイム): ショルツがMIT時代に作曲した複雑なオルガンソロ 「Foreplay」と、ストレートなロックナンバー 「Long Time」を融合させた組曲。プログレッシブな要素とポップな感性が同居している。
  • "Smokin'" (邦題: スモーキン): ブギウギのリズムを取り入れたハードロックナンバー。デルプとショルツの共作であり、ライブでのジャムセッションを想定した構成となっている。
  • "Rock & Roll Band" (邦題: ロックン・ロール・バンド): バンドの結成秘話を(事実は異なるものの) 神話化した楽曲。唯一、ジム・マスデアのドラムテイクが使用されている。

4. 2年目のジンクスと軋轢: 『Don't Look Back』 (1977-1978)

4.1 成功の代償と制作の遅延

デビューアルバムの歴史的成功により、Boston (ボストン)は一躍スターダムにのし上がった。しかし、完璧主義者のショルツにとって、ツアーと次回作の制作を並行して行うことは不可能に近い難題であった。Epic Records (エピック・レコード)は商業的なモメンタムを維持するため、早急な次作リリースを要求した。

ショルツはツアーの合間を縫って曲作りを行ったが、納得のいくクオリティに達するまでには膨大な時間を要した。彼は自身のスタジオに籠り、何千回ものテイクを重ねた。

4.2 セカンド・アルバム 『Don't Look Back』の評価

1978年8月15日、セカンドアルバム 『Don't Look Back (邦題: ドント・ルック・バック)』がリリースされた。

データ項目 詳細
アルバム名 Don't Look Back (邦題: ドント・ルック・バック)
リリース日 1978年8月15日
レーベル Epic Records
RIAA認定 7× Platinum
チャート順位 全米1位(Billboard 200)

アルバムは商業的には大成功を収め、全米1位を獲得し、700万枚以上を売り上げた。タイトルトラック「Don't Look Back」はヒットし、バラード「A Man I'll Never Be (邦題:ア・マン・アイル・ネバー・ビー)」は、デルプの感情表現とショルツのギターアレンジが頂点に達した楽曲として評価された。

しかし、ショルツ自身はこのアルバムを失敗作と見なしていた。収録時間はわずか33分と短く、楽曲の密度がデビュー作に比べて低いと感じていたからである。「フィラー (埋め合わせ) 曲が含まれている」と公言し、レーベルによる「ラッシュリリース (拙速な発売)」を激しく非難した。この確執が、後の長い沈黙と法廷闘争の引き金となる。

5. 暗黒の時代と技術革新: 訴訟とRockman (1979-1985)

5.1 CBS/Epic 対 Tom Scholz 訴訟

『Don't Look Back』の後、ショルツは「自分の納得いくまで次のアルバムは出さない」と宣言した。これに対し、Epic Records の親会社である CBSは激怒し、ショルツへの印税支払いを凍結した。さらに1983年、CBSは「契約不履行(期限内にアルバムを納品しなかった)」を理由に、ショルツに対して6,000万ドル(当時のレートで数百億円規模) という巨額の損害賠償訴訟を起こした。

ショルツは屈することなく反訴し、「レーベル側が不当に印税を保留し、芸術的コントロールを侵害した」と主張した。この法廷闘争は7年間に及び、その間、Boston (ボストン) 名義での新作リリースは完全に封じられた。これはバンドにとって致命的な空白期間となるはずだったが、ショルツは別の方法で音楽界に影響を与え続けた。

5.2 バンドの崩壊とソロプロジェクト

裁判が長引く中、ショルツ以外のメンバーは生活のために活動を続ける必要があった。ギタリストの Barry Goudreau (バリー・グドロー)は1980年にソロアルバム 『Barry Goudreau』をリリース。これには Brad Delp (ブラッド・デルプ) と Sib Hashian (シブ・ハシアン)も参加しており、サウンドもボストンに酷似していた。ショルツはこれを「ボストン・ブランドの希釈」と捉え、メンバーとの関係は修復不可能となった。

最終的にグドローは1981年に脱退し、後にFran Sheehan (フラン・シーハン) と Sib Hashian (シブ・ハシアン)もバンドを去った(あるいは解雇された)。彼らは後にショルツを相手取り、ボストンの名称使用権や印税を巡って訴訟を起こすが、これらはショルツ側の勝利に終わっている。

5.3 Rockman (ロックマン)の発明

音楽活動が停滞する中、エンジニアとしてのショルツが覚醒した。彼は自らの理想とするギターサウンド――アンプの大音量でしか得られなかったサステイン、コーラス、ディストーション――を、ヘッドフォンで聴けるコンパクトなアナログ機器で再現する研究に没頭した。

1982年、彼は Scholz Research & Development (SR&D) を設立し、ポータブル・ギターアンプ「Rockman (ロックマン)」を発売した。この弁当箱サイズの黒いデバイスは革命的だった。プロのスタジオクオリティのサウンドが、アンプやマイクのセッティングなしにライン録音で得られるようになったのである。Def Leppard (デフ・レパード)の 『Hysteria』など、80年代の多くのヒットアルバムがRockmanを使用して録音された。この発明による収益は、ショルツがCBSとの長引く裁判を戦い抜くための資金源となった。

6. 復活と第三段階:『Third Stage』 (1986-1987)

6.1 勝利と移籍

長い法廷闘争の末、ショルツはCBSに対して勝訴した。裁判所は「芸術的な創造プロセスを契約の期限で縛ることはできない」という趣旨の判断を下し、これはアーティストの権利に関する重要な判例となった。自由の身となったショルツはMCA Records (MCAレコード) と契約し、8年ぶりの新作を世に送り出した。

6.2 『Third Stage』の完成

1986年9月23日、3rdアルバム『Third Stage (邦題: サード・ステージ)』がリリースされた。

データ項目 詳細
アルバム名 Third Stage (邦題: サード・ステージ)
リリース日 1986年9月23日
レーベル MCA Records
RIAA認定 4× Platinum
チャート順位 全米1位(Billboard 200)
主なヒット曲 "Amanda" (アマンダ) - 全米1位

このアルバムは、ショルツの自宅スタジオ (Hideaway Studio)で、彼が発明したRockman技術を全面的に使用して録音された。メンバーは実質的にショルツとデルプの二人だけであり、ドラムの一部でさえショルツがプログラミングやアナログ編集で構築したものであった(クレジット上はジム・マスデアが1曲に参加)。

リードシングル 「Amanda (邦題: アマンダ)」は、1980年には既にデモが存在していたバラードであり、リリースされるや否やビルボード・ホット100で1位を獲得した。これはボストンにとって最初で最後の全米No.1シングルとなった。アルバム全体を通じて、「老い」や「人生の段階(Stages)」 といった内省的なテーマが扱われ、80年代の派手なプロダクションとは一線を画す、温かみのあるアナログサウンドが特徴であった。

6.3 新たな盟友: Gary Pihlの加入

『Third Stage』に伴うツアーのために、ショルツは新たなギタリストを必要とした。彼は Sammy Hagar (サミー・ヘイガー) バンドのギタリストであった Gary Pihl (ゲイリー・ピール)を抜擢した。ピールは卓越したミュージシャンであるだけでなく、技術的な知識も豊富で、ショルツの右腕としてSR&D社での業務や、後のアルバム制作におけるエンジニアリングもサポートする重要なパートナーとなった。彼は現在に至るまで、ショルツを除く最も在籍期間の長いメンバーである。

7. 声を失った時代: 『Walk On』(1988-1996)

7.1 Brad Delpの離脱とFran Cosmoの起用

『Third Stage』ツアー終了後の1989年、長年のパートナーであった Brad Delp (ブラッド・デルプ)がバンドを離脱した。彼は元メンバーの Barry Goudreau (バリー・グドロー)と共に RTZ (Return to Zero) を結成するためであった。ボストンの「声」を失ったショルツは、新たなボーカリストを探さなければならなかった。

ショルツが見出したのは、かつてグドローのソロプロジェクト (Orion the Hunter) で歌っていた Fran Cosmo (フラン・コスモ)であった。コスモの声はデルプよりもハイトーンでエッジが効いており、よりハードロック寄りのスタイルを持っていた。

7.2 『Walk On』のリリースと評価

1994年6月、デルプ不在のまま4thアルバム 『Walk On (邦題:ウォーク・オン)』がリリースされた。

データ項目 詳細
アルバム名 Walk On (邦題: ウォーク・オン)
リリース日 1994年6月7日
レーベル MCA Records
RIAA認定 Platinum
チャート順位 全米7位

このアルバムは商業的には前作ほど振るわなかったが、内容は極めて質が高かった。タイトルトラック「Walk On」 やバラード 「Livin' for You (邦題: リヴィン・フォー・ユー)」では、コスモの力強いボーカルとショルツの進化したギターオーケストレーションが融合している。特に日本では根強い人気を誇り、ゴールドディスク認定を受けている。

驚くべきことに、アルバムリリース後のツアーでBrad Delp (ブラッド・デルプ)が復帰しコスモとツイン・ボーカル体制を敷くことに同意し、ライブでは二人の声が重なり合うことで、レコード以上の厚みのあるハーモニーが再現された。この良好な関係は、後の悲劇まで続くことになる。

8. デジタル時代の迷走と悲劇 (1997-2007)

8.1 『Corporate America』 と音楽性の拡散

2002年、5thアルバム 『Corporate America (邦題: コーポレート・アメリカ)』がリリースされた。このアルバムは、ボストンの歴史の中で最も物議を醸す作品となった。

データ項目 詳細
アルバム名 Corporate America (邦題: コーポレート・アメリカ)
リリース日 2002年11月5日
レーベル Artemis Records
特徴 メンバーの多様化、デジタル録音の導入

ショルツは新たなメンバーとして、フラン・コスモの息子であるギタリスト Anthony Cosmo (アンソニー・コスモ)や、女性ベーシスト/ボーカリストの Kimberley Dahme (キンバリー・ダーム)を正式メンバーとして迎え入れた。アルバムには彼らが作曲・歌唱した楽曲も含まれており、従来の「ショルツの独裁体制」から「バンド形式」への移行が見られた。しかし、ポップパンク風の曲やカントリー調の曲が混在し、アルバムの統一感は失われたと評された。商業的には失敗し、米国ではゴールド認定を逃した。

8.2 Brad Delpの自殺と訴訟 (2007)

2007年3月9日、世界中のファンに衝撃が走った。Brad Delp (ブラッド・デルプ)がニューハンプシャー州アトキンソンの自宅で遺体となって発見されたのである。死因は一酸化炭素中毒による自殺であった。現場には「Mr. Brad Delp. J'ai une âme solitaire. I am a lonely soul. (ブラッド・デルプ氏。私は孤独な魂だ)」 というメモが残されていた。享年55歳。

デルプの死後、醜悪な争いが勃発した。地元紙『Boston Herald (ボストン・ヘラルド)』は、デルプの元妻 Micki Delp (ミッキ・デルプ)らの証言として、「ショルツによる長年の支配と圧力、そして元メンバーであるバリー・グドローとの板挟みになった苦悩が自殺の原因である」と示唆する記事を掲載した。

これに対し、ショルツは激しく反論した。デルプが実際には個人的な事情(婚約者の妹による隠しカメラ事件後の精神的動揺など)で苦しんでおり、バンド活動とは無関係であると主張し、ボストン・ヘラルドとミッキ・デルプを名誉毀損で提訴した。この裁判は数年間に及び、2015年にマサチューセッツ州最高裁判所は「記事の内容は『意見』の範疇であり、証明可能な『事実』の虚偽記載には当たらない」としてショルツの訴えを退ける判決を下した。法的勝利は得られなかったものの、裁判過程で公開された資料により、デルプの死が単純なバンド内の確執によるものではないことが明らかになった。

9. 再生: Tommy DeCarloの奇跡と現在 (2008-現在)

9.1 MySpaceからのシンデレラ・ストーリー

デルプの死により、バンドの存続は絶望的と思われた。しかし、奇跡が起きた。ノースカロライナ州のホームセンター 「Home Depot (ホーム・デポ)」で信用管理者として働いていた Tommy DeCarlo (トミー・デカーロ) という人物がいた。彼は熱狂的なボストンファンであり、趣味でカラオケ音源に合わせて歌い、その音源をSNS 「MySpace」 にアップロードしていた。

デルプへの追悼曲をアップロードした彼のページへのリンクが、偶然ショルツの元に届いた。ショルツはその歌声を聴いて耳を疑った。そこには、亡きデルプの声質、フレージング、魂までをも模倣したかのような歌声があった。ショルツは即座にデカーロをトリビュート・コンサートに招待し、その後、正式なリードボーカリストとしてバンドに迎え入れた。プロ経験のない一般人が伝説的バンドのフロントマンになるという、映画のような実話であった。

9.2 『Life, Love & Hope』 (2013)

2013年12月、11年ぶりとなる6thアルバム 『Life, Love & Hope (邦題: ライフ、ラブ&ホープ)』がリリースされた。

データ項目 詳細
アルバム名 Life, Love & Hope (邦題: ライフ、ラブ&ホープ)
リリース日 2013年12月3日
レーベル Frontiers Records
特徴 亡きBrad Delpの未発表ボーカルを使用

このアルバムは、ショルツが長年温めてきた音源の集大成であった。特筆すべきは、生前に録音されていた Brad Delp (ブラッド・デルプ)のボーカルが複数の曲 (「Sail Away」 「Didn't Mean to Fall in Love」 など)で使用されていることである。また、新ボーカルの Tommy DeCarlo (トミー・デカーロ)、女性ボーカルの Kimberley Dahme (キンバリー・ダーム)、そしてショルツ自身もボーカルを担当している。サウンドは再びアナログ回帰し、ボストン本来の重厚なハーモニーが復活した。

9.3 現在のラインナップと活動 (2024-2025)

2014年の来日公演を含め、バンドは断続的にツアーを行っている。2025年時点での主要メンバーは以下の通りである。

メンバー名(英語) メンバー名(カナ) 担当パート 加入年
Tom Scholz トム・ショルツ Guitar, Organ, Piano 1976 (創設者)
Gary Pihl ゲイリー・ピール Guitar, Keyboards 1985
Tommy DeCarlo トミー・デカーロ Lead Vocals 2007
Jeff Neal ジェフ・ニール Drums 2002
Tracy Ferrie トレーシー・フェリ Bass 2012
Beth Cohen ベス・コーエン Keyboards, Guitar, Vocals 2015

2024年から2025年にかけては、「Boston Calling」 などのフェスティバルへの出演や単独ツアーが計画されており、伝説のサウンドは今なおステージで再現されている。

10. ディスコグラフィ (Discography)

以下に、スタジオ・アルバムの詳細なデータを記載する。特に日本における受容(邦題、ボーナストラック等) に重点を置く。

1. Boston (邦題:幻想飛行) - 1976

• 型番(日本初回): Epic 25-3P-41
• プロデューサー: John Boylan, Tom Scholz

曲順 英題 邦題(カタカナ) 作詞・作曲 備考
1 More Than a Feeling 宇宙の彼方へ T. Scholz 歴史的アンセム
2 Peace of Mind ピース・オブ・マインド T. Scholz ポラロイド社勤務中に作曲
3 Foreplay/Long Time フォアプレイ/ロング・タイム T. Scholz 組曲形式
4 Rock & Roll Band ロックン・ロール・バンド T. Scholz 唯一J. Masdeaがドラムで参加
5 Smokin' スモーキン T. Scholz, B. Delp ハードロックの定番
6 Hitch a Ride ヒッチ・ア・ライド T. Scholz ギターソロが展開するバラード
7 Something About You サムシング・アバウト・ユー T. Scholz 旧題: Life Isn't Easy
8 Let Me Take You Home Tonight レット・ミー・テイク・ユー・ホーム・トゥナイト B. Delp 唯一のDelp単独作曲

2. Don't Look Back (邦題: ドント・ルック・バック) - 1978

• 型番(日本初回): Epic 25-3P-1
• 備考:世界初のCD化タイトルの一つとしても知られる。

曲順 英題 邦題(カタカナ) 作詞・作曲
1 Don't Look Back ドント・ルック・バック T. Scholz
2 The Journey ザ・ジャーニー T. Scholz
3 It's Easy イッツ・イージー T. Scholz
4 A Man I'll Never Be ア・マン・アイル・ネバー・ビー T. Scholz
5 Feelin' Satisfied フィーリン・サティスファイド T. Scholz
6 Party パーティー T. Scholz, B. Delp
7 Used to Bad News ユーズド・トゥ・バッド・ニュース B. Delp
8 Don't Be Afraid ドント・ビー・アフレイド T. Scholz

3. Third Stage (邦題: サード・ステージ) - 1986

• 型番(日本初回): MCA 32XD-538
• 備考:日本盤CDは音質評価が高く、中古市場で高値で取引される。

曲順 英題 邦題(カタカナ) 備考
1 Amanda アマンダ 全米No.1ヒット
2 We're Ready ウィー・アー・レディ 全米9位
3 The Launch ザ・ランチ インストゥルメンタル
4 Cool the Engines クール・ジ・エンジンズ 往年のロックサウンド
5 My Destination マイ・デスティネーション
6 A New World ア・ニュー・ワールド
7 To Be a Man トゥ・ビー・ア・マン
8 I Think I Like It アイ・シンク・アイ・ライク・イット
9 Can'tcha Say (You Believe in Me) キャンチャ・セイ バラード
10 Hollyann ホリーアン アルバムを締めくくる大作

4. Walk On (邦題: ウォーク・オン) - 1994

• 型番(日本盤): MCA MVCM-427

曲順 英題 邦題(カタカナ) 備考
1 I Need Your Love アイ・ニード・ユア・ラヴ Fran Cosmoボーカル
2 Surrender to Me サレンダー・トゥ・ミー
3 Livin' for You リヴィン・フォー・ユー 珠玉のバラード
4 Walkin' at Night ウォーキン・アット・ナイト
5 Walk On ウォーク・オン
6 Get Organ-ized ゲット・オーガナイズド
7 Walk On (Some More) ウォーク・オン(サム・モア)
8 What's Your Name ホワッツ・ユア・ネーム
9 Magdalene マグダリン
10 We Can Make It ウィー・キャン・メイク・イット

5. Corporate America (邦題: コーポレート・アメリカ) - 2002

• 型番(日本盤): Epic EICP-171
• 日本盤ボーナストラック: "Crystal Love" (クリスタル・ラヴ)

曲順 英題 邦題(カタカナ) 備考
1 I Had a Good Time アイ・ハド・ア・グッド・タイム
2 Stare Out Your Window ステア・アウト・ユア・ウインドウ
3 Corporate America コーポレイト・アメリカ
4 With You ウィズ・ユー
5 Someone サムワン
6 Turn It Off ターン・イット・オフ
7 Cryin' クライン
8 Didn't Mean to Fall in Love ディドゥント・ミーン・トゥ・フォール・イン・ラヴ
9 You Gave Up on Love ユー・ゲイヴ・アップ・オン・ラヴ
10 Livin' for You リヴィン・フォー・ユー

6. Life, Love & Hope (邦題: ライフ、ラブ&ホープ) - 2013

• 型番(日本盤): Avalon MICP-11133
• 日本盤ボーナストラック: "Te Quiero Mia" (テ・キエロ・ミア)

曲順 英題 邦題(カタカナ) 備考
1 Heaven on Earth ヘヴン・オン・アース
2 Didn't Mean to Fall in Love ディドゥント・ミーン・トゥ・フォール・イン・ラヴ 2013 Remaster Version
3 Last Day of School ラスト・デイ・オヴ・スクール
4 Sail Away セイル・アウェイ
5 Life Love & Hope ライフ、ラヴ&ホープ
6 If You Were in Love イフ・ユー・ワー・イン・ラヴ
7 Someday サムデイ
8 Love Got Away ラヴ・ゴット・アウェイ
9 Someone (2.0) サムワン Re-Recording Version
10 You Gave Up on Love (2.0) ユー・ゲイヴ・アップ・オン・ラヴ Re-Recording Version
11 The Way You Look Tonight ザ・ウェイ・ユー・ルック・トゥナイト
12 Someday サムデイ Tom Scholz Vocal Version

11. BOSTON・サウンドの永遠性

Boston (ボストン)の歴史は、Tom Scholz (トム・ショルツ)という一人の技術者の妥協なき探求の歴史である。彼は商業的なサイクルよりも、自身が理想とする音の純度を優先し続けた。その結果、50年近い活動期間でわずか6枚のスタジオアルバムしか残さなかったが、その一枚一枚(初期3作) の密度は圧倒的である。

また、Brad Delp (ブラッド・デルプ)という不世出のシンガーの存在なくして、このプロジェクトの成功はあり得なかった。彼の温かく、どこまでも伸びる歌声は、ショルツの無機質になりがちな完璧なバックトラックに「人間性」と「魂」を吹き込んだ。

現在、Tommy DeCarlo (トミー・デカーロ)という「ファン代表」がその遺産を受け継ぎ、ボストンの音楽は生き続けている。ギターとオルガンによる重厚な宇宙船 (スペースシップ)の旅は、メンバーを変え、時代を超えて、今もなお世界中のリスナーを「宇宙の彼方へ」といざなっている。

News

BOSTON、デビュー・アルバム50周年記念盤を2027年第2四半期に発売 契約前の未発表デモを収録

Impex Recordsより、2枚組アナログ(黒盤と2,500枚限定のメタリック・パール・ゴールド盤)とSACDハイブリッドで発売。トム・シュルツがレストアしてリマスターした、レーベル契約前の未発表デモを全形態に収録する。

出典: Blabbermouth(2026年8月26日)

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Albums

Life, Love & Hope CD
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重層的なコーラスとギターの煌めきを通じ、BOSTONらしい理想的なロックの景色を描く作品。

Corporate America CD
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重ねたギターと壮麗なコーラスで、BOSTONらしい音の広がりを現代に持ち込んだ一作。

Walk On CD
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フラン・コスモの参加を受け、トム・ショルツの精密な音作りをアリーナ・ロックへ注いだ第4作。

Third Stage CD
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緻密に構築されたギターとシンセサイザーの音像で、BOSTONが壮大なメロディック・ロックを再び描いた復帰作。

Don't Look Back CD
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分厚い多重ギターと伸びやかな歌声を凝縮し、BOSTONがメロディック・ロックの完成度を磨いた第2作。

Boston CD
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トム・ショルツの緻密な音作りとブラッド・デルプの透明な歌で、アリーナ・ロックの基準を作ったデビュー作。