RAINBOW

1970年代中盤のロックシーンにおいて、レインボー (RAINBOW)、あるいは初期の正式名称であるリッチー・ブラックモアズ・レインボー (Ritchie Blackmore's RAINBOW) の結成は、単なるスーパーグループの誕生以上の意味を持っていた。

Biography

レインボー(RAINBOW)
ハードロックにおける様式美の構築と変遷

1. リッチー・ブラックモアの音楽的理想と「レインボー」の創世記

1970年代中盤のロックシーンにおいて、レインボー (RAINBOW)、あるいは初期の正式名称であるリッチー・ブラックモアズ・レインボー (Ritchie Blackmore's RAINBOW) の結成は、単なるスーパーグループの誕生以上の意味を持っていた。それは、ディープ・パープル (Deep Purple)という巨大な成功を収めたバンドのギタリスト、リッチー・ブラックモア (Ritchie Blackmore)が、自身の音楽的ルーツであるクラシック音楽、とりわけバロック音楽の旋律と、激しいハードロックのエネルギーを完全な形で融合させるための実験場であり、聖域の構築であった。

1.1 ディープ・パープルからの離脱と 「Black Sheep of the Family」

1974年、ディープ・パープルはアルバム 『Stormbringer (邦題: 嵐の使者)』の制作およびツアーを行っていたが、バンド内部には修復不可能な亀裂が生じていた。ブラックモアは、新メンバーであるデヴィッド・カヴァデール (David Coverdale) とグレン・ヒューズ (Glenn Hughes) が持ち込んだファンクやソウルミュージックの要素、いわゆる「シューシャイン・ミュージック (靴磨きの音楽)」と彼が揶揄した黒人音楽的なアプローチに対して強い違和感を抱いていた。

決定的な対立は、クォーターマス (Quatermass) の楽曲 「Black Sheep of the Family」のカバー録音を巡って発生した。ブラックモアはこの曲の録音を強く提案したが、他のメンバーはオリジナル曲の制作を優先すべきだとしてこれを拒否した。自身のクリエイティブな提案が却下されたことに憤慨したブラックモアは、ソロ・プロジェクトとしてこの曲を録音することを決意する。この時、ブラックモアが目を付けたのが、ディープ・パープルの全米ツアーでオープニング・アクトを務めていたアメリカのバンド、エルフ (Elf) のボーカリスト、ロニー・ジェイムス・ディオ (Ronnie James Dio) であった。

1.2 エルフ (Elf) との融合とバンドの始動

ブラックモアはディオの声質―力強く、中世的な物語を語るのに適したオペラティックな響きーに魅了されていた。1974年12月、ブラックモアはディオに加え、エルフのメンバーであるミッキー・リー・スール (Mickey Lee Soule - Keyboards)、クレイグ・グルーバー (Craig Gruber - Bass)、ゲイリー・ドリスコール (Gary Driscoll - Drums) をセッション・ミュージシャンとして起用し、フロリダ州タンパ (Tampa, Florida) のスタジオで「Black Sheep of the Family」と、ブラックモアのオリジナル曲 「Sixteenth Century Greensleeves」を録音した。

このセッションの手応えはブラックモアの予想を遥かに超えるものであった。ディオとの作曲パートナーシップに可能性を見出した彼は、ディープ・パープルを脱退し、エルフのメンバー(ギタリストのスティーヴ・エドワーズを除く)をそのまま吸収する形で新バンドを結成した。バンド名は、ロサンゼルスのサンセット・ストリップ (Sunset Strip) にある有名なバー&グリル 「レインボー・バー・アンド・グリル (RAINBOW Bar and Grill)」に由来すると言われているが、諸説ある。こうして、ハードロックと中世世界観が融合した新たな伝説が幕を開けたのである。

2. 第一期: ロニー・ジェイムス・ディオ時代 (The Dio Years 1975-1979)

この時期は「剣と魔法 (Sword and Sorcery)」をテーマにした歌詞と、クラシック音楽(特にバッハやベートーヴェン) の影響を受けた旋律が特徴であり、多くのファンや批評家からレインボーの芸術的頂点、あるいは「様式美ハードロック」の完成形と見なされている。

2.1 デビューアルバム 『Ritchie Blackmore's RAINBOW』の構築

1975年2月から3月にかけて、ドイツ・ミュンヘンのミュージックランド・スタジオ (Musicland Studios, Munich) にてデビューアルバムのレコーディングが行われた。プロデュースは、ディープ・パープル作品でお馴染みのマーティン・バーチ (Martin Birch)に加え、ブラックモアとディオが共同で担当した。

1975年8月にリリースされた『Ritchie Blackmore's RAINBOW (邦題: 銀嶺の覇者)』は、ブラックモアのギターリフとディオのファンタジックな歌詞が見事に融合した作品となった。

  • Man on the Silver Mountain (銀嶺の覇者): バンドの象徴的なアンセムであり、シンプルなリフと力強いボーカルが特徴。ブラックモアはこの曲で「ディープ・パープルとは異なる、よりストレートでメロディックなロック」を提示した。
  • Catch the RAINBOW: ジミ・ヘンドリックス (Jimi Hendrix)の「Little Wing」に影響を受けたバラード。スタジオ版はコンパクトだが、後のライブでは長尺のインプロビゼーションが展開される重要なレパートリーとなった。
  • The Temple of the King: アコースティック・ギターを主体とした中世的なバラードで、ハードロックバンドとしての側面だけでなく、ブラックモアのルネサンス音楽への傾倒が色濃く表れている。

アルバムの完成とほぼ同時に、ブラックモアはバンドのラインナップに不満を抱き始める。ドラムのゲイリー・ドリスコールのR&Bスタイルの演奏や、ベースのクレイグ・グルーバーのファンキーなアプローチは、ブラックモアが追求する重厚かつ緻密なハードロック・サウンドには不適格であると判断されたのである。その結果、ブラックモアはディオを除く全員を解雇するという、冷徹かつドラスティックな決断を下した。

2.2 古典的ラインナップの完成と傑作『Rising』

ブラックモアは自身の理想を実現するため、世界中からトップクラスのミュージシャンを招集した。

  1. コージー・パウエル (Cozy Powell - Drums): ジェフ・ベック・グループ (The Jeff Beck Group)などで活躍し、その圧倒的なパワーとツーバス (ダブル・バスドラム) のテクニックで知られるドラマー。彼の加入により、レインボーのサウンドは劇的にへヴィかつダイナミックなものへと進化した。
  2. ジミー・ベイン (Jimmy Bain - Bass): 堅実なプレイでボトムを支えるベーシスト。
  3. トニー・カレイ (Tony Carey - Keyboards): クラシックの素養を持ち、シンセサイザー(特にモーグ・シンセサイザー) を駆使してオーケストラのような厚みを加えることができるキーボーディスト。

このラインナップで1976年2月に録音され、5月にリリースされたのが、ロック史に残る不朽の名盤『Rising (邦題: 虹を翔る覇者)』である。

このアルバムは全6曲という構成ながら、その密度は極めて高い。A面には「Tarot Woman」や「Starstruck」 といった疾走感あふれる楽曲が並び、トニー・カレイのシンセサイザーによるイントロが印象的な「Tarot Woman」は、バンドの新たな方向性を決定づけた。

しかし、このアルバムの真骨頂はB面に収録された2曲の大作にある。

  • Stargazer: 8分を超える壮大な叙事詩。魔法使いが奴隷を使って石の塔を建設し、空を飛ぼうとする物語が描かれる。ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団(Munich Philharmonic Orchestra) を起用したオーケストレーション、コージー・パウエルの雷鳴のようなドラム・イントロ、そしてブラックモアの情熱的なギターソロが一体となり、中近東的な旋律を取り入れた「カシミール (Kashmir)」 (レッド・ツェッペリン) と並ぶスケール感を実現した。
  • A Light in the Black: 「Stargazer」の続編的な位置づけであり、物語の結末を描く。高速なツーバスドラムに乗せて、ギターとキーボードがスリリングなソロ・バトルを展開するこの曲は、後のパワー・メタルやスピード・メタルの原点とも言えるスタイルを確立した。

2.3 ライブ・パフォーマンスの神髄と 『On Stage』

1976年から1977年にかけて行われたワールド・ツアーは、レインボーが最強のライブ・バンドであることを証明した。スタジオ音源では緻密に構築された楽曲も、ライブではテンポやアレンジが大胆に変更され、メンバー間の緊張感あふれるインプロビゼーション (即興演奏)が展開された。

特に1976年12月の初来日公演は、日本のロック・ファンにとって伝説的な出来事となった。東京体育館や日本武道館での公演では、ブラックモアの鬼気迫るギタープレイと、ディオの圧倒的な歌唱力が観客を熱狂させた。このツアーの模様 (日本公演およびドイツ公演)は、1977年リリースの2枚組ライブ・アルバム 『On Stage (邦題: レインボー・オン・ステージ)』に収録されている。『On Stage』では、「Kill the King」のような未発表の新曲(当時)がオープニングを飾り、「Mistreated」や「Still I'm Sad」 といった楽曲では10分を超える長尺の演奏が繰り広げられた。

1977年のヨーロッパ・ツアー中、特に10月20日のミュンヘン公演 (Live in Munich 1977) では特筆すべき事件が発生した。オーストリアでの公演でブラックモアが会場の警備員とトラブルになり逮捕され、ミュンヘン公演当日に釈放されて会場に直行するという事態になったのである。この日のブラックモアは怒りを演奏にぶつけるかのような凄まじいテンションでプレイし、その様子はドイツのテレビ番組『Rockpalast』によって収録され、後に映像作品としてリリースされた。

2.4 『Long Live Rock 'n' Roll』 とディオの脱退

1977年から1978年にかけて、フランスの古城 「シャトー・ペリ・ド・コルンフェルド (Château Pelly de Cornfeld)」にて3枚目のアルバム 『Long Live Rock 'n' Roll (邦題:バビロンの城門)』のレコーディングが行われた。しかし、この時期すでにバンド内部、特にブラックモアとリズム隊の間には不協和音が生じていた。ベースのジミー・ベインとキーボードのトニー・カレイが解雇され、後任としてボブ・デイズリー (Bob Daisley - Bass) とデヴィッド・ストーン (David Stone - Keyboards) が加入した。実際には、アルバムのベース・パートの多くをブラックモア自身が演奏していると言われている。

アルバムは「Long Live Rock 'n' Roll」のようなアンセム、「Gates of Babylon」のような東洋的旋律を持つ大作、「RAINBOW Eyes」のような美しいバラードを含んでいたが、ブラックモアは徐々にアメリカ市場での商業的成功、すなわちシングル・チャートでのヒットを意識し始めていた。一方、ディオはあくまで「剣と魔法」の世界観や重厚なハードロックを志向しており、恋愛歌やラジオ向けのポップな楽曲を歌うことを拒んだ。この音楽的方向性の相違は決定的なものとなり、1979年、ロニー・ジェイムス・ディオはバンドを脱退し、ブラック・サバス (Black Sabbath) へと移籍することになる。

3. 第二期: グラハム・ボネットと商業的転換 (1979-1980)

ディオの脱退は、レインボーというバンドのアイデンティティを根本から変える転換点となった。ブラックモアは、より大衆的で洗練された「ラジオ・フレンドリー」なサウンドへと大きく舵を切る決断を下した。

3.1 ロジャー・グローヴァーの加入と新ボーカリストの模索

ブラックモアは、バンドの改革のためにかつてのディープ・パープルの同僚であるロジャー・グローヴァー (Roger Glover - Bass) をプロデューサーとして招いた。グローヴァーは当初プロデュースのみの予定であったが、ベーシストとしてもバンドに加入することとなり、作詞作曲においてもブラックモアの重要なパートナーとなった。また、キーボードにはコロシアムII (Colosseum II) などで技巧派として知られていたドン・エイリー (Don Airey) が加入した。

しかし、ボーカリスト選びは難航した。多くの候補者がオーディションを受けたが、最終的に選ばれたのは、元ザ・マーブルス (The Marbles) のグラハム・ボネット (Graham Bonnet) であった。ボネットはR&Bやポップスをバックグラウンドに持ち、オールバックの髪型にスーツ、サングラスという、当時のハードロック・シンガーの常識(長髪に革ジャン)とはかけ離れたルックスをしていたが、そのハイトーン・ボイスの威力は圧倒的であった。

3.2 アルバム 『Down to Earth』 とシングル・ヒット

1979年にリリースされた『Down to Earth (邦題: ダウン・トゥ・アース)』は、ブラックモアの狙い通り、商業的な成功をもたらした。

  • Since You Been Gone: ラス・バラード (Russ Ballard) が作曲したこの曲は、キャッチーなメロディとポップなアレンジが特徴で、全英シングルチャートで6位を記録する大ヒットとなった。これにより、レインボーは新たなファン層を獲得することに成功した。
  • All Night Long: 伝統的なロックンロールのリズムを持つ楽曲で、これも全英5位のヒットとなった。
  • Lost in Hollywood: コージー・パウエルの強烈なドラミングが牽引するスピーディーなナンバーで、ライブではハイライトの一つとなった。
  • Eyes of the World: ホルスト (Holst) の組曲「惑星(The Planets)」の「火星 (Mars)」をモチーフにした壮大なイントロを持つ楽曲で、ドン・エイリーのキーボード・ワークが光る。

3.3 モンスターズ・オブ・ロックと崩壊

1980年8月16日、イギリスのドニントン・パーク(Castle Donington) で開催された第1回「モンスターズ・オブ・ロック (Monsters of Rock)」 フェスティバルにおいて、レインボーはヘッドライナーを務めた。この公演はバンドの絶頂期を象徴するイベントであったが、同時にこのラインナップの終焉でもあった。

ドラムのコージー・パウエルは、バンドが急速にポップ・ロック化していくことに不満を抱いており、このフェスティバルを最後に脱退した。彼の脱退は、レインボーから「ヘヴィ・メタルのダイナミズム」が失われることを意味していた。

さらに、グラハム・ボネットも直後に脱退する。ボネットの脱退に関しては、「髪を短く切りすぎたことでブラックモアの怒りを買った」という逸話が有名である。ブラックモアはボネットのステージ映えしない短髪を嫌っており、髪を伸ばすよう指示していたが、ボネットはそれに反発してさらに短く切ってしまったと言われている。ボネット自身も後にこのエピソードについて言及しており、音楽的な方向性の違いに加え、こうした個人的な確執も脱退の一因であったことを認めている。

4. 第三期: ジョー・リン・ターナーとアメリカン・マーケットの制覇 (1980-1984)

コージー・パウエルとグラハム・ボネットを失ったブラックモアは、アメリカ市場での成功を確固たるものにするため、より洗練されたAOR (Adult Oriented Rock) スタイルを追求した。

4.1 ジョー・リン・ターナーの加入と 『Difficult to Cure』

新たなボーカリストとして、アメリカのバンド, ファンダンゴ (Fandango) のジョー・リン・ターナー (Joe Lynn Turner)が抜擢された。ターナーは甘いルックスと、ポップスからハードロックまで歌いこなす柔軟な歌唱力を持ち、ブラックモアの求める「ラジオで流れるロック」に最適な人材であった。ドラムにはボビー・ロンディネリ (Bobby Rondinelli) が迎えられた。

1981年にリリースされた『Difficult to Cure (邦題: アイ・サレンダー)』は、バンド史上最大の商業的成功の一つとなった。

  • I Surrender: 再びラス・バラードの曲を取り上げ、全英チャート3位を記録。洗練されたメロディと重厚なバックトラックのバランスが絶妙な楽曲である。
  • Spotlight Kid: ネオクラシカルな速弾きギターとキーボードのソロ・バトルが展開される、ハードロック・ファン向けの楽曲。
  • Difficult to Cure: ベートーヴェンの交響曲第9番「合唱」第4楽章をロック・インストゥルメンタルとしてアレンジした楽曲。ブラックモアのクラシックへの敬愛と、ユーモアのセンス(曲の終わりに笑い声が入るなど)が融合しており、以降のライブにおけるクライマックスとなった。

4.2 AOR路線の深化: 『Straight Between the Eyes』 と 『Bent Out of Shape』

1982年の『Straight Between the Eyes (邦題: 闇からの一撃)』では、キーボードがデヴィッド・ローゼンタール (David Rosenthal) に交代した。このアルバムからのシングル「Stone Cold」は、アメリカのビルボード・ロック・チャート (Mainstream Rock) で1位を獲得し、バンドにとって初のアメリカでのナンバーワン・ヒットとなった。アルバム全体を通して、アメリカのFMラジオ向けにチューニングされたキャッチーなハードロックが展開されている。

1983年の『Bent Out of Shape (邦題: ストリート・オブ・ドリームス)』では、ドラムがチャック・バージ (Chuck Burgi) に交代した。

  • Street of Dreams: 哀愁を帯びたメロディが美しいミディアム・バラード。プロモーション・ビデオ(MV) も制作され、MTVでの放映を通じて人気を博した。
  • Can't Let You Go: 教会オルガン風のイントロから始まる、様式美とポップさが融合した楽曲。
  • Snowman: ハワード・ブレイク (Howard Blake) 作曲のアニメ映画『スノーマン』のテーマ曲「Walking in the Air」をインストゥルメンタル・カバーしたもので、ブラックモアの叙情的なギタープレイが堪能できる。

4.3 1984年の解散と武道館のフィナーレ

1984年、音楽業界に大きなニュースが走った。リッチー・ブラックモアとロジャー・グローヴァーが、イアン・ギラン (Ian Gillan)、ジョン・ロード (Jon Lord)、イアン・ペイス (Ian Paice)と共に、ディープ・パープルの黄金期ラインナップ (Mark II) を再結成することが決定したのである。これにより、レインボーはその活動に幕を下ろすこととなった。

レインボーのラスト・ツアーは日本で行われた。1984年3月14日の日本武道館公演は、バンドの歴史を締めくくるにふさわしい壮大なものであった。「Difficult to Cure」の演奏時には、新日本フィルハーモニー交響楽団がステージ背後に登場し、ブラックモアのギターとオーケストラが競演するという、彼の長年の夢が実現した瞬間であった。この公演の模様は映像作品『Live in Japan 1984』として記録されている。

解散後の1986年には、未発表曲やライブ音源を集めた編集盤『Finyl Vinyl (邦題: ファイナル・ヴァイナル)』がリリースされ、ファンへの最後の贈り物となった。

5. 第四期: ドゥギー・ホワイトと原点回帰 (1993-1997)

1993年、再結成ディープ・パープルでの活動に行き詰まり、再び脱退したブラックモアは、レインボーの再始動を決意する。

5.1 新ラインナップとアルバム 『Stranger in Us All』

新たなメンバーとして、スコットランド出身の無名のシンガー、ドゥギー・ホワイト (Doogie White) が抜擢された。ブラックモアは当初「レインボー・ムーン (RAINBOW Moon)」などの別名義での活動を考えていたが、レコード会社の要請によりレインボーの名を使用することとなった。その他のメンバーは、ポール・モリス (Paul Morris - Keyboards)、グレッグ・スミス (Greg Smith - Bass)、ジョン・オライリー (John O'Reilly - Drums) であった。

1995年にリリースされた 『Stranger in Us All (邦題: 孤高のストレンジャー)』は、ジョー・リン・ターナー時代のAOR路線とは異なり、ディオ時代の様式美ハードロックへの回帰を感じさせる作品となった。

  • Ariel: ブラックモアの後の妻であり、フォーク・ロック・デュオ 「ブラックモアズ・ナイト (Blackmore's Night)」のパートナーとなるキャンディス・ナイト (Candice Night) が作詞とバッキング・ボーカルで参加している。中世的な神秘性を湛えた楽曲である。
  • Black Masquerade: フラメンコ・ギターの要素を取り入れ、疾走感と情熱が同居する楽曲。ライブでの人気も高かった。
  • Hall of the Mountain King: グリーグの「山の魔王の宮殿にて」をアレンジした楽曲。

5.2 ツアーのトラブルと活動休止

アルバムに伴うツアーの直前、ドラマーのジョン・オライリーがサッカー中の事故で負傷し、ツアーに参加できなくなるというアクシデントが発生した。代役として、かつてのメンバーであるチャック・バージが急遽呼び戻され、ツアーを完遂した。1995年10月のドイツ・デュッセルドルフ公演は『Rockpalast』で収録され、後に『Black Masquerade』としてリリースされた。この映像では、ブラックモアがストラトキャスターを縦横無尽に操り、ドゥギー・ホワイトが歴代ボーカリストの楽曲を見事に歌い上げる姿が確認できる。

1997年、ブラックモアは長年の夢であったルネサンス音楽やフォーク・ロックに専念するため、キャンディス・ナイトと共に「ブラックモアズ・ナイト」を結成し、レインボーの活動を無期限で停止させた。

6. 第五期: 一時的な復活 (2015-2019)

長らくアコースティック楽器 (リュートやハーディ・ガーディなど)を手にしていたブラックモアだが、2015年、ハードロックへの一時的な回帰を宣言した。

6.1 ロニー・ロメロの抜擢と限定的な活動

ブラックモアは新たなボーカリストとして、チリ出身でスペインを拠点に活動していたローズ・オブ・ブラック (Lords of Black) のロニー・ロメロ (Ronnie Romero) を指名した。ブラックモアはロメロを「ロニー・ジェイムス・ディオとフレディ・マーキュリー (Freddie Mercury)を掛け合わせたような声」と絶賛した。その他のメンバーには、ストラトヴァリウス (Stratovarius) のイェンス・ヨハンソン (Jens Johansson - Keyboards)、ブラックモアズ・ナイトのデヴィッド・キース (David Keith - Drums)、ボブ・ヌーヴォー (Bob Nouveau - Bass) が参加した。

この再結成は、大規模なワールド・ツアーを行うものではなく、ヨーロッパ各地のフェスティバル (Monsters of Rock等)や単独公演を数回行うという限定的なものであった。セットリストはレインボーの楽曲だけでなく、ディープ・パープルの名名曲(「Highway Star」、「Smoke on the Water」 など)も多く含まれていた。2016年には新曲「Waiting for a Sign」などもデジタル配信されたが、フルアルバムの制作には至らず、2019年のスペインでの公演を最後に、ブラックモアは再びブラックモアズ・ナイトの活動に戻っている。

7. ディスコグラフィ (Discography)

以下に、レインボーの全スタジオ・アルバム、主要ライブ・アルバム、および重要な映像作品の詳細データを表形式で提示する。

7.1 スタジオ・アルバム (Studio Albums)

発表年 タイトル(原題/邦題) Vocal 主要収録曲・備考
1975 Ritchie Blackmore's RAINBOW
銀嶺の覇者
Ronnie James Dio "Man on the Silver Mountain", "Catch the RAINBOW", "Temple of the King"
エルフのメンバーをバックに制作されたデビュー作。
1976 Rising
虹を翔る覇者
Ronnie James Dio "Stargazer", "A Light in the Black", "Tarot Woman"
コージー・パウエル加入。ハードロックの金字塔的作品。
1978 Long Live Rock 'n' Roll
バビロンの城門
Ronnie James Dio "Long Live Rock 'n' Roll", "Gates of Babylon", "Kill the King"
ディオ在籍最後の作品。一部ベースはブラックモアが演奏。
1979 Down to Earth
ダウン・トゥ・アース
Graham Bonnet "Since You Been Gone", "All Night Long", "Lost in Hollywood"
グラハム・ボネット、ロジャー・グローヴァー加入。ポップ路線へ転換。
1981 Difficult to Cure
アイ・サレンダー
Joe Lynn Turner "I Surrender", "Spotlight Kid", "Difficult to Cure"
ジョー・リン・ターナー加入。最大の商業的成功を収める。
1982 Straight Between the Eyes
闇からの一撃
Joe Lynn Turner "Stone Cold", "Death Alley Driver"
アメリカ市場での成功を決定づけたAORハードロック作品。
1983 Bent Out of Shape
ストリート・オブ・ドリームス
Joe Lynn Turner "Street of Dreams", "Can't Let You Go", "Snowman"
解散前最後のスタジオ作。洗練されたメロディが特徴。
1995 Stranger in Us All
孤高のストレンジャー
Doogie White "Ariel", "Black Masquerade", "Wolf to the Moon"
90年代の一時的再結成。様式美への回帰が見られる。

7.2 主要ライブ・アルバム (Live Albums)

発表年 タイトル(原題/邦題) 録音時期・場所 備考
1977 On Stage
レインボー・オン・ステージ
1976年日本・ドイツ 全盛期のライブ・パフォーマンスを収録。インプロビゼーションの極致。
1986 Finyl Vinyl
ファイナル・ヴァイナル
1978年-1984年各地 解散後に編纂されたB面曲やライブ・テイク集。資料的価値が高い。
2006 Live in Munich 1977 1977年10月20日 ミュンヘン ディオ期の完全なコンサート音源。映像版も同時リリース。
2013 Black Masquerade 1995年10月9日 デュッセルドルフ ドゥギー・ホワイト期のライブ。Rockpalastでの収録。
2015 Live in Japan 1984 1984年3月14日 日本武道館 ジョー・リン・ターナー期ラスト・ライブ。オーケストラ共演を含む完全版
2016 Memories in Rock - Live in Germany 2016年6月 ドイツ ロニー・ロメロを擁する再結成ラインナップでのライブ。

7.3 主要シングル (Key Singles with UK Chart Positions)

以下の表は、イギリス (UK) およびアメリカ (US) の主要チャートにおける最高位を示す

タイトル UK Chart US Chart 収録アルバム
1978 Long Live Rock 'n' Roll #33 - Long Live Rock 'n' Roll
1979 Since You Been Gone #6 #57 Down to Earth
1980 All Night Long #5 - Down to Earth
1981 I Surrender #3 - Difficult to Cure
1982 Stone Cold #34 #40 (Rock #1) Straight Between the Eyes
1983 Street of Dreams #52 #60 Bent Out of Shape

8. メンバー系統図 (Lineup Genealogy)

レインボーの歴史は、リッチー・ブラックモアを中心としたメンバーチェンジの歴史でもある。以下に主要なラインナップの変遷を詳述する。

時期 Vocal Guitar Bass Drums Keyboards
1975 Ronnie James Dio Ritchie Blackmore Craig Gruber Gary Driscoll Mickey Lee Soule
1975-1977 Ronnie James Dio Ritchie Blackmore Jimmy Bain
(Mark Clarke)
Cozy Powell Tony Carey
1977-1978 Ronnie James Dio Ritchie Blackmore Bob Daisley Cozy Powell David Stone
1979-1980 Graham Bonnet Ritchie Blackmore Roger Glover Cozy Powell Don Airey
1980-1981 Joe Lynn Turner Ritchie Blackmore Roger Glover Bobby Rondinelli Don Airey
1981-1983 Joe Lynn Turner Ritchie Blackmore Roger Glover Bobby Rondinelli David Rosenthal
1983-1984 Joe Lynn Turner Ritchie Blackmore Roger Glover Chuck Burgi David Rosenthal
1994-1995 Doogie White Ritchie Blackmore Greg Smith John O'Reilly Paul Morris
1995-1997 Doogie White Ritchie Blackmore Greg Smith Chuck Burgi Paul Morris
2015-2019 Ronnie Romero Ritchie Blackmore Bob Nouveau David Keith Jens Johansson

9. 日本との特別な関係と歴史的事件

レインボーと日本の関係は深く、数々の伝説と悲劇がこの地で生まれた。

9.1 1976年12月: 衝撃の初来日

初来日公演は、日本の洋楽ロック・シーンにおける一大イベントであった。ブラックモアの破壊的なギター・パフォーマンスと、巨大な虹の電飾セットは観客の度肝を抜いた。この時の熱狂は『On Stage』 のライナーノーツや当時の音楽誌で語り草となっており、日本におけるレインボー人気を決定づけた。

9.2 1978年1月27日: 札幌中島スポーツセンターの悲劇

レインボーの歴史において最も暗い影を落としたのが、1978年の札幌公演である。オープニングと同時に興奮した観客約5,000人がステージ前に殺到し、将棋倒しが発生した。この事故により、最前列付近にいた女子大生1名が圧死するという痛ましい結果となった。バンド側は演奏中に事故の深刻さを把握しておらず (照明がついたまま演奏が続けられた)、終演後に悲劇を知らされた。この事件は、日本におけるコンサート警備のあり方を根本から見直す契機となり、以降のロック・コンサートでは「ブロック指定」や厳重な警備が標準化されることとなった。

9.3 1984年3月14日: 武道館でのグランド・フィナーレ

バンド解散前の最後の公演地として選ばれたのも日本であった。ジョー・リン・ターナー期の集大成となるこの公演では、楽曲「Difficult to Cure」において新日本フィルハーモニー交響楽団との共演が実現した。ブラックモアはベートーヴェンの旋律をオーケストラと共に奏で、ロックとクラシックの融合という自身のキャリア初期からの野望を、レインボーというバンドの最期の瞬間に完結させたのである。

10. レインボーが遺したもの

レインボーの歴史を振り返ると、それはリッチー・ブラックモアという稀代のギタリストの、飽くなき探求心の軌跡であることがわかる。初期のディオ時代には、ハードロックに中世的な旋律と物語性を持ち込み、「様式美」というジャンルを確立した。これは後のアイアン・メイデン(Iron Maiden) やイングヴェイ・マルムスティーン (Yngwie Malmsteen) らに多大な影響を与えた。中期のボネット/ターナー時代には、楽曲をコンパクトにし、キャッチーなメロディを取り入れることで、ハードロックがラジオやMTVを通じて大衆音楽として機能することを証明した。これは1980年代のボン・ジョヴィ (Bon Jovi) やデフ・レパード (Def Leppard) らの成功に先鞭をつけるものであった。

また、レインボーは優れたミュージシャンの輩出機関でもあった。コージー・パウエル、ドン・エイリー、ボブ・デイズリーらは、レインボー脱退後もオジー・オズボーン (Ozzy Osbourne) やホワイトスネイク (Whitesnake)、ゲイリー・ムーア (Gary Moore) らと活動し、80年代以降のハードロック・シーンを支える柱となった。

現在、レインボーとしての活動は停止しているが、その音楽的遺産は色褪せることなく、ロック・クラシックスとして聴き継がれている。ブラックモアが描いた「虹」は、激しい嵐 (ハードロック)の後に架かる、美しくも儚い芸術的到達点として、音楽史にその名を刻んでいる。

Albums

Stranger in Us All CD
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リッチー・ブラックモアが新編成でRAINBOWを再始動させ、ハード・ロックと中世的な陰影を結んだ最終作。

Bent Out of Shape CD
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洗練されたメロディとリッチー・ブラックモアのギターを結び、RAINBOWが大きな歌心を響かせた第七作。

Straight Between the Eyes CD
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鋭いギターと伸びやかな歌を軸に、RAINBOWがメロディックなハード・ロックを研ぎ澄ませた第六作。

Difficult to Cure CD
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ジョー・リン・ターナーの歌声とリッチー・ブラックモアのギターで、RAINBOWがメロディックなハード・ロックへ進んだ第5作。

Down to Earth CD
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グラハム・ボネットら新編成で、RAINBOWが強靭なハード・ロックと大きなポップ・フックを結んだ第4作。

Long Live Rock 'n' Roll CD
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リッチー・ブラックモアの鋭いギターとロニー・ジェイムス・ディオの歌が、壮大なハード・ロックを結実させた第3作。

Rising CD
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リッチー・ブラックモアとロニー・ジェイムス・ディオが、様式美メタルの原型を築いた第2作。

Ritchie Blackmore's Rainbow CD
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リッチー・ブラックモアとロニー・ジェイムス・ディオが、幻想性と重厚なリフを結び付けたRAINBOWの出発点。