SLASH
ロックンロールの歴史において、視覚的なシルエットだけで即座に特定できるミュージシャンはごくわずかである。目深にかぶったシルクハット、顔を覆い隠す漆黒のカーリーヘア、常に口にくわえられたタバコ、あるいは低く構えたギブソン・レスポール (Gibson Les Paul)。
Biography
現代ロックギターの象徴
スラッシュ (SLASH)
1. シルクハットの影と光
ロックンロールの歴史において、視覚的なシルエットだけで即座に特定できるミュージシャンはごくわずかである。目深にかぶったシルクハット、顔を覆い隠す漆黒のカーリーヘア、常に口にくわえられたタバコ、あるいは低く構えたギブソン・レスポール (Gibson Les Paul)。スラッシュ (SLASH)、本名ソール・ハドソン (Saul Hudson)は、単なるギタリストという枠組みを超え、ロックミュージックそのものを体現する文化的アイコンとして君臨している。
1980年代後半、ガンズ・アンド・ローゼズ (Guns N' Roses) のリードギタリストとしてシーンに登場したSLASHは、当時主流であったきらびやかで技巧偏重なグラムメタルやシュレッドギターの潮流に対し、エアロスミス (Aerosmith) やローリング・ストーンズ (The Rolling Stones)、そしてレッド・ツェッペリン (Led Zeppelin) の系譜にある、ブルースに根差した肉体的かつ感情的な演奏スタイルを復権させた。SLASHのプレイは、技術的な正確さよりもフィーリングとグルーヴ、そして「歌うような」メロディラインを重視しており、それが世代を超えて多くのリスナーの琴線に触れる要因となっている。
英国ストーク・オン・トレント (Stoke-on-Trent) での幼少期から、ロサンゼルス (Los Angeles) のストリートでのサバイバル、世界的なスタジアム・ロックスターへの昇り詰め、そして死の淵からの生還と再生に至るまで、そのキャリアは「破壊」と「創造」の連続であった。
2. 伝記 (Biography)
2.1 形成期: 二つの文化の狭間で (1965-1979)
2.1.1 英国でのルーツと芸術的背景
スラッシュは1965年7月23日、イングランド (England) のロンドン (London)、ハムステッド (Hampstead) 地区で生を受けた。父アンソニー・ハドソン (Anthony Hudson) は白人のイギリス人で、ニール・ヤング (Neil Young) やジョニ・ミッチェル (Joni Mitchell) のアルバムジャケットを手掛けるグラフィックデザイナーであった。母オラ・ハドソン (Ola Hudson) はアフリカ系アメリカ人で、デヴィッド・ボウイ (David Bowie) の映画『地球に落ちて来た男 (The Man Who Fell to Earth)』の衣装デザインを担当するなど、当時のロックシーンの中心で活躍するファッションデザイナーであった。
生後間もなく、SLASHは父の実家があるスタッフォードシャー (Staffordshire) のストーク・オン・トレント (Stoke-on-Trent) に移り住んだ。ここは伝統的な労働者階級の街であり、後のSLASHの音楽に宿る泥臭さやハングリー精神の一部は、この英国中部での生活にルーツがあると考えられる。幼少期は父と父方の祖父母に育てられ、母は仕事のためにロサンゼルスを拠点としていたため、離れて暮らす期間があった。
2.1.2 ロサンゼルスへの移住と異邦人としての疎外感
1970年頃、5歳になったスラッシュは父と共に大西洋を渡り、母の住むロサンゼルスへと移住した。SLASHらが居を構えたのは、当時のカウンターカルチャーと音楽産業の中心地であったローレル・キャニオン (Laurel Canyon)である。ここでの生活は、SLASHに決定的な影響を与えた。自宅にはジョニ・ミッチェル、ロニー・ウッド (Ron Wood)、イギー・ポップ (Iggy Pop) といった伝説的なミュージシャンが日常的に出入りしており、SLASHは幼い頃から音楽業界の華やかさと、その裏にある混沌や狂気を肌で感じて育つこととなった。
しかし、英国からの移民であり、人種的にも文化的にもマイノリティであったSLASHは、現地の学校生活において「アウトサイダー」としての感覚を強く抱いていた。SLASHは長髪にジーンズという姿で登校し、銀行家や不動産業者の子供たちが通う保守的な学校環境に馴染めず、問題児として扱われることが多かった。この「どこにも属さない」という感覚は、後のSLASHの反骨精神や、音楽という自己表現の手段への没入を加速させる要因となった。
両親は1970年代半ばに離婚した。この時期、母オラはデヴィッド・ボウイと交際しており、スラッシュにとってボウイは身近な存在であったが、家庭環境の不安定さはSLASHを祖母(母方の祖母)の元へと向かわせた。SLASHは祖母を深く愛し、彼女はSLASHの人生における重要な安らぎの場となった。
2.1.3 「スラッシュ」の命名とBMXへの熱中
「スラッシュ (SLASH)」というニックネームは、この少年時代に付けられたものである。名付け親は、俳優のシーモア・カッセル (Seymour Cassel) であった。カッセルは、幼いソール・ハドソンが常に走り回り、落ち着きなく動き回っている様子を見て、「SLASHはいつも急いでいる (always in a hurry)」という意味を込めて「スラッシュ」と呼んだ。この名は、SLASHの疾走感あふれる人生と音楽スタイルを予言するかのようなものであった。
音楽に目覚める以前、スラッシュが情熱を注いだのはBMX (Bicycle Motocross)であった。SLASHは地元の子供たちとグループを作り、ブレーキのない自転車で大胆なライディングを披露した。その腕前はプロ級であり、大会で賞金を稼ぐほどの実力を持っていた。このBMXでの経験は、SLASHにステージ上での身体能力や、リスクを恐れない精神力を培わせたと言えるかもしれない。
2.2 覚醒: ギターとの出会いと初期のバンド活動 (1980-1984)
2.2.1 運命の1弦ギター
14歳の時、スラッシュの人生を一変させる出来事が起こる。SLASHはある女性に恋をし、彼女を振り向かせるために何か楽器を始めようと考えたという説もあるが、決定打となったのは祖母がクローゼットの奥から見つけ出した古いスパニッシュ・ギターであった。そのギターには弦が1本しか張られていなかったが、SLASHはその1本の弦で音を探り始めた。
その後、SLASHはロバート・ウォーリン (Robert Wolin) という音楽教師の元に通い始める。そこで教師がクリーム (Cream) の「サンシャイン・オブ・ユア・ラヴ (Sunshine of Your Love)」を演奏するのを聴き、雷に打たれたような衝撃を受けた。SLASHは即座に「これこそが自分のやるべきことだ」と悟り、BMXをきっぱりと辞め、ギターの練習にすべてを捧げるようになった。1日12時間以上、学校をサボってはギターを弾き続ける日々が始まった。レッド・ツェッペリン、エアロスミス、AC/DC、アリス・クーパー (Alice Cooper)、そしてヴァン・ヘイレン (Van Halen) といったバンドの楽曲を耳コピし、独自のスタイルを模索していった。
2.2.2 スティーヴン・アドラーとの出会い
中学校時代、SLASHはフェアファックス高校 (Fairfax High School) などに通う中で、後の盟友となるスティーヴン・アドラー (Steven Adler) と出会う。当時、アドラーもBMXライダーであったため二人は意気投合した。当初、彼らはバンドを結成しようとした際、アドラーがギターを持っており、スラッシュがベースを担当する予定であった。しかし、スラッシュのギターへの情熱と上達速度が凄まじかったため、SLASHはリードギタリストの座に就き、アドラーはドラムへと転向することになった。この役割分担の変更がなければ、後のガンズ・アンド・ローゼズのサウンドは存在しなかったであろう。
2.2.3 初期バンド: Tidus Sloan と Road Crew
1981年、スラッシュは最初のバンド、タイダス・スローン (Tidus Sloan) に加入した。高校を中退したSLASHは、音楽活動に専念するため家を出ることもあった。その後、SLASHはスティーヴン・アドラーと共にロード・クルー (Road Crew) というバンドを結成する。バンド名はモーターヘッド (Motörhead) の曲名に由来する。彼らはベーシストを探しており、新聞広告を通じてダフ・マッケイガン (Duff McKagan) と出会った。シアトル (Seattle) 出身のパンクロッカーであったダフとの出会いは、スラッシュにパンク・ロックの美学と攻撃性をもたらし、SLASHのブルース・ベースのスタイルに新たな次元を加えた。ロード・クルーは長くは続かなかったが、ガンズ・アンド・ローゼズの核となるメンバーが出会う重要な場となった。
2.3 ガンズ・アンド・ローゼズの結成と狂乱 (1985-1987)
2.3.1 ハリウッド・ローズとL.A. ガンズの融合
スラッシュは一時、アクセル・ローズ (Axl Rose) とイジー・ストラドリン (Izzy Stradlin) が率いるハリウッド・ローズ (Hollywood Rose) にも在籍していた時期がある。一方、トレイシー・ガンズ (Tracii Guns) 率いるL.A. ガンズ (L.A. Guns) も活動しており、これら二つのバンドのメンバーが流動的に入れ替わる中で、1985年にガンズ・アンド・ローゼズ (Guns N' Roses) が結成された。
当初のラインナップにはトレイシー・ガンズが含まれていたが、SLASHはリハーサルの欠席などを理由に脱退(あるいは解雇)。代役としてスラッシュが呼び戻された。続いてドラムのロブ・ガードナー (Rob Gardner) も脱退し、スティーヴン・アドラーが加入。こうして、アクセル・ローズ (Vo)、スラッシュ (Gt)、イジー・ストラドリン (Gt)、ダフ・マッケイガン (Ba)、スティーヴン・アドラー (Dr) という、ロック史にその名を刻む「クラシック・ラインナップ」が完成した。
2.3.2 "Hell Tour" と結束
結成直後、バンドはシアトルへの遠征「ヘル・ツアー (Hell Tour)」を敢行した。車が故障し、ヒッチハイクで移動し、機材も不十分な中でライブを行うという過酷な体験を共有したことで、メンバー間の結束は強固なものとなった。彼らはロサンゼルスのクラブシーン、特にトルバドゥール (Troubadour) やロキシー (The Roxy) でのライブを通じて着実にファンベースを拡大していった。彼らの音楽は、当時サンセット・ストリップ (Sunset Strip)を支配していた「ヘア・メタル」バンドの表面的な華やかさとは異なり、より危険で、退廃的で、本物のストリートの匂いを漂わせていた。
2.3.3 『Appetite for Destruction』の衝撃
1987年、ゲフィン・レコード (Geffen Records) からデビューアルバム『アペタイト・フォー・ディストラクション (Appetite for Destruction)』がリリースされた。当初、MTVなどのメディアはこの過激なバンドを敬遠したが、「ウェルカム・トゥ・ザ・ジャングル (Welcome to the Jungle)」のビデオが放映されるや否や、爆発的な人気を獲得した。スラッシュの演奏は、このアルバムにおいて決定的な役割を果たしている。「スウィート・チャイルド・オブ・マイン (Sweet Child o' Mine)」の冒頭のリフは、もともとSLASHが指のウォーミングアップとして弾いていたフレーズであったが、アクセルがそれを聴き逃さず曲へと発展させたという逸話は有名である。SLASHのギターサウンドは、太く粘りのあるレスポールのトーンと、改造されたマーシャル (Marshall) アンプによる攻撃的な歪みが特徴であり、多くのギターキッズを虜にした。このアルバムは全世界で3,000万枚以上を売り上げ、史上最も売れたデビューアルバムの一つとなった。
2.4 栄光の裏側と崩壊への序曲 (1988-1993)
2.4.1 成功の代償とドラッグ禍
世界的な名声と共に、バンドは「世界で最も危険なバンド (The Most Dangerous Band in the World)」と呼ばれるようになった。しかし、その称号はステージ上のパフォーマンスだけでなく、私生活における薬物乱用や暴力事件をも指していた。特にスラッシュとスティーヴン・アドラーのヘロイン中毒は深刻であり、1989年にローリング・ストーンズの前座を務めた際、アクセルがステージ上で「バンドの何人かが踊るのを(ドラッグを)やめなければ、これが最後のショーになる」と公言する事態にまで発展した(有名な「I hate bon jovi」発言などもこの時期)。
2.4.2 『Use Your Illusion』と音楽性の拡大
1991年、バンドは野心的な2枚同時発売アルバム『ユーズ・ユア・イリュージョン I & II (Use Your Illusion I & II)』をリリースした。ここでは、初期のパンク/ハードロック路線に加え、ピアノやストリングス、長尺のバラード (「ノーヴェンバー・レイン (November Rain)」や「エストレインジド (Estranged)」)など、アクセルの志向する壮大な楽曲が増加した。スラッシュはこれらの楽曲でも素晴らしいソロを残しているが、バンドの方向性がSLASHの好むシンプルなロックンロールから乖離し始めた時期でもあった。
2.4.3 ワールドツアーとメンバーの脱退
『Use Your Illusion』に伴うワールドツアーは2年以上に及び、ロック史上最長かつ最大のツアーの一つとなった。しかし、その過酷なスケジュールの裏でバンドは崩壊していった。まず、ドラッグ問題を克服できなかったスティーヴン・アドラーが1990年に解雇され、マット・ソーラム (Matt Sorum)が加入。続いて、バンドの重要ソングライターであったイジー・ストラドリンが、アクセルの専横や大規模化したバンドのあり方に嫌気が差し、1991年に脱退。イジーの後任にはギルビー・クラーク (Gilby Clarke) が加入した。スラッシュはこの時期、ツアーのストレスやアクセルの遅刻癖、そして音楽的主導権争いに疲弊していたが、ステージ上では圧倒的なパフォーマンスを見せ続け、SLASHの「ギター・ヒーロー」としての名声は頂点に達していた。
2.5 決裂: 脱退の真相 (1994-1996)
2.5.1 「悪魔を憐れむ歌」事件
1993年のカバーアルバム『ザ・スパゲッティ・インシデント? ("The Spaghetti Incident?")』リリース後、バンド活動は停滞した。決定的な亀裂が生じたのは、1994年の映画『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア (Interview with the Vampire)』のサウンドトラックにおけるローリング・ストーンズのカバー曲「悪魔を憐れむ歌 (Sympathy for the Devil)」のレコーディングであった。アクセル・ローズは、スラッシュの同意なしにギルビー・クラークを解雇し、自身の幼馴染であるポール・トバイアス (Paul Tobias、別名 Paul Huge) をリズムギタリストとして起用した。さらに、スラッシュが録音したギターソロの上にトバイアスの演奏をオーバーダビングさせた。これに対しスラッシュは激怒し、アクセルとの信頼関係は完全に崩壊した。SLASHは後にこの曲を「バンドが解散する音 (the sound of the band breaking up)」と表現している。
2.5.2 正式脱退
1996年10月、スラッシュはFAXを通じて正式にガンズ・アンド・ローゼズからの脱退を表明した。主な理由は、アクセルによるバンドの私物化、契約上の搾取 (バンド名の権利をアクセルが独占したことなど)、音楽的方向性の不一致 (アクセルがナイン・インチ・ネイルズ (Nine Inch Nails) などのインダストリアル・サウンドに傾占したこと)、そしてメンバーへの敬意の欠如であった。これ以降、2016年までの20年間、二人は絶縁状態となる。
2.6 スラッシュズ・スネイクピット (SLASH's Snakepit) の軌跡 (1994-2002)
ガンズ在籍中の停滞期、スラッシュは創作意欲のはけ口を求めて自宅スタジオでデモ制作を行っていた。当初これらは次期ガンズのアルバム用として書かれたが、アクセルに却下されたため、SLASHは自身のプロジェクトを立ち上げた。これが「スラッシュズ・スネイクピット (SLASH's Snakepit)」である。
2.6.1 第1期: スーパーグループの結成 (1994-1995)
第1期のラインナップは、スラッシュに加え、ガンズのマット・ソーラム (Dr) とギルビー・クラーク (Gt)、アリス・イン・チェインズ (Alice in Chains) のマイク・アイネズ (Mike Inez) (Ba)、そして元ジェリーフィッシュ (Jellyfish) のエリック・ドーヴァー (Eric Dover) (Vo)という豪華なものであった。1995年にリリースされた『イッツ・ファイヴ・オクロック・サムウェア (It's Five O'Clock Somewhere)』は、ガンズ・アンド・ローゼズのハードロック的側面を継承しつつ、よりブルージーでルーズなロックンロール・アルバムとなり、ファンから高く評価された。しかし、ツアー中にレーベル (ゲフィン) からのサポートが得られず、またガンズ本体の契約問題もあり、このラインナップは短命に終わった。
2.6.2 第2期: 新たな血の導入 (1998-2002)
ガンズ脱退後、スラッシュは再びスネイクピットを再編した。今回はメンバーを一新し、ボーカルにソウルフルな歌声を持つロッド・ジャクソン (Rod Jackson) を抜擢した。ドラムにマット・ラウグ (Matt Laug)、ベースにジョニー・グリパリック (Johnny Griparic)、リズムギターにライアン・ロキシー (Ryan Roxie) (後にケリ・ケリー Keri Kelli に交代)を迎えた。2000年にリリースされた『エイント・ライフ・グランド (Ain't Life Grand)』は、前作以上に多様なスタイルを取り入れた意欲作であったが、当時の音楽シーンはニュー・メタル (Nu Metal) 全盛期であり、オーセンティックなハードロックは商業的に苦戦を強いられた。また、スラッシュ自身の健康問題 (後述) もあり、バンドは2002年に解散した。
2.7 荒野の時代とスラッシュズ・ブルース・ボール (1996-1998)
スネイクピットの合間を縫うように、スラッシュは「スラッシュズ・ブルース・ボール (SLASH's Blues Ball)」というカバーバンドを結成し、世界中のクラブやフェスティバルを回った。メンバーにはテディ・アンドレアディス (Teddy Andreadis) (Vo/Key/Harp) やジョニー・グリパリックらが含まれていた。このバンドはオリジナル曲を作らず、B.B.キング (B.B. King) やジミ・ヘンドリックス (Jimi Hendrix) のカバーを演奏し、「楽しむこと」を最優先とした。ライブ音源のブートレグは存在するが、公式なスタジオアルバムは制作されなかった。この時期の活動は、スラッシュにとって音楽の原点回帰であり、精神的なリハビリの役割を果たしたと言える。
2.8 ヴェルヴェット・リヴォルヴァーでの復活 (2002-2008)
2.8.1 「ザ・プロジェクト」からスーパーバンドへ
2002年、ランディ・カスティロ (Randy Castillo) の追悼コンサートをきっかけに、スラッシュ、ダフ・マッケイガン、マット・ソーラムの3人が再会し、ジャムセッションを行った。彼らは再び一緒にプレイすることに「化学反応」を感じ、新バンドの結成を決意した。リズムギターには、スラッシュの旧友であり、デイヴ・ナヴァロ (Dave Navarro) などとも活動していたデイヴ・クシュナー (Dave Kushner) が加入した。バンドは仮称「ザ・プロジェクト (The Project)」としてシンガー探しを開始。VH1のドキュメンタリーでその過程が放送された。セバスチャン・バック (Sebastian Bach) など多数の候補が挙がったが、最終的にストーン・テンプル・パイロッツ (Stone Temple Pilots) のスコット・ウェイランド (Scott Weiland) が加入し、「ヴェルヴェット・リヴォルヴァー (Velvet Revolver)」が誕生した。
2.8.2 『Contraband』の成功
2004年のデビューアルバム『コントラバンド (Contraband)』は、全米ビルボードチャートで初登場1位を獲得。シングル「スリザー (Slither)」や「フォール・トゥ・ピーシズ (Fall to Pieces)」が大ヒットし、「スリザー」はグラミー賞のベスト・ハードロック・パフォーマンスを受賞した。スラッシュにとって、ガンズ以来のメインストリームでの大成功であり、SLASHが依然としてトップレベルのソングライターであることを証明した。
2.8.3 ウェイランドとの確執と解体
しかし、スコット・ウェイランドの予測不能な行動や薬物問題が再びバンドの足かせとなった。2007年の2ndアルバム『リベルタド (Libertad)』は音楽的評価は高かったものの、セールスは前作を下回った。ツアー中のメンバー間の緊張は極限に達し、2008年4月、ステージ上での口論などを経てウェイランドが解雇された。バンドは後任を探したが適切な人物が見つからず、事実上の活動休止(無期限のハイアタス)となった。
2.9 ソロ・アーティストとしての確立 (2010-2015)
2.9.1 アルバム『SLASH』と豪華ゲスト
バンド活動にこだわってきたスラッシュだが、2010年に初の純粋なソロ名義アルバム『スラッシュ (SLASH)』を制作した。プロデューサーにエリック・ヴァレンタイン (Eric Valentine) を迎え、曲ごとに異なるゲストボーカルを招くというスタイルをとった。参加メンバーはオジー・オズボーン (Ozzy Osbourne)、ファーギー (Fergie)、クリス・コーネル (Chris Cornell)、イギー・ポップ、レニー・クラヴィッツ (Lenny Kravitz)、デイヴ・グロール (Dave Grohl) など錚々たる顔ぶれであった。このアルバムは世界的なヒットとなり、スラッシュの幅広い音楽性と人脈の広さを示した。
2.9.2 マイルス・ケネディとの運命的な出会い
このアルバムで「スターライト (Starlight)」と「バック・フロム・カリ (Back From Cali)」を歌ったのが、オルター・ブリッジ (Alter Bridge) のマイルス・ケネディ (Myles Kennedy) であった。スラッシュは彼の歌唱力と人柄に惚れ込み、アルバムのツアー・ボーカリストとして彼を招聘した。ツアーのために集められたバンドーベースのトッド・カーンズ (Todd Kerns)、ドラムのブレント・フィッツ (Brent Fitz)、リズムギターのフランク・シドリス (Frank Sidoris) (当初はボビー・シュネック Bobby Schneck だったが後に交代)一は、非常に高い演奏能力と結束力を発揮し、単なるバックバンドを超えた存在となった。これが「スラッシュ・フィーチャリング・マイルス・ケネディ・アンド・ザ・コンスピレーターズ (SLASH featuring Myles Kennedy and The Conspirators: SMKC)」の始まりである。
2.9.3 SMKCとしての躍進
SMKCはその後、『アポカリプティック・ラヴ (Apocalyptic Love)』 (2012年)、『ワールド・オン・ファイア (World on Fire)』 (2014年)、『リヴィング・ザ・ドリーム (Living the Dream)』 (2018年)、『4』(2022年)とコンスタントにアルバムを発表。マイルスの4オクターブに及ぶ驚異的なレンジと、スラッシュの自由奔放なギタープレイが見事に融合し、現代ハードロック・シーンにおける最強のライブバンドの一つとして認知されている。
2.10 歴史的和解: ガンズ・アンド・ローゼズへの帰還 (2016-現在)
長年、インタビューで再結成の可能性を問われるたびに「Not in This Lifetime (今世ではあり得ない)」と答えてきたスラッシュだが、2015年頃からアクセル・ローズとの関係修復が報じられ始めた。そして2016年、コーチェラ・フェスティバル (Coachella Festival) への出演を皮切りに、スラッシュとダフ・マッケイガンがガンズ・アンド・ローゼズに復帰することが正式発表された。
ツアータイトルは皮肉を込めて「Not in This Lifetime... Tour」と名付けられた。このツアーは世界中のスタジアムをソールドアウトにし、5億8000万ドル(約800億円以上)を超える興行収入を記録、史上最も成功したツアーの一つとなった。かつての危うさは消え、プロフェッショナルなエンターテインメントとして生まれ変わったバンドにおいて、スラッシュのギターは以前にも増して冴え渡っている。SLASHは現在、ガンズでの活動とSMKCでのソロ活動を並行して精力的に行っている。
2.11 ブルースへの回帰と未来 (2024-)
2024年、スラッシュは自身のルーツであるブルースに再び焦点を当てたアルバム『オージー・オブ・ザ・ダムド (Orgy of the Damned)』をリリースした。これに伴い、「S.E.R.P.E.N.T. Festival」と題したツアーを主催し、若手ブルース・アーティストをフックアップしながら全米を巡演した。この活動は、SLASHが商業的な成功に安住せず、純粋な音楽探求者であり続けていることを示している。
3. ディスコグラフィ (Discography)
スラッシュの参加作品は膨大であるため、主要なスタジオアルバム、ライブアルバム、および重要なゲスト参加作品を網羅的に記述する。
3.1 ガンズ・アンド・ローゼズ (Guns N' Roses)
| リリース年 | タイトル (英語/カタカナ) | 概要・備考 |
|---|---|---|
| 1986 | Live?!*@ Like a Suicide ライヴ?!*@ライク・ア・スーサイド |
自身のレーベルUZI Suicideからリリースされた疑似ライブEP。 |
| 1987 | Appetite for Destruction アペタイト・フォー・ディストラクション |
伝説のデビュー作。「Welcome to the Jungle」「Paradise City」「Sweet Child o' Mine」収録。スラッシュのレスポール・サウンドの原点。 |
| 1988 | GN'R Lies GN'Rライズ |
前述のEPとアコースティック楽曲を合わせた作品。「Patience」でのアコースティック・ソロが秀逸。 |
| 1991 | Use Your Illusion I ユーズ・ユア・イリュージョン I |
よりハードで荒々しい楽曲が中心。「November Rain」の壮大なギターソロはロック史に残る名演。 |
| 1991 | Use Your Illusion II ユーズ・ユア・イリュージョン II |
より内省的かつ実験的な楽曲が多い。「Estranged」や「Civil War」収録。 |
| 1993 | "The Spaghetti Incident?" ザ・スパゲッティ・インシデント? |
パンク・カバー・アルバム。The DamnedやNew York Dollsなどをカバー。 |
| 1999 | Live Era '87-'93 ライヴ・エラ '87-'93 |
スラッシュ在籍時のライブ音源を集めた2枚組アルバム。 |
3.2 スラッシュズ・スネイクピット (SLASH's Snakepit)
| リリース年 | タイトル (英語/カタカナ) | 参加メンバー (Vo, Gt, Ba, Dr) | 備考 |
|---|---|---|---|
| 1995 | It's Five O'Clock Somewhere イッツ・ファイヴ・オクロック・サムウェア |
Eric Dover, SLASH & Gilby Clarke, Mike Inez, Matt Sorum | ガンズ用に書かれたリフが多数使用されている。ブルージーでドライなハードロック。 |
| 2000 | Ain't Life Grand エイント・ライフ・グランド |
Rod Jackson, SLASH & Ryan Roxie, Johnny Griparic, Matt Laug | キーボードにテディ・アンドレアディスも参加。「Mean Bone」などライブ定番曲を収録。 |
3.3 ヴェルヴェット・リヴォルヴァー (Velvet Revolver)
| リリース年 | タイトル (英語/カタカナ) | 備考 |
|---|---|---|
| 2004 | Contraband コントラバンド |
全米1位。モダンなヘヴィネスとクラシックロックの融合。ジャケットの銃弾(リヴォルヴァー)のロゴも有名。 |
| 2007 | Libertad リベルタド |
プロデューサーにブレンダン・オブライエン (Brendan O'Brien) を起用。よりメロディアスで開放的な作風。 |
3.4 ソロ・プロジェクト (SLASH / SMKC)
| リリース年 | タイトル (英語/カタカナ) | 名義 | 備考 |
|---|---|---|---|
| 2010 | SLASH スラッシュ |
SLASH | 各曲に異なるゲストボーカル (稲葉浩志が参加した日本盤ボーナストラック「Sahara」も存在)。 |
| 2012 | Apocalyptic Love アポカリプティック・ラヴ |
SLASH feat. Myles Kennedy and The Conspirators | バンドとしての結束を固めた初のアルバム。「Anastasia」でのネオクラシカルなリフが話題に。 |
| 2014 | World on Fire ワールド・オン・ファイア |
SMKC | 17曲収録の大作。タイトル曲や「Bent to Fly」など名曲多数。 |
| 2018 | Living the Dream リヴィング・ザ・ドリーム |
SMKC | 「Driving Rain」や「Mind Your Manners」など、ライブ映えするストレートなロックを展開。 |
| 2022 | 4 フォー |
SMKC | ギブソン・レコード (Gibson Records) 第1弾作品。ナッシュビルのRCA Studio Aでバンド一発録音された生々しいサウンド。 |
| 2024 | Orgy of the Damned オージー・オブ・ザ・ダムド |
SLASH | ブルース・カバー・アルバム。豪華ゲスト多数(後述)。 |
3.5 ライブアルバム&映像作品
- Made in Stoke 24/7/11 (2011): 故郷ストーク・オン・トレントでの凱旋ライブ。スラッシュのキャリアを総括するセットリスト。
- Live at the Roxy 9.25.14 (2015): L.A.の伝説的クラブでの熱狂的なライブ。
- Living the Dream Tour (2019): ロンドン、ハマースミス・アポロ公演。
- Live at the S.E.R.P.E.N.T. Festival (2025): 2024年に行われたブルース・フェスティバルの模様を収録。
3.6 『Orgy of the Damned』 (2024) トラックリスト詳細
2024年リリースのブルース・アルバムは、スラッシュのルーツを知る上で極めて重要であるため、詳細を記す。
| # | 曲名 (原題/カタカナ) | ゲスト・アーティスト (英語/カタカナ) | オリジナル・アーティスト/備考 |
|---|---|---|---|
| 1 | The Pusher ザ・プッシャー |
Chris Robinson (クリス・ロビンソン) | Steppenwolf from The Black Crowes |
| 2 | Crossroad Blues クロスロード・ブルース |
Gary Clark Jr. (ゲイリー・クラーク・ジュニア) | Robert Johnson |
| 3 | Hoochie Coochie Man フーチー・クーチー・マン |
Billy F. Gibbons (ビリー・F・ギボンズ) | Willie Dixon (Muddy Waters) from ZZ Top |
| 4 | Oh Well オー・ウェル |
Chris Stapleton (クリス・ステイプルトン) | Fleetwood Mac (Peter Green) |
| 5 | Key to the Highway キー・トゥ・ザ・ハイウェイ |
Dorothy (ドロシー) | Charlie Segar / Big Bill Broonzy |
| 6 | Awful Dream オーフル・ドリーム |
Iggy Pop (イギー・ポップ) | Lightnin' Hopkins |
| 7 | Born Under a Bad Sign ボーン・アンダー・ア・バッド・サイン |
Paul Rodgers (ポール・ロジャース) | Albert King from Free, Bad Company |
| 8 | Papa Was a Rolling Stone パパ・ワズ・ア・ローリング・ストーン |
Demi Lovato (デミ・ロヴァート) | The Temptations |
| 9 | Killing Floor キリング・フロアー |
Brian Johnson (ブライアン・ジョンソン) Steven Tyler (スティーヴン・タイラー) [Harp] |
Howlin' Wolf |
| 10 | Living for the City リヴィング・フォー・ザ・シティ |
Tash Neal (タッシュ・ニール) | Stevie Wonder |
| 11 | Stormy Monday ストーミー・マンデイ |
Beth Hart (ベス・ハート) | T-Bone Walker |
| 12 | Metal Chestnut メタル・チェスナット |
(Instrumental) | SLASH Original |
3.7 主なゲスト参加作品 (Collaborations)
スラッシュは「電話があれば誰とでも弾く」と公言するほど多作である。
- Michael Jackson (マイケル・ジャクソン): アルバム『Dangerous』収録の「Black or White」(イントロのスキット)、「Give In to Me」(ソロ)。『HIStory』収録の「D.S.」。ライブでの共演も多数。
- Lenny Kravitz (レニー・クラヴィッツ): 「Always on the Run」 (『Mama Said』収録)。高校の同級生でもある二人の共作リフから生まれたファンク・ロックの名曲。
- Iggy Pop (イギー・ポップ): アルバム『Brick by Brick』収録の「Home」など4曲に参加。
- Bob Dylan (ボブ・ディラン): アルバム『Under the Red Sky』収録の「Wiggle Wiggle」。
- Alice Cooper (アリス・クーパー): 「Hey Stoopid」、「Vengeance Is Mine」など。スラッシュにとってアリスは少年時代のヒーローである。
- Motorhead (モーターヘッド): 「I Ain't No Nice Guy」 (『March ör Die』収録)。オジー・オズボーンと共に参加。
4. 人物像と機材、私生活
4.1 私生活: 家族と健康
- 結婚歴: 最初の妻はモデルのレネ・シュラン (Renée Suran) (1992-1997)。2番目の妻はペルラ・フェラー (Perla Ferrar) (2001-2015)。ペルラとの間にはロンドン・エミリオ (London Emilio) とキャッシュ・アンソニー (Cash Anthony) という二人の息子がいる。現在はミーガン・ホッジス (Meegan Hodges) とパートナー関係にある。
- 健康問題: 2001年、35歳の時に長年のアルコールと薬物乱用が原因で重度のうっ血性心不全(心筋症)と診断された。除細動器(ICD) の埋め込み手術を受け、奇跡的に生還。これを機に2005年から完全なクリーン (禁酒・禁薬) 生活を送っている。
4.2 機材とスタイル: レスポールとマーシャルの魔術
スラッシュのサウンドは、「レスポール×マーシャル」というロックギターの黄金律を極限まで高めたものである。
- ギター: 最も有名なのは、1987年の『Appetite for Destruction』レコーディング時に使用された「1959年製レスポールのレプリカ (クリス・デリグ Kris Derrig 製作)」である。当時、SLASHは良いギターを持っていなかったため、マネージャーのアラン・ニーヴンが入手したこのギターを使用した。セイモア・ダンカン (Seymour Duncan) のアルニコIIプロ・ピックアップを搭載しており、これがSLASHのトレードマーク・サウンドとなった。ライブではギブソン・カスタムショップ製のシグネチャー・モデルを多数使用している。
- アンプ: 『Appetite』では、SIR (Studio Instrument Rentals) からレンタルした改造マーシャル(#39、あるいは#36とも言われる)を使用。現在はMarshall JCM 2555 Silver Jubilee (自身のシグネチャーモデルも含む)を愛用している。
- プレイスタイル: ペンタトニック・スケールを主体としたブルース・ロックが基本だが、チョーキングのニュアンス、リズムのタイム感、そしてメロディの構築力において卓越している。速弾きもこなすが、決して無機質にならず、常に「歌心」があるのが特徴である。
5. Conclusion
スラッシュというギタリストは、時代の流行に流されることなく、自身の信じる「ロックンロールの美学」を貫き通してきた。ガンズ・アンド・ローゼズでの爆発的な成功、バンド崩壊の憂き目、ソロアーティストとしての再起、そして奇跡の再結成。その道のりは決して平坦ではなかったが、SLASHは常にギターを弾くことで困難を乗り越えてきた。
SLASHはスタジアム級のロック・アイコンでありながら、小さなクラブでブルースを奏でることに喜びを見出す純粋なミュージシャンであり続けている。SLASHの存在は、テクノロジーが進化し音楽の制作手法が変わっても、人間が生み出す情熱的な「音」の力は不変であることを我々に教えてくれる。スラッシュの物語は、まだ終わっていない。SLASHは今もなお、トップハットをかぶり、レスポールを低く構え、次のリフを弾き続けているのである。
News
SLASH、MYLES KENNEDY & THE CONSPIRATORSとの新アルバムは2027年2月リリース
Rolling Stone Australiaのインタビューで、完成済みの新作の発売時期を明かした。