CINDERELLA
1980年代の北米音楽シーンを席巻したハードロック (Hard Rock) とヘヴィメタル (Heavy Metal) のムーブメントにおいて、シンデレラ (CINDERELLA) というバンドは極めて特異で、かつ誤解されやすい位置を占めています。
Biography
シンデレラ (CINDERELLA)
ハードロックとブルースの融合における軌跡と遺産
1. フィラデルフィアの夜明けと「グラム・メタル」のパラドックス
1980年代の北米音楽シーンを席巻したハードロック (Hard Rock) とヘヴィメタル (Heavy Metal) のムーブメントにおいて、シンデレラ (CINDERELLA) というバンドは極めて特異で、かつ誤解されやすい位置を占めています。CINDERELLAは一般的に、ポイズン (Poison) やモトリー・クルー (Mötley Crüe) といったバンドと共に「グラム・メタル (Glam Metal)」や「ヘア・メタル (Hair Metal)」というカテゴリに分類されます。確かに、初期のCINDERELLAのビジュアル――大きく逆立てた髪、派手なメイクアップ、煌びやかな衣装――はその分類に合致するものでした。しかし、CINDERELLAの音楽的本質を深く掘り下げると、そこには当時の商業的なメタルの流行とは一線を画す、深く伝統的なアメリカン・ルーツ・ミュージックへの敬意と探求心が見て取れます。
ペンシルベニア州フィラデルフィア (Philadelphia, Pennsylvania) 近郊の労働者階級の街、クリフトン・ハイツ (Clifton Heights) で結成されたCINDERELLAは、リーダーであるトム・キーファー (Tom Keifer) の卓越したソングライティング能力と、ブルース (Blues)、カントリー(Country)、ゴスペル (Gospel) といった要素をハードロックに融合させる稀有なセンスによって、単なる「見た目の良いバンド」以上の評価を、遅まきながら獲得しました。
2. バンドの歴史 (Biography)
2.1 黎明期: フィラデルフィアのクラブ・サーキット (1980-1983)
シンデレラ (CINDERELLA) の物語は、1980年代初頭のフィラデルフィア (Philadelphia)とニュージャージー州南部 (South Jersey) の活気あるクラブ・シーンから始まります。この地域は、古くからソウル・ミュージックやロックンロールの土壌がありましたが、80年代に入ると、よりハードで派手なロックバンドが数多く競い合う激戦区となっていました。
中心人物であるトム・キーファー (Tom Keifer)は、幼少期からギターを手にし、ローリング・ストーンズ (The Rolling Stones) やレッド・ツェッペリン (Led Zeppelin)、エアロスミス (Aerosmith) といったバンドに加え、B.B.キング (B.B. King) やマディ・ウォーターズ (Muddy Waters)、ジョニー・ウィンター (Johnny Winter) といったブルース・ミュージシャンに深く傾倒していました。彼は高校卒業後、薬物乱用からの更生を経て音楽に専念することを決意し、「セインツ・イン・ヘル (Saints in Hell)」や「テラパス (Telapath)」といったカバーバンドで活動していました。この時期、彼は極貧生活を送っており、愛車のプリムス・ダスター (Plymouth Duster) で寝泊まりし、近隣のトウモロコシ畑から作物を盗んで飢えをしのぐこともあったと伝えられています。
一方、ベーシストのエリック・ブリッティングハム (Eric Brittingham) もまた、同じシーンで活動する野心的なミュージシャンでした。二人は1983年、フィラデルフィア (Philadelphia)郊外のクリフトン・ハイツ (Clifton Heights) で出会い、意気投合します。彼らは昼間、写真現像会社でフィルムの配送ドライバーとして働きながら、夜はリハーサルやライブを行うという二重生活を送りました。
2.2 結成と初期のラインナップ、そして分裂 (1983-1985)
1983年に正式に結成されたシンデレラ (CINDERELLA) の初期ラインナップは以下の通りでした。
- トム・キーファー (Tom Keifer): ボーカル、ギター、キーボード
- エリック・ブリッティングハム (Eric Brittingham): ベース
- マイケル・ケリー・スミス (Michael Kelly Smith): ギター
- トニー・デストラ (Tony Destra): ドラム
このラインナップでCINDERELLAはオリジナルの楽曲制作を開始しました。当時のフィラデルフィア (Philadelphia)のバー・シーンでは、レッド・ツェッペリン (Led Zeppelin) やブラック・サバス (Black Sabbath) のカバーを演奏することが一般的でしたが、キーファーとブリッティングハムは、シーンから抜け出すためにはオリジナル曲が必要不可欠であることを理解していました。CINDERELLAは「エンパイア・ロック・クラブ (Empire Rock Club)」や「ギャラクシー (Galaxy)」 といった地元のクラブで定期的に演奏し、徐々にファンベースを拡大していきました。
しかし、1985年にバンドは大きな転機を迎えます。音楽的な方向性の違いやバンド内の力学により、ギタリストのマイケル・ケリー・スミス (Michael Kelly Smith) とドラマーのトニー・デストラ (Tony Destra) が脱退しました。CINDERELLAはその後、同じくフィラデルフィア (Philadelphia)を拠点とするグラム・メタル・バンド、ブリトニー・フォックス (Britny Fox)を結成し、後にメジャーデビューを果たすことになります。
この分裂劇の後、キーファーとブリッティングハムは新たなメンバーを探し、ギタリストとしてジェフ・ラバー (Jeff LaBar)を、ドラマーとしてジム・ドルネック (Jim Drnec)を迎え入れました。ラバーは当時、別のバンドで活動していましたが、キーファーの才能に惚れ込み、加入を決意しました。
2.3 発掘の真実: 伝説と現実の狭間 (The Discovery)
シンデレラ (CINDERELLA) のメジャーデビューにまつわるエピソードは、ロック界の「シンデレラ・ストーリー」として語り継がれてきましたが、長年、誰がCINDERELLAを最初に発見したのかについては諸説入り乱れていました。
ジーン・シモンズ (Gene Simmons) の関与
キッス (KISS) のベーシスト、ジーン・シモンズ (Gene Simmons) は、自身のレーベルやプロデュース活動のために常に新しい才能を探していました。2014年のトム・キーファー (Tom Keifer)の証言によれば、実際に最初にバンドに興味を持ち、接触してきたのはシモンズでした。シモンズはCINDERELLAのデモテープを聴き、その才能を確信してポリグラム (PolyGram)の重役たちに売り込みました。しかし、当時のレコード会社は、シモンズの推薦にもかかわらず、シンデレラ (CINDERELLA) に対して興味を示しませんでした。キーファーは、「ジーンは本当に僕らのために尽力してくれたが、契約には至らなかった」と述懐しています。
ジョン・ボン・ジョヴィ (Jon Bon Jovi) の決定的な一押し
状況を変えたのは、当時飛ぶ鳥を落とす勢いであったボン・ジョヴィ (Bon Jovi) のフロントマン、ジョン・ボン・ジョヴィ (Jon Bon Jovi)でした。1985年、彼はフィラデルフィア (Philadelphia) のエンパイア・ロック・クラブ (Empire Rock Club)を訪れ、ステージで演奏するシンデレラ (CINDERELLA) を目撃しました。CINDERELLAのパフォーマンス、特にキーファーの声とラバーのエネルギッシュな動きに感銘を受けた彼は、自身の所属レーベルであるマーキュリー・レコード (Mercury Records) のA&R担当者、デレク・シュルマン (Derek Shulman) にCINDERELLAを見るよう強く勧めました。
シュルマンは当初、バンドに対して懐疑的であり、即座の契約ではなく6ヶ月間の育成契約 (Development Deal) を提案しました。しかし、粘り強い交渉とジョン・ボン・ジョヴィ (Jon Bon Jovi)の後押しもあり、最終的にバンドはマーキュリー・レコード (Mercury Records) とのフル契約を勝ち取りました。
2.4 『Night Songs』: 衝撃のデビューとドラマー交代劇 (1986)
契約後、バンドはデビューアルバムのレコーディングに入りますが、ここで80年代のロックバンドによく見られる 「スタジオ・ミュージシャン問題」が発生します。
ドラマー問題の勃発
プロデューサーとして起用されたアンディ・ジョンズ (Andy Johns) ――レッド・ツェッペリン (Led Zeppelin) やローリング・ストーンズ (The Rolling Stones) のエンジニアとして知られる――は、当時のドラマーであったジム・ドルネック (Jim Drnec) の演奏能力やスタイルが、メジャーレベルのレコーディング基準に達していない、あるいは彼の求めるサウンドではないと判断しました。その結果、アルバム 『Night Songs』 のレコーディングにおいて、ドラムパートはすべてセッション・ドラマーのジョディ・コルテス (Jody Cortez) によって演奏されました。
レコーディング終了後、ツアーに向けて正式なドラマーが必要となったバンドは、元ロンドン(London)のドラマーであったフレッド・クーリー (Fred Coury) をオーディションで選出しました。クーリーはアルバムの録音には一切参加していませんが、アルバムジャケットの撮影には間に合ったため、クレジット上はバンドメンバーとして記載され、写真にも収まっています。この「録音はセッションマン、ジャケットとツアーはイケメンメンバー」という手法は、当時の音楽業界では珍しいことではありませんでした。
商業的爆発
1986年8月2日にリリースされたデビューアルバム 『Night Songs』は、文字通り一夜にしてバンドの運命を変えました。アルバムはビルボード200チャート (Billboard 200) で最高3位を記録し、ボン・ジョヴィ (Bon Jovi) の 『Slippery When Wet』 に次ぐセールスを記録する時期もありました。シングルカットされた 「Shake Me」や「Nobody's Fool」のミュージックビデオは、MTVでヘビーローテーションされました。特に、シンデレラの物語を現代風にアレンジしたビデオの演出 (意地悪な継母や姉たちに虐げられる主人公が、バンドの演奏によって解放されるというプロット)は、バンド名と相まって強力なイメージ戦略となりました。
バンドは1986年から1987年にかけて、過酷かつ大規模なツアーを行いました。
- ラウドネス (Loudness) ツアー: 日本のヘヴィメタルバンドの全米ツアーに、ポイズン (Poison) と共にオープニングアクトとして帯同。
- デイヴィッド・リー・ロス (David Lee Roth) ツアー: ヴァン・ヘイレン (Van Halen) を脱退した直後のロスのツアーに5ヶ月間参加。
- ボン・ジョヴィ (Bon Jovi) ツアー: 『Slippery When Wet』ツアーのオープニングアクトとして7ヶ月間帯同し、毎晩アリーナクラスの観衆の前で演奏することで、巨大なファンベースを確立しました。
この時期、CINDERELLAは1987年に初来日公演も行っています。
2.5 『Long Cold Winter』: ブルースへの回帰とコージー・パウエルの影 (1988-1989)
デビュー作の成功により 「グラム・メタル・バンド」としてのレッテルを貼られたCINDERELLAでしたが、トム・キーファー (Tom Keifer) は次作でそのイメージを払拭し、自身のルーツであるブルース・ロックへの傾倒を明確にしようと試みました。
サウンドの深化とレコーディングの秘密
1988年にリリースされた2ndアルバム 『Long Cold Winter』は、AC/DCやエアロスミス (Aerosmith) を彷彿とさせるリフと、スライドギターやブルースハープを多用した楽曲で構成されていました。しかし、このアルバムでもドラマー問題が再燃しました。クレジットにはフレッド・クーリー (Fred Coury) の名前がありますが、実際にアルバムレコーディングには参加しませんでした。クーリーは依然として「バンドの顔」としてのドラマーでしたが、スタジオでの信頼は得られていなかったことが伺えます。
モスクワ・ミュージック・ピース・フェスティバル
アルバムからのシングル 「Gypsy Road」 「Don't Know What You Got (Till It's Gone)」 「The Last Mile」はヒットし、アルバムはトリプル・プラチナムを獲得しました。1989年8月、CINDERELLAはソビエト連邦 (当時)のモスクワ (Moscow) で開催された「モスクワ・ミュージック・ピース・フェスティバル (Moscow Music Peace Festival)」 に参加しました。これは冷戦末期の歴史的なイベントであり、オジー・オズボーン (Ozzy Osbourne)、モトリー・クルー (Mötley Crüe)、スコーピオンズ (Scorpions)、ボン・ジョヴィ (Bon Jovi)、スキッド・ロウ (Skid Row) らと共に、10万人以上の観衆の前で演奏しました。この模様は全世界に放送され、CINDERELLAのキャリアのハイライトの一つとなりました。
2.6 『Heartbreak Station』: アーティスティックな頂点と崩壊の序曲 (1990-1993)
1990年、3rdアルバム 『Heartbreak Station』 がリリースされました。トム・キーファー (Tom Keifer) は、80年代特有の深いリバーブや過剰なプロダクションを排除し、よりドライでオーガニックな、70年代ロックに近いサウンドを目指しました。
音楽的成熟
このアルバムでは、ジョン・ポール・ジョーンズ(John Paul Jones / Led Zeppelin)がストリングスのアレンジを担当し、メンフィス・ホーンズ (The Memphis Horns) がブラスセクションで参加するなど、音楽的な深みが追求されました。「Shelter Me」 や表題曲「Heartbreak Station」は、グラム・メタルの枠を完全に超えたルーツ・ロックの名曲として評価されています。
音楽の脱退と声帯の喪失
しかし、ツアー終了後の1991年、ドラマーのフレッド・クーリー (Fred Coury) が脱退しました。彼はスティーヴン・パーシー (Stephen Pearcy / Ratt) と共にアーケイド (Arcade) を結成します。さらに深刻な事態がバンドを襲いました。トム・キーファー (Tom Keifer) が声帯麻痺(paresis of the vocal cords) と診断されたのです。これは歌手にとって致命的な疾患であり、彼は歌うことどころか話すことも困難な状態に陥りました。複数回の手術と長期にわたるリハビリテーションが必要となり、バンドの活動は完全に停止しました。
この活動休止期間中、音楽シーンは劇的に変化しました。シアトル (Seattle) からニルヴァーナ (Nirvana) やパール・ジャム (Pearl Jam)が登場し、グランジ (Grunge) とオルタナティブ・ロック (Alternative Rock) が市場を席巻しました。80年代の「ヘア・メタル」バンドは、一夜にして「時代遅れ」の烙印を押されることになりました。
2.7 『Still Climbing』: 不遇の傑作と解散 (1994-1995)
長い沈黙を破り、1994年に4thアルバム 『Still Climbing』 がリリースされました。ドラムにはケニー・アロノフ (Kenny Aronoff) が参加しました(フレッド・クーリーも「Hot & Bothered」の1曲のみ参加)。内容は、バンド史上最もヘヴィでブルージーなハードロック・アルバムであり、批評家からは高い評価を得ました。しかし、MTVやラジオ局はCINDERELLAを無視し、プロモーションはほとんど行われませんでした。アルバムはビルボードチャートで178位という惨憺たる結果に終わり、バンドはマーキュリー・レコード (Mercury Records) から契約を解除されました。1995年、バンドは事実上の解散(活動休止)状態となりました。
2.8 再結成、ツアー、そして「未完」のままの終焉 (1996-2014)
1996年、バンドはベストアルバムのリリースに合わせて再結成し、「Unfinished Business」ツアーを行いました。その後も断続的に活動を続け、1999年にはソニー・レコード (Sony Records) と契約して新作の制作に取り掛かりましたが、レーベル側の事情や法的な問題により、契約は破棄され、アルバムがリリースされることはありませんでした。
2000年代には、ポイズン (Poison) やラット (Ratt)、スコーピオンズ (Scorpions) などと共に、「20th Anniversary Tour」 や 「Monsters of Rock Cruise」 などのツアーパッケージに参加し、往年のファンを楽しませました。しかし、トム・キーファー (Tom Keifer) はソロ活動に重点を置くようになり、2013年にはソロアルバム 『The Way Life Goes』をリリースしました。
バンド内部では、ギタリストのジェフ・ラバー (Jeff LaBar) のアルコール依存問題が深刻化していました。ラバー自身、インタビューで「自分がバンド活動停止の原因である」と認め、泥酔してクルーズ船でのライブ中に倒れたことなどを告白しています。キーファーはラバーの更生を支援しましたが、状況は改善せず、2017年にキーファーは「バンドの再結成はない」と正式に明言しました。
2.9 悲劇的な結末 (2021)
2021年7月14日、ジェフ・ラバー (Jeff LaBar) がテネシー州ナッシュビル (Nashville, Tennessee)の自宅で亡くなっているのが発見されました。享年58歳でした。さらに衝撃的なことに、その翌日(または同日)、長年バンドのツアー・キーボーディストを務めたゲイリー・コルベット (Gary Corbett) も肺がんのため亡くなりました。主要メンバーの相次ぐ死により、オリジナル・ラインナップでのシンデレラ (CINDERELLA) 復活の可能性は永久に閉ざされました。
3. ディスコグラフィ (Discography)
シンデレラ (CINDERELLA) が残したスタジオ・アルバムはわずか4枚ですが、そのどれもがバンドの進化を刻印しています。以下に詳細なデータを記載します。
3.1 スタジオ・アルバム (Studio Albums)
| アルバム名(英/日) | リリース日 | レーベル | 全米チャート | 認定 (RIAA) | 概要 |
|---|---|---|---|---|---|
| Night Songs ナイト・ソングス |
1986年8月2日 | Mercury | #3 | 3x Platinum | グラム・メタルのスタイルにブルースの萌芽が見られるデビュー作。ドラムはJody Cortezが担当。 |
| Long Cold Winter ロング・コールド・ウィンター |
1988年7月5日 | Mercury | #10 | 3x Platinum | ブルース色を前面に押し出した傑作。ドラムは主にCozy Powellが担当。 |
| Heartbreak Station ハートブレイク・ステーション |
1990年11月20日 | Mercury | #19 | Platinum | アコースティック、ホーン、ピアノを導入したルーツ・ロック色の強い作品。 |
| Still Climbing スティル・クライミング |
1994年11月8日 | Mercury | #178 | なし | ヘヴィで円熟した演奏を聴かせるが、時代の波に飲まれた最後のスタジオ作。 |
3.2 トラックリストと解説
1st: Night Songs (ナイト・ソングス)
典型的な80年代メタルのプロダクションですが、キーファーのしゃがれ声が独自の個性を与えています。
- 1. Night Songs (ナイト・ソングス) - 重厚なリフで始まるタイトル曲。
- 2. Shake Me (シェイク・ミー) - キャッチーなコーラスを持つ1stシングル。
- 3. Nobody's Fool (ノーバディーズ・フール) - バンド初のパワー・バラードであり代表曲。
- 4. Nothin' for Nothin' (ナッシン・フォー・ナッシン)
- 5. Once Around the Ride (ワンス・アラウンド・ザ・ライド)
- 6. Hell on Wheels (ヘル・オン・ホイールズ)
- 7. Somebody Save Me (サムバディ・セイヴ・ミー) - ジョン・ボン・ジョヴィ (Jon Bon Jovi) とリッチー・サンボラ (Richie Sambora) がカメオ出演したビデオが有名。
- 8. In From the Outside (イン・フロム・ジ・アウトサイド)
- 9. Push, Push (プッシュ・プッシュ)
- 10. Back Home Again (バック・ホーム・アゲイン)
※日本盤:初回盤や再発盤にはライブ音源などが追加されることがあります。
2nd: Long Cold Winter (ロング・コールド・ウィンター)
バンドの最高傑作との呼び声高いアルバム。ジャケットの白一色の背景は、前作の極彩色の夜景とは対照的で、サウンドの変化 (飾り気のなさ)を象徴しています。
- 1. Bad Seamstress Blues / Fallin' Apart at the Seams (バッド・シームストレス・ブルース/フォーリン・アパート・アット・ザ・シームス) - ドブロ・ギターによるブルースの導入部からハードロックへ展開する名曲。
- 2. Gypsy Road (ジプシー・ロード) - ツアー生活を歌ったアンセム。
- 3. Don't Know What You Got (Till It's Gone) (ドント・ノウ・ホワット・ユー・ガット) - ピアノをフィーチャーした壮大なバラード。モノ湖 (Mono Lake) で撮影されたビデオも印象的。
- 4. The Last Mile (ラスト・マイル)
- 5. Second Wind (セカンド・ウィンド)
- 6. Long Cold Winter (ロング・コールド・ウィンター) - レッド・ツェッペリン (Led Zeppelin)の「Since I've Been Loving You」を彷彿とさせるスロー・ブルース。
- 7. If You Don't Like It (イフ・ユー・ドント・ライク・イット)
- 8. Coming Home (カミング・ホーム) - アルペジオが美しいミッドテンポの名曲。
- 9. Fire and Ice (ファイアー・アンド・アイス)
- 10. Take Me Back (テイク・ミー・バック)
3rd: Heartbreak Station (ハートブレイク・ステーション)
- 1. The More Things Change (ザ・モア・シングス・チェンジ) - 政治的なメッセージを含む歌詞。
- 2. Love's Got Me Doin' Time (ラヴズ・ガット・ミー・ドゥーイン・タイム)
- 3. Shelter Me (シェルター・ミー) - 冒頭のアコースティックギターとストーンズ風のリフが特徴。リトル・リチャード (Little Richard) がビデオに出演。
- 4. Heartbreak Station (ハートブレイク・ステーション) - 切ないピアノ・バラード。
- 5. Sick for the Cure (シック・フォー・ザ・キュア) - ゴスペル・コーラスを導入。
- 6. One for Rock and Roll (ワン・フォー・ロック・アンド・ロール)
- 7. Dead Man's Road (デッド・マンズ・ロード) - 社会派の歌詞と重いグルーヴ。
- 8. Make Your Own Way (メイク・ユア・オウン・ウェイ)
- 9. Electric Love (エレクトリック・ラヴ)
- 10. Love Gone Bad (ラヴ・ゴーン・バッド)
- 11. Winds of Change (ウィンズ・オブ・チェンジ) - ストリングスをバックにした壮大なエンディング曲。
4th: Still Climbing (スティル・クライミング)
- 1. Bad Attitude Shuffle (バッド・アティテュード・シャッフル)
- 2. All Comes Down (オール・カムズ・ダウン)
- 3. Talk Is Cheap (トーク・イズ・チープ)
- 4. Hard to Find the Words (ハード・トゥ・ファインド・ザ・ワーズ) - キーファーが亡き母に捧げた曲。
- 5. Blood from a Stone (ブラッド・フロム・ア・ストーン)
- 6. Still Climbing (スティル・クライミング)
- 7. Freewheelin (フリーウィーリン) - 初期の未発表曲の再録音。
- 8. Through the Rain (スルー・ザ・レイン)
- 9. Easy Come Easy Go (イージー・カム・イージー・ゴー)
- 10. The Road's Still Long (ザ・ローズ・スティル・ロング)
- 11. Hot & Bothered (ホット・アンド・ボザード) - 映画 『ウェインズ・ワールド (Wayne's World)』 サントラ提供曲。
3.3 主要シングル (Selected Singles)
| 曲名(英/日) | 年 | 全米チャート (Hot 100) | 収録アルバム |
|---|---|---|---|
| Shake Me (シェイク・ミー) | 1986 | - | Night Songs |
| Nobody's Fool (ノーバディーズ・フール) | 1986 | #13 | Night Songs |
| Somebody Save Me (サムバディ・セイヴ・ミー) | 1987 | #66 | Night Songs |
| Gypsy Road (ジプシー・ロード) | 1988 | #51 | Long Cold Winter |
| Don't Know What You Got (Till It's Gone) (ドント・ノウ・ホワット・ユー・ガット) | 1988 | #12 | Long Cold Winter |
| The Last Mile (ラスト・マイル) | 1989 | #36 | Long Cold Winter |
| Coming Home (カミング・ホーム) | 1989 | #20 | Long Cold Winter |
| Shelter Me (シェルター・ミー) | 1990 | #36 | Heartbreak Station |
| Heartbreak Station (ハートブレイク・ステーション) | 1991 | #44 | Heartbreak Station |
3.4 ライブ・アルバムとコンピレーション
- Live Train to Heartbreak Station (1991): 日本限定でリリースされた貴重なライブEP。1991年5月21日のアーカンソー州リトルロック (Little Rock, Arkansas) での公演を収録。
- Once Upon A... (1997): マーキュリー時代のベスト盤。ジャニス・ジョプリン (Janis Joplin) のカバー「Move Over」を収録。
- Live at the Key Club (1999): 1998年の再結成ツアー中のロサンゼルス公演を収録。後に『Live from the Gypsy Road』などのタイトルで再発されています。
- Rocked, Wired & Bluesed: The Greatest Hits (2005): リマスター版ベストアルバム。
- Gold (2006): 上記『Rocked...』 と同内容の2枚組仕様。
- Authorized Bootleg: Live / Tokyo Dome - Tokyo, Japan Dec 31, 1990 (2009): ボン・ジョヴィらと共演した伝説のカウントダウンライブの音源。バンドの演奏がピークにあった時期の記録として重要です。
4. メンバー詳細プロフィール (Band Members & Personnel)
4.1 オリジナル・クラシック・ラインナップ (The Classic Lineup)
トム・キーファー (Tom Keifer)
- 本名: Carl Thomas Keifer
- 担当: リードボーカル、ギター (エレクトリック、アコースティック、スライド、ドブロ)、ピアノ、キーボード、サックス
- 詳細: バンドの頭脳であり魂。彼の特徴的なハスキーボイスは、酷使による声帯結節の結果とも言われますが、ブルースの感情表現において無二の武器となりました。ソングライターとしても非凡で、カントリーやブルースの語法をハードロックに翻訳する能力に長けていました。
エリック・ブリッティングハム (Eric Brittingham)
- 本名: Eric Brittingham
- 担当: ベース、バックグラウンド・ボーカル
- 詳細: キーファーと共にバンドを結成したオリジナルメンバー。堅実なベースプレイでバンドの屋台骨を支えました。シンデレラ活動停止後は、ブレット・マイケルズ (Bret Michaels / Poison) のソロバンドや、ジェフ・ラバーとのサイドプロジェクト 「Naked Beggars」で活動しました。
ジェフ・ラバー (Jeff LaBar)
- 本名: Jeffrey Philip LaBar
- 担当: リードギター、リズムギター、バックグラウンド・ボーカル
- 生没年: 1963年3月18日 - 2021年7月14日
- 詳細: 1stアルバムのレコーディング前に加入。ステージ上での派手なアクション(ギター回しなど)と、キーファーとの絶妙なギター・コンビネーションで人気を博しました。2014年にはソロアルバム 『One For The Road』をリリースしています。
フレッド・クーリー (Fred Coury)
- 本名: Fred Coury
- 担当: ドラム、パーカッション、バックグラウンド・ボーカル
- 詳細: 1stアルバムのリリース直前に加入。ルックスの良さからアイドル的な人気を誇りました。前述の通り、スタジオ盤での演奏機会は限られていましたが、ライブではバンドのエンジンとして機能しました。脱退後は、テレビ番組や映画のスコアを作曲するコンポーザーとして成功を収めています。
4.2 重要なセッション・ミュージシャン及びツアー・メンバー
- ジョディ・コルテス (Jody Cortez): 『Night Songs』 全曲でドラムを担当。
- コージー・パウエル (Cozy Powell): 『Long Cold Winter』の大部分でドラムを担当。ロック界の渡り鳥として知られる巨匠。
- ケニー・アロノフ (Kenny Aronoff): 『Still Climbing』 でドラムを担当。ジョン・メレンキャンプ (John Mellencamp) などのバックで知られる名手。
- ゲイリー・コルベット (Gary Corbett): キーボード、バックグラウンド・ボーカル。長年にわたりツアーメンバーとしてバンドに帯同し、「第5のメンバー」とも言える存在でした。2021年に死去。
- リック・クリニティ (Rick Criniti): 『Heartbreak Station』 期のツアー・キーボーディスト。
5. 日本との関わり (The Japanese Connection)
シンデレラ (CINDERELLA) は日本市場において特筆すべき人気を誇りました。
- 1987年初来日: デビューアルバムのヒットを受けて行われた初の日本公演は、熱狂的な歓迎を受けました。
- 1990/1991年 Heartbreak Station Tour: バンドとして最も脂の乗っていた時期の来日です。特に1990年の大晦日に東京ドーム (Tokyo Dome) で行われたイベント 「FINAL COUNTDOWN '90」では、ボン・ジョヴィ (Bon Jovi)、スキッド・ロウ (Skid Row)、クワイアボーイズ (The Quireboys) と共演し、そのパフォーマンスは今でも語り草となっています。
- 日本独自企画: EP『Live Train to Heartbreak Station』や、各アルバムの日本盤ボーナストラックなど、日本のファンに向けた特別なリリースが数多く存在します。これは当時の日本のレコード会社(日本フォノグラム/マーキュリー・ミュージックエンタテインメント)がCINDERELLAを強力にプッシュしていた証拠でもあります。
6. 音楽的遺産
シンデレラ (CINDERELLA)は、グラム・メタルというカテゴリーの中で最も音楽的進化を遂げたバンドの一つです。CINDERELLAのキャリアは、「見た目」から「中身」への移行のプロセスそのものでした。『Night Songs』のきらびやかな金属音から、『Heartbreak Station』の埃っぽい木製の響きへの変化は、トム・キーファー (Tom Keifer) という稀代のミュージシャンの成長の記録でもあります。
CINDERELLAは「時代」の被害者でもありました。CINDERELLAが真に成熟した音楽を奏で始めたとき、世の中はグランジー色に染まっていました。しかし、時を経た現在、CINDERELLAの残した楽曲は、時代を超えた良質なアメリカン・ハードロックとして再評価されています。ジェフ・ラバーとゲイリー・コルベットという二人の友人を失い、バンドとしての未来は閉ざされましたが、CINDERELLAが刻んだ「長い寒い冬 (Long Cold Winter)」の足跡は、決して消えることはありません。
News
CINDERELLAのTom Keifer、声帯の損傷に「長期の休養が必要」と説明
2026年ソロ・ツアーの最終3公演をキャンセルしてから1か月足らずでの発表で、ファンの支援に対し謝意を示している。
CINDERELLAのTom Keifer、重度の声帯損傷でソロ・ツアー最終3公演をキャンセル
歌声を「完全に」失ったためと説明。7月30日のケラー公演を含む2026年ソロ・ツアー残り3公演が中止となった。