BLACK'N BLUE
BLACK'N BLUEの詳しいBiographyと全作品のディスコグラフィ。アルバムごとの個別ページも掲載するMETAL BOOSTのアーティストページ。
Biography
BLACK 'N BLUE (ブラック・アンド・ブルー)
歴史的変遷、音楽的遺産
1. グラム・メタルの興隆とBLACK 'N BLUEのパラドックス
1980年代の米国音楽産業において、ハードロックとヘヴィメタルはかつてない商業的ピークを迎えていた。ロサンゼルス (Los Angeles) のサンセット・ストリップ (Sunset Strip) を震源地とする「グラム・メタル (Glam Metal)」または「ヘア・メタル (Hair Metal)」のムーブメントは、Mötley Crüe (モトリー・クルー)、Ratt (ラット)、Poison (ポイズン) といったスタジアム級のスターを次々と輩出した。この煌びやかで退廃的なシーンの中で、BLACK 'N BLUE (ブラック・アンド・ブルー)は、批評家やミュージシャン仲間から「次なるビッグ・シング (Next Big Thing)」として嘱望されながらも、商業的なメガヒットの寸前で足踏みを続けた「最も過小評価されたバンド」として歴史に名を刻んでいる。
オレゴン州ポートランド (Portland, Oregon) 出身のBLACK 'N BLUEは、北西部の湿った空気を帯びた正統派のパワーと、ロサンゼルスの華やかさを融合させた稀有な存在であった。KISS (キッス) のジーン・シモンズ (Gene Simmons) がその才能に惚れ込み、自らプロデュースを買って出るほどのポテンシャルを秘めていたBLACK 'N BLUEのキャリアは、音楽業界の構造的な変化、レーベルとの軋轢、そして不運なタイミングに翻弄された縮図とも言える。
2. 黎明期: ポートランドのシーンと "Movie Star" (1970年代末-1981年)
2.1 北西部のロック土壌と "Movie Star" の結成
BLACK 'N BLUEの物語は、グランジ・ムーブメントがシアトルで爆発する10年前のオレゴン州ポートランドで幕を開ける。この地域は当時、まだハードロックの未開拓地であったが、地元の高校に通っていたジェイミー・セント・ジェームズとトミー・セイヤーは、すでにロックンロールの魔力に取り憑かれていた。
1970年代後半、彼らが中心となって結成されたのが、BLACK 'N BLUEの前身となるバンド、Movie Star (ムービー・スター)である。Movie Starのラインナップは、後のBLACK 'N BLUEの核となるメンバーを含んでいた:
- Jaime St. James (ジェイミー・セント・ジェームズ): ボーカル (Vocals) / ドラムス (Drums) - 当初はドラマーとしても活動していた。
- Tommy Thayer (トミー・セイヤー): ギター (Guitar)
- Patrick Young (パトリック・ヤング): ベース (Bass)
- Pete Holmes (ピート・ホームズ): ドラムス (Drums)
- Julian Raymond (ジュリアン・レイモンド): 初期メンバーとして名を連ねていた
- Virgil Ripper (ヴァージル・リッパー): ギター (Guitar)
彼らは「Starry Night (スターリー・ナイト)」 や 「The Earth (ジ・アース)」といったポートランドの著名なクラブで定期的に演奏を行っていた。当時のポートランドのシーンでは、Billy Rancher (ビリー・ランチャー) や The Confidentials (ザ・コンフィデンシャルズ)といったバンドが活動しており、Movie Starはその中でもポップなメタル・サウンドと洗練されたルックスで注目を集めていた。
2.2 スタイル転換と "BLACK 'N BLUE" への改名
1981年に入ると、バンドはより攻撃的で硬派なサウンドを追求し始めた。彼らは「イン・ユア・フェイス (in-your-face)」なアティテュードと、デニムとレザーを基調としたストリート・ファッションを取り入れ、バンド名をBLACK 'N BLUE (ブラック・アンド・ブルー)に変更した。
この改名と同時に、サウンドは明確にヘヴィ・メタルへと傾倒した。1981年11月の結成時、BLACK 'N BLUEは地元のクラブサーキットでの活動に限界を感じ始めており、成功のためには音楽産業の中心地であるロサンゼルスへ移住する必要があることを痛感していた。この時期に録音されたデモテープは、BLACK 'N BLUEの運命を大きく変えることになる。
3. ロサンゼルスへの侵攻と『Metal Massacre』(1982年-1983年)
3.1 ハリウッドへの移住と生活の闘争
1982年、BLACK 'N BLUEはロサンゼルスへ拠点を移した。ジェイミー・セント・ジェームズ、トミー・セイヤー、ピート・ホームズの3人はロサンゼルスに留まり活動基盤を築こうとしたが、経済的な困窮や生活環境の厳しさから、パトリック・ヤングとジェフ・ワーナー (Jeff "Woop" Warner) は一時的にポートランドへ戻ることを余儀なくされた時期もあった。
しかし、サンセット・ストリップのクラブシーンにおいて、BLACK 'N BLUEの評判は瞬く間に広がった。Mötley CrüeやRattが支配しつつあったシーンにおいて、BLACK 'N BLUEの演奏力と楽曲の質の高さは際立っていた。トミー・セイヤーは後に、「ポートランドから出てきて6ヶ月以内にはメジャー契約を結んでいた」と回想しており、BLACK 'N BLUEの上昇気流がいかに急激であったかを物語っている。
3.2 『Metal Massacre』 とブライアン・スラゲル
バンドの最初期における最大の功績は、伝説的なコンピレーション・アルバム『Metal Massacre (メタル・マサカー)』への参加である。Metal Blade Records (メタル・ブレイド・レコーズ)の創設者ブライアン・スラゲル (Brian Slagel)は、BLACK 'N BLUEのデモテープ 「Chains Around Heaven」を聴き、その才能を即座に見抜いた。
この曲は、『Metal Massacre』の第1版 (2ndプレス以降) および第2版に収録された。同アルバムは、Metallica(メタリカ)のデビュー録音「Hit the Lights」が収録されていることで歴史的に極めて重要であり、RattやMalice (マリス)と並んでBLACK 'N BLUEが名を連ねたことは、BLACK 'N BLUEが当時のUSメタル・シーンの最前線にいたことを証明している。
3.3 Geffen Recordsとの契約獲得
クラブシーンでの熱狂と 『Metal Massacre』での露出は、メジャー・レーベルの争奪戦を招いた。最終的にバンドは、当時新興ながらも巨大な資本力を持っていた Geffen Records (ゲフィン・レコーズ)とのワールドワイド契約を締結した。GeffenはA&Rのジョン・カロドナー (John Kalodner)を擁し、Whitesnake (ホワイトスネイク) やAerosmith (エアロスミス)の再生を手掛けることになる強力なレーベルであり、BLACK 'N BLUEへの期待値は最大級のものであった。
4. デビュー・アルバム『BLACK 'N BLUE』 と初期の栄光 (1984年)
4.1 ディーター・ダークスによるプロデュース
デビュー・アルバムの制作にあたり、Geffen Recordsはバンドをドイツへと送り込んだ。プロデューサーに起用されたのは、Scorpions (スコーピオンズ) やAccept(アクセプト)を手掛けたドイツ・メタルの巨匠、Dieter Dierks (ディーター・ダークス)であった。1984年初頭、ドイツのスタジオで録音されたこのアルバムは、LAメタルの華やかさと、欧州メタルの重厚なリフ構造が融合した独自のサウンドを持っていた。
4.2 アルバム 『BLACK 'N BLUE』のリリースと 「Hold On to 18」
1984年8月、セルフタイトルのデビュー・アルバム 『BLACK 'N BLUE』 がリリースされた。このアルバムは、バンドのキャリアを通じて最も評価の高い作品であり、以下の楽曲が収録されている。
- "Hold On to 18" (ホールド・オン・トゥ・18): ジェイミー・セント・ジェームズとトミー・セイヤーの共作によるこの曲は、バンドの代表曲にして唯一のチャート・ヒット(Billboard Top Rock Tracks #50) となった。歌詞は「18歳」という、大人と子供の境界線にある刹那的な輝きと反抗心を描いており、そのアンセム的なコーラスは世代を超えて共感を呼んだ。ミュージックビデオもMTVで頻繁に放映された。
- "School of Hard Knocks" (スクール・オブ・ハード・ノックス): ストリートでの生存競争をテーマにしたハードなナンバーであり、バンドの荒々しい側面を象徴している。
- "Chains Around Heaven" (チェインズ・アラウンド・ヘヴン): デモ時代からの名曲であり、メロディックなフックと攻撃的なリフのバランスが絶妙である。
4.3 ツアーと日本での熱狂
アルバム・リリース後、バンドは大規模なツアーに出た。特に注目すべきは、Aerosmithの『Back in the Saddle Tour』のオープニング・アクトに抜擢されたことである。アリーナクラスの会場で演奏することで、BLACK 'N BLUEのパフォーマンスは急速に洗練されていった。
また、1984年11月には来日公演を行い、東京での公演は録画され、後に『The Japan Tour』等のタイトルで映像化された。日本のファンにとって、BLACK 'N BLUEのルックスとキャッチーなメロディは親和性が高く、音楽誌『BURRN!』などでも大きく取り上げられた。
5. 転換点:『Without Love』とアイデンティティの葛藤 (1985年)
5.1 『Bombastic Plastic』の拒絶とレーベルの干渉
2ndアルバムの制作過程は、バンドとレーベルの確執の始まりであった。トミー・セイヤーの回想によれば、バンドは当初、アルバムに『Bombastic Plastic (ボンバスティック・プラスティック)』というタイトルを付け、独自のカバーアートを準備していた。しかし、Geffen Recordsの上層部はこれを却下し、『Without Love (ウィズアウト・ラブ)』というタイトルと、メンバーが柱を抱えるビジュアルを強要した。
さらに、楽曲制作においてもポップ化への圧力が強まった。本来「Blame It On The Neighborhood」 というタイトルだったスウィート (The Sweet) 風の楽曲は、歌詞の書き直しを命じられ、「Swing Time」というタイトルに変更された上で、タップダンスのSEを追加するという不可解なアレンジが施された。また、「Rock And Roll Animals」は「Rockin' On Heaven's Door」 へと改題された。
5.2 ブルース・フェアバーンとの制作
プロデューサーには、カナダ人の Bruce Fairbairn (ブルース・フェアバーン) が起用され、エンジニアには Bob Rock (ボブ・ロック)が参加した。レコーディングはバンクーバーで行われた。ボブ・ロックは、ドラムのサウンドを巨大にするためにローディング・ベイ (搬入口)にマイクを立てるなど、革新的な手法を導入した。皮肉なことに、このスタジオで録音されたBLACK 'N BLUEのカセットテープを聴いたJon Bon Jovi (ジョン・ボン・ジョヴィ)は、そのサウンド・プロダクションの質に感銘を受け、自身のアルバム 『Slippery When Wet』の制作にブルース・フェアバーンとボブ・ロックを起用することを決めたという逸話が残っている。
5.3 商業的失速とKISS 『Asylum』ツアー
1985年にリリースされた『Without Love』は、極めて高品質なプロダクションと、「Miss Mystery」のような美しいパワー・バラードを含んでいたものの、コアなメタル・ファンからは「ポップ過ぎる」と敬遠され、メインストリームのポップ層にも届ききらず、商業的には失敗に終わった。
しかし、このアルバムに伴うツアーで、BLACK 'N BLUEはKISSの『Asylum Tour』のオープニング・アクトを務めることになる。全米で24~25公演を共にしたこのツアー中に、KISSのジーン・シモンズとポール・スタンレー (Paul Stanley)は、若きバンドを「弟分」として可愛がり、特にジーンとトミー・セイヤーの間に深い信頼関係が生まれた。これが、バンドの次なるフェーズへの布石となった。
6. ジーン・シモンズ時代: 『Nasty Nasty』と『In Heat』(1986年-1988年)
6.1 原点回帰とジーン・シモンズのプロデュース
Geffenからの圧力によるポップ化の失敗を受け、バンドは3rdアルバムで本来のハードロック・サウンドへの回帰を図った。その手助けをしたのが、KISSの Gene Simmons (ジーン・シモンズ)のである。彼はプロデューサーとして名乗りを上げ、バンドの「生々しい (raw)」魅力を引き出すことに注力した。
6.2 『Nasty Nasty』(1986年)
1986年8月リリースの『Nasty Nasty (ナスティ・ナスティ)』は、前作のきらびやかさを捨て、ストリート感溢れるロックンロール・アルバムとなった。
- "Nasty Nasty": シンプルかつ強力なリフを持つタイトルトラック。
- "I'll Be There for You": JourneyのJonathan Cain (ジョナサン・ケイン)が共作したパワー・バラードで、映画『アウトサイダー』的な哀愁を漂わせる。
- ゲスト参加: 元KISSのPeter Criss (ピーター・クリス)や、KeelのRon Keel (ロン・キール)がバッキング・ボーカルで参加している。
6.3 『In Heat』(1988年)
1988年リリースの4thアルバム『In Heat (イン・ヒート)』も引き続きジーン・シモンズがプロデュースを担当した。
- 制作背景: ニューヨークのElectric Lady Studios等で録音され、パット・レーガン (Pat Regan) が共同プロデュースで関わった。
- 楽曲: "Rock On"、"Sight for Sore Eyes"など、洗練されたハードロックが並ぶが、1988年という時期は、Guns N' Rosesの 『Appetite for Destruction』がシーンを塗り替えていた時期であり、BLACK 'N BLUEのスタイルは徐々に「オールドスクール」と見なされつつあった。
結果として、Geffen Recordsは4枚のアルバムでミリオンセラーを出せなかったバンドとの契約を打ち切り、バンドは1989年に解散を迎えることとなる。
7. 解散後の道: KISS帝国への統合と個々の活動 (1989年-2002年)
7.1 トミー・セイヤー: 裏方からスペースマンへ
解散後、トミー・セイヤーのキャリアは最も劇的な展開を見せた。彼は1989年のKISSのアルバム『Hot in the Shade』で楽曲共作("Betrayed", "The Street Giveth...")を行い、レコーディングにも参加した。その後、KISSの組織に正式に雇用され、当初はコーヒー汲みやペンキ塗りから始まり、徐々にツアーマネージャー、ドキュメンタリー『Kisstory』の編集、映像作品のプロデュースなど、バンドの中枢に関わる業務を任されるようになった。KISSの膨大なアーカイブ(写真、衣装、映像)を整理・データベース化したのはトミーの功績であり、この過程で彼は「KISSの誰よりもKISSの楽曲を知る男」となった。2002年、エース・フレーリー (Ace Frehley) の脱退に伴い、トミーは正式メンバーとしてメイクアップを施し、ステージに立つこととなる。
7.2 ジェイミー・セント・ジェームズとその他のメンバー
- Jaime St. James: 自身のバンド Freight Train Janeを経て、2004年にはJani Lane (ジェイニー・レイン)の後任としてWarrant (ウォレント)に加入。アルバム『Born Again』でボーカルを務め、世界ツアーを行った。
- Pete Holmes: Malice (マリス)、Michael Schenker Group (MSG)、Ian Gillan (イアン・ギラン)のバックバンドなどでドラマーとして活躍。
- Jeff Warner: 地元ポートランドやロサンゼルスで活動を継続。
7.3 一時的な再結成
1997年のハロウィンに、オリジナル・メンバー5人が集結し、一夜限りの再結成ライブを行った。この音源は『One Night Only: Live』 としてリリースされた。また、2001年には未発表デモ集『The Demos Remastered: Anthology 1』 がリリースされ、マニアの間で話題となった。
8. 復活と『Hell Yeah!』、そして現在 (2003年-2026年)
8.1 再始動と『Hell Yeah!』の難産
2003年、ジェイミー・セント・ジェームズを中心にバンドは本格的に再始動した。しかし、トミー・セイヤーはKISSでの活動が多忙を極めていたため、新ギタリストとして Shawn Sonnenschein (ショーン・ソネンシャイン)が加入した。ニューアルバム 『Hell Yeah!』の制作が開始されたが、ジェイミーのWarrant加入や法的な問題、レーベル (Z RecordsからFrontiers Recordsへの変更)の事情により、リリースは大幅に遅延した。最終的に2011年5月、Frontiers Recordsよりリリースされた本作は、80年代のエネルギーをそのまま真空パックしたような快作となり、ファンを喜ばせた。
8.2 近年のラインナップ変更
- 2013年: ジェフ・ワーナーが脱退し、Brandon Cook (ブランドン・クック)が加入。
- 2017年: ショーン・ソネンシャインに代わり Bobby Capka (ボビー・カプカ)が加入 (後にDoug Rappoportに交代)。
- 2023年: Mick Caldwell (ミック・コールドウェル)が加入。ジェイミー、パトリック、ピートの3人のオリジナル・メンバーは不動のままである。
8.3 "Bombshell": トミーとジェイミーの再会 (2025年)
2025年後半、長年のファンにとって最大のニュースが飛び込んだ。KISSの活動を終えた(あるいは一区切りつけた) トミー・セイヤーと、ジェイミー・セント・ジェームズが再びタッグを組み、6曲入りのEP 『Bombshell』をリリースしたのである。「友情が第一」と語る彼らは、1980年代後半以来となる新曲の共作を行い、「Bombshell」 「Bulletproof」といった楽曲を発表した。これはBLACK 'N BLUE名義ではないものの、実質的なオリジナル・コンビの復活として大きな意味を持つ。
9. ディスコグラフィ (Discography)
9.1 スタジオ・アルバム (Studio Albums)
以下の表は、主要なスタジオ・アルバムの詳細である。日本盤特有のボーナストラック情報も併記する。
| タイトル (Title) | 発売年 (Year) | レーベル (Label) | プロデューサー (Producer) | USチャート | 備考・日本盤ボーナストラック等 |
|---|---|---|---|---|---|
| BLACK 'N BLUE (ブラック・アンド・ブルー) |
1984 | Geffen | Dieter Dierks | #129 | 代表作。シングル「Hold On to 18」収録。日本盤LPには「The Strong Will Rock」等の配置違いや独自仕様が存在する場合あり。 |
| Without Love (ウィズアウト・ラブ) |
1985 | Geffen | Bruce Fairbairn | - | よりポップな路線。「Miss Mystery」収録。 |
| Nasty Nasty (ナスティ・ナスティ) |
1986 | Geffen | Gene Simmons | #110 | 原点回帰作。Peter Criss, Ron Keel 参加。 |
| In Heat (イン・ヒート) |
1988 | Geffen | Gene Simmons | #133 | 解散前最終作。洗練されたハードロック。 |
| Hell Yeah! (ヘル・イェー!) |
2011 | Frontiers | Jaime St. James | - | 23年ぶりの新作。日本盤(King Records等) ボーナストラックとして「I Smell Trouble」等が収録される版あり。 |
9.2 ライブ・アルバム&コンピレーション (Live & Compilations)
| タイトル | 発売年 | 形式 | 解説 |
|---|---|---|---|
| One Night Only: Live | 1998 | Live CD | 1997年ハロウィンのオリジナル・メンバー再結成ライブ。 |
| Live In Detroit 1984 | 2001 | Live CD | デビュー直後の絶頂期のライブ音源。エネルギーに満ちている。 |
| The Demos Remastered: Anthology 1 | 2001 | Demo/Comp | 初期のデモ音源集。「Violent Kid」「Squeeze Me」などの未発表曲を含む重要作。 |
| Collected | 2005 | Box Set | 初期4作のリマスター+1984年東京公演DVDを含むボックスセット。 |
| Rarities | 2007 | Comp | さらなるレア音源集。 |
9.3 映像作品(Videography)
- The Japan Tour (Live in Tokyo 1984): 1984年11月の東京公演を収録。当初はVHS/LaserDiscでリリースされ、後に『Collected』 ボックスセットのDVDとして再発された。
- Music Videos: "Hold On to 18", "Miss Mystery", "I'll Be There for You" などのPVが制作され、Rob Quartlyなどが監督を務めた。
10. メンバー・バイオグラフィ詳細 (Detailed Member Biographies)
- Jaime St. James (ジェイミー・セント・ジェームズ)
役割: リード・ボーカル (Lead Vocals)
経歴: BLACK 'N BLUEの創設者であり、魂。初期はドラマーだったが、そのカリスマ性からフロントマンに転向。ハスキーで伸びのあるハイトーン・ボイスが特徴。Warrantでの活動を経て、現在もバンドを牽引する。 - Tommy Thayer (トミー・セイヤー)
役割: リード・ギター (Lead Guitar) [1981-1989, 1997]
経歴: バンドのメイン・ソングライター。冷静沈着なプレイスタイルとビジネスセンスを持つ。BLACK 'N BLUE解散後、KISSの裏方として長年貢献し、2002年に正式メンバーとなる。彼の成功はポートランドの誇りである。 - Patrick Young (パトリック・ヤング)
役割: ベース (Bass)
経歴: "Movie Star" 時代からの盟友。堅実なベースプレイとコーラスワークでバンドのボトムを支える。再結成後も不動のメンバーとして活動。 - Pete Holmes (ピート・ホームズ)
役割: ドラムス (Drums)
経歴: 非常にパワフルかつテクニカルなドラミングで知られる。BLACK 'N BLUE以外にもMichael Schenker GroupやTed Nugent、Maliceなど多くの著名アーティストと共演。 - Jeff "Woop" Warner (ジェフ・"ウープ"・ワーナー)
役割: ギター (Guitar) [1982-1989, 1997-2013]
経歴: 黄金期のラインナップを支えたギタリスト。トミー・セイヤーとのツイン・ギターの絡みはバンドのサウンドの要であった。 - Jeff LaBansky (ジェフ・ラバンスキー)
役割: ギター (Guitar) [1988-1989]
経歴: 解散直前の短期間在籍したギタリスト。Frank DiMino (Angel) のソロアルバム『Old Habits Die Hard』 (2015) にギターと作曲で参加している。
11. BLACK 'N BLUEの歴史的意義
BLACK 'N BLUEの歴史を振り返ると、BLACK 'N BLUEが単なる「売れなかった80年代バンド」ではないことが明確になる。第一に、BLACK 'N BLUEはKISSの歴史の一部である。ジーン・シモンズに見出され、トミー・セイヤーという後継者を育てた揺り籠としての役割は、ロック史において極めて重要である。第二に、ポートランド・ロックシーンのパイオニアとしての功績である。シアトル(グランジ) でもロサンゼルス (グラム)でもない、ポートランドという土地からメジャーシーンへ切り込んだBLACK 'N BLUEの足跡は、後の世代(EverclearやThe Dandy Warholsなどジャンルは違えど)に道を示したと言える。
「Hold On to 18」で歌われた 「18歳への執着」は、40年以上の時を経て、BLACK 'N BLUEの生き様そのものとなった。商業的な数字を超え、世界中のハードロック・ファンの心に刻まれたBLACK 'N BLUEのメロディは、今後も色褪せることはないだろう。