BLACK'N BLUE
BLACK'N BLUEの詳しいBiographyと全作品のディスコグラフィ。アルバムごとの個別ページも掲載するMETAL BOOSTのアーティストページ。
Biography
BLACK'N BLUE
バイオグラフィー
BLACK'N BLUE(ブラック・アンド・ブルー)は、1981年にアメリカのオレゴン州ポートランドで結成されたハード・ロック・バンドである。ジェイミー・セント・ジェームズ(ヴォーカル)、トミー・セイヤー(リード・ギター)、ジェフ“ウープ”ワーナー(ギター)、パトリック・ヤング(ベース)、ピート・ホームズ(ドラム)の5人で始まり、1983年にゲフィン・レコードと契約して、1984年から1988年までに4枚のアルバムを出した。後半の2作はKISSのジーン・シモンズがプロデュースしている。1989年に解散したのち、セイヤーは2002年にKISSのギタリストになった。バンドは2003年にセント・ジェームズの呼びかけで再始動し、2011年に1988年以来のスタジオ・アルバム『Hell Yeah!』を出した。初来日はデビュー作の年、1984年の11月である。
ポートランドでの始まり(1981〜1983年)
トミー・セイヤーの回想によれば、BLACK'N BLUEは1981年にポートランドで生まれた。NWOBHMがアメリカにも届き始め、ロサンゼルスではMÖTLEY CRÜEが出てきた頃で、セイヤーやジェイミー・セント・ジェームズたちは新しいヘヴィ・メタルのバンドを作ろうと考えたという。セント・ジェームズはもともと前身のバンドのドラマーで、ある晩ポートランドのナイトクラブでステージの前に出て、そのままフロントマンになった(2005年のセイヤーのインタビュー)。公式サイトの年表は結成を1981年の秋とし、バンドは友人どうしの集まりとして始まったと書いている。セント・ジェームズによれば、クラブではカヴァー曲をほとんどやらずに自作曲にこだわったため、出られる店は多くなかった(2011年のスリーズ・ロックスのインタビュー)。
最初のレコードは、メタル・ブレイド・レコーズの第1弾として1982年6月14日に出たコンピレーション『Metal Massacre』である。BLACK'N BLUEは「Chains Around Heaven」で参加し、同じ盤には当時まだ契約のなかったロサンゼルスのMETALLICA、RATT、MALICEらが並んだ(メタル・ブレイドの発表)。マーキー/アヴァロンのアーティスト紹介は、1982年から活動の拠点を少しずつロサンゼルスへ移したとしている。2010年の殿堂入りの式典での紹介(セイヤーの報告による)は、高校を出たばかりの5人がハリウッドへ乗り込んだのを1983年としており、バンドは同じ年にゲフィン・レコードと契約した(公式サイトの年表)。セント・ジェームズによれば、バンドをゲフィンに契約させたのはA&Rのジョン・カロドナーだった。
ゲフィンでの4作(1984〜1988年)
デビュー作『Black'n Blue』は、SCORPIONSで知られるディーター・ダークスとドイツで録音され、1984年に出た。「Hold On to 18」がシングルになり、MTV向けのビデオも作られた(公式サイトの年表)。この曲はセイヤーとセント・ジェームズの共作で、1983年の音源が2007年の『Rarities』に入っている。1984年にはAEROSMITHとアメリカを回り(公式サイト)、11月には初めて日本で公演した(マーキー/アヴァロンのアーティスト紹介、セイヤー本人の投稿)。
1985年の『Without Love』は、カナダのヴァンクーヴァーでブルース・フェアバーン、ボブ・ロック、マイク・フレイザーと録音され、「Miss Mystery」がシングルとビデオになった(公式サイトの年表)。このアルバムが出たあと、バンドはKISSの『Asylum』ツアーの前座を務めた。セイヤーによれば、メンバーが初めてKISSに会ったのはデビュー作を出した直後、ロングビーチ・アリーナの開演前のバックステージでのことで、ツアーの話はマネージャーのウォーレン・エントナーから来た。ツアー初日はアーカンソー州リトルロックだった(2006年のBURRN!誌のインタビュー)。
1986年の『Nasty Nasty』はジーン・シモンズのプロデュースで、シングルになった「I'll Be There for You」はJOURNEYのジョナサン・ケインが書いた(公式サイトの年表)。最後の曲「Best in the West」には、KEELのロン・キールとKISSのピーター・クリスが加わり、ホーン・セクションも入っている(2017年のセント・ジェームズの回想)。この年、バンドはDIO、QUEENSRŸCHE、テッド・ニュージェント、リタ・フォード、NIGHT RANGERとツアーを回った(公式サイトの年表)。1988年の『In Heat』もシモンズのプロデュースで、パット・リーガンがキーボードで加わっている。セイヤーは、もともとKISSのファンだったのでシモンズとの仕事は最高だったと振り返り、セント・ジェームズは、リハーサル場で曲を聴いて意見をくれたシモンズから、他人ではなく自分のことを歌えと助言されたと話している。公式サイトによれば、80年代のBLACK'N BLUEのアルバムは合わせて100万枚以上売れた。
解散とそれぞれの道(1989〜2002年)
バンドは1989年に解散した(マーキー/アヴァロン、スリーズ・ロックス)。スリーズ・ロックスのバイオグラフィによれば、セント・ジェームズはFREIGHT TRAIN JANEなどで録音を残し、セイヤーはDORO、HARLOW、SHAKE THE FAITHの録音に参加し、ホームズは元MALICEのメンバーとMONSTERを結成した。セイヤーとシモンズの付き合いは続き、2人はKISSの1989年のアルバム『Hot in the Shade』のために「Betrayed」と「The Street Giveth and the Street Taketh Away」を共作した。KISSはこの2曲を録り直さずにデモに音を重ねて仕上げたので、セイヤーのギターが残っている(ラウドワイヤー)。セイヤーは1993年から94年にかけて書籍『Kisstory』の写真編集を手伝ったのを手始めにKISSの裏方を務めるようになり(2006年のインタビュー)、2002年にエース・フレーリーの後任としてKISSのギタリストになった。正式な初公演は、2003年2月にメルボルンで行われたオーケストラとの共演だった(BARKS)。
1997年10月31日には、オリジナルの5人がポートランドのキー・ラーゴで一夜かぎりのステージに立った。ライヴ盤を作ろうと言い出したのはセイヤーで、録音は『In Heat』に参加したパット・リーガンが担当し、翌1998年に『One Night Only: Live』として出た(2017年のスリーズ・ロックスの記事)。セイヤーは、最初から一回きりのつもりだったと語っている。2001年にはデモ集『The Demos Remastered: Anthology 1』と、編集盤『Ultimate Collection』が出た(公式サイトのディスコグラフィ)。
再始動と『Hell Yeah!』(2003〜2011年)
2003年、セント・ジェームズ、ワーナー、ヤング、ホームズの4人が、セント・ジェームズの呼びかけで再び集まった。本人によれば、きっかけはイギリスで得た自分のソロ契約で、スタジオを持っていたワーナーに、これをBLACK'N BLUEのアルバムにしようと持ちかけたのだという(2011年のスリーズ・ロックスのインタビュー)。2003年5月には、英国のZ Recordsから同年9月に新作が出る予定と報じられた(ブラバマウス)。KISSにいたセイヤーの代わりには、ヤングがポートランドで一緒にバンドをやっていたギタリスト、ショーン・ソネンシャインが加わった。
ところがセント・ジェームズは2004年2月にWARRANTのヴォーカリストとなり、それから4年間は世界を回るツアーに追われて、アルバムの制作は止まった(公式サイト)。ジェイニー・レインがWARRANTに戻り、セント・ジェームズがそのバンドを離れた2008年に、BLACK'N BLUEは再び動き出し、7月12日のRocklahomaと、8月31日のヒューストンのRock the Bayouに出演した(ブラバマウス)。2010年10月9日にはオレゴン音楽の殿堂入りを果たし、ポートランドのローズランド・シアターでの式典で、セイヤーを含むオリジナルの5人が「Hold On to 18」「Miss Mystery」「Nasty Nasty」などを30分演奏した(ブラバマウス)。
アルバムは、ワーナーがスタジオを失ったことや、完成させる資金が尽きたことでさらに遅れた。最後はマネージャーのジェフ・ケラーの仲介で、フロンティアーズが前のレーベルとの契約を買い取り、仕上げの資金も出した(2011年のセント・ジェームズの発言)。曲はセント・ジェームズとワーナーが書き、デモを聴いたセイヤーは、自分がいなくても大丈夫だとバンドの背中を押した。1988年以来のスタジオ・アルバム『Hell Yeah!』は、2011年4月20日に日本盤が先に出て、欧州では5月13日、北米では5月17日に発売された。日本盤にはボーナス・トラック「I Smell a Rat」が加えられている(マーキー/アヴァロン、ブラバマウス)。バンドはこのアルバムで、デビュー当時のロゴを手直しして復活させた。
その後(2012年〜)
2012年には、CINDERELLA、TESLA、UFO、KIXらとともにMonsters of Rock Cruiseに出演した。公式サイトは、出演してきたフェスティバルとしてRocklahoma、M3、Rock the Bayou、Midwest Rockfestを挙げ、このクルーズにはその後もたびたび出演しているとしている。ギターには入れ替わりがあり、2013年にワーナーに代わってブランドン・クックが加わり、2017年4月ごろからはボビー・カプカ、2021年からはダグ・ラポポートが、もう1本のギターを弾いた(スリーズ・ロックス)。2025年8月27日には、1984年と1985年にデモだけが録られていた2曲を、セント・ジェームズ、ヤング、ホームズ、クック、ミック・コールドウェルの5人で録音した『2 Song Bruiser』をBandcampで出している。
セイヤーとセント・ジェームズは、2人の名義「Thayer – St. James」でも活動している。2022年6月3日には、80年代の終わりに録られていた未発表曲5曲をEP『The Lost Tapes』として出した(BARKS、ブラバマウス)。マスター・テープが劣化していたため、残っていたDATとカセットから仕上げたという(2人のサイト)。2025年11月には、80年代の終わり以来初めて2人で書いて録った6曲入りのEP『Bombshell』を出した。セント・ジェームズは、BLACK'N BLUEの名を使わないのは2人だけの作品だからで、セイヤーにはバンドに戻る予定はないと話している(ブラバマウス)。
メンバーについて
公式サイトは、現在のメンバーとして、ジェイミー・セント・ジェームズ(ヴォーカル)、パトリック・ヤング(ベース)、ピート・ホームズ(ドラム)、ブランドン・クック(ギター)、ミック・コールドウェル(ギター)の5人を挙げ、トミー・セイヤーとジェフ“ウープ”ワーナーを「MISSING IN ACTION」の見出しの下に並べている。オリジナル・メンバーは、セント・ジェームズ、セイヤー(リード・ギター)、ワーナー(ギター)、ヤング、ホームズの5人である。再始動のあとに加わったギタリストには、ショーン・ソネンシャイン、ボビー・カプカ、ダグ・ラポポートがいる。
ディスコグラフィ
スタジオ・アルバム5作と、最新の録音を発表の順に並べる。各アルバムの個別ページに、収録曲、ライナーノーツ、公式ビデオをまとめている。
| 発表 | 題名 | レーベル |
|---|---|---|
| 1984年 | Black'n Blue | Geffen |
| 1985年 | Without Love | Geffen |
| 1986年 | Nasty Nasty | Geffen |
| 1988年 | In Heat | Geffen |
| 2011年4月20日 | Hell Yeah!(日本盤。欧州は5月13日、北米は5月17日) | マーキー/アヴァロン(日本)/Frontiers |
| 2025年8月27日 | 2 Song Bruiser(2曲入り、配信) | バンド自身(Bandcamp) |
ライヴ盤と編集盤には、公式サイトのディスコグラフィによれば、『One Night Only: Live』(1998年。1997年10月31日のポートランド公演)、『The Demos Remastered: Anthology 1』(2001年)、『Ultimate Collection』(2001年)、ボックス・セット『Collected』(2005年)、『Rarities』(2007年、Crash Music Classics)がある。1984年のデトロイト公演を収めた『Live in Detroit 1984』は、公式サイトが1998年、スリーズ・ロックスが2002年としており、発売年が資料によって異なる。公式サイトは年表のほうでは『In Heat』を1987年、『One Night Only』を1996年、『Ultimate Collection』を2002年としているが、ここでは同じサイトのディスコグラフィと、それに一致する他の資料に従った。トミー・セイヤーとジェイミー・セント・ジェームズの名義では、EP『The Lost Tapes』(2022年6月3日)とEP『Bombshell』(2025年11月)がある。
日本との関わり
初来日は1984年11月である。マーキー/アヴァロンのアーティスト紹介によれば、「Hold On to 18」などデビュー作のキャッチーな曲が日本でも話題になっていた。セイヤーは2020年、1984年の自分の誕生日に撮った日本のビザ申請用の写真をXに載せ、バンドがその年の11月に日本をツアーしたと書いている。公演の会場と日付を記した資料は見つかっていない。『Hell Yeah!』の日本盤(MICP-10983)はマーキー/アヴァロンから2011年4月20日に、欧州と北米より先に発売され、ボーナス・トラック「I Smell a Rat」を収めている。2022年の『The Lost Tapes』は、BARKSが発売当日に伝えた。
出典について
このページは、バンド公式サイト blacknblueofficial.com(年表、メンバー、ディスコグラフィ)、バンド公式のBandcamp、トミー・セイヤーとジェイミー・セント・ジェームズのサイト thayerstjames.com、Internet Archiveに残るマーキー/アヴァロンのアーティスト・ページ、メタル・ブレイド・レコーズの発表、セイヤー本人のX(旧Twitter)の投稿、Blabbermouth.net、Sleaze Roxx、Loudwire、BARKSに基づく。英語版のWikipediaは手がかりとしてのみ使った。資料によって食い違う点(『In Heat』『One Night Only』『Ultimate Collection』『Live in Detroit 1984』の発表年)は、ディスコグラフィの節に記した。
Trivia
BLACK'N BLUEの初来日は、デビュー作が出た1984年の11月である。『Hell Yeah!』の日本盤を出したマーキー/アヴァロンのアーティスト紹介は、「Hold On to 18」などデビュー作のキャッチーな曲が日本でも話題になり、その年の11月に初めての来日公演を行ったと記している。トミー・セイヤーも2020年、1984年の自分の誕生日に撮ったという日本のビザ申請用の写真をXに載せ、バンドがその年の11月に日本をツアーしたと書いた。
BLACK'N BLUEが初めてレコードに登場したのは、メタル・ブレイド・レコーズの最初のリリースとなったコンピレーション『Metal Massacre』(1982年6月14日発売)である。収められたのは「Chains Around Heaven」で、同じ盤には当時まだ契約のなかったロサンゼルスのMETALLICA、RATT、MALICEらが並んでいた。レーベルが創立40周年の2022年に出したアナログ再発では、この曲がB面の1曲目、最後がMETALLICAの「Hit the Lights」になっている。ゲフィンとの契約はこのあとで、「Chains Around Heaven」はデビュー作『Black'n Blue』の最後の曲にもなった。
2022年6月3日にトミー・セイヤーとジェイミー・セント・ジェームズが出したEP『The Lost Tapes』は、80年代の終わりに録られたまま世に出ていなかった5曲を集めたものである。演奏しているのは2人だけなので、名義はBLACK'N BLUEではなく「Thayer – St. James」になった。2人のサイトによれば、録音は30年以上、2インチのマルチトラック・テープと1/4インチのテープ(2トラックのミックス)に保管されていたが、どちらも劣化して使えなくなっており、探した末に使えたのはDATとカセットの2本だけだった。そこからデジタル処理で磨いて仕上げたという。収録曲は「Sweet Sensation」「American Man」「Time」「Ballad of the Bullet」「Work It」。
トミー・セイヤーによれば、BLACK'N BLUEは1981年にオレゴン州ポートランドで生まれた。NWOBHMがアメリカにも届き始め、ロサンゼルスではMÖTLEY CRÜEが出てきた頃で、セイヤーやジェイミー・セント・ジェームズたちは、新しいヘヴィ・メタルのバンドをやろうと考えたという。そのセント・ジェームズは、もともと前身のバンドのドラマーだった。ある晩、ポートランドのナイトクラブでステージの前に出て、そのままバンドの顔になったとセイヤーは振り返っている。公式サイトの年表は、結成を1981年の秋としている。
トミー・セイヤーがBURRN!誌のインタビューで振り返ったところでは、メンバーが初めてKISSに会ったのは、デビュー作を出した直後にロングビーチ・アリーナへ観に行った『Animalize』ツアーの、開演前のバックステージだった。その半年ほどあと、『Without Love』が出た頃にマネージャーのウォーレン・エントナーから、1か月後に始まる『Asylum』ツアーの前座が決まったと知らされる。初日はアーカンソー州リトルロック。ツアーが始まって間もなく、サウンドチェックを終えたジーン・シモンズがセイヤーとジェイミー・セント・ジェームズのところへ来て、BLACK'N BLUEの登場を告げる場内アナウンスが、ずっと昔からいるあるバンドのものに似すぎているから変えてはどうかと持ちかけた。2人はすぐに応じたという。
『Nasty Nasty』を締めくくる「Best in the West」では、KEELのロン・キールが歌い、KISSのピーター・クリスも加わっている。ジェイミー・セント・ジェームズの回想では、クリスを呼んだのは彼自身で、レインボーでクリス夫妻に会ったのがきっかけだった。シモンズとはもう何年も話していないからと渋るクリスを、あとで夫人が電話番号を渡して後押しし、ようやく来てもらえたが、その晩は1音も録らず、シモンズとクリスがスタジオで昔話をして終わったという。この曲にブラスを入れようと言い出したのはトミー・セイヤーとセント・ジェームズで、ホーン・セクションを呼ぶとシモンズは面食らったが、仕上がりを聴いて2人が正しかったと認めた。
『Hell Yeah!』は、もともとジェイミー・セント・ジェームズのソロ作になるはずだった。本人によれば、2003年ごろイギリスでソロ契約を得た彼が、自分のスタジオを持っていたジェフ“ウープ”ワーナーに、これをBLACK'N BLUEのアルバムにしようと持ちかけたのが始まりだった。2003年5月には英Z Recordsから同年9月に出る予定と伝えられたが、セント・ジェームズは2004年2月にWARRANTのヴォーカリストとなり、そのツアーに追われて作業は止まる。2008年に彼がWARRANTを離れてバンドは動き出したが、ワーナーがスタジオを失って別の場所を探す必要もあり、契約していたレーベルのもとで完成させる資金も尽きた。最後はマネージャーのジェフ・ケラーがまとめた話で、フロンティアーズが前のレーベルとの契約を買い取り、仕上げの資金も上乗せして、2011年にようやく世に出た。
2010年10月9日、BLACK'N BLUEはオレゴン音楽の殿堂入りを果たし、ポートランドのローズランド・シアターで開かれた式典には、トミー・セイヤーを含む全盛期の5人が揃った。紹介役はマネージャーのガロの息子ピーター・タシジャンで、高校を出たばかりの5人が1983年にハリウッドへ乗り込んだいきさつを語ったという。5人は記念の盾を受け取ったあと30分のステージを行い、「Hold On to 18」「Miss Mystery」「Nasty Nasty」などを演奏した。KISSの許可を得て加わったセイヤーについて、ジェイミー・セント・ジェームズは、この夜だけは外せなかったと話している。カヴァーをやらず自作曲にこだわったせいで出られるクラブも少なく、地元ではまっとうに認めてもらえていないと感じてきたセント・ジェームズにとって、この殿堂入りは人生で最も幸せな夜のひとつになった。