VELVET REVOLVER

元GUNS N' ROSESの3人とスコット・ウェイランドのバンド、VELVET REVOLVER(ヴェルヴェット・リヴォルヴァー)のバイオグラフィとディスコグラフィー。『Contraband』『Libertad』と20周年記念盤を、収録曲、CD情報、ライナーノーツ、公式映像、来日公演の記録とともに掲載。

Biography

VELVET REVOLVER
バイオグラフィー

VELVET REVOLVER(ヴェルヴェット・リヴォルヴァー)は、2002年に結成されたアメリカのバンドである。GUNS N' ROSESを離れていたギターのスラッシュ、ベースのダフ・マッケイガン、ドラムのマット・ソーラムが、マッケイガンのバンドLOADEDにいたギターのデイヴ・クシュナーと組み、2003年にSTONE TEMPLE PILOTSのスコット・ウェイランドを歌い手に迎えた。2004年のデビュー・アルバム『Contraband』はBillboard 200で初登場1位となってRIAAのダブル・プラチナに認定され、「Slither」は第47回グラミー賞で最優秀ハード・ロック・パフォーマンス賞を受けた。2007年に2作目の『Libertad』を出したのち、2008年4月にウェイランドと別れ、後任の歌い手は定まらないまま活動を止めた。2012年1月に一夜だけウェイランドと再び演奏したが、ウェイランドは2015年12月に亡くなった。2016年からはスラッシュとマッケイガンがGUNS N' ROSESに戻っている。2026年にはソーラムが、新しい歌い手を迎えての再結成に前向きな考えを語った。

メンバーと結成(2002年)

スラッシュとダフ・マッケイガンは、1985年からGUNS N' ROSESの一員だった(アルティメット・クラシック・ロック、2016年)。スラッシュが抜けたことは1996年10月31日にアクセル・ローズが認め、マッケイガンは1997年8月にバンドを去った(アルティメット・クラシック・ロック、2016年・2012年)。マット・ソーラムは、THE CULTのツアーで叩いていたところをスラッシュとマッケイガンに見込まれ、スティーヴン・アドラーの後任としてGUNS N' ROSESに加わった。1997年に解雇されたのちは制作やスタジオの仕事を続け、2001年にはTHE CULTに戻ってアルバム『Beyond Good and Evil』に参加している。スラッシュがGUNS N' ROSESに籍を置いたまま組んだSLASH'S SNAKEPITの1995年のアルバム『It's Five O'Clock Somewhere』でも、ドラムはソーラムである(アルティメット・クラシック・ロック、2016年)。マッケイガンは、GUNS N' ROSESを離れたのちにLOADEDを結成していた(アルティメット・クラシック・ロック、2016年)。

デイヴ・クシュナーはスラッシュと中学・高校時代からの友人で(ブラバマウス、2007年)、WASTED YOUTHやELECTRIC LOVE HOGS、デイヴ・ナヴァロのバンドなどで弾いたのち(RCAの公式バイオグラフィー/ブラバマウス、2004年)、LOADEDでマッケイガンと組んでいた(ブラバマウス、2003年)。

始まりは、2002年3月に亡くなったドラマーのランディ・カスティロの追悼である。オジー・オズボーンのバンドで11年にわたって叩いたカスティロをしのぶ慈善公演が、4月29日にロサンゼルスのKey Clubで開かれた(antiMUSIC、2002年)。スラッシュ、マッケイガン、ソーラムは、BUCKCHERRYの歌い手ジョシュ・トッドとギタリストのキース・ネルソンを加えた5人でステージに立ち、GUNS N' ROSESの「It's So Easy」と「Paradise City」、SEX PISTOLSの「God Save the Queen」、ROSE TATTOOの「Nice Boys」、BUCKCHERRYの「Lit Up」を演奏した。最後にはAEROSMITHのスティーヴン・タイラーが加わって「Mama Kin」を歌っている(antiMUSIC、2002年/ブラバマウス、2019年)。

手応えを感じた5人は、その後およそ1か月、週に5日リハーサル・スタジオに集まって10曲ほどを書いたが、スラッシュが突然この顔ぶれでの活動を打ち切った(ブラバマウス、2003年・2006年・2019年)。トッドは、このときのことが歌い手のオーディションだったかのように語られたことに強く反発している(ブラバマウス、2003年)。スラッシュ、マッケイガン、ソーラムの3人は一緒に続けることを決め、クシュナーを誘い入れた(RCAの公式バイオグラフィー/ブラバマウス、2004年)。2002年9月、スラッシュはサンディエゴのフェスティヴァルStreet Sceneの会場で、マッケイガン、ソーラムとアルバムを作っていて歌い手を探していると語り、デモの送り先を公表した(ブラバマウス、2002年)。同じ年の12月の報道では、バンドは5月から活動を続けており、クシュナーをライヴのギタリストとして正式に迎えていた(ブラバマウス、2002年)。

GUNS N' ROSESでの仲間だったイジー・ストラドリンも、曲作りの初期に数週間リハーサルに顔を出し、10曲ほどを一緒に書いた。しかし長く続けるつもりはなく、歌い手のオーディションが始まると姿を見せなくなった(ブラバマウス、2003年/バラエティ誌、2003年)。

歌い手探し(2002〜2003年)

4人は広告を出して歌い手を募り、毎週200枚から300枚のデモCDが届いた。2003年2月までにデモを送った歌い手は500人を超え、そのうち15人ほどがオーディションを受けた。SKID ROWにいたセバスチャン・バック、DAYS OF THE NEWのトラヴィス・ミークス、NEUROTICAやATHEISTにいたケリー・シェイファー、STEELHEARTのMike Matijevic、PSYCHOTICAのPat Briggs、LITのA. Jay Popoffらである(ブラバマウス、2003年)。BLISS 66のCheyenne GoffやAGE OF ELECTRICのトッド・カーンズのように、送られてきた演奏だけの曲に歌詞と歌を付けて返した候補もいた(ブラバマウス、2002年・2003年)。この間にバンドが書いた曲は50を超えた(ブラバマウス、2003年)。

選考の様子はVH1のカメラが追い(ブラバマウス、2003年/RCAの公式バイオグラフィー/ブラバマウス、2004年)、2004年に番組『Inside Out: The Rise of Velvet Revolver』として放送された(タイム誌、2010年)。スラッシュはのちに、週に6日、10か月にわたって応募作を聴き続けたと振り返っている(ブラバマウス、2014年)。

スコット・ウェイランドの加入とバンド名(2003年)

選考が続くあいだ、マッケイガンはSTONE TEMPLE PILOTSの歌い手スコット・ウェイランドと親しく行き来していた(RCAの公式バイオグラフィー/ブラバマウス、2004年)。STONE TEMPLE PILOTSはそのころ活動を休んでいた(バラエティ誌、2003年)。ウェイランドはクシュナーとも古い知り合いで、STONE TEMPLE PILOTSがまだMIGHTY JOE YOUNGと名乗っていたころ、クシュナーのいたELECTRIC LOVE HOGSと同じ晩のステージに立っていた。スラッシュが録音を収めたCDを届けると、ウェイランドは60曲ほどのうち15曲ほどに強くひかれたという(RCAの公式バイオグラフィー/ブラバマウス、2004年)。ソーラムは、ウェイランドがスタジオに入ってきた瞬間に探していた歌い手だとわかったと語っている(ブラバマウス、2003年)。

2003年4月、バンドはウェイランドを迎えて、PINK FLOYDの「Money」のカヴァーを映画『The Italian Job』のサウンドトラックのために録音した(ローリング・ストーン誌、2003年)。リハーサル・スタジオで映画会社やレコード会社の人々に向けて演奏したのがきっかけで、Universal Music GroupとUniversal Picturesの映画音楽部門を率いるKathy Nelsonが依頼したものである(バラエティ誌、2003年)。続いてAng Lee監督の映画『Hulk』のために新曲「Set Me Free」を録音し(ブラバマウス、2003年)、この曲はDecca Recordsのサウンドトラック盤に収められて、Billboardのメインストリーム・ロック・チャートで17位まで上がった(バラエティ誌、2003年/ビルボード)。

2003年5月、ウェイランドはロサンゼルスのKey Clubでのマリリン・マンソンの公演の会場でローリング・ストーン誌の取材に応じ、自分がこのバンドの歌い手になり、契約も交わしたと認めた。それまでバンドは「the Project」という仮の名で呼ばれており、ウェイランドは新しい名を「Reloaded」だと語った(ローリング・ストーン誌、2003年)。その数日後、ウェイランドはカリフォルニア州バーバンクで乗っていた車を警察に止められ、車内から麻薬が見つかって逮捕された。バンドの広報は、この時点ではウェイランドとバンドの全体の契約はまだ結ばれていないと説明している(ブラバマウス、2003年)。ウェイランドはヘロインとコカインの所持の罪に問われた(バラエティ誌、2003年)。

スラッシュの自伝によれば、バンドの名は、Universal Studiosで開かれた『Hulk』の試写会の席で決まった。映画会社Revolution Studiosの名から「Revolver」を思いついたスラッシュがそれを提案し、ウェイランドが「Black Velvet Revolver」を出して、両者の間を取る形でまとまったという(アメリカン・ソングライター誌、2023年)。名前が決まったのは『Hulk』のサウンドトラック盤が刷り上がった後だったため、そこでは「Set Me Free」はバンド名ではなく5人の名で記されている(バラエティ誌、2003年)。ウェイランドはのちに、バンドに正式な名を付けたのは自分だと主張した(ブラバマウス、2008年)。

最初のステージは2003年6月19日、ロサンゼルスのEl Rey Theatreで、ラジオ局KROQ、Universal Pictures、Decca Records、マネージメントのImmortal Entertainmentが招待客向けに催したものだった(バラエティ誌、2003年)。公演は数日前に決まり、告知は前日だった(ビルボード、2003年)。SEX PISTOLSの「Bodies」で始まり、「Set Me Free」、STONE TEMPLE PILOTSの「Sex Type Thing」、GUNS N' ROSESの「It's So Easy」、新曲の「Slither」と続け、アンコールではNIRVANAの「Negative Creep」を演奏した。客席にはデイヴ・グロールやAng Leeの姿があり、バンドはこの時点でまだどのレーベルとも契約していなかった(ローリング・ストーン誌、2003年)。

『Contraband』(2003〜2004年)

2003年の夏から秋にかけて、バンドはプロデューサーの候補と試しに録音を重ねた。ボブ・エズリンとは「Slither」を録り、ニック・ラスクリネッツともスタジオに入り、ジョシュ・エイブラハムとは「Loving the Aliens (Sometimes)」と仮に題された曲に取り組んだ(ビルボード、2003年)。9月にはRCAとの契約が伝えられた(ビルボード、2003年)。会長のクライヴ・デイヴィスが自らリハーサルを見に来て熱心に誘ったことが、決め手の一つになったという(RCAの公式バイオグラフィー/ブラバマウス、2004年)。アルバムはジョシュ・エイブラハムがバンドと共同で制作し、アンディ・ウォレスがミックスを手がけ、2003年12月19日にニューヨークでマスタリングされた(ブラバマウス、2004年)。ウェイランドは、アルバムの歌詞はおおむね、毒のような関係と、別れと離婚が自分に残した傷について書いたものだと語っている(RCAの公式バイオグラフィー/ブラバマウス、2004年)。

制作のあいだも、ウェイランドの法的な問題は続いた。2003年8月にはバーバンクで見つかったヘロインの所持について争わない答弁をし、10月27日にはハリウッドで駐車中の車に自分の車をぶつけて、薬物や酒の影響下での運転の罪に問われた。2004年1月には、許可より早く施設を出たとして、入所型の解毒施設に戻るよう命じられている(フォックス・ニュース、2004年/ブラバマウス、2008年)。施設からは一日に数時間だけ外に出ることを許され、その時間で『Contraband』の録音を仕上げた(ローリング・ストーン誌、2005年)。このため、2004年3月に組まれていた宣伝のツアーは延期された(ブラバマウス、2004年)。マッケイガンはウェイランドをワシントン州の山あいに連れて行き、武術の師のもとで薬を断たせている。マッケイガンは2026年に、チェラン湖のそばで2か月ほどを過ごしたと振り返った(RCAの公式バイオグラフィー/ブラバマウス、2004年/ブラバマウス、2026年)。ウェイランドは薬物の更生プログラムを終え、2003年の麻薬所持の罪は2005年7月に取り下げられた(CBSニュース、2005年/ローリング・ストーン誌、2005年)。

発売日は4月27日から5月11日、5月18日へと順に延びた(ブラバマウス、2004年)。最初のシングル「Slither」は4月20日から配信で売り出され、Kevin Kerslakeが監督したビデオは4月27日にMTV2で初めて流れた(ブラバマウス、2004年)。バンドは5月13日にセントルイスから最初のツアーを始めた(Pollstar、2004年)。

『Contraband』は2004年6月8日にアメリカでRCAから発売された(RIAA/Pollstar、2004年)。その夜、バンドはロサンゼルスのWiltern Theatreで2夜公演の初日に臨んでいる(Pollstar、2004年)。アルバムは初週に25万6,000枚を売ってBillboard 200の1位で初登場し(ビルボード、2004年)、51週にわたってチャートにとどまった(ビルボード)。RIAAは2004年7月12日にゴールド、8月4日にプラチナ、2005年7月26日にダブル・プラチナに認定している(RIAA)。「Slither」はBillboardのメインストリーム・ロック・チャートで9週、オルタナティヴ・ロックのチャートで4週にわたって1位を占め、Billboard Hot 100でも56位に入った。続く「Fall to Pieces」はメインストリーム・ロック・チャートで11週にわたって1位を続け、オルタナティヴ・ロックのチャートで2位、Hot 100で67位を記録し、「Dirty Little Thing」もメインストリーム・ロック・チャートの8位まで上がった(ビルボード)。「Slither」と「Fall to Pieces」は、シングルとしてもゴールドに認定された(RIAA)。この年のKerrang! Awardsでは、最優秀インターナショナル新人賞を受けている(ブラバマウス、2004年)。

グラミー賞と世界ツアー(2005年)

2005年2月13日、ロサンゼルスのStaples Centerで開かれた第47回グラミー賞で、「Slither」は最優秀ハード・ロック・パフォーマンス賞を受けた。『Contraband』は最優秀ロック・アルバム部門の、「Fall to Pieces」は5人の作者の名で最優秀ロック・ソング部門の候補にも挙がっていた(グラミー賞公式サイト/ビルボード、2005年)。授賞式では、インド洋の大津波の被災者を支援するために、THE BEATLESの「Across the Universe」を大勢の歌手が歌い継ぐ演奏があり、VELVET REVOLVERがその伴奏を務め、ウェイランドも歌い手の一人に加わった(ビルボード、2005年/グラミー賞公式サイト)。

3月19日にはフェニックスからアリーナ規模のツアーを始め(ビルボード、2005年)、7月2日にはロンドンのハイド・パークで開かれたLive 8にも出演した(ハリウッド・リポーター紙、2005年/ステレオガム、2005年)。5月のツアーの合間にローリーとクリーヴランドで録音した新曲「Come On, Come In」は、7月5日にWind-up Recordsから出た映画『Fantastic Four』のサウンドトラック盤に収められた。制作はバンドとDoug Grean、ニック・ラスクリネッツで、ビデオはウェイン・アイシャムが監督した(ブラバマウス、2005年/ビルボード、2005年)。8月にはソーラムがボートの事故で手を骨折し、8月11日からの6、7公演はブライアン・ティッシーが代わりに叩いた(ブラバマウス、2005年)。8月23日から9月4日まではOzzfestのメイン・ステージに立っている(ブラバマウス、2005年)。この年のほとんどをツアーに費やし、年末の時点で『Contraband』のアメリカでの売り上げは180万枚に達していた(ビルボード、2005年)。

『Libertad』(2006〜2007年)

2005年の暮れ、ウェイランドは次のアルバムには明確なコンセプトがあると語っていた(ビルボード、2005年)。バンドは2006年8月にリック・ルービンと食事をして制作を頼んだ。その時点で30曲を書きためていたが、ルービンにさらに曲を求められ続けて50曲に達したところで別の道を選び、代わってブレンダン・オブライエンが制作にあたった(ビルボード、2007年)。録音は2007年の初めからロサンゼルスで進められた(ブラバマウス、2007年)。

2007年3月12日、ニューヨークのWaldorf Astoriaで開かれたロックの殿堂の式典で、VELVET REVOLVERはVAN HALENを殿堂に迎える役を務めた(ロックの殿堂/ブラバマウス、2007年)。デイヴィッド・リー・ロスも一緒に1曲歌うはずだったが、式典までの2週間で話がまとまらなくなり、ロスは姿を見せなかった(ブラバマウス、2007年・2011年)。

4月には南米を回り(ビルボード、2007年/ブラバマウス、2007年)、5月にはアメリカとカナダの小さめの会場を中心に12公演を行った(RCAの発表/ブラバマウス、2007年)。発売日は5月29日から7月3日に移され、最初のシングルは「She Builds Quick Machines」に決まった(ビルボード、2007年)。アルバムの題名は、マッケイガンが「Libertad」と書かれたTシャツを着てスタジオに現れ、スラッシュが同じ言葉の刻まれた硬貨を見つけたことから生まれたもので、スペイン語で自由を意味する(RCAの発表/ブラバマウス、2007年)。ヨーロッパでは6月に、「She Builds Quick Machines」と「Just Sixteen」、録音の時期に収めたTALKING HEADSの「Psycho Killer」のカヴァー、「Do It for the Kids」、制作の様子を記録した映像を収めたEP『Melody and the Tyranny』が出た(ブラバマウス、2007年)。

『Libertad』は2007年7月3日にアメリカでRCAから発売された(ビルボード、2007年/RCAの発表/ブラバマウス、2007年)。7月5日には、ロサンゼルスのWhisky a Go Goで発売を祝う公演を行っている(ブラバマウス、2007年)。初週の売り上げは9万2,000枚で、Billboard 200の5位で初登場した(ビルボード、2007年)。前作の初週の半分にも届かず(ブラバマウス、2007年)、2008年11月の時点でのアメリカでの売り上げは30万2,000枚だった(ビルボード、2008年)。シングルは「She Builds Quick Machines」がメインストリーム・ロック・チャートの2位、「The Last Fight」が16位に入った(ビルボード)。「The Last Fight」はウェイランドの兄弟の死から生まれた曲の一つで、ウェイランドはアルバムをその兄弟に捧げている(ブラバマウス、2007年)。

8月5日からは、ボルティモアのPimlico Race Courseを皮切りに、ALICE IN CHAINSと北米を10月まで回った(ブラバマウス、2007年)。マッケイガンはのちに、聴き手も批評家も『Libertad』には『Contraband』ほどの機会を与えなかったと振り返り(ブラバマウス、2011年)、ソーラムは、良いアルバムだが1作目にあった切迫感には欠けていたと語っている(ブラバマウス、2022年)。

ウェイランドの脱退(2007〜2008年)

2007年11月21日、ウェイランドはロサンゼルスの高速道路で事故を起こして逮捕され、薬物の影響下での運転の罪に問われた(ブラバマウス、2008年)。12月に組まれていたオーストラリアのツアーは延期された(ブラバマウス、2008年)。スラッシュによれば、ウェイランドはこのとき更生施設に入るはずだったが入らず、それがとどめになったという(ブラバマウス、2008年)。

バンドは2008年1月24日、シカゴから北米、オーストラリア、ヨーロッパを回るツアーに出た。スラッシュは、ツアーを終えたらすぐに3作目に取りかかりたいと語っていた(ビルボード、2008年)。しかしウェイランドは、それに先立つ1月20日にユタ州パークシティで映画祭Sundanceに合わせて開かれた公演に、乗った飛行機が悪天候で行き先を変えたために現れず、2月6日のロサンゼルス公演の後には自ら更生施設に入った。2月15日から20日までのオーストラリアの5公演は取りやめになり、バンドは3月8日のドバイのDesert Rockと、3月15日から27日までのイギリスのツアーに向かった(ブラバマウス、2008年)。

3月20日のグラスゴー公演で、ウェイランドは客席に向かってこれがVELVET REVOLVERの最後のツアーだと告げ、数曲後にはマイクを投げ出して舞台を降りた。ソーラムは翌日、バンドの中のもめごとをネットで認め、ウェイランドもこれに言い返した(ブラバマウス、2008年/アルティメット・クラシック・ロック、2023年)。スラッシュはのちに、バンドはツアーの最後の行程に出る前からウェイランドと別れる腹を決めており、ツアーの間はほとんど口もきかなかったと明かした。ウェイランドが舞台を降りたのは、ドラム・テクニシャンが自分と一緒に歌っていると思い込んだためだったという(ブラバマウス、2008年/ギター・ワールド誌、2008年)。

4月1日、アムステルダムのHeineken Music Hallでヨーロッパのツアーを終えたその日に、スラッシュ、マッケイガン、ソーラム、クシュナーの4人はウェイランドと別れることを発表した。スラッシュは、ますます常軌を逸していくウェイランドの舞台での振る舞いと私生活の問題を理由に挙げた(ブラバマウス、2008年/アルティメット・クラシック・ロック、2023年)。翌日、ウェイランドはMTVニュースに声明を寄せて反論した。バンドに正式な名を付けたのは自分であり、グラスゴーですでにバンドは終わりだと告げていたと述べ、メンバーのほとんどが更生施設に入った経験を持つことを持ち出し、後任にはセバスチャン・バックがいいと書き添えた(ブラバマウス、2008年)。ウェイランドはすでにSTONE TEMPLE PILOTSに戻ることを決めており、STONE TEMPLE PILOTSは4月7日の記者会見で再結成のツアーを発表した(ブラバマウス、2008年)。ウェイランドはのちに、STONE TEMPLE PILOTSのツアーのことは前もってスラッシュに伝えてあり、グラスゴーでの言葉も本気だったと語っている(ビルボード、2008年)。2015年には、バンドには自分のものも含めてエゴが多すぎたと振り返った(ブラバマウス、2015年)。

新しい歌い手探し(2008〜2011年)

4人はすぐに後任探しにかかった。2008年4月には応募者が映像を投稿できるウェブサイトを設けたが、番組『Survivor』などを手がけたプロデューサーMark Burnettからの、選考をリアリティ番組にするという誘いは断った(ローリング・ストーン誌、2009年)。SPACEHOGのRoyston Langdonもオーディションを受けている(ビルボード、2008年)。11月には、後任を探すうえで自由に動けるようにと、バンドの求めでRCAとの契約を終えた(ビルボード、2008年)。2009年2月、マッケイガンは400人ほどの応募者から2人ほどにまで絞り込み、数週間のうちに新しい歌い手を発表できると語ったが(ローリング・ストーン誌、2009年)、発表はなかった。

クシュナーによれば、ただ一人正式に迎えられたのはフランキー・ペレスだったが、録音を重ねるうちにしっくりこなくなり、まもなく外れてもらった。BIG WRECKとSPACEHOGの歌い手とも試し、レニー・クラヴィッツと組む話も出たという(ブラバマウス、2018年)。SLIPKNOTとSTONE SOURのコリィ・テイラーとは何曲も録音し(ブラバマウス、2011年)、テイラー自身も2009年に、バンドとデモを録ったがうまくいかなかったと認めた(ローリング・ストーン誌、2009年)。録音した曲の数は、テイラーは9曲か10曲(ブラバマウス、2015年)、クシュナーは8曲と語っている(ブラバマウス、2018年)。スラッシュは2011年、テイラーの歌はこのバンドには合わなかったと述べた(ブラバマウス、2011年)。ALTER BRIDGEのマイルス・ケネディにも2009年ごろに歌い手の座を打診したが、断られている(ブラバマウス、2010年)。

スラッシュは2010年にソロ・アルバムを出し、ケネディを歌い手に迎えて各地を回った(NME、2011年/ブラバマウス、2010年)。2011年4月には、自分のバンドに専念するため、少なくともこの先2年ほどはVELVET REVOLVERで何かが起きることはないだろうと語っている(ブラバマウス、2011年)。この間の2010年、スラッシュ、マッケイガン、ソーラムは、Macy Grayのアルバム『The Sellout』の「Kissed It」にVELVET REVOLVERの名で加わった(ブラバマウス、2010年)。2010年11月には、『Contraband』のツアーの途中にテキサス州ヒューストンで撮影したライヴ映像作品『Live in Houston』が、Eagle Visionから出ている(ブラバマウス、2010年)。

2011年9月13日、ニューヨークのBest Buy Theaterで、依存症などに苦しむ若者を支える団体Road Recoveryの慈善公演が開かれ、スラッシュをたたえるステージにマッケイガン、ソーラム、クシュナー、GUNS N' ROSESにいたギルビー・クラークが集まった(アルティメット・クラシック・ロック、2011年/NME、2011年)。OURSのJimmy Gneccoがここで「Slither」「It's So Easy」と、ジミ・ヘンドリックスの「Hey Joe」を歌い(ブラバマウス、2011年)、12月にはソーラムが、ほかのメンバーがGneccoを試していると明かした(アルティメット・クラシック・ロック、2011年/Loudwire、2011年)。

一夜限りの再結成(2012年)

2011年8月20日、映画やテレビの音楽を手がけた作曲家John O'Brienが、シカゴのホテルの部屋で亡くなっているのが見つかった。45歳だった(ブラバマウス、2011年)。幼なじみのクシュナーは、残された家族のために慈善公演を開こうと考え、Road Recoveryの公演の折にスラッシュ、マッケイガン、ソーラムの了解を取りつけてから、ウェイランドにも声をかけた(ローリング・ストーン誌、2012年)。

2012年1月12日、ウェスト・ハリウッドのHouse of Bluesで開かれた「Love You Madly: A Concert for John O'Brien」で、5人はおよそ4年ぶりにそろってステージに立った。MAROON 5のAdam LevineとJames Valentine、シェリル・クロウ、トム・モレロ、Stephen Stillsらも出演している(ブラバマウス、2011年/ローリング・ストーン誌、2012年/スピン誌、2012年)。演奏したのは「Sucker Train Blues」「She Builds Quick Machines」「Slither」と、PINK FLOYDの「Wish You Were Here」の4曲である(ローリング・ストーン誌、2018年/NME、2012年)。

休止とウェイランドの死(2012〜2015年)

再結成の後、ウェイランドはSTONE TEMPLE PILOTSとVELVET REVOLVERの両方で活動してもかまわないと語り(ローリング・ストーン誌、2012年)、2012年5月にはラジオの取材に、バンドはもう3作目の曲を書いていると述べた。スラッシュはすぐにミネアポリスのラジオ局93Xで、後戻りするつもりはないとこれを打ち消した(NME、2012年)。2012年12月にもウェイランドはバンドに戻ったと言い張ったが、2013年2月27日、STONE TEMPLE PILOTSはウェイランドを解雇したと発表した(Loudwire、2013年)。

2014年5月、スラッシュは近く歌い手のオーディションがあると語った(ブラバマウス、2014年)。しかし8月にはマッケイガンが、オーディションが行われているとは聞いていないと述べ、ウェイランドが戻る可能性については、それはもう終わった話だと答えた。スラッシュも、バンドは眠っているが水面下では動いていると語った(ブラバマウス、2014年)。ウェイランドは同じ2014年に、いくつかの公演を一緒にやらないかとメンバーに持ちかけたと語っている(ローリング・ストーン誌、2018年)。

2015年12月3日、ウェイランドは、自分のバンドTHE WILDABOUTSとのツアーの途中に、ミネソタ州ブルーミントンでツアー・バスの中で亡くなっているのが見つかった。48歳だった(ローリング・ストーン誌、2015年/ビルボード、2015年/NBCニュース、2015年)。ヘネピン郡の検視官は、死因をコカイン、アルコール、MDAの過剰摂取による事故死と発表した(ローリング・ストーン誌、2015年/NBCニュース、2015年)。VELVET REVOLVERのメンバーはマッケイガンのFacebookで連名の声明を出し、どんなにつらい時期にもウェイランドへの希望と愛を失わなかったと記した(ローリング・ストーン誌、2015年/アルティメット・クラシック・ロック、2015年)。ソーラムは衛星ラジオの番組で、彼とはもう和解できていたと思うと語り(ビルボード、2015年)、スラッシュはその年の大晦日、ラスヴェガスのHouse of Bluesでの自分の公演で「Sucker Train Blues」をウェイランドに捧げた(Loudwire、2016年)。

GUNS N' ROSESへの復帰と再結成をめぐる発言(2016〜2026年)

2016年1月、スラッシュとマッケイガンがアクセル・ローズとともにGUNS N' ROSESとしてCoachellaに出演することが正式に発表され(ビルボード、2016年/NME、2016年)、4月1日、ウェスト・ハリウッドのTroubadourでの公演から再結成の活動が始まった(ブラバマウス、2016年/NME、2016年)。ソーラムは加わっていない。ソーラムは2022年の回想録で、再結成をうわさで知り、マッケイガンからアクセル・ローズが自分のドラマーを使いたがっていると聞かされたと明かしている(ブラバマウス、2026年)。2018年6月には、GUNS N' ROSESがベルリンのOlympiastadionでの公演で「Slither」を演奏した(ローリング・ストーン誌、2018年)。

2024年9月13日には、『Contraband』の20周年記念盤『Contraband (20th Anniversary)』が、新しいリマスターの本編に6曲を加えて、2枚組のアナログ盤と配信で出た。CDは日本でのみ、9月25日に2枚組で発売された(アルティメット・クラシック・ロック、2024年/BraveWords、2024年/ソニーミュージック)。

メンバーはその後もこのバンドを振り返っている。ソーラムは2022年、1作目が成功した後で皆が悪い習慣に戻り、バンドは内側から崩れたと語った(ブラバマウス、2022年)。2026年1月には、長く続いていればGUNS N' ROSESほど大きくなれたかもしれないと述べ、3度の候補のうち1度受けたグラミー賞を大きな出来事として振り返った(ブラバマウス、2026年)。9月には、マサチューセッツ州ウースターのラジオ局100 FM The Pikeで、HALESTORMのリジー・ヘイルを歌い手に迎えての再結成について問われ、自分はやると答えた(ブラバマウス、2026年/Loudwire、2026年)。10月にはマッケイガンがポッドキャスト『Finding Your Summit』で、1作目の制作と最初のツアーの間はウェイランドが薬から離れていたこと、2作目のツアーではすべてが崩れていったことを語っている(ブラバマウス、2026年)。

メンバーについて

スラッシュは2016年からGUNS N' ROSESに戻っており、その前の2010年からはマイルス・ケネディを歌い手とする自分のバンドで活動を続けていた(ブラバマウス、2010年/Loudwire、2016年)。マッケイガンは2010年の半年ほどJANE'S ADDICTIONに加わり、アルバム『The Great Escape Artist』のために3曲を共作したが、演奏には加わっていない。2013年からはソーラムやギルビー・クラークも名を連ねるKINGS OF CHAOSで活動した(アルティメット・クラシック・ロック、2016年)。ソロでは2019年に『Tenderness』を、2023年に『Lighthouse』を出しており、『Lighthouse』では「Hope」にスラッシュが、「I Just Don't Know」にALICE IN CHAINSのジェリー・カントレルが加わっている(ブラバマウス、2019年・2023年)。

マッケイガンとソーラムは、アリス・クーパーが率いるHOLLYWOOD VAMPIRESのリズム隊も務めた(アルティメット・クラシック・ロック、2016年)。ソーラムは2018年、BLACK SABBATHのギーザー・バトラーが立ち上げたDEADLAND RITUALに、ビリー・アイドルのバンドでギターを弾くスティーヴ・スティーヴンス、そして一時はVELVET REVOLVERの歌い手に決まっていたフランキー・ペレスとともに加わった(ローリング・ストーン誌、2018年)。2022年には回想録『Double Talkin' Jive』を出している(ブラバマウス、2022年)。2012年には女優のJane Lynchと、公立小学校の音楽教育を支える団体Adopt The Artsを立ち上げ、2026年にはその活動のためのライヴ盤『Sound & Vision Live』を制作した(ブラバマウス、2026年)。

クシュナーは、2008年に放送が始まったテレビ・ドラマ『Sons of Anarchy』の主題曲をBob Thiele Jr.と共作し(ブラバマウス、2008年)、2009年のエミー賞で、主題曲を対象とする部門の候補に挙がった(ブラバマウス、2009年/テレビジョン・アカデミー)。

ディスコグラフィ

スタジオ・アルバム2作と、ヨーロッパで出たEP、ライヴ映像作品2作、『Contraband』の20周年記念盤を、最初に出た年の順に並べる。このほかに、映画のために録音した「Money」(『The Italian Job』、2003年)、「Set Me Free」(『Hulk』、2003年)、「Come On, Come In」(『Fantastic Four』、2005年)がある(ローリング・ストーン誌、2003年/バラエティ誌、2003年/ビルボード、2005年)。「Set Me Free」はのちに『Contraband』にも収められた。

発売題名種別レーベル備考
2004年Contrabandスタジオ・アルバムRCA RecordsBillboard 200で初登場1位。RIAAのダブル・プラチナ。「Slither」で第47回グラミー賞を受賞
2007年Melody and the TyrannyEPRCA Recordsヨーロッパで発売。『Libertad』からの2曲、TALKING HEADSの「Psycho Killer」のカヴァー、「Do It for the Kids」と、制作の記録映像を収める
2007年Libertadスタジオ・アルバムRCA Recordsブレンダン・オブライエンの制作。Billboard 200で初登場5位
2010年Live in Houstonライヴ映像作品(DVD)Eagle Vision『Contraband』のツアーの途中にヒューストンで撮影
2012年Let It Roll – Live in Germanyライヴ映像作品(DVD)Eagle Vision2008年3月にケルンで撮影された公演(Rockpalast)
2024年Contraband (20th Anniversary)スタジオ・アルバムの記念盤Legacy Recordings/RCA Records元の13曲に6曲を加えたデラックス・エディション

日本公演

日本盤は、2004年6月2日にBMGファンハウスから出た『Contraband』に始まる。ほかの国に先がけた日本先行発売で、ボーナス・トラックとしてSEX PISTOLSのカヴァー「Bodies (Live)」を加え、オリコンのアルバム・チャートで最高6位を記録した(ソニーミュージック、タワーレコード、オリコン)。2005年2月23日には、来日に合わせた2枚組の『Contraband』ジャパン・ツアー・スペシャル・エディションが2か月の期間限定で出た。2枚目には、CHEAP TRICKの「Surrender」、AEROSMITHの「No More No More」、NIRVANAの「Negative Creep」のカヴァーと、「Slither」「Fall to Pieces」のミュージック・ビデオなどが収められていた(ソニーミュージック、タワーレコード、BARKS)。『Libertad』の日本盤は2007年6月27日にBMG JAPANから出て、ボーナス・トラック1曲を加え、オリコンで最高13位に入った(ソニーミュージック、タワーレコード、オリコン)。同じ年の7月25日には南米ツアーのドキュメンタリーDVDを付けたデラックス・エディションが、11月21日には「来日記念」と銘打ったスーパー・デラックス・エディションが出た(ソニーミュージック、タワーレコード)。2013年10月9日には、2作がBlu-spec CD2で再発された(ソニーミュージック)。2024年9月25日には、アルバム本編とボーナス・トラック6曲を2枚のBlu-spec CD2に収めた『Contraband (20th Anniversary)』が、紙ジャケット仕様の完全生産限定盤としてソニー・ミュージックジャパンインターナショナルから出た。海外では9月13日に配信とLPで出たもので、CDでの発売は日本独自のものであった(ソニーミュージック、タワーレコード、HMV)。

VELVET REVOLVERの初来日は2005年2月で、クリエイティブマンが主催する冬のフェスティバルSONICMANIA 05への出演に、名古屋・大阪・東京での単独公演を組み合わせたものであった(クリエイティブマン)。2月2日に名古屋のクラブ・ダイヤモンドホールで始まり、3日にZepp Osaka、5日にSONICMANIA 05の大阪公演(インテックス大阪)、6日に同じく東京公演(幕張メッセ)、8日と9日にZepp Tokyoで演奏した。SONICMANIA 05ではどちらの日もMARILYN MANSONの前に出演し、Zepp Tokyoの2日目は売り切れとなった(クリエイティブマン、SONICMANIA 05公式サイト、Zepp Tokyo、DIAMOND HALL)。2007年には、11月26日のZepp Osakaから、27日のZepp Nagoya、29日のYokohama BLITZを経て、30日の日本武道館に至る4公演の日本ツアーが組まれた。日本武道館はバンドにとって初めての公演になるはずだったが、メンバーのビザの申請が認められず、11月14日にツアーの中止が発表された(クリエイティブマン、BARKS)。マネージメントは、前回の来日の時より審査が厳しくなり、逮捕歴を含むメンバーの経歴が妨げになったと説明している(クリエイティブマン、Blabbermouth)。2008年10月には、ダフ・マッケイガンが自身のバンドDUFF McKAGAN'S LOADEDを率いて来日し、19日にさいたまスーパーアリーナのLOUD PARK 08に、20日に渋谷CLUB QUATTROに出演した。当時の報道は、彼をVELVET REVOLVERの現役のベーシストとして紹介している(タワーレコード、BARKS)。結局、2005年2月の6公演が、VELVET REVOLVERとして日本で行った唯一の公演となった。

日付会場公演
2005年2月2日クラブ・ダイヤモンドホール(愛知)初来日の初日。単独公演
2005年2月3日Zepp Osaka(大阪)単独公演。最初の発表の後に追加された
2005年2月5日インテックス大阪(大阪)SONICMANIA 05の大阪公演。MARILYN MANSONの前に出演
2005年2月6日幕張メッセ(千葉)SONICMANIA 05の東京公演。OCEAN STAGEに出演
2005年2月8日Zepp Tokyo(東京)単独公演
2005年2月9日Zepp Tokyo(東京)来日の最終日。売り切れ

出典について

出典は、RCA Recordsがバンドの公式バイオグラフィーとして出した文章(2004年、ブラバマウスに全文が載ったもの)とRCAの発表、RIAA(アメリカレコード協会)のゴールド&プラチナ認定のデータベース、グラミー賞(レコーディング・アカデミー)の公式サイト、ロックの殿堂、テレビジョン・アカデミー(エミー賞)、ビルボード(チャートの記録と記事)、ローリング・ストーン誌、バラエティ誌、ブラバマウス、アルティメット・クラシック・ロック、Loudwire、NME、スピン誌、ギター・ワールド誌、タイム誌、ハリウッド・リポーター紙、Pollstar、ステレオガム、アメリカン・ソングライター誌、antiMUSIC、フォックス・ニュース、CBSニュース、NBCニュースである。作品のレーベル、発売日と曲目の一部はMusicBrainzで確かめた。

Trivia

2007年11月26日から30日にかけて、VELVET REVOLVERは『Libertad』を携えた来日公演4本(Zepp Osaka、Zepp Nagoya、横浜BLITZ、東京の日本武道館。主催はクリエイティブマン)を行うはずだったが、日本の入国管理当局がビザを出さず、公演はすべて中止になった。バンドの公式サイトと主催者が伝えた告知は、当局が複数のメンバーの経歴(逮捕歴を含む)を問題にしたと説明している。バンドは日本のファンに謝罪し、2005年には成功したツアーのためにビザが出たのに今回はなぜ拒まれたのか理解できないとの声明を出して不服を申し立て、12月4日からのオーストラリア公演は行うとした。AP通信は、法務省は個別の事案に論評しないこと、出演者の入国が拒まれるのはまれであることを伝えている。

出典: Blabbermouth.net「VELVET REVOLVER: We Don't Understand Why We've Been Denied Japanese Visas」(2007年11月15日)

Classic Rock誌によれば、元GUNS N' ROSESの3人で曲を書くうち、スラッシュの頭の中ではその曲をスコット・ウェイランドが歌う声が鳴るようになり、スラッシュはSTONE TEMPLE PILOTSのこの歌い手に曲を収めたCDを送った。だがウェイランドは乗り気ではなかった。2011年の回想録では、最初のCDは好きになれなかったBAD COMPANY風のクラシック・ロックに聞こえたと書き、長年の協力者Doug Greanは、ウェイランドがアクセル・ローズの代わりは務まらないと言っていたと振り返っている。扉を開いたのは映画の仕事だった。バンドにはPINK FLOYDの「Money」のカヴァーなどサウンドトラックの依頼が来ており、ウェイランドもジャムに顔を出すことに同意した。回想録によれば、まだ薬物を断てずにいた彼は何時間も遅れて到着し、音楽業界の重役が詰めかけ、GUNS N' ROSESの3人とウェイランドの新バンドの発表のように仕立てられた場に面食らったという。

出典: Rolling Stone「Scott Weiland's Near-Salvation: Velvet Revolver, Martial Arts and Money」(回想録『Not Dead and Not for Sale』の抜粋、2011年5月13日)

2005年2月の第47回グラミー賞で、VELVET REVOLVERとメンバーは3部門の候補になった。「Slither」が最優秀ハード・ロック・パフォーマンス、『Contraband』が最優秀ロック・アルバム、そして作者に贈られる最優秀ロック・ソングに「Fall to Pieces」が5人の名前で挙がった。受賞したのは「Slither」で、残る2部門はGREEN DAYの『American Idiot』とU2の「Vertigo」に渡った。スラッシュはのちに、会場に着くのが遅れて受賞の場に立てなかったと明かしている。2月13日にステイプルズ・センターから中継された授賞式では、ボノ、スティーヴィー・ワンダー、スティーヴン・タイラー、スコット・ウェイランドらが歌った津波被災地支援の「Across the Universe」でバックを務め、この録音は終演後すぐにiTunesで配信され、収益は赤十字に寄付された。

出典: Recording Academy(grammy.com)「Dave Kushner」受賞・ノミネート一覧(2026年10月16日参照)

スコット・ウェイランドの回想録によれば、「Fall to Pieces」は彼がバーバンクに作ったスタジオLavishで生まれた。スラッシュのリフをもとにウェイランドとダフ・マッケイガンが夜更けに仕上げ、自身のヘロイン依存と向き合うこと、あるいは向き合えずにいることを歌う曲になった。崩れつつあった妻Mary Forsberg Weilandとの関係も歌い込まれている。ミュージック・ビデオもウェイランドの薬物との闘いから着想された。Mary Forsberg Weilandはのちに自身の回想録を書き、その題を『Fall to Pieces』とした。

出典: Rolling Stone「Scott Weiland's Near-Salvation: Velvet Revolver, Martial Arts and Money」(回想録『Not Dead and Not for Sale』の抜粋、2011年5月13日)

歌い手を探していた間、バンドは「the Project」と呼ばれていた。スラッシュの自伝によれば、Revolution Studiosの映画を観た際に「revolution」という語から「Revolver」を思いつき、ダフ・マッケイガン、マット・ソーラム、スコット・ウェイランドとユニバーサルで映画『Hulk』の試写に集まったときにこれを提案した。ウェイランドはベルベットの柔らかさと銃の取り合わせを狙った「Black Velvet Revolver」を出し、スラッシュが間を取ろうと持ちかけて、全員一致でVELVET REVOLVERに決まった。もっとも2003年5月の時点で、ウェイランドはRolling Stone誌に新バンドの名前は「Reloaded」だと話していた。2008年には、バンドに正式に名前を付けたのは自分だとウェイランドが主張している。

異説あり出典: American Songwriter「Meaning Behind the Band Name of the Rock Supergroup Velvet Revolver」(2023年8月11日)

元GUNS N' ROSESの3人が再び同じステージに立ったのは、2002年4月29日にロサンゼルスのKey Clubで開かれた、オジー・オズボーンのバンドやMÖTLEY CRÜEで叩いたドラマーのランディ・カスティロを追悼する慈善公演である。スラッシュがBUCKCHERRYでギターを弾くキース・ネルソンに声をかけ、歌はジョシュ・トッドが務めた。GUNS N' ROSESの「It's So Easy」と「Paradise City」のほか、SEX PISTOLS、ROSE TATTOO、BUCKCHERRYの曲を演奏し、AEROSMITHの「Mama Kin」にはスティーヴン・タイラーが加わった。トッドによれば、5人はその後ひと月ほどバンドとして曲を書き、マネージャーとの面談やバンド名の相談まで進めたが、スラッシュが突然手を引いた。トッドは、スラッシュには別の歌い手の心づもりがあったのだろうと推し量り、BUCKCHERRYが『15』を作れたのだから双方にとって良い結果だったと振り返っている。

出典: Blabbermouth.net「JOSH TODD On Fronting Short-Lived Group With SLASH And DUFF MCKAGAN: 'It Felt Like BUCKCHERRY, But With Really Great Players'」(2019年12月4日)

1991年にGUNS N' ROSESを離れたイジー・ストラドリンも、結成のごく初期には加わっていた。Ultimate Classic Rockはその期間を2002年の2週間としており、Variety誌は、まだ名前のなかったバンドとストラドリンが約10曲を共作したと伝えている。スコット・ウェイランドの回想録によれば、ストラドリンはいったん加わったもののほどなく抜け、代わりにデイヴ・クシュナーが入った。2004年9月7日のパリ公演にはストラドリンが飛び入りし、GUNS N' ROSESの「I Used to Love Her」と「It's So Easy」を一緒に演奏した。この2曲でスラッシュはトレードマークのシルクハットをかぶったという。フランスのRock Hard誌のOlivier Rouhetによれば、その日の午後にホテルでメンバーと過ごしていたストラドリンに、居合わせた大勢の記者は気づかなかった。

出典: Blabbermouth.net「Another GUNS N' ROSES Semi-Reunion: STRADLIN Jams With VELVET REVOLVER In Paris」(2004年9月8日)

2003年3月の時点で、VH1が新バンドの歌い手探しから曲作り、スタジオでの作業までを撮影していた。スラッシュはMTV.comに、これはドキュメンタリーでありリアリティ番組ではない、自宅にも食事にもガソリンスタンドにもカメラはついて来ないと念を押している。デモテープの公募のほか、オーディションにはセバスチャン・バック、ジョシュ・トッド、ケリー・シェイファー、Pat Briggs、トラヴィス・ミークスらが参加し、撮影が始まってから来た有力候補少なくとも3人のうち1人は撮影を断った。スラッシュは2014年、バックが歌うと「Skid N' Roses」のようになり、予想どおりに過ぎたと振り返っている。番組は2004年、『Inside Out: The Rise of Velvet Revolver』としてVH1で放送された。

出典: Blabbermouth.net「Ex-GUNS N' ROSES Guitarist On VH1 Documentary: 'Don't Call It A Reality Show'」(2003年3月26日)

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News

DUFF MCKAGAN、VELVET REVOLVERの終わりを回想 「最後のツアーはずっと車輪が外れかけていた」

ポッドキャスト『Finding Your Summit』で、Scott Weilandと2作目の頃の状況について語った。

出典: Blabbermouth(2026年10月12日)

マット・ソーラム、リジー・ヘイルを迎えたVELVET REVOLVER再結成に前向き 「やるよ」

米マサチューセッツ州のラジオ局The Pikeのインタビューでの発言。ソーラムは、2026年3月2日にパーム・スプリングスのPlaza Theatreで行われた〈Sound & Vision Awards〉を収めたコンサート映画『Sound & Vision Live』をプロデュースしており、同作でBAD COMPANYの「Shooting Star」を歌ったリジー・ヘイルについて、ギーザー・バトラーが「ティナ・ターナー以来で最高の歌手だ」と語ったと明かしている。

出典: Blabbermouth(2026年9月21日)

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Albums

Contraband (20th Anniversary) CD
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『Contraband』の20周年記念盤。2024年9月13日に2枚組LPと配信で発売され、新たなリマスターの本編にライヴやカヴァーなど6曲を加えた。

Libertad CD
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VELVET REVOLVERの2作目で、最後のスタジオ・アルバム。2007年7月3日発売。ブレンダン・オブライエンが制作し、ビルボード200で5位に初登場した。

Contraband CD
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VELVET REVOLVERのデビュー作。2004年6月8日にRCAから発売され、ビルボード200で初登場1位、RIAAのダブル・プラチナに認定された。