VELVET REVOLVER TRIVIA

Trivia

2007年11月26日から30日にかけて、VELVET REVOLVERは『Libertad』を携えた来日公演4本(Zepp Osaka、Zepp Nagoya、横浜BLITZ、東京の日本武道館。主催はクリエイティブマン)を行うはずだったが、日本の入国管理当局がビザを出さず、公演はすべて中止になった。バンドの公式サイトと主催者が伝えた告知は、当局が複数のメンバーの経歴(逮捕歴を含む)を問題にしたと説明している。バンドは日本のファンに謝罪し、2005年には成功したツアーのためにビザが出たのに今回はなぜ拒まれたのか理解できないとの声明を出して不服を申し立て、12月4日からのオーストラリア公演は行うとした。AP通信は、法務省は個別の事案に論評しないこと、出演者の入国が拒まれるのはまれであることを伝えている。

出典: Blabbermouth.net「VELVET REVOLVER: We Don't Understand Why We've Been Denied Japanese Visas」(2007年11月15日)

Classic Rock誌によれば、元GUNS N' ROSESの3人で曲を書くうち、スラッシュの頭の中ではその曲をスコット・ウェイランドが歌う声が鳴るようになり、スラッシュはSTONE TEMPLE PILOTSのこの歌い手に曲を収めたCDを送った。だがウェイランドは乗り気ではなかった。2011年の回想録では、最初のCDは好きになれなかったBAD COMPANY風のクラシック・ロックに聞こえたと書き、長年の協力者Doug Greanは、ウェイランドがアクセル・ローズの代わりは務まらないと言っていたと振り返っている。扉を開いたのは映画の仕事だった。バンドにはPINK FLOYDの「Money」のカヴァーなどサウンドトラックの依頼が来ており、ウェイランドもジャムに顔を出すことに同意した。回想録によれば、まだ薬物を断てずにいた彼は何時間も遅れて到着し、音楽業界の重役が詰めかけ、GUNS N' ROSESの3人とウェイランドの新バンドの発表のように仕立てられた場に面食らったという。

出典: Rolling Stone「Scott Weiland's Near-Salvation: Velvet Revolver, Martial Arts and Money」(回想録『Not Dead and Not for Sale』の抜粋、2011年5月13日)

2005年2月の第47回グラミー賞で、VELVET REVOLVERとメンバーは3部門の候補になった。「Slither」が最優秀ハード・ロック・パフォーマンス、『Contraband』が最優秀ロック・アルバム、そして作者に贈られる最優秀ロック・ソングに「Fall to Pieces」が5人の名前で挙がった。受賞したのは「Slither」で、残る2部門はGREEN DAYの『American Idiot』とU2の「Vertigo」に渡った。スラッシュはのちに、会場に着くのが遅れて受賞の場に立てなかったと明かしている。2月13日にステイプルズ・センターから中継された授賞式では、ボノ、スティーヴィー・ワンダー、スティーヴン・タイラー、スコット・ウェイランドらが歌った津波被災地支援の「Across the Universe」でバックを務め、この録音は終演後すぐにiTunesで配信され、収益は赤十字に寄付された。

出典: Recording Academy(grammy.com)「Dave Kushner」受賞・ノミネート一覧(2026年10月16日参照)

スコット・ウェイランドの回想録によれば、「Fall to Pieces」は彼がバーバンクに作ったスタジオLavishで生まれた。スラッシュのリフをもとにウェイランドとダフ・マッケイガンが夜更けに仕上げ、自身のヘロイン依存と向き合うこと、あるいは向き合えずにいることを歌う曲になった。崩れつつあった妻Mary Forsberg Weilandとの関係も歌い込まれている。ミュージック・ビデオもウェイランドの薬物との闘いから着想された。Mary Forsberg Weilandはのちに自身の回想録を書き、その題を『Fall to Pieces』とした。

出典: Rolling Stone「Scott Weiland's Near-Salvation: Velvet Revolver, Martial Arts and Money」(回想録『Not Dead and Not for Sale』の抜粋、2011年5月13日)

歌い手を探していた間、バンドは「the Project」と呼ばれていた。スラッシュの自伝によれば、Revolution Studiosの映画を観た際に「revolution」という語から「Revolver」を思いつき、ダフ・マッケイガン、マット・ソーラム、スコット・ウェイランドとユニバーサルで映画『Hulk』の試写に集まったときにこれを提案した。ウェイランドはベルベットの柔らかさと銃の取り合わせを狙った「Black Velvet Revolver」を出し、スラッシュが間を取ろうと持ちかけて、全員一致でVELVET REVOLVERに決まった。もっとも2003年5月の時点で、ウェイランドはRolling Stone誌に新バンドの名前は「Reloaded」だと話していた。2008年には、バンドに正式に名前を付けたのは自分だとウェイランドが主張している。

異説あり出典: American Songwriter「Meaning Behind the Band Name of the Rock Supergroup Velvet Revolver」(2023年8月11日)

元GUNS N' ROSESの3人が再び同じステージに立ったのは、2002年4月29日にロサンゼルスのKey Clubで開かれた、オジー・オズボーンのバンドやMÖTLEY CRÜEで叩いたドラマーのランディ・カスティロを追悼する慈善公演である。スラッシュがBUCKCHERRYでギターを弾くキース・ネルソンに声をかけ、歌はジョシュ・トッドが務めた。GUNS N' ROSESの「It's So Easy」と「Paradise City」のほか、SEX PISTOLS、ROSE TATTOO、BUCKCHERRYの曲を演奏し、AEROSMITHの「Mama Kin」にはスティーヴン・タイラーが加わった。トッドによれば、5人はその後ひと月ほどバンドとして曲を書き、マネージャーとの面談やバンド名の相談まで進めたが、スラッシュが突然手を引いた。トッドは、スラッシュには別の歌い手の心づもりがあったのだろうと推し量り、BUCKCHERRYが『15』を作れたのだから双方にとって良い結果だったと振り返っている。

出典: Blabbermouth.net「JOSH TODD On Fronting Short-Lived Group With SLASH And DUFF MCKAGAN: 'It Felt Like BUCKCHERRY, But With Really Great Players'」(2019年12月4日)

1991年にGUNS N' ROSESを離れたイジー・ストラドリンも、結成のごく初期には加わっていた。Ultimate Classic Rockはその期間を2002年の2週間としており、Variety誌は、まだ名前のなかったバンドとストラドリンが約10曲を共作したと伝えている。スコット・ウェイランドの回想録によれば、ストラドリンはいったん加わったもののほどなく抜け、代わりにデイヴ・クシュナーが入った。2004年9月7日のパリ公演にはストラドリンが飛び入りし、GUNS N' ROSESの「I Used to Love Her」と「It's So Easy」を一緒に演奏した。この2曲でスラッシュはトレードマークのシルクハットをかぶったという。フランスのRock Hard誌のOlivier Rouhetによれば、その日の午後にホテルでメンバーと過ごしていたストラドリンに、居合わせた大勢の記者は気づかなかった。

出典: Blabbermouth.net「Another GUNS N' ROSES Semi-Reunion: STRADLIN Jams With VELVET REVOLVER In Paris」(2004年9月8日)

2003年3月の時点で、VH1が新バンドの歌い手探しから曲作り、スタジオでの作業までを撮影していた。スラッシュはMTV.comに、これはドキュメンタリーでありリアリティ番組ではない、自宅にも食事にもガソリンスタンドにもカメラはついて来ないと念を押している。デモテープの公募のほか、オーディションにはセバスチャン・バック、ジョシュ・トッド、ケリー・シェイファー、Pat Briggs、トラヴィス・ミークスらが参加し、撮影が始まってから来た有力候補少なくとも3人のうち1人は撮影を断った。スラッシュは2014年、バックが歌うと「Skid N' Roses」のようになり、予想どおりに過ぎたと振り返っている。番組は2004年、『Inside Out: The Rise of Velvet Revolver』としてVH1で放送された。

出典: Blabbermouth.net「Ex-GUNS N' ROSES Guitarist On VH1 Documentary: 'Don't Call It A Reality Show'」(2003年3月26日)

結成当初から、酒や薬を断つことが前提だった。マット・ソーラムによれば、メンバーはAEROSMITHを手本に全員がクリーンになるという約束を交わし、最初のツアーは全員がしらふで回った初めてのツアーだった。ダフ・マッケイガンはスコット・ウェイランドをワシントン州のチェラン湖に連れて行き、知り合いの武術の師範のもとで鍛えさせた。マッケイガンはその丘の上の住まいを、地面に埋め込まれたような家だったと語っている。滞在はマッケイガンの記憶では2か月ほど、ウェイランドの回想録では1か月のつもりが3か月になった。マッケイガンは『Contraband』を作ったときウェイランドはしらふだったと話すが、2作目のころには歯車が狂い始め、ソーラムも自分を含めて皆が酒や薬に戻ったと認めている。

異説あり出典: Blabbermouth.net「DUFF MCKAGAN Reflects On The End Of VELVET REVOLVER: 'The Wheels Were Coming Off Through That Whole' Last 'Tour'」(2026年10月12日)

2003年春にスコット・ウェイランドと録音した2曲のうち、先に録られたのはPINK FLOYDの「Money」のカヴァーである。バンドは同年4月、リハーサル・スタジオで映画会社とレコード会社の幹部に向けた披露演奏を行い、ユニバーサルの映画音楽部門を率いるKathy Nelsonが、映画『The Italian Job』のサウンドトラック用に「Money」の録音を依頼した。Rolling Stone誌は、この録音でウェイランドが歌い手の座に最も近づいたと伝えている。『Hulk』のための「Set Me Free」はその後で、Variety誌は6月中旬の時点で、録音から1か月も経っていないと書いている。

出典: Rolling Stone「Weiland to Front Gn'R Band」(2003年5月13日)

ユニバーサルで映画音楽を統括していたKathy Nelsonは、映画『Hulk』のために曲を探していたわけではなく、検討はするとバンドに伝えただけだったと話している。「Set Me Free」は監督のAng Leeと作曲家のダニー・エルフマンに聴かせて2人の了承を得て、劇中で使われる唯一の歌になった。VELVET REVOLVERという名前が決まったのはデッカのサウンドトラック盤が刷り上がった後だったため、盤ではスコット・ウェイランド、スラッシュ、ダフ・マッケイガン、マット・ソーラム、デイヴ・クシュナーの5人の名前でクレジットされている。曲はラジオ局に不意打ちのように届けられ、その週のアクティヴ・ロックとメインストリーム・ロックの局で最も多く新規追加された曲になった。追加は32局で、2位の15局を大きく上回った。

出典: Variety「Velvet Revolver debuts」(2003年6月18日)

バンドの初の公演は、2003年6月19日にロサンゼルスのEl Rey Theatreで開かれた招待制のイベントである。6曲のステージはSEX PISTOLSの「Bodies」で始まり、「Set Me Free」、STONE TEMPLE PILOTSの「Sex Type Thing」、スコット・ウェイランドがGUNS N' ROSESで一番好きな曲だという「It's So Easy」、新曲「Slither」と続き、アンコールではNIRVANAでドラムを叩いていたデイヴ・グロールのために「Negative Creep」を演奏した。客席にはAng Lee監督のほか、まだ契約のなかったバンドを見ようとColumbia、Warner Bros.、Island Def Jamのスカウトも来ていた。スラッシュはのちに、このころはレコードを出さずにツアーに出ることまで考えたと語っている。この夜の「Bodies」のライヴ録音は、のちにシングル「Slither」に収められた。

出典: Rolling Stone「Revolver Unload in L.A.」(2003年6月20日)

2004年6月、『Contraband』は全米で初週25万6,000枚を売ってビルボード200の1位で初登場し、アッシャーの『Confessions』を2位に押し下げた。CNET Newsは、コピー防止技術を組み込んだアルバムが全米1位になったのはこれが初めてだと伝えている。ジャケットには無断複製から保護されている旨が大きく記されていたが、SunnCommのソフトはパソコンでCDを読み込む間にShiftキーを押すだけで回避でき、関係各社もこの抜け道は以前から承知していたと認めた。ソニーミュージック(日本)のプロフィールも、US盤とUK盤がコピーコントロールCDとして史上初めてビルボードで初登場1位になったと記している。

出典: Blabbermouth.net「VELVET REVOLVER: First No. 1 Album In U.S. To Be Loaded With Anticopying Protections」(2004年6月18日)

『Contraband』の発売を目前にした2004年5月、PBSの『Frontline』は、RCAレコードが大きく賭けているバンドとしてVELVET REVOLVERを取り上げた。Los Angeles Timesの記者Jeff Leedsは、契約をめぐって各社の争奪戦があったと話し、メンバーが活動を始めた頃には100万ドル規模の録音もあったが、今作の録音費は50万ドルほどだと述べている。Hits誌編集長のLeonard J. Beerは売り上げを100万〜200万枚と見込み、150万枚なら成功だと語った。『Contraband』は2005年7月26日にRIAAのダブル・プラチナに認定され、2008年11月の時点で米国の売り上げは198万枚、『Libertad』は30万2,000枚だった。同じ月、バンドはスコット・ウェイランドの後任探しを自由に進めるためとしてRCAとの契約解除を求め、RCAもこれを受け入れた。

出典: PBS『Frontline』「The Way the Music Died」の「The Future for Velvet Revolver」(2004年5月27日掲載)

『Contraband』からのシングル2曲が、2004年にビルボードのメインストリーム・ロック・チャートで1位になった。「Slither」は9週、続く「Fall to Pieces」は11週にわたって首位に立っている。「Slither」はオルタナティヴ・チャートでも4週1位を記録し、「Fall to Pieces」は同チャートで2位まで上がった。総合チャートのHot 100では56位と67位にとどまったが、RIAAは2005年に2曲ともゴールド・シングルに認定している。

出典: Billboard「Velvet Revolver Chart History」Mainstream Rock Airplay(2026年10月15日参照)

イギリスでは2作目のほうが上位に入った。英オフィシャル・アルバム・チャートで『Contraband』は2004年6月の初登場週の11位が最高だったが、『Libertad』は2007年7月に6位まで上がっている。オフィシャル・ロック&メタル・アルバム・チャートでは2作とも1位になり、『Libertad』は2週首位に立った。『Contraband』は同チャートに通算90週とどまり、2005年7月には総合アルバム・チャートにも2週だけ戻っている。20周年記念盤が海外でアナログ盤と配信で出た2024年9月には、ロック&メタル・チャートに23位で再び登場した。

出典: Official Charts Company「CONTRABAND – VELVET REVOLVER」チャート履歴(2026年10月15日参照)

Classic Rock誌は『Contraband』を2004年の最優秀アルバムに選び、VELVET REVOLVERをその年のバンドとして取り上げた。ボストンのホテルで取材を受けたスラッシュは、称賛は話半分に聞いているが、このアルバムで自分がまだ上達していると感じられ、今やっていることがこれまでで最高だと語っている。10年後、同誌は200号で、創刊の1998年11月以降の曲から最高の200曲を選び、「Slither」を7位に挙げた。

出典: Louder「Archive: Velvet Revolver - The Band Of 2004!」(Classic Rock誌75号の記事、2004年12月15日)

2005年7月2日、VELVET REVOLVERはロンドンのハイド・パークで開かれた世界の貧困問題を訴えるイベント<Live 8>に出演し、「Do It for the Kids」「Fall to Pieces」「Slither」を演奏した。同じ日のステージには、デヴィッド・ギルモア、ロジャー・ウォーターズ、ニック・メイスン、リチャード・ライトの4人が24年ぶりにPINK FLOYDとしてそろい、2年前にVELVET REVOLVERがスコット・ウェイランドと映画『The Italian Job』のためにカヴァーした「Money」も演奏している。

出典: BARKS「<ライヴ8>ロンドン公演のセット・リスト」(2005年7月5日)

「Dirty Little Thing」の作者には、5人のほかにBUCKCHERRYのキース・ネルソンの名前がある。2002年にジョシュ・トッドとともにスラッシュらと短期間バンドを組んだネルソンは、この曲の作者として『Contraband』に名前を残した。2008年8月には、別の人物が名乗りを上げた。イギリスのバンドVOODOO SIXでベースを弾くトニー・ニュートンによれば、ロサンゼルスの友人がラジオでニュートンの曲だと思った曲を耳にして電話してきたといい、ニュートンの出版社ユニバーサルは、そのリフとメロディが、ニュートンが以前のバンドDIRTY DEEDSで1999年に発表した「Cyber Babe」の写しだと申し立てた。報道によれば、VELVET REVOLVERは和解に応じ、この曲の印税の20%をニュートンに譲った。

出典: Rolling Stone「Velvet Revolver Settle Plagiarism Case, Pay Another Band's Bassist Lead Singer-Worthy Money」(2008年8月20日)

スコット・ウェイランドが『Libertad』(スペイン語で「自由」)を仮題として初めて口にしたのは、2005年12月にラスベガスで開かれたRadio Music Awardsのレッドカーペットでのことで、10〜12曲を寄せ集めてシングル3曲を支えるような作品ではなく、『Exile on Main St.』や『The Dark Side of the Moon』のようなコンセプト・アルバムにしたいと語った。題名の由来の説明は食い違う。2007年4月のレーベルの発表でウェイランドは、完成間近に「自由」という考えが何度も浮かび、そこへダフ・マッケイガンが「Libertad」と書かれたTシャツで現れ、スラッシュがその語の刻まれた硬貨を見つけたと語った。Kerrang!誌は、マッケイガンが1年前に着ているのを見かけられたメキシコのTシャツが由来だと伝えている。一方マット・ソーラムは、題名は『Contraband』のツアーを終えて曲作りを始める前にウェイランドが決めていたもので、コンセプトはパッケージとアートワークにしか残らなかったと話している。

異説あり出典: ABC News「Velvet Revolver Pursuing 'Freedom' On New CD」(2005年12月21日)

『Libertad』は当初リック・ルービンのプロデュースで始まった。スラッシュによれば、ルービンは30分ほど顔を出すと、2、3週間後にまた30分来るという具合で、同時にほかの多くの作品も手がけていたため、バンドは苛立ち、意欲をなくしていった。代わりに呼ばれたのは、STONE TEMPLE PILOTSを手がけたブレンダン・オブライエンだった。スラッシュによれば、オブライエンが加わって3週間で曲と編曲がまとまり、録音は1曲ずつ、スコット・ウェイランドもバンドと一緒に歌いながら進めた。マット・ソーラムは、オブライエンが毎日正午に集合し週6日作業するよう求めたと振り返っている。

出典: Blabbermouth.net「SLASH On 'Libertad', RICK RUBIN And AXL ROSE」(2007年7月7日)

スコット・ウェイランドは『Libertad』を、亡くなったばかりの兄弟マイケル・ウェイランドに捧げている。2007年8月にイギリスの新聞The Sunの取材を受けたウェイランドは、マイケル・ウェイランドは自分なりの自由を探し続けていたのだからこの題名はふさわしいと述べ、初めは両親や家族のことを思って彼に腹を立てたが、その怒りと悲しみを「The Last Fight」と「For a Brother」に注いだと語った。「The Last Fight」はアルバムからの2枚目のシングルになった。一方マット・ソーラムは、「For a Brother」は自分が書いた曲だと話している。

出典: Blabbermouth.net「VELVET REVOLVER Members Denied Japanese Visas; Tour Cancelled」(2007年11月14日)

2007年3月12日、ニューヨークのウォルドーフ・アストリアで開かれたロックの殿堂の式典で、VAN HALENの殿堂入りの紹介役を務めたのはVELVET REVOLVERだった。バンドはVAN HALENに代わってその曲を2曲演奏している。エディ・ヴァン・ヘイレンは直前にリハビリ施設に入り、メンバーで出席したのはサミー・ヘイガーとマイケル・アンソニーだけだった。デイヴィッド・リー・ロスは、殿堂側が「Jump」を歌わせてくれないとして欠席した。スコット・ウェイランドは楽屋で、ロスは「Jump」を望んだがキーボードのいない自分たちには合わず、「Jamie's Cryin'」か「You Really Got Me」を提案したがロスは受け入れなかったと説明した。殿堂側は、ロスには好きな曲をハウス・バンドかVELVET REVOLVERと歌う機会を用意したと述べている。

異説あり出典: Billboard「Backstage At The Rock And Roll Hall Of Fame」(2007年3月13日)

2008年3月20日のグラスゴー公演で、スコット・ウェイランドは観客に向かって、これがVELVET REVOLVERの最後のツアーだと告げた。4月1日、バンドはウェイランドとの決別を発表し、スラッシュはBillboard.comに、ウェイランドは本気で取り組んでおらず、ステージでの不安定な振る舞いもあって先へ進むことにしたと説明した。ウェイランドは、バンドの終わりはグラスゴーですでに宣言済みだと反論し、後任にはセバスチャン・バックがいいと皮肉った。スラッシュはGuitar World誌に、最後の行程に出る前からウェイランド抜きで続ける覚悟はできていたので、グラスゴーの発言には驚いた、あれはウェイランドにとって最後の公演でもバンドにとってはそうではないと語っている。ウェイランドはのちにBillboard誌に、STONE TEMPLE PILOTSのツアーをやるとスラッシュにはすでに伝えてあり、マット・ソーラムがネット上で自分を批判したのを受けて舞台で宣言したのであって、本気だったと話した。

出典: SPIN「Ousted Scott Weiland Responds to Velvet Revolver」(2008年4月2日)

スコット・ウェイランドの後任探しは思いのほか難航した。ダフ・マッケイガンは、当初は2、3週間で見つかると考えていたと認めている。2008年4月にはスラッシュが、歌い手が自分の映像を投稿してオーディションを受けられるウェブサイトを作る構想を語り、Mark Burnettらテレビのプロデューサーからはリアリティ番組の企画が持ち込まれたが、バンドは断った。オーディションにはSPACEHOGのRoyston Langdonも参加している。2009年2月、マッケイガンは400人の応募から候補は2人ほどに絞られたと話し、クリス・コーネルのようなスターではない、ただ良いだけでなく圧倒的でなければ選ばないと語った。結局、新しい歌い手が発表されることはなかった。

出典: Rolling Stone「Velvet Revolver "Weeks Away" From Announcing New Singer」(2009年2月12日)

スコット・ウェイランドが去った後に試された歌い手の一人に、SLIPKNOTとSTONE SOURのコリィ・テイラーがいた。テイラーによれば、バンドと録音したのは9曲か10曲で、うち3曲は一緒に書き、残りはバンドの手元にあった曲に歌を付けたものだった。マット・ソーラムは2011年、10曲が仕上がっていて翌日にでもアルバムを出せたが、スラッシュが乗り気ではなく、全員の気持ちがそろわなければ進められないと語った。スラッシュは、テイラーはウェイランド以後で最も近かったが、その男臭い歌い方にはバンドに必要な要素が欠けていたと述べ、録音は荒削りなので世に出すなら録り直しが必要だと話している。テイラーは、スラッシュにはそう判断する資格があると受け止めた。

出典: Blabbermouth.net「COREY TAYLOR Confirms He Recorded 'Nine Or Ten' Songs With VELVET REVOLVER」(2015年7月29日)

2012年1月12日、VELVET REVOLVERはウェスト・ハリウッドのHouse of Bluesで開かれたJohn O'Brienを追悼する慈善コンサートで、スコット・ウェイランドともう一度だけ同じステージに立った。発端はデイヴ・クシュナーである。作曲家で幼なじみのオブライエンが2011年8月、45歳でシカゴのホテルの部屋で亡くなっているのが見つかり、クシュナーは妻に、遺族のための慈善コンサートを開いてVELVET REVOLVERを再結集させるべきだと背中を押された。クシュナーはニューヨークでのRoad Recoveryの慈善公演の場でスラッシュ、ダフ・マッケイガン、マット・ソーラムに一人ずつ頼み、続いてウェイランドに連絡して承諾を得た。クシュナーは3曲だけと提案したが、当日は「Sucker Train Blues」「She Builds Quick Machines」「Slither」、PINK FLOYDの「Wish You Were Here」の4曲を演奏した。5人がそろうのは4年ぶりだった。

出典: Blabbermouth.net「VELVET REVOLVER Performs Four-Song Set At 'Love You Madly: A Concert For John O'Brien'」(2012年1月13日)

2018年6月3日、ベルリンのオリンピアシュタディオンでヨーロッパ・ツアーの初日を迎えたGUNS N' ROSESは、「Slither」を初めて演奏した。2015年に亡くなったスコット・ウェイランドのパートをアクセル・ローズが歌い、VELVET REVOLVERでこの曲を録音したスラッシュとダフ・マッケイガンが演奏した。開演前には、スタジアムのステージでリハーサルする映像が出回っていた。Alternative Nationは、2016年にもGUNS N' ROSESのセットリストにこの曲が載ったが演奏されなかったと伝えている。2025年6月には、ウェイランドの息子ノア・ウェイランドが「Slither」のカヴァーを発表し、AIで作ったミュージック・ビデオを付けた。

出典: Ultimate Classic Rock「Watch Guns N' Roses Debut Velvet Revolver's 'Slither' in Concert」(2018年6月3日)

映画『Fantastic Four』のサウンドトラックのために、VELVET REVOLVERは新曲「Come On, Come In」を書き、2005年5月、アリーナ・ツアー<Electric Wonderland Show>の合間にローリーとクリーヴランドで録音した。プロデュースはバンドとDoug Grean、ニック・ラスクリネッツの共同である。ビデオはヨーロッパ・ツアーに出る前にロサンゼルスでウェイン・アイシャムが監督した。2007年3月、ロックの殿堂の式典の直前に、バンドはクリーヴランド(オハイオ州レイクウッド)のLava Room Studiosで『Libertad』用のB面曲を録っている。ダフ・マッケイガンによれば、「Come On, Come In」をここで録ったときに音と雰囲気が気に入ったからだという。

出典: Blabbermouth.net「VELVET REVOLVER Film 'Come On, Come In' Video With Director WAYNE ISHAM」(2005年6月22日)