MARTY FRIEDMAN BIOGRAPHY
プロフィール
| 出身 | アメリカ |
|---|---|
| ジャンル | インストゥルメンタルロック、ヘヴィメタル |
Biography
マーティ・フリードマン (Marty Friedman)
東西の音楽文化を融合するギタリストの軌跡
1. 異文化を横断する音楽的アイデンティティの構築
現代の音楽シーンにおいて、マーティ・フリードマン (Marty Friedman) ほど特異かつ多層的なキャリアを築き上げたミュージシャンは稀有である。アメリカ合衆国ワシントンD.C. (Washington, D.C.) に生を受けたMARTY FRIEDMANは、1980年代のギター・シュレッド (速弾き) ブームの中で頭角を現し、カコフォニー (Cacophony) での超絶技巧により一部の熱狂的な支持を得た。その後、世界的な成功を収めていたスラッシュメタル (Thrash Metal) バンド、メガデス (Megadeth) に加入し、アルバム 『Rust in Peace』 や 『Countdown to Extinction』を通じてメタル・ギタリストとしての頂点を極めた。
しかし、フリードマンのキャリアにおける真の革新性は、その後のドラスティックな転換にある。2003年、MARTY FRIEDMANは活動の拠点を東京 (Tokyo) に移し、日本の大衆文化、とりわけJ-POP (Japanese Pop Music) や演歌 (Enka) に深く傾倒していく。MARTY FRIEDMANは単なる「来日ミュージシャン」の枠を超え、テレビタレント、音楽評論家、プロデューサー、そして日本遺産大使 (Ambassador of Japan Heritage) として、日本のエンターテインメント業界に深く根を下ろした。
2. 黎明期: ワシントンD.C.からハワイへ (1962-1986)
2.1 音楽的覚醒と独学の美学
マーティ・フリードマンことマーティン・アダム・フリードマン (Martin Adam Friedman) は、1962年12月8日、アメリカ合衆国の首都ワシントンD.C.で生まれ、メリーランド州ローレル (Laurel, Maryland) で育った。父親がアメリカ国家安全保障局 (NSA) の幹部という厳格な家庭環境にあったが、MARTY FRIEDMANの人生を一変させたのは14歳の時に体験したキッス (KISS) のコンサートであった。ジーン・シモンズ (Gene Simmons) やポール・スタンレー (Paul Stanley) の圧倒的なパフォーマンスに衝撃を受けた少年は、即座にギターを手に取り、ロックの世界へと没入していく。
フリードマンのプレイスタイルの根幹にある「独創性」は、MARTY FRIEDMANが正規の音楽教育を受けず、ほぼ独学で楽器を習得したことに起因する。MARTY FRIEDMANは既存の楽曲をコピーする練習 (カバー) よりも、オリジナル楽曲の制作を優先した。その理由は「オリジナルであれば、たとえ演奏を間違えても、聴衆にはそれが意図されたフレーズなのかミスなのか判別できないから」という、極めて実用的かつ反骨精神に満ちたものであった。この姿勢は、後にMARTY FRIEDMANが確立する、西洋音楽の理論的枠組みから逸脱したエキゾチックなフレージングや、独特のピッキング・フォームの形成に大きく寄与している。
2.2 アマチュア時代の萌芽: デュース (Deuce)
10代半ば、フリードマンは地元の友人たちと共に最初の本格的なバンド、デュース (Deuce) を結成した。このバンドには、後にテンション (Tension) やウォードッグ (Wardog) で活動することになるトム・ガティス (Tom Gattis) も在籍しており、彼らはパンク・ロック (Punk Rock) の攻撃性とロックンロール (Rock and Roll) の疾走感を融合させたサウンドを追求した。
デュースの活動において特筆すべきは、彼らの「リハーサル」に対する概念である。彼らはスタジオでの練習を単なる反復練習の場とせず、友人を招いて「コンサート」として公開していた。これにより、フリードマンは演奏技術だけでなく、観客を前にしたパフォーマンスやショーマンシップを若くして体得することとなった。当時の録音は長らく埋もれていたが、近年のリマスター技術により発掘され、その初期衝動を確認することができる。
2.3 ハワイでのメタル・ムーブメント: ヴィクセン (Vixen) とハワイ (Hawaii)
1981年、父親の転勤に伴い、フリードマン一家はハワイ (Hawaii) へと移住する。常夏の、ヘヴィメタルとは縁遠いと思われた環境において、フリードマンは自身のキャリアにおける最初の「プロフェッショナルな」一歩を踏み出した。
MARTY FRIEDMANが最初に結成したバンドはヴィクセン (Vixen) であった。これは後にヒットを飛ばす同名の女性ハードロックバンドとは無関係のプロジェクトである。ヴィクセンは1983年、アズラ・レコーズ (Azra Records) からEP 『Made in Hawaii』をリリースした。この作品は、NWOBHM (New Wave of British Heavy Metal) の影響を感じさせつつも、フリードマン特有の攻撃的なリフワークが随所に見られる初期の重要作である。
ヴィクセンの解散後、MARTY FRIEDMANはバンド名をハワイ (Hawaii) と改め、より速く、よりヘヴィなサウンドを追求した。ハワイは『One Nation Underground』(1983年)、EP『Loud, Wild and Heavy』(1984年)、『The Natives Are Restless』(1985年) といった作品を次々と発表した。これらのアルバムで聴かれるフリードマンのプレイは、当時のスラッシュメタルの勃興と呼応するように高速化し、同時に東洋的な旋律への傾倒もわずかながら顔を出し始めていた。このハワイ時代の活動が、シュラプネル・レコーズ (Shrapnel Records) の総帥マイク・ヴァーニー (Mike Varney) の目に留まり、MARTY FRIEDMANのキャリアは次なるステージへと引き上げられることとなる。
3. ネオクラシカルの狂騒: カコフォニー (Cacophony) 時代 (1986-1989)
3.1 運命の出会い: ジェイソン・ベッカーとの双頭体制
1986年、サンフランシスコ (San Francisco) へと拠点を移したフリードマンは、マイク・ヴァーニーの紹介により、当時まだ16歳の天才ギタリスト、ジェイソン・ベッカー (Jason Becker) と出会う。二人は音楽的な親和性を即座に見出し、ツイン・リード・ギターを前面に押し出したバンド、カコフォニー (Cacophony) を結成した。
カコフォニーの音楽性は、イングヴェイ・マルムスティーン (Yngwie Malmsteen) によって開拓されたネオクラシカル・メタル (Neoclassical Metal) を基盤としつつ、それをさらに複雑怪奇に発展させたものであった。フリードマンが持ち込んだのは、日本の演歌や中近東の音楽にインスパイアされた「エキゾチックな音階」であり、ベッカーが持ち込んだのは、ストラヴィンスキー (Stravinsky) などの近代クラシック音楽の影響を受けた「変則的な構成美」であった。
3.2 『Speed Metal Symphony』 と 『Go Off!』の衝撃
1987年にリリースされたデビューアルバム 『Speed Metal Symphony』は、そのタイトルが示す通り、スピードメタル (Speed Metal) の疾走感と交響曲的な重層構造を融合させた野心作であった。特に表題曲においては、二本のギターが単なるハーモニー (3度や5度の平行) ではなく、独立した旋律が絡み合う対位法的なアプローチ (Counterpoint) が採用され、ギター・インストゥルメンタルの新たな可能性を提示した。
翌1988年に発表されたセカンドアルバム 『Go Off!』では、楽曲の構成はより洗練され、プログレッシブな要素が強まった。しかし、商業的な成功は限定的であり、バンドはヨーロッパや日本でのツアーを行い熱狂的な支持を得たものの、アメリカ国内でのメインストリーム進出には至らなかった。
3.3 ソロ・アーティストとしての第一歩: 『Dragon's Kiss』
カコフォニーでの活動と並行して、フリードマンは1988年に初のソロアルバム 『Dragon's Kiss』をリリースした。このアルバムは、ボーカルを排した完全なインストゥルメンタル作品であり、彼のギタリストとしてのアイデンティティを決定づける傑作として知られている。ここには、後にMARTY FRIEDMANの代名詞となる「泣き」のメロディ、演歌的なコブシを効かせたチョーキング、そして東洋的な音階がふんだんに盛り込まれており、シュラプネル系ギタリストの中でも一線を画す存在であることを証明した。
カコフォニーは1989年に解散を迎えるが、フリードマンとベッカーの友情はその後も続き、二人はそれぞれの道を歩み始めることとなる。ベッカーがデイヴィッド・リー・ロス (David Lee Roth) のバンドに抜擢された一方、フリードマンはより巨大な成功を掴むための準備を整えていた。
4. 黄金の10年: メガデス (Megadeth) 時代 (1990-2000)
4.1 加入オーディションと 「Rock School 101」
1989年、カコフォニーの解散後、フリードマンは友人のボブ・ナルバンディアン (Bob Nalbandian) からの情報で、ギタリストを探していたメガデス (Megadeth) のオーディションを受けることになった。当時、メガデスはすでに「スラッシュメタル四天王 (Big Four of Thrash)」の一角として確固たる地位を築いていたが、リーダーのデイヴ・ムステイン (Dave Mustaine) は、より高度な技術を持つリードギタリストを求めていた。
興味深いことに、同時期にフリードマンはポップスターのマドンナ (Madonna) のバックバンドのオーディションも受ける予定であった。しかし、メガデスのオーディションが先に設定され、そこで即座に合格が決まったため、マドンナのオーディションはキャンセルされた。もしスケジュールが逆であれば、メタル界の歴史は大きく変わっていたかもしれない。
オーディションにおいて、ムステインは当初、フリードマンの派手な多色の髪 (マルチカラー・ヘア) を嫌い、不採用にしようと考えていた。しかし、MARTY FRIEDMANの圧倒的な演奏技術を無視することはできず、「髪型や服装を改めること」を条件に採用を決定した。このプロセスをムステインは冗談交じりに 「Rock School 101 (ロックスクール入門)」と呼んだ。
4.2 傑作『Rust in Peace』の誕生と 「Tornado of Souls」
1990年2月に正式加入したフリードマンは、ドラマーのニック・メンザ (Nick Menza) と共に、メガデスの「黄金のラインナップ」を完成させた。同年影月にリリースされたアルバム『Rust in Peace』は、テクニカル・スラッシュメタルの金字塔として現在も語り継がれている。
このアルバムにおけるフリードマンの貢献は計り知れない。特に収録曲「Tornado of Souls」のギターソロは、メタル史上屈指の名演とされている。ムステインはこのソロを初めて聴いた際、言葉を発することなくフリードマンに歩み寄り、無言で握手を求めたという。このソロは、テクニカルなスウィープ奏法と、感情を揺さぶるメロディアスなフレージングが完璧なバランスで融合しており、フリードマンの「歌うようなギター」がスラッシュメタルの凶暴性と見事な化学反応を起こした瞬間であった。
4.3 商業的成功と音楽的深化: 『Countdown to Extinction』 から 『Cryptic Writings』へ
『Rust in Peace』の成功に続き、バンドは1992年に『Countdown to Extinction (破滅へのカウントダウン)』をリリース。このアルバムは全米チャート2位を記録し、メガデス史上最大の商業的成功を収めた。フリードマンはこのアルバムでソングライティングにも積極的に関与し、タイトル曲や 「Ashes in Your Mouth」 などで共作者としてクレジットされている。
続く1994年の『Youthanasia』では、バンドはよりミドルテンポでメロディアスな方向性を打ち出した。フリードマンのギタープレイも、速弾き一辺倒から、より楽曲の情景を彩るテクスチャー重視のアプローチへと変化していった。「A Tout le Monde」 における叙情的なソロは、その象徴である。
1997年の『Cryptic Writings』では、ポップでラジオフレンドリーな要素がさらに強まり、フリードマンが共作した「Trust」はグラミー賞にノミネートされるヒットとなった。この時期、フリードマンは自身の音楽的興味がヘヴィメタルというジャンルの枠組みを超え始めていることを自覚していた。
4.4 乖離と決別: 『Risk』 と脱退
1999年にリリースされた『Risk』は、バンドが最も商業的なポップ・ロック路線に接近した作品であったが、ファンからは賛否両論を巻き起こした。フリードマンはこのアルバムでも多くの楽曲に関与したが、制作過程でのフラストレーションは限界に達しつつあった。特に有名なエピソードとして、インストゥルメンタル曲 「Breadline」 のギターソロを巡る事件がある。フリードマンが心血を注いで録音したソロが、マネージメントの意向により無断で削除され、ムステインのソロに差し替えられていたことを完成版で初めて知ったMARTY FRIEDMANは、深い失望を味わったとされる。
「もうメタルの攻撃性や怒りを表現することに情熱を持てない」 「自分にはもっとポップでメロディアスな音楽が必要だ」と感じたフリードマンは、2000年のツアー中にバンドを脱退することを決意した。MARTY FRIEDMANは後に、当時の心境を「もっと日本のポップスのような音楽をやりたかった」と語っている。
5. 日本への転身: 文化の架け橋として (2000-2008)
5.1 J-POPへの憧憬と東京への移住
メガデス脱退後の数年間、フリードマンはアメリカでソロ活動を行っていたが、MARTY FRIEDMANの心はすでに日本にあった。90年代のツアー中に触れた日本の音楽、特に小室哲哉 (Tetsuya Komuro) プロデュース作品や、モーニング娘。(Morning Musume)、松浦亜弥 (Aya Matsuura) などのJ-POPに、MARTY FRIEDMANは西洋音楽にはない複雑なコード進行と予測不能なメロディラインを見出していた。MARTY FRIEDMANは「日本語を学ぶには、日本語しか通じない環境に身を置くのが最良だ」と考え、2003年に生活の拠点を東京・新宿 (Shinjuku, Tokyo) に移した。
5.2 『ヘビメタさん』: タレント・マーティの誕生
日本移住当初、MARTY FRIEDMANは相川七瀬 (Nanase Aikawa) のバックバンドに参加するなど、ギタリストとしての活動を行っていたが、転機となったのは2005年のテレビ番組『ヘビメタさん (Hebimeta-san)』への出演であった。テレビ東京 (TV Tokyo) の深夜枠で放送されたこの番組で、MARTY FRIEDMANはグラビアアイドルの熊田曜子 (Yoko Kumada) と共に、マニアックなヘヴィメタルの楽曲を解説するコーナーを担当した。
流暢ながらも独特の言い回しを持つ日本語、腰が低く誠実な人柄、そしてひとたびギターを持てば世界最高峰の技術を見せるというギャップは、視聴者に強烈なインパクトを与えた。「ミスター・ヘヴィメタル」という愛称で親しまれ、MARTY FRIEDMANは一躍お茶の間の人気者となった。
5.3 『ロックフジヤマ』 とメディア露出の拡大
『ヘビメタさん』の成功を受け、2006年4月からは後継番組『ロックフジヤマ (Rock Fujiyama)』がスタートした (2007年3月まで放送)。鮎貝健 (Ken Ayugai)、ROLLY (ローリー)、シェリー (Shelly) ら個性的なキャストと共に、ロックの名曲を独自の解釈で演奏したり、日本の歌謡曲をロックアレンジしたりする企画は、音楽バラエティとして高い評価を得た。この番組を通じて、MARTY FRIEDMANは「元メガデスのギタリスト」という肩書きを知らない層にも広く認知されるようになった。
この時期、MARTY FRIEDMANはNHKの『英語でしゃべらナイト』 や 『ジュークボックス英会話 (Jukebox English)』などの教育番組にも頻繁に出演し、知的な一面も披露している。また、映画『グーグーだって猫である』への出演や、ファンタ (Fanta) のCMキャラクターを務めるなど、その活動領域は音楽の枠を大きく超えて広がっていった。
6. 東西融合の結実: J-POPとのコラボレーションとソロワーク (2009-現在)
6.1 『TOKYO JUKEBOX』 シリーズ: J-POPへのラブレター
フリードマンの日本での音楽活動の集大成とも言えるのが、J-POPの名曲をギター・インストゥルメンタルとしてカバーしたアルバム 『TOKYO JUKEBOX』シリーズである。
- 『Tokyo Jukebox』 (2009年): Perfumeの「ポリリズム」や石川さゆりの「天城越え」を、重厚なメタルサウンドと繊細なフレージングで再構築した。
- 『Tokyo Jukebox 2』 (2011年): AKB48の「会いたかった」やBUMP OF CHICKENの「天体観測」などを取り上げた。
- 『Tokyo Jukebox 3』 (2020年): LiSAの「紅蓮華」やOfficial髭男dismの「宿命」など、最新のヒット曲をカバー。
これらの作品でMARTY FRIEDMANは、原曲のメロディラインを極限まで尊重しつつ、そこに自身のギターで「歌う」ような表現を加えることで、インストゥルメンタル音楽の新たな可能性を提示した。
6.2 ももいろクローバーZとの共振
アイドルグループ、ももいろクローバーZ (Momoiro Clover Z) とのコラボレーションは、フリードマンのキャリアにおいて特筆すべき章である。
- 「猛烈宇宙交響曲・第七楽章『無限の愛』」 (2012年): 前山田健一 (ヒャダイン) プロデュースによるこの楽曲で、フリードマンはギターを担当。高速な変拍子と合唱、そしてフリードマンの泣きのギターが融合したこの曲を、MARTY FRIEDMANは「アイドル界のボヘミアン・ラプソディ」と評した。
- 「MOON PRIDE」 (2014年): アニメ『美少女戦士セーラームーンCrystal』のオープニングテーマ。Revo (Sound Horizon) が作詞作曲を手掛け、フリードマンがギターで参加し、世界中のアニメファンにその健在ぶりを知らしめた。
6.3 日本遺産大使としての役割
2017年、フリードマンはその日本文化への深い造詣と発信力が評価され、文化庁より「日本遺産大使 (Ambassador of Japan Heritage)」に任命された。これは外国人としては初の快挙であり、2020年東京オリンピック・パラリンピックに向けて、日本の歴史的・文化的魅力を国内外に広める役割を担った。MARTY FRIEDMANは東京マラソンの開会式で君が代や日本遺産のテーマ曲を演奏するなど、公的な場での活動も精力的に行った。
6.4 世界への帰還: 『Inferno』から『Drama』へ
日本での活動が充実する一方で、フリードマンは世界市場向けのアルバム制作も再開した。
- 『Inferno』 (2014年): 「キャリア史上最もヘヴィなアルバム」と銘打ち、再び欧米のメタルファンを唸らせた。
- 『One Bad M.F. Live!!』 (2018年): 2018年4月14日のメキシコシティ公演を収めたライブ盤で、ソロ名義で書いてきた楽曲14曲を約82分にわたって演奏している。
- 『Drama』 (2024年): 最新作となるこのアルバムでは、再び「メロディ」に焦点を当て、イタリアでレコーディングを敢行。ヴィンテージギターを多用し、感情豊かな「ミニ・シンフォニー」とも呼べる楽曲群を収録している。
2023年2月、日本武道館 (Nippon Budokan) で行われたメガデスの来日公演において、フリードマンは23年ぶりに元バンドメイトたちとステージを共にした。アンコールで「Countdown to Extinction」「Tornado of Souls」「Symphony of Destruction」の3曲を演奏したこの歴史的瞬間は、MARTY FRIEDMANの過去と現在が見事に調和した象徴的な出来事として、世界中のメタルファンの涙を誘った。
伊藤政則ホストの、2026年12月20日の川崎CLUB CITTA'でのDJイベント「HEAVY METAL SOUNDHOUSE 2026「45TH ANNIVERSARY」」には、Midori (LOVEBITES) らとともにゲストDJとしての出演が発表されている。
7. 音楽的スタイルと機材分析
7.1 独特のピッキング・フォームとフレージング
マーティ・フリードマンのプレイを視覚的に最も特徴づけているのは、そのピッキング・フォームである。MARTY FRIEDMANは手首を極端に内側に曲げ (フックさせ)、ピックを弦に対して並行ではなく角度をつけて当てるスタイルをとる。さらに、ダウンピッキングよりもアップピッキングを多用する傾向がある。これは人間工学的には非効率とされる動きだが、MARTY FRIEDMAN特有の粘りのあるアタック音と、スタッカートの効いたリズムを生み出す源泉となっている。
フレージングにおいては、西洋的なドレミ (メジャー/マイナースケール) よりも、陰旋法 (Kumoi Scale) や、中近東の音階、ハンガリー音階などを多用する。特にチョーキング (Bending) の際に、正確な音程に到達する前に微妙な揺らぎ (ヴィブラート) を加えることで、演歌の「コブシ」のような感情表現を実現している。
7.2 使用機材の変遷
- ギター: 初期のカコフォニーおよびメガデス時代は、ジャクソン (Jackson) のケリー (Kelly) モデルを愛用。変形ギターの代名詞的存在となった。その後、日本での活動期にはポール・リード・スミス (PRS) やアイバニーズ (Ibanez) のシグネチャーモデルを使用。近年は再びジャクソンと契約し、シグネチャーモデル 「MF-1」を使用している。
- アンプ: メガデス時代はボグナー (Bogner) やカスタム・オーディオ・エレクトロニクス (CAE) のプリアンプを使用。近年はエングル (ENGL) のシグネチャーアンプ「Inferno」をメインに使用している。
8. 二つの祖国を持つ音楽の異端児
マーティ・フリードマンのキャリアを総括すると、それは「境界線の破壊」の歴史であることがわかる。MARTY FRIEDMANはアメリカと日本という地理的な境界を超え、ヘヴィメタルとJ-POPというジャンルの境界を超え、そして「技巧」と「感情」という演奏スタイルの境界をも超えてきた。
かつてメガデスにおいて「Rust in Peace」というメタルの金字塔を打ち立てたMARTY FRIEDMANは、その栄光に固執することなく、自身の感性が共鳴する日本の音楽シーンへと身を投じた。その結果、MARTY FRIEDMANは世界でも類を見ない「バイリンガルかつバイカルチュラルなロックスター」としての地位を確立した。MARTY FRIEDMANの存在は、日本の音楽がいかにユニークで魅力的であるかを世界に再発見させると同時に、技術至上主義に陥りがちなギター・インストゥルメンタルというジャンルに対し、「メロディこそが王である」という命題を突きつけている。
2024年の最新作『Drama』や、メガデスとの歴史的な再共演が示すように、MARTY FRIEDMANの創造性は60歳を超えた現在も枯渇することなく、むしろ円熟味を増している。今後もMARTY FRIEDMANが日米、そして世界の音楽シーンを繋ぐ架け橋として、どのような「ドラマ」を紡ぎ出してくれるのか、その活動から目が離せない。