MARTY FRIEDMAN TRIVIA
Trivia
日本へ移った理由を、フリードマンは邦楽に完全にはまって邦楽しか聴かない状態になってしまったからだと説明している。入口はつんくのプロデュース作品と1990年代後半に流行っていたJ-POPだった。来日した彼が気づいたのは、どこへ行っても誰も洋楽を聴いておらず、邦楽のほうが人気だということである。それで実際に聴いてみたところ、その場で魔法にかかったように虜になった。彼を掴んだのは、切ないのにハッピー、ハッピーなのに切ないという邦楽のメリハリ、メロディのセンス、解釈の仕方、そしてヴォーカリストの扱い方だった。自分が育ったロックやヘヴィメタルのセンスとはまったく違っていた、とも述べている。
外国人には日本の曲は作れない、というのがフリードマンの見方である。例外はいるにせよ、日本のポップスを書いている外国人はなかなかいない。作り方もメロディのセンスもアレンジも演奏も、全部が違うからだという。だから最初のうち、彼は自分のことを「バタ臭い外人」だと思っていた。その自己認識が変わった瞬間がはっきりある。2007年にKOTOKOへ提供した「きれいな旋律」ができたとき、彼はようやく自分が完全に日本人になったと納得できたのだという。誰が聴いても日本人が書いた曲だと思うはずで、日本の音楽が自分の身体に染み込んだことを誇りに思った、と語っている。
2026年9月10日時点でフリードマンの公式サイトが掲げているツアーは、<SCENES 34TH ANNIVERSARY LIVE IN CONCERT TOUR>である。1992年のアルバム『Scenes』の34周年を掲げた公演で、サイトに並んでいる日程は11月11日から24日にかけての南米と中米――ブラジルのサンパウロとクリチバ、チリのバルパライソとサンティアゴ、ウルグアイのモンテビデオ、アルゼンチンのブエノスアイレス、コロンビアのボゴタ、そしてメキシコのグアダラハラ、モンテレイ、メキシコシティである。
カコフォニーのデビュー作は、もともとマーティ・フリードマンのソロ・アルバムとして作られていた。本人の説明では、曲は9割方できあがり、レコーディング・スタジオも押さえてあった。その録音直前になって、レコード会社の社長から「このジェイソンという男に会ってみないか」と言われたのだという。当時のフリードマンの反応は、なぜだ、興味が無い、というものだった。相手はまだ十代で、他のギタリストに会っている時間など無かったからである。
マーティ・フリードマンは自分の作品を聴かない。制作中に嫌というほど聴いているので、聴いても作業のことしか思い浮かばないからである。徹底した完璧主義者である彼にとって、自分がOKを出したということは「これで完成」を意味しており、そこで終わりになる。マスタリングのときに最高音質のスタジオで聴いて楽しんだことはあるが、何も考えずに楽しめるのは他人の音楽のほうだ、というのが彼の言い分である。
メガデスとの再共演は日本武道館の一度きりではなかった。2023年8月4日、ドイツの<Wacken Open Air>でメガデスは再びフリードマンをステージに迎えている。同年2月の武道館では「Countdown To Extinction」「Tornado Of Souls」「Symphony Of Destruction」の3曲だったが、ヴァッケンでは1曲目が「Trust」に替わり、そのあと「Tornado Of Souls」「Symphony Of Destruction」と続いた。さらにフリードマンはアンコールにも再登場し、「Holy Wars… The Punishment Due」にも加わっている。フリードマン自身は翌8月5日に同じフェスへ出演することが告知されており、日が違うため共演の可能性は低いと見られていた。
2025年、フリードマンはアストル・ピアソラの楽曲を中心とするコンサート<Marty Friedman Plays Piazzolla And More Concert Hall 2025>を開いた。8月22日に大阪のあいおいニッセイ同和損保ザ・フェニックスホール、9月5日に銀座の王子ホールという2公演である。共演者はバンドネオンの三浦一馬、ピアノの曽根麻央、ガットギターの猪居亜美という顔ぶれだった。アルゼンチン・タンゴを現代音楽へ押し広げたピアソラへの敬意を、自分の理解と表現で示すという趣旨の公演である。
1992年の『Scenes』が、あの静かで劇的な作品になった理由をフリードマンは説明している。当時の彼はメガデスで狂ったようにツアーをしており、毎晩とてつもなくヘヴィな曲ばかり演奏していた。だから自分で書くものは正反対のものになったのだという。同じことは2023年にも起きている。クイーンズライクの前座として最も攻撃的なバンドで最も攻撃的な音楽を毎晩やっていた彼は、それが『Scenes』のような曲を書くための精神状態として完璧だと語り、実際にその時期に次のアルバムを書き進めていた。
テレビ番組『ヘビメタさん』と、その派生である『ロックフジヤマ』は6シーズンにわたって放送された。この2番組が日本の茶の間へ彼を送り込んで以降、フリードマンはテレビ番組、映画、コマーシャルに800本以上出演している。その中にはコカ・コーラのファンタでの2年間のキャンペーンも含まれる。
2014年10月下旬、<LOUD PARK 14>に出演した数日後にフリードマンは取材を受けている。彼がそこで嬉しかったこととして挙げたのは、午前中のまだ早い時間帯にもかかわらず、たくさんの人が観に来てくれたことだった。
フリードマンは英語の公式サイトとは別に、日本語の公式サイトを持っている。英語サイトのメニューには「japanese website」という項目があり、その行き先が martyfan.com である。
気が変わったのは、ジェイソン・ベッカーの指先を見たからだった。フリードマンによれば、上手いのは当然として何より人柄が良く、恋に落ちたと言っていいほどだったが、決定的だったのは別のことである。フリードマンは自分でも変態的だと認めるフレーズを弾くギタリストで、ベッカーはその一つ一つを、目の前で見た直後にその場で弾いてみせた。そんな人間を見たのは初めてだったという。普通なら、バンドにサイド・ギタリストを入れれば徹底的に教え込まねばならず、彼はその作業が大嫌いだった。ベッカーは見ただけで弾けた。だからフリードマンはソロ作として書いていたものに手を入れ、ベッカーの良さが出る場所を半ば無理やり付け足して、バンドのアルバムとして完成させたのである。
カコフォニーの2枚目では、二人の関係は五分五分になっていた。1枚目と2枚目の間に二人ともソロ・アルバムを出しており、フリードマンによればベッカーは会ってから1年ほどの間に演奏の器用さだけでなく音楽的な内容の面でも桁違いに成長していた。1年でそこまで伸びたミュージシャンを、彼は他に見たことがないという。
ジェイソン・ベッカーのドキュメンタリー映画『ジェイソン・ベッカー Not Dead Yet~不死身の天才ギタリスト~』(日本での全国公開は2014年11月8日)に、フリードマンは重要な証言者として繰り返し登場する。彼が取材で強調したのは、一番大事なのはベッカーが病気だということではなく、彼が作っているのが良い音楽だということだ、という点である。完成前は心配していた――大きなプロジェクトだけに妙な出来になったり、繊細に扱うべき話題が単純にセンセーショナルに扱われたりしかねない――が、実際には細部まで心が配られており、抗議したくなる場面は1秒も無かったと述べている。落ち込むほど悲しくもなく、かといってハッピー過ぎもせず、笑いも涙も誘う、本人に限りなく近い映画になったというのが彼の見立てである。
「昔のほうが良かった」と言われることを、フリードマンは何より嫌う。彼はギタリストとして毎週成長していると考えており、それは必要なことであり目指していることでもあるので、初期のほうが良いとは絶対に言われたくないのだという。2023年にもロサンゼルスのイベントで同じことを述べており、そのときは、かつて自分の好きなギタリストたちについて残念ながらそう言ってしまっていた、だから自分については言われたくないのだと説明している。
『Tokyo Jukebox 3』には狙いがあった。フリードマンによれば、この作品はオリンピックに向けて、大地が動くような「一緒に頑張りましょう」という力を持たせるつもりで作られている。聴けば元気が出るもの、スポーツをやっている人が、たとえばジョギングのときに聴く応援ソングになるようなもの――そういう役に立てるなら嬉しい、というのが彼の説明である。
『Tokyo Jukebox 3』でやりたい曲は30曲ほどあり、そこから最終的に12曲まで絞られた。曲順の決め方もはっきりしている。1曲目は一番鳥肌が立つものを置く。フリードマンは演奏していて自分の鳥肌が立つところを目指しており、その基準で頭を決めたあとは、つなぎが気持ちよく次を期待させるように並べる。順番は通して聴かなければ分からないので、並べ替えるたびに1時間かけて全曲を聴き直す作業になったという。
『Tokyo Jukebox 3』の録音にとって、コロナ禍はむしろ良い影響だったとフリードマンは述べている。ミュージシャンの仕事が全て無くなっていた時期で、素晴らしい演奏家たちがみな空いていた。電話一本でみな引き受けてくれ、理想のプレイヤーが揃った。返事も早く仕上がりも早い。彼自身もともとスタジオに籠もっていたので、全員が集中できる状態だったという。結果としていつもより直す時間も反省の時間も取れ、完全に満足するまで作業できたので後悔は残っていない、というのが彼の総括である。
ギター・インストゥルメンタルという形式について、フリードマンの立てている基準は明快である。この形式には歌詞という武器が無い。だから人に興味を持たせ飽きさせないためには、ギターの存在感がヴォーカリストのそれと同じでなければならない。彼が日本の曲に夢中になったとき、歌詞の内容は全く分からなかったのに楽しめた。その体験がそのまま基準になっている――ハードルは高いが、と彼は付け加えている。
『Tokyo Jukebox 3』で「The Perfect World」を歌っているのは+α/あるふぁきゅん。である。この曲はもともとフリードマンがJean-Ken Johnnyと共作したもので、歌の解釈も演奏の解釈も変えたセルフ・カヴァーにしたかったのだという。録音でフリードマンが驚いたのは彼女のキーの幅だった。おいしい音域を尋ねても本人が決めかねるので、A、A#、B、C、C#と一つずつ試したところ、どのキーでも揺らがずに歌えてしまう。最終的にはオリジナルより四音半ほど上げることになり、そのぶんギターの演奏はかなり面倒になった。キーの最終判断は、スタッフやレコード会社、エンジニアら周囲の意見に委ねられている。
子どもの頃のフリードマンが聴いていたのはハードロックとパンクで、名前を挙げているのはキッスとラモーンズである。ラウドで反逆者然としていながら、メロディのセンスはバブルガムでポップなものが好きだった。鬱屈したハードでダークなゴス系ではない、と彼は言う。ただし同じ時期にブラック・サバスも大好きだったとも述べている。
2025年の大晦日、フリードマンはCOTTON CLUB東京で<ROCK FUJIYAMA COUNTDOWN 2025-2026>を開いた。1stショウと2ndショウの二部構成で、2ndショウでは年越しのカウントダウン・セレモニーも行われている。中心はマーティ・フリードマンとインストゥルメンタル・バンドのASTERISMで、MCはかつてテレビ番組『ロックフジヤマ』で共演した鮎貝健、ゲストには土屋アンナと押尾コータローが並んだ。
年が明けた2026年1月2日、フリードマンは同じCOTTON CLUB東京で<NEW YEAR LIVE 2026>を行い、1月7日にはビルボード大阪でも同名の公演を開いた。バンドは森丘直樹(ギター)、CHARGEEEEEE…(ドラム)、丸木美花(キーボード)という顔ぶれで、ベースは東京がわかざえもん、大阪がshioRiと入れ替わる編成だった。
『Drama』が完成する前、フリードマンはこの作品を「『Scenes』の大人版」だと表現していた。2023年4月の時点で制作は1年半に及んでおり、前年の夏にイタリアへ渡ってすでに半分ほどを録音し、残りのデモを進めているところだった。方向性は『Scenes』の系統にありながらはるかに現代的で、それ以降に自分の音楽的な引き出しへ加わったものが全部入っている、というのが彼の説明である。
『Drama』の録音は二つの国に分かれている。2023年12月10日、フリードマンはイタリアのスタジオでソロを弾いている写真とともに、新作の全トラッキングを終えたと投稿した。彼の説明では、いつもどおりのギター録音は日本で行い、そのうえでイタリアへ渡って2週間、ヴィンテージのギターとアンプだけで録音したのだという。
2023年11月、ロサンゼルスで開かれたRock 'N' Roll Fantasy Campの<Metalmania III>で、フリードマンは自分にはソロ・アルバムが15枚あると述べ、そのたびに自分がやったことのないことをやろうとしていると語った。制作中だった新作については、最も近いのは『Scenes』であり、あれは劇的でオーケストラ的で、ヴァイオリンやチェロなど他の楽器も多く入っていた作品だと説明している。以来に学んだものが指数関数的に増えたぶん、規模ははるかに大きくなるという言い方だった。
2023年末の時点で、フリードマンは自伝の編集作業を進めており、翌年の刊行を予定していた。同じ時期に彼が仕上げていたのがTrueFireのための教則映像シリーズである。彼の言い方では、これはTrueFireにとってもこれまでで最も網羅的なもので、自身のどの教則ものと比べても比較にならないほど深く、自分が音楽をどう見ているかへの最も深い掘り下げになった。その見方は他人と同じではないらしい、良い悪いではなく完全に違うのだ、とも述べている。制作したのは同年のアメリカ・ツアーの終わりだった。
日本遺産大使に任命された外国人は、フリードマンが初めてである。彼はまた、東京マラソンの開会式でも演奏しており、その年は2017年、2018年、2019年、2022年の4回にわたる。
日本のアーティストとの仕事で、フリードマンはチャート上位の常連になっている。Blabbermouthが掲げる紹介文が例として挙げているのは、SMAPとの1位が1曲、ももいろクローバーとの2位が2曲、Sound Horizonとの2位が1曲である。