UNISONIC TRIVIA

Trivia

UNISONIC が世に出した最初の商品には、日本で録音された曲が入っている。バンド公式サイトのニュースによれば、2012年1月に出たミニ・アルバム『Ignition』には、HELLOWEEN の代表曲「I Want Out」のライヴ音源が収められた。Blabbermouth によれば、この録音は前年10月15日、さいたまスーパーアリーナで行われた LOUD PARK でのものである。マイケル・キスクとカイ・ハンセンが同じバンドで HELLOWEEN の曲を演奏した記録が、最初の音源として日本から出たことになる。

出典: UNISONIC 公式サイト News(2012年2月5日の保存版)

デビュー作『Unisonic』は、日本だけ9日早く出た。Blabbermouth が2012年2月に伝えたところによれば、earMUSIC/Edel からの発売日は3月30日で、日本はその9日前。バンド公式サイトのニュースも、発売日を3月30日、日本を3月21日と並べて書いている。形態も国内外で分かれており、ヨーロッパとその他の地域はジュエルケース盤、ボーナス・トラック入りの限定メディアブック、ヴァイナルとCDの限定パッケージ。日本はジュエルケース盤と、日本だけのボーナス・トラックを収めた限定デジパックだった。

出典: Blabbermouth.net「UNISONIC: Debut Album Artwork, Release Date Revealed」

マイケル・キスクは17年ぶりにステージへ戻った。Blabbermouth によれば、UNISONIC のデビュー公演は2010年6月5日、ドイツ・メルレンバッハの Live Music Hall で行われ、これがキスクにとって17年ぶりのライヴ出演となった。「Souls Alive」が初めて演奏されたのもこの夜である。1993年末に HELLOWEEN と袂を分かって以降、彼はソロ作や客演で歌ってはいたが、本当の意味でのバンド活動には加わっていなかった。

出典: Blabbermouth.net「KAI HANSEN Joins Forces With MICHAEL KISKE In UNISONIC」

UNISONIC の母体は、PLACE VENDOME という別のプロジェクトだった。Blabbermouth によれば、マイケル・キスクはその制作でデニス・ワードとコスタ・ツァフィリオという2人の音楽的な同志を得ており、2枚のアルバムを作ったのち、新しいバンドを組もうという話になった。マーキー/アヴァロンの日本語解説によれば、PLACE VENDOME は2005年に Frontiers Records の発案で始まったもので、キスクをリード・シンガーに据え、バックを主に PINK CREAM 69 のメンバーが務める形だった。そのバックの2人が、そのまま UNISONIC のリズム隊になっている。

出典: Blabbermouth.net「KAI HANSEN Joins Forces With MICHAEL KISKE In UNISONIC」

カイ・ハンセンの加入は、彼のほうから申し出たものだった。Blabbermouth が2011年3月に伝えたマイケル・キスクの説明によれば、2010年夏に UNISONIC で久々のライヴをやって楽しかったので AVANTASIA の短いワールド・ツアーにも参加したところ、カイと共演したときだけは他と違い、2人ともまた同じバンドでやりたいと気づいたという。カイは UNISONIC の開かれた音楽的コンセプトに興味を持ち、最終的に自分から加入させてほしいと申し出た。キスクがメンバーに諮ると全員が歓迎したため、加入が決まっている。

出典: Blabbermouth.net「KAI HANSEN Joins Forces With MICHAEL KISKE In UNISONIC」

ギタリストの席にマンディ・メイヤーを推したのは、デニス・ワードだった。Blabbermouth によれば、ワードはそれ以前に KROKUS の作品をプロデュースしており、その縁からメイヤーを空いていたギタリストの席に最適だと提案した。メイヤーは ASIA、GOTTHARD、KROKUS といったバンドで弾いてきたスイスのギタリストである。ベーシストがプロデューサーでもあるという、このバンドの成り立ちがそのまま人選に出た形になっている。

出典: Blabbermouth.net「KAI HANSEN Joins Forces With MICHAEL KISKE In UNISONIC」

2012年11月、ハンブルクの公演の途中でマイケル・キスクは声を失った。Blabbermouth によれば、体調を崩していた彼はステージ上で声が出なくなり、残りの曲ではカイ・ハンセンがリード・ヴォーカルを引き取って、バンドはセットを最後まで演奏しきった。HELLOWEEN で歌っていた2人が、そういう形で役を入れ替えたことになる。続く GOTTHARD のスペシャル・ゲストとしてのドイツ2公演は中止となり、医師の指示で彼は回復まで休養した。

出典: Blabbermouth.net「MICHAEL KISKE Illness Forces UNISONIC Concert Cancelations」

2016年11月、HELLOWEEN はカイ・ハンセンとマイケル・キスクの復帰を発表した。BARKS が伝えたところによれば、2017年には彼らを含む7人編成でワールド・ツアー「パンプキンズ・ユナイテッド」を行うという内容だった。同記事に載るキスクのコメントによれば、UNISONIC として HELLOWEEN の曲を歌うことは完全に回想だったが、オリジナル・ラインナップと現シンガーのアンディ・デリスとで演奏することはとてつもなく特別なものになるだろう、というのが彼の受け止めだった。UNISONIC で再開したふたりの共演は、そのまま古巣での再合流につながっている。

出典: BARKS「ハロウィンにカイ・ハンセンとマイケル・キスクが電撃復帰。世界ツアーを発表」

バンドが初めて売り物として出した『IGNITION』は、日本のほうが2日早かった。マーキー/アヴァロンの商品情報によれば日本盤は2012年1月25日発売、品番 MICP 40012、税込1,650円のデビューEPで、収録は「Unisonic」「My Sanctuary」「Souls Alive」のデモ・ヴァージョン、そして「I Want Out」のライヴの4曲。バンド公式サイトのニュースは、同じ作品が店頭に並ぶ日を1月27日と告知していた。

出典: マーキー・インコーポレイティド/アヴァロン UNISONIC アーティストページ

2枚目のアルバム『LIGHT OF DAWN』も、日本盤が先に出た。マーキー/アヴァロンによれば日本盤の発売は2014年7月23日、品番 MICP 11170、税込2,860円で、13曲にボーナス・トラック1曲を加えた形。Blabbermouth が同年6月に伝えた発売日はヨーロッパが8月1日、アメリカが8月12日だったので、日本はヨーロッパより9日、アメリカより20日早かったことになる。先行して出たEP『FOR THE KINGDOM』も日本盤が2014年5月21日、ヨーロッパが5月23日である。

出典: マーキー・インコーポレイティド/アヴァロン UNISONIC アーティストページ

ライヴ盤『LIVE IN WACKEN』の日本盤は、2017年7月19日発売、品番 MIZP-60050、税込3,520円のCD+DVDで、CDにはボーナス・トラックとして「We Rise」が1曲追加されている。マーキー/アヴァロンが載せる曲順を見ると、CDの13曲には自作曲だけでなく「A Little Time」「March Of Time」という HELLOWEEN の曲が並んでいる。マイケル・キスクとカイ・ハンセンが在籍していた時代の曲を、2人が同じステージで演奏した記録である。

出典: マーキー・インコーポレイティド/アヴァロン UNISONIC アーティストページ

カイ・ハンセンを迎えた5人編成としての初ライヴは、日本で行われた。マーキー/アヴァロンの解説によれば、デビュー・アルバムの制作を進めている最中に LOUD PARK 11 への出演が決まり、バンドはレコーディングを中断して来日した。このときのセットは、アルバムに入る予定の新曲と、母体となった PLACE VENDOME の曲、そしてマイケル・キスクとカイ・ハンセンが在籍していた時代の HELLOWEEN の曲で組まれている。

出典: マーキー・インコーポレイティド/アヴァロン UNISONIC アーティストページ

カイ・ハンセンへの加入の打診は、2人が同行したツアーが日本を訪れた後に行われた。マーキー/アヴァロンの解説によれば、2010年冬の TOBIAS SAMMET'S AVANTASIA のツアーにマイケル・キスクとカイ・ハンセンがともに同行し、そのツアーで日本を訪れた後にキスクがカイへ UNISONIC への参加を打診したという。Blabbermouth が2012年4月に伝えたメタル・フォーシズ誌のインタビューでも、キスク自身がこのツアーの行き先として東京を挙げている。

出典: マーキー・インコーポレイティド/アヴァロン UNISONIC アーティストページ

UNISONIC の来日公演は、2度ともほかのバンドとのカップリングで行われた。マーキー/アヴァロンの解説によれば、デビュー・アルバムの後は GOTTHARD とのカップリングで、2枚目『LIGHT OF DAWN』の後は EDGUY とのカップリングで来日している。GOTTHARD はギターのマンディ・メイヤーがかつて在籍したバンドであり、ベースのデニス・ワードとドラムのコスタ・ツァフィリオが PINK CREAM 69 のリズム隊であることと合わせて、このバンドの人脈がそのまま公演の組み方に出ている。

出典: マーキー・インコーポレイティド/アヴァロン UNISONIC アーティストページ

デビュー・アルバム『UNISONIC』の日本盤は、2012年3月21日発売、品番 MICP 11040、税込2,828円だった。マーキー/アヴァロンが載せる曲順は「Unisonic」から「No One Ever Sees Me」までの12曲で、これにボーナス・トラックが1曲加わる。ヨーロッパとその他の地域の盤は3月30日発売だったので、日本盤だけが9日早く、しかも日本限定のボーナス・トラックを収めた限定デジパックも同時に用意されていた。

出典: マーキー・インコーポレイティド/アヴァロン UNISONIC アーティストページ

UNISONIC が出演した LOUD PARK 11 は、2011年10月15日にさいたまスーパーアリーナで行われた。BARKS が同年8月に伝えたところによれば、6回目となるこの年は1日限りの開催で、ヘッドライナーはリンプ・ビズキット。同じ日の出演者にはホワイトスネイク、アーク・エネミー、ザ・ダークネス、トリヴィアム、クロークス、ストライパー、アマランスらが名を連ねていた。BARKS はこの時点の UNISONIC を「カイ・ハンセンが加入を果たした」バンドとして紹介している。

出典: BARKS「<ラウドパーク11>、ヘッドライナーはリンプ・ビズキット」

バンド初のミュージック・ビデオは、2012年1月12日の中央ヨーロッパ時間18時に earMUSIC の YouTube チャンネルで世界同時初公開された。バンド公式サイトのニュースによれば、曲は「Unisonic」で、映像はドイツ・ハイデルベルクの壮麗な舞踏室で撮られたバンドの演奏である。同じ告知は、マイケル・キスクとカイ・ハンセンが再び力を合わせるのは23年ぶりだと書いていた。

出典: UNISONIC 公式サイト News(2012年2月5日の保存版)

『Ignition』はバンドにとって初めての商品だったが、その発売日には同じ曲の7インチも用意されていた。バンド公式サイトのニュースによれば、1月27日の店頭に並んだのは、1枚ずつ番号を打った、枚数を厳しく絞ったカラーのピクチャー・ヴァイナル・シングル「Unisonic」である。EP のほうには、この曲のほかにもう1曲の新曲、デモ・ヴァージョン、そして「I Want Out」のライヴが収められていた。

出典: UNISONIC 公式サイト News(2012年2月5日の保存版)

デビュー・アルバムの前後、UNISONIC は GOTTHARD をスペシャル・ゲストに迎えて南米とメキシコを回った。バンド公式サイトの告知によれば、日程は2012年5月12日ブエノスアイレスのテアトロ・フローレス、14日アントファガスタ、16日サンティアゴのテアトロ・カウポリカン、18日サンパウロの HSBC ホール、20日メキシコシティのシルコ・ボラドールの5公演。公式のライヴ日程表を見ると、同じ組み合わせは同年10月のスペイン3公演(バルセロナ、マドリード、パンプローナ)でも繰り返されている。

出典: UNISONIC 公式サイト News(2012年2月5日の保存版)

UNISONIC が最初に出演を確定させたヨーロッパのフェスティヴァルは3本だった。バンド公式サイトの告知によれば、チェコ・ヴィゾヴィツェのマスターズ・オブ・ロックが2012年7月12日、ドイツのロック・ハード・フェスティヴァルが同年5月27日。さらにイタリア・ミラノのゴッズ・オブ・メタルにも6月21日に出ることが告知されている。公式のライヴ日程表では、ロック・ハードの開催地がゲルゼンキルヒェンと記されている。

出典: UNISONIC 公式サイト News(2012年2月5日の保存版)

UNISONIC の公式ファンクラブは「Souls Alive」という名前だった。バンド公式サイトのニュースはこのファンクラブの発足を告げ、ファンがファンのために作った場だと紹介している。「Souls Alive」は曲の題でもあり、Blabbermouth によれば、2010年6月5日のデビュー公演で初めて演奏されたのがこの曲である。バンドが最初に人前で鳴らした曲の名が、そのままファンの集まる場の名になった。

出典: UNISONIC 公式サイト News(2012年2月5日の保存版)

HELLOWEEN を離れてからの17年間、マイケル・キスクは歌ってはいたが、ステージには立たなかった。マーキー/アヴァロンの解説によれば、彼はソロ・アルバムの制作を続け、TOBIAS SAMMET'S AVANTASIA、MASTERPLAN、GAMMA RAY といった作品にゲストとして参加して歌声を披露していた。それでも、HELLOWEEN 脱退以降は決してステージに立たなかったという。録音では聴けるのにライヴでは会えない、という状態が長く続いていたことになる。

出典: マーキー・インコーポレイティド/アヴァロン UNISONIC アーティストページ

UNISONIC 結成のアナウンスで最も注目されたのは、このバンドでライヴを行うという一文だった。マーキー/アヴァロンの解説によれば、それはマイケル・キスクが HELLOWEEN 脱退以降で初めてステージに立って歌うという宣言にほかならなかった。そして宣言どおり、バンドは2010年に Sweden Rock Festival や Masters Of Rock といったフェスへの出演を中心にいくつかの公演を行い、HELLOWEEN の「A Little Time」「Kids Of The Century」も演奏している。

出典: マーキー・インコーポレイティド/アヴァロン UNISONIC アーティストページ

UNISONIC は、はじめ4人で発表されたバンドだった。マーキー/アヴァロンの解説によれば、PLACE VENDOME から5年後、マイケル・キスク、PINK CREAM 69 のリズム隊であるデニス・ワードとコスタ・ツァフィリオ、そして ASIA、KATMANDU、GOTTHARD などで弾いてきたマンディ・メイヤーの4人での結成が発表された。カイ・ハンセンが加わって5人になるのは2011年初めのことで、Blabbermouth もその時期を「early 2011」と記している。

出典: マーキー・インコーポレイティド/アヴァロン UNISONIC アーティストページ

マイケル・キスクとカイ・ハンセンが揃って HELLOWEEN の『守護神伝』時代の曲を演奏したのは、UNISONIC のステージではなく GAMMA RAY のステージが最初だった。マーキー/アヴァロンの解説によれば、2011年6月にドイツで行われた GAMMA RAY の公演にキスクが飛び入りし、2人は「Future World」をプレイしている。カイの加入が決まった後、UNISONIC としての初ライヴを迎える前の出来事である。

出典: マーキー・インコーポレイティド/アヴァロン UNISONIC アーティストページ

UNISONIC は2011年10月に earMUSIC/Edel との契約を発表した。Blabbermouth に載ったコスタ・ツァフィリオの説明によれば、複数のレーベルが関心を示していたなかで、マックス・ヴァッカーロとそのチームの熱意が earMUSIC こそふさわしい会社だと自分たちを納得させたのだという。この時点での予定は、2012年1月にデビューEP、その年の早春にフル・アルバムというものだった。

出典: Blabbermouth.net「UNISONIC Signs With earMUSIC/EDEL」

デビュー・アルバムの録音は、2011年9月の終わりにベルギー・ブリュッセルの ICP スタジオで始まった。Blabbermouth によれば、カイ・ハンセンが2011年初めに加入したあともバンドは曲作りを続けており、既にあった素材に彼の書くアンセム的な曲を織り込んでいったという。翌年の記事でも、このアルバムがブリュッセルの ICP スタジオで録音されたことが繰り返し記されている。

出典: Blabbermouth.net「UNISONIC Signs With earMUSIC/EDEL」

デビュー・アルバムのジャケットを描いたのは、グラフィック・アーティストのマルティン・ホイスラーである。Blabbermouth によれば、彼はミート・ローフ、GOTTHARD、HELLOWEEN、MOTÖRHEAD の仕事で知られる人物で、しかも「Unisonic」のミュージック・ビデオを監督したのも同じ彼だった。バンド公式サイトのニュースも、アートワークの作者と、写真家であり監督でもあるビデオの作り手として同じ名前を挙げている。

出典: Blabbermouth.net「UNISONIC: Debut Album Artwork, Release Date Revealed」

カイ・ハンセンの UNISONIC 加入は、GAMMA RAY での立場に影響しなかった。Blabbermouth は2011年10月のレーベル契約の記事にこの一文を添えており、翌2012年11月の記事でも、2014年6月の記事でも同じことを書いている。彼は加入から数年にわたって2つのバンドを掛け持ちし、UNISONIC はそれを前提に動いていた。

出典: Blabbermouth.net「UNISONIC Signs With earMUSIC/EDEL」

EP『For The Kingdom』に入ったライヴ4曲は、1本の公演から採られている。Blabbermouth によれば、「Unisonic」「Never Too Late」「Star Rider」「Souls Alive」の4曲はいずれも未発表のライヴ音源で、2012年のチェコのマスターズ・オブ・ロックで録音されたもの。バンド公式サイトのライヴ日程表を見ると、その出演は2012年7月12日、ヴィゾヴィツェである。EP はデニス・ワードのプロデュースで、アートワークはやはりマルティン・ホイスラーが手掛けた。

出典: Blabbermouth.net「UNISONIC To Release Light Of Dawn Album In August」

『Light Of Dawn』は4つの形態で出され、そのうち限定ボックスにだけ入った1枚がある。Blabbermouth が伝えた内訳によれば、通常CDは12曲、デラックス・デジパックは13曲、見開きの2枚組ヴァイナルはダウンロード・コード付きの13曲、そして枚数を絞ったボックス・セット。ボックスには「The Early Demos」と題した専用CDが付き、収録は「Souls Alive」「I've Tried」「Cry Out Loud」「The Other Side」「No One Ever Sees Me」の5曲。さらに「Exceptional」のカラオケ・ヴァージョンと2012年のライヴ「We Rise」を組んだ専用7インチ、Tシャツ、6枚の新しい写真、ポスターが同梱された。

出典: Blabbermouth.net「UNISONIC To Release Light Of Dawn Album In August」

デビュー・アルバムの北米盤は、ヨーロッパや日本とは別の会社から出た。Blabbermouth によれば、北米での発売は2012年5月22日、イーグル・ロックのレーベルであるアーモリー・レコーズから。ヨーロッパ盤の3月30日、日本盤の3月21日から2か月近く遅れており、しかも Blabbermouth はこの盤について、「I Want Out」のライヴをボーナスとして収めるのは国内盤だけだと書いている。

出典: Blabbermouth.net「MICHAEL KISKE Illness Forces UNISONIC Concert Cancelations」

マイケル・キスクとカイ・ハンセンが HELLOWEEN で同じバンドにいた期間は、実は数年しかない。BARKS によれば、キスクはカイがギターに専念するために1986年、18歳で HELLOWEEN のリード・シンガーとして加入した。そのカイは1989年にバンドを脱退し、以後は GAMMA RAY の中心メンバーとして活動を続ける。キスクのほうは1993年のツアーを最後に脱退した。2人が並んだ時間の短さが、UNISONIC の再結成が話題になった理由でもある。

出典: BARKS「ハロウィンにカイ・ハンセンとマイケル・キスクが電撃復帰。世界ツアーを発表」

HELLOWEEN で別れてから UNISONIC までの間にも、マイケル・キスクとカイ・ハンセンは2度だけ一緒に仕事をしている。Blabbermouth が2012年4月に伝えたメタル・フォーシズ誌のインタビューによれば、キスクは GAMMA RAY の4枚目『Land Of The Free』で歌い、カイのほうはキスクの1枚目のソロ・アルバム『Instant Clarity』に、IRON MAIDEN のエイドリアン・スミスとともに手を貸した。バンドとしての共演は無かったが、縁が完全に切れていたわけではなかった。

出典: Blabbermouth.net「MICHAEL KISKE Talks UNISONIC, KAI HANSEN And Next Solo Album」

カイ・ハンセンが UNISONIC に加わる前に、逆の案が出ていた。Blabbermouth が2012年4月に伝えたメタル・フォーシズ誌のインタビューでのマイケル・キスクの説明によれば、また一緒にやろうという話になったとき、カイはまず自分のバンドである GAMMA RAY への加入をキスクに提案したという。キスクは20年の歴史を持つバンドに入ることは望まなかった。そこで誰かが、UNISONIC のギタリストはまだ1人だと言い、それで話が決まったとキスクは振り返っている。

出典: Blabbermouth.net「MICHAEL KISKE Talks UNISONIC, KAI HANSEN And Next Solo Album」

2012年11月にマイケル・キスクが声を失った後、中止になったのはドイツの2公演だった。Blabbermouth によれば、GOTTHARD のスペシャル・ゲストとして予定されていた11月9日のランゲンと10日のラーフェンスブルクが取りやめとなり、バンドは16日のバンベルクと17日のミュンヘンから復帰したいとしていた。この記事の情報源は、公式ファンクラブのサイトである。

出典: Blabbermouth.net「MICHAEL KISKE Illness Forces UNISONIC Concert Cancelations」

UNISONIC の5人は、出自がはっきり分かれている。Blabbermouth が繰り返し添えている紹介によれば、マイケル・キスクとカイ・ハンセンはどちらも HELLOWEEN の元メンバーで、デニス・ワードとコスタ・ツァフィリオはドイツの PINK CREAM 69、マンディ・メイヤーはスイス出身で ASIA、GOTTHARD、KROKUS を渡り歩いたギタリストである。ドイツのバンド2組とスイス人1人という組み合わせが、そのままこのバンドの編成になっている。

出典: Blabbermouth.net「UNISONIC: Debut Album Artwork, Release Date Revealed」