THE DARKNESS TRIVIA
Trivia
2003年11月の初来日で、ジャスティンは東急ハンズでマイクの形をした着ぐるみを買い、それを着たまま新幹線で名古屋へ向かった。翌年の来日の際、ワーナーミュージック・ジャパンがこのエピソードを紹介している。
2004年5月23日、MTV VIDEO MUSIC AWARDS JAPANに出演したジャスティンは、ヴィンテージの着物で特注した衣装でステージに立った。ワーナーミュージック・ジャパンによれば、クイーンの初来日で着物を着たフレディ・マーキュリーにならったもので、2週間前に食道の手術を受けてから初めてのステージだった。来日中の5月21日には、フジテレビの「笑っていいとも!」にも生出演している。
バンドは2004年8月7日の東京と8日の大阪で開かれたSUMMER SONIC 04に出演する予定だった。しかしジャスティンの逆流性食道炎と胃炎が悪化し、ワーナーミュージック・ジャパンは開催直前の8月4日に出演の取りやめを伝えた。
2024年1月23日、バンドは渋谷のSpotify O-EASTで、『Permission to Land』の20周年を記念した一夜限りの公演を行った。激ロックによれば、来日は2011年のLOUD PARK以来、単独公演は2006年以来のことで、招聘したH.I.P.は単独公演を18年ぶりと告知していた。2階指定席は売り切れている。
『Last of Our Kind』の冒頭曲「Barbarian」は、9世紀にイーヴァル骨なし王率いるヴァイキングの大異教軍が東アングリアに攻め入り、殉教王エドマンドを討った出来事を歌っている。バンドの地元、東アングリアの歴史を題材にした曲で、ビデオは、エドマンドがデーン人に討たれたと刻まれた墓石の場面から始まる。
『Dreams on Toast』の「The Longest Kiss」のヴァースは、ジャスティンが何十年も書き続けている未完のミュージカル『The Collapse Of The Lowestoft Fishing Industry』(ロウストフト漁業の崩壊)のための曲から移したものだという。歌詞はスコットランドのネアンで迎えたある朝に浮かび、サビはダンとパブで長い時間を過ごしたあとに2人で書いた。
THE DARKNESSの前身は、ダン・ホーキンスがロンドンで組んだプログレッシヴ・バンドEMPIREである。16歳でロンドンへ移ったダンが、フランス生まれでスコットランド育ちのベーシスト、フランキー・ポーレインと始め、のちに兄のジャスティンもギターとキーボードで加わった。EMPIREには別のシンガーがいて、ジャスティンは歌っていない。バンドが解散すると、ダンはスタジオ・ミュージシャンとして働き、フランキーはベネズエラで観光ガイドになり、ジャスティンは映画やコマーシャルの音楽を書いていた。
ジャスティンがフロントマンになったのは、1999年の大晦日だった。帰省した兄弟が過ごしたパーティーで、ジャスティンがクイーンの「Bohemian Rhapsody」を披露し、それを見たダンが、探していたシンガーはここにいたと思ったという。2003年のBBCや2013年のクラシック・ロック誌はこれをカラオケ大会での出来事として伝えているが、ジャスティン本人は2023年のインタビューで、叔母のパブでのパーティーで曲に合わせて踊ってみせたのだと話している。
ジャスティンのトレードマークになったキャットスーツは、2001年11月16日、ロンドン南部トゥーティング・ベックのパブ「キャッスル」の奥の部屋で初めて披露された。ジャスティンはその発想を、ブライアン・ジョーンズがピンクのキャットスーツを着ていたという母親の思い出話にさかのぼらせている。
2003年7月、デビュー作の発売日にBBCの取材を受けたジャスティンは、キャットスーツの仕立て屋を3人抱えていて、そのうちひとりは修繕のために24時間待機していると話している。
2002年、ロンドンのブリクストン・アカデミーでDISTURBEDの前座を務めたとき、バンドは客席から靴や瓶や硬貨を投げつけられた。ジャスティンが自身のYouTube番組でこの夜を振り返ったあと、2022年7月にDISTURBEDのデヴィッド・ドレイマンが、当時の自分の発言には悔いが多いと謝罪している。
「I Believe in a Thing Called Love」は、ダンがフランキーと住んでいたロンドンのプリムローズ・ヒルにあるアパートの最上階で生まれた。ダンの話では、リフを持ち込んだのはジャスティンで、ダン自身は最初、サビがばかげて聞こえたという。
「I Believe in a Thing Called Love」のビデオは、宇宙船の場面も含めてCGを使わずに撮られた。ジャスティンによれば、最初に低予算で撮ったヴァージョンから撮り直しに持ち越した小道具は、ガーリック・ソーセージだけだったという。
デビュー作『Permission to Land』を制作したペドロ・フェレイラは、ダンの親友だった。ロンドン北部ウィルズデンのスタジオに自分たちの部屋を持って安く作り始めたものの、半年たっても仕上がったのは4、5曲で、ダンは時間をかけすぎてお金が尽きたと振り返っている。最後はリンカンシャーのChapel Studiosに移り、7日でアルバムを仕上げた。
デビュー作の冒頭を飾る「Black Shuck」は、東アングリアに伝わる黒い魔犬の伝説を歌っている。1577年、その犬がブライスバラの教会に押し入ったとされる話で、ジャスティンは2003年に、自分たちには赤い目をした東アングリアの魔犬が教会を襲う歌があると紹介していた。
『Permission to Land』のジャケットはブルース・ブランドが描いた。バンドの注文は、エレクトリック・ライト・オーケストラのような70年代の古典的なジャケットにしてほしいというもので、アート・ディレクターの役はジャスティンが務めた。
デビュー作の発売日の2003年7月7日、バンドはロンドンのHMVオックスフォード・ストリート店で演奏し、1,500人のファンが集まった。HMVは、新人バンドの店内ライヴとしてはそれまでで最多の人出だったとしている。
2003年12月に出た「Christmas Time (Don't Let the Bells End)」は、クリスマス週の全英シングル・チャートに2位で初登場した。その週の1位は、マイケル・アンドリュースとゲイリー・ジュールズの「Mad World」だった。
「Christmas Time (Don't Let the Bells End)」の制作はボブ・エズリンで、合唱には、ホーキンス兄弟の母親が通ったロンドンのハバダッシャーズ・アスクス・ハッチャム・カレッジの生徒たちが加わっている。
このクリスマス・シングルは、はったりから始まった。ジャスティンがNMEに語ったところでは、A&Rのマックス・ルサダにクリスマス曲はあるかと聞かれたダンがあると答えてしまい、ダブリンでのMETALLICAの前座に向かう道中で書き上げたという。雪景色のビデオは、真夏の、その年いちばん暑い日に撮られた。
2004年2月17日、ロンドンのアールズ・コートで開かれたブリット・アワードで、バンドは最多の4部門にノミネートされ、ブリティッシュ・グループ、ブリティッシュ・ロック・アクト、ブリティッシュ・アルバムの3部門を受賞した。残るブリティッシュ・ブレイクスルーはBUSTEDが手にした。
2004年5月27日のアイヴァー・ノヴェロ賞で、ジャスティン、ダン、フランキー、エドの4人はそろってソングライター・オブ・ザ・イヤーに選ばれた。ジャスティンによれば、アイヴァー賞はダンの念願で、授賞式には両親も来ていたという。
オフィシャル・チャート・カンパニーが2025年10月にまとめた、2000年以降に出たロック/メタルのアルバムの売上ランキングで、『Permission to Land』は全体の3位に入り、イギリスのアーティストの作品としては最上位だった。イギリスでのチャート・ユニットは145万を超えている。
2020年、クラシック・ロック誌が読者に「今世紀最高の100曲」を投票で選んでもらったところ、「I Believe in a Thing Called Love」が1位になった。投票は6万票を超えたという。
2005年5月、バンドは公式サイトでフランキー・ポーレインとの決別を発表し、理由を音楽性の違いとした。一方フランキーは翌月のNMEで、意に反して追い出されたと語っている。2013年のクラシック・ロック誌では、当時の自分はかなりとげとげしかったとも振り返っている。
2006年10月、ジャスティンは依存症を克服するためにバンドを離れた。NMEによれば、彼はサン紙に、自分は依存症だと認め、バンドを責めるつもりはないと語っている。2011年の再結成の際には、ローリング・ストーン誌に、脱退のいちばんの理由はバンドが創造的でなくなっていたことだったとも話している。
ジャスティンの脱退後、兄弟は2年にわたって口をきかなかった。ダンが2022年にガーディアン紙に語ったところでは、31歳で精巣がんと診断されたとき、ジャスティンが化学療法に付き添うと申し出たことが、ふたりの関係を取り戻すきっかけになった。2014年にダンが結婚したとき、付添人を務めたのはジャスティンだった。
2011年3月15日、オリジナル・メンバー4人での再結成とダウンロード・フェスティヴァルへの出演が発表された。BBCの取材でジャスティンは、人目を忍んで進めた話し合いを禁じられた恋にたとえ、ダンとはここ2年ほど一緒に曲を書いていたと明かしている。
再結成した頃、JETHRO TULLに夢中だったダンはイアン・アンダーソンに連絡を取り、「Cannonball」でフルートを吹いてもらった。ところがこの曲はメンバーの投票で『Hot Cakes』の本編から外され、ボーナス・トラックに回された。ダンは、自分は投票で負けたのだと話している。
2012年の夏から秋にかけて、バンドはレディー・ガガの「Born This Way Ball」ツアーのヨーロッパ公演で前座を務めた。ラウドワイヤーによれば、バンドを選んだのはガガ本人だった。
2015年にドラムに就いたルーファス・テイラーは、クイーンのロジャー・テイラーの息子である。ジャスティンによれば、ルーファスを推したのはブライアン・メイのギター・テクニシャンだった。ダンの話では、ルーファスはオーストラリアから飛んできてそのままリハーサルに入り、4月24日、ロンドンでの発売記念パーティーが初めてのステージになった。
『Last of Our Kind』を締めくくる「Conquerors」では、ベースのフランキー・ポーレインが初めてリード・ヴォーカルを取った。ジャスティンは、フランキーを少し説き伏せる必要があったと話している。
『Pinewood Smile』の「Southern Trains」は、アルバムの制作中にジャスティンとダンが乗らざるを得なかった、イングランド南部の鉄道会社サザンへの不満を歌った曲である。
『Pinewood Smile』の「Japanese Prisoner of Love」について、ジャスティンは二つのきっかけを挙げている。ひとつはアルカトラズ島を訪れたときのことで、真っ暗な独房に入ると、日本人観光客のたいたフラッシュでかえって恐ろしさが増したという。もうひとつは、パークハースト刑務所で生まれたバンドE WINGと一緒に曲を書いた経験だった。
『Easter Is Cancelled』という題名は、ジャスティンが書いた復活祭の詩に、バンドのマネージャーが「イースターは中止だ」と返してきたことから生まれた。ジャスティンによれば、それまでは「Rock And Roll Deserves To Die」がアルバムの題名の候補だった。
『Easter Is Cancelled』のジャケットには、十字架から逃れたキリストに扮したジャスティンと、ローマ兵と戦うバンドが描かれている。ジャスティンは、別の世界ではこうだったかもしれないという「もしも」の場面だと説明したが、宗教的な含みを理由に一部の配信サービスが掲載を拒み、修正版も用意された。
『Motorheart』の「Jussy's Girl」について、ジャスティンは、音の上ではDEF LEPPARDとビリー・オーシャンの中間を狙ったと説明している。ビデオでは、革に身を包んだバイク乗りに扮したジャスティンが、電話ボックスのタイムマシンでモノクロの無声映画の殺人ミステリーへ飛び込む。
2022年9月3日、ロンドンのウェンブリー・スタジアムで開かれたFOO FIGHTERSのドラマー、テイラー・ホーキンスの追悼公演で、ジャスティンはクイーンとFOO FIGHTERSのステージに加わって「Under Pressure」を歌った。同じステージの「We Will Rock You」では、ルーファスが父ロジャー・テイラーの隣でドラムを叩いている。
ダンの見積もりでは、『Dreams on Toast』のためにバンドが書いた曲は150曲ほどにのぼり、ずいぶん失敗率の高い作業だったと笑っている。アルバムを締めくくるバラード「Weekend In Rome」には、俳優スティーヴン・ドーフの語りが入っている。
2026年の映画『マスターズ・オブ・ザ・ユニバース』のテーマ曲は、ジャスティンとダンが書き、ダンが映画の作曲家ダニエル・ペンバートンとともに制作した。発表の際、バンドは全員で「WE HAVE THE POWER」と叫んだと書き、ブライアン・メイもその場にいたとさらりと付け加えている。