SYSTEM OF A DOWN TRIVIA
Trivia
日本のレーベル、ソニーミュージックの紹介によれば、初めての日本公演は1999年4月の東京と大阪だった。2001年7月29日には、フジロック・フェスティバルの3日目にGREEN STAGEへ立っている。2作目『Toxicity』が出る5週間前のことで、フェスティバル自身のタイムテーブルでは、この日のGREEN STAGEの彼らのあとにTOOLとEMINEMの名が並ぶ。
グラミー賞にはこれまで4度ノミネートされ、1度受賞している。2002年の第44回で「Chop Suey!」が最優秀メタル・パフォーマンス、2003年の第45回で「Aerials」が最優秀ハード・ロック・パフォーマンスの候補になり、2006年の第48回で『Mezmerize』の「B.Y.O.B.」が最優秀ハード・ロック・パフォーマンス賞を受けた。翌2007年の第49回では『Hypnotize』の「Lonely Day」が同じ部門の候補になっている。
バンド名は、ダロン・マラキアンが書いた詩「Victim of a Down」から採られた。ベースのシャヴォ・オダジアンは、最初の語を「System」に変えればより人目を引き、レコード店の棚でも敬愛するSLAYERの近くに並ぶと考え、マラキアンにも異論はなかった。デビューのころ自分たちの音楽を説明するよう求められると、マラキアンは「SLAYERとビートルズの間に生まれた子ども」のようなものだと答えていたという。
ロサンゼルスのクラブを2、3年にわたって満員にしていた間、バンドと契約しようとするレーベルは無かった。ダロン・マラキアンによれば、アルメニア系のバンドはロサンゼルスでは客を呼べても、アルメニア人を知らない国で誰が聴くのかと言われたという。契約を申し出たのは、Viper Roomでの公演を観たリック・ルービンで、ルービンはその夜を、笑いが止まらないほど可笑しく強烈な公演だったと振り返っている。バンドは一度Universalと契約しかけたが、事務所に貼られたポスターを見て、ロックを扱える人がいないと悟り、ルービンを選んだ。
1998年のデビュー作は、発売された週にわずか3千枚しか売れなかった。それでも売れ続け、2001年9月に2作目『Toxicity』が出るころには約76万4千枚に達していた。その『Toxicity』はビルボード200に初登場1位で入り、最初の週に22万2千枚を売っている。ビルボードは、その週はニューヨークの非常事態のために集計に誤ったデータが使われ、最初に公表したチャートでは2位になっていたと注記した。
2002年の初め、『Toxicity』の時期に録られた未完成の曲が十数曲、「Toxicity II」の名でインターネットに出回った。バンドはこの事態を逆手に取り、急いで録音を仕上げて年末の商戦に間に合わせた。家で焼いたCD-Rを思わせる素っ気ない包装に、政治活動家アビー・ホフマンにちなむ題名を付けたのが『Steal This Album!』である。日本盤を出したソニーミュージックの紹介も、流出した音源がすべて未完成だったため、バンドが急遽録音して緊急に発売したと書いている。
『Steal This Album!』の「I-E-A-I-A-I-O」は、もとは「KITT」という仮題だったと伝えられ、ドラマ『ナイトライダー』に着想を得ている。ドラムのジョン・ドルマヤンが明かしたところでは、12歳ごろ、ロサンゼルスの酒屋からソーダを手に出てきたデヴィッド・ハッセルホフに出くわし、「ナイトライダーだ!」と叫ぶと、ハッセルホフは「やあ、坊や」と言ってカウボーイ風に指を差してくれた。その話をサージ・タンキアンにすると、酒屋の名前まで歌詞に織り込まれたという。
『Mezmerize』と『Hypnotize』は、半年違いで出た一つの作品である。プロデューサーのリック・ルービンによれば、バンドとは35曲ほどを録り、扱える数まで絞り込めなかった。ダロン・マラキアンは、25曲が並んだCDを人に手渡すのは落ち着かないと語り、ルービンも、一枚のアルバムを最後まで聴く人さえ少ない時代に、きちんと聴いてもらうには少しずつ渡すしかないと考えた。2枚はどちらも35分から40分ほどに収められている。
『Mezmerize』と『Hypnotize』のジャケットの絵を描いたのは、ダロン・マラキアンの父で画家のヴァータン・マラキアンである。1993年に骨董と美術のギャラリー「Arka」を開いた人で、油彩や水彩のほか、モザイク・ガラスや立体作品も手掛けてきた。父の作品を舞台に持ち込みたいというダロンの願いから、ヴァータンは息子のギターを何本も手描きで彩っており、それらはバンドのビデオにたびたび映っている。アイバニーズからは、彼が手描きしたアイスマンの限定モデルも出た。
アルメニア人虐殺から100年にあたる2015年、バンドは「Wake Up the Souls」ツアーを行った。4月7日にロサンゼルスで始まったツアーは、4月23日、アルメニアの首都エレバンの共和国広場での無料公演で締めくくられている。サージ・タンキアンはソロでアルメニアの舞台に立ったことがあったが、SYSTEM OF A DOWNとして演奏するのはこれが初めてで、演奏は2時間半近く、37曲に及んだ。
2020年11月6日に出た「Protect the Land」と「Genocidal Humanoidz」は、15年ぶりの新曲だった。きっかけは、同じ年の9月にアルツァフ(ナゴルノ・カラバフ)で始まった戦争である。10月最初の日曜日の夜、ドラムのジョン・ドルマヤンがほかの3人に、互いへの思いや過去はひとまず脇に置いて、同胞のために曲を作ろうとメッセージを送り、4人はスタジオに戻った。2曲の収益はアルメニアの人々の支援に充てられた。