PARKWAY DRIVE TRIVIA
Trivia
シドニー・オペラハウス公演を軸にした映画『Parkway Drive: HOME』について、バンドの公式サイトは2026年11月の世界6都市でのプレミア上映を発表し、その最後に11月25日のシネマート新宿を挙げた。日程表は、11月10日のシドニー(The State Theatre)を先頭に、ロサンゼルス、ニューヨーク、ロンドン、ベルリン、東京の順だった。作品紹介によれば、20年にわたって世界のフェスやアリーナでヘッドライナーを務めてきたバンドが故郷に戻り、交響楽団とともに自分たちの曲を作り直す一夜限りの公演に挑む姿を、創作上の緊張や迷いも含めて描くという。Ballina Timesによれば、撮影ではシドニー港が封鎖され、ウィンストン・マッコールがヘリコプターからロープでオペラハウスの屋根に降り立った。マッコールは、映画はあのライヴとバンドを取り巻くさまざまな要素を組み合わせたものだと説明している。
2007年の『Horizons』でも、バンドは再びマサチューセッツ州のZing Studiosでアダム・デュトキエヴィッチと録音した。Resist Recordsによれば、このアルバムはARIAのアルバム・チャートに6位で初登場し、オーストラリア人アーティストのチャートとインディペンデント・チャートでは1位になった。Billboardは、これがPARKWAY DRIVEにとってオーストラリアで初めてのトップ10アルバムであり、BillboardのTop Heatseekersチャートでも27位まで上がったと書いている。Guitar Worldによれば、アメリカではこのアルバムからEpitaph Recordsが発売を手がけるようになった。
『Atlas』はロサンゼルスで、SLAYERやHATEBREEDを手がけたプロデューサーのマット・ハイドのもとで録音された。2012年9月12日、Resist Recordsは先行曲「Dark Days」のビデオ公開とともに、10月のアルバム発売を告げた。予約用に用意されたのは、PARKWAY DRIVEのビーチ・タオルとCDを組み合わせた限定セットである。Guitar Worldによれば、アルバムはBillboardのアルバム・チャートに32位で初登場した。
『Ire』からの最初のシングル「Vice Grip」は、それまでのPARKWAY DRIVEとはまるで違う曲だった。ルーク・キルパトリックによれば、違いすぎて先行シングルにするかどうかでメンバーの間で議論になった。以前の自分たちならそんな度胸は無かったが、アルバム全体の方向性に沿う曲だと判断して出すことにし、今ではセットの中でいちばんの曲になったという。2015年6月にResist Recordsが告知したミュージック・ビデオでは、メンバー自身が飛行機から飛び降りている。Rolling Stone Australiaによれば、この曲をオーストラリアの新しい国歌にしようという請願まで起こり、3,600人の署名が集まった。
オーストラリアのアルバム・チャートで、PARKWAY DRIVEはトップ40入りから3作続けての1位へと上がってきた。Resist Recordsによれば、2005年の『Killing with a Smile』はARIAのトップ40に入り、2007年の『Horizons』は6位で初登場した。Billboardは『Horizons』をバンドにとって国内初のトップ10アルバムとし、2015年の『Ire』を3作続けてオーストラリアのチャートの1位を取った最初の1枚としている。2022年の『Darker Still』は、ARIAの2022年9月19日の週のアルバム・チャートに初登場1位で入り、公式サイトはこれを3作連続の1位と書いている。公式サイトによれば、7作のスタジオ・アルバムのうち6作がオーストラリアでゴールドに認定されている。
アメリカでは、Guitar Worldによれば2010年の『Deep Blue』がBillboardのアルバム・チャートに39位、2012年の『Atlas』が32位で初登場した。Billboardは、『Deep Blue』から4作続けてBillboard 200のトップ40に入り、2015年の『Ire』が最高29位を記録したこと、また『Ire』がTop Hard Rock Albumsで初めて1位を取ったPARKWAY DRIVEの作品だったことを伝えている。2022年の『Darker Still』について、公式サイトは、ドイツとスイスのアルバム・チャートに5位、オーストリアで7位、ベルギーで11位で登場し、イギリスのロック&メタル・チャートで2位、アメリカのCurrent Hard Rock Music Album Chartで4位に入ったとしている。
PARKWAY DRIVEは映像作品でも自分たちの歩みを残してきた。Resist Recordsによれば、2009年の『The DVD』は、ごく初期のライヴまでさかのぼる映像を使い、ニュー・サウス・ウェールズ州北海岸の浜辺から世界各地のステージまでを追った70分のドキュメンタリーで、発売から1週間でゴールドに認定された。続く『Home Is for the Heartless』は42か国、5大陸で撮影された75分の作品で、旅の記録であると同時に、ステージの上と外でのバンドの姿を追っている。Resist Recordsは2012年7月の発売に先立ち、5月下旬にバイロン・ベイ、シドニー、ブリスベン、メルボルン、アデレード、パースで招待制の上映会を開くと告知し、予約した人の中から抽選でペア招待券が当たる仕組みにした。題名は『Deep Blue』の収録曲「Home Is for the Heartless」と同じである。
PARKWAY DRIVEは、初期の2作の節目をそのアルバムを軸にしたツアーで祝ってきた。Resist Recordsが『Horizons』の発売から10年目にあたるとした2017年10月6日、バンドは2018年1月のオーストラリア・ツアー、A Decade of Horizonsを発表した。このアルバムの曲を中心にした記念のセットで回るもので、全公演にシドニーのPOLARISが同行し、初日の1月12日のUnify Gatheringは発表の時点で完売していた。2026年6月には、8月にパース、アデレード、メルボルン、シドニー、ブリスベンで2夜ずつ公演するツアー、Killing Horizonsが発表された。各都市の1夜目に『Killing with a Smile』、2夜目に『Horizons』を全曲演奏し、どちらの夜もほかの代表曲を加える構成である。ウィンストン・マッコールによれば、きっかけは前のツアーのために『Killing with a Smile』のメドレーを作ったことで、10年以上ライヴで演奏していない曲や、一度も演奏したことのない曲もあるという。
PARKWAY DRIVEというバンド名は、メンバーが最初に練習場所を構えた通りの名前から取られている。Guitar Worldによれば、バンドはもともとTHINK STRAIGHTと名乗っており、2003年の初めにこの名前に改めた。地元紙Ballina Timesは、その通りはユーイングスデールにあり、名付けたのはバイロン・ベイ高校に通う10代の少年たちだったと書いている。ギタリストのジェフ・リンは、サーフ・ショーツ姿のまま自然体でいた自分たちは、凄みのある名前と決まった服装で固めた他のバンドとは最初から違って見えたと言い、若いファンが親しみを持てたのはそこかもしれないと話している。
名前の元になった通りの標識は、ファンに何度も持ち去られてきた。地元紙Ballina Timesによれば、バイロン・シャイア議会はとうとう通りの名前を路面に直接ペンキで書くという手に出た。ところがウィンストン・マッコールによると、今度は道路に寝そべって写真を撮る人が現れ、それはそれで困ったことになったという。Rolling Stone Australiaの特集は、標識を付け替えては盗まれる議会とファンの攻防が12年に及び、付け替えは平均して年に6回ほどだったと伝えている。同じ名前の通りはゴールド・コーストのアドヴァンスタウンにもある。Music Feedsは2014年、地元紙Gold Coast Bulletinの報道として、こちらの標識もバンドの熱心なファンの仕業とみられる盗難でたびたび消え、議会が一時は通りの名をParkway Streetに変えたものの、のちに元の名前に戻したと伝えた。
PARKWAY DRIVEの前身は、ウィンストン・マッコールとベン・ゴードンが始めたTHINK STRAIGHTというバンドである。Guitar Worldによれば、自分のハードコア・バンドが解散したルーク・キルパトリックをゴードンが誘ったとき、マッコールは乗り気でなかった。当時のキルパトリックは人気者の仲間内にいて、町から10分ほど離れて暮らし、サーフィン仲間の輪にも入っていなかったマッコールをからかっていたのだと本人は明かしている。わだかまりが解けると、2人はもっと曲が書けて弾ける仲間が要ると考え、ゴードンが思い出したのが、かつて隣に住んでいた2歳年上のギタリスト、ジェフ・リンだった。リンは、本人たちの知らないうちに地元でのTHINK STRAIGHTのライヴを客として見ていたが、バンドに入るつもりはまったくなく、試しに加わってみたらすっかりのめり込んだという。2003年の初めに名前を改めたとき、リン以外の4人はまだ10代の半ばだった。公式サイトは、2003年に仲間たちが親の家の地下室や裏庭に集まったことをバンドの出発点としており、Ballina Timesは最初の拠点をゴードンの家族の家の地下室としている。
最初のライヴは2003年の初め、バイロン・ベイのユース・センターだった。人前で弾くのはこれが初めてだったジェフ・リンは、怖くてたまらず、ボード・ショーツに靴下を引き上げた格好でステージに立ち、うまく弾けたとも思わなかったと振り返る。ところがその晩、恋人に会いにアデレードから来ていたI KILLED THE PROM QUEENのヴォーカリスト、Michael Crafterがたまたま見に来ており、Crafterの受け止め方は違った。Guitar Worldによれば、CrafterはI KILLED THE PROM QUEENとのスプリット盤を一緒に作ろうと持ちかけ、両バンドのスプリットEPは2003年に出た。2組でオーストラリア各地を回って帰ると、I KILLED THE PROM QUEENの所属レーベルResist Recordsから国内契約の申し出があり、2004年にはEP『Don't Close Your Eyes』が出ている。
デビュー・アルバム『Killing with a Smile』で、PARKWAY DRIVEは思い切った手に出た。Guitar Worldによれば、それまでオーストラリアのどのバンドもしなかったことに、自分たちのEPをKILLSWITCH ENGAGEのギタリストでプロデューサーのアダム・デュトキエヴィッチに送り、デビュー作のプロデュースを頼んだのである。デュトキエヴィッチが引き受けると、バンドはマサチューセッツ州西部へ飛び、Zing Studiosで録音した。費用を抑えるために録音はわずか2週間で終え、そのまままっすぐ帰国したという。Resist Recordsのバンド紹介によれば、アルバムはARIAのトップ40に入っている。
『Killing with a Smile』はオーストラリアでは好評だったが、ヨーロッパやアメリカで出してくれるレーベルは見つからなかった。そこでメンバーは親に金を借り、自力でヨーロッパへ渡った。Guitar Worldによれば、公演は自分たちで取り付け、運が良ければ地元バンドの前座に入れてもらい、腕を組んで眺める数人の客の前で演奏しては、借りたヴァンで何時間も走ってさらに辺鄙な町を目指した。疲れれば道端に車を止め、宿代を浮かせるために外で眠った。ルーク・キルパトリックは、外はこんなに気持ちがいいし寝袋もあるのに一晩100ドルも払う意味が分からなかったと言い、イングランドでは目を覚ますと牛の糞に囲まれた農場の中だったこともあると話す。ジェフ・リンは、一晩中顔を蚊に刺されるのも、庭のスプリンクラーが不意に回り出すのもありがたくなかったと付け加えている。Rolling Stone Australiaの特集も、自主マネージメントのまま、凍える寒さの中でヴァンの下やシートの上で眠ってでもツアーに出たバンドとして彼らを描いている。
アメリカでの初めてのツアーも同じ節約術で乗り切ろうとしたが、こちらはうまくいかないこともあった。ルーク・キルパトリックによれば、住宅街に止めたヴァンで寝ていると、家の前に見慣れない車があることに驚いた住民からテロリストと間違われ、警察を呼ばれたことがあった。Guitar Worldは、ホームレスのように起こされて追い払われることもあったと書いている。そのアメリカに彼らを最初に連れ出してくれたのはTHE WARRIORSだった。ウィンストン・マッコールは2011年のインタビューで、アメリカでツアーを始めさせてくれたのは彼らで、そのツアーで毎晩使っている機材もすべてTHE WARRIORSからの借り物だと明かしている。Guitar Worldによれば、『Deep Blue』のツアーが一巡する頃には、ツアー・バスで移動できるだけの稼ぎが出るようになった。
2010年の『Deep Blue』には、PARKWAY DRIVEにとって特別な2人がゲストで加わっている。1人は、アメリカでの所属レーベルEpitaph Recordsのオーナーで、BAD RELIGIONのギタリストでもあるBrett Gurewitzで、「Home Is for the Heartless」でバッキング・ヴォーカルを担当した。ウィンストン・マッコールは2011年のインタビューで、BAD RELIGIONは自分が12歳の頃から一番好きなバンドで、ほかのメンバー3人にとってもそうだと明かし、自分たちらしくない一節ができたので駄目もとでGurewitzに頼んだところ、本気で取り組んでくれたと話している。もう1人は、彼らを初めてアメリカに連れ出してくれたTHE WARRIORSのヴォーカリスト、Marshall Lichtenwaldtで、「Hollow」で歌った。こちらは交換で、代わりにマッコールがTHE WARRIORSの新作で1曲歌っている。プロデューサーはBAD RELIGIONの作品も手がけたジョー・バレシだった。Guitar Worldによれば、Epitaphは『Horizons』からアメリカでの発売を引き受けており、当時の所属アーティストでメタルコアのバンドはPARKWAY DRIVEだけだった。
『Ire』では、ライヴでバンドの音を作ってきたエンジニアがプロデューサーに起用された。Guitar Worldは、ほとんど無名だったフロント・オブ・ハウスのエンジニアにアルバムを任せたことを、無謀に見えて結果的にうまくいったこのバンドの判断の一つに挙げている。Noise11によれば、2018年の『Reverence』も引き続き、長年PARKWAY DRIVEのサウンド・エンジニアを務めてきたGeorge Hadjichristouがプロデュースした。JB Hi-Fiの商品紹介によれば、『Reverence』はオタワのAll Buttons In Recording Studioで録音されている。
PARKWAY DRIVEは、ARIAミュージック・アワードの最優秀ハード・ロック/ヘヴィ・メタル・アルバム賞を3度受けている。対象は2010年の『Deep Blue』、2018年の『Reverence』、2023年の『Darker Still』で、Billboardは『Darker Still』での受賞をこの部門で3度目と伝えている。Rolling Stone Australiaが2020年12月に出した特別号『50 Greatest Australian Artists of All Time』では、32位に選ばれた。この特集は、選ばれたアーティストから影響を受けた人たちが推薦の言葉を寄せる形で作られ、PARKWAY DRIVEの項はREDHOOKのEmmy Mackが書いている。
映画『Viva the Underdogs』は、映画館での一夜限りの上映として発表された。2019年11月の発表では、2020年1月22日にオーストラリアの映画館で公開されることになっており、Louderによれば、イギリスとアイルランドでも同じ1月22日に上映が組まれた。10年以上にわたって撮りためた舞台裏の私的な映像に、ツアーや大型フェスでの姿を組み合わせ、15年に及ぶバンドの歩みを描いた作品である。ウィンストン・マッコールは発表に寄せて、自分たちは一夜でスターになった話でも突然ブレイクした話でもなく、これからもネットで話題をさらうことはないだろうと述べ、この映画はアンダードッグとして生き残るには何が要るのかを正直に見せるものだと説明している。
映画『Viva the Underdogs』のサウンドトラックは、2019年のWacken Open Airでのヘッドライナー公演から11曲のライヴ録音を収め、さらにドイツ語で録音し直したスタジオ曲を3曲加えている。「Vice Grip」は「Würgegriff」、「The Void」は「Die Leere」、「Shadow Boxing」は「Schattenboxen」となり、「Schattenboxen」にはドイツのラッパー、Casperが加わった。ウィンストン・マッコールは、自分たちの曲を別の言語で解釈し直すのは大きな挑戦だったと振り返り、長年の支えに応えるためにも中途半端にはせず、自分たちのものではない言葉でも歌の意味や精神が伝わるよう力を尽くしたと話している。ドイツ語の3曲は、原曲を一緒に歌ってくれたファンへの敬意と感謝のしるしだという。
2019年、PARKWAY DRIVEはドイツのWacken Open Airでヘッドライナーを務めた。Rolling Stone Australiaによれば、そのステージを見届けた観客は7万5,000人にのぼる。この夜の演奏からは「Prey」から「Bottom Feeder」までの11曲が、翌2020年のサウンドトラック『Viva the Underdogs』にライヴ録音として収められた。Wall of Soundは、同じ2019年にGood Things Festivalでもヘッドライナーを務めたと書いている。
2025年6月9日、PARKWAY DRIVEはシドニー・オペラハウスで、フル編成の交響楽団と一夜限りの公演を行った。ウィンストン・マッコールがRolling Stone Australiaに語ったところでは、客席はすべて着席、ドレス・コードはブラック・タイで、バンドは芝を敷いたステージに立ち、セットリストもいつもとは組み立てを変えた。自分たちに期待されるものの正反対をやりたかったのだという。オーケストラとのリハーサルは本番の4時間前に1回だけだった。同誌によれば、チケットは3分足らずで売り切れている。Wall of Soundの公演評によれば、指揮はAlec Robertsが務め、開演時にはMatthew Doyleら3人の先住民のパフォーマーがWelcome to Countryを披露した。アンコールではシンガーのJenna McDougallが登場し、「A Deathless Song」をマッコールと2人で初めてライヴで歌った。マッコール自身はこの夜を、オペラハウス史上いちばん音の大きな公演だったと言い、Music Feedsは、シドニー・オペラハウスでフル編成の交響楽団と共演した最初のヘヴィ・バンドだと書いている。
ドラマーのベン・ゴードンは、俳優のクリス・ヘムズワースにドラムを教えたことがある。ヘムズワースのドキュメンタリー・シリーズの続編『Limitless: Live Better Now』の第1話は、ドラムに触れたことのないヘムズワースがわずか2か月で腕を磨き、エド・シーランのステージに加わって7万人の前で演奏するという挑戦を追ったものである。ゴードンがオーストラリアのテレビ番組『Today』で語ったところでは、2人はヘムズワースがバイロンに越してきた頃に共通の友人を介して知り合い、7、8年来の付き合いだった。プロのドラマーの友人は自分しかいなかったから声がかかったのだろうと言い、最初は裏で手伝うだけのつもりが、レッスンの様子が撮影されて番組に出ることになったという。ウィンストン・マッコールによれば、ヘムズワースはバンドとも一緒に演奏し、メンバーは彼の腕前について遠慮なく正直に伝えなければならなかった。
バンドが大きくなるにつれ、PARKWAY DRIVEが育った土地で演奏する機会はなくなっていった。2015年の『Ire』のオーストラリア・ツアーには10月3日のバイロン・ベイ高校での公演が組まれており、ウィンストン・マッコールは2026年2月の取材で、これが地元での最後のライヴだったと話している。その後はバンドの規模が大きくなりすぎ、町には演奏できる会場がなくなったのだという。同じ記事によれば、地元で開かれるBluesfestのフェスティヴァル・ディレクター、Peter Nobleから2026年4月2日の出演に招かれ、10年以上ぶりに地元で演奏する機会を得た。Nobleの息子もバイロン・ベイ高校の出身である。マッコールは、ブルースという名前からPARKWAY DRIVEを連想する人はいないだろうが、自分たちもバイロンのルーツを体現していると話し、Splendourにさえ出たことがなかったと付け加えている。
2025年5月の「Sacred」は、2022年の『Darker Still』以来、3年ぶりの新曲だった。Billboardが伝えた声明で、ウィンストン・マッコールはこの曲の狙いを、前向きなエネルギーですべてをなぎ倒す賛歌だと説明している。人の暮らしは否定と絶望の見方にますます押しやられ、欠けているもの、憎むもの、責める相手にばかりとらわれるようになったというのがマッコールの見立てである。曲はシドニー・オペラハウス公演の数週間前に出され、Wall of Soundによれば、その夜にはオーケストラとともに演奏された。
メンバーは全員バイロン・ベイで育った。Guitar Worldによれば、人口5,000人ほどのこの町には1980年代から90年代にかけて音楽シーンもロックのラジオ局もなく、彼らが初めてメタルに触れたのは、子どもの頃に見ていたサーフィン・ビデオの背景に流れる音楽だった。ルーク・キルパトリックは、自分たちは毎日サーフィンをするような活動的な人間で、浜辺で育つと体を動かさずにはいられないのだと話す。同誌は、わざわざいい波の立つ土地を選んでライヴを組んできたことを、型破りに見えてうまくいったこのバンドのやり方の一つに数えている。Resist Recordsのバンド紹介も、その出発点をニュー・サウス・ウェールズ州北海岸の浜辺に置いている。
PARKWAY DRIVEの5人のうち、結成時にいなかったのはベーシストのジア・オコナーだけである。2016年のGuitar Worldはそう紹介しながら、メンバーをあだ名付きで呼んでいる。ギタリストのルーク・キルパトリックはPig、ドラマーのベン・ゴードンはGaz、オコナーはPieである。それから10年後の2026年も、公式サイトはヴォーカルのウィンストン・マッコール、ギタリストのジェフ・リンとキルパトリック、ベーシストのオコナー、ドラマーのゴードンという同じ5人を挙げている。2025年のシドニー・オペラハウス公演を振り返ったマッコールも、ドラムを叩くゴードンをGazと呼んでいた。