MICHAEL MONROE
MICHAEL MONROE(マイケル・モンロー)の詳しいバイオグラフィとディスコグラフィ。HANOI ROCKSのフロントマンによるソロ作を、1987年のデビュー作『Nights Are So Long』から2026年『Outerstellar』まで、作品ごとの個別ページ・日本盤情報つきで掲載するMETAL BOOSTのアーティストページ。
Biography
MICHAEL MONROE
バイオグラフィー
概要
マイケル・モンロー(Michael Monroe)は1962年6月17日、フィンランド・ヘルシンキ生まれのヴォーカリストである。本名はマッティ・アンテロ・クリスチャン・ファーゲルホルム。1980年に結成されたHANOI ROCKSのフロントマンとして知られ、1985年のバンド解散後はソロ名義で40年近く活動を続けている。
ヴォーカルのほかにサックス、ハーモニカ、ギター、ピアノを自ら演奏し、作品によってはベースやドラムまで担当する。グラム・ロックとパンク・ロックの語彙で書かれた3分前後の曲を、40分前後のアルバムにまとめるという設計は、1987年のソロ・デビュー作から2026年の最新作まで一貫している。
ソロ・スタジオ・アルバムは1987年『Nights Are So Long』から2026年『Outerstellar』まで11作。ほかに2010年のライブ盤『Another Night in the Sun: Live in Helsinki』と、2002年に日本のみで発売されたEP『Take Them and Break Them』がある。
HANOI ROCKS以前——ヘルシンキ、1976年から1979年
10代の頃はMadnessというバンドに在籍していた。トーロ地区の教会地下でリハーサルをしていたとき、隣の部屋で練習していたBriardのアンティ・フルッコ——のちのアンディ・マッコイ——と出会う。この出会いがHANOI ROCKSの出発点になった。
HANOI ROCKS——1980年から1985年
1980年、マッコイとともにHANOI ROCKSを結成。翌1981年のデビュー作『Bangkok Shocks, Saigon Shakes, Hanoi Rocks』から1984年の『Two Steps from the Move』まで5作を発表し、1984年にはSounds誌の読者投票で世界2位のバンドに選ばれ、モンロー自身も同誌の「Sex Symbol of the Year」に選出された。
1984年12月8日、全米ツアー中にドラマーのラズル(ニコラス・ディングリー)が交通事故で死去する。モンローは足首を骨折していて事故の車には同乗しておらず、ホテルにいた。バンドは翌1985年に解散した。
HANOI ROCKS自体の歩みについては、当サイトのHANOI ROCKSのページに詳しい。本稿はソロとしてのマイケル・モンローを扱う。
ニューヨークへ、そしてソロ・デビュー——1985年から1989年
1985年秋、スティヴ・ベイターズとともにスティーヴン・ヴァン・ザントの「Sun City」にバッキング・ヴォーカルで参加し、ニューヨークで撮影されたビデオにも出演した。同年12月にはニューヨーク移住を表明し、1986年に最初のソロ・バンドを組む。
1987年、ソロ・デビュー作『Nights Are So Long』を発表。ニューヨーク州ホワイトプレインズのNorth Lake Sound Studiosで録音され、フィンランドのYahoo! Recordsからリリースされた。MOTT THE HOOPLEのイアン・ハンターがピアノで参加している。日本盤は同年9月5日にH.I.T. Avenue Recordsから発売された。
1988年にMercury Recordsと契約し、翌1989年に2作目『Not Fakin' It』を発表する。リトル・スティーヴンが作曲・編曲・バッキング・ヴォーカルで深く関わり、全米ビルボード200で161位を記録した。「Dead, Jail or Rock 'n' Roll」のミュージック・ビデオにはGUNS N' ROSESのアクセル・ローズが出演し、MTVの<Headbangers Ball>ではモンロー自身がホストを務めて放映されている。1989年の大晦日から翌元日にかけては東京ドームの公演に出演し、ブライアン・アダムス、ドン・ヘンリー、ヒューイ・ルイス、LOUDNESSと同じ舞台に立った。
JERUSALEM SLIMとDEMOLITION 23.——1990年から1994年
1990年、元ビリー・アイドル・バンドのスティーヴ・スティーヴンス、サミ・ヤッファらとJERUSALEM SLIMを結成。1992年に同名アルバムを発表したが、モンローとスティーヴンスの音楽性の違いから解散に至った。
この時期はGUNS N' ROSESとの関わりも深い。1991年の『Use Your Illusion I』収録「Bad Obsession」にハーモニカとサックスで参加し、1993年の『"The Spaghetti Incident?"』ではDEAD BOYSのカヴァー「Ain't It Fun」でヴォーカルを取った。
1994年にはサミ・ヤッファ、ジミー・クラーク、そして元HANOI ROCKSのナスティ・スーサイドとDEMOLITION 23.を結成し、リトル・スティーヴンのプロデュースで同名アルバムを発表。日本と欧州のツアーは成功したが、ナスティ・スーサイドが音楽活動からの引退を表明したため解散した。
ソロへの回帰——1996年から2009年
1996年、ソロ名義に戻って3作目『Peace of Mind』をフィンランドのPoko Rekordsから発表。1999年の『Life Gets You Dirty』ではアンディ・マッコイが作曲に参加し、解散から14年を経て2人の名前が再び同じクレジットに並んだ。どちらの作品でもモンローは演奏の大半を自ら担当している。
2001年6月19日、1989年に結婚した最初の妻ジュード・ワイルダーが脳出血で死去。翌2002年にHANOI ROCKSが再結成し、同じ年に日本限定EP『Take Them and Break Them』を発表した。2003年にはソロ5作目『Whatcha Want』とHANOI ROCKSの再結成第1作『Twelve Shots on the Rocks』が同じ年に出ている。
HANOI ROCKSは2005年『Another Hostile Takeover』、2007年『Street Poetry』を発表したのち、2008年にマッコイとモンローが活動終了を発表。2009年4月、ヘルシンキのTavastia Clubで6日間8公演のソールドアウト・フェアウェル公演を行い、最後の3公演にはナスティ・スーサイドがゲスト出演した。
MICHAEL MONROE BAND——2010年から現在
2010年1月25日、ロサンゼルスでの記者会見をもって新バンドの始動が発表された。当初のメンバーはサミ・ヤッファ(b)、ジンジャー(g)、トッド・ユース(g)、ジミー・クラーク(ds)。初期の公演を経てトッド・ユースがスティーヴ・コンティに、ジミー・クラークがカール・ロックフィストに交代する。同年9月にはライブ盤『Another Night in the Sun: Live in Helsinki』を発表し、Spinefarm/Universalと契約した。
2011年のスタジオ作『Sensory Overdrive』はジャック・ダグラスのプロデュースで、MOTÖRHEADのレミー・キルミスターとルシンダ・ウィリアムスがゲスト参加している。同作はClassic Rock誌の2011年アワードでAlbum of the Yearに選ばれた。同年夏にジンジャーが脱退し、BACKYARD BABIESのドレゲンが加入する。
2013年の『Horns and Halos』はフィンランドのアルバム・チャートで1位を獲得し、発売から4日でゴールド認定を受けた。2014年3月6日にドレゲンがソロ活動専念のため脱退し、リッチ・ジョーンズが加入。以後、モンロー、スティーヴ・コンティ、リッチ・ジョーンズ、サミ・ヤッファ、カール・ロックフィストという編成は現在まで動いていない。
2015年『Blackout States』、2019年『One Man Gang』(Silver Lining Musicへ移籍)、2022年『I Live Too Fast to Die Young!』(表題曲にスラッシュがゲスト参加)と続き、2026年2月20日に通算11作目『Outerstellar』を発表した。
現在のメンバー
公式サイトmichaelmonroe.comが挙げているのはサミ・ヤッファ、スティーヴ・コンティ、リッチ・ジョーンズ、カール・ロックフィストの4名である。楽器の内訳は英語版Wikipediaとレーベル・クレジットに拠る。
| 名前 | 担当 | 在籍 |
|---|---|---|
| マイケル・モンロー | ヴォーカル、サックス、ハーモニカ、ギター | 1985年– |
| スティーヴ・コンティ | ギター、バッキング・ヴォーカル | 2010年– |
| サミ・ヤッファ | ベース、バッキング・ヴォーカル | 2010年– |
| カール・ロックフィスト(カール・ロスクヴィスト) | ドラム | 2010年– |
| リッチ・ジョーンズ | ギター、バッキング・ヴォーカル | 2014年– |
過去のメンバーにはジンジャー(g、2010年–2011年)、ドレゲン(g、2011年–2014年)、トッド・ユース(g、2010年)、ジミー・クラーク(ds、2010年)らがいる。
日本での展開
日本盤は時代ごとに3社が扱ってきた。1993年から1996年はマーキュリー(PHCR-)、1999年から2003年はスティームハマー/クラウン徳間ミュージック販売(CRCL-)、そして2010年以降はビクターエンタテインメント(VICP-/VIZP-)である。ビクター期の日本盤にはボーナス・トラックが付くことが多く、『Sensory Overdrive』は2曲、『Horns and Halos』は4曲(うち2曲は2011年の<V-ROCK FESTIVAL '11>のライブ音源)、『Blackout States』は通常盤1曲・デラックス盤2曲を加えている。
『One Man Gang』『I Live Too Fast to Die Young!』『Outerstellar』の3作は、いずれも日本でのみ発売される完全限定生産のデラックス盤を持つ。2002年のEP『Take Them and Break Them』は日本以外で流通しなかった作品である。
2026年11月25日から12月2日にかけて、<MICHAEL MONROE JAPAN TOUR 2026>として大阪・広島・京都・愛知・東京の6公演が予定されている。東京のEX THEATER ROPPONGI 2デイズは、12月1日を「A Celebration of HANOI ROCKS」、12月2日を「1987-2026 SOLO YEARS」と題した別々のセットで行われる。企画・制作はクリエイティブマンプロダクション、協力はビクターエンタテインメントである。
ディスコグラフィ(当サイト登録分)
| 年 | タイトル | 種別 |
|---|---|---|
| 2026 | Outerstellar | スタジオ・アルバム |
| 2022 | I Live Too Fast to Die Young! | スタジオ・アルバム |
| 2019 | One Man Gang | スタジオ・アルバム |
| 2015 | Blackout States | スタジオ・アルバム |
| 2013 | Horns and Halos | スタジオ・アルバム |
| 2011 | Sensory Overdrive | スタジオ・アルバム |
| 2010 | Another Night in the Sun: Live in Helsinki | ライブ・アルバム |
| 2003 | Whatcha Want | スタジオ・アルバム |
| 2002 | Take Them and Break Them | EP(日本限定) |
| 1999 | Life Gets You Dirty | スタジオ・アルバム |
| 1996 | Peace of Mind | スタジオ・アルバム |
| 1989 | Not Fakin' It | スタジオ・アルバム |
| 1987 | Nights Are So Long | スタジオ・アルバム |
HANOI ROCKS名義、JERUSALEM SLIM、DEMOLITION 23.の作品はここには含まない。HANOI ROCKSは当サイトに独立したアーティスト・ページがある。
出典について
作品の一覧はMusicBrainzのリリース・グループ(アーティストID f7e854f4-d845-43e3-8b39-6da632e273e2)から、収録曲順は各リリース・グループで最も古い日付を持つリリースから取得した。結成年・在籍年・制作陣・チャート成績・年表は英語版Wikipediaの記述に拠る。日本盤の品番・発売日・価格・ボーナス・トラックはビクターエンタテインメント、タワーレコード、Neowing、ユニバーサルミュージックの各商品ページから、2026年11月から12月の来日公演はクリエイティブマンプロダクションの公演ページから取得した。ミュージック・ビデオは全てYouTubeのoEmbedで投稿チャンネル名を確認しており、ファンによる再アップロードは含めていない。
Trivia
「Last Train To Tokyo」のミュージック・ビデオに映っているクラブの客席は、東京で仕込まれたものである。2019年8月に来日した際、彼らはELECTRIC EEL SHOCKの公演にスペシャル・ゲストとして出演し、ビデオ撮影を兼ねたシークレット・ギグを行なった。言い出したのはリッチ・ジョーンズで、クラブでのライヴ・シーンを入れたいという意図だった。撮影のために何度か演奏し、最終的にはフル・セットをやりきっている。告知はELECTRIC EEL SHOCKの公演にスペシャル・ゲストが加わるという形だけだったが、口コミで話が広がり、150人ほどを見込んでいたところへ300人ほどが集まった。天井のパイプにぶら下がったら客も一緒にぶら下がって歌い出した、というのがマイケルの記憶である。
2024年2月の来日公演はすべて完売し、休みの日に彼は京都を訪れている。行き先は東映の映画村で、そこで侍役の俳優、平井力に会った。実は1983年にハノイ・ロックスが同じ映画村を訪れたときにも彼はそこにいて、アンディ・マッコイから自分のスカーフを1枚贈られていた。カラオケでハノイの曲を歌っていたという話もマイケルの耳に入っている。2024年に訪れた際、平井のほうから挨拶に来た——40年以上を経て、彼はまだそこで侍をやっていたのである。マイケルは2025年11月の大阪公演に彼を招待すると語っていた。
彼が初めて日本に来たのは、1983年のハノイ・ロックス初来日である。以来の来日回数を、彼は2023年の時点で「30回ぐらい」と見積もっていた——以前数えたときは25回だったが、それも随分前のことだから、という理由である。日本の書体はそれ以前から気に入っており、日本風の文字でタトゥーを入れたいと考えていた。当初はバラと一緒に当時のガールフレンドの名前を入れるつもりだったのだが、バンドのメンバーから「日本風の書体でバンド名を入れろ」と言われ、そのとおりにした。着物も日本の文化も好きで、人々が互いに気を使い礼儀正しいこと、人生に対する態度も含めて好きになったのだと語っている。
『SENSORY OVERDRIVE』は2つの国で年間最高の評価を受けている。2011年11月、イギリスのロック専門誌『Classic Rock』の音楽式典で年間最優秀アルバムに選ばれ、続く2012年1月には、フィンランドのグラミー賞とも言われる音楽賞〈Emma Gaala〉で、MICHAEL MONROEが最優秀バンド、『SENSORY OVERDRIVE』が最優秀ロック・アルバムに選出された。このアルバムは母国フィンランドでは1位を記録している。
マイケル・モンローという名前は、本人が机の上で考え出したものではない。彼の本名はマッティ・アンテロ・クリスティアン・ファーゲルホルムで、フィンランド名は国外の誰にも発音できない——ハノイ・ロックスを組むときにメンバー全員が本名を使わないと決めたのはそのためだった。マリリン・モンローもアリス・クーパーも本名ではない、という理屈である。ファーストネームの出どころは偶然で、当時ジャムをしていたバンドにいたベネズエラ人のキーボード奏者に名前を訊かれ、8歳の頃からの愛称である「マッケ」と答えたところ、「マイクと呼んでいいか」と返された。そこからマイクが生まれ、彼はマイクよりマイケルのほうが格好いいと考えた。姓のほうは、自分が生まれたのとちょうど同じ夏にマリリン・モンローが世を去っていたことと、単純に響きが良かったことによる。
ラズルの加入は、散々な一夜から始まっている。ロンドンでの3公演のうち初日は完全な失敗だった。ヘッドライナーはLORDS OF THE NEW CHURCH。マイケルとアンディ・マッコイは5日間スピードで起きたままで、彼は「Don't Follow Me I'm Lost Too」の途中でステージ上で吐き、アンディとナスティは最初のコードで揃って弦を切り、サミはアンプの裏で吐いた。それでも客は良かったと言ってきたという。その夜トイレで用を足していると、一人の男が横に寄ってきて「あんたのバンドはいいが、ドラマーは俺がやるべきだ」と告げた。彼はその番号を控えた。ホテルの部屋に戻ってジップの後任をどうするかとアンディに相談すると、アンディも「俺がドラマーをやるべきだと言い続けて付きまとってくる奴がいる」と返す。同じ男だった。オーディションでの演奏は技術的に上手いとは言えなかったが、態度は見事で、見た目も申し分なかった——大量の髪、黒い口紅、そして厚底のブーツ。それで叩くのかとメンバーは尋ねている。低調だったバンドはこの加入で息を吹き返した。
「Ain't It Fun」の録音現場には、亡くなった友人の作法が持ち込まれた。生前のスティーヴ・ベイターズは、モンローとスタジオでヴォーカルを録るとき、火を点けた蝋燭をぐるりと円形に並べ、その「守りの円」の内側で歌わせるという儀式を持っていた。そこでモンローとアクセル・ローズはスタジオにある蝋燭を集められるだけ集めて自分たちの周りに円を作り、向かい合って立ち、火を点けて顔を突き合わせたまま歌った。何箇所かでアクセルの声はベイターズそのものに聴こえた、と彼は言う。二人は同じ種類の呪術を持っていたのだと思った、というのが本人の述懐である。
2022年9月23日、故郷ヘルシンキで行なわれた60歳記念公演で、ハノイ・ロックスのオリジナル・メンバーが1夜限りの再結成を果たした。マイケル・モンロー、アンディ・マッコイ、ナスティ・スーサイド、サミ・ヤッファ、ジップ・カジノというこの5人が同じステージに立ったのは1982年7月27日以来、40年ぶりである。演奏されたのは「Tragedy」「11th Street Kids」「Oriental Beat」「Boulevard of Broken Dreams」「Don't You Ever Leave Me」「Motorvatin'」「Malibu Beach Nightmare」「Million Miles Away」「Up Around The Bend」の9曲だった。公演全体ではDEMOLITION 23.とオリジナル・ハノイの分を含めて合計37曲。歌う量が多かったが自分の声はよく持ちこたえた、と彼は振り返っている。
News
【国内】MICHAEL MONROE、2026年11〜12月に来日ツアー6公演が決定 東京2デイズはハノイ・ロックス編とソロ編で別セット
11月25日の大阪・梅田CLUB QUATTROから12月2日の東京・EX THEATER ROPPONGIまで大阪・広島・京都・愛知・東京の6公演を行い、東京2公演はデビュー45周年を記念して12月1日を“A Celebration of HANOI ROCKS”、12月2日を“1987-2026 SOLO YEARS”と題した別々のセットで実施する。チケットは10月3日(土)10:00発売。
MICHAEL MONROE、2027年4〜5月の米国ツアー日程を発表
元HANOI ROCKSのMichael Monroeが、4月29日ハムデン(コネチカット州)から5月5日ロサンゼルスのWhisky A Go Goまで5公演を行い、5月6〜11日の<Monsters Of Rock Cruise>にも出演する。チケットは8月21日発売。
Albums
スラッシュを迎えた表題曲を含む通算10作目。2022年6月10日にSilver Lining Musicから発表され、日本盤はビクターから同日発売された。
ジャック・ダグラスのプロデュース、レミー・キルミスターとルシンダ・ウィリアムスが客演。Classic Rock誌のAlbum of the Yearに選ばれた。
2010年に始動した新バンドによる最初の作品。ソロ曲、HANOI ROCKS、DEMOLITION 23.の曲を並べたヘルシンキ公演のライブ盤。
HANOI ROCKS再結成と並行して作られたカヴァー中心の一枚。EDDIE & THE HOT RODS、X-RAY SPEX、レナード・コーエンらを取り上げた全13曲。
モンローがほぼ全ての楽器を自ら弾いた通算4作目。アンディ・マッコイが作曲に加わり、HANOI ROCKSの「Self Destruction Blues」を再演している。
Mercury移籍後の通算2作目。「Dead, Jail or Rock 'n' Roll」のビデオにアクセル・ローズが出演し、全米ビルボード200で161位を記録した。