MANOWAR TRIVIA

Trivia

2009年のEP『Thunder in the Sky』の2枚目のディスクには、パワー・バラード「Father」の各国語版が15曲並び、その9曲目は日本語版の「父」である。ほかはブルガリア語、クロアチア語、フィンランド語、フランス語、ドイツ語、ギリシャ語、ハンガリー語、イタリア語、ノルウェー語、ポーランド語、ポルトガル語、ルーマニア語、スペイン語、トルコ語の版である。英語の「Father」は1枚目に収められた。公式サイトの経歴は、これをヘヴィ・メタルの歴史で初めての試みとし、18の言語で録音したと記している。英語以外の言葉で歌うことは、それ以前からあった。1988年にはシングル『Herz aus Stahl』が出ており、laut.deによれば表題曲は「Heart of Steel」にドイツ語の歌詞を付けたものである。2023年にも、ドイツ語の題を持つシングル『Laut und hart, stark und schnell』を出している。

出典: MANOWAR公式サイト「THUNDER IN THE SKY – 2 DISC EP」(作品ページ、2026年10月21日参照)

ドイツでは、MANOWARのアルバム4作がゴールド・ディスクに認定されている。ドイツ連邦音楽産業協会(BVMI)のデータベースによれば、1994年に『Fighting the World』と『Kings of Metal』が、2003年に『The Triumph of Steel』と『Warriors of the World』がそれぞれゴールドを獲得した。前の3作はAtlantic Recordsの作品で、『Warriors of the World』はNuclear Blastから出たものである。2007年には映像作品『Fire and Blood』も、ミュージック・ビデオの部門でゴールドに認定された。Blabbermouth.netが伝えた2005年の発表によれば、『Warriors of the World』はドイツのMedia Controlのチャートで2位まで上がっていた。

出典: BVMI(ドイツ連邦音楽産業協会)「GOLD-/PLATIN-/DIAMOND-Datenbank」のMANOWAR検索結果(2026年10月21日参照)

ドイツのアルバム・チャートでMANOWARが最も高く上ったのは2位で、2002年の『Warriors of the World』と2007年の『Gods of War』がともにこの位置に届いた。GfKの公式チャートの記録では、『Warriors of the World』はチャートに31週、『Gods of War』は19週とどまっている。記録に残る最も古い入賞は、1988年12月にチャート入りした『Kings of Metal』で、最高37位だった。1992年の『The Triumph of Steel』は8位、1996年の『Louder Than Hell』は7位まで上がり、laut.deは前者が初登場でいきなり8位に入ったと書いている。シングルでは、2002年の「Warriors of the World United」が15位を記録し、同じ年の終わりにチャート入りした「The Dawn of Battle」は最高31位ながら17週にわたって残った。ライヴ・アルバムも、1997年の『Hell on Wheels』が37位、1999年の『Hell on Stage Live』が18位に入っている。

出典: Offizielle Deutsche Charts(GfK Entertainment)のMANOWAR検索結果(2026年10月21日参照)

オーソン・ウェルズがデビュー作に残した語りを、クリストファー・リーが受け継いだ。2005年2月、MANOWARはEarthshaker Fest 2005のステージで、リーが「Dark Avenger」と「Defender」のウェルズのパートを語ると発表したが、laut.deによれば、リーは会場のビデオ・スクリーンを通じて出演を断った。それから5年後、デビュー作の30周年を記念して全編を録り直した2010年の『Battle Hymns MMXI』で、バンドはウェルズの語りを改めて吹き込むにあたり、リーのほかに考えられなかったとしている。録音はロンドンのAbbey Road Studiosで行われ、リーはウェルズに敬意を払いつつ、自分なりの解釈で「Dark Avenger」を語った。リーは、2005年の北米ツアーでMANOWARのスペシャル・ゲストを務めたRHAPSODY(現在のRHAPSODY OF FIRE)の当時の新作でも、語り手を務めていた。『Battle Hymns MMXI』には、1982年の夏にテキサス州で録られたライヴ音源も2曲加えられた。7月31日にアビリーンで録られた「Fast Taker」と、8月1日にダラスのReunion Arenaで録られた「Death Tone」である。

出典: MANOWAR公式サイト「BATTLE HYMNS MMXI」(作品ページ、2026年10月21日参照)

イギリスの公式チャートにも、MANOWARの名前は残っている。Official Charts Companyの記録では、『Hail to England』が1984年2月にアルバム・チャートに入って最高83位、同じ年の10月には『Sign of the Hammer』が73位を記録した。2007年の『Gods of War』は、ロック&メタル・アルバム・チャートで7位に入っている。2019年には、『The Final Battle I』の冒頭の曲と同じ題の「March of the Heroes into Valhalla」がフィジカル・シングル・チャートで11位まで上がり、10週にわたってとどまった。2023年の『Laut und hart, stark und schnell』も、同じチャートで21位を記録している。

出典: Official Charts Company「MANOWAR songs and albums」(2026年10月21日参照)

MANOWARのジャケットを長く手がけてきたのは、ファンタジー画家のケン・ケリーである。Ultimate Classic Rockによれば、ケリーはKISSの『Destroyer』と『Love Gun』、RAINBOWの『Rising』の絵で知られ、MANOWARには1987年から2007年までに6枚のアルバムの絵を提供した。その後も、2012年の『The Lord of Steel』の通常盤と2014年の『Kings of Metal MMXIV』に新しい絵を描いている。2015年、バンドは公式サイトでケリーを長年の友人であり協力者と呼び、ケリーのほうは、自分の絵は音楽から生まれ、その絵がまたバンドの音楽を後押しするという、行き来のある関係を語った。公式サイトは、歌詞とアルバム・ジャケットの両方に剣と魔法の世界を持ち込んだ最初のメタル・バンドであることを、MANOWARの功績の1つに挙げている。

出典: MANOWAR公式サイト「MANOWAR Confirm Ken Kelly Has Started Working On New MANOWAR Album Artwork」(2015年5月22日)

MANOWARの始まりは、BLACK SABBATHのHeaven and Hellツアーにある。ロス・ザ・ボスは当時SHAKIN' STREETのギタリストで、このバンドはイギリスを回るBLACK SABBATHの前座を務めていた。2022年にロス・ザ・ボスが振り返ったところでは、サウンドチェックを終えてステージの袖にいたロニー・ジェイムス・ディオと話していると、ディオはギターの腕をほめたうえで、自分のクルーにとてつもなくうまいベーシストがいるから会ってみろと勧めた。それがジョーイ・ディマイオだった。ツアーが進むうちに2人はBLACK SABBATHの楽屋で練習用のアンプを鳴らしてジャムをするようになり、ディマイオはギーザー・バトラーの予備のベースを借りて弾いた。本番中のBLACK SABBATHの演奏の合間にも、楽屋の音が聞こえていたという。ロス・ザ・ボスはハワイのAloha StadiumでSHAKIN' STREETとしての最後のステージを終えると、ニューヨーク州マウント・ヴァーノンの自宅でディマイオと曲を書き始めた。EMIにいた友人のBob Currieが、ドラマー抜きで演奏する2人を見てデモの制作費を出してくれたという。Louderは、2人の出会いを1980年、Newcastle City HallでのBLACK SABBATHの公演としている。

出典: Ultimate Guitar「Ross the Boss Recalls What Touring With Dio-era Sabbath Was Like, Explains How It Led to the Creation of Manowar」(2022年3月31日)

MANOWARという名前を言い出したのは、メンバーではなかった。2021年にイタリアのtruemetal.itの取材でロス・ザ・ボスが語ったところでは、名前はなかなか決まらず、大陸間弾道ミサイルを意味するICBMをはじめ、いくつもの案が出ては消えた。そこへ、MANOWARではどうかと口にしたのが、Dawkの愛称で呼ばれた技術者のJohn Stillwellで、ロス・ザ・ボスとジョーイ・ディマイオはあっけにとられて顔を見合わせ、これしかないと思ったという。StillwellはMarshallのアンプの改造の名人で、ロス・ザ・ボスによれば、トニー・アイオミのためにアンプ・ヘッドに手を加えたこともあり、BLACK SABBATHの『Heaven and Hell』でギターの音がそれまでとまったく違って聞こえるのはそのためだという。MANOWARの機材も、ほとんどが彼の手で作られるか手直しされたもので、デビュー作『Battle Hymns』のブックレットは、バンドの機材を武器と呼び、それを作って整えたのはDawk Soundだと記している。EMIとの契約がまとまると、ロス・ザ・ボスは彼からアンプ・ヘッドを7台買い込んだ。剣も本物を取り寄せたと話している。

出典: truemetal.it「Intervista Ross The Boss (Ross "The Boss" Friedman)」(2021年9月13日)

エリック・アダムスは、MANOWARへの誘いを2度断っている。ジョーイ・ディマイオのポッドキャストWords of Powerに出演したアダムス自身が話したところでは、1980年、家を訪ねてきたディマイオから、BLACK SABBATHのツアーで知り合ったギタリストとバンドを組むから歌ってほしいと誘われたが、音楽業界にはもううんざりしていたアダムスは断った。子どものころからの付き合いだからと、デモで歌うことだけは引き受け、地元の誰かの家の居間で初めてロス・ザ・ボスと顔を合わせて3、4曲を練習し、別の町で雇ったドラマーと録音した。ロス・ザ・ボスの記憶では、このときドラムを叩いたのはTHE RODSのカール・カネディだった。1週間後、レコード契約が取れたと告げに来たディマイオをまた断ったが、その晩、妻から、その声があるのだから、やらなければこの先ずっと、やっていたらどうなったかと考え続けることになると言われて心を決めたという。アダムスの本名はルー・マルーロで、ロス・ザ・ボスの2021年の回想によれば、その名前では通らないと考えたロス・ザ・ボスが、2人の息子の名前を組み合わせた芸名を勧めた。MANOWARの前には、THE KIDS、LOOKS、HARLEQUINというバンドで歌っていた。

出典: Blabbermouth.net「ERIC ADAMS: How MANOWAR Was Born (Audio)」(2021年1月2日)

デビュー作『Battle Hymns』の「Dark Avenger」で、曲の中盤の語りを務めたのはオーソン・ウェルズである。公式サイトは、ウェルズと録音した唯一のバンドであることをMANOWARの功績に数えている。Wellesnetが伝えるロス・ザ・ボスの回想では、自分で書いた6分のこの大作には語りが欠かせず、それも本物の声が必要だと考えた。ジェームズ・アール・ジョーンズやヴィンセント・プライスの名も挙がったが、ウェルズの名が出たところで決まり、エグゼクティヴ・プロデューサーのBob Currieがウェルズのマネージメントに打診すると、先方は乗り気だった。台本を送るとウェルズはそれを気に入り、マンハッタン57丁目のスタジオで「Dark Avenger」と「Defender」の2曲分の語りを一度に録音したという。ロス・ザ・ボスは、リムジンを降りたウェルズに通りの人々が群がった様子を、1940年代のフランク・シナトラのようだったと振り返っている。「Defender」のほうが世に出たのは、1987年の『Fighting the World』だった。

出典: Wellesnet「Manowar founder recalls heavy metal recordings with Orson Welles」(2017年8月11日)

1980年代のMANOWARは、レーベルを渡り歩いた。最初の契約はEMIとのもので、ロス・ザ・ボスによれば、4人で録った最初のデモがその決め手になった。ドイツの音楽サイトlaut.deの経歴によれば、1982年の『Battle Hymns』の後にはテッド・ニュージェントの前座としてアメリカ南東部を短く回ったが、EMIはほどなくバンドを手放した。続く『Into Glory Ride』でMegaforce Recordsに移った際には、新しい契約書に自分たちの血でサインしたという。その後またレーベルの無い時期を経てAtlantic Recordsと契約し、翌年に出たのが1987年の『Fighting the World』だった。

出典: laut.de「Manowar」(バンドの経歴、2026年10月21日参照)

3作目『Hail to England』の題名は、イギリスへの感謝のしるしである。2020年にMetal Hammerの取材に応じたロス・ザ・ボスによれば、当時イギリスの評論家の多くは彼らをこき下ろしたが、マルコム・ドームらの書き手がバンドを支持してくれたので、アルバムをこう名付けたのだという。Louderは、本国アメリカでレーベルとのごたごたや無関心に悩まされていたMANOWARの呼びかけに最初に応えたのはイギリスだったと書いている。laut.deによれば、アルバムは1週間のうちに2万ドルで録音された。1984年2月にイギリスのアルバム・チャートに入り、最高83位で2週とどまった。同じ年のSpectacle of Mightツアーでは、ヨーロッパ大陸でいくつか公演をした後、ボーンマス、ミドルズブラ、セント・オールバンズを含むイングランドの11か所を回っている。

出典: Louder(Metal Hammer)「Manowar: the story of Hail To England」(Chris Chantler、2020年6月16日)

MANOWARは、世界で最も音の大きい演奏としてギネスブックに載ったことがある。Ultimate Classic Rockによれば、1976年にTHE WHOがロンドンのスタジアムで記録した126デシベルを1984年に塗り替え、その後も1994年に129.5デシベル、2008年に139デシベルと、自分たちの数字を2度上回った。ただし2008年の数字はサウンドチェックでのもので、ギネス側は聴衆の耳を傷めることを助長しかねないとして、1994年の公演より前に音量を記録として扱うのをやめていた。Louderは、1984年の記録をもたらしたのはバンドがWall of Voodooと呼んだ真新しい機材だったと書いている。ロス・ザ・ボスは2020年、ステージでのふだんの音量は135デシベルほどで、その音をDivine Windと名付けていたと語り、ギターとベースは大きすぎたのでモニターにはヴォーカルとドラムしか返していなかったと振り返った。公式サイトは、この記録を3度破ったことと、スピーカー・キャビネットを自分たちで設計して作った最初のバンドであることを、功績に挙げている。

出典: Ultimate Classic Rock「How the Who Become the World's Loudest Band」(Bryan Wawzenek、2016年5月31日)

1980年代の終わりから90年代の半ばにかけて、MANOWARの顔ぶれは大きく入れ替わった。laut.deの経歴によれば、『Kings of Metal』を最後にロス・ザ・ボスが抜け、ギタリストのデイヴィッド・シャンケルが後を継いだ。ドラマーのスコット・コロンバスも80年代の終わりにバンドを離れたが、後任のライノを連れてきたのはコロンバス本人だったという。この顔ぶれで1992年に『The Triumph of Steel』を出し、その秋にはSKYCLADとともにヨーロッパを回った。シャンケルは1994年の夏に脱退して自分のバンドを始め、ギターはカール・ローガンに代わった。ローガンが初めて加わった1996年の『Louder Than Hell』では、コロンバスもドラムに戻っている。Ultimate Guitarは、ロス・ザ・ボスがMANOWARで弾いた期間を1980年から1989年までとしている。

出典: laut.de「Manowar」(バンドの経歴、2026年10月21日参照)

『The Triumph of Steel』に収められた「Achilles, Agony and Ecstasy in Eight Parts」は、28分を超える長さの曲で、ホメロスの叙事詩『Iliad』に着想を得ている。アルバムから30年を迎えた2022年、MANOWARは同じホメロスの『Odyssey』に取り組んだ。Blabbermouth.netによれば、記念の年に合わせ、ギリシャのファンの変わらない熱い支持への感謝を込めたもので、英雄オデュッセウスが妻と息子のもとへ帰るまでの長く危険な旅を題材にしている。2021年11月に録音を終えたと発表された「The Revenge of Odysseus」について、ジョーイ・ディマイオはギリシャのテレビ番組の取材で、10分ほどの長めの普通の曲のつもりが、英語からギリシャ語へ、さらに古代ギリシャ語へと膨らみ続け、手に負えないほど大きくなったと話している。2022年には、新しいアンセム「Immortal」などを含む5曲入りの抜粋盤が出た。

出典: Blabbermouth.net「MANOWAR Announces New Drummer DAVE CHEDRICK」(2022年6月4日)

2005年7月21日から23日にかけて、MANOWARはドイツのガイゼルヴィントで初めてのMANOWAR Mega Fan Conventionを開き、最後にEarthshaker Fest 2005のヘッドライナーとして演奏した。3日間の模様は27台のカメラで撮影され、2006年11月に、ほぼ7時間の映像を収めた2枚組DVD『The Day the Earth Shook – The Absolute Power』として発売された。Blabbermouth.netが伝えた作品紹介によれば、最大の見せ場は締めくくりの「Battle Hymn」で、現役と歴代のメンバー全員がそろって演奏した。laut.deは、このときステージにドラム・セットが3つ並んだと書いている。監督は『Hell on Earth Part IV』も手がけたNeil Johnsonで、DVDはドイツのアルバム・チャートで86位に入った。

出典: Blabbermouth.net「MANOWAR: 'The Day The Earth Shook - The Absolute Power' DVD Details Revealed」(2006年11月20日)

RHAPSODY OF FIREとMANOWARは、レーベルとマネージメントでつながっていた。Blabbermouth.netによれば、当時RHAPSODYと名乗っていた彼らは、2003年3月にドイツのSPVのレーベルSteamhammerと契約したが、それはMANOWARのレーベルMagic Circle Musicを通じた特別な取り決めによるものだった。SPVのマネージング・ディレクター、Manfred Schützは、RHAPSODYの新しいマネージメント・チームがMANOWARの担当でもあることに触れている。2005年6月2日、クリーヴランドのHouse of Bluesで始まったMANOWARの北米ツアーでは、RHAPSODYがスペシャル・ゲストとしてアメリカで初めてのステージに立ち、アンコール2回を含む1時間のセットを演奏した。その前に出たのは、Magic Circle Musicが契約したばかりのHOLYHELLである。RHAPSODYの当時の新作『Symphony of Enchanted Lands II - The Dark Secret』では、俳優のクリストファー・リーが語り手を務めていた。

出典: Blabbermouth.net「RHAPSODY Sign With SPV/STEAMHAMMER RECORDS」(2003年3月6日)

2005年3月、MANOWARは自分たちのレーベルの名で新しい配給契約を結んだ。Blabbermouth.netによれば、Magic Circle MusicがドイツのSPVとMANOWARの全世界での独占配給契約を交わしたもので、Magic Circle Musicの広報でMANOWARのマネージメントの一員でもあったHinrich Stuerkenは、交渉は1年以上に及んだと明かしている。ジョーイ・ディマイオは、Nuclear Blastとの時代が同社に地元ドイツで初めてのゴールド・ディスクをもたらしたことを誇りつつ、自前のレーベルを持った以上、その体制に合う相手が必要だったと説明した。SPVの社長、Manfred Schützにとっては20年来の願いがかなった契約でもあった。1985年、SPVはRoadrunner Recordsのドイツでの独占配給を担っており、MANOWARの『Hail to England』を売り出したのは自分たちだったという。翌2006年1月、バンドは次のアルバムを自分たちのレーベルMagic Circle Musicから出すと発表した。

出典: Blabbermouth.net「MANOWAR Sign With SPV RECORDS」(2005年3月11日)

MANOWARは自分たちの音楽祭も開いてきた。最初のMagic Circle Festivalは2007年7月6日と7日にドイツのバート・アーロルゼンで行われ、Blabbermouth.netによれば、MANOWARは2日間それぞれ別のセットを演奏し、GAMMA RAYやHOLYHELLなども出演して、およそ2万5000人が集まったと伝えられた。翌2008年は7月9日から12日の4日間に広がり、冷たい風と雨のなか3万5000人を超えるファンが詰めかけた。MANOWARは金曜と土曜のヘッドライナーとして最初の6枚のアルバムを続けて演奏し、20周年を迎えた『Kings of Metal』では20人の男声合唱団がステージに並んだ。新しいシングル「Die With Honor」は来場者に2万枚が配られ、2万杯のビールと、メンバーが所有していた特注のチョッパー4台も贈られた。木曜のヘッドライナーはアリス・クーパーで、バンドのサイン会は2日間で延べ12時間に及んだ。公式サイトは、この祭典に40を超える国からファンが訪れたと記している。

出典: Blabbermouth.net「MANOWAR's New Album To Include Tie-In Novel, Feature Film And Video Game」(2008年7月16日)

2008年7月5日、ブルガリアのロックの都と呼ばれるカヴァルナで開かれたKaliakra Rock Festの初日、MANOWARのステージは5時間1分に及んだ。Blabbermouth.netがSofiaEcho.comの記事として伝えたところでは、これはヘヴィ・メタルのコンサートの最長記録を破ろうとする試みで、その記録は前年の同じフェスで3時間ステージに立ったMANOWAR自身が打ち立てたものだった。バンドはブルガリアのファンにその3時間を超えると約束し、ギネスブックの関係者も立ち会いに招いていた。Kaliakra Stadiumを埋めた2万人を前に、すべてのスタジオ・アルバムから選んだ40曲以上を演奏し、そのなかには新曲「Die With Honor」もあった。開場を待つファンは、朝10時から会場の前に集まっていたという。

出典: Blabbermouth.net「MANOWAR Attempts To Break Guinness Record With Five-Hour Concert」(2008年7月7日)

2012年の『The Lord of Steel』に入った「El Gringo」は、MANOWARが初めて映画のために書いた曲である。Blabbermouth.netが伝えた発表によれば、この曲はAfter Dark Actionのシリーズの1本で、スコット・アドキンス、クリスチャン・スレーター、Yvette Yatesが出演したアクション西部劇、映画『El Gringo』のテーマ曲に使われた。歌われるのは、自分の掟と金のあいだで引き裂かれる主人公の葛藤で、自分に正直であることや人生で本当に大切なものを貫く難しさという、MANOWARの曲に繰り返し現れるテーマにつながっている。ジョーイ・ディマイオは、自分たちの音楽が映像と物語に乗って画面の上で動き出すのを見られるのが魅力だったと話している。

出典: Blabbermouth.net「MANOWAR: 'The Lord Of Steel - Hammer Edition' Cover Artwork Unveiled」(2012年6月13日)

『The Lord of Steel』は、2つの姿で世に出た。2012年6月に先に出たのは『The Lord of Steel – Hammer Edition』で、Blabbermouth.netが伝えた発表では、6月16日にバンドのオンライン・ストアでまず配信され、6月26日にはイギリスのMetal Hammer誌第233号の限定版Steel Editionとして、同誌のイギリス版だけで扱われた。通常盤の発売は当初の9月28日から10月19日に延ばされ、CD、ピクチャー盤LP、配信で出たが、こちらはミックスもマスタリングも異なり、曲が1曲多く、ジャケットもケン・ケリーの新しい絵になった。通常盤はMagic Circle Entertainmentからの発売で、ジョーイ・ディマイオは2つの版を、ディレクターズ・カットや結末の違う別版がある映画のように受け止めてほしいと話した。ドイツのアルバム・チャートでは19位まで上がっている。

出典: Blabbermouth.net「MANOWAR: 'The Lord Of Steel - Hammer Edition' Cover Artwork Unveiled」(2012年6月13日)

2014年の『Kings of Metal MMXIV』は、1988年の『Kings of Metal』を新しく録り直したアルバムである。Blabbermouth.netが伝えた発表によれば、オリジナルの発売と翌1989年のワールド・ツアーから25年を記念したもので、本編の9曲に、合わせて40分を超えるボーナス・トラック9曲が加えられた。語りの曲「The Warrior's Prayer MMXIV」の新しい語り手には、イギリスの俳優、ブライアン・ブレスドが迎えられた。シェイクスピア劇の名優として知られ、映画『Henry V』や『Alexander』、『King Lear』に出演し、カルト映画『Flash Gordon』ではヴァルタン王子を演じた人物である。同じ曲の効果音は、映画『Men in Black 3』や『War of the Worlds』に携わったハリウッドの音響効果の専門家、Hamilton Sterlingが手がけた。2枚組CDには24ページのブックレットが2冊付き、ケン・ケリーの新しい絵が添えられた。公式サイトはこの版をSilver Editionと呼んでいる。ドイツのアルバム・チャートでは55位に入った。

出典: Blabbermouth.net「MANOWAR To Release 'Kings Of Metal MMXIV' In February」(2013年12月20日)

MANOWARは、自前のスタジオで過去の作品にも手を入れてきた。2013年の『Warriors of the World』の10周年記念リマスター盤は、Blabbermouth.netによれば、バンドのスタジオであるHellとHaus Wahnfriedで、ジョーイ・ディマイオがバンド専属のエンジニア、Dirk Kloiberとともにみずから磨き直したもので、アルバムのミックスはもともとGalaxy Studiosでロナルド・プレントが手がけていた。2019年には『Hail to England』と『Into Glory Ride』のImperial Editionが続いた。公式サイトによれば、アナログのマルチトラック・マスターを96kHzでデジタル化し、ニューヨークにあるバンドのValhalla Studiosでプレントがミックスし直し、マスタリングはグラミー賞を4度受けたダーシー・プロパーが担当した。ディマイオは同じ年、これでようやく思い描いていたとおりの音になったと話している。同じ2019年のEP『The Final Battle I』も、曲作りから録音、ミックスまでValhalla Studiosで行われた。

出典: Blabbermouth.net「MANOWAR: 'Warriors Of The World' 10th-Anniversary Remastered Edition To Be Released In Europe」(2013年6月4日)

2010年代のMANOWARは、まだ行ったことのない土地にも足を延ばした。2011年3月27日、Battle Hymns MMXIツアーでバーミンガムのO2 Academyに立ったのは、16年ぶりのイギリス公演だった。2014年5月21日には、テルアビブのHangar 11で初めてイスラエルのステージに立っている。2019年5月にジョーイ・ディマイオが語ったところでは、The Final Battleワールド・ツアーの第1部で、ロシアのノヴォシビルスク、ウラジオストク、ハバロフスク、エカテリンブルク、サマーラ、ロストフ・ナ・ドヌー、ウクライナのキーウ、そして北極圏にあるノルウェーのロングイェールビーンで初めて演奏した。北極点にできるかぎり近い場所でのライヴには、34を超える国からファンが駆けつけたという。ディマイオは2022年にも、北極圏の近くやメキシコで初めて演奏したことを忘れがたい思い出として挙げている。

出典: Blabbermouth.net「JOEY DEMAIO: 'We Never Announced The End Of MANOWAR'」(2019年5月2日)

2016年5月、MANOWARはFacebookで、The Final Battleと名付けたツアーで別れを告げると発表した。Loudwireによれば、直前のGods and Kingsツアーがすばらしい出来だったので、次はそれをさらに上回る規模でファンに感謝と別れを伝えるのだという宣言だった。ツアーは2017年11月にスウェーデンとノルウェーを回ってからドイツへ向かい、エリック・アダムスはインタビューで、これが最後のツアーだと話している。ところが2019年5月、The Final Battleワールド・ツアー2019の第1部を終えたジョーイ・ディマイオは、MANOWARの終わりを告げたことは一度もなく、二度とツアーをしないつもりもなかった、ひと休みすると言っただけだと説明した。2022年には、『Battle Hymns』の40周年、『Fighting the World』の35周年、『The Triumph of Steel』の30周年、『Warriors of the World』の20周年を掲げたCrushing the Enemies of Metal Anniversary Tourを発表している。

出典: Loudwire「Manowar Announce 'The Final Battle' Farewell Tour」(Joe Divita、2016年5月25日)

MANOWARのトリビュート・バンドから、本物のMANOWARに加わった演奏者が2人いる。2017年11月15日、スウェーデンのノルショーピングでMANOWARのステージに初めて立ったドラマーのMarcus Castellaniは、ブラジル生まれで、同国のMANOWARのトリビュート・バンドKINGS OF STEELで叩いていた。2010年に復帰していたオリジナル・メンバーのドラマー、ドニー・ヘムズィクの後任で、いちばん影響を受けたドラマーとしてスコット・コロンバスの名を挙げている。2019年1月1日には、ギタリストのE.V.マーテルが同年のThe Final Battleワールド・ツアーに参加すると発表された。バンドはマーテルを、8歳から音楽を続け、世界で唯一の公認MANOWARトリビュート・バンドで長年演奏し、MANOWARの全曲を知っていることを誇りにする人物と紹介した。Blabbermouth.netによれば、そのバンドもKINGS OF STEELだった。2022年に加わったドラマーのデイヴ・チェドリックも、RAVENやKILL RITUALで叩いてきた経歴の持ち主で、最も大きな影響としてコロンバスを挙げている。

出典: Blabbermouth.net「MANOWAR Recruits Drummer From Brazilian Tribute Band KINGS OF STEEL For 'Final Battle' Tour」(2017年11月16日)

2019年のEP『The Final Battle I』は、まずツアーの会場で売られた。Blabbermouth.netによれば、3月29日からThe Final Battleワールド・ツアー2019の物販ブースで先行販売が始まり、店頭とオンラインでの発売日は5月30日と発表された。ドラムを叩いたのは、3月25日にチェコのブルノでMANOWARの一員として初めてステージに立った、元HAMMERFALLのアンダース・ヨハンソンである。収録曲は4曲で、公式サイトによれば、最後の「You Shall Die Before I Die」ではリード・ヴォーカルをジョーイ・ディマイオ自身が取っている。ドイツのアルバム・チャートでは36位を記録した。

出典: Blabbermouth.net「MANOWAR Recruits Former HAMMERFALL Drummer ANDERS JOHANSSON」(2019年3月27日)

「The Revenge of Odysseus」の語りは、古代ギリシャ語で吹き込まれている。Blabbermouth.netによれば、ジョーイ・ディマイオはアテネに出向き、映画や舞台で知られる俳優で作家でもあるコスタス・カザコスと、同じく俳優の息子、コンスタンティノス・カザコスの親子に、オデュッセウスとその息子テレマコスの対話を語ってもらった。題材への敬意から、英語の台本を古代ギリシャ語に訳したのは、ギリシャのバンドROTTING CHRISTのサキス・トリスだった。ディマイオは、ギリシャで最も有名な俳優の1人を起用し、テレマコス役はその息子にと、構想がどんどん大きくなっていったと振り返っている。2022年に出た5曲入りの抜粋盤では、「Telemachus, Pt. 1」にコンスタンティノス・カザコスとトリス、「Odysseus and Calypso」にコスタス・カザコスがクレジットされ、「Where Eagles Fly」にはChiara Tricaricoが参加した。

出典: Blabbermouth.net「MANOWAR Announces New Drummer DAVE CHEDRICK」(2022年6月4日)

2007年の『Gods of War』は、戦の神々をたたえるコンセプト・アルバムの連作の第1作として紹介された。Blabbermouth.netが伝えた発表によれば、1作ごとに別の戦の神を取り上げる構想で、この作品が捧げられたのは北欧神話の神々の父オーディンである。アルバムは「Overture to the Hymn of the Immortal Warriors」で幕を開け、「The Sons of Odin」、表題曲、「The Blood of Odin」などでオーディンの来歴と事績をたどる。laut.deによれば、前年10月に出たEP『The Sons of Odin』の曲もすべてアルバムに収められ、ブックレットの文字はすべてルーン文字で書かれた。限定盤は、浮き彫りを施した金属製のケースに、革で装丁したメディアブックとメイキングを収めたボーナスDVDを収める形で発表された。アルバムはドイツで2位まで上がっている。次のスタジオ・アルバム『The Lord of Steel』は2012年、『Gods of War』とは違ってコンセプト・アルバムではないと説明された。

出典: Blabbermouth.net「MANOWAR: 'Gods Of War' Track Listing Revealed」(2007年2月4日)