IN FLAMES TRIVIA
Trivia
2011年1月26日、トゥルーパー・エンタテインメントが2ndから9thまでの8作を日本で一斉に再発した。品番 XNTE-00024 の『The Jester Race』に加えられたボーナス・トラックには、2004年9月のスティッキー・フィンガーズ公演のライヴ2曲と、「Moonshield」のC64カラオケ・ヴァージョンが含まれている。
『Colony』の日本盤再発に付いたボーナス・トラックのうち2曲は、2000年11月の<Tokyo Showdown>のライヴ音源である。「Scorn」と「Ordinary Story」で、日本公演の記録がそのまま日本盤の付加価値になっている。
日本盤の再発(品番 XNTE-00029)には、「My Sweet Shadow」のリミックスと、2004年12月のロンドン・ハマースミス公演から「The Quiet Place」のライヴが加えられている。『Clayman』の日本盤にも同じ2004年12月の公演からの音源が入っている。
2011年のトゥルーパー再発シリーズでは、各アルバムに過去のライヴ盤・ミニ・アルバム・シングルから選んだ曲がボーナスとして加えられた。ただし8枚目『Come Clarity』だけは例外で、ボーナス・トラックが付いていない。全作に2010年のデジタル・リマスターが施されている。
日本のレーベルも『A Sense of Purpose』を「自身のスタジオで制作」した9作目として紹介している。品番は XNTE-00031。「The Mirror's Truth」「Alias」「March to the Shore」を代表曲に挙げている。
『Battles』の日本盤には歌詞対訳と日本語解説書に加え、日本盤限定のボーナス・トラックが付いた。15曲目の「Here Until Forever」オルタネイト・ヴァージョンである。ほかに、メンバーが自筆でサインしたカードを添えたCDとTシャツのセットが、100組限定・税別6,000円で通販された。
『I, the Mask』の日本盤(品番 GQCS-90690、税別2,500円)には日本語解説書と歌詞対訳が付き、13曲目に「Not Alone」がボーナス・トラックとして加えられた。ビョーンとアンダース直筆のサイン・カードを添えた盤も、品番 WRDZZ-843・税別3,500円で100セット限定で出ている。
日本盤『フォーゴーン』は品番 GQCS-91271、2023年2月10日発売。日本語解説書と歌詞対訳が付く。直筆サイン入りブックレット付きの盤も出たが、こちらは10セット限定だった。
アルバム9枚・来日7回と書かれた時点の日本のレーベルの紹介文も、同じ順序を辿っている。1994年のデビュー後しばらく活動圏だったのは日本と欧州で、北米市場に入っていくのは2000年代に入ってからだった、という書き方である。
ライヴ作品『Sounds from the Heart of Gothenburg』の日本盤にも解説書が付いた。DVD+2CDの初回限定盤には日本語字幕も収録されている。内容はデビュー作『Lunar Strain』から『Siren Charms』までの20曲で、収録場所は地元イェーテボリの14,000人収容のスカンジナヴィアム・アリーナだった。
『Whoracle』の後押しで実現したことが2つある。ディム・ボルギアとのツアーと、初めての来日である。ストロムブラードはこの2つを並べて挙げている。
ライヴ盤『The Tokyo Showdown』は2000年の来日公演で録音されている。そのため収録曲は『Clayman』までの5作からで、それ以降の曲は当然ながら一曲も入っていない。スレイヤーの「Raining Blood」も演奏されている。
その『The Tokyo Showdown』について、イェスパー・ストロムブラードは2008年の取材で、自分が聴いた中で最良のライヴ盤とは言えないと率直に述べている。
1999年のワールド・コロナイゼーション・ツアーで、イン・フレイムスは日本とアメリカにまで足を延ばしている。
『Battles』の発売前、イン・フレイムスは<KNOTFEST JAPAN>のために来日し、スリップノット、アンスラックス、ラム・オブ・ゴッドらと同じ舞台に立った。ここで「The End」と「The Truth」をワールド・プレミアとして初披露している。バンドにとってはおよそ1年ぶりのライヴで、新しいアルバムと新しいドラマーという変化が重なった一夜でもあった。持ち時間は40分だった。
そのステージでイエロッテが気づいたことがある。まだ発売されていない曲なのに、客席がサビを歌っていた。
イン・フレイムスの初来日は1998年、『Whoracle』のあとだった。2014年12月の来日はちょうど10回目にあたる。1998年に回ったのは東京と大阪で、ビョーン・イエロッテは街が想像よりずっと大きく、スクリーンだらけで『ブレードランナー』のようだったと記憶している。
アンダース・フリーデンは、スウェーデンとドイツを別にすれば、自分たちの音楽を最初に受け入れてくれた国は日本だったと述べている。アメリカやイギリスより1年ほど早かった、というのが彼の言い方である。
2002年10月の取材でダニエル・スヴェンソンが答えた回数は「4回」だった。2014年に10回目、と数えていくと、この間のペースが見えてくる。
日本の客席の反応にも面食らったという。曲間の喋りには物音ひとつ返ってこないのに、イントロが鳴った途端に会場が動く。イエロッテはこれを、自分たちが何かしくじった合図だと受け取ったと話している。フリーデンのほうは、初来日の頃だったと思うと前置きしたうえで、仕事帰りのスーツ姿と筋金入りのパンクが同じ場所に並んでいたと述べている。
初来日にまつわるフリーデンの記憶がもう1つある。日本の入国審査の係官が彼らに気づき、「ライヴに行きます」と声を掛けてきたという。
メタルがまだ日常の音楽として鳴っている国だ、というのがイエロッテの日本の受け取り方である。他の国で人気が落ちたバンドが日本では支持され続けている、という観察も並べて挙げている。
日本の観客についてフリーデンが言うのは、関心が自分の目当てのバンドで終わらない、という点である。その日出るバンド全部に耳が向いているように見えるという。歓待されていると感じるのも客席からだけではなく、現場のクルーや関係者の側からも同じものを受け取る。仕事の運びが整っている、というのが彼の見立てである。
その一方で不満もある。近年の来日はフェスティバル出演が多く、滞在が短い。次は自分たちの単独公演で来て、東京と大阪以外の街にも足を延ばしたい、とフリーデンは述べている。イエロッテも同じことを言っていて、40分の持ち時間では12作から1曲ずつ拾うことすらできない、という理由を挙げた。2019年の取材では、日本が好きだという話をバンド内で毎日のようにしていると語っている。
イン・フレイムスは<KNOTFEST JAPAN>の第1回に出演している。フリーデンはこのフェスについて、普段は自分たちを聴かない客に届く機会であること、他の出演者に友人が多いことを利点に挙げつつ、持ち時間40分のために飛行機で日本まで来るのは割に合わない気もする、とも言い添えた。2016年の第2回にも続けて出演している。
日本のメタル・フェスへの出演歴として、BARKS は<KNOTFEST>のほかに<LOUD PARK>と<BEAST FEAST>を挙げている。<LOUD PARK '06>は2006年10月14・15日、幕張メッセの9・10・11ホールで行われ、ダイオ、スレイヤー、メガデス、オーペス、アンスラックス、チルドレン・オブ・ボドム、キルスウィッチ・エンゲイジ、ミニストリー、ヘイトブリードらと同じ顔ぶれに名を連ねた。
2019年11月、<Download Japan 2020>の第1弾ラインナップにイン・フレイムスの名が入った。2020年3月29日、千葉・幕張メッセでの開催予定で、ヘッドライナーはマイ・ケミカル・ロマンス。同じ弾でオフスプリング、エヴァネッセンス、ジミー・イート・ワールド、そしてアット・ザ・ゲイツも発表されている。
2023年10月、イン・フレイムスとクリエイターが組んだ日本公演<KLASH OF THE TITANS>が発表された。翌2024年1月30日に Zepp Namba、2月1日と2日に EX THEATER ROPPONGI という日程で、チケットは1階スタンディングが12,000円、2階指定席が14,000円(いずれも税込・別途ドリンク代)だった。
2024年2月の東京公演では、『Whoracle』から「Food for the Gods」が演奏されている。記事にはその映像が添えられている。同じツアーでは『Colony』の「An Ordinary Story」、『The Jester Race』の「Graveland」も演奏されている。
来日中のフリーデンの過ごし方についても記録がある。彼は寿司と日本酒を好むと以前から公言していて、2014年の来日では、日本語しか通じない店をホテルのコンシェルジュに探させている。そのほうが料理は旨いはずだ、という見立てからだった。2013年の取材では、前回の来日でよく切れる包丁を探して持ち帰り、人と話して文化を見て回るのが面白いと語っていた。
日本盤のボーナス・トラックについて、ダニエル・スヴェンソンは実務的な説明をしている。『Reroute to Remain』の日本盤に付いたのは新曲ではなく、たしかシュトゥットガルトで録った「Colony」のライヴだったと思う、というのが彼の記憶である。日本のCDは高いので、あちらは必ずボーナスを欲しがるのだ、というのが彼の言い方である。
バンド自身のプロフィールは、結成をスウェーデン・イェーテボリ、1990年と記している。数え切れないほどのワールド・ツアーを重ね、現在のメタル・シーンの主要バンドの多くに影響を与えてきた、というのが公式の自己紹介文である。
日本のレーベルによる紹介では、『Whoracle』はメロディック・デス・メタルとしての型が固まった3作目だと位置づけている。「Jotun」「The Hive」「Episode 666」を収めた1997年の作品で、このリリースのあとに初の来日公演が行われた。
日本の発売元は『Colony』を転換点として位置づけている。ここから、朗々と歌うパートの比重が増え、北欧的な叙情のメロディは逆に抑えられていった、という整理である。
『Clayman』はイン・フレイムスにとって母国スウェーデンで初のトップ20入りとなったアルバムである。その後スリップノットのサポートの話が来た。
日本のレーベルはこの5作目を、デス・メタル寄りだった前作までとは違う方向へ舵を切った作品として売り出している。2000年発表で、「Pinball Map」「Only for the Weak」「Clayman」を収める。
『Battles』の曲書きは、ビョーン・イエロッテとアンダース・フリーデンの2人がスウェーデンを出てロサンゼルスに移って行われた。ベースのピーター・イワースとギターのニクラス・エンゲリンに聴かせたのはその後である。日中は書き続け、夜はバーベキューをして朝方までビールを飲む生活だったという。イエロッテによれば、最初は乗り気ではなかったがリフの蓄えがあり、フリーデンと座った途端に急に形になり始めた。
プロデューサーにハワード・ベンソンを選んだ理由を、イエロッテははっきり述べている。作業前に多くのプロデューサーと会ったなかで、バンドを変えたがらなかった唯一の相手だったからだ。ベンソン自身の言葉は「君らを変えるつもりはない、今やっていることをもっとうまくやれるようにするだけだ」というもので、それが腑に落ちたという。イン・フレイムスが外部の人間をここまで制作に入れたのは、これが初めてだった。
予定していた曲数は11曲だったが、書き上がったのは15曲だった。フリーデンは、2枚組でも3枚組でも組めるほど余ったと振り返っている。アルバムに1曲が最後に追加された理由は、11曲では起伏が足りないと感じたからだった。
『Battles』の後、イン・フレイムスは2016年秋にヘルイェーとの北米共同ヘッドライン・ツアー<Forged In Fire>を回っている。11月12日のオーランド公演から始まり、米国とカナダの28都市で行われた。翌2017年の1月にはヨーロッパへ渡り、アヴェンジド・セヴンフォールドおよびディスターブドと同じ隊列に加わった。
14作目『Foregone』は2023年2月10日、ニュークリア・ブラストから発売された。前作『I, the Mask』から4年ぶりである。先行して出たシングルは「Foregone Pt. 1」だった。
『Foregone』はブライス・ポールとタナー・ウェインを擁する2作目、クリス・ブロデリックが参加した最初の作品、そしてハワード・ベンソンと組んだ3作目にあたる。エンジニアはマイク・プロトニコフで、ベンソンの West Valley Recording Studios で録音された。ミックスを担当したのは、2016年から2019年までバンドでドラムを叩いていたジョー・リカードである。
題名の理由をフリーデンは短く説明している。失われた時間は取り返せない、だからこのアルバムは『Foregone』という。歌詞の主題は時間の概念そのもので、この数年に起きたことは、人生が貴重であり時間は味方ではないと思い出させるはずだと彼は述べている。残された数少ない瞬間と、そこで何をするかについての作品だという。
「Foregone Pt. 1」のヴィジュアライザーを制作したのは、ウクライナのグラフィック・デザイナー、オレグ・ルーズである。映像はAI技術を使って作られた。
「Foregone Pt. 2」は「Foregone」の続きにあたる曲で、音楽的にも歌詞の上でも繋がっている。カタログの中の「Moonshield」や「Gyroscope」を聴き返すうちに、このスタイルをしばらくやっていないと気づいたのがきっかけだった。スウェーデンの民俗音楽的な色を、いまのイン・フレイムスの形で取り戻す試みである。
『Foregone』の書き始めで方向を決めた曲は「Meet Your Maker」だった。音の面でも主題の面でも、これが目指すものを指し示したとフリーデンは述べている。この曲は2023年1月10日、アルバムからの5枚目のシングルとして出ている。
『Foregone』は母国スウェーデンのアルバム・チャートで1位に入った。ドイツ、オーストリア、スイスでも1位を取っている。
発売から1年後の2024年2月9日、ボーナス版がストリーミングで出された。別ジャケットに加え、新曲「Become One」が1曲追加されている。バンドは、普段は余った素材が出ないがこの曲は残っていた、と説明している。
アンダース・フリーデンとビョーン・イエロッテは、1995年以降のイン・フレイムスの全リリースに名前がある。曲を書き、アレンジするのもこの2人だと、フリーデン自身が繰り返し述べている。他のメンバーは「雇われ」ではなく正式なメンバーだが、作曲の担当はこの組み合わせで変わらない、という説明である。
その『Sounds from the Heart of Gothenburg』で、イン・フレイムスはニュークリア・ブラストに戻った。両者は2作目『The Jester Race』(1996年)から9作目『A Sense of Purpose』(2008年)まで組んでいて、その後しばらく離れていた。フリーデンの説明では、バンドもレーベルも出発点はガレージ規模で、そこから時間をかけて大きくなった点が共通しているという。その前年、バンドはマネジメントを 10th Street Entertainment へ移している。モトリー・クルーやファイヴ・フィンガー・デス・パンチを抱える事務所である。
イン・フレイムスは自前のフェスティバルを持っている。2022年に復活開催された<Dalhalla Brinner>は6,029人を集め、数週間前に完売、当日は午後7時の時点で会場の物販記録を更新した。共演はオービット・カルチャー、ローナ・ショア、テッセラクトで、セットは「Scorn」「Episode 666」、そして1999年以来演奏していなかった「Stand Ablaze」で始まり、当時未発表の「State Of Slow Decay」「The Great Deceiver」も披露された。2023年は8月25・26日の2日間開催に拡大している。2026年8月には地元イェーテボリで<Göteborg Brinner>を開いた。
イン・フレイムスがこれまで同じ舞台に立った相手には、スリップノット、メガデス、ジューダス・プリースト、キルスウィッチ・エンゲイジ、ウィズイン・テンプテーション、ラム・オブ・ゴッドの名が挙がる。ブラック・サバス、メタリカ、アイアン・メイデン、スレイヤーとも共演してきた。逆に、ゴースト(GHOST)やゴジラ(GOJIRA)はまだ若かった時期にイン・フレイムスの前座を務めている。
2024年秋、イン・フレイムスはアーチ・エネミーとのヨーロッパ共同ヘッドライン・ツアー<Rising From The North>を回った。10月5日のバーミンガム公演では最後に登場し、「Meet Your Maker」に加えて「Only for the Weak」「My Sweet Shadow」を演奏している。同じ年の春には北米をゲイトクリーパーとクリーピング・デスと回り、5月1日メイン州ポートランドから5月26日テキサス州ダラスまでの日程だった。秋の一行にはレーベルメイトのソイルワークも加わっている。
2026年8月時点で、イン・フレイムスは新しいスタジオ・アルバムの制作中だとレーベルが告知している。同じ告知で、2027年春にトリヴィアムとヨーロッパおよびイギリス・アイルランドを回ることも発表された。イギリスとアイルランドではトリヴィアムがヘッドライナーでイン・フレイムスがスペシャル・ゲスト、スカンジナヴィアでは逆になる。全公演にペイルフェイス・スイスとヴォラが同行する。
アンダース・フリーデンは、ヴォラの2024年作『Friend Of A Phantom』にゲストとして参加している。
イン・フレイムスは1990年、イェスパー・ストロムブラードがセレモニアル・オース在籍中に始めた副業として動き出した。自分の生活にもう少しメロディがほしかった、というのが動機だったという。3年後、彼はこちらを本業に切り替え、ギターのグレン・ユングストローム、ベースのヨハン・ラーションと組んで正式なバンドの体裁を整えている。
初期のイェーテボリのメタル・シーンについて、アンダース・フリーデンは規模を40人ほどと語っている。誰もが互いのバンドに出入りして手を貸し合う、その程度の人数の集まりだった。
イェーテボリ・シーンの中心にいた面々は、市内のごく狭い一角の出身で、街へ出るバス路線が1本しかなかった。アット・ザ・ゲイツ、イン・フレイムス、ダーク・トランキュリティーという主要3バンドのメンバーは、そのバスの中で顔を合わせるところから始まっている。
ミカエル・スタンネによれば、そのバスに乗り合わせていたのはアット・ザ・ゲイツのビョーラー兄弟、後にイン・フレイムスへ入るピーター・イワース、ダーク・トランキュリティーのアンダース・イワース、そしてスタンネ自身、ニクラス・サンディン、アンダース・フリーデンだった。街に着くと公園に座り、テープレコーダーとビールを囲む。付き合いはそこから始まったと彼は話している。
ミカエル・スタンネは、イェスパー・ストロムブラードと知り合ったのは1987年か88年ごろだったと述べている。場所はヴァルヴェット。80年代末から90年代初頭のイェーテボリで、アンダーグラウンドのメタルを聴かせる場所はそこしかなかった。
そのヴァルヴェット(「金庫室」の意)は非営利団体が運営していて、出演するバンド自身が運営を手伝っていた。アンダース・フリーデンは、地元のバンドが初めて人前で演奏する場になった、イェーテボリの多くのバンドの出発点だったと語っている。この店はのちに閉鎖され、場所を移した。
ビョーン・イエロッテは、イェーテボリ勢がストックホルムのバンドとは違うものを狙っていたと説明している。ストックホルム側はよりパンク寄りで音も汚し気味、サンライト・スタジオのサウンドで知られていた。それに対してイェーテボリでは、もう少し整理された音で、攻撃性よりメロディを前に出そうとした。
その音を形にしたのがプロデューサーのフレドリック・ノルドストロームだった、というのがイエロッテの説明である。彼が複数のバンドを手掛けたことで、イェーテボリの音はストックホルムのそれと聴き分けられるものになった。イン・フレイムス、ダーク・トランキュリティー、アット・ザ・ゲイツが揃って彼と組んだことが、このスタイルの成立につながっている。
ビョーン・イエロッテとイェスパー・ストロムブラードを引き合わせたのは、イエロッテのいとこだった。二人はイェーテボリの反対側どうしに住んでいたが、聴いているものがほぼ同じだった。マレヴォレント・クリエイション、カニバル・コープス、デス、初期のゴアフェスト、モービッド・エンジェル、そしてエド・レプカがジャケットを描いた作品ならとりあえず、という趣味である。
その二人が最初に一緒に音を出したとき、イエロッテが叩いていたのはドラムだった。ギター中心のイン・フレイムスの音は、このジャム・セッションを土台にしている。
イエロッテがイン・フレイムスに誘われた時点で空いていたのはドラムの席だった。彼はそれ以前、青少年センターで働きながら、そこで叩き方を覚えている。誘いを受けた理由については、曲作りに関われるからだと本人が述べている。
そのドラムの席がなぜ空いたのかも、イエロッテが説明している。それまで叩いていたのはイェスパー・ストロムブラードで、彼がギターに移りたがったからである。
初期のイン・フレイムスの音は、アイアン・メイデン譲りの派手なギター・ラインに、エントゥームドやディスメンバーのような速さとグロウルを組み合わせたものだった。この掛け合わせがメロディック・デス・メタルの定義そのものとして受け止められ、大陸規模で名前が知られるきっかけになっている。
アンダース・フリーデンは、音楽に持っていかれる前は建築家を志して学校に通っていた。メタルが自分を学業と普通の生活から連れ去った、というのが本人の言い方である。
ビョーン・イエロッテのほうは学校を出たあと電気技師の訓練を2年受けている。大学には進まず、そしてその資格で働いた日は一日もなかった。
フリーデンがロックに入り込んだきっかけはスコーピオンズで、10歳のときだった。デス・メタルへはそのあと、ヘヴィ・メタルからスラッシュ、デス、グラインドコアという順に辿り着いている。
1994年のデビュー作『Lunar Strain』は Wrong Again からのリリースで、このときイェスパー・ストロムブラードはギターだけでなくドラムとキーボードも自分で弾いている。ヴォーカルは客演で、担当したのは同じイェーテボリのダーク・トランキュリティーのミカエル・スタンネだった。
ミカエル・スタンネがイン・フレイムスの作品で歌ったのは、この『Lunar Strain』一枚だけである。彼はその後ダーク・トランキュリティーのフロントマンとして名を上げていく。
『Lunar Strain』に入っているインスト曲「Hårgalåten」は、彼らが書いた曲ではない。ホルガ地方の踊りに付ける、スウェーデンに古くから伝わる民謡である。伝説では悪魔がフィドル弾きに化けてホルガの子供たちを踊らせ続け、骨だけが残ったという。イン・フレイムスはそこにエレキ・ギターを足した。
『Lunar Strain』でイェスパー・ストロムブラードが狙っていたものは、はっきりしている。アイアン・メイデン的なメロディアスなギター・ライン、たっぷりしたアコースティックのパート、そして荒々しいデス・メタルを一枚のなかで混ぜることだった。
出来上がった一枚は、デス・メタルとブラック・メタルの手つきに、NWOBHM と、さらに珍しいところでは北欧のアコースティックな民俗音楽を並べたものになった。
1995年までのイン・フレイムスは、固定メンバーが揃ったバンドではなかった。ストロムブラード以外の席は入れ替わりの助っ人で埋められていて、その顔ぶれは後から見るとスウェーデンのエクストリーム・メタルの人名録のようになっている。
2026年8月22日、地元イェーテボリのフリーハムネンで行われた<Göteborg Brinner>のヘッドライン・セットで、ミカエル・スタンネがステージに現れた。歌ったのは「Behind Space」。『Lunar Strain』に入っていた曲で、そのときのヴォーカルは彼自身だった。この日はアンダース・フリーデンと分け合って歌っている。
インストの民俗音楽的な曲を作品に入れるという発想は最初期からのもので、『Lunar Strain』と『The Jester Race』の両方にそうした曲が置かれている。
アンダース・フリーデンが加入したのは1995年、『Lunar Strain』と EP『Subterranean』が出たあとである。したがって彼にとって最初のアルバムは1996年の『The Jester Race』になる。本人はこの一枚が今でも一番近いところにあると話している。
『The Jester Race』では、アンダース・フリーデンとビョーン・イエロッテの二人が同時にラインナップに加わっている。フリーデンはセレモニアル・オースの元フロントマンで、イエロッテは**ドラマーとして**の加入だった。ギターへの転向はそのあとである。二人はそれ以来ずっとバンドに留まっている。
1996年までにイン・フレイムスはニュークリア・ブラストと契約し、同じ年に『The Jester Race』を出している。ここからバンドとしての勢いが付き始めた。
ジェスターヘッドは、このアルバムに合う新しい顔がほしいという理由で作られた。初登場は2作目『The Jester Race』のジャケットで、以後どの形にせよ全てのスタジオ・アルバムに姿を見せている。
ジェスターヘッドという名前は、マスコットだけのものではない。イン・フレイムスのファンクラブの名称でもある。
『The Jester Race』の歌詞には、ダーク・トランキュリティーのギタリストであるニクラス・サンディンが深く関わっている。理由は単純で、当時のアンダース・フリーデンが自分の英語にまったく自信を持てず、他のメンバーにも手助けできる者がいなかったからだった。ストロムブラードはサンディンの役割を「翻訳者のようなもの」と表現している。
加入から1年ほどで、フリーデンは一度バンドを辞めようとしていた。当時のメンバーは全員が家賃のために働いていて、ツアーの誘いを断らざるを得ないこともあり、彼は学校に戻るべきかを真剣に考えていた。もう1年だけやってみると決めた直後に出たのが『The Jester Race』で、そこから状況が変わったと本人は語っている。
音がじゅうぶんに極端でないという批判は、後年の路線変更に始まったものではない。フリーデンは『The Jester Race』の時点で既にそれを弁明する必要があり、以後も同じことが繰り返されたと述べている。
2026年8月の<Göteborg Brinner>では、トリヴィアムのマット・ヒーフィーも登場して「Artifacts Of The Black Rain」に加わった。1996年の『The Jester Race』収録曲である。
『Whoracle』もそれまでと同じくイェーテボリのスタジオ・フレッドマンで録られた。ストロムブラードによれば、選んだ理由は単純である。イェーテボリでメタル・バンドが使える最良のスタジオがそこで、90年代の彼らの予算では他へ行く金がなかった。ただし今回は、スタジオのオーナーであるフレドリック・ノルドストロームを共同プロデューサーとして前に出している。
『Whoracle』にかけた時間は、基本トラックの録音とミックスを合わせて約3週間。1997年の晩春から初夏にかけての作業だった。時間がないので、スタジオに入る前に全曲を書き上げて練習を済ませておく必要があり、プリプロダクションの余裕すらなかった。結果としてノルドストロームは曲作りには一切関わっていない。
『Whoracle』にはデペッシュ・モードの「Everything Counts」のカヴァーが入っている。提案したのはアンダース・フリーデンで、他のメンバーは当初、デペッシュ・モードの曲がどう成立するのか見当がつかず乗り気ではなかった。仕上がった演奏はライヴでも取り上げられ、続くツアーのセットに入っている。
その「Everything Counts」は『Whoracle』の実質的な最終曲であり、フリーデンが本格的にメロディックな歌唱に挑んだ最初の記録でもある。イン・フレイムス版は1997年に出ていて、ミート・ビート・マニフェストが同じ曲をカヴァーしたのはその翌年だった。
『Whoracle』はしばしばコンセプト・アルバムとして紹介される。Louder の A-Z ガイドも、終末に至るまで・その瞬間・その後を描いた一枚だと書いている。ただし本人の説明は違う。2020年の取材でイェスパー・ストロムブラードは、自分の知る限りコンセプト・アルバムではないと否定し、そもそも歌詞には一切関わっていないと述べている。
『Whoracle』のセッションでは、後に EP『Black-Ash Inheritance』になる曲も一緒に録音されていた。ただしその時点では、アルバムに先行して EP が出るとは誰も思っていなかった。きっかけはニュークリア・ブラストが持ち込んだ販売企画で、アルバムの前に変形ディスクを出そうというものである。
EP に収められたのは4曲。「Gyroscope」(これは『Whoracle』本編にも入った)、アルバムには合わないと判断された「Goliaths Disarm Their Davids」、「Behind Space」のライヴ・ヴァージョン、そして過去の自作の断片をつないだ「Acoustic Medley」である。最後の1曲のためだけに、彼らはもう一度スタジオへ戻っている。EP は1997年8月、アルバムは同年11月に出た。
『Whoracle』はフィンランドとドイツでチャートに入った。イン・フレイムスにとって初めてのチャート入りで、商業的な可能性が見えた最初の兆候だったと Louder は書いている。
『Whoracle』までは全員が昼の仕事を持っていた。この一枚で、5人はバンドと普通の勤めのどちらを取るかを選ぶことになる。ギターのグレン・ユングストロームは専念できないと告げて仕事に戻り、ベースのヨハン・ラーションはアメリカで恋人ができてベースを置いた。
空いた席は、ベースにピーター・イワース、ギターにニクラス・エンゲリンで埋められた。ただしエンゲリンはこの時点では正式メンバーではなく、『Whoracle』のツアーを続けるために呼ばれたツアー・ギタリストである。のちにエンゲルのメンバーとなる人物である。
『Whoracle』と『Colony』の間で、イン・フレイムスは初めて固定されたラインナップに落ち着いた。アンダース・フリーデンの言葉では、ダニエル・スヴェンソン、イェスパー・ストロムブラード、ピーター・イワース、ビョーン・イエロッテ、そして自分の5人である。この編成は『Clayman』を経て10年以上続くことになる。
ドラムのダニエル・スヴェンソンは1998年の加入で、それ以前は数年間サクリレッジで叩いていた。席が空いたのは、当時ドラマーだったビョーン・イエロッテがギターに移ったからである。彼が叩いた最初のアルバムが1999年の『Colony』で、以後『Clayman』『Reroute to Remain』『Soundtrack to Your Escape』『Come Clarity』『A Sense of Purpose』『Sounds of a Playground Fading』、そして2014年の『Siren Charms』まで続いた。
アンダース・フリーデンによれば、『The Jester Race』『Whoracle』『Colony』の3枚は繋がった三部作である。人類が自らの愚かさに屈し、最後は機械に取って代わられるディストピアの物語で、時系列は「『The Jester Race』が前、『Whoracle』が途中、『Colony』が後」だという。
フリーデンの歌詞をニクラス・サンディンが英語に書き起こす体制は、『Colony』まで続いた。当時の彼の英語が限られていたためで、この協業はここで終わっている。
2016年の時点で、ピーター・イワースは『Colony』以降のイン・フレイムスの全アルバムでベースを弾いていた。
『Lunar Strain』の「Clad In Shadows」は、フリーデンのヴォーカルで録り直されている。この再録は『Colony』と『Whoracle』の版によって収録先が違う。
『Clayman』は2000年の初頭、スタジオ・フレッドマンでフレドリック・ノルドストロームと録音された。直前の3作とまったく同じ座組みである。
『Clayman』で歌詞の向きが変わっている。それまでの3作は外の世界を批評し、このままなら未来はこうなるという話をしていた。フリーデンは、ダンジョンズ&ドラゴンズや戦争について書くことはもうできないと考えていた。
「Only For The Weak」の歌詞は、フリーデンの長い交際関係が壊れ、自分の居場所を探していた時期に書かれた。バンド自体には勢いがあったが、個人としては良い状態ではなかったと本人は述べている。曲が描いているのは、二人の人間が互いの心を削っていく状況である。
「Only For The Weak」では、それまでの3作を埋めていた高速のリフが外され、ミドル・テンポでコード主体のギターに置き換わった。シンセサイザーも導入され、フリーデンのクリーン・ヴォーカルはこの1曲だけで前3作の合計より多い。
その歌をレコーディングするのに、フリーデンは苦労している。彼のやり方は、できるだけ多くの言葉を詰め込んで喉が裂けるまで叫ぶというもので、そこまで遅く、歌がメロディの一部として機能する曲は勝手が違った。最初の数テイクには本人も納得していない。
シンセサイザーがイン・フレイムスのアルバムに入ったのは『Clayman』が初めてで、フリーデンのクリーン・ヴォーカルもこの作品から常態になった。フックはより掴みやすくなったが、強度は落としていない。
本格的なサポート・ツアーが付き始めたのも『Clayman』からだった。アメリカでハードコアのアース・クライシスやオルタナ寄りのメタル・バンドの前座に付いたことが、ジャンルを混ぜてよいという確信につながったとフリーデンは語っている。
アンダース・フリーデンが挙げたのは、2010年にイェーテボリで開かれたメタルタウン・フェスティバルでのことだった。会場は市街と一番近い島を結ぶ橋のたもとにあり、「Only For The Weak」を演奏したところ、橋の地震警報が鳴り出したという。翌年、フェスティバルは会場を移している。
「Only For The Weak」はリリース以来ずっとイン・フレイムスのセットリストに残り続けている。
2020年8月28日に出た『Clayman』20周年記念盤は、テッド・ジェンセンによる全面リマスターに16ページのブックレットと新しいアートワークを付け、新録のインスト・メドレー1曲と4曲の再録を加えたものだった。再録分のプロデュースはハワード・ベンソン、ミックスはクリス・ロード・アルジが担当している。
その新録インストは「Themes And Variations In D-Minor」という題で、20周年盤ではトラック12に置かれている。続く13曲目以降が「Only For The Weak」「Bullet Ride」「Pinball Map」「Clayman」の2020年ヴァージョンで、この4曲に新録インストを加えたデジタルEP『Clayman 2020』も出ている。
20周年盤には「Only For The Weak」がオリジナルと当時の編成による再録の2度収録されている。フリーデンはこれを曲を良くするための録り直しではなく、20年を祝うためのものだと説明している。『The Jester Race』『Whoracle』『Colony』の20周年は何もせずに通り過ぎていた。
20周年を迎えた2020年の時点で、『Clayman』当時のメンバーとして残っていたのはアンダース・フリーデンとビョーン・イエロッテの2人だけだった。
『Clayman』のデラックス盤と再発盤には、スウェーデンのパンク・バンド、ノー・ファン・アット・オールの「Strong And Smart」のカヴァーが追加されている。日本盤の再発でもボーナス・トラックに同曲が入っている。
『Reroute to Remain』の曲書きは、イェーテボリの南に借りた一軒家で行われた。家主はビョーン・イエロッテの姉妹である。滞在は2週間で、その最中に9月11日の同時多発テロが起きた。フリーデンはピザを買いに出ていて恋人からの電話で知り、その日は誰も曲を書かず練習もせず、テレビの前から動かなかったという。
「Cloud Connected」はイン・フレイムスが初めて出したシングルである。『Reroute to Remain』の14曲の中から、バンドをよく表しているという理由でこの曲が選ばれた。
その歌詞が向けられているのは、フリーデンがメタル・シーンに出る前に付き合っていた人たちである。彼らは音楽なんかやめて真っ当な仕事に就けと言い、自分は先へ行きたかったのに彼らは自分の狭い世界で満足して座っているだけだった、というのが本人の説明である。
同じ「Cloud Connected」について、フリーデンは Songfacts に対し、自分がいちばん高揚しているときの感覚を書いたものだと説明している。周囲が発する否定的な空気とその高揚を並べ、それに引きずり下ろされるつもりはないと歌詞の中で明言している、というのが記事の説明である。
「Cloud Connected」のミュージック・ビデオを監督したのはロジャー・ヨハンソンで、ナパーム・デスやアーチ・エネミーの映像も手掛けている。撮影では複数のカメラを近接して並べ、後処理で映像をつなぐことで、メンバーの背後の景色が動いて見えるようにした。
『Reroute to Remain』でプロデューサーが交代している。フレドリック・ノルドストロームからダニエル・ベリストランドへ。ストロムブラードはこの交代を歓迎したと後年語っている。
この時期から、スタジオでの判断基準が変わったとフリーデンは述べている。「この曲はライヴでどう受けるか」を考えるようになった、というものである。
『Soundtrack to Your Escape』はデンマークの大きな一軒家に2か月こもって録音された。イェスパー・ストロムブラードはその期間を、閉じこもりすぎておかしくなる状態だったと振り返っている。
『Soundtrack to Your Escape』はスウェーデンのグラミス賞で2004年のベスト・ハードロック/メタル・アルバムに選ばれた。イン・フレイムスは2006年にも『Come Clarity』で同じ部門を受賞している。
2005年2月21日、ニュークリア・ブラストのヨーロッパ部門が『Soundtrack to Your Escape』のデジパック仕様を出している。付属の5曲入りDVDには「The Quiet Place」「Touch Of Red」の映像に加え、2003年のヴァッケン・オープン・エアで撮られた「Watch Them Feed」と「Only For The Weak」が収められた。デジパック盤はジャケットも別で、ボーナス・トラック「Discover Me Like Emptiness」が付いている。
『Soundtrack to Your Escape』の2曲目「The Quiet Place」が、このアルバムの先行シングルだった。日本のレーベルはこの曲と「My Sweet Shadow」「Superhero of the Computer Rage」を代表曲として挙げている。
『Come Clarity』の制作について、ビョーン・イエロッテは段取りがひどい有様だったと話している。ギターとベースは別々のスタジオで、ドラムはさらに別の場所で録られていた。
表題曲「Come Clarity」の歌詞は、フリーデンが娘に向けて書いたものである。娘が2歳のときのことで、彼はこの歌詞をタトゥーとして入れている。後年、それを見た息子から自分にも書いてほしいと頼まれることになった。
『Come Clarity』のジャケットを描いたのはデレク・ヘスで、セパルトゥラやコンヴァージの仕事でも知られる画家である。
『Come Clarity』は北米では Ferret からのリリースで、2006年2月の初週に24,000枚弱を売り、ビルボード200に58位で初登場した。2008年の時点で40万枚近くに達していた。
リリース前の2005年、フリーデンは『Come Clarity』を「ベスト盤ではないベスト盤のようなもの」と表現している。これまで作ってきたアルバム全部のようだ、とも述べている。
『Come Clarity』は「Vanishing Light」に続く「Your Bedtime Story Is Scaring Everyone」で終わる。最後の曲はアンビエントに脈打つ音像から始まり、やがて重いコードの反復へ移っていく。
イン・フレイムスの自前スタジオ IF Studios は、更地から建てたものではない。フレドリック・ノルドストロームのスタジオ・フレッドマン、つまり彼ら自身が90年代を通じて使ってきた部屋である。ノルドストロームの家族はイェーテボリから車で1時間ほどの場所に住んでおり、毎日の往復に疲れて家族の近くで働きたくなった、というのがストロムブラードの説明である。売りに出たところをバンドが引き取り、自分たちの金を入れて造り替えた。
引き継ぎは機材ごとではなかった。ノルドストロームがほぼ全てを持ち出したため、バンドはミキシング・コンソールもエフェクト類も買い直している。ただしアンダース・フリーデンは以前からそのスタジオの共同オーナーで、彼の機材は建物に残っていた。バンドが留守の間は専属のエンジニアが外部の仕事を受け、その分を回収に充てていた。
イェーテボリに自前のスタジオを建てたことが、全員で書いて全員で録れる状態を取り戻す答えになった。『A Sense of Purpose』は実際にそうやって作られ、5人が揃って演奏する形で2007年末の2か月をかけて録音された。バンドがその方法で録ったのはこれが初めてだった。
その施設は大きく、中に小さな作曲用の部屋が別に設けられていた。メンバーは毎日そこに集まってアイデアを出し、最初のデモまでその部屋で録っている。
『A Sense of Purpose』はイェーテボリの IF Studios で録音され、ミックスはメタリカやスレイヤーを手掛けたトビー・ライトが担当した。ヴォーカル録りにはダニエル・ベリストランドが立ち会っている。彼は『Reroute to Remain』『Soundtrack to Your Escape』『Come Clarity』でヴォーカルのプロデュースを務めた人物である。発売は4月1日、ヨーロッパの大半では4月7日だった。
アートワークは ZeroFriends のアレックス・パーディーによるもので、先行シングル「The Mirror's Truth」の絵も同じ手による。出発点は迷路のゲームを軸に組み立てるというアンダース・フリーデンの案で、彼が大まかな形を送り、画家が返してきたものが採用された。ただしストロムブラード自身は、最終的にはあの画家のアイデアだと思う、と述べている。コンセプト・アルバムかと訊かれた彼の答えは「そこまでではない」で、ブックレットを開いたまま通して見られる絵がほしかったのだという。
ジェスターはこのジャケットでも見つかる。ここでは平面の紋章ではなく身体を持って描かれ、その手が迷路を掴んでいる。ストロムブラードによれば、この figure はどの作品のアートワークにも必ずどこかに入っており、彼はそれを「俺たちなりのエディー」と表現している。
セッションで録られた曲は全部で16曲だった。うち12曲がアルバムに、3曲がシングル「The Mirror's Truth」に収められている。残った1曲は、いつかどこかで出すつもりだと彼は述べている。別にカヴァーも1曲録っているが、こちらは曲名を明かさず、世に出ることはないと言い切った。
収録曲「The Chosen Pessimist」は、それまでのイン・フレイムスで最も長い曲だった。ギターとアンプを取り替えながらスタジオで音を探る形で組み上げた実験的な作りで、そのためインタビュー時点ではまだライヴ用のリハーサルすらしていなかった。
北米での発売元は Koch Records だった。前作『Come Clarity』の北米盤が Ferret だったのに続く選択である。この時期バンドは大手レーベルの大半と話をしたうえで、ヨーロッパはニュークリア・ブラストのまま、北米は Koch と組むことを選んだ。
『A Sense of Purpose』はアメリカで初週2万枚を売り、ビルボード200に28位で入っている。
この時期、フリーデンは父親になったばかりで、ビョーン・イエロッテには既に2人の子供がいた。フリーデンは妻と幼い娘とストックホルムに住み、他のメンバーがいるイェーテボリからは離れていた。歌詞の怒りの出どころは以前とは違うものになった、と彼は述べている。自分の子供がこれから入っていく世界の状態がそれだ、という説明である。
コンセプト・アルバムかと訊かれたストロムブラードの答えは「そこまでではない」だった。アンダース・フリーデン自身の生活で起きていることと、彼の目に映る周囲についての思索が並んでいるだけだという。
できあがった音をフリーデンは「アナログの温かさとデジタルの怒り」と表現している。
「Abnegation」「Tilt」「Eraser」の3曲は通常盤から外された。日本盤の再発ではこの3曲がボーナス・トラックとして戻り、さらに「Alias」のリミックスが加えられている。
イン・フレイムスは各作品ごとに1,000枚限定の特別仕様を出すのを通例にしていた。『A Sense of Purpose』のそれは木製の迷路の箱で、実際に遊べる作りになっており、転がす玉にはジェスターが刻まれている。箱には大判のブックレットとDVD、CDが収められた。ストロムブラードによれば、この案を出したのはレーベル側である。
先行シングル「The Mirror's Truth」のビデオは、複数の監督から届いた企画案のうちの1つを採ったものである。工場で働かされる者たちと、それを見張る不気味な番人という設定で、番人役のマスクをかぶって現場を歩き回っていたのは30人ほどの子供たちだった。撮影中はかなり異様な光景だったとストロムブラードは述べている。
マンゲとヴィッゴのランド兄弟は、『Sounds of a Playground Fading』の骨の鴉と『A Sense of Purpose』のフクロウ少年を立体作品にしている。前者は世界中のファンがタトゥーとして入れている図案でもある。
2008年、イン・フレイムスはメガデスがヘッドライナーを務める北米の Gigantour に参加した。4月中旬から5月末までの日程で、チルドレン・オブ・ボドム、ジョブ・フォー・ア・カウボーイ、ハイ・オン・ファイアも同じ隊列にいた。バンドの持ち時間は50分で、出番はメガデスの直前だった。
発売にあわせ、バンドは4月4日にイェーテボリの Bengans、翌5日にストックホルムの Bengans でサイン会を行っている。
10作目『Sounds of a Playground Fading』はイェーテボリの自前スタジオ IF Studios で録られ、エンジニアはロベルト・ラーギが務めた。ハードコア・スーパースターやソニック・シンジケートを手掛けた人物である。セッションで録音された曲は13曲。制作の様子は連続のウェビソードとして公開され、その第1回が2011年4月に出ている。
この一枚は、創設メンバーのイェスパー・ストロムブラード抜きで作られた最初のアルバムである。彼は2010年2月、アルコール依存症の治療を続けるためにバンドを離れていた。
空席の埋め方は2段構えだった。制作時点ではビョーン・イエロッテひとりのギターで進めたが、ストロムブラード脱退後のイン・フレイムスを裏で支えてきたエンゲルのニクラス・エンゲリンが、この作品から正式メンバーとして戻っている。彼は『Whoracle』のツアーを回すために一度ツアー・ギタリストとして加わった人物でもある。
ジャケットを描いたのはデイヴ・コレイアで、時計の上にとまった骨だけの鴉が、幽霊のような皮膚の襞に顔を覆われている図である。この鴉は世界中のファンがタトゥーにしており、ランド兄弟による立体作品にもなった。
収録曲「The Attic」では、サビの旋律を歌ではなくアコーディオンが演奏している。別の曲はスポークン・ワードで始まり、そこから重いデペッシュ・モード風の展開に移っていく。フリーデンは事前にこれらを挙げて、この作品がファンの予想を裏切るだろうと述べていた。
歌詞が暗くなった理由をフリーデンは自分の生活に求めている。知人を何人か亡くし、一方で子供が生まれる。彼自身も2人の子の親になっていて、それが曲作りに影響したと述べている。
先行シングル「Deliver Us」はラヴ・ソングではない、とフリーデンは明言している。人生の障害を乗り越えることと、大切に思う相手に「あなたは素晴らしい」と伝えることの重要さを歌ったものだという。この時期の彼は、解釈の余地が残るよう意図的に比喩を多用して書いていた。
「Deliver Us」のビデオはパトリック・ウレウスの監督で、地元イェーテボリで撮影された。市内に大観覧車があるため、メンバーはゴンドラの中で楽器を弾きながら街の景色を背負うことができた。
同じアルバムの「Ropes」で使われる「縄」は、人が抱える制約や圧力の比喩である。歌詞の中でフリーデンはそれを解いてやろうと申し出ている。彼は2015年の取材で、友人や家族が落ちていくのを見たときに、そばにいて手を貸すことがどれだけ大事かを書いた曲だと説明した。
『Sounds of a Playground Fading』はドイツでチャート1位に達した。アメリカでは初週約14,000枚でビルボード200の27位に入っている。
ヨーロッパでは特別仕様も出ている。飛び出す仕掛けの付いた8面デジパックに、レコーディングを追ったDVDを組み合わせたCD+DVD盤と、180グラムのゲートフォールド2枚組アナログである。
2014年の再発盤には、ブライトンのザ・ケミスツによる「Where The Dead Ships Dwell」のリミックスが加えられている。
日本での紹介では、この作品はギター・ソロを多く含む点が強調されている。11曲目のイントロダクションから導かれる12曲目にはストリングスが入っており、そこが山場になると案内されていた。
11作目『Siren Charms』はベルリンのハンザ・スタジオで録音された。デヴィッド・ボウイ、U2、デペッシュ・モードらが作品を残してきた場所である。行こうと言い出したのはアンダース・フリーデンで、録音の1年前にそこを訪れており、帰ってすぐメンバーに電話をかけて「ここで録らなければ」と伝えたという。
フリーデンにとってこれは一巡した話でもあった。『Whoracle』でデペッシュ・モードの「Everything Counts」をカヴァーした彼らが、今度は同バンドの『Construction Time Again』をミックスしたそのコンソールを通して録音することになったからである。彼がデペッシュ・モードを聴き始めたのは10歳のときだった。
録音にかけた時間は前作の半分だった。ハンザでの作業は6週間である。イン・フレイムスはもともと完成した曲を持ち込まず、曲の断片やリフの状態でスタジオに入って、最初の数週間で組み上げる作り方をしている。
スタジオに入った時点で曲の大半はまだ書かれていなかった、とダニエル・スヴェンソンは述べている。ドラムの録音に使えたのは2週間で、その間に全てのトラックとフィルを仕上げる必要があった。ただし彼によれば、ビョーン・イエロッテがリフを持ってきた時点で、それをイン・フレイムスらしく聴かせるドラムがどういうものかは二人とも分かっているのだという。
『Siren Charms』の制作は、契約レーベルが決まらないまま始まっている。その後バンドはエピック/ソニーと契約した。アメリカでの発売は2014年9月9日で、Sony/RED を通じて出ている。
『Siren Charms』はアメリカで初週約9,000枚を売り、ビルボード200の26位で登場した。日本のレーベルはこれを、当時のバンドとして全米チャート最高位だと紹介している。カナダのオフィシャル・アルバム・チャートでは12位に入った。
アルバム名は収録曲の題からきている。フリーデンの説明では、セイレーンは美しい歌で船乗りを深みへ誘う女性の姿をした存在で、そのイメージを、人を惹きつけるが善と悪の両面を持つ何かの比喩として使ったという。
先行シングルは「Rusted Nail」だった。ただしこれを選んだのはバンドではなくレコード会社である、とフリーデンはフィンランドの Kaaos TV に語っている。ビョーン・イエロッテの側の説明もこれと合っていて、シングル候補にしたい曲が多すぎたので、宣伝を担当する人間に決めてもらうことにしたのだという。
「Rusted Nail」と2枚目のシングル「Through Oblivion」のビデオは、どちらもスウェーデンの映像作家パトリック・ウレウス(Revolver Film Company AB)が撮っている。ハンマーフォール、ヨーロッパ、ラクーナ・コイルらの映像を手掛けてきた人物である。「Through Oblivion」の映像は、うんざりした会社員が全てから逃れる話になっている。
アレンジがなかなか決まらなかった曲が2つあった。「Filtered Truth」と表題曲である。前者は非常に硬いイントロから始まる案があり、それを捨ててアコースティックで入る案まで検討されたという。最終的にギター・ソロには反復するフレーズが置かれ、それ自体がリフのように機能している。
アルバムを開く「In Plain View」について、ビョーン・イエロッテはイン・フレイムスの1曲目として当たり前の選択ではないと認めている。リズムがひねりを持って動く曲で、彼はそこを起点にこの曲を書き始めたと述べている。
「Everything's Gone」はデス・メタルへの古風な目配せだ、とイエロッテは説明している。できるだけ硬く荒々しく、それでいてイン・フレイムスに聴こえるものを狙った曲で、彼はここにスレイヤーの気配があるとも述べている。ドラムには負担のかかる曲だが、ダニエル・スヴェンソンはその難しさを歓迎したという。
「Paralyzed」は、書いて録った時点ではこれが先行シングルになるだろうとバンドが思っていた曲だった。テンポが定まり、大きなサビとキーボードが入った段階で、ライヴでやる曲になると分かったという。
7曲目「When The World Explodes」には女性オペラ歌手がゲスト・ヴォーカルとして参加している。
録音を終えたときの状態について、アンダース・フリーデンはベッドから離れられない日が1週間近く続いたと語っている。ビョーン・イエロッテの側も、この作品を仕上げて精神的に消耗したと述べている。
『Siren Charms』の発売前、イン・フレイムスはニューヨークのバワリー・エレクトリックで iRockRadio 向けに数曲を弾いている。バンドにとって初めてのアコースティック・ライヴだった。その数週間後にはトーク番組 Skavlan で「Through Oblivion」を、弦楽セクションを従えたアコースティック編成で演奏している。
2014年10月の時点で、バンドはその年の11月にストックホルムとイェーテボリで公演を収録すると発表していた。ライヴDVD/ブルーレイと音源のためで、発表は翌2015年の予定だった。ビョーン・イエロッテによれば、前作のライヴ作品『Used & Abused... In Live We Trust』から9年が経っていた。
12作目『Battles』は2016年11月11日発売。北米は Eleven Seven Music、それ以外の地域はニュークリア・ブラストからのリリースだった。この2年ほどの間にバンドはエピックと別れ、長く在籍したドラマーのダニエル・スヴェンソンを欠き、ニュークリア・ブラストに戻っている。
録音自体もそのロサンゼルスの家で行われた。彼らが持ち込んだのはリフの詰まった袋のようなもので、大半の曲はその家で完成させるか組み上げるかしている。1曲目に置かれた「Drained」は、メロディまで含めてその家で書かれた3曲のうちの1つだった。
ベンソンが最初に求めたのは、スタジオ入り前に全曲の下書きを揃えることだった。それまでのイン・フレイムスは曲ができ次第そのまま録音へ進み、詞と歌のメロディは録音の場で書き上げていた。事前に固まっていた分だけ作業が速く済んだ、とフリーデンは振り返っている。
タイトルを選んだのはフリーデンで、短くて響きがよく、誰にでも当てはまるからだという。指しているのは、朝目を覚ました瞬間から始まる内側の戦いのことで、物心がつく幼い日から死ぬ日まで続くものを念頭に置いている。
発売前に公開されたのは「The End」と「The Truth」の2曲だった。この2つはアルバムの性格を最もよく表しているという理由で選ばれている。ビデオも2本で1つの物語になっており、両方を見ないと筋が通らない作りである。
「The Truth」のミュージック・ビデオは、ピンク・フロイドの「Another Brick in the Wall」を下敷きにしている。フリーデンがそう認めており、映像で歌う6人は全員が子供というわけではなく、20代の女性も加わっているという。同席していたイエロッテは、その元ネタを取材の場で初めて知ったと述べている。
ジョー・リカードはスタジオで見つかったドラマーである。ロサンゼルスへ向かった時点でバンドにドラマーはおらず、まずアルバムを完成させ、それからオーディションをするつもりでいた。リカードは当時すでにハワード・ベンソンと組んで仕事をしていて、試しに叩かせたところ具合が良かった。前任のダニエル・スヴェンソンに似たスタイルだった、というのがイエロッテの説明である。録音が終わった時点で加入の意志を訊き、承諾を得た。
加入が決まった理由をフリーデンはもう1つ挙げている。酒場に行って気が合ったことである。
リカードはそれまでレッドのメンバーで、アイランダーやレッドとツアーを回り、レッド、ヴァンプス、スターセット、ブライアン・“ヘッド”・ウェルチらの作品でドラムを叩いていた。『Battles』は、1998年以降のイン・フレイムスでダニエル・スヴェンソン抜きに出す最初のアルバムでもあった。
「Here Until Forever」はフリーデンが当時8歳の息子に向けて書いた曲である。息子は父の腕にある『Come Clarity』の歌詞のタトゥーを見て、いつも「僕の歌はどこ?」と訊いていた。それに応えられるだけの文が書ける気がしなかった、と本人は述べている。初めて聴いたとき、息子は自分のことだと分かって泣いたという。
この曲は『Battles』の中で最もバラードに近い。前作に遅い曲が2つあったので、今度はテンポの速い遅い曲を書こうという発想から始まっている。ヴァースのドラムは速く弾んでおり、サビはライヴで一緒に歌えるように作られた。
イエロッテによれば、大きな終わりに向けて積み上げていく形式の曲を書いたのは、2008年の「The Chosen Pessimist」以来だった。もう一度その形をやってみたかったという。
先行シングル「The End」は、イエロッテの言葉では素直なイン・フレイムスの曲である。歌詞は、自分がこれから死ぬと分かっている人間の思考を想像したもの。着想はフリーデンによれば現代の速さで、人が他人を見た目や休暇や直前に飲んだ酒で判断していくことへの反応だという。
「Like Sand」の主題は不安である。フリーデンは、自分の仕事がどれだけ評価されても、これで十分なのかという不安と時に格闘し続けていると述べている。
『Battles』からフリーデンはヴォーカル・コーチのマーク・レンクに付くようになった。スタジオに入る前に準備を済ませておくためで、結果として音域は上下に広がった。ただし彼によれば得たものは録音の技術だけではなく、公演の前後にどう体を整えるかまで含まれている。自分の歌い方は独学だと考えており、ピアノの横で音階を上下する練習をする自分は想像できなかったとも述べている。
前作との違いをイエロッテは環境の違いで説明している。『Siren Charms』はベルリンの寒空の下で、『Battles』はロサンゼルスで、日が照って暖かく、バーベキューとビールが日々の中心にあるなかで作られた。フリーデンの側は、アルバムの空気は自分たちの手の届かないところにある条件にも影響される、だからこそ誰とどこで作るかが重い決断になったのだと述べている。
ベンソンと組むのはこれが初めてで、これほど名の通ったプロデューサーと仕事をすること自体、バンドにとって初めてだったとフリーデンは述べている。以後イン・フレイムスはベンソンとの仕事を続けている。
13作目『I, the Mask』は2019年3月1日発売。北米は Eleven Seven Music、それ以外はニュークリア・ブラストからで、『Battles』からおよそ2年半が空いた。全12曲。プロデュースはハワード・ベンソン、ミックスはクリス・ロード・アルジ、マスタリングはテッド・ジェンセンが担当している。
『Battles』の後はツアーが続き、曲がほとんど書けなかった。そこでバンドは一度ツアーを止め、できるだけ気の緩む環境を作って制作に入っている。ビョーン・イエロッテによれば、ここ数作できていなかったアンダース・フリーデンとの共同作業がこの作品では実現した。2人が揃ってスタジオに入り、その場で曲を組み立てるのは久しぶりだったという。
クレジットと実際の演奏は一致していない。ビョーン・イエロッテによれば、このアルバムのベースは全て彼が弾いている。ドラムも、タナー・ウェインの演奏は1曲にとどまり、他の曲はジョー・リカードが担当している。リカードは自身の状況が良くないなかで、アルバムでは叩くという判断をしたという。
アルバム名は収録曲の1つから取られている。本当の自分を仮面の裏に隠し、そうやって守ることについての曲だ、とイエロッテは説明する。歌詞には複数の層があり、その一例として彼はソーシャルメディア、とりわけインスタグラムを挙げた。フリーデンの側の説明は、社会のさまざまな場面で人が自分をどう見せるかということだった。
フリーデン自身も仮面を着ける、と述べている。ふだんは物静かで自分の内に留まる性格だが、バンドのフロントに立つときには相応のペルソナと、ある程度の傲慢さが必要になるという説明である。
ジャケットを描いたのはブレイク・アームストロングで、彼はロサンゼルス在住で、住まいはバンドが使っていたスタジオから目と鼻の先だった。デモの段階で呼ばれ、聴かせてもらった直後からアイデアを出し、そこから双方でやり取りを重ねている。彼が手掛けるのはこの作品が初めてではなく、それ以前の数作も担当していた。
ジェスターに「身体」らしきものが与えられたのは、フリーデンによればこれが初めてだという。ただしそこに描かれているのは従来のジェスターそのものではない。父親から虐待を受けた少年が、復讐のために父のいる家に火を放ち、その火で誤って兄弟を死なせてしまう。ジェスターはその少年が外界から身を守り、罪悪感と闇に耐えるために着ける仮面として使われている。
ギターの量そのものは『Battles』と変わらない、とフリーデンは述べている。違うのはプロダクションとミックスで、事前にバンドが合意した方針も「ギターをミックスの中で少し前に出す」という1点だけだった。ハワード・ベンソンとマイク・プロトニコフのチームが音づくりを支え、ミックスはクリス・ロード・アルジが担当している。
録音の分担ははっきりしていた。フリーデンのヴォーカルはハワード・ベンソンと、イエロッテのパートはマイク・プロトニコフと録っている。ベンソンはピアノで弾いてみせ、それに合わせてフリーデンが歌い、デモの段階より大きなサビへ組み上げていくやり方を取った。フリーデンによれば、彼はいつ押すべきか、疲れ切った歌い手をどう起こすかを心得ている。
作り方も変わった。以前は音楽を一方の隅で、ヴォーカルと歌詞をもう一方の隅で作り、ミックスの段階で合流させていた。この作品ではゼロから一緒に書き始め、アイデアを投げ合いながら組み立てている。ベンソンと組んだことで、フリーデンとイエロッテはそれまで握っていた主導権を少し手放すことになった。
この作品の歌詞を、フリーデンはセラピーのようなものだと表現している。書き留めることで、それを手放す。
先行して公開されたのは「I Am Above」のミュージック・ビデオだった。日本の紹介記事は、ここ数作では控えめだったフリーデンのグロウルが大きく前に出ていると書いている。表題曲と「(This Is Our) House」はリリック・ビデオ、「Call My Name」と「Follow Me」もそれぞれ映像が公開された。
『Battles』以降、バンドはスウェーデンで自前の年次フェスティバルを立ち上げ、世界中をほとんど休みなく回っていた。2019年のそれは<BORGHOLM BRINNER>といい、8月2日と3日にエーランド島で開かれている。両日ともイン・フレイムスがヘッドライナーで、それぞれ特別なセットを組んだ。
フリーデンはこの13作目をファンに捧げると述べている。自分たちが音楽を作り、毎晩それを演奏していられるのは彼らのおかげだから、という理由である。
『Battles』と『I, the Mask』の間に、リズム隊が丸ごと入れ替わっている。ベースはピーター・イワースからブライス・ポールへ。推したのは当時のドラマー、ジョー・リカードだった。そのリカードが背中の不調を理由に離れ、代わりに元キオドスのタナー・ウェインが入っている。
ギターの交代はさらに急だった。『I, the Mask』のアメリカ公演が始まる2日前、ニクラス・エンゲリンが病院のベッドから「できない」とテキスト・メッセージを送ってきた。バンドは2日足らずのうちに空いているギタリストの売り込みを多数受け取り、そのなかから元メガデスのクリス・ブロデリックを選んでいる。彼は25曲を1日で覚えてツアーに合流した。
収録された音がどこまで誰の手によるかは、イエロッテが具体的に語っている。彼はスタジオでは通常すべてのギターを自分で録るが、今回はクリス・ブロデリックにソロを1〜2曲頼み、快諾を得た。ブロデリック自身は、このアルバムでかなりの量のソロを入れたと述べている。タナー・ウェインの生ドラムはイエロッテの打ち込みを置き換え、ブライス・ポールの低音とウェインの安定感が曲そのものを変えた、という説明である。
Guitar World の取材によれば、『Foregone』のリズム・ギターは全てイエロッテが書いて弾いている。ブロデリックが持ち込んだのはネオクラシカルとテクニカル・スラッシュ寄りのリード・フレーズで、イエロッテのゆったりしたフックのあるソロとの対比になった。バンドとしてはこれまでもゲスト・ソロを入れたことはあったが、それをメンバーがやるのは特別だったとイエロッテは述べている。
2人のギターのチューニングは揃えられている。イエロッテの6弦は C スタンダード。ブロデリックは7弦の最低音 B を C まで上げ、残りの弦を C スタンダードに合わせた。イエロッテの側から見ると、この設定のおかげでブロデリックは1弦で自分には出せない高い音域を使えるという。
制作の日程も具体的である。初期の書き作業の大半は2021年のクリスマス前、4週間のセッションで行われた。休みを挟んで1月半ばに再集合し、そこからデモを作り始めている。録音はハワード・ベンソンと1日4〜6時間のペースで進め、大半が2か月半のうちに終わった。場所はロサンゼルス、ウッドランド・ヒルズの West Valley Recording Studios である。
『Foregone』で話し合われたのは曲の書き方ではなく音の作り方だった、とイエロッテは述べている。狙ったのはデス・メタル的な手触りと、もう一度ギターの壁を立てること。彼によれば、この作品のデモと直前の3〜4作のデモは音としてそれほど違わない。つまり違いは制作の段階で付いた。
方向を決めたのはパンデミック中の休止期間だった。フリーデンとイエロッテはその間に何をやるかを話し合い、2人が真っ先に挙げたことと、プロデューサーのハワード・ベンソンが最初に言ったことが同じだった——ギターとドラムをもう一度前面に戻すこと。フリーデンは、近作のミックスが穏やかすぎたと感じていたと述べている。
アルバムに先立って公開された「State Of Slow Decay」は、イン・フレイムスが22年ぶりに出した、全編がメロディック・デス・メタルの曲だった。ただしフリーデンは、過去を振り返って『The Jester Race』の続編を作ったのではないと断っている。それは愚かなことだ、というのが彼の言い方である。
そのタイトルが生まれた場所は、アートワークを手掛けるブレイク・アームストロングの自宅の台所だった。彼は『Foregone』に関連するほとんど全ての制作物のデザインも担当している。
ブレイク・アームストロングがイン・フレイムスと繋がったのは2012年、ロサンゼルスで行われたバンドのサイン会だった。彼は長年のファンで、サインをもらうために自作のファン・アートを持参し、それを見たマネージャーから名刺を渡された。そこからコミックの企画を持ちかけ、実現している。デジタル・ペイントを独学で覚えたのも、そのコミックのためだった。
そのコミックの評判が良く、バンドとの付き合いも深まったところで、アームストロングは11作目『Siren Charms』のアートワーク案を求められた。これが彼にとって初めての公式アルバム・デザインで、以後イン・フレイムスの全てのジャケットを手掛けている。
「The Great Deceiver」の着想はロシアのウクライナ侵攻である。録音中、ヨーロッパで戦争が始まり、テレビでそれが流れ続けていた。パンデミックが明けて世界を回れるようになった矢先のことだったとフリーデンは述べている。
「State Of Slow Decay」が扱っているのは、ソーシャルメディアのアルゴリズムが押し広げていく政治的な分断である。フリーデンによれば、この作品では自分の外を見て書いた。過去の作品の多くは自分の内側と過去に向き合ったものだった、という対比である。
2026年3月17日、アンダース・フリーデンがインスタグラムに写真とともに録音完了を書き込み、15作目の完成が伝えられた。場所は再びハワード・ベンソンのロサンゼルスのスタジオで、エンジニアはマイク・プロトニコフ。2月3日にはビョーン・イエロッテがスタジオの映像に「XV」とだけ添えて投稿しており、同じ日にプロトニコフがドラム録りの開始を告げていた。会場は Sunset Sound Recorders のスタジオ2で、ドラムはジョン・ライスである。
その15作目が、ジョン・ライスにとってバンドでの初録音になる見込みだと報じられている。彼は2025年5月からイン・フレイムスのツアーに参加しており、それ以前はベヒーモス、アンクル・アシッド&ザ・デッドビーツ、ザ・レッド・コード、ジョブ・フォー・ア・カウボーイ、スコーピオン・チャイルドで叩いていた。
アンダース・フリーデンとミカエル・スタンネは、1995年に事実上ポジションを交換している。フリーデンはダーク・トランキュリティーのマイクを離れてイン・フレイムスへ、当時イン・フレイムスで歌っていたスタンネはその逆の方向へ動いた。スタンネの説明では、フリーデンは先にダーク・トランキュリティーを解雇されている。
セレモニアル・オースは、後のイェーテボリ勢が何人も通り過ぎたバンドだった。セレモニアル・オースは、アンダース・フリーデンが歌った数多くのバンドの1つである。ここにはイェスパー・ストロムブラード、ダーク・トランキュリティーのベーシストとなるアンダース・イワース、ハンマーフォールのギタリストとなるオスカー・ドロンヤックも在籍していた。
イェスパー・ストロムブラードが脱退を発表したのは2010年2月である。声明で彼は、自分の悪魔と戦い、今度こそ打ち負かすと述べた。残ったメンバーは、イン・フレイムスの扉はいつでも彼に開いている、回復までずっと100%彼の側に立つと応じている。
脱退の理由については、本人の説明が時期によって重心を変えている。2014年10月のフェイスブックでストロムブラードは、アルコール依存はその「小さな」一部にすぎず、当時のイン・フレイムスの音楽的方向が自分の当初の構想と合わなくなっていたと述べた。2023年の取材では、自分はデス・メタル寄りに留まりたかったが、よりラジオ向きへ行きたい者がいてバンドの空気が良くなかった、と語っている。一方ビョーン・イエロッテは、依存だけが理由ではないがその一部ではあった、ツアーの負担もあった、ただし彼は脱退の2作前まで方向性の決定に関わっていたのでそれだけが真相でもない、と説明している。アンダース・フリーデンは、敵対して別れたのではなく、一緒に働けなくなり、働きたくもなくなったからだと述べた。
2015年8月、ストロムブラードは自身のフェイスブックで、20年以上にわたり重いうつと不安に苦しんできたと書いた。2023年の時点でも、依存と向き合うためにサイラとザ・ヘイロー・エフェクトの両方でライヴを外れている。ザ・ヘイロー・エフェクトは彼が出られない公演にザ・ホーンテッドのパトリック・イェンセンを立てて対応していた。
2010年のストロムブラードの脱退により、イン・フレイムスからオリジナル・メンバーはいなくなった。彼はバンドを離れたあと、ザ・ホーンテッドのマルコ・アロと元イン・フレイムスのグレン・ユングストロームとザ・レジスタンスを組み、2016年3月に脱退を表明。同じ年にはピーター・イワースが、ストロムブラードと新しいバンドを準備していると認めている。それがサイラで、アマランスにいたヨアキム・“ジェイク・E”・ルンドベリらが加わった。
2021年に始動したザ・ヘイロー・エフェクトは、元イン・フレイムスのメンバー5人によるバンドである。イェスパー・ストロムブラードとニクラス・エンゲリンがギター、ダニエル・スヴェンソンがドラム、ピーター・イワースがベース、そしてヴォーカルは『Lunar Strain』で歌ったミカエル・スタンネ。デビュー作『Days Of The Lost』はスウェーデンの公式チャートで1位に入った。
ダニエル・スヴェンソンは2015年11月8日に脱退を表明した。当時のツアーを終えたところで区切りをつけるという内容で、理由は妻と3人の娘と過ごす時間を取ることだった。彼はアンダース、ビョーン、ピーター、イェスパー、ニクラスの名を挙げ、17年間の思い出に礼を述べている。約20年のツアー生活に疲れた、というのが後年の彼の言い方である。近いうちに自分のブルワリーを始めるとも書いていた。
スヴェンソンとピーター・イワースは、脱退後にオッド・アイランド・ブルーイングという醸造所を一緒に営んでいる。イワースはさらに、ビョーン・イエロッテとイェーテボリで「2112」というレストランも持っている。イワース自身は脱退を後悔していないが、自由に出かけて演奏し、毎日違う場所へ移動する生活が恋しくなることはあると述べている。
ピーター・イワースは2016年11月に脱退を表明し、他のことに取り組むためだと述べた。ビョーン・イエロッテによれば、その話が最初に出たのは同年秋のヘルイェーとの北米ツアーの前で、驚きはなかったという。彼はいつも忙しくしている人で、この生活を終えたのだろう、というのがイエロッテの見方である。
イワースの後任は一度に決まらなかった。まず友人のホーカン・スコーゲルがイギリスとヨーロッパのツアーでベースを弾いている。彼はアンダース・フリーデンとニクラス・エンゲリンのサイド・プロジェクト、パッセンジャーで一緒だった人物で、エンゲリンの初期のバンド、ガーデニアンにも在籍していた。ただし家庭の事情でこの生活は続けられなかった。次にロック・オン・ザ・レンジなどアメリカのフェスに出るにあたり、ビザを取る時間がないためアメリカ在住のベーシストが必要になり、当時のドラマーであるジョー・リカードがナッシュビルの友人を推した。それがブライス・ポールで、曲を覚え、ナッシュビルで2日間顔を合わせただけでツアーに入っている。
2023年6月8日、イン・フレイムスはブライス・ポールとの別れと、ザ・ディリンジャー・エスケイプ・プランのリアム・ウィルソンの加入を同時に発表した。バンドの声明は、彼が自ら離れる決断をしたこと、この数年の貢献への感謝で構成されている。フリーデンによれば、ポールは家族を優先することにしたが、ヨーロッパのフェスの予定が既に入っていたため、バンドは動かざるを得なかった。ウィルソンを推したのはマネージャーだった。
リアム・ウィルソンの初ライヴは2023年6月7日、ギリシャのアテネで行われた<Release Athens>である。それまでバンドと合わせたリハーサルは一度もなかった。フリーデンによれば、ウィルソンは自宅で1人で練習し、ステージで初めて合流した。加入の経緯を訊かれたフリーデンは、ティンダーで見つけたのだと冗談を言っている。ウィルソン自身は、しばらくクラーク・ケントの心境でいたので、いきなりスーパーマンのスーツを着るのは寸法が合うか試すようなものだったと述べた。
タナー・ウェインは2018年夏のツアーに間に合う形で加入した。それ以前はアンダーマインド、スケアリー・キッズ・スケアリング・キッズ、キオドスでの活動で知られる。イン・フレイムスでの初ライヴは2018年7月4日、チェコのブルノだった。2025年5月27日、バンドは彼との別れを「創造上の決断」という言葉で発表している。
クリス・ブロデリックはネヴァーモア、ジャグ・パンザー、メガデスを経てイン・フレイムスに入った。バンドとの付き合いはそれよりずっと古く、20年以上前からの友人だとフリーデンは述べている。実際、彼らが初めて会ったのは2002年、ジャグ・パンザーおよびアイスド・アースとのツアーだった。ブロデリックによれば、彼がイン・フレイムスを知ったのもそのジャグ・パンザー時代で、レーベルの倉庫に入れてもらった際に棚から最初に手に取ったのがイン・フレイムスの1枚だったという。それが彼にとって初めての北欧メタルとの接触だった。
ブロデリックがイン・フレイムスでライヴを弾き始めた時期は、出典によって食い違う。Guitar World の記事本文はニクラス・エンゲリンの離脱を受けて2017年からとしているが、同じ記事の中でブロデリック本人は、2019年の初めに友人経由でイン・フレイムスがツアーの代役ギタリストを探していると聞いた、と述べている。Louder と Blabbermouth の記述も、彼が代役に入ったのは2019年、『I, the Mask』のアメリカ公演の直前である。
ニクラス・エンゲリンの立場ははっきりしない時期が続いた。2021年11月の時点で、彼は2年半にわたりイン・フレイムスのツアー日程を外れていたが、脱退を公式に認めたことは一度もない。2020年8月のポッドキャストで将来を訊かれた彼は、その質問はパスすると答え、すぐに「まだバンドにはいる」と付け加えている。ただしバンドのフェイスブックのメンバー欄に彼の名は無く、レーベルの宣材写真にも写っていなかった。
メンバー交代の多さについて訊かれたフリーデンの答えは短い。人生には局面があり、いろいろ起きる。ただしバンドは誰も解雇したことはない、というものだった。
2022年4月19日、ミシガン州での公演で、ラム・オブ・ゴッドはランディ・ブライの新型コロナ感染により3人のゲスト・ヴォーカリストを立てた。そのうち2人は、同じ<The Metal Tour Of The Year>に帯同していた面々である。トリヴィアムのマシュー・キイチ・ヒーフィー、そしてイン・フレイムスのアンダース・フリーデンだった。フリーデンが歌ったのは「Resurrection Man」である。
<The Metal Tour Of The Year>は、メガデスとラム・オブ・ゴッドが組んだ北米55公演のツアーで、イン・フレイムスとトリヴィアムがスペシャル・ゲストとして加わった。当初は2020年6月12日開幕の予定だったが、新型コロナの影響で開幕できず、その日は代わりに特別なストリーミング・イベントが行われている。イン・フレイムスは2019年の公演の映像を流した。ツアーは2021年に持ち越され、8月20日のテキサス州オースティン開幕・10月2日までの28公演という日程で告知し直された。
2008年、イン・フレイムスは Metal Hammer のゴールデン・ゴッズ・アワードでベスト・インターナショナル・バンドを受賞している。
スウェーデンのグラミス賞の受賞回数は、出典によって数え方が違う。Blabbermouth は2022年時点で3度のノミネートと2度の受賞とし、その2度を『Soundtrack to Your Escape』と『Come Clarity』としている。一方 Louder の A-Z ガイドは4つ受賞したとし、内訳をベスト・ハードロック/メタル・アルバム3つ(『Soundtrack to Your Escape』『A Sense of Purpose』『Come Clarity』)とスウェーデン輸出賞1つとしている。さらに2024年の取材でアートワーク担当のブレイク・アームストロングが、『Foregone』もノミネートののち受賞したと述べている。
『Reroute to Remain』のジャケットを描いたのはダーク・トランキュリティーのニクラスである。それまでの色彩の強いジャケットを描いていたのはアンドレアス・マーシャルで、彼は多くのパワー・メタル・バンドが使う画家でもあった。ジャケットだけを見た人にまた別のパワー・メタル・バンドだと思われるのは避けたい、というのが交代の理由だとダニエル・スヴェンソンは説明している。バンドが渡したのは歌詞の一部とタイトルだけで、あとは任せた。古いロゴを載せる案は絵に合わず見送られたが、ロゴ自体は変えていない。
この時期のイン・フレイムスは、ステージで揃いの衣装を着ていた。ひとつの塊に見えるから、というのがスヴェンソンの説明である。衣装自体は数年前から使っていて、色を変えていた。『Reroute to Remain』のときは白だった。ただし2003年8月のヴァンクーヴァー公演のレポートには、この日は白のジャンプスーツではなかった、とわざわざ書かれている。
『Reroute to Remain』はスウェーデンのチャートでトップ10に入った。同じ時期のヨーロッパ・ヘッドライン・ツアーは、バンドが自力で行ったものとしては当時最大規模で、会場は1,000〜1,500人規模。前回のヘッドライン・ツアーは『Clayman』の頃で、平均動員は倍になっていた。ストックホルム公演は750人規模の会場が早々に売り切れて会場を移し、3,000人を集めている。イェーテボリ公演も完売だった。
2002年のイン・フレイムスはほとんど家に帰っていない。2月にスリップノットとアメリカン・ヘッド・チャージとイギリス、4月にアイスド・アースとジャグ・パンザーとアメリカ、夏はヨーロッパのフェス、そこから9月半ばまでスレイヤーと同じ舞台、続いてダーク・トランキュリティーとセンテンストとのツアー、10月はソイルワークとペインを連れたヨーロッパ・ツアー。スヴェンソンはこの間、前年7月に帰宅したきりで、ツアーとツアーの合間は4日しかなかったと述べている。
スレイヤーとのツアーについて、スヴェンソンは具体的な思い出を語っている。ジェフとはあまり話さなかったが、ケリー・キングはとても親切で、公演のあとバスに招いてくれた。出されたのは奇妙な、とても強い酒だったという。この編成は4バンドだけで会場も大きく、距離が近かった。自分たちだけでアメリカをヘッドラインで回るときは、シャワーが無いなど条件がそこまで良くないという対比も付けている。
オズフェストでのイン・フレイムスは、メイン・ステージのトップバッターだった。彼らが始める時点で観客はまだ別の場所でロブ・ゾンビを見ており、会場はほぼ空だったという。持ち時間は25分、5曲。最後の曲でようやく人が集まってくる、という状態が2か月続いた。それでもブラック・サバスやアイアン・メイデンと同じ舞台に立てたことは良かったとストロムブラードは述べており、サバスのビル・ワードはイン・フレイムスのファンで、よく一緒に過ごしたという。2005年当時のフリーデンは、メイン・ステージよりも、客が立って観ているセカンド・ステージのほうが良かったと語っていた。
2003年8月、イン・フレイムスはヴァンクーヴァーのコモドア・ボールルームで初めてヘッドライナーとして公演を行った。前座はキマイラとソイルワーク。その日は前夜のシアトル公演からの移動でカナダ入国に6時間かかり、予定していたレコード店でのサイン会は中止になっている。ステージからアンダース・フリーデンは、待たせた国境の係官たちに向けて長い文句を並べ、そのうえでヴァンクーヴァーに来られて嬉しいと述べた。75分のセットにアンコールは無かった。
その夜のセットリストも記録されている。「Episode 666」「Only For The Weak」「Pinball Map」「Behind Space」「Colony」「Jotun」「Gyroscope」、そしてスレイヤーの「Reign In Blood」を挟み込んだ「Scorn」。当時の新譜からは「Cloud Connected」「Trigger」「Drifter」が演奏された。ビョーン・イエロッテは演奏の合間に、キマイラのファンが持っていたCDのブックレットを受け取り、ステージ脇のメンバーにサインさせている。
2005年のDVD『Used & Abused... In Live We Trust』は、実質的にイン・フレイムス初の映像作品である。1997年にエヴァリーヴおよびダークシードとの3組共有DVDがあったのが唯一の先例だった。総収録時間は3時間半を超え、24ページのブックレットが付く。ディスク1には2004年12月27日のロンドン・ハマースミス公演(38分に短縮され、5曲がカットされている)と、同年9月7日にイェーテボリの約250人のクラブ「スティッキー・フィンガーズ」で撮られた公演が入っている。後者では『Soundtrack to Your Escape』を全曲演奏し、そのあと旧曲のセットを続けた。アンダース・フリーデンはこの地元公演でスウェーデン語で客席に話しかけている。
同じDVDには、7本のプロモーション・ビデオと、50分のツアー・ドキュメンタリー「Jester TV Universal Access」が特典として入っている。当時までにバンドが撮ったビデオは18本か19本だった。ドキュメンタリーはオーストラリアのヘリコプター、日本の新幹線、メタリカの前座として立ったヨーロッパのスタジアムまでを追っている。パンテラの「Fuckin' Hostile」のカヴァーが「Behind Space」に繋がる場面もある。
2022年、Z2 Comics がイン・フレイムスのグラフィック・ノベル『In Flames: The Jester's Curse』を発表した。ジェスターヘッドが荒野から現れるところから始まる話で、監修はブレイク・アームストロング。執筆はアームストロング、ベン・レイヴァロック、スコット・ブランブルの3人、作画はスコット・デューイとアームストロングである。アームストロングにとっては10年近く温めてきた企画だった。編集はランツ・A・ホーズリー、130ページのハードカバーで、特典は少量のスケッチ集のみ。これは第1部にあたる。
ジェスターは全アルバムのアートワークのどこかに必ずいる、というのがバンド側の説明だが、ジャケットの「顔」として登場した回数はもっと少ない。Metal-Rules のレビューは、2024年時点で14作中5作のジャケットにしか出ていないと数えている。
そのグラフィック・ノベルに合わせ、Aggronautix と Z2 Comics が「Jesterhead Clock Maker」というアクション・フィギュアを作っている。『Foregone』のジャケットに登場する姿を立体にしたもので、造形はブレイク・アームストロング。1,000体の番号入り限定で、時計の文字盤が暗いところで光る仕掛けが付いている。
2024年7月19日、ニュークリア・ブラストが4作のアニヴァーサリー・ヴァイナル再発を行った。『Lunar Strain』が30周年、『Colony』が25周年、『Soundtrack to Your Escape』が20周年、『Siren Charms』が10周年で、いずれも長らく廃盤だった。ヴァイナル用のリマスターはナッシュヴィルのスターリング・サウンドでジャスティン・シュターツが手掛け、180グラム盤で色違いが用意された。D面にはジェスターヘッドのロゴがエッチングされている(『Lunar Strain』と『Colony』を除く)。ジャケットは元のアートワークに軽い手直しを加えたものである。
その前年の2023年にも4作が再発されている。『A Sense of Purpose』(2008年)の15周年盤に加え、『Reroute to Remain』(2002年)、『Come Clarity』(2006年)、『Sounds of a Playground Fading』(2011年)である。
2014年にはセンチュリー・メディアが旧作のカタログをライセンスし、全アルバムを特別仕様のデジパックで再発している。ヴァイナルは180グラムの黒盤で用意されたが、『Lunar Strain』と『Subterranean』の2作だけはアナログ盤が出なかった。発売は3回に分けられ、第1弾は告知の時点ですでに出ていた(オーストラリアとニュージーランドは10月17日)。第2弾が10月20日(豪NZは10月24日)、第3弾が11月24日(豪NZは11月28日)である。
2016年12月9日には、センチュリー・メディアが全アルバムに EP『Black-Ash Inheritance』と1993年のデモを加えた13枚組の手番号入りヴァイナル・ボックスを出している。リマスターは DNA Mastering のデヴィッド・ドネリー。36ページのブックレットには全歌詞とクレジット、クリス・ディックによるライナーノーツが入る。EP とデモはB面がエッチングになっている。2,000部限定という数字は、アメリカ、メキシコ、カナダ、日本を除く地域についてのものである。ショップごとに色違いも用意され、CM Distro のクリア、ニュークリア・ブラストの白、EMP のシルバーがそれぞれ100部である。
アンダース・フリーデンにはウィスキーの収集という趣味がある。最初は「うえっ」という反応だったが、作られ方に興味を持つうちに数年後には集めるようになった。イン・フレイムスはやがて自分たちの名を冠した酒も作っており、スコットランドのグレンファークラス、後にスウェーデンの Box という蒸溜所と組んでいる。60%のボトリングは234本の限定だった。彼はビールも作るが、大きな商売ではなく関心があるからだと述べている。
イン・フレイムスのメンバーの何人かは、別のバンドを持っている。ビョーン・イエロッテとイェスパー・ストロムブラードはオルタナ・メタルのオール・エンズを一緒にやっており、ストロムブラードはディメンション・ゼロにも在籍していた。アンダース・フリーデンは、メロディック・デス・メタルのエンゲルを推し進めてきた人物として紹介されている。
2000年代のニュー・ウェイヴ・オブ・アメリカン・ヘヴィ・メタルを担った面々——トリヴィアムやキルスウィッチ・エンゲイジ——は、イン・フレイムス、アット・ザ・ゲイツ、ダーク・トランキュリティーを影響源として挙げている。より近いところでは、イギリスのエンプロイド・トゥ・サーヴが、2021年『Conquering』に続く未発表作についてイン・フレイムスの影響が大きいと述べた。ヴォーカルのジャスティーン・ジョーンズは「イン・フレイムスの影響が大きい」と語り、サミー・アーウィンはメロディをもっと掘るためにソイルワークとイン・フレイムスを聴き込んでいたと説明している。
2026年4月22日、イェーテボリ交響楽団がイン・フレイムス、アット・ザ・ゲイツ、ダーク・トランキュリティーの曲を演奏する公演「The Gothenburg Sound」が発表された。亡くなったアット・ザ・ゲイツのトーマス・リンドバーグを追悼する、109人編成のオーケストラによる公演で、会場は3バンドが生まれた街のイェーテボリ・コンサートホール。発表の時点では12月4日と5日の2公演だったが、楽団の公演案内では12月3日、4日、5日の3公演となっている。指揮はヨセフ・レディーン、オーケストラ用の編曲はヨハン・リンドストロームと作曲家のジョン・メトカーフである。
その2026年8月22日、イェーテボリのフリーハムネンで行われた<Göteborg Brinner>のヘッドライン・セットには、ダーク・トランキュリティーのミカエル・スタンネとトリヴィアムのマット・ヒーフィーが登場した。同じ夜、「Gyroscope」が2012年以来のセット入りを果たしている。
2026年8月、結成から35年以上が経った時点で、フリーデンはメロディック・デス・メタルの音を形作っている自覚があったかと問われた。彼の答えの中には、アイアン・メイデンが聴いているなら、自分たちは彼らのリフをいくつか盗んだ、それが事実だ、というくだりがあった。
アンダース・フリーデンには、バンドの名前を使って便宜を図ってもらった経験が1度だけある。スウェーデンでのキッスの公演が13歳未満の入場を認めないという話を聞き、彼はマネージャーを呼んでもらい、イン・フレイムスのアンダースだと名乗って息子とVIPエリアに入れてもらった。
初期のアメリカ・ツアーの記憶として、フリーデンはトラック・ストップの公衆電話の列を挙げている。全員が順番待ちをして、まだ言い足りない、と言いながら次の人に受話器を渡す。まるで刑務所のようだったと彼は述べている。
メキシコでの公演で、イン・フレイムスは自分たちの前座より先に演奏したことがある。公演の直後にヨーロッパ行きの便へ乗るため、メキシコシティまでバスで移動する必要があったからで、そのために出番を繰り上げた。客席はそれに怒り、警備員に守られて会場を出る彼らに向かって物を投げ、声を上げたという。
2005年にはモーターヘッドとイギリスを回っている。フリーデンはこれを、自分たちを歓迎してくれる客の前に立たせてもらえたツアーだったと述べた。
イギリスで受け入れられるまでの順序について、ビョーン・イエロッテはこう説明している。まずアメリカへ行ってツアーをしなければ、イギリスでは認められなかった。
地元での受け止められ方も、最初から良かったわけではない。イエロッテによれば、最初の本格的な成功が国外で起きたため、イェーテボリに帰ってくると「またここか、他のバンドの連中しか来ていない」という状態だったという。2016年のフリーデンは、いまや帰郷して1万人近くを前に演奏できるのは驚くべきことだと述べている。