HELLOWEEN TRIVIA
Trivia
『MASTER OF THE RINGS』の日本での先行シングルは、海外の指定とは違う曲になっている。ビクターエンタテインメントの担当ディレクターが同社のインタビューで語ったところによれば、海外からは「シングルは“Mr. Ego”だ」と伝えられていた。だが彼のなかでは“Where The Rain Grows”しかなく、日本はこの曲でやりたいと海外を説得して、ファースト・シングルを差し替えたのだという。
『Giants & Monsters』からの1stシングルは「This Is Tokyo」という曲だった。作詞作曲を担当したアンディ・デリスが激ロックに寄せたコメントによれば、これは個人的な思いが込められた曲で、ずっと書きたかったのだという。日本は彼の人生において特別な場所である——PINK CREAM 69で人生最初の成功を収めたのが日本であり、日本はいつも彼に対して信じられないほど良くしてくれた、というのがその理由だった。ミュージック・ビデオには近未来的な日本が描かれている。
HELLOWEENという名前は、コンピレーション盤への参加をきっかけに生まれている。日本の発売元ビクターエンタテインメントのプロフィールによれば、1984年、カイ・ハンセン(g, vo)、マイケル・ヴァイカート(g)、マーカス・グロスコフ(b)、インゴ・シュヴィヒテンバーグ(ds)の4人はIRON FISTというバンド名で活動していた。この4人が『DEATH METAL SAMPLER』というコンピレーション・アルバムに参加することになり、それを機に改名して、HELLOWEENとしての活動が始まった。結成の地はドイツのハンブルクである。
2作目でHELLOWEENは大きく変わった。Louderによれば、『Keeper Of The Seven Keys, Part 1』でカイ・ハンセンはヴォーカルを手放し、18歳のマイケル・キスクに委ねている。音楽の面でも一段跳んだ。スラッシュは影を潜め、代わりに音楽的な野心と、それに見合う強力なアンセム群が並んだ。発表から40年近くを経てなお、この1枚はパワー・メタルの雛形であり続けている、というのが同誌の評価である。
パワー・メタルという呼び名について、カイ・ハンセン本人は乗り気ではない。『Keeper Of The Seven Keys, Part 1』がそのジャンルの雛形だという評価を向けられた彼は、Louderのインタビューで目を回してみせた。自分たちはヘヴィ・メタルを噛み砕いて自分たちのやり方で吐き出しただけで、誰かがそれを「パワー・メタル」と呼び始めた、それが何なのか自分には分からない、というのが彼の言い分である。パワー・メタルは安っぽいものだと自分はずっと思っていたし、自分たちは安っぽくない——とはいえ、たまには少しくらい安っぽいかもしれないが、とも彼は付け加えている。
「I Want Out」は、書いた本人の退職願だった。2か月の入院を経て退院したカイ・ハンセンは、何かを変えなければならないと考えるようになる。Louderに語ったところによれば、彼はツアーを短くできないかと提案した。だが他のメンバーの答えは、マネジメントがやれと言うならやる、人生に一度きりのチャンスなのだから、というものだった。彼は幻滅しながらも、その時点ではまだ辞めていない。代わりに、その苛立ちを次のアルバムに入る曲に注ぎ込んだ。題名がほとんど隠しきれていないその曲が「I Want Out」である。
7人編成が成立する前に、二人のシンガーはまず2週間を一緒に過ごしている。Louderによれば、2017年にダブル・フロントマンの〈Pumpkins United〉ツアーが持ち上がったとき、マネジメントは架け直すべき橋をすぐに見つけた。アンディ・デリスとマイケル・キスクのあいだには、そもそも橋が架かっていなかったのである。25年近く前に一度ぎこちない挨拶を交わしただけだった二人のうち、キスクがテネリフェにあるデリスのホーム・スタジオへ飛んだ。マネージャーからは、二人が上手くやれないならこれ以上話しても仕方がない、この計画は成立しない、と言われていたという。キスクはデリスのところに2週間滞在し、毎日一緒に時間を過ごした。デリスは自分の知っている場所へ彼を連れて行き、二人は何でも話した。前世から知っていたようだった、すぐに通じ合った、というのがキスクの述懐である。
マイケル・キスクとマイケル・ヴァイカートの和解は、再結成の話が出るより前に起きていた。Louderにキスクが語ったところによれば、2013年、AVANTASIAでツアー中だった彼はヴァイカートと鉢合わせした。そのときヴァイカートが口にしたのは、自分は君に許してもらえないようなことを何かしたのか、という問いだった。息を止めて自分の内側を確かめたキスクは、そこにもう怒りが無いことに気づく。何年か前なら違っただろうが、そのときは何も無かった。とっくに許していたと思う、と彼は答えた。2013年の時点では〈Pumpkins United〉の話など何一つ出ていなかった。人生の視点から、自分自身が変わっていくうえで、あれを全部通り抜ける必要があったのだと彼は述べている。
90年代のビクターは、HR/HMのために年会費制の組織まで作っていた。担当ディレクターが同社のインタビューで語ったところによれば、『ピュア・メタル・クラブ』という会費制の組織を立ち上げ、毎月手作りの新聞のようなものを発行していた。さらに『ピュア・メタル・セミナー』というイベントを開き、バンドのメンバーを日本に呼んで全国を回っている。イベントへの参加は会費制のクラブとは紐づいておらず完全に無料で、抽選で選ばれた人が参加できた。『THE TIME OF THE OATH』のときには全国7か所で開催し、大阪には500人ものファンが集まったという。
『THE TIME OF THE OATH』の日本でのプロモーションには、地上波のテレビ番組まで使われている。ビクターの担当ディレクターが同社のインタビューで振り返るところによれば、当時は30分の放送枠を買って番組を制作し、雑誌やラジオでその告知をするということをよくやっていて、HELLOWEENでも特番を作って放送した。前作が10万枚売れていたので、多少予算を使ってもいいからもっと売れという空気だったという。
1998年1月1日、元日に『PUMPKIN BOX』という日本独自の初期音源集が発売されている。ビクターの担当ディレクターが同社のインタビューで語ったところによれば、これは初期の音源を集めた日本のための企画で、当時すでにバンドを離れていた元メンバーの協力も得ている。マネジメントにどう説明したかはよく覚えていないが、『BETTER THAN RAW』リリースの前煽りだといった適当なことを言ったのではないか、というのが彼の振り返りである。実際『PUMPKIN BOX』の直後に『BETTER THAN RAW』が出るという流れになった。
ビクターの担当ディレクターがHELLOWEENで最後に手がけたのは、ベスト盤『TREASURE CHEST』だった。同社のインタビューによれば、2枚組は国内で生産したが、3枚組のエディションは輸入したものに帯を付けて出したのではないか、と彼は記憶している。国内盤を作る時間が無かったためだという。海外からのリリース情報の伝達が遅い、というのはいつの時代も同じらしい、というやり取りがそこに続いている。
2010年代前半のHELLOWEENは、ほぼ隔年で日本に来ている。日本の発売元ビクターエンタテインメントのプロフィールによれば、2010年10月に通算13作目『7 SINNERS』を発表したあと、翌2011年2月にはSTRATOVARIUSをスペシャル・ゲストに迎えてジャパン・ツアーを行ない、2012年10月にはLOUD PARK 12で来日した。2013年1月に14作目『STRAIGHT OUT OF HELL』を出した年にはGAMMA RAYとのHellish Rock Part 2で再び日本を回っている。
デビュー30周年にあたる2015年、HELLOWEENは通算15作目『MY GOD-GIVEN RIGHT』を発表した。日本の発売元ビクターエンタテインメントのプロフィールによれば、この年バンドはLOUD PARK 15に出演し、9月にはAMARANTHEをゲストに迎えたジャパン・ツアーも行なっている。
2023年9月、HELLOWEENは初の日本武道館公演を行なった。日本の発売元ビクターエンタテインメントのプロフィールによれば、これは2021年の7人編成初のフル・アルバム『HELLOWEEN』を携えた大阪・東京のツアーの一環として実現したものである。BARKSは、40年近いキャリアを誇る彼らがこの公演を「念願」と表現したと伝えている。
〈パンプキンズ・ユナイテッド〉の日本公演は2018年3月に行なわれた。BARKSのライヴ・レポートによれば、そこではマイケル・キスクとアンディ・デリスのツイン・ヴォーカルで「Halloween」が歌われ、マイケル・ヴァイカート、サシャ・ゲルストナー、カイ・ハンセンによるトリプル・ギターの陣容が組まれた。バンドの歴史のなかで一度も同居したことのなかった顔ぶれが、同じステージに並んだことになる。
初の日本武道館公演を控えた2023年、HELLOWEENの1991年から2021年までの13枚のオリジナル・スタジオ・アルバムが、初の紙ジャケット&SHM-CD仕様で一斉にリイシューされた。激ロックが伝えたこの企画は来日を祝うもので、30年分のカタログをまとめて出し直すという規模のものである。アルバム未収録曲などが追加されている。
HELLOWEENのデビュー作は、アルバムではなく5曲入りのミニ・アルバムだった。日本の発売元ビクターエンタテインメントのプロフィールによれば、1985年、バンドは自らの名を冠した5曲入りのミニ・アルバムでドイツ国内のヘヴィ・メタル・レーベルNOISE INTERNATIONALからデビューし、同じ年に初のフル・アルバム『WALLS OF JERICHO』を発表している。
日本の発売元ビクターエンタテインメントには、HELLOWEENの歴代担当ディレクターどうしが語り合う長編インタビューがある。2013年2月、5代目の担当ディレクターが、アンディ・デリス加入後の最初の担当だった3代目にロング・インタビューを行なったものである。来日時のメンバーの裏話や制作の経緯、そして当時ビクターが行なっていた『ピュアメタルセミナー』まで、日本でHELLOWEENが最も一般層に広がった90年代について語り尽くす内容になっている。
『MASTER OF THE RINGS』は、HELLOWEENにとって日本でのセールスが初めて10万枚を超えた作品である。ビクターエンタテインメントの担当ディレクターは同社のインタビューで、当時は洋楽全般が売れていてメタルもよく売れる市場だったと振り返っている。ジャーマン・メタル、とくにHELLOWEENが売れていることは、扱っている関係者には分かっていた。ところが同じメタルを扱う他のレコード会社の人たちからすると意外だったという——世界的な大物メタル・バンドのほうが売れるだろうと思われていたのに、実際はHELLOWEENのほうが売れていたのである。
『MASTER OF THE RINGS』でアンディ・デリスと一緒に加わったのが、ドラムのウリ・カッシュである。ビクターの担当ディレクターは同社のインタビューで、ウリのことはGAMMA RAYにいたので当然知っていたと語り、当時ウリは「かわいい」、アンディは「かっこいい」とされていたので、音の良さはもちろん見栄えも良くなったと振り返っている。結果として女性ファンが増えた。当時はLAメタルの盛り上がりの余韻が残っていて、普段メタルを聴かない層にまで間口が広がっていた時期でもあった、というのが彼の見立てである。
アンディ・デリスはビールを飲まない。ビクターの担当ディレクターが同社のインタビューで語ったところによれば、アンディもマイケル・ヴァイカートも酒はほどほどで、そのうえアンディはビールを飲まなかった。理由として彼が話していたのは、子どもの頃にビールの樽に落ちて以来ビールが嫌いになった、というものだったという。当時から二人はとても仲が良く、『ピュア・メタル・セミナー』の全国行脚も二人で回っていた。
『THE TIME OF THE OATH』を日本の担当ディレクターが初めて聴いたのは、バンドがレコーディングしているスタジオでのことだった。ビクターの同社インタビューによれば、彼は『BURRN!』誌の広瀬編集長と一緒にハンブルクの『Chateau du Pape』というスタジオを訪ね、そこで“Steel Tormenter”などを聴かせてもらっている。エンジンの音から始まるのか、これまでとは少し違うな、と思った記憶があると彼は振り返る。当時HELLOWEENはSanctuaryと契約していて、IRON MAIDENと同じマネジメントだった。
『THE TIME OF THE OATH』は、日本で約20万枚を売っている。ビクターの担当ディレクターが同社のインタビューで語ったところによれば、初回出荷だけで12万枚ほどあった。前作『MASTER OF THE RINGS』の10万枚から倍増したことになる。何がこれだけ売った要因かと問われた彼の答えは明快で、“Power”という曲が強烈だったからだ、というものだった。極論すればアルバムがどうこうより、あの1曲があればこそだった、というのが彼の見方である。
『THE TIME OF THE OATH』を携えた日本公演は、ウドー音楽事務所が組んだ10都市13公演という大規模なツアーだった。ビクターの担当ディレクターが同社のインタビューで語ったところによれば、その中に神奈川県民ホール公演があり、当時は日本武道館を埋められるバンドなら県民ホールもソールドアウトにできる、という感覚だったという。結果は満員だった。東京公演はベイNKホールで、こちらも当然のように満員になっている。武道館でやっていても埋まったのではないか、というのが彼の振り返りである。秋田や新潟といった地方公演もきちんとソールドアウトになった。
このツアーで、福岡公演がキャンセルになっている。ビクターの担当ディレクターが同社のインタビューで、アンディ・デリスの体調不良によるものだったと記憶を語っている。ツアー自体は大成功で終わった。
90年代半ばの日本は、ジャーマン・メタル全体が売れていた。ビクターの担当ディレクターが同社のインタビューで挙げた数字によれば、GAMMA RAYの『INSANITY AND GENIUS』も10万枚に達し、BLIND GUARDIANは音楽性が難しめでアルバムの間隔も空きがちだったにもかかわらず10万枚近くまで行き、HEAVEN'S GATEも5万枚ほど売れたのではないかという。そこそこのバンドであればまずまず売れた時代で、まさにジャーマン・メタル・バブルという感じだった、というのが彼の総括である。
『BETTER THAN RAW』を初めて聴いたとき、日本の担当ディレクターは面食らったという。ビクターの同社インタビューによれば、彼は“I Can”のギターを聴いてBUCK-TICKのようだ、邦楽ロックっぽいと思った。“Push”のようにスラッシュ・メタル寄りの曲もあり、アルバム全体としてこれまでとは違うと感じたそうである。最初は「なんだコレは」と思ったものの、ちゃんと聴いてみると良いアルバムだった、というのが彼の結論だった。様変わりしたアートワークについては、インパクトもあって評判が良かったと振り返っている。
カヴァー・アルバム『METAL JUKEBOX』には、珍しく先行シングルが出ている。ビクターの担当ディレクターが同社のインタビューで確認しているところによれば、それはABBAの「LAY ALL YOUR LOVE ON ME」のカヴァーだった。ただし、このカヴァー・アルバム自体はバンドとしてそこまで本腰を入れた作品というわけではなかった、というのが彼の見方である。
『THE DARK RIDE』は、日本と海外で受け止められ方が違った作品である。ビクターの担当ディレクターが同社のインタビューで語ったところによれば、ゴシック寄りの曲やアートワーク、題名を含めて従来のHELLOWEEN像から外れたこの作品は、ヨーロッパではあまり評価されなかった。HELLOWEENがそれをやらなくてもいいだろう、ということだったのだろうというのが彼の推測である。一方、日本ではよく売れた。彼自身はこのアルバムを気に入っていて、HELLOWEENの作品には良い曲は多いが少し乱雑だと感じる部分もあったなかで、『THE DARK RIDE』は全体的にまとまっていたと評価している。
2013年の『STRAIGHT OUT OF HELL』のブックレットにあるバンドのサンクス・リストには、90年代の日本の担当ディレクターの名前が入っている。ビクターのインタビューで現担当がそれを伝えると、当人は「未だに入れてくれてるの」と驚き、有り難いことだと応じた。彼にとってHELLOWEENとは、レコード会社スタッフとしての人生で最も脂の乗り切っていたときの、とても楽しい仕事だったという。彼はまた、自分が担当していた頃と今のバンドの違いとして、ライヴが圧倒的に良くなり、色々な意味でメタル・バンドらしくタイトになったことを挙げている。
『RABBIT DON'T COME EASY』は、ドラマーが決まらないまま作られている。日本の発売元ビクターエンタテインメントのプロフィールによれば、2001年にローランドとウリ・カッシュがバンドを去り、新しいギタリストとしてサシャ・ゲルストナーを迎えたHELLOWEENは、ドラムの録音をモーターヘッドのミッキー・ディーに手伝ってもらってこのアルバムを完成させた。正式なドラマーとしてステファン・シュヴァルツマンが加入したのは、アルバムの制作後である。日本ツアーではDRAGONFORCEとTWILIGHTNINGという当時の新人2バンドが前座を務めた。
現在のドラマー、ダニ・ルブレがHELLOWEENに加わったのは2000年代半ばである。日本の発売元ビクターエンタテインメントのプロフィールによれば、音楽性の相違でステファン・シュヴァルツマンが脱退したあと、元RAWHEAD REXXのダニ・ルブレを迎え、2005年に『KEEPER OF THE SEVEN KEYS – THE LEGACY』(邦題『守護神伝 -新章-』)を発表した。
HELLOWEENは、かつて自分たちを去ったカイ・ハンセンのバンドと一緒にツアーを回っている。日本の発売元ビクターエンタテインメントのプロフィールが「奇跡的カップリング・ツアー」と呼ぶのが、GAMMA RAYとのHellish Rock Tourである。2007年と2008年にわたって世界中で行なわれ、日本でも大絶賛を得た。さらに2013年には再びGAMMA RAYとHellish Rock Part 2を実施し、こちらも日本公演を行なっている。
〈PUMPKINS UNITED WORLD TOUR〉は、当初カイとキスクの「限定復帰」として発表されたものだった。日本の発売元ビクターエンタテインメントのプロフィールによれば、この夢のツアーは7人編成での新曲『PUMPKINS UNITED』の発表とともに2017年の南米公演から始まり、日本公演は2018年3月、ワールド・ツアーは2018年末のドイツ公演まで続いた。ベスト・テイクをまとめたライヴ作品『UNITED ALIVE』『UNITED ALIVE IN MADRID』が2019年10月に出たあと、ファンの願いに応える形でカイとキスクが残留する。引き続き7人編成でシングル『SKYFALL』を発表し、7人体制での初のフル・アルバム『HELLOWEEN』が2021年6月にリリースされた。
『Giants & Monsters』の「A Little Is A Little Too Much」について、アンディ・デリスは大洪水を引き起こす最後の一滴を書きたかったのだと説明している。バンドの公式サイトに載せた彼のコメントによれば、物語そのものは少しばかりエロティックで、彼が10代の頃の最初の経験にまつわるものだという。ミュージック・ビデオは90年代のMTV風に作られた。発案者であるギタリストのサシャ・ゲルストナーは、HELLOWEENは80年代からヘヴィ・メタルの紋切り型に逆らってきたバンドであり、「I Want Out」や「Where The Rain Grows」のようなビデオを思い出してほしい、と述べている。
デビュー40周年を迎えた2025年、HELLOWEENはまずベスト・オブ作品『MARCH OF TIME – THE BEST OF 40 YEARS』で自ら節目を祝い、8月に『GIANTS & MONSTERS』を発表した。日本の発売元ビクターエンタテインメントのプロフィールによれば、これは7人編成での2作目にして、通算17作目にあたる。
HELLOWEENの公式サイトは、2025年の40周年ツアーのヨーロッパ日程を数字で締めくくっている。掲げられたのは「21公演/16か国/14,117キロメートル」だった。
HELLOWEENは、1980年代前半にドイツから現れた一群のメタル・バンドの一つだった。Louderの整理によれば、同じ時期に出てきたのがクリエイター、デストラクション、ソドムといった面々である。カイ・ハンセンは1984年、ハンブルクでこのバンドを組んだ。同じくギターのマイケル・ヴァイカート、ベースのマーカス・グロスコフ、ドラムのインゴ・シュヴィヒテンバーグとの4人編成だった。1985年の1作目『Walls Of Jericho』は荒く、スラッシュ寄りの作品で、ハンセンがギターとヴォーカルを兼任している。
『Keeper Of The Seven Keys, Part 1』の成功で、HELLOWEENは一気にツアー漬けになった。Louderに語ったカイ・ハンセンによれば、ヨーロッパ、アメリカ、日本を大規模に回る日々で、当時はインターネットが無く、家族や恋人と連絡を取るには汚い公衆電話に行くしかなかった。そのうえで彼らは、できる限りパーティをしようとしていた。やがて請求書が来る、というのが彼の言い方である。彼の場合その請求は極端で、体を壊して2か月間入院することになった。
当時のHELLOWEENは、バンドとしてまとまってはいなかった。カイ・ハンセンがLouderに語ったところによれば、バンドの財務状況を自分たちはまったく把握しておらず、毎月わずかな金を受け取るだけで、誰が何に対して支払われ、いくら入っていくら出ていくのかも分からなかった。情報が欲しい、誰が誰のために働いているのか、というのが彼の求めたことである。人間関係にも緊張があった。ハンセンとヴァイカートは正反対の性格で、新加入のキスクは若さに似合わない強い意志を持っていた。派閥と対抗心が生まれ、当時のHELLOWEENは強固な結束ではなかった、というのが彼の総括である。
カイ・ハンセンの気持ちの揺れは、作曲のクレジットにそのまま出ていた。Louderによれば、『Keeper Part 1』の曲の大半は彼が書くか共作していたのに対し、続く『Keeper Of The Seven Keys, Part 2』ではマイケル・ヴァイカートが作曲の多くを担っている。バンド内には音楽性をめぐる線も引かれていた。ハンセンの説明では、ヴァイカートとキスクは「この先ずっとメタルをやりたいのか」と問うており、キスクはシンガー・ソングライター寄りやエルヴィス系のものに向かい、ヴァイカートはビートルズのようでありたいと考えていた。一方でインゴ、マーカス、そして彼自身は頑固に、ロックしたい、メタルをやりたい、という側だった。
「I Want Out」を書いた時点で、カイ・ハンセンは完全に出ていくつもりだったわけではない。Louderに語ったところによれば、彼の頭を離れなかったのは、イギリス人の叔母がかつてくれた助言だった——何をするにせよ心を込めてやりなさい、愛するか、変えるか、去るか。曲を仕上げた彼は、メンバーに自分の懸念を持ちかける。何かを変えなければならない、ツアーはやる、それで何も変わらなければ辞めるかもしれない、と。最初から自分の子どものようなバンドで、辞めたくはなかった、というのが彼の説明である。
「I Want Out」がシングルとして世に出たのは、1988年のハロウィンだった。Louderによれば、『Keeper Of The Seven Keys, Part 2』の3か月後にあたる。歌うのはマイケル・キスクだが、そこに込められた気持ちはすべてカイ・ハンセンのものだった。メッセージは見逃しようがなかったが、無視するのは簡単で、バンドはそうした。彼らは無関心だった、とハンセンは言う。ヴァイカートは自分たちが競争関係にあったので喜んでいて、キスクは「そんなことをするなんて馬鹿だ」という反応だった。翌年の初めには、彼はもうHELLOWEENのメンバーではなかった。
脱退したときの気持ちについて、カイ・ハンセンは二つのことを同時に語っている。Louderに語ったところによれば、自分は自信に満ちていて自由だと感じていた。その一方で、素晴らしいものになり得たのに、という思いもあったという。
2016年11月、HELLOWEENはカイ・ハンセンとマイケル・キスクの復帰を発表した。BARKSが伝えたところによれば、2017年には二人を含む総勢7人のメンバーでワールド・ツアー〈パンプキンズ・ユナイテッド〉を開催するという内容だった。カイ・ハンセンはバンドのオリジナル・ギタリスト兼シンガーで、1989年に脱退して以後はGAMMA RAYの中心メンバーとして活動してきた人物である。マイケル・キスクは、カイがギターに専念するために1986年、18歳で加入した。発表時点で決まっていた日程は2017年10月28日のブラジル・サンパウロ公演だけで、南米、ヨーロッパ、アジア、北米などは順次決まっていくとされていた。
〈パンプキンズ・ユナイテッド〉の着想は、一冊の本から出てきた。結成から現在までHELLOWEENを支え続けてきたギタリストのマイケル・ヴァイカートが語ったところによれば、バンドの30周年記念本『ヘルブック』を作る過程で、自分たちが達成してきたことを初めて実感したのだという。同時に、これまで自分たちの物語がほとんど語られてこなかったとも感じた。この発言は日本の発売元ビクターエンタテインメントもニュースレターとして伝えている。
復帰にあたってマイケル・キスクは、UNISONICとしてHELLOWEENの曲を歌うことと、今回やることの違いを説明している。BARKSが伝えたところによれば、UNISONICでの演奏は完全に回想だったのに対し、オリジナル・ラインナップと現在のシンガーであるアンディ・デリスとで一緒にロックすることは、とてつもなく特別なものになるだろう、というのが彼の言葉だった。
2023年9月16日の日本武道館公演は、そのまま作品になった。BARKSが伝えたところによれば、『ライヴ・アット・武道館』として2024年12月11日にBlu-ray、DVD、2CDの3フォーマットで発売され、VICTOR ONLINE STORE限定でTシャツ同梱のバンドル商品も用意された。このリリースは、2022年から2023年にかけて三大陸30か国以上を巡ったワールド・ツアーのグランドフィナーレを祝うものでもあった。マイケル・キスクはこの武道館公演を、現実離れしていて、ファンの熱狂的なエネルギーが魔法のような雰囲気を作り出していた、と表現している。
『ライヴ・アット・武道館』から先行公開されたのは「ベスト・タイム」だった。作曲したギタリストのサシャ・ゲルストナーがBARKSに寄せたコメントによれば、この曲はすべてが完璧に調和し、ネガティヴなものをすべて捨て去ったときのエネルギーを捉えたものだという。彼にとってこの曲は、聴き手が未来へ進んでいく、そんな夜に対するアンセムであり、だからこそライヴでやるべき曲なのだ、という趣旨のことを述べている。
『Giants & Monsters』という題の意味を、アンディ・デリスとカイ・ハンセンはそれぞれ別の角度から説明している。Blabbermouthが伝えたギリシャの『Metal Hammer』のテレビ番組でのやり取りによれば、デリスは1曲目「Giants On The Run」がすべてを言っていると述べ、それは人類としての自分たちのことだと説明した。自分たちは実は巨人であり、内側に神を宿している、という見方である。ハンセンのほうは、巨人とは自分が持ちうる大きな考えや目標のことであり、そこへ怪物——戦わなければならない悪魔や日々の苦闘——がやって来るのだと述べ、この題には解釈の余地が大きく残されていると付け加えている。
7人編成での2作目となる『Giants & Monsters』は、前作より時間をかけて作られている。Blabbermouthが伝えたインタビューでアンディ・デリスが語ったところによれば、今回は誰もが互いの曲を聴き込んで自分のアイディアを出す時間がたっぷりあり、他のメンバーが自分の曲に細かいものを持ち込むことが前よりずっと簡単だった。例として彼が挙げたのは「Giants On The Run」で、カイ・ハンセンがそこに丸ごと新しい1曲ぶんを付け加えたのだという。
2025年、デビュー40周年を記念する〈40 Years Anniversary Tour〉のアジア公演が中止になった。Blabbermouthが伝えたバンドの声明によれば、直前まで行なわれていたヨーロッパ・ツアーの最中にマイケル・キスクが急性の咽喉気管炎と、気管支炎を伴う喘息性呼吸困難を発症し、医師から即時の安静を指示された。中止になったのは12月初旬に予定されていたインドネシア、マレーシア、台湾の公演である。バンドはファンに対して申し訳ないとしたうえで、キスクの健康が最優先であり、彼の声に長期的な損傷を残さないためにこの措置は避けられないと説明した。ヨーロッパ公演は10月17日、ルクセンブルクのエシュ=シュル=アルゼットで始まっていた。
『KEEPER OF THE SEVEN KEYS: THE LEGACY』のディスク2には、女性ヴォーカルとのデュエットが入っている。Songfactsによれば、その曲「Light The Universe」はアンディ・デリスが書いた5分ほどの曲で、キャンディス・ナイトとのデュエットとして歌われている。2005年11月22日にはシングルとしても発売された。
マイケル・キスクとアンディ・デリスのあいだにあった長年の緊張は、一度も会話しないまま生まれたものだった。Louderが行なった三者のビデオ通話でキスクが語ったところによれば、雑誌でデリスの顔を見るたびに「自分の仕事を奪った男」という思いが浮かんで辛かったという。そしてそれは逆向きにも働いていた——デリスはHELLOWEENで歌いながらキスクのファンからの批判を浴びており、キスクの顔を見たときの感覚もおそらく同じだっただろう、というのが彼の見方である。しかし自分たちは一度も話したことがなかった、状況が作り出しただけの感情だった、とキスクは述べている。
マイケル・キスクは、自分が抜けたあとのHELLOWEENの作品を何年も聴くことを拒んでいた。Louderの対話でそう明かした彼は、それでも『MASTER OF THE RINGS』を聴いたときに、なぜそれが成功したのかが分かったと述べている。彼の見立てでは、カイ・ハンセンが去ったあとバンドは機能しなくなっていた。カイがバンドそのものだからではなく、カイがいることでケミストリーとバンド全体のバランスが成り立っていたからだという。だから自分が去ることも必要だった、そしてアンディ・デリスが加入したとき、彼こそがこのバンドに必要なものだった——集中していて、曲を持っていて、ふざけるつもりが無かった、というのがキスクの説明である。あなたがバンドを救った、と彼はデリスに向かって言っている。
アンディ・デリスがHELLOWEENで最初に作ったアルバムは、彼自身にとっても賭けだった。Louderに語ったところによれば、マイケル・ヴァイカートが以前から自分の曲のファンだったので早くから良い立ち位置にいられた。それでも、もし『MASTER OF THE RINGS』が成功していなければ、自分が持ち込んだ曲は間違いだったと証明されていたことになる。幸いにも、バンドがメタルに戻ってきたことを人々はむしろ喜んでいて、それ以外のことはあまり重要ではなかったのだろう、というのが彼の見方である。
7人編成での初アルバム『Helloween』の制作は、2019年4月に新しい素材を持ち寄るセッションから始まった。Louderにアンディ・デリスが語ったところによれば、その時点で既に十分なアイディアが集まっていたので全員が安堵し、このアルバムは確実に良いものになる、あるいは素晴らしいものになる、という見通しが立ったという。そこからさらに3か月の作曲と練り上げを経てスタジオに入る準備が整うのだが、復帰した二人の曲は1曲も無かった。マイケル・キスクは、自分は何も持っていなかったと認めている。書こうとすらしなかった、ヴァイカートのようにもっと重要なソングライターがいると思っていたから、というのが彼の説明である。デリスは、次はそうはいかないぞ、と言い返している。
カイ・ハンセンにとって、7人での初アルバムの制作はもっと難しいものだった。Louderに語ったところによれば、アイディアはいくらでもあったのに自信を持つのが難しかったという。すべてを特別なものにしたかった、決まりきったやり方はやりたくなかった、だから自分のアイディアに対して過剰なほど批判的になった、というのが彼の説明である。教則本どおりにやればそこそこのものにはなるが、自分が欲しかったのはそこそこではなく素晴らしいものだった、と彼は述べている。
HELLOWEENは1984年にハンブルクから出てきた4人組で、シンガー兼ギタリストのカイ・ハンセンがフロントに立っていた。Louderによれば、彼らは80年代半ばのアンダーグラウンドで、叙事的でメロディックなヘヴィ・メタルを極端に高いエネルギーで演奏することによって評価を得ていく。カイがギターに専念することを決めたあと、2枚の『Keeper Of The Seven Keys』(1987年、1988年)がマイケル・キスクの歌をこのバンドに持ち込んだ。90年代の潮流の変化もあって勢いが止まり、キスクは1993年に脱退。後任はPINK CREAM 69のフロントマンだったアンディ・デリスで、彼の確かな手つきがバンドを立て直した、というのが同誌の整理である。