HARDLINE TRIVIA
Trivia
アクセル・ルディ・ペルの公式サイトにあるジョニー・ジョエリの紹介欄には、少し変わった答えが載っている。好きなアルバムを5枚挙げてほしいという問いに対し、彼は挙げられないと答えているのである。理由は、歌い手であり曲を書く人間として、特定の音や様式に影響されたくなかったから、レコードのコレクションを持ったことがない、というもの。その一方で影響を受けた存在としては、キッス、ジャーニー、ディオ、ヴァン・ヘイレン、スコーピオンズと並んで、フランク・シナトラ、サム・クック、ジョージ・ベンソン、マイケル・フランクスの名が挙がっている。同じ欄は彼の出身地と生年月日を1967年10月5日、ニューヨーク州ブルックリンと記している。
HARDLINEの出発点は、ジョニー・ジョエリ(vo)とジョーイ・ジョエリ(g)の兄弟が組んでいたBRUNETTEである。フロンティアーズ・レコードが2009年のアルバム発表に合わせて配ったバンド解説によれば、この兄弟がジャーニーのニール・ショーンと手を組んだところからHARDLINEは動き出し、ショーンがバッド・イングリッシュを離れると同時にMCAが契約した。ベースにはデイヴィッド・リー・ロスやアリス・クーパーのバンドを渡り歩いたトッド・ジェンセン、ドラムには同じくバッド・イングリッシュ出身で、のちにジャーニーへ移るディーン・カストロノヴォが入る。この5人が1992年にMCAで『Double Eclipse』を録音し、ヴァン・ヘイレンやMr. Bigと帯同して回った。
『Double Eclipse』でいちばん知られている「Hot Cherie」は、HARDLINEが書いた曲ではない。ラウドワイアーが2026年にまとめたカヴァー特集によれば、最初に録音したのは1983年のダニー・スパノスで、HARDLINEがまだ影も形もない時期のことだった。その後カナダのストリートハートも別の形で取り上げており、曲づくりにはストリートハート側の人間も関わっている。1992年のHARDLINE版はその出自を覆い隠すほど広まり、いまこの曲名を聞いてダニー・スパノスを思い浮かべるハード・ロックの聴き手はほとんどいない、というのが同誌の見立てである。
2009年のアルバム『Leaving the End Open』の題は、ジョニー・ジョエリが自分の状況をそのまま言い表したものである。日々の生活に足を取られて制作が大きく遅れたことを認めたうえで、この先どこへ向かうのか自分でも分からない、だからこの題なのだと彼は説明している。もう計画は立てたくない、人生が連れて行く先を見たい、というのがそのときの言い分だった。ジョシュ・ラモスと新曲づくりを始めたのは2006年のことである。
2012年の『Danger Zone』は、13歳で『Double Eclipse』を買った少年が連れ戻したアルバムである。『Leaving the End Open』を出したあと、ジョニー・ジョエリはHARDLINEの新作がすぐに出るとは思っていなかった。そこへフロンティアーズ・レコード社長のセラフィーノ・ペルジーノが、イタリア人の演奏家/プロデューサー、アレッサンドロ・デル・ヴェッキオの書いたデモを送り込む。デル・ヴェッキオはその『Double Eclipse』を13歳のときに買って育った人物で、あの傑作に並ぶものを作るのが二人の目標だったと語っている。ジョエリの側は、扉を閉めようと決めるたびに続けたくなるのだと言い、この一件も自分にとっては驚きだったと認めている。
『Leaving the End Open』は、地域ごとに発売日もレーベルも違っていた。ヨーロッパでは2009年4月17日にフロンティアーズ・レコードから、アメリカでは5月19日にフロンティアーズとSuper Dの経由で、そして日本ではキングレコードから出ている。日本の窓口だけが別の会社だったことになる。
ジョニー・ジョエリにはドイツにもう一つの持ち場がある。アクセル・ルディ・ペルの公式伝記は、元HARDLINEのフロントマンである彼が1998年に加わって以来、この顔合わせが創作の単位として続いていると記している。加入後の最初のアルバムは1998年9月21日に出た『Oceans of Time』で、ペル(g)、ジョエリ(vo)、フェルディ・ドーンベルク(key)、フォルカー・クラフチャク(b)、ヨルグ・マイケル(ds)という編成だった。HARDLINEが長い沈黙に入っていた時期に、彼の歌はヨーロッパで鳴り続けていたことになる。
10年近い空白ののちにHARDLINEを動かし直したのは、フロンティアーズ・レコードからの一本の電話だった。ジョニーと兄弟のジョーイはもう一度やってみることにし、顔ぶれを総入れ替えして2002年に『II』を作る。ニール・ショーンの後任として迎えられたのは、THE STORMとTWO FIRESで知られるジョシュ・ラモスだった。復帰作は評判を呼び、バンドは同年6月、イギリス・ブラッドフォードで開かれたGods Festivalのヘッドライナーとしてステージに戻っている。
アメリカで生まれたバンドは、いまアメリカ人1人とイタリア人4人で動いている。2012年の『Danger Zone』でヨーロッパ在住の顔ぶれに入れ替わり、そこで加わったアレッサンドロ・デル・ヴェッキオ(key)とアンナ・ポルタルピ(b)は、2026年の『Shout』にもそのまま残った。現在の編成はこの二人に、ルカ・プリンチョッタ(g)とマルコ・ディ・サルヴィア(ds)を加えた四人が、ジョニー・ジョエリの歌を支える形である。『Shout』を発表した際、ブラバマウスは彼らを「アメリカ/イタリアのハード・ロック古参」と紹介した。
『Double Eclipse』で初めて一緒に演奏したジョニー・ジョエリとディーン・カストロノヴォは、その25年後にイタリアで再会し、GIOELI-CASTRONOVO名義のアルバム『Set The World On Fire』を作った。2018年7月13日にフロンティアーズから出たこの作品は、アレッサンドロ・デル・ヴェッキオがイタリア・ソンマ・ロンバルドのIvorytears Music Worksでプロデュース、録音、ミックス、マスタリングまで一手に引き受けている。離れていた間、カストロノヴォはオジー・オズボーンのもとで演奏し、ジャーニーでも長く叩いていた。