EVANESCENCE TRIVIA

Trivia

日本盤は2形態で発売された。通常盤はTOCP-71195、税込2,500円で、ボーナストラックと歌詞対訳、解説が日本盤特典として付いた。デラックス・エディションはTOCP-71196、税込3,200円で、CDに4曲が加わりDVDが同梱される。DVDには和訳字幕が用意され、こちらにもボーナストラックと対訳、解説が付いていた。

出典: クリエイティブマン・プロダクション 公演情報ページ

2012年2月の来日公演では、サポート・アクトが都市ごとに分けられていた。招聘元の告知によると、東京と名古屋の公演にはDazzle Visionが、横浜と大阪の公演にはPay money To my Painが出演することが決まっている。1本のツアーに日本のバンド2組が振り分けられた形である。

出典: クリエイティブマン・プロダクション 公演情報ページ

日本限定で製造された完全生産限定盤デラックス・エディションには、CDに加えてBlu-rayが付く。収められているのは2022年11月30日にアムステルダムで行われた公演の映像で、収録時間は73分におよぶ。ソニーミュージックはアルバム発売当日の告知でこの内容を明記している。

異説あり出典: ソニーミュージック エヴァネッセンス公式インフォメーション

2012年2月9日にZepp Tokyoで行われた公演は、東京としては約5年ぶりのステージだった。BARKSのレポートによれば、その幕開けを飾ったのは新加入のドラマー、ウィル・ハントのドラミングから入る「What You Want」で、久々の東京公演は新しいメンバーの音から始まったことになる。

出典: BARKS ライブレポート

来日公演の発表は、『Sanctuary』が発売された2026年6月5日と同じ日に行われた。日程は12月1日と2日がSGC HALL ARIAKE、12月4日がZepp Osaka Baysideの3公演で、激ロックはこれを単独ツアーとしては約14年ぶりだと伝えている。

出典: 激ロック ライブ情報

現在ベースを弾くエマ・アンザイについて、エイミー・リーは激ロックの取材で、日本人とオーストラリア人の親を持ち、学生時代を日本で過ごした人物だと語っている。ただ本人は何年も日本に帰っていなかったため、2023年にバンドで来日して演奏したことは、エマにとってもバンドにとってもすごくクールなことだった、というのがリーの言葉である。

出典: 激ロック エイミー・リー インタビュー

「My Immortal」は2005年の第47回グラミー賞で候補に挙がったが、その部門はロック系ではなく、Pop Performance By A Duo Or Group With Vocalsというポップの部門だった。レコーディング・アカデミーの記録では、この曲はロックの枠ではなくポップの枠で扱われている。

出典: レコーディング・アカデミー グラミー賞公式サイト

レコーディング・アカデミーの記録では、第46回グラミー賞のHard Rock Performance部門を受賞した「Bring Me To Life」の受賞者欄に、エヴァネッセンスとポール・マッコイの両方の名前が並んでいる。この受賞はバンド単独ではなく、彼と連名で記録されている。

出典: レコーディング・アカデミー グラミー賞公式サイト

2012年2月の来日公演にあたって招聘元のクリエイティブマンが掲げたメンバー表は5人編成だった。エイミー・リーはヴォーカルのほかピアノ、キーボード、ハープを担当と書かれ、ギターはテリー・バルサモとトロイ・マクローホーンの2本、ベースがティム・マコード、ドラムがウィル・ハントと記載されている。

出典: クリエイティブマン・プロダクション 公演情報ページ

『Synthesis』を携えたツアーでは、全ての公演でステージ上に生のオーケストラが乗った。バンドの経歴でこれが初めてのことで、オーケストラは訪れる都市ごとに現地で編成され、指揮はSusie Seiterが執っている。公式サイトの年表は、この点をそれまでのツアーとの違いとして記録している。

出典: Evanescence 公式サイト タイムライン

「Afterlife」は、カプコンの人気アクション・ゲームを原作とするNetflixのアニメ・シリーズ『Devil May Cry』のために、2025年3月に提供された曲である。ソニー・ミュージックの発表によれば、この曲はその年の7月19日付のビルボード「ロック&オルタナティブ・エアプレイ」チャートで1位を獲得している。

出典: ソニーミュージック公式 インフォメーション

12月の来日公演を発表した2026年6月5日の告知で、招聘元のクリエイティブマンプロダクションは、単独ツアーとしては約14年ぶりだと記している。告知はこの公演を『サンクチュアリ』のリリースに合わせたものとして位置づけていた。単独名義での来日は、それだけ長く途切れていたことになる。

出典: クリエイティブマンプロダクション

『サンクチュアリ』の発表にあたり、エイミー・リーは公式サイトのタイムラインで、このアルバムには3年以上の歳月がかかったと述べている。完成した全曲を一度に聴き返し、これを世に出す段階に立った心境について、彼女は圧倒されるという言葉を使った。制作に打ち込むこと自体が、理不尽だと感じる出来事や自分の力では動かしようのない状況を抱え込まずに済ませる手立てになっていたとも語っている。

出典: エヴァネッセンス公式サイト タイムライン

「ファイト・ライク・ア・ガール」は、2025年夏に公開された映画『バレリーナ:The World of John Wick』のために提供され、その主題歌となった楽曲である。『サンクチュアリ』の日本盤CDにはボーナス・トラックが2曲収録されており、この曲はそのうちの1曲にあたる。

出典: ソニーミュージック エヴァネッセンス公式インフォメーション

2016年の編集盤『Lost Whispers』には、新録音が2曲収められている。ひとつは表題曲の「Lost Whispers」で、もとは2009年のツアーで使われていた導入用の音源だった。もうひとつは初期のデモ時代までさかのぼる曲「Even in Death」で、この編集盤のために作り直されたバージョンが入っている。

出典: Evanescence 公式サイト タイムライン

Poppyのシングル「エンド・オブ・ユー」には、エイミー・リーがコートニー・ラプランテとともにゲストとして参加している。ソニーミュージックの公式インフォメーションによれば、この曲は2026年2月21日付のビルボード「メインストリーム・ロック・エアプレイ」チャートで1位を獲得した。

出典: ソニーミュージック公式 インフォメーション

ライヴ作『Anywhere But Home』が収められたのは、2004年5月25日にパリのル・ゼニットで行われた公演である。バンド自身が運営するBandcampのストアでは、作品名のあとに録音された会場と日付がそのまま添えられており、どの一夜の記録なのかが公式に明示されている。

出典: 「Bandcamp エヴァネッセンス公式ストア」

2019年11月、エヴァネッセンスは「The Chain」のカバーを発表した。これは単独の思いつきで作られた曲ではなく、ゲーム『Gears 5』のローンチに合わせて制作されたものだった。公式サイトのタイムラインは、この音源が同作の公式トレーラーのために作られたと記している。

出典: エヴァネッセンス公式サイト タイムライン

エヴァネッセンスは2021年12月に「Across the Universe」のスタジオ録音を発表した。この曲はもともとSynthesis Liveのツアーで、エイミー・リーが亡くしたきょうだいに捧げる形で演奏されていたもので、スタジオ版はその演奏を土台にして作られている。

出典: エヴァネッセンス公式サイト タイムライン

「Together Again」は2010年1月22日にデジタル・シングルとして配信された。ハイチ地震の被災者支援を目的としたリリースで、収益は国連財団に渡ることになっていた。曲そのものは新曲ではなく、『The Open Door』の時期に書かれていたもので、この機会に別の役割を与えられた。

出典: エヴァネッセンス公式サイト タイムライン

アルバム『Fallen』のジャケットに写っている人物はエイミー・リーひとりで、バンドの他のメンバーは一切写っていない。Songfactsは、彼女がほどなくグループの中心として受け止められるようになったことと、ジャケットに写るのが彼女だけであることを、続けて書き記している。

出典: Songfacts「Haunted」の項

2003年12月4日の木曜日の朝、エイミー・リーはロサンゼルスで第46回グラミー賞のノミネート発表を務めた。彼女が読み上げた5組の中には、自身のバンドであるエヴァネッセンスも入っていた。発表役に立った本人が、そのまま候補として自分たちの名前を読み上げたことになる。

出典: BARKS「エヴァネッセンスのエイミー、バンドの現状を語る」

Songfactsによれば、エヴァネッセンスが2003年度の最優秀新人賞を受け取っている最中に、同じ部門で敗れた50セントがステージに上がり、受賞中のバンドの脇を通り過ぎていったという。賞を受け取っている壇上に、受賞者ではない候補者が立っていたことになる。

出典: Songfacts エヴァネッセンスの項

ベン・ムーディは2010年の声明で、脱退した夜を2003年10月22日と特定している。彼によれば、その夜エイミー・リーからは、飛行機に乗って二度と戻るなという趣旨のメッセージが届いていた。だからこそ、自分の脱退をバンドへの裏切りや放棄と受け取るファンの見方を彼は否定している、と書いている。

異説あり出典: Blabbermouth ベン・ムーディ声明

ベン・ムーディの説明では、彼はエヴァネッセンスという商標とブランド価値の50パーセントを保有しており、脱退にあたってそれをそのままエイミー・リーに譲り渡した。買い取りも交渉も求めなかった、と彼は2010年の声明に書いている。自分が抜けたツアーについても、バンドは1公演も落とさなかったと述べている。

出典: Blabbermouth ベン・ムーディ声明

2004年2月のグラミー賞の会場で、エイミー・リーは脱退したベン・ムーディと顔を合わせている。彼女によれば、ムーディは彼女のすぐ後ろの席に、間の抜けた服装で座っていた。自分がステージに立つ間に何か仕掛けてくるだろうと身構えていたが、彼はただ黙って見ているだけで、騒ぎは何も起きなかったという。

出典: BARKS「エヴァネッセンス、エイミーの複雑な気持ち」

Songfacts によれば、共同創設者のベン・ムーディがエヴァネッセンスを離れたのは2003年10月のことで、しかもツアーの最中だった。『Fallen』が数百万枚規模で売れ続けている時期の突然の離脱であり、これによって結成時からのメンバーはエイミー・リーただ一人となった。

出典: Songfacts Evanescence Artistfacts

『Fallen』は発売初週に141,000枚を超える売上を記録し、ビルボード200では3位まで上がった。もっとも、このアルバムを特徴づけるのは初動の数字よりも滞空時間のほうで、同チャートのトップ10圏内に通算43週にわたって残り続けた。

出典: Blabbermouth ニュース記事

ビルボードのチャート履歴では、「Bring Me To Life」のHot 100での記録はエヴァネッセンス単独ではなく、「Evanescence Featuring Paul McCoy」名義で残されている。初登場は2003年3月15日付、最高位の5位は6月7日付で、チャート在籍は32週に及んだ。

出典: Billboard チャート・ヒストリー

ビルボード200のチャート履歴によれば、『Fallen』の初登場は2003年3月22日付、最高位は6月14日付の3位、そして在籍週数は133週に達している。同じ表に並ぶエヴァネッセンスの他のアルバムで、これに近い長さのものは一つもない。

出典: Billboard チャート・ヒストリー

「Bring Me To Life」は12 STONESのポール・マッコイをゲストに迎えて2003年初頭に発表された曲だが、その後の広がりは当時の流通の枠には収まらなかった。アメリカではシングル単体でダイヤモンド認定を受け、Spotifyでの再生回数は10億回を突破。YouTubeでも別に10億回を超える再生を記録している。

出典: Louder エイミー・リー インタビュー記事

「Bring Me To Life」のラップ・パートには、当初サライヴァのジョージー・スコットに声がかかっていた。スコット本人が後年の番組出演で、依頼は受けたものの互いのスケジュールが噛み合わず実現しなかったと明かしている。結果としてこのパートは、12ストーンズのポール・マッコイが歌うことになった。

出典: Loudwire

「Bring Me To Life」の客演ラップについて、エイミー・リーはMetal Hammerの取材で、あれは自分たちが最初から思い描いていたものではなく、レーベルに対して呑んだ譲歩だったと述べている。そのうえで、やると決まった後はパート自体を自分で書き、12ストーンズのポール・マッコイと時間をかけて作り込んだとも語っている。

出典: Metal Hammer / Louder エイミー・リー インタビュー

エイミー・リーによれば、デビュー作『Fallen』をこのままでは出さない、とレーベルのWind-upに言われた時期があった。示された条件は、リードシングル「Bring Me To Life」に男性の声を加えること。ラジオで受け入れられやすくするためというのが理由で、アルバムを世に出すかどうかそのものが、この一点に結び付けられていたことになる。

出典: Blabbermouth(エイミー・リーのインタビュー報道)

レーベルの要求はゲスト一人を迎えることにとどまらなかった。エイミー・リーは、オーディションを開いて男性シンガーを正式なメンバーとして加え、ほとんどの曲で歌わせるという案を持ち込まれたと話している。狙いは、バンドを「女性版リンキン・パーク」にすることだったという。

出典: Blabbermouth(エイミー・リーのインタビュー報道)

常勤の男性シンガーを迎える案をエイミー・リーが拒むと、レーベルは資金を引き上げた。リーはそれまでに契約を得て学校を辞め、ロサンゼルスへ移っていた。積み上げてきたものが一度そこで止まり、彼女は実家に戻って両親と暮らすことになったと振り返っている。

出典: Blabbermouth(エイミー・リーのインタビュー報道)

男性ボーカルをめぐるレーベルとの対立には、落としどころがあった。常勤メンバーを迎える代わりに、男性の声はバンドを世に送り出すシングル1曲だけに限る、という決着である。そこに至るまでにエイミー・リーは、オーディションを開いてラッパーを雇うことを拒んだためにカリフォルニアを離れ、契約は終わったのだと思いながらアーカンソーまで車で帰ったと語っている。

出典: Loudwire

エヴァネッセンスをレーベルに引き合わせたのは「My Immortal」の初期バージョンだった。2001年、Wind-up RecordsでA&Rを率いていたダイアナ・メルツァーがこの音源に反応する。当時エイミー・リーは音楽理論と作曲を学ぶために大学へ入ったばかりで、入学から3か月で契約が決まった。

出典: Metal Hammer / Louder『Fallen』特集

「Bring Me To Life」が単独のシングルとして出た当初、ラジオ局はなかなか掛けようとせず、所属レーベルWind-upの担当者が各局に頼み込んで回ることになった。Metal Hammerによれば、断り文句として繰り返されたのは、ピアノを弾く女性シンガーはロック局に合わないという趣旨のものだったという。実際に流した局には、いま掛かっていたのは何かと尋ねるリスナーの電話が殺到した。

出典: Metal Hammer/Louder『Fallen』特集記事

「Bring Me To Life」に男性のゲスト・ヴォーカルを入れたのはレーベル側の圧力によるもので、バンドの発案ではなかったとエイミー・リーは語っている。ただし彼女は、その役を務めたポール・マッコイ本人については話が別だとして、レコーディングの現場では彼こそが救いだったと述べている。長年この話を語るたび最後まで話す時間がなく、マッコイが悪役のように聞こえてしまう、というのが彼女の言い分である。

出典: Louder エイミー・リー インタビュー

「Bring Me To Life」で12 Stonesのポール・マッコイが受け持つラップ・パートは、当時バンドが所属していたレーベルが主導した判断であり、エヴァネッセンス自身が望んだものではなかった。Louderはこのパートについて、ニュー・メタルがまだ幅を利かせていた時期にシングルが聴かれるきっかけになり、いまでは曲の一部として受け入れられている、と書いている。

出典: Louder ニュース記事(Metal Hammer取材によるエイミー・リーの発言を含む)

エヴァネッセンスが最初のレコード契約を結んだとき、エイミー・リーは19歳で、ミドル・テネシー州立大学で音楽理論と作曲を学び始めたばかりだった。Rolling Stoneによれば、そこからインディーでのEPを何枚か重ね、メジャー・レーベルへ移って初めて、リーとベン・ムーディのふたり組はフル・バンドの形になり、初のフル・アルバム『Fallen』では友人たちが加わっている。

出典: Rolling Stone エイミー・リー インタビュー

『Fallen』を録音した時点のエヴァネッセンスは、エイミー・リーとベン・ムーディに、1999年に加入したデイヴィッド・ホッジスを加えた3人だった。ホッジスはキーボードを弾き、弦のアレンジと曲の共作も担っている。残りはセッション・ミュージシャンで、その中には、のちにガンズ・アンド・ローゼズやフー・ファイターズで叩くジョシュ・フリーズもいた。

出典: Metal Hammer/Louder『Fallen』特集記事

2003年のヨーロッパ・ツアーの途中で、共同創設者でギタリストのベン・ムーディが突然いなくなった。Rolling Stoneが伝えたところでは、10月21日のストックホルム公演を最後に、続くドイツでの4公演に彼は姿を見せていない。イングランドの雑誌Rock Soundは、ドイツ日程の合間の休日に、彼がメンバーに何も言わずに帰国したと報じた。

出典: Rolling Stone ニュース記事

『Fallen』を書いた3人のうち、アルバムのキャンペーンを最後まで見届けた共作者はいない。Songfactsによれば、キーボードのデイヴィッド・ホッジスはアルバムの発売前に離れ、ベン・ムーディは2003年10月、初のツアーの途中で去った。「My Immortal」が全米7位に達した2004年4月の時点で、『Fallen』の面々から残っていたのはエイミー・リーひとりだった。

出典: Songfacts「My Immortal」解説

『Fallen』が発売された日、エヴァネッセンスがヘッドライナーを務めたのはヒューストンにある収容200人の会場Engine Roomだった。Metal Hammerによれば、その3か月後には初の英国公演として第1回ダウンロード・フェスティバルのメイン・ステージに立ち、Stone SourとMudvayneに挟まれた出番を務めている。さらに2週間後、バンドは再び英国へ渡り、ロンドンのアストリアでソールドアウトの単独公演を行った。

出典: Metal Hammer/Louder『Fallen』特集記事

「Bring Me To Life」のラップ・パートを、エヴァネッセンス自身はずいぶん前から演奏していないとエイミー・リーは語っている。ライヴではその役どころに合う人物がいればステージに上がってもらう形をとっており、P.O.D.との共演ツアーではソニー・サンドヴァルが何度か務めた。原盤で歌ったポール・マッコイとは、同じ街に居合わせたときには必ず声をかけるという。

出典: Louder ニュース記事(Metal Hammer取材によるエイミー・リーの発言)

男性シンガーを正式メンバーとして迎える案を断ったところ、レーベルは資金を引き上げ、エイミー・リーは実家に戻ることになった。数週間後にかかってきた電話は妥協案だった。リーによれば、レーベル側は映画『デアデビル』への楽曲提供がまとまったと伝え、格闘シーンに合うという理由で男女ツインボーカルの形で先方に売り込んだと説明したという。男性ボーカルは1曲限りで、バンドの在り方そのものを変える話ではなくなった。

出典: Blabbermouth(エイミー・リーのAlternative Pressインタビュー記事)

2024年2月に続いたスーパー・デラックス・ボックスは、バンドの公式サイトだけで販売された。外箱はシャドーボックス型で、エイミー・リーの作詞ノートの表紙の意匠をもとに作られている。中には未発表のデモとボイスメモを収めたカセットが1本入っており、この音源はこのボックス以外では手に入らない。

出典: Blabbermouth 『Fallen』20周年記念盤アナウンス記事

『Fallen』発表から20年を機に、創設メンバーのギタリストであるベン・ムーディが、アルバムの収録曲を自分の手で作り直し、自身のYouTubeチャンネルに1曲ずつ公開していった。2024年6月に上がった「Taking Over Me」は、その6曲目にあたる。

出典: Blabbermouth ベン・ムーディ関連記事

2004年のインタビューで、自分をゴスだと思うかアウトサイダーだと思うかと問われたエイミー・リーは、その2つの言葉は必ずしもセットではないと答えている。自分は間違いなくずっとアウトサイダーだったが、いつも黒い服を着ていたわけでも、隅にいて自傷を繰り返していたわけでもないと述べた。昼休みもホールで美術作品を作っていて、聖歌隊のリーダーも務めていたと振り返っている。

出典: BARKS エイミー・リー インタビュー Part2

バンドについて言われた批評のうち一番気に入っているのはイギリスのものだと、エイミー・リーは語っている。エヴァネッセンスを黒く塗りつぶしたピカチュウのようなゴスだと評した一文で、掲載媒体はNMEあたりだったと思うが確かではないという。批評は深刻に受け取らないようになったとも述べている。

出典: BARKS エイミー・リー インタビュー Part2

「My Immortal」のビデオはデヴィッド・モールドが監督し、バルセロナのゴシック地区でモノクロ撮影された。エイミー・リーとベン・ムーディは街の別々の場所を沈んだ様子で歩き回る。ファンのあいだでは、この映像が2人のあいだの問題を暗示していたのではないかという見方が出たが、リーはのちに、決裂との結びつきはまったくの偶然だと説明している。

出典: Louder 「My Immortal」楽曲解説記事

「Bring Me To Life」が世界的に広まったあと、エイミー・リーが最も恐れていたのは一発屋で終わることだったという。あの曲は『Fallen』の他の曲とは手触りが違い、それだけを聴いて入ってきた人が残りを聴いたときに、話が違うと感じるのではないか。釣られたと思われることを心配していたと本人が振り返っている。

出典: Louder エイミー・リー インタビュー記事

「Breathe No More」は2003年のデビュー作『Fallen』のために録音されながら、収録は見送られた。最初に世に出たのは2004年のライブ盤『Anywhere But Home』に入ったライブ版で、スタジオ版のほうは2005年の映画『エレクトラ』とそのサウンドトラックで使われている。その後、2016年のコンピレーション『Lost Whispers』にも収められた。

出典: Songfacts 「Breathe No More」項目

「Bring Me To Life」がリスナーに届いた最初の場所は、アルバムではなく映画館だった。2003年の『デアデビル』で「My Immortal」とともに使われ、ジェニファー・ガーナー演じるエレクトラが、ベン・アフレック演じるデアデビルを殺そうとする場面に流れている。

出典: Songfacts 「Bring Me To Life」項目

2003年12月、トリプル・プラチナムに達した『Fallen』とともに過ごした1年を、エイミー・リーはこう振り返っている。それまで自分は外国に行ったことがなく、初めてのビデオ撮影はルーマニアで、刺激の強い経験だった。この年バンドはヨーロッパを3度訪れ、各地で大観衆を前にソールドアウト公演を行った。1年前には想像もできなかったことだと語っている。

出典: BARKS ニュース記事(2003年12月)

成功を実感した瞬間としてエイミー・リーが挙げたひとつが、イギリスで1位を取ったときだった。そのとき彼女は現地にいて、大きな衝撃を受けたという。自分たちの音楽はイギリス市場に向いているとずっと考えていた一方で、周囲からは無理だ、仮に届いたとしても長い時間がかかると言われていた。実際にはイギリスは最初からバンドを受け入れた、と語っている。

出典: BARKS エイミー・リー インタビュー Part2

「Bring Me To Life」を先行シングルにすることに、エイミー・リー自身は賛成していなかったという。1枚目に出したかったのは「Going Under」のほうで、話がまとまりかけた最後の場面でも、まず「Going Under」を出してからにできないかと持ちかけたと本人が振り返っている。

出典: Blabbermouth(エイミー・リーのAlternative Pressインタビュー記事)

20周年記念盤に収められた「Bring Me To Life」のデモには、シングル版でポール・マッコイが担当していた男性ヴォーカルが入っていない。ラップが置かれていたブリッジの部分は、代わりにブルースの色を帯びたギター・ソロで埋められている。加工を強くかけたヴォーカルとシンセの響きもデモには残っており、こちらはシングル版には引き継がれなかった。

出典: Blabbermouth レビュー

20周年リマスターを誰に任せるか、エイミー・リーは聴き比べで決めたと語っている。2003年に『Fallen』のマスタリングを手掛けたのはテッド・ジェンセンで、彼女は彼に連絡を取り、20年経った今なら当時できなかった何かができると思うかと尋ねた。そのうえでジェンセンを含む数名に「Bring Me To Life」をリマスターさせ、誰の手によるものか知らされないまま全員分を聴いて一番良いと思うものを選んだところ、それがジェンセンのものだった。

出典: 激ロック エイミー・リー インタビュー

『Fallen』の初回プレスに入っている「My Immortal」は、リトル・ロックにあった、エイミー・リーの父が勤める放送局でバンドがMIDIキーボードを使って作った粗いデモである。エイミーもベン・ムーディももっと作り込んだヴァージョンを使いたいと考えていたが、レーベルのWind-up Recordsはこのデモを使うと譲らなかった。押し切られた結果、その音源のまま2003年3月4日に店頭に並んでいる。

出典: Louder 「My Immortal」の記事

シングルとして発売された「My Immortal」は、アルバム収録版とは別の録音である。『Fallen』のセッション中にバンド編成で録られたテイクで、ストリングスのアレンジはカナダ出身の作曲家デイヴィッド・キャンベルが加えている。キャンベルはベックの父にあたる人物である。

出典: Louder 「My Immortal」の記事

『Fallen』をプロデュースしたデイヴ・フォートマンは、もともと90年代のバンド、UGLY KID JOEのギタリストだった。1997年に同バンドが解散したあとプロデュース業へ移り、SUPERJOINT RITUALやCROWBARなどを手掛けている。そのうえで、アーカンソー州から出てきた無名のバンドEVANESCENCEのデビュー作を引き受けることになった。

出典: Metal Hammer/Louder 『Fallen』特集

『Fallen』の多くの曲で、エイミー・リーは電子的な代用ではなく本物のオーケストラを入れることを譲らなかった。プロデューサーのデイヴ・フォートマンは、それが通らなければ成立しなかったと述べている。そのオーケストラを録る場所にシアトルが選ばれたのは、あちらには組合が無く、費用が安く済むからだった。

出典: Metal Hammer/Louder 『Fallen』特集

「Bring Me To Life」にラップを入れたのはレーベルの判断であり、バンドの創作上の選択ではなかった。エイミー・リーは2023年のMetal Hammerの取材で、自分たちはずっと前にあのパートを演奏するのをやめており、今はその場所に収まる人がいるときだけ入れていると話している。ポール・マッコイや、P.O.D.のソニー・サンドヴァルの名前が挙がっている。

出典: Songfacts「Bring Me To Life」

エイミー・リーは、1stアルバムの歌詞で守っていた決まりについて語っている。その時代に固有の現代的な言葉、たとえば"telephone"のような語は使わないというもので、500年前に聴いても500年後に聴いても違和感のない言葉を選んでいたという。自分たちの音楽を国や年代に縛られないものにしたかったからだと説明している。のちには2006年の『The Open Door』に入った「Call Me When You're Sober」のように、その決まりを破った曲も出てきたと本人は認めている。

出典: 激ロック エイミー・リー インタビュー

エイミー・リーは2021年、グラミー賞の公式サイトに対し、「My Immortal」は自分が歌詞を書いていない唯一の曲だと述べている。多少は手を貸したが言葉はベン・ムーディのものであり、自分は歌いたくなかったし、その言葉が自分にとって大きな意味を持っていたわけでもない、という趣旨の説明だった。

出典: Louder「My Immortal」楽曲解説記事

エイミー・リーは「Bring Me To Life」を、のちに夫となるジョシュについて、結婚する前に書いたと語っている。当時の彼女は長く続いた虐待的な関係のただ中にいて、それを隠し、何事もないふりを続けることに力を注いでいたという。バンドの仲間が車を停めている間に入ったレストランで、向かい合った彼が目を見て幸せかどうかを尋ねたことが、この曲の出発点になった。

出典: Louder / Metal Hammer エイミー・リー インタビュー

「Hello」は、死を子どもの目線から捉えた曲である。エイミー・リーが六歳のとき、三歳だった妹ボニーが亡くなった。知らせを受けたとき彼女は学校におり、歌詞に出てくる学校の情景はそこから来ている。曲が書き留めているのは当時の彼女が感じたことで、幼さゆえに死という概念を十分には理解できていなかった時期の感覚だという。

出典: Songfacts「Hello」楽曲解説

「My Immortal」は、歌詞をベン・ムーディが書き、エイミー・リーがピアノ・パートとブリッジを加えて仕上げた共作である。1998年の最初のEPに向けて録音されながら直前に外され、世に出たのは2003年のデビュー作『Fallen』で、その間に曲は何度も手を入れられている。

出典: Songfacts「My Immortal」楽曲解説

「My Immortal」の歌詞は自分の体験を書いたものではなく、完全な作り話だとベン・ムーディは述べている。歌の中には亡くなった者の気配が漂うが、神や宗教とは関係がないというのが彼の主張である。この詞を書いたとき、ムーディはまだ高校生だった。

出典: Songfacts「My Immortal」楽曲解説

『Fallen』収録の「Tourniquet」は書き下ろしではない。原曲はクリスチャン・デスメタル・バンド、ソウル・エンブレイスドが2001年に発表した「My Tourniquet」で、書いたのは同バンドのギタリスト、ロッキー・グレイである。エヴァネッセンス版ではエイミー・リーがメロディを書き、二番の歌詞を加えた。作者クレジットにはグレイと、リー、当時のメンバーだったベン・ムーディ、デヴィッド・ホッジズが並んでいる。

出典: Songfacts「Tourniquet」楽曲解説

「Whisper」の終盤で繰り返されるコーラスは、英語ではなくラテン語で歌われている。エイミー・リー本人による訳では、そこで唱えられているのは、危険から身を守れ、そして悪しきものから身を守れ、という二つの呼びかけになるという。この曲はエヴァネッセンスのデビュー作『Fallen』に収録されている。

出典: Songfacts「Whisper」楽曲解説

『The Open Door』のサイクルが終わった週に、エイミー・リーはメンバーへしばらく止めたいと伝えている。本人によれば、それが終わりを意味するのか、もう1枚作りたいのか、子どもを持ちたいのかも自分で分かっていなかった。18歳からずっとエヴァネッセンス一色で来たため自分を整理する必要があり、メンバーはその申し出を快く受け止めたとリーは語っている。

出典: 「Metal Hammer / Louder エイミー・リー インタビュー」

『The Open Door』は2006年10月21日付でビルボード200に初登場1位を記録した。ビルボードのチャート履歴では最高位の到達日も同じ10月21日付になっており、つまりこのアルバムは登場した最初の週がそのまま最高位だったことになる。チャートにはその後48週にわたって在籍している。

出典: 「Billboard チャート・ヒストリー」

『Fallen』は全世界で1,400万枚を売り上げていた。エイミー・リーは『The Open Door』についてそこには届かず500万枚だったと述べたうえで、それで十分に満足だったと語っている。自分が本当に狙っていたのは前作より売れるアルバムではなく前作より良いアルバムで、それは果たせたというのがリーの説明である。

異説あり出典: 「Metal Hammer / Louder エイミー・リー インタビュー」

テリー・バルサモとの共作について、エイミー・リーはベン・ムーディと組んでいた頃よりも気持ちよく書けたと述べている。『The Open Door』に入った「Snow White Queen」のような曲は、その組み合わせから出てきたものだという。共同創設者の脱退後に加入したギタリストが、リーにとっての書き手としての相手役になった格好である。

出典: 「Songfacts」

2007年に活動から離れたことについて、エイミー・リーは当時26歳で、大人としての自分を見つける必要があったと述べている。10代の頃からエヴァネッセンスに全てを注いできたため、毎日をエヴァネッセンスのリード・シンガーとして過ごすのではなく、エイミーとして過ごす時間が要るというのが本人の説明である。

出典: 「Loudwire エイミー・リー インタビュー」

2007年5月、ドラマーのロッキー・グレイとリズム・ギタリストのジョン・ルコンプトがエヴァネッセンスを離れている。二人が向かった先はWe Are The Fallenで、そこには共同創設者としてバンドを立ち上げたのちに脱退していたベン・ムーディも加わっていた。『The Open Door』を作った編成の一部が、先に出ていったムーディと同じバンドで顔を合わせた形になる。

出典: 「Metal Hammer / Louder バンド年表記事」

『Fallen』の「Tourniquet」は、クリスチャン・デス・メタル・バンドSoul Embracedが2001年に出した「My Tourniquet」を作り直したもので、原曲を書いたのは同バンドのギタリスト、ロッキー・グレイだった。そのグレイは2003年からエヴァネッセンスのドラマーとしてツアーに同行するようになり、2006年の『The Open Door』では正式メンバーとしてクレジットされている。

出典: 「Songfacts」

『Fallen』と『The Open Door』の違いについて、エイミー・リーはどちらがより真実に近いかではなく、自分の裁量がどれだけあったかの差だと述べている。本人の言い方では、『Fallen』は自分の痛みを扱った作品で、『The Open Door』は闘いを扱った作品であり、後者はより強さの側に寄っていたという。

出典: 「Metal Hammer / Louder エイミー・リー インタビュー」

『The Open Door』を作っていた時期、エイミー・リーは手作りの音に強く惹かれていた。きっかけはナイン・インチ・ネイルズで、ドアが閉まる音や物を床にばらまく音が音楽のなかに入っていることを挙げている。リーは古いタイプライターを買ってその音でループを組み、それがアルバム収録曲の1つに育った。好きなモーツァルトの曲もサンプリングして入れている。

出典: 「Metal Hammer / Louder エイミー・リー インタビュー」

「Call Me When You're Sober」が歌っているのは、エイミー・リーの元恋人でSeetherのシンガー、ショーン・モーガンのことである。この曲が世に出たまさにその日に、モーガン本人がリハビリ施設に入ったことを公表した。『The Open Door』の先行シングルとして出た曲で、発表と告白が同じ日に重なった形になる。

出典: 「Songfacts」

ショーン・モーガンはSongfactsの取材に対し、Seetherの「Breakdown」はエイミー・リー、とりわけ「Call Me When You're Sober」を受けて書いた曲だと述べている。モーガンは同じ取材のなかで、自分の私生活が報道の場で語られたと感じていたことも明かしている。

異説あり出典: 「Songfacts」

「Call Me When You're Sober」で歌われた相手は、エイミー・リーの元交際相手でSeetherのショーン・モーガンだった。リーの側から書かれたこの曲について、モーガンは2008年7月19日付のKerrang!誌で、事実は含まれているとしたうえで、10代の詩のように芝居がかった描かれ方で自分の姿が一方に寄せられていると述べている。四六時中酔っている人間のように聞こえるが実際は違い、関係がうまくいかない苦しさをしのぐために飲んでいたのだ、というのがモーガンの言い分である。

異説あり出典: Songfacts「Call Me When You're Sober」項

『The Open Door』の収録曲「Lacrymosa」は、モーツァルトの『レクイエム』のラクリモサを土台にして作られている。タイトルもその楽曲名から取られており、Lacrymosaという語は悲しみに関わることを指す。曲名と音楽の両方が、同じ一つの古典作品に由来していることになる。

出典: Songfacts「Lacrymosa」項

「Like You」でエイミー・リーが歌っているのは、彼女が6歳のときに3歳で亡くなった妹のことである。リー自身はこの曲を、『The Open Door』における「Hello」だと表現している。「Hello」はデビュー作『Fallen』の収録曲で、二枚のアルバムをまたいで対をなす位置づけになっている。

出典: Songfacts「Like You」項

VH1のトラック解説で、エイミー・リーは「Snow White Queen」をストーカーの視点と自分自身の視点の両方から書いたと明かしている。歌詞があまりに私的なため、聴き手の側は自分をよく知っているように感じるが、こちらは相手のことを何も知らない。リーはそうした一方通行の関係を、この曲が生まれた背景として挙げている。

出典: Songfacts「Snow White Queen」項(VH1 トラック解説)

「Lost In Paradise」はエイミー・リーがひとりで書いた曲だったが、アルバムに入れるべきだと押したのはプロデューサーのニック・ラスカリネッツだったと、リー自身が語っている。曲を聴いたラスカリネッツは即座にこれをやろうと言い出し、バンド全員で演奏する形に組み直すことも彼の発案だった。リーはその案を最初は理解できなかったと振り返っている。

出典: Blabbermouth エイミー・リー インタビュー

「What You Want」に入っているストリングスのアレンジを手掛けたのはデイヴィッド・キャンベルである。ベックの父親として知られる編曲家で、Songfactsはアダム・ランバートやMETALLICA、MY CHEMICAL ROMANCEらの仕事も挙げている。エヴァネッセンスとの関わりはこれが初めてではなく、前作『The Open Door』でもすでに組んでいた。

出典: Songfacts「What You Want」

トロイ・マクローホーンは、2007年のツアーを終えた時点でエヴァネッセンスでの自分の仕事は終わったものと考えていたと話している。当時は別のバンドを抱えていたが、そちらの状況が悪くなったところでエイミー・リーに電話をかけたところ、次のアルバムを作る用意があるという返事が返ってきたという。そのやり取りが復帰につながった。

出典: Guitar World エイミー・リーほか インタビュー

2011年のナッシュヴィル、ウォー・メモリアル・オーディトリアムでの復帰公演では、先行して出ていた「What You Want」のほかに3曲の新曲が初披露された。Metal Hammer/Louderが挙げているのは「The Change」と「Oceans」、そしてセットの最後に置かれた「The Other Side」である。

出典: Metal Hammer / Louder 特集記事

約5年ぶりの来日となった2012年2月9日のZepp Tokyo公演で、本編を終えたバンドはアンコールに戻り、エイミー・リーは「Never Go Back」を紹介した。BARKSのレポートはこれを、日本を襲った大震災を受けて彼女が書いた曲だと伝えている。演奏は「ガンバレ、ニッポン」というエイミーの声から始まった。

出典: BARKS エヴァネッセンス Zepp Tokyo公演レポート

「What You Want」のビデオに出てくるクラブのセットについて、エイミー・リーは初期に自分たちが演奏していた場所を再現したものだと説明している。名前も挙げており、アーカンソー州リトルロックのVino'sというクラブである。汗と埃にまみれた当時の空気を狙ったのだとリーは話している。

出典: Songfacts「What You Want」

ビデオの構想は、エイミー・リーが作家として活動する姉妹のキャリーをレコーディング・スタジオに呼んだところから動き出した。曲を何度か聴いて浮かんだ光景をそのまま話してほしいと頼んだのだという。キャリーが口にしたのはニューヨークという舞台と、ブルックリン橋を走り抜ける場面で、リーはそれを聞いて手応えを感じたと振り返っている。

出典: Songfacts「What You Want」

自分の人生を変えたレコードを挙げていく企画で、エイミー・リーは「これで記憶されたい一枚」に自身のバンドの2011年のセルフタイトル作を選んでいる。デビュー作のころはまだ子どもで色々と試している最中だった、「My Immortal」を書いたのは16歳のときだ、と彼女は振り返り、2006年の『The Open Door』もある面では方向を変えた作品だったとしたうえで、成長が演奏者を良くするのだと語っている。

出典: Louder エイミー・リー 愛聴盤インタビュー

『The Open Door』のあとの休止期間に、エイミー・リーはハープを覚えた。腕前については自分でも控えめに語っているが、使い方と、それを手に曲を書く方法までは独学で身につけたという。難しい楽器ではあるものの、ピアノを弾いてきたぶん出発点で有利だったとリーは説明し、ハープのことを、横倒しのグランドピアノを起こしたようなものだと言い表している。

出典: Loudwire エイミー・リー インタビュー記事

BARKSは2012年の来日公演の記事で、『エヴァネッセンス』のクレジットに目を留めている。作曲が「All Song Written By Evanescence」とバンド名義で記されており、バンド史上初めてのバンド・クレジットだという指摘である。同じ記事は、メンバーの入れ替わりが激しかったことから、エヴァネッセンスがエイミー・リーのプロジェクトだと揶揄されることもあったと書いている。

出典: BARKS ライブレポート

テリー・バルサモが長く使ってきたのはアイバニーズで、その後も手放してはいないと語っている。ただしセルフタイトル作のレコーディングでは事情が違った。プロデューサーから繰り返しギブソンを弾くよう求められたのだと、バルサモ自身がGuitar Worldに明かしている。

出典: Guitar World エヴァネッセンス インタビュー

3作目『Evanescence』の録音は、途中で一度止まっている。Metal Hammerの年表は2010年2月をその時点として挙げ、理由をバンドのプロデューサー交代としている。アルバムが完成して世に出るのは、この中断をはさんだうえでのことだった。

出典: Metal Hammer エヴァネッセンス年表

「Lost In Paradise」はもともとバンドのための曲ではなかった。エイミー・リーは自分のためだけに書き、ピアノと歌だけの形で自宅で録音し、どこかのB面にでもなればいいと考えていたという。その音源を送られたニック・ラスクリネッツがこれは録るべきだと言い、バンドを入れるという案も彼から出た。リー自身は最初その意図がわからなかったと振り返っている。

出典: Songfacts「Lost In Paradise」

同じ作り方でも、受け止め方はメンバーによって違っていた。トロイ・マクローホーンによれば、エイミー・リーはこういう形のアルバムは初めてだと話していたという。それまでのエヴァネッセンス作品では、リーと一人の共作相手という組み方が普通だったからである。一方のマクローホーンにとっては、バンドで作るとは以前からずっとそういうことだった。

出典: Songfacts「Made Of Stone」

『The Open Door』のあと、3作目までの長い空白のあいだにエイミー・リーはコンサート・ハープを習得した。セルフタイトル作にはそのハープで書かれた曲がいくつか収められており、Songfactsは「My Heart Is Broken」をその一つとして挙げている。休止期間に身につけた楽器が、そのまま次のアルバムの素材になった。

出典: Songfacts「My Heart Is Broken」

エイミー・リーはエヴァネッセンスの曲のなかでも「End Of The Dream」を自分の気に入りの一曲に数えている。Songfactsのインタビューでは、墓地を歩きながら考え、感じていたある瞬間の記憶から出てきた曲だと述べ、麻痺したままでいるより傷つくほうがいい、というのがこの曲の要点だと説明している。

出典: Songfacts「End Of The Dream」楽曲ページ

「Lost In Paradise」が描いているのは、2007年末のエイミー・リー自身の状況である。ジョシュ・ハートズラーと結婚したばかりで、アルバム2作を世に出したあと、バンドを離れて休むことを決めていた時期だった。Kerrang!誌には、高校時代からずっとエヴァネッセンスの女性シンガーとして生きてきたので、そこから離れて結婚し、普通に暮らしたかったのだと話している。

出典: Songfacts「Lost In Paradise」楽曲ページ

「My Heart Is Broken」は失恋の歌ではない。エイミー・リーはKerrang!誌に、親しい友人が人身売買の被害者を救出するニューヨークの団体を率いており、夫とともにその活動に関わるなかで強く心を動かされ、同時に恐ろしさを感じたと話している。曲を書きながら彼女は自分をその立場に置いてみたのだという。閉じ込められ、脅され、何が起きているかを誰にも打ち明けられないとはどういうことなのか、と。

出典: Songfacts「My Heart Is Broken」楽曲ページ

「Never Go Back」は日本を襲った地震と津波について書かれた曲である。エイミー・リーはMTV Newsに、プリプロダクションに入ったところで震災が起き、報道から目が離せなくなったと話している。ちょうどこの曲に取り組んでいる最中で、夜にひとりで歌詞を書いていた彼女は翌日スタジオに来て、この曲を津波についての曲にすると告げた。自分の外側にあるものを書くのは普段はしないことだった、とも述べている。

出典: Songfacts「Never Go Back」楽曲ページ

エヴァネッセンスの曲には死という主題がたびたび戻ってくる。Songfactsはその一因として、エイミー・リーが6歳のときに3歳の妹ボニーを亡くしていることを挙げている。あくまで部分的な説明という書き方であり、彼女の書くものすべてをそこに帰しているわけではない。

出典: Songfacts「The Other Side」楽曲ページ

『The Bitter Truth』が「2011年のセルフタイトル作以来、初の全曲新作」と紹介されるのには理由がある。その間に挟まる2017年の『Synthesis』が、過去の楽曲をオーケストラと電子音で組み直したものを主体に、新曲2曲を加えた内容だったためで、アルバムとしては新作でも全編が新しい曲ではなかった。

出典: Metal Injection

2011年のセルフタイトル作のあとの数年について、エイミー・リーは「5年間何もしていなかった」と見られることを否定している。実際には1年半のツアーがあり、そのあとに出産があったと本人は説明する。そのうえで、本当に意味のあるものを作るには一度ロックスターという感覚から離れ、エイミーという一人の人間に戻る時間が必要だったとも語っている。

出典: Metal Hammer/Louder エイミー・リー インタビュー

エイミー・リーによれば、『Synthesis』でフル・オーケストラの編曲を担当したデヴィッド・キャンベルは、それ以前のアルバム3作すべてでエヴァネッセンスの弦アレンジを書いてきた人物である。長く弦の部分を任されてきた編曲者が、今回は管弦楽全体を手がけることになった。

出典: Blabbermouth エイミー・リー コメント

「Hi-Lo」のヴァイオリン・ソロはリンジー・スターリングによる客演だが、同じ場所で録られたものではない。エイミー・リーの説明では、バンドがフォートワースのSpacewayで作業していた時期、スターリングはロサンゼルスにいた。リーが思い描いていた内容を伝えると、スターリングはまずデモの形で自分のパートを組み立てて送り返してきたという。

出典: Songfacts(エイミー・リー コメント)

2011年の『Evanescence』のあとバンドが動きを止めていた期間には、以前所属していたレーベルとの法的な争いが絡んでいた。その間エイミー・リーはソロの仕事に時間を充てており、子ども向けのアルバムもそのひとつだった。バンドがスタジオに戻って取りかかったのが、過去の楽曲をオーケストラで作り直した2017年の『Synthesis』である。

出典: Rolling Stone エイミー・リー インタビュー

エイミー・リーは『Synthesis Live』を、エヴァネッセンスがオーケストラを伴って回る初めてのツアーになると説明していた。発端は、分厚いドラムとギターの下に埋もれていたデヴィッド・キャンベルのアレンジやプログラミングに光を当てたいという考えで、そこから全曲を弦だけでなくフル・オーケストラで作り直すという話にまで広がっていったという。

出典: Blabbermouth(ツアー発表・エイミー・リー コメント)

『Synthesis』の編曲を組み立てる作業について、エイミー・リーは、「Bring Me To Life」などの当時のマスターセッションを開くところから始めたと語っている。中に入っている素材をすべて取り出して聴き直し、細かく切り分けながら、ここはもっと長い方がいいといった判断を重ねて曲の設計図を作っていったという。オーケストラを録音したのは、その作業を終えた後だった。

出典: Blabbermouth.net エイミー・リー発言記事

『Synthesis』の新曲として発表された「Hi-Lo」は、実際には10年ほど手元に置かれていた曲だった。エイミー・リーによれば、この曲はセルフタイトルの3rdアルバムに向けて書いていた時期に、プロデューサーのウィル・"サイエンス"・ハントと初めて共作したもので、書き上げないまま、どのアルバムにも収まらずに残っていたという。ふさわしい居場所が見つかるのを待ち続けた末の収録だった。

出典: Songfacts「Hi-Lo」

「Bring Me To Life」のラップについて、エイミー・リーは2017年に、あれはバンドがもともと思い描いていたアイデアや音とは違うもので、いくつもの意味で妥協だったと語っている。ラジオで流れるきっかけになった要素であることは認めた上で、『Synthesis』での録り直しによって曲を当初の構想の姿に戻せたことを、よかったと述べた。

出典: Loudwire 記事

エイミー・リーは「Imperfection」を『Synthesis』で最も重要な曲だと位置づけている。自ら命を絶った人やうつによって失われた人たち、そしてこれから失われるかもしれない人たちのために書いた曲であり、歌っているのは残された側、待合室にいる人間の視点からだと説明している。

出典: Songfacts「Imperfection」

アルバムを『The Bitter Truth』と名付けた理由を、エイミー・リーはBARKSの記事の中で説明している。彼女が選ぶのは、たとえ中身がどれほど苦くても本当のことを知っている側であり、その反対に置かれたのが、何も感じずにいること、自分に嘘をつくこと、そして現実を知ることも経験することもないまま囲いの内側にとどまることだった。

出典: BARKS エイミー・リー発言

アルバム名『The Bitter Truth』は、外から用意された言葉ではなく、収録曲「Wasted On You」の歌詞の一節から取られている。曲名がそのままアルバム名になったのではなく、歌の途中で出てくる言い回しが題名に選ばれた形で、その曲自体はアルバムより先に世に出ていた。

出典: Songfacts「Wasted On You」の項

「Use My Voice」のサビは、エイミー・リーが集めた女性シンガーたちの声で歌われている。ヘイルストームのリジー・ヘイル、ザ・プリティ・レックレスのテイラー・モムセン、ヴァイオリニストのリンジー・スターリング、ウィズイン・テンプテーションのシャロン・デン・アデル、ヴェリディアのディーナ・ジャクーブ、エヴァネッセンスのギタリスト、ジェン・マジュラ、リーの姉妹であるキャリー・サウスと Lori Lee Bulloch、そしてギタリストのトロイ・マクローホーンの妻エイミー・マクローホーンが名を連ねる。

出典: Songfacts「Use My Voice」の項

2021年2月19日に放送された『ジミー・キンメル・ライヴ!』で、エヴァネッセンスは「Wasted On You」を演奏した。ただし5人が同じ場所に集まったわけではない。カリフォルニア、フロリダ、ジョージア、そしてドイツという4か所に分かれたまま、それぞれの持ち場で演奏したものが番組に流れている。

出典: Songfacts「Wasted On You」の項

『The Bitter Truth』は2021年3月26日の金曜日に発売され、バンドは同じタイミングでEchoes From the Voidというグラフィック・アンソロジーのシリーズも立ち上げた。その第1号は、収録曲「Better Without You」と「Wasted on You」を軸にした物語で構成されている。

出典: Consequence エイミー・リー インタビュー

「Use My Voice」のビデオを監督したのは映像作家のエリック・ハウエルで、彼の短編『Strangers』はサンタモニカ映画祭でベスト・ドラマ賞を受けている。エイミー・リーがハウエルと知り合ったのは2015年、映画『Voice From The Stone』のエンド・タイトル曲を書いてほしいと依頼されたときだった。

出典: Songfacts「Use My Voice」

「Wasted On You」のビデオをまとめたのは、「Imperfection」「Hi-Lo」「The Chain」を手がけてきた監督のP.R.ブラウンだった。メンバーが顔を合わせられない時期だったため、各自が自宅で一人で過ごす姿や家族と過ごす姿をiPhoneで撮影し、送られてきた素材をブラウンがつなぎ合わせて一本の作品にしている。

出典: Songfacts「Wasted On You」

『The Bitter Truth』の制作はプロデューサーのニック・ラスカリネッツと進められたが、パンデミックによって作業は二段階に分かれた。はじめは全員が離れたままリモートで進め、その後、陰性の検査結果を得たうえでナッシュヴィルのスタジオに集まっている。

出典: Rolling Stone エイミー・リー インタビュー

『The Bitter Truth』の残りを仕上げるため、2020年8月からアメリカ在住のメンバーはツアーバスに乗ってナッシュヴィルのエイミー・リーのもとへ移動した。ギターのジェン・マジュラだけはドイツに留まったままで、バンドはその状態でアルバムの作業を押し進めていった。

出典: Rolling Stone エイミー・リー インタビュー

「Use My Voice」に参加した女性シンガーたちを一つのスタジオに集めることは、COVID-19下では不可能だった。そこでエイミー・リーはZoomのアカウントを用意して進行役を担った。リーによれば、住んでいる場所がばらばらだったため、多くは各自で歌を録って音源を彼女に送り、送られてきた声を自分で重ねて積み上げていく形をとったという。

出典: Songfacts「Use My Voice」

「Wasted On You」はコロナ禍より前に書かれた曲で、アルバムに先立って出す予定もなかった。ロックダウンが始まると歌詞の響き方が変わり、バンドは2020年4月24日にこの曲を公開する。エイミー・リーは、いま皆が通過している状況について書いた歌詞ではないのに、結果としてまさにそういう歌詞になっていた、と述べている。

出典: Songfacts「Wasted On You」

エイミー・リーによれば、新しいアルバムを作ろうと決めたのは2018年の終わりで、そこから書き始めた。ツアーの組み方そのものを工夫し、ツアーを終えたあとに1週間ほど場所を借りて書く時間を確保するようにしていたという。そのうちの一週間はモントリオールの森の中、夏でシーズンオフに入っていたスキーリゾートで過ごし、そこで「Broken Pieces Shine」と「Part Of Me」の原型ができた。

出典: SongwriterUniverse エイミー・リー インタビュー

これからバンドを聴き始める人には何を薦めるかとMetal Hammerに訊かれたエイミー・リーは、『Fallen』『The Open Door』『Evanescence』のいずれからも選ばなかった。挙げたのは当時の最新作『The Bitter Truth』の「Broken Pieces Shine」で、テーマの面でも歌詞の面でも自分たちらしさが出ている曲だという。

出典: Loudwire エイミー・リー インタビュー記事

『The Bitter Truth』の冒頭に置かれた2部構成のトラック「Artifact/The Turn」のうち、「Artifact」の部分は、2019年のツアー中にエイミー・リーがホテルの一室で書き、そのまま録音したものである。歌詞は2018年に亡くなった彼女の兄弟に捧げられている。

出典: Loudwire エイミー・リー インタビュー記事

「Use My Voice」の出発点になったのは一篇の文章だった。スタンフォード大学の構内で性的暴行を受けたシャネル・ミラーが裁判の最後に自ら読み上げた意見陳述で、エイミー・リーはそれを読んだことをきっかけに曲を書き始めたと語っている。完成までには長い時間がかかったとも述べている。

出典: SongwriterUniverse エイミー・リー インタビュー

「Wasted On You」は歌詞とメロディが先にできた曲で、2019年の終わりに書かれた。行き詰まりを感じていたエイミー・リーは、宅録の機材に触れる前に裏のポーチで歌詞とコーラスを仕上げてしまうと自分に課したという。曲がいきなりコーラスから始まるのはそのためだろう、と彼女は振り返っている。

出典: SongwriterUniverse エイミー・リー インタビュー

エイミー・リーは、シングル「Who Will You Follow」について訊かれた流れで、アルバム名『Sanctuary』の意味にも触れている。混沌として非現実的で暴力的な時代そのものから身を隠すための場所ではなく、そんな時代など生きていないと言い張る嘘のほうから逃れるための場所なのだという。彼女の言葉では、これは真実の避難所であり、人が集まる場所としての避難所でもある。

出典: Blabbermouth エイミー・リー インタビュー記事

「Afterlife」が2025年7月5日付のビルボード、メインストリーム・ロック・エアプレイ・チャートで1位に立つまで、EVANESCENCEはこのチャートで22年待つことになった。初登場は2003年5月の「Bring Me To Life」で、この時の最高位は11位。それまでの自己最高記録は、2006年の「Call Me When You're Sober」が残した5位だった。

出典: Songfacts「Afterlife」項

「Afterlife」が自分のところに届いた経緯を、エイミー・リー本人がこう説明している。『Devil May Cry』のスコアを手がけていたアレックス・シーヴァーが、書きかけの曲を持って連絡してきた。2人はパンデミックの時期にリンジー・スターリングの曲で一度だけ組んだことがあり、やり取りはもっぱらメールで進んだ。リーは、曲を歌い終えた時点でもまだ彼と直接会ったことがないと話している。

出典: Blabbermouth エイミー・リー インタビュー記事

2026年6月に始まる世界ツアーで、エヴァネッセンスはSpiritbox、Poppy、Nova Twins、K.Flayを帯同した。いずれも女性アーティストである。エイミー・リーはMetal Hammerの取材に対し、近年こうした顔ぶれと組むのは意識的な選択だと語り、初期にはビルに立つ女性が自分だけということが多かったとも述べている。

出典: Metal Hammer エイミー・リー インタビュー

「Afterlife」は2025年3月27日、Netflixを通じて発表された。アニメ・シリーズ『デビル メイ クライ』では別バージョンが使われており、本編で一度きり流れるのではなく、シリーズを通して複数回登場する扱いになっている。シリーズのサウンドトラック・アルバムは4月3日に続いた。

出典: Blabbermouth

「アフターライフ」のミュージック・ビデオを監督したのは、HozierやMaren Morrisの映像を手掛けてきたジェイソン・レスターである。撮影に使われたのはテネシー州にある歴史ある邸宅で、そこには幽霊が出るという言い伝えがある、とSongfactsは記している。

出典: Songfacts「Afterlife」楽曲解説

『サンクチュアリ』の制作は一か所に落ち着いていない。エイミー・リーの説明では、ザック・サーヴィーニとジョーダン・フィッシュとのセッションはロサンゼルスで行い、レコーディングの一部はナッシュビルにあるニック・ラスクリネクツの自宅で進めたという。ツアーを挟みながら、この3年ほどそうした状態が続いていたと本人は話している。

出典: Blabbermouth エイミー・リー インタビュー

新作が翌年に出るという話は、ラジオのやり取りから伝わった。2025年12月、KROQの「アルモースト・アコースティック・クリスマス」出演を前にケヴィン・ライダーから新作の時期を尋ねられたエイミー・リーは、来年だと答えている。春かと重ねて確認されると、彼女はそれを否定せずに受けている。

出典: Consequence ニュース記事

2025年のラウダー・ザン・ライフの舞台裏で、エイミー・リーは新作について、曲は数多く進行中で、翌年の初めごろの発売を目指していると話した。そのうえで、初めと言っても1月という意味ではない、2026年の早い時期だ、と自分で言い直している。

出典: Loudwire エイミー・リー インタビュー

先行シングル「フー・ウィル・ユー・フォロー」は特定の誰かについて書かれた曲なのか、と問われたエイミー・リーは、人ではなく状況についての曲だと答えている。何が本物なのかを問い、嘘を突き抜けることがこの曲の中心にあるという。自分たちが何を信じるかに利害を持つ人々からの情報が絶えず押し寄せ、真実が売り物になっているように感じられる、というのが本人の説明である。

出典: Blabbermouth(Audacy Music でのエイミー・リー インタビューより)

『サンクチュアリ』に収められた1曲は、ある関係について書かれている。エイミー・リーは曲名を明かしていないが、『フォールン』の頃の携帯レコーダーの音声や古い映像を見返したことが執筆のきっかけになったと述べている。あわせて、2006年のシングル「コール・ミー・ホエン・ユア・ソーバー」の題材となったSeetherのショーン・モーガンについての曲ではない、とも明言している。

出典: Metal Hammer / Louder エイミー・リー インタビュー

エイミー・リーの仕事はバンドと自身の歌ものだけにとどまらない。SF映画『Indigo Grey: The Passage』のために書いた音楽が評価され、2015年にムーンダンスのBest Score(最優秀スコア)を受けている。Metal Hammerはバンドの20年を振り返る記事のなかで、この受賞に触れている。

出典: Metal Hammer(Louder)

解雇の通告は電話だった。2007年5月、ジョン・ルコンプトは、その日エイミー・リーから電話がかかってきて自分は解雇されたと述べ、このバンドに忠誠心はまったくないと続けた。自分はもう終わりで、かなり動揺しているというのが、そのときの彼の言い方である。

出典: NME

ベン・ムーディは2003年にエヴァネッセンスを突然離れているが、2005年半ばの時点でエイミー・リーとは一度も話していないと語っている。ただし連絡が来るなら受け入れる、彼女のことは今も良く思っている、というのが同じ取材での彼の言い分だった。2人はバンドが売れるはるか前、高校時代に交際していた。

異説あり出典: Rolling Stone

エイミー・リーによれば、ハレストームのリジー・ヘイルとは2012年の共同ツアーに話がまとまった時点で、まだ一度も直接会っていなかった。顔を合わせたのはツアー初日で、その日に組まれていた合同の取材かファンとの面会の場だったと本人は振り返っている。

出典: Blabbermouth エイミー・リー発言

和楽器バンドとの縁は客席から始まっている。2018年に鈴華ゆう子(Vo)と町屋(G)がエヴァネッセンスのロサンゼルス公演を観に行ったことで両者の交流が生まれ、2020年2月16日に大阪城ホールで開かれたフルオーケストラとの公演「Premium Symphonic Night Vol.2」へのエイミー・リーのゲスト出演につながった。2組はこの日のために新曲を書き下ろしで共作しており、当日のステージで初披露される予定だと発表されていた。

出典: 音楽ナタリー

和楽器バンドの鈴華ゆう子は、この共作の発端を発表の約2年前にさかのぼると説明している。バンドのライブ映像を観たエイミー・リーから会ってみたいと連絡があり、鈴華がロサンゼルスまで出向いて、いつか一緒に曲を作ろうと約束を交わした。それから約1年半後、大阪城ホール公演にリーをゲストとして迎えた際に、二人でスタジオに入り曲の大枠を作り上げたという。

出典: BARKS

2025年9月に発表された「End Of You」で、エイミー・リーはSpiritboxのコートニー・ラプラントとPoppyの二人と組んだ。プロデュースはジョーダン・フィッシュ。制作は基本的にリモートで進んだが、きっかけはPoppyとフィッシュがナッシュビルのリーのスタジオを訪ねたことで、その場で大枠を詰め、リーはそこでボーカルを録っている。

出典: Metal Hammer/Louder エイミー・リー インタビュー

エイミー・リーは、ユーリズミックスのデイヴ・スチュワートとエヴァリー・ブラザーズの「Love Hurts」をカバーしている。リーによれば、この作業で印象に残ったのはスチュワートの決断の速さで、ギターを何本も重ねていくのではなく、わずかなテイクで音を決めてしまう。自分は組み合わせを大量に試して探す作り方をしてきたと本人は述べている。

出典: Metal Hammer/Louder エイミー・リー インタビュー

ヘイルストームのリジー・ヘイルは、両バンドが一緒にツアーを回った初日のことをこう振り返っている。エイミー・リーが楽屋にやって来て、2012年作『The Strange Case Of...』収録の「Break In」が好きなのだがハーモニーを付ける相手がいない、自分が歌ってもいいかと申し出た。ヘイルはリードを譲ってもいいと答えたが、リーが望んだのはハーモニーのほうだけだったという。

出典: Louder リジー・ヘイル インタビュー

音楽に戻る準備ができたベン・ムーディに声をかけたのは、プロデューサーのドン・ギルモアだった。用件はアヴリル・ラヴィーンの2作目『Under My Skin』でギターを弾くことである。ムーディとラヴィーンはすぐに意気投合し、最終的に「Nobody's Home」を二人で書き上げるところまで進んだ。

出典: Rolling Stone

エイミー・リーが6歳のとき、妹のボニーが原因の特定されない病気で亡くなっている。エイミーはLouderのインタビューで、その出来事から世界の見え方が変わり、言葉にできないものを表そうとして、詩や絵や音楽に一人で向かう時間が増えたと話している。13歳でEvanescenceを始めたことと関係があったかと問われると、その表現へ向かう流れの中からバンドが生まれたのだと答えている。

出典: Metal Hammer エイミー・リー インタビュー

エイミー・リーとベン・ムーディが顔を合わせたのは、リー一家が移り住んだアーカンソー州リトルロックの、キリスト教系のユースキャンプだった。時期については資料が割れている。Metal Hammerは1994年のこととし、リーは13歳、ムーディはひとつ上だったと書く。Songfactsは1996年とし、ムーディ14歳、リー13歳としている。二人が一緒に曲を作り始めたのはそこからである。

異説あり出典: Metal Hammer 『Fallen』内幕記事/Songfacts Evanescence 項

音楽をやるしかないと思った最初の大きな記憶として、エイミー・リーは映画『アマデウス』を観たときのことを挙げている。9歳ごろのことで、モーツァルトに強く惹かれ、自分がなりたいと思ったのは作曲家だった。ロックバンドで歌うことを思い描いていたわけではない、と本人は話している。

出典: Songfacts Evanescence 項

コーンとエヴァネッセンスの共同北米ツアーは2022年8月16日、デンバーで開幕した。この初日公演でエイミー・リーはコーンのショウの最後に登場し、「Freak On A Leash」を一緒に演奏している。ツアーはその後、9月16日まで北米18都市で行われた。

出典: BARKS ニュース

2025年5月、エイミー・リーは映画『Ballerina』のサウンドトラックのために2曲を録音している。1曲はホールジーと組んだ「Hand That Feeds」で、プロデュースはジョーダン・フィッシュ。もう1曲はK.Flayが参加した「Fight Like A Girl」で、こちらは映画音楽も手がけるタイラー・ベイツがプロデュースを担当した。『Ballerina』は『ジョン・ウィック』のスピンオフ作品にあたる。

出典: Metal Hammer エイミー・リー インタビュー

エヴァネッセンスと長年のレーベルWind-up Recordsの関係は、2014年1月に法廷へ持ち込まれた。エイミー・リーがレーベルを相手取り、未払いのロイヤリティとして150万ドルの支払いを求めて提訴したものである。訴えではさらに、レーベルがプロモーターを入れ替えたことによってバンドの活動が損なわれたとも主張されていた。

出典: Metal Injection

2000年11月、バンドは初のフルレングス作となるデモ『Origin』を自分たちの手で世に出した。流通に乗せたわけではなく、ライブ会場で手売りする形である。その2か月後、2001年1月にWind-Up Recordsが「My Immortal」を聴いたうえでエヴァネッセンスと契約した。

出典: Metal Hammer / Louder

エマ・アンザイを迎えるにあたって、エイミー・リーがまず持ちかけたのはギターを弾かないかという話だったという。リーの説明では、アンザイの返事は自分はベーシストだという明快なもので、そこでリーはティム・マッコードに相談した。マッコードはむしろその案を歓迎した。ギターは彼がもともと手にしていた楽器だったからである。

出典: Blabbermouth エイミー・リー インタビュー

ベン・ムーディが2009年に立ち上げたWe Are The Fallenには、エヴァネッセンスを経験したメンバーが3人集まった。ギターにムーディとジョン・ルコンプト、ドラムにロッキー・グレイという顔ぶれである。ヴォーカルにはアメリカン・アイドルで知られるカーリー・スミッソン、ベースにはマーティ・オブライエンが加わった。

出典: Blabbermouth ベン・ムーディ インタビュー

2022年5月23日、バンドは新しい編成を発表した。欠員をそのまま外から埋めるのではなく、16年にわたってベースを弾いてきたティム・マッコードがもともとの楽器であるギターに移り、空いたベースにSick Puppiesのエマ・アンザイが入るという入れ替えである。この編成で最初にステージに立ったのは、6月5日のアテネ公演だった。

出典: Blabbermouth

2022年5月21日にバンドが出した声明は、ギタリストのジェン・マジュラとの別れを、互いに別々の道を行くことに決めたという形で伝えていた。その数時間後、マジュラ本人が、これは自分の決めたことではないと書いている。そのうえで彼女は、誰に対しても悪感情はなく、この数年を美しい記憶として持っていくことができる、とも記した。

異説あり出典: Blabbermouth

ジェン・マジュラの名前がバンド側に届いたのは、知人の口添えによるものだったと彼女は語っている。名前を挙げたのは、テスタメントのアレックス・スコルニックと、ニューヨークで活動するチェリストのデイヴ・エッガーだった。ある日メールが届き、その3日後には、エイミー・リーに会うためにニューヨーク行きの飛行機に乗っていたという。

出典: Blabbermouth/EMP Rock Invasion ジェン・マジュラ インタビュー

マジュラの話では、加入にあたって演奏の審査のようなものは一度もなかった。ギターは持ってこなくていい、食事をしながら話そうとエイミー・リーに言われたのだという。またリーが候補として挙げていたギタリストにはほかにもいて、そのひとりがアリス・クーパーのバンドで弾いているニタ・ストラウスだった。

出典: Blabbermouth ジェン・マジュラ インタビュー

2025年6月10日、ジェン・マジュラは音楽業界から距離を置くと自身のSNSで表明した。少なくとも当面はという形で、理由には業界の現状に加えて、AIをめぐる動きと社会の変化を挙げている。区切りとして彼女が公開したのは、ギタリストのデニス・ホルメスと10年以上前に書き、パソコンの整理中に見つけた4曲のデモ録音だった。

出典: Blabbermouth

バンドを離れることになったと告げられた時のことを、ジェン・マジュラはオラ・イングランドの番組「Coffee With Ola」で語っている。知らせから3週間ほど経った2022年6月のことだった。電話が鳴ったとき彼女は自宅の掃除をしており、部屋にはすでに荷造りを始めたスーツケースが置かれていた。2週間後にはツアーへ出る予定になっていたためである。

異説あり出典: Blabbermouth/Coffee With Ola ジェン・マジュラ インタビュー

2022年5月にギタリストのジェン・マジューラの脱退が発表されたあと、エヴァネッセンスが取った手は同じ役割の後任を探すことではなかった。ベースを弾いていたティム・マッコードがギターに戻り、空いたベースにはオーストラリアのシック・パピーズのエマ・アンザイが入った。この編成での初公演は6月初めに行われている。

出典: 「BARKS エヴァネッセンス関連ニュース」

ギタリストのジェン・マジューラは2015年からエヴァネッセンスに在籍し、2022年にバンドを離れた。この件についてマジューラ本人は、辞めることを決めたのは自分ではないとはっきり述べ、何が起きたのか整理のつかないまま傷ついているとも語っている。エイミー・リーはその後の取材で経緯に深入りしていない。

出典: 「NME エイミー・リー インタビュー」

ベン・ムーディーがエヴァネッセンスを離れたのは、2003年のヨーロッパ・ツアーのちょうど途中だった。彼はその後バンドに戻っていない。エイミー・リーはRolling Stoneの取材で当時を振り返り、家に帰りたいと思うことが何度もあったと話している。まわりに女性は自分ひとりで、バンドの中でもツアー先でも孤立していたという。

出典: 「Rolling Stone エイミー・リー インタビュー」

エヴァネッセンスがこれまでに単独で行った公演のうち最大の規模になったのは、ブラジル・サンパウロのサッカー場アリアンツ・パルキだった。集まった観客は4万人で、Blabbermouthは2025年6月の記事でこれをバンドのキャリアで最大のヘッドライン公演としている。

出典: 「Blabbermouth エイミー・リー関連記事」

組み直したエヴァネッセンスが最初に人前に立ったのは、2022年6月5日の日曜、ギリシャのアテネだった。春から夏にかけてのヨーロッパ・ツアーの初日にあたり、ベースにはシック・パピーズのエマ・アンザイが加わっている。Blabbermouthは翌6日にこの公演を新編成の初ステージとして伝えた。

出典: 「Blabbermouth エヴァネッセンス関連記事」

2025年11月、エヴァネッセンスはメタリカのM72ツアーのオーストラリアとニュージーランド公演で前座を務めた。エイミー・リーによれば、メタリカ側はステージ内の観客エリアであるスネイク・ピットにグランドピアノを出すことを認めており、彼女はピアノに向かう場面を客に囲まれたまま弾くことができたという。

出典: 「Loudwire エイミー・リー インタビュー」

バンドは初期に人前で演奏した回数がごく少なく、その場もアコースティックの小さなものばかりだった。アンプを通した最初の本格的なライヴは、1999年1月2日、リトルロックのVinosというバーで行われている。エイミー・リーが17歳になってから一か月と経たない時期のことだった。

異説あり出典: Metal Hammer / Louder

エイミー・リーは、自分のバンドで何をやりたいかの原型になった曲として、1998年の映画『City of Angels』のサウンドトラックに入っていたアラニス・モリセットの「Uninvited」を挙げている。映画音楽のような弦楽と、同時代のロックとが同じ曲の中に同居している点が大きかったという。同じ話の中では『The Crow』のサウンドトラックにも触れている。

出典: Loudwire

エイミー・リーによれば、父ジョン・リーはアメリカのテレビの素人参加番組The Gong Showに出演し、イーグルスの「Desperado」を歌って優勝している。時期は1979年か1980年あたりだと本人は話しており、その映像は今もインターネット上で見つかるという。歌の出来については、当時の父はかなり良かったと語っている。

出典: Loudwire

エイミー・リーはMetal Hammerの企画で「初めて買ったアルバム」を問われ、1987年の『The California Raisins Sing The Hit Songs』を挙げた。クレイアニメのレーズンたちがThe Four Topsなどの曲をカバーした作品である。80年代に流行したものだったといい、購入したのは自分が5歳のときだったと本人は述べている。

出典: Louder エイミー・リー インタビュー

エイミー・リーは、キャリアの序盤は作曲家として認められるまでの消耗が大きかったと振り返っている。バンドの前に立つ女性シンガーとしてだけ見られ、曲作りの実務は背後にいる男性の仕事だと周囲に受け取られていた、というのが彼女の説明である。現在は、互いに敬意を払える相手としか仕事をしないと述べている。

出典: Metal Hammer エイミー・リー インタビュー

「Bring Me To Life」以降、エヴァネッセンスはゴスとニューメタルの両方に分類されてきたが、エイミー・リーはそのどちらにも自分を重ねてこなかった。ゴスという語について彼女は、もともと好きになれなかったと述べ、自分はオルタナティヴ・ロックを聴く、破れたジーンズをはいた側の人間だったと語っている。音楽を指してその語を使うのは「くだらない」とし、その言葉が嫌いだと話している。

出典: Metal Hammer エイミー・リー インタビュー

「Fight Like A Girl」のミュージックビデオを演出したのは、『ジョン・ウィック』シリーズを手がけた映画監督チャド・スタエルスキだった。Songfactsによれば、ミュージックビデオを演出したのは彼にとってこれが初めてだった。

出典: Songfacts

エイミー・リーの子ども向け作品『Dream Too Much』は、当初アルバムですらなかった。父親の60歳の誕生日に贈るつもりで書いた4、5曲が出発点だった。その後Amazonから子ども向けアルバムを一枚まるごと作らないかと持ちかけられ、彼女がその話を受けたことで、正式な作品として形になった。

出典: Loudwire

エイミー・リーが自分で書いた最初の曲は「A Single Tear」という作品で、中学校の英語の授業の課題として書かれたものだった。人前で歌うには緊張が大きすぎたため、彼女は生で歌う代わりに録音するという方法を取り、音の響きがよいという理由で校内の渡り廊下を選び、そこで歌を吹き込んだ。

出典: Songfacts

「Fight Like a Girl」は、依頼から始まった曲である。ジョン・ウィックのシリーズで作曲を手がけるタイラー・ベイツがエイミー・リーに声をかけ、スピンオフ映画『バレリーナ』のための一曲を求めた。出来上がった曲は、劇中ではエンドクレジットで流れる形で使われている。

出典: Songfacts

ベン・ムーディはソロ作の中心に「10/22」という曲を置いた。曲名は2003年に彼がエヴァネッセンスを突然離れた日付から取られている。書いている間はエイミー・リーに向けて語りかけているつもりだったが、しばらく経って聴き返したとき、この曲が向かっているのは自分自身のほうだと気づいたとムーディは話している。

出典: Rolling Stone ベン・ムーディ インタビュー

『サンクチュアリ』の日本盤は2形態で発売された。通常盤CD(SICX-30277、税込2,970円)と、日本限定の完全生産限定盤デラックス・エディションのCD+Blu-ray(SICX-30275~6、税込5,940円)である。どちらもBlu-spec CD2仕様で作られ、解説と歌詞、対訳が添えられている。

出典: ソニーミュージック エヴァネッセンス公式インフォメーション

日本盤CDの『サンクチュアリ』は、国際盤の12曲にボーナス・トラック2曲を加えた全14曲で構成されている。13曲目は「Forever Without You」のソロ・パフォーマンス・ミックスで、ソニーミュージックの収録曲一覧では日本盤のみという注記が付く。14曲目にはK.Flayを迎えた「Fight Like a Girl」が置かれた。

出典: ソニーミュージック エヴァネッセンス公式インフォメーション

「Sakura Rising」は、エイミー・リーと和楽器バンドによる共作である。和楽器の響きとシンフォニックなロックを組み合わせた曲で、リーの公式サイトは、言語と大陸をまたいで書かれた曲だと説明している。同サイトは主題として、不確かな時代における結びつきや回復力を挙げている。

出典: エイミー・リー公式サイト タイムライン

ベン・ムーディの離脱が報じられた2003年11月の時点で、バンドの日程はすでに先まで組まれていた。ローリング・ストーン誌が伝えた予定では、11月21日のアリゾナ州ツーソン、リリート・パーク公演を皮切りにアメリカ公演が始まり、12月半ばまで続く。そして年が明けた1月に、オーストラリアと日本を回ることになっていた。

出典: Rolling Stone

『サンクチュアリ』のアナログ盤は2026年9月4日に全世界で発売された。激ロックが同日付けで伝えたところによれば、日本ではこの日、4つの形態のアナログ盤が同時に登場している。アルバムのアナログ化にあたって、日本市場には複数の仕様が用意されたことになる。

出典: 激ロック

SUMMER SONIC 2023の東京会場から8組を選んだWOWOWの特別番組「アーティスト スペシャル SUMMER SONIC 2023」に、EVANESCENCEのステージが入った。放送は2023年11月5日で、同バンドが含まれるDAY-2の枠は21時から。収録は8月19日と20日、千葉のZOZOマリンスタジアムと幕張メッセで行われている。

出典: 激ロック

『Fallen』の20周年記念盤は2023年9月に発表され、2LP、2CD、デジタル、そしてスーパー・デラックス・ボックスという複数の形で出された。追加されたのは新録ではなく資料で、未公開写真、手書きの序文、B面曲、さらに未発表のデモとボイスメモが収められている。公式サイトはこれらを、バンドの初期の制作過程に近づくための材料として説明している。

出典: エヴァネッセンス公式サイト タイムライン

第46回グラミー賞でエヴァネッセンスが持ち帰ったのは、最優秀新人賞とHard Rock Performanceの2部門だった。取り逃したほうはいずれもアルバムの賞で、レコーディング・アカデミーの記録には、『Fallen』がAlbum Of The YearとBest Rock Albumの候補に挙がり、どちらも受賞に至らなかったことが残されている。

出典: レコーディング・アカデミー グラミー賞公式サイト

RIAAのゴールド&プラチナ・データベースでエヴァネッセンスを引くと、『Fallen』の行は認定日が2022年11月30日、レーベル欄はCraft Recordingsと記されている。一方、同じ一覧に並ぶ「Bring Me To Life」や「My Immortal」のシングル行はWind-Up Recordsのままで、アルバムとシングルが別のレーベル名で登録されている。

出典: RIAA ゴールド&プラチナ・データベース

シングル「My Immortal」のRIAA認定日は2019年1月31日で、レーベル欄にはWind-Up Recordsと記録されている。『Fallen』の発表から15年以上が過ぎてからの日付であり、この一覧に表示されているエヴァネッセンスの認定日は2004年のものから2026年のものまで、発売時期に固まらず散らばっている。

出典: RIAA ゴールド&プラチナ・データベース

RIAAのデータベースをエヴァネッセンス名義で新しい順に並べたとき、先頭に来るのは近作ではない。シングル「Bring Me To Life」の行で、認定日は2026年6月25日、レーベル欄はWind-Up Records。デビュー作『Fallen』からの曲が、バンドの最新の認定として記録されている。

出典: RIAA ゴールド&プラチナ・データベース

エヴァネッセンス公式サイトのミュージック・ビデオ一覧では、「Bring Me To Life」の項目が「ft. Paul McCoy」という客演表記付きで並んでいる。このゲスト・ボーカルは外部が後から付けた注釈ではなく、バンド自身が映像を掲げるときの題の一部になっている。

出典: エヴァネッセンス公式サイト ミュージック・ビデオ一覧

20周年記念デラックス盤には「Bring Me To Life」が4つの形で入っている。2曲目のリマスターされたアルバム・ヴァージョン、17曲目のデモ、18曲目に置かれた2003年のAOLセッションでの録音、そして20曲目の、2020年にTriple Mのガレージ・セッションで演奏されたライヴ音源である。

出典: Bandcamp EVANESCENCE公式ページ

同じ20周年記念デラックス盤には「My Immortal」も4種類収められている。4曲目のリマスター済みアルバム・ヴァージョンのほか、12曲目のバンド・ヴァージョン、16曲目のストリングス・ヴァージョン、そして21曲目に置かれた2022年のO2アリーナでのライヴ録音が並ぶ。

出典: Bandcamp EVANESCENCE公式ページ

『Fallen』は2003年3月4日に発売されたが、収録曲はこのアルバムのために新しく書かれたものばかりではない。エイミー・リーとベン・ムーディが何年もかけて書きためてきた素材が土台になっている、とバンドの公式サイトの年表は記している。年表はこのアルバムから生まれたシングルの例として「Bring Me to Life」「Going Under」「My Immortal」を挙げている。

出典: EVANESCENCE公式サイト 年表

レコーディング・アカデミーが公開しているエヴァネッセンスの受賞・ノミネート一覧では、2008年の第50回グラミー賞における「Sweet Sacrifice」のハード・ロック・パフォーマンス部門ノミネートが最も新しい項目になっている。同バンドは第46回で最優秀新人賞とハード・ロック・パフォーマンス部門を獲得しており、『The Open Door』からのこの1件より後の記載はページ上にない。

出典: 「Recording Academy グラミー賞 公式アーティストページ」

2006年9月25日に発売された『The Open Door』は、書き上げるまでに18か月かかっている。バンドの公式サイトの年表は、このアルバムでエイミー・リーが方向性について全面的な創作上の主導権を握ったと記しており、その結果としてそれまでの音の幅を超えて広がった作品だとも書いている。

出典: 「エヴァネッセンス公式サイト タイムライン」

バンドの公式サイトに置かれた年表は、セルフタイトル作をBillboard 200初登場1位で複数の全米チャートを制した作品として記したうえで、Wind-up Recordsとの時代を締めくくる1枚と位置づけている。バンドがこのレーベルから出した最後の作品が、この自らの名を冠したアルバムだったということになる。

出典: エヴァネッセンス公式サイト Timeline

公式サイトの年表によれば、セルフタイトル作の制作が始まったのは2009年で、その後ニック・ラスクリネッツを迎えて作り直されている。バンドはこの作品を、ひとりの書き手を中心に据えるのではなくラインナップ全員で書いた、初めての全面的な共同作業だと位置づけている。

出典: エヴァネッセンス公式サイト Timeline

2017年11月10日に出た『Synthesis』は、過去の楽曲を録り直したものに、新たに書かれた「Imperfection」と「Hi-Lo」の2曲、さらにインストゥルメンタル曲を組み合わせた構成になっている。バンドの公式年表では、編曲と指揮をデイヴィッド・キャンベルが担当し、プロデュースはエイミー・リー自身が手がけたと記されている。

出典: Evanescence 公式サイト Timeline

『The Bitter Truth』はBillboard 200に初登場11位で入った。バンドの公式サイトによれば、アルバムはアメリカのIndependent、Alternative、Hard Rock、Rock Albumsといった複数のチャートでトップ5に届き、国外でもいくつかの市場でトップ10に入っている。

出典: エヴァネッセンス公式サイト タイムライン

『Sanctuary』は発売形態によって日付が分かれた。バンドの公式サイトはデジタル配信とCDをすでに発売済みとして案内する一方、アナログ盤については9月4日発売として予約受付だけを告知していた。6月5日に出たCDから数えると、同じアルバムをレコードで手にできるのは3か月近く後になった。

出典: EVANESCENCE 公式サイト

12月の来日公演には、Ave Mujicaがサポート・アクトとして出演することが決まった。招聘元のクリエイティブマンプロダクションがこれを告知したのは2026年7月17日で、チケットの一般発売が始まる前日にあたる。日程の一部ではなく、すべての公演に同じサポートが立つ発表だった。

出典: クリエイティブマンプロダクション

日本での単独公演が発表されたのは、『サンクチュアリ』が世界発売された2026年6月5日、その日だった。ソニーミュージックの告知によれば、東京はSGC HALL ARIAKEで12月1日と2日の2公演、大阪はZepp Osaka Baysideで12月4日という日程が組まれている。

出典: ソニーミュージック エヴァネッセンス公式インフォメーション

先行シングル「フー・ウィル・ユー・フォロー」のミュージック・ビデオは、ジェンセン・ノエンが監督している。日本のソニーミュージックは2026年5月15日付の告知で、この映像を翌5月16日の深夜0時に公開すると伝えた。テクノロジーや誤情報、デジタル文化の影響が主題になっているとも説明されている。

出典: ソニーミュージック公式 インフォメーション

日本のソニーミュージックが2026年4月10日に伝えたところでは、『サンクチュアリ』の発売は6月5日、ワールド・ツアーの初日はフロリダ州ウエスト・パーム・ビーチでの6月11日公演に置かれていた。アルバムが店頭に並んでから一週間と経たないうちにツアーが始まる日程である。

出典: ソニーミュージック公式 インフォメーション

先行シングル「フー・ウィル・ユー・フォロー」は2026年4月10日に配信され、同じ日にリリック・ビデオも公開された。曲はザック・サーヴィーニ、ジョーダン・フィッシュとバンドの共作で、プロデュースもこの二人が担当している。アルバム『サンクチュアリ』の発売はその約2か月後、6月5日に設定されていた。

出典: ソニーミュージック公式 インフォメーション

『サンクチュアリ』のプロデュースは三人で分担されている。Bad OmensやSpiritboxの名が並ぶザック・サーヴィーニ、Bring Me The HorizonやArchitectsを手掛けてきたジョーダン・フィッシュ、そしてDeftonesやKorn、Foo Fighters、Rushで知られるニック・ラスクリネクツで、日本のソニーミュージックは発売日の告知でこの三人を挙げている。

出典: ソニーミュージック公式 インフォメーション

『サンクチュアリ』が何枚目のスタジオ・アルバムにあたるかは、伝える側で数え方が割れている。2026年6月5日の全世界リリースを伝えた日本のソニーミュージックは6枚目のスタジオ・アルバムと記した。一方、Metal Hammerのサイトである Louder は、同じ作品を5枚目として紹介している。

異説あり出典: ソニーミュージック公式 インフォメーション

6作目『サンクチュアリ』について、エイミー・リーは3年以上の歳月をかけて作り上げた作品だと述べている。全曲をまとめて聴き返し、世に出す直前の時点で、その一瞬一瞬に誇りを感じているとも語った。制作そのものについては、何かが間違っていると感じたり、物事が自分の制御を離れたと感じたりしたときの拠り所であり、音楽と人とのつながりを通して希望を灯す場所でもあった、というのが本人の説明である。

出典: ソニーミュージック エヴァネッセンス公式インフォメーション

エイミー・リーがソロで発表したEP『Recover, Vol. 1』は、他人の曲を取り上げたカバー集である。その収録曲のひとつがポーティスヘッドの「It's a Fire」で、本人の公式サイトのタイムラインにも、このカバーが同EPの一部であることが記されている。エヴァネッセンス名義の作品ではなく、ソロ活動としての発表にあたる。

出典: Amy Lee 公式サイト タイムライン

『Dream Too Much』は、エイミー・リーが自身の家族と一緒に作った子ども向けアルバムである。母親になったことが着想の源になっており、新たに書き下ろした曲と、既存の曲を作り直したものが混在する構成をとる。公式サイトのタイムラインは、子どもと大人の双方に届く内容だと記している。

出典: Amy Lee 公式サイト タイムライン

グラミー賞を主催するレコーディング・アカデミーは、公式サイトにアーティストごとのページを設けている。エヴァネッセンスのページに載っている数字は、受賞2回、ノミネート6回。第三者がまとめた集計ではなく、賞を出す側自身が公開している記録という点に意味がある。

出典: Recording Academy グラミー賞公式サイト アーティストページ

RIAAの認定データベースでエヴァネッセンスを引くと、『Anywhere But Home』が同じ2004年12月17日付で2度出てくる。片方はALBUM、もう片方はVIDEO LONGFORMという区分での登録で、いずれもレーベル欄はWind-Up Recordsとなっている。

出典: RIAA Gold & Platinum データベース

「End of You」はエイミー・リー個人の曲としてではなく、ポピー、エイミー・リー、コートニー・ラプラントの3人の連名で発表された曲である。エイミーの公式サイトの動画一覧でも、この3人並びの表記のまま公式ミュージックビデオが掲げられている。

出典: Amy Lee 公式サイト 動画ギャラリー

エイミー・リーの公式サイトの動画一覧には、ホールジーとの連名によるデュエット「Hand That Feeds」が載っている。曲名の後ろには映画『The World of John Wick: Ballerina』の名が併記されており、この作品に関わる楽曲として公式ビデオが公開されている。

出典: Amy Lee 公式サイト 動画ギャラリー

エイミー・リーの公式サイトの動画一覧には、「Love Hurts」がデイヴ・スチュワートとの連名で掲載されている。エヴァネッセンス名義の楽曲ではなく、2人の共同クレジットによる1曲として扱われている。同じ一覧にはホールジーやポピーとの共作も並んでおり、バンドの外での仕事がまとめて置かれている場所にあたる。

出典: Amy Lee 公式サイト 動画ギャラリー

エイミー・リーが映画『バレリーナ』のためにホールジーと共同で制作したのが「Hand That Feeds」である。リーの公式サイトのタイムラインは、この曲をピアノとエレクトロニックな音響を組み合わせた曲として紹介し、映画の緊張感を反映させながら、一曲としても独立して成立するように作られたと記している。

出典: Amy Lee 公式サイト タイムライン

エイミー・リーの初のソロ・アルバム『Aftermath』は、映画『War Story』のサウンドトラックとして書かれた作品である。制作はデイヴ・エッガーとチャック・パーマーとの共同で進められ、管弦楽的な要素と電子音を重ねた構成をとる。通常の作詞作曲とは別の方向に踏み出した一枚だと公式サイトは説明している。

出典: Amy Lee 公式サイト タイムライン

Within Temptationの「The Reckoning」にはエイミー・リーが加わったバージョンがあり、これはスタジオ録音ではなく、Worlds Collide Tourの現場で収められたライブ音源である。リー自身の公式サイトも、この曲をライブ・バージョンとして自身の参加作の一つに並べている。

出典: エイミー・リー公式サイト タイムライン

エイミー・リーはコーンの『MTV Unplugged: Korn』にゲストとして参加し、「Freak on a Leash」をコーンと一緒に演奏している。アンプラグドの場に合わせて原曲の激しさは前面に出さず、アコースティックの編成に管弦楽器を加えた形に置き換えられた。リーの公式サイトは、この曲を彼女の共演作の一覧に載せている。

出典: エイミー・リー公式サイト タイムライン

Wind-up Recordsを離れて独立した立場にあった時期に、バンドは編集盤『Lost Whispers』を2016年12月9日にデジタル配信で発表した。初期からアルバム『Evanescence』(2011年)までのB面曲、アウトテイク、ボーナストラックを集めたもので、あわせて新しい録音も2曲収められている。

出典: エヴァネッセンス公式サイト タイムライン

アメリカレコード協会(RIAA)のゴールド/プラチナ検索でバンド名を引くと、認定作品が2つのレーベル名に分かれて並ぶ。『Fallen』と『Evanescence』はCraft Recordings名義で載っているのに対し、『The Open Door』と『Anywhere But Home』、それに「Bring Me To Life」「My Immortal」「Call Me When You're Sober」の各シングルはWind-Up Records名義のままである。

出典: RIAA Gold & Platinum データベース

「Afterlife」はDevil May Cryのために録音された曲だが、バンドはこれをゲーム業界の授賞式The Game Awardsの舞台でも演奏した。公式サイトはそのライヴ映像を、Devil May Cryのために録音された曲であるという説明を添えて掲載している。

出典: Evanescence 公式サイト

2004年11月23日に発売された『Anywhere But Home』は、『Fallen』期のツアー中にパリのル・ゼニットで行われた公演を収めている。公式サイトの年表によれば、この作品には当時まだ未発表だった曲も入っており、そこには「Missing」「Breathe No More」「Farther Away」が含まれる。

出典: Evanescence 公式サイト タイムライン

エイミー・リーの公式サイトのメディア・ギャラリーには、他人の曲を歌った映像が4本並んでいる。クリス・アイザックの「Baby Did a Bad, Bad Thing」、レッド・ツェッペリンの「Going To California」、U2の「With or Without You」、ポーティスヘッドの「It's A Fire」の4曲で、いずれも原曲のアーティスト名を添えた形で掲載されている。

出典: Amy Lee 公式サイト メディア・ギャラリー

Evanescenceの公式サイトのメディア・ギャラリーには「The Chain」のオフィシャル・ミュージック・ビデオが置かれている。その表記にはこの曲がゲーム『Gears 5』から来たものであることが添えられており、ゲーム側との結び付きはバンド自身の側から明示されている。掲載場所は「Bring Me To Life」の映像に連なる関連動画の並びである。

出典: Evanescence 公式サイト メディア・ギャラリー

エイミー・リーが取り上げた「Sally's Song」は、映画『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』の劇中歌である。本人の公式サイトのタイムラインは、このカバーについてハープを用い、切り詰めた編成で録音したものだと記している。

出典: エイミー・リー公式サイト タイムライン

「Fight Like A Girl」は、エイミー・リーがK.Flay、ディラン・アイランド、作曲家のタイラー・ベイツと共同で書いた曲である。プロデュースもベイツが担当した。バンドの公式タイムラインによれば、この曲は『ジョン・ウィック:パラベラム』の世界を舞台にした映画『バレリーナ』のために作られたもので、K.Flayとの共作として記載されている。

出典: エヴァネッセンス公式サイト タイムライン

エヴァネッセンスによる「The Chain」のカバーは、2019年11月に発表された。公式サイトのタイムラインによれば、この音源はナッシュヴィルで録音されている。あわせて公開されたミュージックビデオについても同サイトは触れており、赤い照明を基調とした映像だったと記している。

出典: エヴァネッセンス公式サイト タイムライン

バンドが注目されたと感じた瞬間を訊かれたエイミー・リーは、MTVビデオ・ミュージック・アワードの会場にいたときのことを挙げている。毎年テレビで観ていた式典に自分が立っていることに驚いたという。会場のみんなが自分たちを知っているのだと感じたと語る一方で、実際にはほとんどの人は知らなかった、とも彼女は付け加えている。

出典: BARKS エイミー・リー インタビュー

2004年のグラミー賞で最優秀新人賞を争った相手には50セントとショーン・ポールがいて、受賞したのはエヴァネッセンスだった。一方、年間最優秀アルバム部門では逆の結果になり、『Fallen』はアウトキャストの『Speakerboxxx/The Love Below』に敗れている。

出典: Rolling Stone エイミー・リー インタビュー記事

ベン・ムーディの脱退から間もない2003年12月、エイミー・リーは『E!』に対して、エヴァネッセンスは以前よりずっと健全な状態にあり、ベンを含めて全員が幸せだと語っている。バンドは成長しており、進化して変わりつつあるというのが、そのときの彼女の説明だった。ムーディ自身は2010年になって、同じ時期の関係についてまったく異なる説明をしている。

異説あり出典: BARKS「エヴァネッセンスのエイミー、バンドの現状を語る」

ベン・ムーディは2010年に長い声明を発表し、エイミー・リーとの間で何が起きていたのかを自分の側から説明した。友情が壊れていくことへの苛立ちが双方にあり、それが敵意と意見の対立へ、さらにはいつ何が起きてもおかしくない空気へと進んでいったという。『Fallen』のツアーに出る時点で、2人の間柄はもう戻らないところまで来ていた、というのが彼の見方である。

異説あり出典: BARKS ベン・ムーディ声明の記事

ベン・ムーディは、脱退を決めた瞬間についてはっきりした日付を挙げている。2003年10月22日の夜、自分が抜けるかエヴァネッセンスが消滅するかのどちらかしかない、という考えが一気に頭に浮かんだのだという。彼はこの夜を、バンドのその後が決まった時点として語っている。

異説あり出典: BARKS ベン・ムーディ声明の記事

同じ2004年2月の発言で、エイミー・リーは今後ベン・ムーディと仕事をすることはないだろうと述べている。ただし、昔の曲の中には自分が気に入っているものがいくつかあり、それを演奏するときには彼のことを思い出すかもしれない、とも語っている。

出典: BARKS「エヴァネッセンス、エイミーの複雑な気持ち」

ベン・ムーディがエヴァネッセンスを離れたのは、『Fallen』発売から半年後にあたる2003年10月で、当時公表された理由は音楽性の違いだった。ただしムーディ自身は2010年になって、自分はエイミー・リーを、2人で作り上げたバンドから追い出そうとしていたと認めている。当時の説明と本人の後年の説明は、この点で食い違っている。

異説あり出典: Metal Hammer / Louder『Fallen』特集記事

ローリング・ストーン誌は、英国のRock Sound誌の報道として、ベン・ムーディがドイツ公演の合間の休日に、他のメンバーに何も告げないまま帰国したと伝えている。同誌の取材に対してエイミー・リーは、そういうことをバンドに対してするものではなく、友人や家族に対してもしないことだ、と答えている。

異説あり出典: Rolling Stone 誌のニュース記事

アルバムに収録された「Bring Me To Life」のバージョンには、12 STONESのポール・マッコイがゲスト・ヴォーカルとして参加している。この曲は全米ビルボードHot 100で5位に達し、イギリスではバンドにとって初めて1位を獲得したシングルとなった。

出典: Blabbermouth ニュース記事

「Bring Me To Life」のアメリカでのラジオ・チャートの伸び方は一様ではなかった。オルタナティヴ・エアプレイでは1位を獲得した一方、メインストリーム・ロック・チャートでの最高位は11位にとどまっている。全ジャンルを対象とするビルボードHot 100では5位まで届いた。

出典: Loudwire 記事

RIAAのダイヤモンド認定は、アメリカ国内で1,000万ユニットを超えた作品に与えられる区分である。エヴァネッセンスのデビュー作『Fallen』がその段階に達したことは、2022年12月に伝えられた。対象となるのはあくまで米国内の実績で、世界全体の数字ではない。

出典: Loudwire 記事

『Fallen』は2003年3月4日に発売された。ゴールド(50万ユニット)認定が同年4月8日、プラチナ(100万ユニット)認定がその約2週間後の4月21日と、発売から1か月半ほどで二段階を駆け上がっている。さらに同じ2003年のうちにトリプル・プラチナも通過した。

出典: Loudwire 記事

「My Immortal」がビルボードHot 100に初登場したのは2004年1月10日付で、最高位は3か月後、4月10日付の7位だった。ビルボード自身のチャート履歴によれば在籍週数は32週で、これは先行シングル「Bring Me To Life」とまったく同じ長さである。

出典: Billboard チャート・ヒストリー

RIAAのダイヤモンド認定が数えるのはアメリカ国内の1,000万ユニットまでで、『Fallen』の広がりはそこで止まらない。Metal Hammer系のLouderは、この作品の全世界売上を1,700万枚以上と伝えている。認定機関の数字ではなく、媒体が示した推計値である。

出典: Metal Hammer / Louder 特集記事

ベン・ムーディは自ら公表した長い文章のなかで、エヴァネッセンスを生んだのは自分とエイミー・リー、そして早い時期に加わったデイヴィッド・ホッジスの三人だったと書いている。ムーディによれば、三人はバンドを中心に生活のすべてを回していたが、『Fallen』を携えてツアーに出る頃には、ホッジスとは既に袂を分かっていた。

出典: Blabbermouth ベン・ムーディ声明

「Bring Me To Life」でラップを歌い、ビデオにも顔を出したポール・マッコイは、12ストーンズのシンガーだった。同バンドは2002年にセルフタイトルのデビュー作を出しており、その発売元はエヴァネッセンスと同じWind-Up Records。客演の相手は、同じレーベルの中から選ばれていたことになる。

出典: Loudwire

『Fallen』の時期を振り返って、エイミー・リーはMetal Hammerの取材で、決していいことばかりの日々ではなかったと言葉を選びながら語っている。自分は不安を抱えて手探りの状態にあり、苛立ってもいた。望むものは何ひとつ黙って与えられず、子ども扱いされていたという。

出典: Metal Hammer エイミー・リー インタビュー

『Fallen』が売れた後も、自分で曲を書けるという主張を通すのに長い時間がかかった、とエイミー・リーは話している。特に新人には外部のライターを付けるのがレーベル側の発想で、フロントウーマンとしてではなく作り手として扱われるまでには、さらに年月が必要だったという。

出典: Metal Hammer / Louder エイミー・リー インタビュー

ベン・ムーディがヨーロッパ・ツアーの途中で姿を見せなくなった件について、レーベルのWind-Upは事実上何も説明しなかった。Rolling Stoneの取材に応じた広報担当は、彼が現在ツアーに参加していないという一点を認めるだけで、理由も、代役が誰なのかも明かさず、11月21日から始まる北米ツアーにムーディが戻るかどうかについても答えなかった。

出典: Rolling Stone ニュース記事

『Fallen』が世に出るより前に、バンドはすでに2枚のEPを残している。1枚目は地元のレーベルBigwigから1998年に出たセルフタイトルのEPで、翌年には2枚目となる『Sound Asleep』が続いた。どちらにも、のちに『Fallen』へ収められることになる曲が入っていた。

出典: Metal Hammer / Louder

ベン・ムーディが2003年後半にエヴァネッセンスを離れた結果、結成時からのメンバーとしてバンドに残ったのはエイミー・リーひとりになった。『Fallen』が売れている最中の交代であり、以後のエヴァネッセンスは創設メンバーが1人だけという編成で活動を続けることになる。

出典: Blabbermouth ベン・ムーディ関連記事

2003年のデビュー作『Fallen』は、2023年に20周年記念盤として新たにリマスターされた。激ロックのインタビューで、オリジナル・メンバーとして唯一残るエイミー・リーは、自分もその作業に大きく関わったと答えている。彼女はまず、当時マスタリングを担当したテッド・ジェンセンに連絡を取り、20年経ったいまの技術なら当時できなかった何かができると思うかと尋ねたという。

出典: 激ロック エイミー・リー インタビュー

ベン・ムーディがエヴァネッセンスを離れたのは2003年10月、ヨーロッパ・ツアーの最中の出来事だった。BARKSが翌2004年2月に伝えた記事によれば、その時点で彼はアヴリル・ラヴィーンの制作チームに加わっていた。同じ記事では、エヴァネッセンスがその年のグラミー賞で最優秀新人賞を受賞したことにも触れられている。

出典: BARKS ニュース記事

『Fallen』が売れ始めると、レーベルはその勢いを受けてエヴァネッセンスを早くツアーに出そうとした。そのためにエイミー・リーとベン・ムーディの周りへ組まれたのがライヴ用のバンドで、ギターにジョン・ルコンプト、ドラムにロッキー・グレイ、ベースにウィル・ボイドが迎えられている。

出典: Metal Hammer/Louder『Fallen』特集記事

ムーディが抜けたあとも、エヴァネッセンスは5人編成で公演を続けた。Rolling Stoneはこのときのヨーロッパ日程について、バンドがムーディなしで演奏した初めての公演だと記している。当時はイングランドでの連続公演が控えていたが、代役が誰なのかはレーベルから明かされなかった。

出典: Rolling Stone ニュース記事

エヴァネッセンスのギタリストとして、ベン・ムーディの後を引き継いだのはテリー・バルサモだった。Songfactsによれば、バルサモはそれ以前、Coldというバンドでギターを弾いていた人物である。ムーディの脱退は2003年10月、バンドがまだ『Fallen』のツアーを回っている最中の出来事だった。

出典: Songfacts「My Immortal」解説

『Fallen』20周年にあたる2023年について、エイミー・リーは何かを一周したような大きな一年だったと振り返っている。この年にはサンパウロで、キャリアの中で一番大きな単独公演をやったとリー自身が語っている。『Fallen』を出した当時よりも大きなショーで、より多くの観客の前に立てたことも彼女は挙げている。

出典: 激ロック EVANESCENCE インタビュー

2003年11月21日から12月7日にかけて予定されていたエヴァネッセンスの米国ツアーは、翌2004年の2月下旬から3月上旬へと延期された。BARKSが2003年12月に伝えた時点で日程が決まっていたのは2公演のみで、残りは後日発表とされている。バンドのサイトによれば、延期前に買われたチケットはそのまま振替公演で有効だった。

出典: BARKS ニュース記事

『Fallen』の20周年に合わせたオーストラリア公演は、2023年8月24日、ブリスベンのリヴァーステージから始まった。全5公演の日程で、Blabbermouthによれば、バンドがオーストラリアでツアーを行うのは、各都市の交響楽団と共演した2018年以来のことだった。

出典: Blabbermouth ニュース記事

『Fallen』20周年を掲げたブリスベン公演でも、アルバムを頭から通して演奏したわけではなかった。BlabbermouthがSetlist.fmから引いた曲順によれば、この日は「Haunted」「My Last Breath」「Cloud Nine」「Everybody's Fool」「Weight Of The World」「Whisper」の6曲がひと続きのメドレーにまとめられている。公演の幕開けを飾ったのは「Broken Pieces Shine」だった。

出典: Blabbermouth ニュース記事

ムーディの脱退より前に、彼の体調が公演に響いた例がある。Rolling Stoneによれば、2003年6月、スペインでの公演中にムーディが体調を崩し、脱水症状によるものと伝えられた。これを受けてドイツでの複数の公演が中止になっている。

出典: Rolling Stone ニュース記事

2023年に発表された『Fallen』の20周年記念盤は、エイミー・リーが仕様のすべてに目を通して作られた。アートワークは新たに作り直され、フィジカル盤にはどの形態にも当時の未公開写真が収められている。さらに、リー本人が手書きした序文が全形態に添えられた。

出典: Blabbermouth 『Fallen』20周年記念盤アナウンス記事

『Fallen』20周年記念盤の2枚組アナログは、色によって買える店が分かれていた。標準の黒盤は一般流通、ブルー・スモークはTarget、ホワイト&パープル・マーブルはBarnes & Noble、ピンク&ブラック・マーブルはインディー系ショップ、ブラック&シルバーはバンドの公式サイト限定という配分である。2LP・2CD・デジタルの発売日は2023年11月17日。

出典: Blabbermouth 『Fallen』20周年記念盤アナウンス記事

「My Immortal」は、2003年の映画『デアデビル』とそのサウンドトラックで広く知られるようになる前から、複数のEPやデモ音源に収められて出回っていた曲である。Songfactsは、同じく映画で使われた「Bring Me To Life」がこの時に初めて聴かれた曲だったのに対し、「My Immortal」には先行する音源があったと書き分けている。

出典: Songfacts Evanescence 項目

「Bring Me To Life」は、2016年にFOXが生放送したミュージカル番組『The Passion』のサウンドトラックで、クリス・ドートリーが取り上げている。イエスの最後の日々を題材にしたこの番組で、ドートリーはイスカリオテのユダを演じた。

出典: Songfacts 「Bring Me To Life」項目

「Everybody's Fool」のビデオは、エイミー・リーがブロンドのウィッグとメイクでCM撮影に臨む場面から始まる。以降も、彼女自身のスタイルとはかけ離れた作り物の姿が次々に映し出される構成になっている。Songfactsはこのビデオの監督としてPhilipp Stölzの名を挙げている。

異説あり出典: Songfacts 「Everybody's Fool」項目

『Fallen』収録の「Going Under」のミュージックビデオに登場する衣装は、エイミー・リーが自分でデザインしたものだった。監督を務めたのはドイツ出身の映像作家フィリップ・シュテルツルで、Songfactsはこのビデオについてその2点を記載している。

出典: Songfacts 「Going Under」項目

Songfactsによれば、『Fallen』に収録された「Hello」にはミュージックビデオが作られず、バンドのライヴのセットリストにも入らなかった。同サイトは同時に、多くのファンがこの曲に個人的な形で共鳴したとも記している。

出典: Songfacts 「Hello」項目

「My Immortal」がシングルとして発売されたのは2003年12月8日で、そこで使われたのはアルバム初回プレスに収められた簡素なテイクではなく、バンド編成で録音された別バージョンだった。このシングルはアメリカ、イギリス、オーストラリアのほか、ヨーロッパの複数の国でもトップ10に入っている。

出典: Louder 楽曲解説記事

『Fallen』の20周年記念盤には、本編とは別にボーナス・トラックが全10曲収められている。そのうち3曲は「Breathe No More」「Farther Away」「Missing」というレアなB面曲で、ほかにこれまでどの形でも発売されたことのない音源が6曲入った。後者には新たに発掘された「My Immortal」のストリングス・ヴァージョンと、2002年の「Bring Me To Life」のデモが含まれる。

出典: Blabbermouth ニュース記事

2023年の20周年記念盤に向けたリマスター作業には、EVANESCENCEの最初の数作でプロデューサーを務めたデイヴ・フォートマンも参加していた。エイミー・リーはリマスターに自分自身も深く関わったと述べたうえで、フォートマンがその場にいてくれたことは大きな意味を持っていたと話している。

出典: 激ロック エイミー・リー インタビュー

『Fallen』の制作費について、プロデューサーのデイヴ・フォートマンはおよそ25万ドルだったと見積もっている。今なら相当な額だが、7桁の予算が珍しくなかった当時としては控えめな部類に入る。同じ頃に出たKORNの2002年作『Untouchables』には、400万ドルかかったと伝えられている。

出典: Metal Hammer/Louder 『Fallen』特集

2003年3月4日に発売されるまで、『Fallen』への事前の期待は控えめなものだった。プロデューサーのデイヴ・フォートマンは、50万枚のゴールド認定に届いていれば関わった全員が満足していただろうと振り返っている。実際には初週だけで14万枚以上を売り、全米ビルボードのチャートで7位に入った。

出典: Metal Hammer/Louder 『Fallen』特集

2023年10月、EVANESCENCEは「Bring Me To Life」のデモ・ヴァージョンを発表した。この曲はデビュー作『Fallen』の先行シングルだが、完成版に入っているラップの部分は、レーベルからの圧力を受けてバンドがあとから加えたものだった。公開されたデモにそれは入っておらず、ラップが付く前の状態を聴くことができる。

出典: Louder ニュース記事

「My Immortal」には複数の録音が存在する。最も古いものは1998年のEP『Evanescence』のアウトテイクで、エイミー・リーの歌とピアノだけで構成されていた。2000年には、バンドがデモとして使うためにまとめた作品集『Origin』にこの曲が収められ、そちらではメンバーのデヴィッド・ホッジズがバッキング・ヴォーカルを付けている。

出典: Songfacts「My Immortal」

エイミー・リーは、「Bring Me To Life」に入ったラップが当時なぜ大きな問題だったのかを、あれがバンドにとって最初のシングルだったからだと説明している。自分たちが何者であるかを聴き手に理解してもらいたかったのだという。その段階を越えた今は、ラップに対して怒りを覚えることは無くなったとも述べている。

出典: Loudwire エイミー・リー インタビュー記事

「Bring Me To Life」の最初のヴァースは、エイミー・リーがまだ三、四度しか会っていなかった相手との一瞬のやりとりから丸ごと生まれている。当時のジョシュはただの友人にすぎなかったが、リーはSonic Seducerに、うまく取り繕えているつもりだった自分を見透かされたように感じたと語り、その感覚からあのヴァースが出てきたのだと説明している。ジョシュはのちに彼女の夫になった。

出典: Loudwire エイミー・リー インタビュー記事

「Everybody's Fool」の歌詞は他人に向けて書かれたものだが、ミュージックビデオを撮る段階でエイミー・リーはそれを自分自身の話として捉え直した。大きなステージの上で見られている自分と、実際にそこに立っている自分とのずれになら自分も重ねられる、と考えたためだという。撮影では曲が自分についての歌であるかのように演じたと本人は説明している。

出典: Metal Injection エイミー・リー インタビュー記事

エイミー・リーとベン・ムーディが、まだバンドと呼べる形になる前の時期に書いた曲のいくつかは、そのままデビュー作『Fallen』に残った。「Imaginary」「Whisper」「My Immortal」がそれにあたる。当時の二人の活動について、リーはバンドというよりも打ち込み中心のデュオに近いものだったと振り返っている。

出典: Louder『Fallen』特集記事

「Everybody's Fool」について、エイミー・リーは嫌いな曲ではないが少し卒業してしまった、と話している。書いたのは十代のころで、高校生活を題材にしながら、何よりも歳の離れた妹たちに向けた言葉だった。当時の妹たちはボーイバンドやポップ・アイドルに夢中で、大事なのは表面に見えているものではなく心の中身だ、と伝えたかったのだという。

出典: Louder エイミー・リー インタビュー記事

2016年のインタビューでエイミー・リーは、高校生のときに書いた曲がそのまま代表曲になってしまうことの奇妙さに触れている。34歳になっても、十代のころに引っかかっていたことを歌い続けることになるからだ。当時の自分は他人の生き方について説教くさく聞こえたと思う、とも述べており、人が内側に何を抱えているかは外から見てもわからない、と付け加えている。

出典: Songfacts「Everybody's Fool」楽曲解説

「Going Under」の作曲者としてクレジットされているのは三人。エイミー・リーと、当時バンドにいたベン・ムーディ、デヴィッド・ホッジズである。ホッジズは『Fallen』の発売前に、ムーディは2003年のツアーの途中でバンドを離れており、二人とも2004年にはエヴァネッセンスにいなかった。

出典: Songfacts「Going Under」楽曲解説

エイミー・リーは「Going Under」を、悪い関係から抜け出すことについての曲だと説明している。我慢が限界まで来て、何かを変えなければならないと気づく瞬間、そして今いる状況のままでは生きていけないと悟る瞬間を歌詞にした、という趣旨の説明である。相手が誰であるかは語られていない。

出典: Songfacts「Going Under」楽曲解説

「Call Me When You're Sober」は2006年9月2日付でビルボードHot 100に登場し、翌週の9月9日付で10位に達している。チャート在籍は22週。ビルボードが公開しているエヴァネッセンスのHot 100履歴を見ると、トップ10に入ったのはこの曲が3曲目で、これより後に同じ位置まで届いた曲は載っていない。

出典: 「Billboard チャート・ヒストリー」

「Snow White Queen」はエイミー・リーとテリー・バルサモの共作である。バルサモは共同創設者のベン・ムーディが脱退したあとに入ったギタリストで、2003年の『Fallen』を作った時点のエヴァネッセンスはリー、ムーディ、デヴィッド・ホッジズの3人編成だった。『The Open Door』ではリーがバルサモと他の3人の計4人と組む編成に変わっている。

出典: 「Songfacts」

2007年の半ばに、エイミー・リーは結婚してエイミー・ハーツラーになった。式を挙げたのは両親の家の庭で、ツアーの合間に取った休みのなかに結婚式と新婚旅行の両方を収めている。バンドの日程が先にあり、そこに空いた隙間へ私生活のほうを差し込む形だった。

出典: 「Metal Hammer / Louder エイミー・リー インタビュー」

「Call Me When You're Sober」のミュージック・ビデオはマーク・ウェブが監督し、赤ずきんを現代に置き換えた設定になっている。エイミー・リーは、曲そのものが言いたいことをそのまま言い切っている分、映像の側はそこから離れた方向へ自由に行けると考えたと説明している。

出典: 「Songfacts」

「All That I'm Living For」が扱っているのはバンドそのものである。曲を書く時間とツアーの時間を足すとエヴァネッセンスが自分の生活のほとんどを占めている、とエイミー・リーがある日気づいたところから生まれた曲で、リー自身はその関係を愛憎半ばするものだと表現している。

出典: 「Songfacts」

2016年のSongfactsの取材で、エイミー・リーは「Call Me When You're Sober」を特定の一人に向けた曲というより、関係が終わることと、自分のために踏みとどまれる地点にようやく辿り着くことを歌った曲だと説明している。先の見えない場所へ出ていく方が難しい道だとも述べ、ライブでこの曲を歌うときには当時とは別の場面を思い浮かべるようになったと語った。

出典: Songfacts エイミー・リー インタビュー(2016年)

『The Open Door』を書いていた間、エイミー・リーは苦しい状況の只中にいたが、作り終える頃にはそこから離れていた。VH1のインタビューで本人は、離れるには勇気と強さが要るとしたうえで、その後の自分は気分が良く、いい状態にあることを土台にして曲を書けると初めて感じたと述べている。それまで一度もなかったことだという。

出典: Songfacts「Good Enough」項(VH1 インタビュー引用)

「Good Enough」を書かせたのは、エイミー・リーが2007年に結婚したジョシュ・ハートズラーだった。相手を手放したくないという気持ちと、自分は彼にふさわしいとは思えないという気持ちが同居する内容で、二人は結ばれない運命なのだと知らせる悪い出来事がいつか起きるのではないかと待ち構えていた心境が歌われている。

出典: Songfacts「Good Enough」項

『The Open Door』収録の「Snow White Queen」について、エイミー・リーはRock Sound誌88号で、怖い体験がもとになっていると説明している。ストーカーの存在があり、自宅に戻ることができずホテルで夜を明かすことが何度もあったと、本人が語っている。

出典: Songfacts「Snow White Queen」項(Rock Sound 88号)

Billboardが公開しているチャート履歴では、2011年のセルフタイトル作からHot 100に入ったのは2曲だけで、どちらも滞在は1週で終わっている。「What You Want」は2011年8月27日付で68位、「Lost In Paradise」は同年10月29日付で99位。初登場した週がそのまま最高位を記録した週として残っており、翌週にはどちらもチャートから消えた。

出典: Billboard エヴァネッセンス チャート履歴

セルフタイトル作『Evanescence』は、2011年10月29日付のBillboard 200に初登場1位で入っている。Billboardのチャート履歴では、この初登場の週がそのまま最高位を記録した週として登録されており、同チャートへのランクインは通算27週と記されている。1位を付けた日付と初登場の日付は同じ2011年10月29日である。

出典: Billboard エヴァネッセンス チャート履歴

「What You Want」を書いたのはエイミー・リーのニューヨークの自宅だった。Songfactsによれば、その場にいたのはベースのティム・マコードとギターのテリー・バルサモで、3人で書き上げた曲だという。リーが一人で仕上げて持ち込んだのではなく、ベースとギターを交えた共作として形になった1曲である。

出典: Songfacts「What You Want」

Guitar Worldが2011年10月に掲載した取材記事は、セルフタイトル作を作った時点の顔ぶれを、エイミー・リーにリード・ギターのテリー・バルサモ、リズム・ギターのトロイ・マクローホーン、ベースのティム・マコード、ドラムのウィル・ハントとして紹介している。2本あるギターの役割が、記事の中で明確に書き分けられている。

出典: Guitar World エイミー・リーほか インタビュー

エヴァネッセンスが動いていなかった時期、ドラムのウィル・ハントは他のバンドで叩き続けていた。Metal Hammer/Louderが挙げているのはBLACK LABEL SOCIETY、STATIC-X、HOLLYWOOD UNDEAD、MÖTLEY CRÜE、METHODS OF MAYHEM、STAINDで、いずれもエヴァネッセンスの活動が止まっていた期間中の仕事である。

出典: Metal Hammer / Louder エイミー・リー インタビュー記事

復帰後の最初のライブは2011年8月17日、ナッシュヴィルのウォー・メモリアル・オーディトリアムで行われた。Loudwireによれば、この会場はセルフタイトル作を録音した場所でもある。2年ぶりのステージから3日後の8月20日には、カナダのウィニペグで開かれたRock on the Rangeのカナダ版に出演している。

出典: Loudwire エイミー・リー記事

BARKSがZepp Tokyo公演のレポートで見出しに引いたのは、終演後の舞台裏でのバンド側の言葉だった。エイミー・リーをはじめとするメンバーは、生涯で最高のライブだったと満足した様子で話していたという。記事はその一言をタイトルに置き、レポートの締めくくりにも同じ場面を紹介している。

出典: BARKS ライブレポート

Guitar Worldの取材でトロイ・マクローホーンが挙げた2011年のツアー用の機材は2本だった。ひとつはPRSのバリトン、もうひとつはギブソンが当時出したばかりだったという7弦のフライングVで、発売直後のモデルをそのままステージに持ち込んでいたことになる。

出典: Guitar World エイミー・リーほか インタビュー

アルバム発売前の2011年8月、エイミー・リーはトロントで30人ほどを集めた試聴会を開いている。Loudwireによれば、そこで流されたのは5曲で、「What You Want」に加えて「The Change」「The Other Side」「My Heart Is Broken」「Lost in Paradise」が発売前に披露された。

出典: Loudwire エイミー・リー記事

エヴァネッセンスがセルフタイトルの3作目から最初に切り出したシングルが「What You Want」で、世に出たのは2011年の夏だった。バンドが新しいシングルを発表するのは、これが4年ぶりのことである。直前に出ていたシングルは「Good Enough」で、その後はシングルという形での新曲が途絶えていた。

出典: Songfacts「What You Want」

「What You Want」のミュージック・ビデオは、U2やブルース・スプリングスティーン、ボブ・ディランの映像も手がけてきたメイアート・エイヴィスが監督している。撮影が行われたのは2011年7月30日、ニューヨークのブルックリンだった。内容はバンドの初期から活動休止を経て再び集まるまでをたどる伝記的なものになっている。

出典: Songfacts「What You Want」

2011年7月の時点で、エヴァネッセンスはセルフタイトルの3作目をナッシュヴィルのブラックバード・スタジオで録音していると伝えられていた。プロデューサーはラッシュやフー・ファイターズ、トリヴィアムを手がけたニック・ラスクリネッツで、発売は同年10月11日にWind-Up Recordsからと告知されている。ただし同じ年の8月に出た別の記事は、録音の場所を市内のウォー・メモリアル・オーディトリアムとしており、場所については二つの説が並んでいる。

異説あり出典: Blabbermouth ニュース記事

Guitar Worldはアルバム発売直後の2011年10月の記事で、セルフタイトル作を手がけたプロデューサーとしてスティーヴ・リリーホワイトとニック・ラスクリネッツの二人の名前を挙げている。ラスクリネッツ一人の仕事として書いてはいない。

出典: Guitar World エヴァネッセンス インタビュー

エイミー・リーによれば、セルフタイトル作の曲作りには二通りの進め方があった。ひとつはリー、テリー・バルサモ、ティム・マコードの三人で行うライティング・セッション。もうひとつは、メンバー全員が楽器を持って輪になって座り、面白いアイデアが出てくるまでジャムを続けるやり方だったという。

出典: Guitar World エヴァネッセンス インタビュー

セルフタイトル作の制作には、ニック・ラスクリネッツとの5か月を超えるスタジオ作業が費やされた。ラスクリネッツはそれまでの数年でアリス・イン・チェインズ、ラッシュ、デフトーンズの作品を手がけている。Metal Hammerはこの長い作業を、メンバーが安定したことの結果として書いている。

出典: Metal Hammer エイミー・リー インタビュー

「End Of The Dream」でエヴァネッセンスが取り入れたエレクトロニックな色は、エイミー・リーが聴いてきた音楽から来ている。リーはRolling Stone誌に、MGMTのファースト・アルバムを初めて耳にしたときのこと、そしてポーティスヘッドやマッシヴ・アタックをずっと好んできたことを話し、そうした要素とエヴァネッセンスを組み合わせる勘所がようやく見つかったと述べている。

出典: Songfacts「End Of The Dream」

トロイ・マクローホーンはGibson.comに、『Evanescence』がそれまでの作品より共同作業に寄った一枚だと語っている。全員でリハーサル室に入り、持ち寄ったアイデアをその場で曲の形にしていく進め方で、同じ部屋で演奏することの生々しさを残したかったのだという。プロデューサーのニック・ラスクリネッツの仕事もその方向にあったと述べている。

出典: Songfacts「Made Of Stone」

2011年のセルフタイトル作『Evanescence』について、ギタリストのテリー・バルサモはSpin誌で「Sick」を自身の一番のお気に入りに挙げている。この曲はアルバムのために最初に書かれた曲のひとつで、ここで定まった重い方向性がその後のレコード全体を導いた、というのがバルサモの説明である。

出典: Songfacts「Sick」楽曲ページ

ギタリストのトロイ・マクローホーンはSpin誌で「The Change」を挙げ、この曲がバンドにとってグルーヴ寄りの音楽へ踏み出す入口になったと話している。抑えたヴァースはレゲエに近い感触を持ち、そこから大きなコーラスへ開けていく。ブリッジではメタル寄りのロックになる。そうした設計を先に決めて書こうとしていたら、この曲は生まれなかっただろうとも述べている。

出典: Songfacts「The Change」楽曲ページ

エイミー・リーはMTV Newsに対し、「The Other Side」はバンドと一緒に書いた共作だったと述べている。歌詞には苦労したという。先に出来ていたのは劇的なコーラスで、一方ヴァースは遊び心のあるグルーヴに振れていったため、その上で死について歌い続ける言葉を探すことになった。

出典: Songfacts「The Other Side」楽曲ページ

「End Of The Dream」についてエイミー・リーはSpin誌で、この人生は永遠ではないという認識から出てきた曲だと説明している。終わりが来る前に生き切ること、痛みごと引き受けること。痛むということはまだ生きているということであり、傷つくのを恐れるあまり生きそこねてはいけない、というのが彼女の言い方である。

出典: Songfacts「End Of The Dream」楽曲ページ

2011年のセルフタイトル作に収められた「The Other Side」でエイミー・リーが歌っているのは死である。Songfactsはこの主題が彼女にとって繰り返し戻ってくるものだと指摘し、それ以前の例として「My Immortal」「Even In Death」「Hello」の三曲を名指ししている。

出典: Songfacts「The Other Side」楽曲ページ

『Synthesis』は、新曲2曲と、それまでファンに親しまれてきた楽曲を生のオーケストラとエレクトロニカで録音し直したトラックとを組み合わせる形で作られた。編曲を手がけたのはアレンジャーのデヴィッド・キャンベルだった。

出典: Blabbermouth『Synthesis』制作映像記事

『Synthesis』でエヴァネッセンスが採ったのは、代表曲をデモの段階まで戻して組み直すという方法だった。並びとしては、オーケストラと電子音で作り直された既発曲のあいだに、インストゥルメンタルの断章と新曲2曲が挟み込まれている。

出典: Metal Hammer/Louder エイミー・リー インタビュー

『Synthesis』の大半はエヴァネッセンスの既存曲をオーケストラで作り直したもので、完全な新曲は「Imperfection」と「Hi-Lo」の2曲だけである。オーケストレーションはデヴィッド・キャンベルが担当した。アルバムから最初にシングルとして切り出されたのは、その新曲のうちの「Imperfection」だった。

出典: Songfacts

Billboardのチャート履歴によれば、『Synthesis』は2017年12月2日付でBillboard 200に初登場し、その週に記録した8位が最高位となっている。チャートに名前が載っていた期間は2週で、初登場した週がそのまま最高位の週でもあった。

出典: Billboard チャート履歴

エイミー・リーは、自分がもともと目指していたのは作曲家になることだったと話している。学校に通いながら空いた時間のほとんどを曲作りに充て、深夜までヘッドフォンを付けてキーボードに向かっていたという。だからこそ『Synthesis』でデヴィッド・キャンベルをはじめとする音楽を学んできた奏者たちと組めたことを、特別なことだと受け止めていた。

出典: Metal Hammer/Louder エイミー・リー インタビュー

ヴァイオリニストのリンジー・スターリングは、2017年のアルバム『Synthesis』に収められた「Hi-Lo」にゲストとして参加している。関わりは録音だけで終わらず、翌2018年にはエヴァネッセンスと同じツアーを回った。1曲への客演から、ステージでの共演へと続いた形になる。

出典: BARKS

『Synthesis Live』のチケットは、当時まだ発売前だったアルバム『Synthesis』のダウンロード権とセットで売られた。購入者にはリリースを待たずに曲が順次届く仕組みになっており、その第一弾は2017年8月18日に配信された「Bring Me To Life」の新録ヴァージョンだった。

出典: Blabbermouth(ツアー発表)

アルバム『Synthesis』はソニーから11月10日に発売される予定だった。これを携えた北米ツアーのほうは10月のうちに始まり、12月19日まで、30本近い公演として日程が組まれている。つまり作品が店頭に並ぶ前にツアーが動き出し、発売後もひと月以上残る形だった。

出典: Loudwire

エヴァネッセンスは『Synthesis』の制作過程を「Inside Synthesis」と題した映像シリーズで公開していた。アルバムの作業を短い回に分けて見せる作りで、その第2話はシングル「Imperfection」がどのように作られたかに丸ごと充てられている。

出典: Blabbermouth『Synthesis』制作映像記事

「Imperfection」のミュージック・ビデオについて、エイミー・リーは2017年10月17日に最終編集を見たとコメントしていた。映像が公開されたのはその3日後の10月20日で、11月10日に予定されていた『Synthesis』の発売より3週間ほど早い時期にあたる。

出典: Loudwire

『Synthesis』へ向かう時期のエイミー・リーは、バンドとは別に自分名義の曲を出している。2017年2月にソロ・シングル「Love Exists」を発表し、もう一曲「Speak To Me」は、同年4月28日に公開された超常スリラー映画『Voice From The Stone』のサウンドトラックに収められた。

出典: Blabbermouth

2017年8月にSynthesis Liveツアーが発表された時点で、アルバム『Synthesis』はまだ完成していなかった。Blabbermouthは、バンドがその月いっぱいスタジオ作業を続ける予定だと伝え、プロデューサーとしてウィル・"サイエンス"・ハント(エヴァネッセンスのドラマーと同名の別人)、オーケストラの編曲と作曲を手がける人物としてデイヴィッド・キャンベルの名前を挙げている。過去曲の再構築に加えて新曲2曲が入ることも、この時点で明かされていた。

出典: Blabbermouth.net ニュース記事

「Bring Me To Life」のラップ・パートは、演奏を重ねるうちにライブのセットから外れていき、『Synthesis』ではラップを入れない形で録り直された。エイミー・リーは、歴史に残る録音というのはたいてい曲が書かれたばかりの時期のもので、演奏者自身もまだ曲を覚えている最中だと指摘し、長年ステージで歌い続けたからこそ、この版では違う歌い方を選べたと述べている。

出典: Loudwire 記事

『Synthesis』の新曲「Hi-Lo」というタイトルは、もともと制作中に付けられていた仮題だった。エイミー・リーはそれを完成後に付け直すことをせず、仮題のまま曲名として残している。言葉自体は歌詞に出てくる一節から取られたもので、作業中の呼び名がそのまま公式の曲名になった。

出典: Songfacts

『Synthesis』のために新しく書かれた「Imperfection」について、エイミー・リーは歌詞に長いあいだ手こずったと明かしている。これまで積み重ねてきた活動に見合うものを書かなければならないという意識があり、何を言うべきなのか、どう書けば足りるのかが自分でも分からなかったという。

出典: Loudwire 記事

『The Bitter Truth』というタイトルについて、エイミー・リーは歌詞が形になり始めた時期の自分の感覚を挙げている。彼女によれば、そこには幻滅という大きなテーマがあり、おとぎ話は現実ではないと知りながら大人になっていくこと、自分で判断し、自分で情報を集め、自分の身を守らなければならないことが、その中心にあった。

出典: Blabbermouth エイミー・リー発言

2020年5月、ヴァイオリニストのリンジー・スターリングは自身のシリーズ#StringSessionsにエイミー・リーを迎え、当時の新曲「Wasted On You」を二人で演奏する映像を公開した。スターリングは5月15日に、次回のゲストがリーであることを先に告知していた。

出典: BARKS

「Use My Voice」の共作者には、エイミー・リーの長年の友人でヴェリディアのディーナ・ジャクーブが入っている。リーによれば、サビで行き詰まっていたところにジャクーブが訪ねてきて、その場ですぐアイデアを出した。二人はそのまま部屋の中で歌ったり叫んだりしながら、サビのメロディを固めていったという。

出典: Songfacts「Use My Voice」の項

エイミー・リーは、ヘイルストームのリジー・ヘイル、ヴェリディアのディーナ・ジャクーブと親しい間柄にあり、三人はいずれもナッシュヴィルを拠点にしている。NMEは、同じ街にいたことが、『The Bitter Truth』のシングル「Use My Voice」を仕上げる段階でリーがこの二人に声をかけられた理由だと書いている。

出典: NME エイミー・リー インタビュー

『The Bitter Truth』はBMGから発表されたアルバムで、新曲だけで構成された作品としては10年ぶりのものにあたる。ここからは「Use My Voice」「The Game Is Over」「Wasted On You」「Better Without You」の4曲がシングルとして切り出されている。

出典: SongwriterUniverse エイミー・リー インタビュー

『The Bitter Truth』は、2020年当時のメンバー編成で作られる最初のエヴァネッセンスのアルバムだった。セルフタイトル作のあとバンドは旧レーベルとの法的な争いを抱えて活動を止め、リーはソロの仕事に時間を使い、復帰後に取り組んだ2017年の『Synthesis』は過去の曲をオーケストラで作り直したものだった。

出典: Rolling Stone エイミー・リー インタビュー

『The Bitter Truth』が出た2021年の時点で、結成時からエヴァネッセンスに残っているメンバーはエイミー・リーひとりになっていた。Metal Hammerは同作のレビューで、リーが唯一の創設メンバーであると同時にバンドの制作面を引っ張る存在でもあると位置づけている。

出典: 「Metal Hammer / Louder 『The Bitter Truth』レビュー」

エヴァネッセンスとヘイルストームによるツアーは、2021年11月5日の金曜日にオレゴン州ポートランドで幕を開けた。二組はアメリカ各地のアリーナを回り、休暇シーズンを目前にした時期に北東部で全日程を締めくくる構成が組まれていた。興行を手がけたのはライヴ・ネイションである。

出典: Blabbermouth

2021年のエヴァネッセンスとヘイルストームのツアーは、前半と後半でオープニング・アクトが入れ替わる形で組まれた。第1レグに帯同したのはプラッシュで、第2レグではリリス・ツァーが幕開けを務める。この顔ぶれは2021年7月の時点ですでに発表されていた。

出典: Blabbermouth

『The Bitter Truth』を携えたツアーで、エヴァネッセンスは2022年末にロンドンのThe O2に立った。この時期の日程はウィズイン・テンプテーションとのコ・ヘッドライン、つまり二組が同格で並ぶ巡業として組まれている。NMEの取材は、そのロンドン公演の前に行われた。

出典: NME エイミー・リー インタビュー

「Use My Voice」は、『The Bitter Truth』から先行して公開された3曲目の楽曲にあたる。先に「Wasted On You」が出て、次に「The Game Is Over」が続いた後の3曲目で、これが世に出た2020年8月の時点でも、アルバム本体はまだ発売前だった。

出典: Blabbermouth

「The Game Is Over」のミュージック・ビデオは、COVID-19のロックダウン下で撮影された。バンドが以前から起用してきた監督P.R.ブラウンと組み、メンバー自身がiPhoneで映像を撮っている。仕上がった一本は映像加工を多用し、パンデミックが人の心にもたらしたものを描く内容になった。

出典: Songfacts「The Game Is Over」

「Use My Voice」の公開は、バンドが立ち上げた同名の有権者登録キャンペーンの開始に合わせられていた。組んだ相手は有権者登録団体のヘッドカウントで、アメリカの有権者に登録を促し、すでに登録済みかどうかの確認や、COVID-19下で使える遠隔投票の方法を調べることを呼びかける内容だった。

出典: Songfacts「Use My Voice」

『The Bitter Truth』に向けて全員で書き始めた最初のセッションについて、エイミー・リーは、生々しさと重さにほとんど的を絞っていたと話している。直前に『Synthesis』を終えたところで、バンドとしての自分たちの音を記録に残したくてたまらなかったのだという。

出典: Blabbermouth 記事

『The Bitter Truth』の時期、エイミー・リーはビリー・アイリッシュについて、暗い作風そのもの以上に、その真正さに惹かれると語っている。まったく自分自身のままでいるところがいいのだといい、若かった頃の自分と重なるものを多く見ると述べている。

出典: Consequence エイミー・リー インタビュー

エイミー・リーは、正直なところ普段ロックはほとんど聴かないと語っている。嫌いだからではないと断ったうえで、当時出たばかりだったブリング・ミー・ザ・ホライズンの新作を挙げ、ここしばらくのなかで一番好きな新しいロック・アルバムだと述べた。

出典: Consequence エイミー・リー インタビュー

『The Bitter Truth』は、アルバム本体が届くまでにおよそ1年をかけて小出しにされた。2020年4月の「Wasted on You」を皮切りに、「The Game Is Over」「Use My Voice」「Yeah Right」「Better Without You」と5曲がシングルとして先に世に出て、そのあとでようやくアルバムが並んだ。

出典: Consequence アルバム・レビュー

『The Bitter Truth』のあと新作がなかなか出なかった事情について、エイミー・リーは、2021年のあのアルバム以降ずっとツアーが続いていたからだと説明している。うまくいくほど次の話が来て、ミューズとの帯同も、別のヨーロッパ・ツアーも受けた。最後は自分から、新しいものを作らないといけないと切り出したのだという。

出典: Loudwire エイミー・リー インタビュー

『The Bitter Truth』は2021年初頭に出たバンドの5作目で、プロデュースを手がけたのはニック・ラスカリネッツだった。ラスカリネッツはその10年前、2011年のセルフタイトル・アルバムでもエヴァネッセンスと組んでいる。

出典: NME エイミー・リー インタビュー

「Wasted on You」が『The Bitter Truth』の先行シングルとして出たのは2020年4月だが、その時点でアルバムはまだ制作の途中だった。同年11月になっても作業は続いており、発売は2021年初頭の予定と伝えられていた。

出典: Rolling Stone エイミー・リー インタビュー

エイミー・リーは、『The Bitter Truth』の音楽をスタジオに入れなくなる直前まで録り続けていたと語っている。作業場所を失ってからは、音源のファイルをやり取りし、電話で連絡を取り合う形に切り替えて、残りをそれぞれ離れた場所から仕上げたという。

出典: Songfacts「Wasted On You」

曲がすべてそろうのを待つのではなく、先に録ってしまおうというのがエイミー・リーの判断だった。バンドはツアーに出る前にプロデューサーのニック・ラスカリネッツのもとへ入り、手元にあった曲のうち手応えのある4曲をレコーディングしている。書く作業のほうは、メンバーがナッシュヴィルにあるリーの自宅にしばらく滞在して進めた時期もあった。

出典: SongwriterUniverse エイミー・リー インタビュー

2021年の取材でエイミー・リーは、ロックダウンに入った2020年がリモートで曲を書く一年になったと振り返っている。秋には再び同じ場所に集まって作業できるようになったが、ジェン・マジュラだけはオンライン越しで加わるほかなく、その体制のままアルバムは年内に完成した、というのがリーの説明である。

出典: SongwriterUniverse エイミー・リー インタビュー

「Use My Voice」は、2020年に投票を呼びかける団体HeadCountのキャンペーンで使われている。Consequenceは『The Bitter Truth』のレビューでこの曲を取り上げ、内省的な歌詞で知られてきたバンドが社会的な題材に踏み込んだ例だとしたうえで、シャネル・ミラーが受けた性的暴行の事件が発想のもとにあると記した。

出典: Consequence 『The Bitter Truth』レビュー

エイミー・リーは『The Bitter Truth』というアルバムがどこから始まり、何についての作品なのかを説明する際に、悲劇のグラウンド・ゼロから始まるのだと述べている。そこから立ち上がり、また歩き出すまでの過程を描いたものがこのアルバムだというのが、彼女自身の見立てである。

出典: Loudwire エイミー・リー インタビュー記事

「Use My Voice」はブロック・ターナーによる性的暴行事件を受けて書かれた曲で、アルバムを待たずに2020年のうちシングルとして発表されていた。2021年3月にアルバムを評したMetal Hammerは、連邦議会議事堂の襲撃を経たいま、この曲が別の意味を帯びて聞こえると書いている。

出典: Metal Hammer / Louder 『The Bitter Truth』レビュー

「The Game Is Over」についてエイミー・リーは、取り繕うことにうんざりした曲だと述べている。周囲を居心地よくさせるために人がかぶる仮面、そして内側で感じていることと外に出して見せるものとの落差。社会的に許される範囲に自分を収めようとするその隔たりが、この曲の主題だという。

出典: Songfacts 「The Game Is Over」

「The Game Is Over」はエイミー・リーが一人で書いた曲ではない。リハーサル・スタジオでメンバーと車座になり、ベース、ギター、ドラム、そして歌だけで音を出しているうちに形になっていったもので、目を開けたら全員が目を閉じたまま同じ手応えをつかんでいた、と彼女は語っている。

出典: SongwriterUniverse エイミー・リー インタビュー

バラード「Far From Heaven」が書かれたのは、アルバムの作曲期間も終わりに近づいた頃だった。エイミー・リーは、悲しみと、そこから抜け出していくことについて、どうしても吐き出しておきたい同じ思いが何度も戻ってきたと語っており、それがこの曲になったと説明している。

出典: SongwriterUniverse エイミー・リー インタビュー

新作『Sanctuary』の発表は、先行シングル「Who Will You Follow」の公開と同時だった。2021年の『The Bitter Truth』から数えて5年ぶりの作品で、発売日は2026年6月5日に設定された。Consequenceはこの作品を、バンドにとって6作目の本編スタジオ・アルバムと数えている。

出典: Consequence ニュース記事

『Sanctuary』の先行シングル「Who Will You Follow」は、ビルボードのロック&オルタナティヴ・エアプレイ・チャートで1位を記録した。さらに、ビルボードのハード・ロック・ソング・チャートでも1位に立ち、こちらはバンドにとって初めての首位獲得となった。

出典: 激ロック ニュース

ビルボードのロック&オルタナティヴ・エアプレイ・チャートでも、「Afterlife」はEVANESCENCEにとって初めての1位となった。このチャートでのそれまでの最高位は、2011年に「What You Want」が記録した11位で、以後この曲を上回るシングルは出ていなかった。

出典: Songfacts「Afterlife」項

『Sanctuary』の先行シングル「Who Will You Follow」は、ザック・サーヴィニとジョーダン・フィッシュが共作とプロデュースを手がけた。Blabbermouthはサーヴィニの名にBAD OMENSやSPIRITBOX、フィッシュの名にPOPPYやARCHITECTSを並べており、BRING ME THE HORIZONは両者に共通して挙がっている。

出典: Blabbermouth ニュース記事

「Afterlife」の作者としてクレジットされているのは、EVANESCENCEのエイミー・リーと、プロデューサーでソングライターでもあるアレックス・シーヴァーの2人である。シーヴァーはMako名義で活動する音楽家で、プロデュースはニック・ラスクリネッツとシーヴァー自身が共同で担当した。

出典: Blabbermouth ニュース記事

『Sanctuary』が出るまでの期間、EVANESCENCEはMETALLICAのサポート・アクトとしてステージに立ち、エイミー・リーはPOPPYとコートニー・ラプラントが並んだシングル「End Of You」に加わっていた。Metal Hammerはこの2つを、新作が届く前のバンドの動きとして挙げている。

出典: Metal Hammer『Sanctuary』レビュー

2026年のワールド・ツアーにあたり、エヴァネッセンスはPLUS1と提携した。売れたチケット1枚につき1ドル、1ポンド、あるいは1ユーロが、世界各地で人道支援や医療支援にあたる団体に回る仕組みである。Blabbermouthはアルバム発表を伝える記事のなかで、この取り組みにも触れている。

出典: Blabbermouth

『サンクチュアリ』の発表は、すでに日程が決まっていた2026年のワールド・ツアーに先立って行われた。北米編はSpiritboxとNova Twinsを伴って6月に始まる予定で、それより前の4月25日には、ラスベガスで開催されるフェスティバルSick New Worldへの出演が控えていた。

出典: Consequence

イギリスとヨーロッパを回るツアーは2025年12月に発表された。NMEによれば、バンドがこの地域を訪れるのは2022年以来となる。Poppy、Nova Twins、K.Flayが同行し、初日は9月8日、リーズのFirst Direct Bank Arenaに組まれていた。発表からツアー初日までは9か月近い間隔があった。

出典: NME

2026年の予定は、同じフェスティバルの二つの版で挟まれる形になった。4月25日にラスベガスのSick New Worldに出演し、6月11日のフロリダ州ウェストパームビーチから本格的な北米ツアーに入って8月上旬まで回る。その後9月と10月にイギリスとヨーロッパを回り、秋にはテキサスで開かれるSick New Worldのために再び米国へ戻る日程が組まれていた。

出典: Loudwire

「Tell Me When You've Had Enough」のミュージック・ビデオは、日本時間2026年9月5日の午前0時45分に公開された。激ロックの記事によれば、この映像は同じ年の北米ツアーで撮影されたライヴ・フッテージをふんだんに用いて作られている。公開の3日後には、リーズから始まるヨーロッパ・ツアーの初日が控えていた。

出典: 激ロック

『サンクチュアリ』は2026年4月に発表され、発売日は6月5日と告知された。バンドにとって通算6作目のスタジオ・アルバムにあたり、発表と同時にリード・シングル「Who Will You Follow」が公開されている。

出典: Loudwire

『サンクチュアリ』はフォーマットごとに発売日が分かれていた。2026年4月の告知によれば、6月5日にデジタル、通常盤CD、デラックス盤CD、そして限定ボックス・セットが揃って登場し、2枚組アナログ盤だけはそこから離れて9月4日に予定されていた。

出典: Consequence ニュース記事

『サンクチュアリ』は、2021年の『The Bitter Truth』以来となるスタジオ・アルバムで、前作から5年以上の間隔があいた。アルバム発表を伝えたイギリスのDistorted Soundは、収録曲がザック・サーヴィーニとジョーダン・フィッシュの共作・プロデュース分と、ニック・ラスクリネクツがプロデュースした曲とに分かれることも記している。

出典: Distorted Sound Magazine ニュース記事

エイミー・リーによれば、「アフターライフ」は『The Bitter Truth』以降でバンドがはじめてスタジオに入って録音した曲だった。彼女がそう話した2025年3月の時点で、新作アルバムの制作にもすでに深く入り込んでいると語っており、次の作品の作業とこの曲の発表は並行していたことになる。

出典: Loudwire エイミー・リー インタビュー

エイミー・リーは『サンクチュアリ』に三人のプロデューサーが関わったと説明している。ひとりは何度も組んできたニック・ラスクリネクツで、何曲かを一緒に手掛けた。もうひとつが、Bring Me The Horizonにいたジョーダン・フィッシュとザック・サーヴィーニという新しい組み合わせで、この顔ぶれでの制作は新しい活力があったと彼女は述べている。

出典: Metal Injection エイミー・リー インタビュー

エヴァネッセンスの作り方について、エイミー・リーは決まった手順があるわけではないと話している。曲を組み立てていく段階で歌詞の断片や、その曲が何を言おうとしているのかという核はすでに手元にあるが、実際に歌を入れるのは工程のいちばん最後のほうになる、というのが本人の説明である。

出典: Metal Injection エイミー・リー インタビュー

『サンクチュアリ』に収録されている「アフターライフ」は、Netflixによる『デビル メイ クライ』の映像化のために書かれた楽曲である。Metal Hammer のアルバム評はこの曲を取り上げ、終盤がドゥーム寄りの展開に向かう点に触れている。

出典: Metal Hammer / Louder 『サンクチュアリ』アルバム・レビュー

2008年6月、エイミー・リーは全米音楽出版社協会(National Music Publishers' Association)からSongwriter Icon Awardを贈られている。歌唱や演奏ではなく、曲を書く側の仕事に対して出版社の団体が出した賞である。Metal Hammerがまとめたバンドの年表にも、この月の出来事として記載されている。

出典: Metal Hammer(Louder)

2007年5月、エヴァネッセンスからギターとドラムの2人が離れた。ギターのジョン・ルコンプトは自分はバンドを解雇されたと述べ、同じ話のなかでドラムのロッキー・グレイについては本人から辞めたのだと語っている。NMEはこの2人の離脱が、バンドの先行きをめぐる憶測を呼んだと伝えた。

出典: NME

解雇の直後、ジョン・ルコンプトは自身のブログにも経緯を書いている。エイミー・リーからの電話は前日の午後3時半ごろ、携帯にかかってきたものだった。予告も、自分の今後をめぐる話し合いも一切ないままの通告だったというのが、彼が書き残した説明である。

出典: NME

ベン・ムーディは2005年の取材で、双極性障害と診断されたことを明かしている。医療にかかること自体を偏見への恐れから避け、代わりに酒や薬物で自分をごまかしていたという。バンドを離れたあと状態はさらに悪化し、最終的にリハビリ施設に入る決断をしたと本人は語っている。

出典: Rolling Stone

エイミー・リーが2016年に発表した子ども向けアルバム『Dream Too Much』では、父親のジョン・リーが3曲で共作者としてクレジットされている。「Little Bird」「The End of the Book」「If You're a Star」の3曲がそれにあたる。Loudwireはこれを、2010年代における父の音楽面での再登場として紹介している。

出典: Loudwire

エヴァネッセンスのシングル「Fight Like A Girl」に客演しているK.Flayは、ステージでもバンドと行動をともにすることになった。2026年のイギリス公演でオープニングアクトを務めるほか、レッドロックス・アンフィシアターでの公演にも前座として立つことが発表されている。

出典: Metal Injection

和楽器バンドとの共作について、エイミー・リー自身は次のように振り返っている。大阪で開かれた彼らのシンフォニック・コンサートに招かれて一緒に演奏することになり、日本に滞在しているあいだに、何か一緒に書いてみたら面白いのではないかと双方が考えたという。

出典: BARKS

「End Of You」に参加した3人が一緒にツアーを回る可能性について、エイミー・リーはスケジュールの調整が多く、本格的なツアーが実現するかどうかは分からないと述べている。ただし、この曲をライブで演奏できる場は何とかして作るつもりだとも語っている。

出典: NME

エヴァネッセンスを離れたあとのベン・ムーディが表に出したのが、アナスタシアとのデュエット「Everything Burns」だった。この曲は映画『ファンタスティック・フォー』のサウンドトラックの先行シングルとして発表されている。ローリング・ストーンは2005年7月の記事でムーディをエヴァネッセンスの共同創設者として紹介し、同年秋にソロ・デビュー作を控えていると伝えた。

出典: Rolling Stone

アヴリル・ラヴィーンの作品に関わった直後、ベン・ムーディはケリー・クラークソンの『Breakaway』のための書き下ろしに入っている。ここから生まれたのが「Because of You」と「Addicted」の2曲だった。エヴァネッセンス脱退後の彼の仕事として、ローリング・ストーンが2005年の記事でこの流れを伝えている。

出典: Rolling Stone

ムーディ本人によれば、ソロ・アルバムを作る踏ん切りをつけさせたのはアヴリル・ラヴィーンとケリー・クラークソンの二人だった。それまで彼は歌ったことがなく、二人からとにかくやれと言われたので取りかかったのだと、2005年のインタビューで話している。

出典: Rolling Stone

デヴィッド・ホッジスはファースト・アルバム『Fallen』の発売4か月前に、ベン・ムーディは2003年10月にツアーの途中でエヴァネッセンスを離れている。二人はその後あらためて組み、ケリー・クラークソンのヒット曲「Because Of You」を共作しプロデュースした。

出典: Songfacts

エイミー・リーの父親は30年にわたってラジオDJを務めており、そのため一家は絶えず引っ越しを繰り返した。リー本人は、自分はどこの出身とも言いにくく、いくつもの州に住んできたと語っている。移動を重ねた末に一家が落ち着いた先がアーカンソー州だった。

出典: Metal Hammer/Louder エイミー・リー インタビュー

クラブからアリーナへ数か月で移った初期の急激な成功について、エイミー・リーは高揚だけの時期ではなかったと振り返っている。表に出ない部分では、エイミーの兄弟であるロビーが病気を抱えていたこと、一人で外に出ていることが怖かったことがあり、多くの場面で孤独を感じていたという。ロビーは2018年、てんかんの合併症で亡くなっている。

出典: Metal Hammer エイミー・リー インタビュー

2006年の『The Open Door』評でRolling Stoneが触れているところによれば、エイミー・リーがギタリストのベン・ムーディと出会ったのはキリスト教系のサマーキャンプで、そのときリーが歌っていたのはミートローフのバラードだった。バンドの出発点にある場面が、レビューの一行として書き留められている。

出典: Rolling Stone 『The Open Door』レビュー

Evanescenceは最初からバンドの形をしていたわけではない。Rolling Stoneによれば、1995年にエイミー・リーとギタリストのベン・ムーディの二人組として始まり、二人がキリスト教系のユースキャンプで13歳のときに顔を合わせたのは、その前年にあたる。以後、編成は大きく入れ替わってきた。

出典: Rolling Stone エイミー・リー インタビュー

エイミー・リー自身が語ったところでは、彼女の音楽の入り口はモータウンだった。そこからクラシックへ移り、ピアノのレッスンを願い出る。やがてグランジが来て、当時のアメリカの十代がそうであったように、ニルヴァーナ、サウンドガーデン、トーリ・エイモス、ベックといったラジオのロックに深く入っていった。

出典: Rolling Stone エイミー・リー インタビュー

2023年のDownload Festivalで、Evanescenceはセカンドステージのヘッドライナーを務めた。エイミー・リーは自分たちのセットを終えるとゴルフカートに乗ってメインステージへ移動し、その日のヘッドライナーだったBring Me The Horizonのステージに加わって、両者の共作曲「One Day The Only Butterflies Left…」と、Bring Me The Horizonの「Nihilist Blues」を歌っている。

出典: Metal Hammer エイミー・リー インタビュー

Evanescenceの外での仕事として、エイミー・リーは2014年8月、クラシックの作曲家デイヴ・エガーとの連名で『Aftermath』を発表している。これはインディペンデント映画『War Story』のために書かれたスコアである。

出典: Louder Evanescence 年表記事

ベン・ムーディが2011年11月に発表したソロ作『You Can't Regret What You Don't Remember』は、ムーディ自身が持つレーベルFNR Recordsからのリリースだった。Loudwireが2013年1月に彼について報じた時点では、この作品が最も新しいソロ作として扱われている。

出典: Loudwire

エイミー・リーによれば、彼女とエマ・アンザイが親しくなったのは2007年のことである。当時Sick Puppiesがエヴァネッセンスのツアーで前座を務めており、同じツアーを回るなかで一緒に過ごす時間が増えた。そこで表面的な知り合いから友人と呼べる間柄になったのだ、とリーは説明している。

出典: Blabbermouth エイミー・リー インタビュー

エイミー・リーによれば、エマ・アンザイと同じバンドで演奏できたらという考えは、実現するずっと前から持っていたという。ただし当時思い描いていたのは、本業とは別のサイドバンドのような形だった。やがてすべてが噛み合う時期が訪れ、その考えが実際の編成として形になった、とリーは振り返っている。

出典: Blabbermouth エイミー・リー インタビュー

エマ・アンザイの側から見ると、この話は突然のものだった。ティム・マッコードがベースからギターに移り、バンドがベースの担い手を必要とした段階で声がかかり、彼女はそれを受けたと語っている。エイミー・リーとは13年か14年前に同じツアーを回った記憶があり、そのときの印象も残っていたという。

出典: Blabbermouth/Bass Magazine エマ・アンザイ インタビュー

ジェン・マジュラがエヴァネッセンスに加わったのは2015年8月で、テリー・バルサモの後任としての加入だった。ドイツを拠点に活動してきたギタリストで、自身のことを「ドイツに住むハーフアジアン」と説明している。バンドを離れることになる2022年の時点では38歳だった。

出典: Blabbermouth

ジェン・マジューラは2022年にエヴァネッセンスを離れるまでに、自身の名義で2枚のアルバムを出していた。2014年の『Jen Majura』と2017年の『InZENity』である。脱退が報じられた直後の取材で、マジューラ本人は次にやることとして3枚目のソロ作を書くつもりだと話している。

出典: 「Blabbermouth ジェン・マジューラ インタビュー記事」

2003年にエヴァネッセンスを去ったベン・ムーディーは、その後ポップとロックの作曲家として仕事を続けた。Loudwireが挙げているクレジット先には、アヴリル・ラヴィーン、ケリー・クラークソン、ドウトリー、セリーヌ・ディオンらの名前が並ぶ。バンドの外側で書き手として立ち直った形になる。

出典: 「Loudwire ベン・ムーディー関連記事」

ベン・ムーディーが脱退後に組んだウィー・アー・ザ・フォールンは、彼ひとりが元エヴァネッセンスというバンドではなかった。BARKSが2010年8月に伝えた時点で、ほかにも元メンバーが2人加わっている。同バンドのデビュー作『Tear the World Down』は、その3か月前の2010年5月に発売されていた。

出典: 「BARKS ベン・ムーディー、エヴァネッセンスに起きた内部戦争を語る」

2007年、エイミー・リーはエヴァネッセンスの活動をいったん止める判断をした。Guitar Worldはその直前の5年間を振り返り、マルチ・プラチナのスタジオ作2枚とライヴ盤1枚を送り出し、ツアーを重ね、メンバーの入れ替えも経験した期間だったと書いている。休止はその積み重ねの末に置かれた区切りだった。

出典: 「Guitar World エイミー・リーほかインタビュー」

Guitar Worldは2011年の取材で、当時のギタリスト2人がどちらも早い時期にKISSの影響を受けていたと書いている。テリー・バルサモはギターを弾きたいと思わせた存在としてエイス・フレーリーを挙げ、トロイ・マクローホーンは自分が最初に憧れたのはドラムのほうで、子どもの頃はピーター・クリスの大ファンだったと答えている。

出典: 「Guitar World エイミー・リーほかインタビュー」

2022年末の時点で、エヴァネッセンスのベースはエマ・アンザイが担っていた。エイミー・リーは同年11月のMetal Hammerの取材で、アンザイを迎えたことでバンドに新しい火がついたと話し、いまの編成には特別なものがあると語っている。

出典: 「Metal Hammer / Louder エイミー・リー インタビュー」

2022年にベーシストとして加わったエマ・アンザイは、エイミー・リーにとって初対面の相手ではなかった。リーはNMEの取材で、2人が知り合ったのはたしか2005年か2006年ごろだったと語り、長く友人であり、ずっと前からバンドにいたかのように馴染んだと述べている。17年近く前からの縁が編成の変更で結び直された形になる。

出典: 「NME エイミー・リー インタビュー」

2007年5月にNMEが伝えたところでは、エヴァネッセンスを離れたギタリストのジョン・ルコンプトは、次の活動先をすでに決めていた。ルコンプト自身が語ったのは、ドラマーのロッキー・グレイと新たに始めたバンド、マシーナにこれからの力をすべて注ぐということだった。

出典: 「NME エヴァネッセンス関連ニュース」

2007年5月にエヴァネッセンスのメンバーの動きを伝えたNMEの記事は、それ以前の脱退も並べて記している。ギタリストのベン・ムーディーが2003年に、ベーシストのウィル・ボイドが2006年7月にそれぞれバンドを去っていた。いずれもロサンゼルスのDaily Newsの報道として書かれている。

出典: 「NME エヴァネッセンス関連ニュース」

メタリカとのスタジアム公演に、エイミー・リーは11歳の息子を連れて行った。リーは、メタルを好きになるのにちょうどいい年頃だったと話しており、「Nothing Else Matters」の最中に雨が静かに降りはじめ、その場で息子が音楽に引き込まれていくのを見たと振り返っている。

出典: 「Loudwire エイミー・リー インタビュー」

2026年のワールド・ツアーでは、前座の顔ぶれがレッグごとに変わる組み方が採られた。北米公演ではSpiritboxとNova Twinsがオープニングを務め、イギリスとヨーロッパのレッグではPoppyがスペシャル・ゲストとして加わり、イギリス以外の公演ではNova Twinsが開演を担当すると発表された。

出典: Metal Injection

2024年9月、Halestormと組んだカナダ公演9本が発表された。10月15日のバンクーバー、ロジャース・アリーナで幕を開け、ケロウナ、カルガリー、エドモントン、ウィニペグ、モントリオール、ケベックシティ、オタワと東へ進み、10月29日のオンタリオ州ロンドン、バドワイザー・ガーデンズで締めくくる日程が組まれていた。

出典: Metal Injection

2022年夏の北米では、KornとEvanescenceが一つのツアーを分け合っている。初日は8月16日のデンバー公演で、BARKSが二日後に報じた時点では、この共同ツアーは北米18都市を回り、9月16日までの日程が組まれていた。開幕から最終日まで、およそ一か月の興行である。

出典: BARKS

2022年12月に取材を受けた時点で、バンドの翌年の予定にはすでにDownloadフェスティバルへの出演とMuseとのツアーが入っていた。エイミー・リーはこのMuseとの帯同について、自分から取りに行った仕事ではなかったと述べ、それでも声をかけてきたのがMuseなら話は別だという言い方をしている。

出典: NME エイミー・リー インタビュー

「Take Cover」はアルバムに属さない曲として2016年に世に出た。バンドはこの年の秋、アナログ盤のボックス・セット『The Ultimate Collection』を控えて組んだ短いツアーで、この曲を初めてライヴで演奏している。エイミー・リーによれば、以前から手元に置いたままになっていた古い曲を引っ張り出したもので、新曲を聴きたいというファンの求めに応える形だったという。

出典: Songfacts

エイミー・リーの父はおよそ30年にわたってラジオDJを務めた人物だが、その前はバンドをやっていた。The Hard Luck Bandという名前のロック・バンドで、カヴァーとオリジナルの両方を演奏し、父はリード・ヴォーカルとギターを担当していたと、リー自身が語っている。

出典: Loudwire

「Afterlife」はもともと、Netflixがゲーム『Devil May Cry』をアニメ化した作品のためにバンドが書き下ろした曲である。2025年12月、バンドはこの曲をイギリスのシンセウェイヴ・プロジェクトGunshipの手でリミックスさせ、別ヴァージョンとして発表した。映像作品への提供曲が、外部の作り手を通じてもう一度世に出た形になる。

出典: Metal Injection

同じMetal Hammerの企画で、エイミー・リーは「自分が作りたかったアルバム」にナイン・インチ・ネイルズ『The Downward Spiral』を挙げた。心を打ち砕かれた一枚にはビョーク『Vespertine』、ジャケットが最も優れた作品にはニルヴァーナ『In Utero』、そして自分にとってメタルを定義する一枚にはパンテラ『Cowboys From Hell』を選んでいる。

出典: Louder エイミー・リー インタビュー

2024年9月、エイミー・リーはラジオ局89 FM A Rádio Rockの取材に対し、『The Bitter Truth』に続く作品はまだ制作の入口にあると述べた。作ること自体は続けていてアイデアは大量にあるが、本腰を入れる段階には入っていないという。11月には「ラウンド1」としてスタジオに入る予定だと話している。

出典: Metal Injection

2005年7月の時点で、ベン・ムーディは制作中のソロ・デビュー作を自らプロデュースしており、数曲をジェイ・バウムガートナーが共同プロデュースしていた。ギターにはGodheadのジェイソン・ミラーが招かれ、一部の曲ではリード・ヴォーカルも執ることになっていた。ほかにドラムのランス・ガーヴィン、ベースのマーティ・オブライエン、ギターのマイケル・"フィッシュ"・ヘリングが顔をそろえていた。

出典: Rolling Stone ベン・ムーディ インタビュー

「Missing」は2004年、ライブ・アルバム『Anywhere But Home』に収められて世に出た。同作の中で唯一のスタジオ録音である。曲そのものが書かれたのはそれ以前で、エイミー・リーが共同創設者のベン・ムーディ、1999年に加入したデヴィッド・ホッジズとともに手がけていたが、アルバムが出た時点では二人ともすでにバンドを離れていた。

出典: Songfacts

2016年の短いツアーで初めて披露された「Take Cover」は、そのツアーのために新しく書かれた曲ではなかった。エイミー・リーはTeamRockに対し、この曲は以前から手元に置いてあったもので、ファンが求めるのはいつも新曲だという理由から埃を払って引っ張り出したと語っている。ツアー中は毎晩の見せ場のひとつになったという。

出典: Songfacts

2025年にエヴァネッセンス名義で世に出た新曲は2曲ある。「Afterlife」と「Fight Like a Girl」で、Loudwireは同年9月の記事で、この2曲をその年のバンドの動きとして名指ししている。エイミー・リーが他アーティストと組んだ楽曲は、これとは別に数えられている。

出典: Loudwire

映画『バレリーナ』のサウンドトラックには、エイミー・リーが関わった曲が2つ入っている。先に出たのがHalseyとの「Hand That Feeds」で、エンドクレジットで使われた「Fight Like a Girl」はそれに続く形になった。Songfactsは後者の解説のなかで、前者をリー個人の参加曲として位置づけている。

出典: Songfacts

和楽器バンドとの共作「Sakura Rising with Amy Lee of EVANESCENCE」について、エイミー・リーは新型コロナウイルスの感染拡大が制作の途中に重なったと振り返っている。そのとき自分と鈴華ゆう子は同じ状況に置かれており、そこで見えたものを互いの立場から、それぞれの言語で書いていったという。曲が動き出したきっかけは大阪でのシンフォニックコンサートへの客演で、リーが帰国したあとは二人で歌詞をやり取りし、相手の言葉をどう受け取ったかを確かめながら仕上げたとリーは説明している。

出典: BARKS

「Missing」が何の歌かについて、エイミー・リーはVampire Freaksの取材で、自分にとってこの曲はすべて逃げ出すことについての曲だったと述べている。ただし彼女はそこで解釈を閉じてはおらず、これは詩なのだから、聴き手はそこから受け取れるものを受け取ってほしいとも付け加えている。

出典: Songfacts