BLACK'N BLUE TRIVIA
Trivia
BLACK'N BLUEの初来日は、デビュー作が出た1984年の11月である。『Hell Yeah!』の日本盤を出したマーキー/アヴァロンのアーティスト紹介は、「Hold On to 18」などデビュー作のキャッチーな曲が日本でも話題になり、その年の11月に初めての来日公演を行ったと記している。トミー・セイヤーも2020年、1984年の自分の誕生日に撮ったという日本のビザ申請用の写真をXに載せ、バンドがその年の11月に日本をツアーしたと書いた。
BLACK'N BLUEが初めてレコードに登場したのは、メタル・ブレイド・レコーズの最初のリリースとなったコンピレーション『Metal Massacre』(1982年6月14日発売)である。収められたのは「Chains Around Heaven」で、同じ盤には当時まだ契約のなかったロサンゼルスのMETALLICA、RATT、MALICEらが並んでいた。レーベルが創立40周年の2022年に出したアナログ再発では、この曲がB面の1曲目、最後がMETALLICAの「Hit the Lights」になっている。ゲフィンとの契約はこのあとで、「Chains Around Heaven」はデビュー作『Black'n Blue』の最後の曲にもなった。
2022年6月3日にトミー・セイヤーとジェイミー・セント・ジェームズが出したEP『The Lost Tapes』は、80年代の終わりに録られたまま世に出ていなかった5曲を集めたものである。演奏しているのは2人だけなので、名義はBLACK'N BLUEではなく「Thayer – St. James」になった。2人のサイトによれば、録音は30年以上、2インチのマルチトラック・テープと1/4インチのテープ(2トラックのミックス)に保管されていたが、どちらも劣化して使えなくなっており、探した末に使えたのはDATとカセットの2本だけだった。そこからデジタル処理で磨いて仕上げたという。収録曲は「Sweet Sensation」「American Man」「Time」「Ballad of the Bullet」「Work It」。
トミー・セイヤーによれば、BLACK'N BLUEは1981年にオレゴン州ポートランドで生まれた。NWOBHMがアメリカにも届き始め、ロサンゼルスではMÖTLEY CRÜEが出てきた頃で、セイヤーやジェイミー・セント・ジェームズたちは、新しいヘヴィ・メタルのバンドをやろうと考えたという。そのセント・ジェームズは、もともと前身のバンドのドラマーだった。ある晩、ポートランドのナイトクラブでステージの前に出て、そのままバンドの顔になったとセイヤーは振り返っている。公式サイトの年表は、結成を1981年の秋としている。
トミー・セイヤーがBURRN!誌のインタビューで振り返ったところでは、メンバーが初めてKISSに会ったのは、デビュー作を出した直後にロングビーチ・アリーナへ観に行った『Animalize』ツアーの、開演前のバックステージだった。その半年ほどあと、『Without Love』が出た頃にマネージャーのウォーレン・エントナーから、1か月後に始まる『Asylum』ツアーの前座が決まったと知らされる。初日はアーカンソー州リトルロック。ツアーが始まって間もなく、サウンドチェックを終えたジーン・シモンズがセイヤーとジェイミー・セント・ジェームズのところへ来て、BLACK'N BLUEの登場を告げる場内アナウンスが、ずっと昔からいるあるバンドのものに似すぎているから変えてはどうかと持ちかけた。2人はすぐに応じたという。
『Nasty Nasty』を締めくくる「Best in the West」では、KEELのロン・キールが歌い、KISSのピーター・クリスも加わっている。ジェイミー・セント・ジェームズの回想では、クリスを呼んだのは彼自身で、レインボーでクリス夫妻に会ったのがきっかけだった。シモンズとはもう何年も話していないからと渋るクリスを、あとで夫人が電話番号を渡して後押しし、ようやく来てもらえたが、その晩は1音も録らず、シモンズとクリスがスタジオで昔話をして終わったという。この曲にブラスを入れようと言い出したのはトミー・セイヤーとセント・ジェームズで、ホーン・セクションを呼ぶとシモンズは面食らったが、仕上がりを聴いて2人が正しかったと認めた。
『Hell Yeah!』は、もともとジェイミー・セント・ジェームズのソロ作になるはずだった。本人によれば、2003年ごろイギリスでソロ契約を得た彼が、自分のスタジオを持っていたジェフ“ウープ”ワーナーに、これをBLACK'N BLUEのアルバムにしようと持ちかけたのが始まりだった。2003年5月には英Z Recordsから同年9月に出る予定と伝えられたが、セント・ジェームズは2004年2月にWARRANTのヴォーカリストとなり、そのツアーに追われて作業は止まる。2008年に彼がWARRANTを離れてバンドは動き出したが、ワーナーがスタジオを失って別の場所を探す必要もあり、契約していたレーベルのもとで完成させる資金も尽きた。最後はマネージャーのジェフ・ケラーがまとめた話で、フロンティアーズが前のレーベルとの契約を買い取り、仕上げの資金も上乗せして、2011年にようやく世に出た。
2010年10月9日、BLACK'N BLUEはオレゴン音楽の殿堂入りを果たし、ポートランドのローズランド・シアターで開かれた式典には、トミー・セイヤーを含む全盛期の5人が揃った。紹介役はマネージャーのガロの息子ピーター・タシジャンで、高校を出たばかりの5人が1983年にハリウッドへ乗り込んだいきさつを語ったという。5人は記念の盾を受け取ったあと30分のステージを行い、「Hold On to 18」「Miss Mystery」「Nasty Nasty」などを演奏した。KISSの許可を得て加わったセイヤーについて、ジェイミー・セント・ジェームズは、この夜だけは外せなかったと話している。カヴァーをやらず自作曲にこだわったせいで出られるクラブも少なく、地元ではまっとうに認めてもらえていないと感じてきたセント・ジェームズにとって、この殿堂入りは人生で最も幸せな夜のひとつになった。
『Hell Yeah!』は日本でいちばん先に発売された。マーキー/アヴァロンの日本盤(MICP-10983)は2011年4月20日に出て、欧州の5月13日、北米の5月17日より3週間あまり早く、ボーナス・トラックとして「I Smell a Rat」が加えられている。
公式サイトの年表によれば、BLACK'N BLUEは1983年にゲフィン・レコードと契約し、デビュー作『Black'n Blue』を、SCORPIONSで知られるディーター・ダークスとドイツで録音した。1984年に出たこのアルバムからは「Hold On to 18」がシングルになり、MTV向けのビデオも作られた。この曲はトミー・セイヤーとジェイミー・セント・ジェームズの共作で、1983年に録られた音源が、2007年のレア音源集『Rarities』に入っている。
2025年11月、トミー・セイヤーとジェイミー・セント・ジェームズは6曲入りのEP『Bombshell』を発表した。2人が並んで新しい曲を書いて録ったのは80年代の終わり以来のことで、セント・ジェームズによれば、2024年の暮れに書き始め、2025年のほとんどを曲作りと録音に費やした。BLACK'N BLUEの名を使わなかったのは2人だけの作品だからで、『The Lost Tapes』と同じ「Thayer – St. James」の名義で出ている。2人のサイトでは、『Bombshell』をA面、『The Lost Tapes』をB面に収めたLPも売られている。
2025年8月27日、BLACK'N BLUEはBandcampで2曲入りの『2 Song Bruiser』を出した。「Lifeline」は1984年、「The Real Mr. Green」は1985年に書いてデモを録ったきり、きちんと録音されることのなかった曲である。演奏はジェイミー・セント・ジェームズ、パトリック・ヤング、ピート・ホームズのオリジナル・メンバー3人に、ギターのブランドン・クックとミック・コールドウェルを加えた5人で、プロデュース、録音、ミックスはロブ・デイカーが手がけた。10月に「Lifeline」のビデオを公開した際、バンドはフェイスブックに、元が取れればまた作る、取れなければこれでおしまいだと書いている。
公式サイトのメンバー欄では、いまの5人(ジェイミー・セント・ジェームズ、パトリック・ヤング、ピート・ホームズ、ブランドン・クック、ミック・コールドウェル)の下に「MISSING IN ACTION」という見出しが立ち、トミー・セイヤーとジェフ“ウープ”ワーナーの名前が並んでいる。スリーズ・ロックスによれば、ワーナーに代わってクックが加わったのは2013年。もう1本のギターは、2017年4月ごろに加わったボビー・カプカが2021年にダグ・ラポポートと交代し、2025年の録音ではコールドウェルが弾いている。
『Nasty Nasty』(1986年)と『In Heat』をプロデュースしたのはKISSのジーン・シモンズである。ジェイミー・セント・ジェームズの記憶では、シモンズはリハーサル・スタジオに座って曲を聴いては意見を出し、セント・ジェームズには、他人のことではなく自分自身のことを歌えと勧めた。ただし最後に何をやるかはバンド自身が決めた、とも本人は言う。トミー・セイヤーは、もともとKISSのファンだったのでシモンズとの仕事は最高だったと振り返り、彼は熱心で手を抜かず、プロデュースにたっぷり時間をかける人だったと語っている。
「Violent Kid」は1981年に書かれ、クラブ回りの頃からずっとステージで演奏されてきた曲だが、どのスタジオ・アルバムにも入っていない。ジェイミー・セント・ジェームズによれば、1984年のデビュー作に入れたかったのにゲフィンが外し、バンドをゲフィンと契約させたA&Rのジョン・カロドナーはこの曲を嫌っていたという。KIXのスティーヴ・ホワイトマンの影響がある曲で、プロデューサーの手が入らなかったから最初の形のまま残っているのだろう、と本人は言う。後年のライヴ盤『One Night Only』に入れたのは、とにかくレコードに残したかったからだという。作者はトミー・セイヤーとセント・ジェームズで、1982年に録られた音源が2007年の『Rarities』の1曲目に収められている。
ジーン・シモンズとトミー・セイヤーの縁は、BLACK'N BLUEの2作のプロデュースで終わらなかった。米ラウドワイヤーによれば、その後も連絡を取り合っていた2人は、KISSの1989年のアルバム『Hot in the Shade』のために「Betrayed」と「The Street Giveth and the Street Taketh Away」を共作した。KISSはこの2曲を録り直さず、元のデモに音を重ねて仕上げたため、完成版にもセイヤーのギターが残っている。
1989年に解散したあと、オリジナル・メンバー5人は1997年10月31日、ポートランドのキー・ラーゴで一夜かぎりのステージに立った。ライヴ盤を作るための再結集で、ジェイミー・セント・ジェームズによれば、ライヴ盤を作ろうと言い出したのはトミー・セイヤーで、5人はそのためだけに集まることにした。当時セイヤー、ピート・ホームズ、セント・ジェームズはロサンゼルスに、パトリック・ヤングとジェフ・ワーナーはポートランドに住んでいたため、ポートランドの倉庫で何度か合わせただけで本番に臨んだ。録音は『In Heat』でキーボードを弾いたエンジニア兼プロデューサーのパット・リーガンに任せ、この夜は翌1998年に『One Night Only – Live』として出た。セイヤーも、最初から一回きりのつもりだったと語っている。
BLACK'N BLUEは、9〜10曲入りのアルバム1枚のために、毎回20〜22曲を書いていた。ジェイミー・セント・ジェームズは2017年に、1982年から88年にかけてトミー・セイヤーと書いた曲はもう2枚アルバムを作れるほどあり、リハーサルの最中に4トラックのテープで安上がりに録ったそのカセットは、箱に入れて自宅のガレージにしまってあると話している。2007年にCrash Music Classicsから出た『Rarities』は、そのセント・ジェームズが手元のカセットから救い出してリマスターしたデモとライヴの音源集で、1982年の「Violent Kid」、1983年の「Hold On to 18」のほか、のちの『Hell Yeah!』にも同じ題の曲がある「So Long」と「Hell Yeah」の2002年のデモも入っている。
『Hell Yeah!』は、トミー・セイヤーのいない初めてのアルバムである。セイヤーの後任のギタリスト、ショーン・ソネンシャインは、パトリック・ヤングがポートランドで一緒にバンドをやっていた人物で、ジェイミー・セント・ジェームズは、ヤングとワーナーの推薦だけを頼りに、彼の演奏を一度も聴かないまま加入を決めたという。古い曲の焼き直しは1曲もなく、曲はセント・ジェームズとジェフ“ウープ”ワーナーが書き、ところどころにソネンシャインのリフが使われた。セント・ジェームズが特に気に入っている「Target」はワーナーの曲である。デモとラフ・ミックスを聴いたセイヤーは、自分がいなくても大丈夫だとバンドの背中を押したという。
『Hell Yeah!』で、BLACK'N BLUEはデビュー当時のロゴを今風に手直しして復活させた。発表に際してジェイミー・セント・ジェームズは、1988年以来のスタジオ録音となったこの作品について、これまでの全作を掛け合わせたような音で、大半はヘヴィだが、自分にはデビュー作を思い出させる、それが元のロゴを戻した理由だと説明している。