BACKYARD BABIES TRIVIA
Trivia
スウェーデンのバンドの3作目が仕上げられたのは、日本人が持っていたロサンゼルスのスタジオだった。ソニーミュージックの日本語プロフィールによれば、BACKYARD BABIES は1999年から新作のレコーディングを始め、2000年にロサンゼルスでミックスしている。その場所として名前が挙がっているのが、YOSHIKI の所有するエクスタシー・スタジオである。2001年にさらに数曲を録り足して完成したのが『Making Enemies Is Good』だった。
BACKYARD BABIES の4人は、同じ年に、同じ町で生まれている。バンド公式のプレス資料によれば、ペダー・カールソン、ヨハン・ブロムクィスト、ドレゲン、ニッケ・ボルグはいずれもスウェーデン南部のネッショーの生まれで、バンドの結成は1989年。そして同じ資料は、メンバー構成が一度も変わっていないことを明記している。1989年に組んだ4人がそのまま続いているというのは、この規模のロック・バンドではかなり珍しい。
「Friends」という曲には、ジョーイ・ラモーンの声が入っている。ドレゲンが自身の公式フェイスブックに当時の写真とともに投稿した説明によれば、BACKYARD BABIES はこの曲のためにニューヨークでジョーイ・ラモーンを録音しており、それは彼の最後期の録音のひとつだった。ソニーミュージックの日本盤『ストックホルム・シンドローム』の商品ページも、マイケル・モンロー(ハノイ・ロックス)と故ジョーイ・ラモーンが参加した楽曲として「FRIENDS」を挙げ、これがラモーンの遺作になったと記している。
バンド公式サイトのディスコグラフィには、CD でも LP でもない項目が1つだけある。「Video Games」という見出しの下に置かれているのは『Guitar Hero 3: Legends of Rock』(2007年)で、収録曲として「Minus Celsius」が挙げられている。対応機種として PS2、PS3、Xbox 360、Wii、Windows、OS X が並ぶ。2003年のシングルが、4年後にゲームのプレイヤーの指に渡ったことになる。
BACKYARD BABIES がオープニング・アクトを務めてきた相手を並べると、そのままロックンロールの系譜になる。バンド公式のプレス資料によれば、『Making Enemies Is Good』の後には AC/DC のヨーロッパ・ツアーにメイン・サポートとして帯同している。ソニーミュージックの日本語プロフィールは、その前段として1997年の再結成 KISS のオープニング、2000年12月の AC/DC 英国ツアーのオープニングを挙げ、後年にはヴェルヴェット・リヴォルヴァーのヨーロッパ公演の前座も務めたと記している。同社の別のページは、ハノイ・ロックスから AC/DC、KISS、そしてヴェルヴェット・リヴォルヴァーまでを一続きに数えている。
スウェーデンでのゴールド認定は3万枚からである。Blabbermouth が2003年に伝えたところによれば、BACKYARD BABIES は当時の直近2作、1998年の『Total 13』と2001年の『Making Enemies Is Good』の両方でその線を越えていた。バンド公式のプレス資料は、『Total 13』が本国でゴールドに達したうえにスウェーデンのグラミー賞を受賞したこと、そして『Stockholm Syndrome』もゴールドを獲得したことを記している。バンド自身が2016年に出した告知では、受賞は2度と数えられている。
『Sliver & Gold』は、アルバムとしてではなく EP 4枚として録音された。ドレゲンが2018年に語ったところによれば、それまでは全曲を書き上げ、その中から曲を選び、スタジオに入って録るという順番だった。今回は3〜4曲できた時点でスタジオに入り、その3〜4曲をミックスとマスタリングまで完全に仕上げてから、また曲作りに戻る。それを繰り返して EP を4枚分作り、最後に1枚のアルバムとしてまとめた。14曲を抱えてスタジオに入ると工程が機械的になり曲の芯が抜けてしまう、3〜4曲なら自分たちで全部を握っていられる、というのが彼の説明である。結成30年で初めて試した手順だった。
2009年11月、BACKYARD BABIES はヨーロッパ・ツアーを終えたところで無期限の活動休止を発表した。Blabbermouth によれば、彼らが正式に再結成したのは、その5年後の2014年である。復帰第1作『Four by Four』は2015年、復帰後の最初のステージは同年6月5日、スウェーデンのセルヴェスボリで開かれたスウェーデン・ロック・フェスティヴァルだった。休止前の20周年の時点でドレゲンは、20年走り続けてきて、そのうち直近の10年はかなりの密度だった、休むと言っても数か月の話で、1年が絶対の上限だと語っていた。結果として休止は5年に及んだ。
『Making Enemies Is Good』には邦題が付いている。ソニーミュージックの商品ページが掲げるその題は『天下無敵!』で、原題の「敵を作るのは良いことだ」という言い回しをまったく訳していない。この日本盤は2008年7月23日に品番 BVCM-35355 で出たもので、15曲を収める。同じ日、ソニーミュージックは『ストックホルム・シンドローム』と『ピープル・ライク・ピープル・ライク・ピープル・ライク・アス』も出し直しており、3作が同時に店頭へ戻った。
ライヴ盤『Live Live In Paris』の日本盤初回盤には、スウェーデンでしか出ていなかった映画が付いていた。ソニーミュージックの商品ページによれば、初回盤(BVCP-27087〜27088、2005年3月23日)のボーナス DVD は、バンドの15年の歴史をたどる約1時間のドキュメンタリー映画『Jet-lag - The Movie』で、スウェーデンでは2005年1月末に DVD 作品として発売されていたものである。本編のライヴ盤自体も選び方が変わっていて、同ページによれば、その秋のツアーのうち17公演をレコーディングし、その全公演の全楽曲をメンバー自身が聴いたうえでパリ公演を選んでいる。
日本盤は本国から少し遅れて出るのが常だった。ソニーミュージックのディスコグラフィによれば、『Stockholm Syndrome』の国内盤は2004年1月28日(BVCP-21364)で、本国スカンジナビアでの発売は前年11月。『People Like People Like People Like Us』の国内盤は2006年4月26日(BVCP-21477)である。『Live Live In Paris』は2005年3月23日に通常盤(BVCP-21419)と初回盤の2種で出た。同社のプロフィールは、『Stockholm Syndrome』が本国のナショナル・チャートで2位を記録したとも記している。
日本での歩みは、ソニーミュージックのプロフィールに順を追って書かれている。2作目『Total 13』の頃、地元の先輩であるマイケル・モンローが彼らを前座に起用したことなどからヨーロッパでの認知が固まり、日本でも来日公演が大成功を収めて一気に人気が出た。3作目『Making Enemies Is Good』の後には2度目の単独来日公演を行い、日本での人気を確かなものにする。そして2004年1月の国内盤発売の後には SONIC MANIA に出演し、その後も立て続けに単独公演を行った。
ドレゲンは一時期、マイケル・モンローのバンドにも在籍していた。ビクターエンタテインメントのマイケル・モンローのプロフィールによれば、彼は THE WiLDHEARTS のジンジャーの後任として加入し、その新ラインナップで2011年10月の V-ROCK FESTIVAL に出演して来日している。2013年8月にはドレゲン加入後で最初のスタジオ・アルバム『HORNS AND HALOS』が出た。しかし同年11月の日本公演を最後にツアーには帯同せず、リッチ・ジョーンズが代役を務める。同プロフィールは、その後ドレゲンが BACKYARD BABIES を再始動させたことも影響してマイケル・モンローを正式に脱退した、と記している。
活動再開後にも来日はある。激ロックのライヴ・インフォには、2016年9月5日の恵比寿 LIQUIDROOM 公演が海外アーティストの項目として登録されている。2009年11月の活動休止から数えれば、7年ぶりの東京である。
ドレゲンの自伝は、最初から日本語版が予定されていた。Blabbermouth が2012年11月に伝えたところによれば、彼はスウェーデン最古の出版社ノルシュテッツと自伝の契約を結び、執筆はトーレ・S・ブリエソンの協力を得て進められた。刊行言語として挙がったのはスウェーデン語、英語、そして日本語の3つで、ドレゲン本人は「まずは」この3つだと言い添えている。なお彼の本名はアンドレアス・ティローネ・スヴェンソンである。
最初の1枚は自分たちで出した。バンド公式のプレス資料によれば、1991年に自主リリースしたデビュー EP『Something To Swallow』が国内外で関心を呼び、それが最初のレコード契約につながって、1994年のデビュー・アルバム『Diesel and Power』に結実する。同じ資料は、バンドのキャリアが実際に動き出したのは1994年だとし、その年に4人がストックホルムへ移ったことを挙げている。生まれ育ったネッショーを出て首都へ移った年と、最初のアルバムが出た年が同じである。
契約の相手は、出典によって書かれている社名が違う。ソニーミュージックの日本語プロフィールによれば、1991年のシングル「SOMETHING TO SWALLOW」が MTV ヨーロッパで絶賛され、バンドはスウェーデンのメガロックと契約した。2作目『Total 13』については、同プロフィールは英国のレーベルであるコアリションとの契約を挙げ、バンド公式のプレス資料のほうは MVG Records/East West(ワーナー)と契約したうえでの発売だと書いている。地域ごとに窓口が違ったと考えれば矛盾はしないが、どちらか一方だけを書くと事実を落とすことになる。
『Total 13』には、ハノイ・ロックスのマイケル・モンローが1曲参加している。ソニーミュージックの日本語プロフィールによれば、地元のヒーローでもあるモンローが BACKYARD BABIES をオープニング・アクトに起用したことがきっかけで、そこから1曲への参加につながり、ヨーロッパでの認知が確実なものになった。前座に呼んだ側が、呼ばれた側のレコードに歌いに来たことになる。ドレゲンが後年モンローのバンドに正式加入するのは、これより10年以上あとの話である。
『Total 13』のジャケット写真が撮られた場所は、ストックホルムのフリーハムネンである。バンド公式のプレス資料が、ジャケットの説明としてその地名を挙げている。フリーハムネンは市の北東部にある港湾地区で、バンドが1994年に移り住んだ街の中にある。
BACKYARD BABIES 名義のスプリット・シングルは2枚ある。公式サイトのディスコグラフィによれば、1枚は Super$hit 666 との7インチ「Degenerated」(2008年)、もう1枚は THE 69 EYES との7インチ「Supershow」である。Super$hit 666 は、Blabbermouth の記事がドレゲンの関わったプロジェクトとして挙げているもので、THE WiLDHEARTS と THE HELLACOPTERS のメンバーが加わった顔ぶれだった。共演相手を7インチの片面に呼ぶという出し方自体が、このバンドの居場所を示している。
5作目でドレゲンは、かつての相棒とスタジオで再会した。バンド公式のプレス資料によれば、『People Like People Like People Like Us』の制作でドレゲンは THE HELLACOPTERS と ENTOMBED のニッケ・アンダーソンと再び組み、アンダーソンはこのアルバムのプロデューサーを務めた。THE HELLACOPTERS を一緒に始め、1998年にドレゲンが離れた相手である。Blabbermouth によれば、このアルバムは2006年4月に Century Media Records から出た。
バンド公式サイトの映像一覧には17本のビデオが並び、いちばん古いのは1992年の「God's Favourite」である。デビュー・アルバム『Diesel and Power』の2年前にあたる。監督の顔ぶれも幅がある。2001年の「Brand New Hate」はヨナス・オーケルンドとヨッケ・オールンドの共同監督、2006年の「Dysfunctional Professional」はヨハン・レンク、2003年の「Minus Celsius」はディーン・カー。そして2015年の「Bloody Tears」を撮ったのは、ドラマーのペダー・カールソン本人だった。
『Four by Four』のデラックス・ボックスは、CD 1枚では終わらない作りだった。バンドが2015年7月に出した告知によれば、アルバムは5枚の7インチ・ピクチャー・ディスクに分けて収められ、それに CD が付き、さらにここでしか手に入らない T シャツと、メンバーのサイン入りのプリントが専用デザインの箱に収まる。同じ告知では、その年11月のヨーロッパ・ツアーの VIP アップグレードも案内されており、サウンドチェックの見学や物販への先行入場が特典として挙げられている。
復帰第1弾シングル「Th1rt3en or Nothing」の7インチには、歌詞が刻まれていた。バンドが2015年5月に出した告知によれば、これは歌詞を彫り込んだ7インチ・ヴァイナルで、500枚の限定だった。前月の告知では、この曲が5月27日に Sony/Gain から出ることが伝えられている。5年の沈黙を破る最初の1曲を、500枚しかない盤に刻んだことになる。
結成30年の記念に、バンドは自分たちの物語を語るのをやめて、ファンに語らせることにした。2018年11月の告知によれば、彼らは『Sliver & Gold』のレコーディング中に、30年ぶんのいちばんの思い出をハッシュタグ付きで投稿してほしいとファンに呼びかけた。集まった話は、アルバムの特別版に掲載される可能性があるとされている。自分たちが物語を語る代わりに、ファンの視点から語ってほしい、というのがその趣旨だった。投稿を地図上に表示する仕掛けも用意された。
ドレゲンは長いあいだ2つのバンドを掛け持ちしていた。Blabbermouth によれば、彼は BACKYARD BABIES の中心人物であると同時に THE HELLACOPTERS の創設メンバーでもあり、1994年の結成時から1998年まで在籍したのち、BACKYARD BABIES に専念することを選んで離れている。ソニーミュージックの日本語プロフィールは、そもそもの出会いを、フェスティヴァルで共演したエントゥームドのドラマー、ニッケ・アンダーソンと組んだことだと説明している。掛け持ちしていた時期には、両バンドの2作目が並行して作られていた。
復帰にあたって選んだ契約先も、無関係な会社ではなかった。Blabbermouth が2015年1月に伝えたところによれば、再結成した BACKYARD BABIES は Gain Music Entertainment と契約した。同社はソニー・ミュージックが配給し、一部を所有する会社である。ニッケ・ボルグはこの提携について、RCA を通じた過去の関わりもあるが、それ以上に本物のロックへの共通の愛情があるからうまくいくはずだと述べ、これでまた少なくとも25年やれる、と言い添えた。
20周年の記念品は、CD でも DVD でもなく本だった。Blabbermouth によれば、BACKYARD BABIES は結成20年を祝って『Them XX』という120ページのデラックスな本を出しており、そこにはプライベート写真に加えて CD 3枚と、20年の歩みを伝えるドキュメンタリー DVD が収められている。2010年1月から2月にかけては同名の「Them XX Tour」を回った。バンド公式のプレス資料は、この20周年ツアーを彼らにとって最も成功したツアーだったと記している。
『Stockholm Syndrome』は、録音と仕上げを大陸をまたいで分けている。Blabbermouth が2003年に伝えたところによれば、録音はストックホルムのポーラー・スタジオ、ミックスはロサンゼルスで、担当したのはジョー・バレシだった。バレシはリンプ・ビズキット、バックチェリー、クイーンズ・オブ・ザ・ストーン・エイジ、モンスター・マグネット、カイアスといった仕事で知られる人物である。スカンジナビアでの発売は2003年11月5日で、RCA/BMG から。世界のそれ以外の地域での発売は2004年3月1日に設定された。
「Minus Celsius」のミュージック・ビデオは、ロサンゼルスで1日で撮られている。Blabbermouth によれば、撮影日は2003年9月16日、監督はディーン・カー。デフトーンズやマッドヴェインの映像を手掛けた人物で、バンド公式のプレス資料もこのビデオをロサンゼルスでディーン・カーが撮ったものとして挙げている。同アルバムからの2枚目のシングルには「A Song For The Outcast」が選ばれた。
6作目を作るにあたって、バンドは全部をスウェーデンで完結させる方針を立てた。ドレゲンが2008年2月に出した告知によれば、プロデューサーもスタジオもミックスもスウェーデン流でいくということで、迎えたプロデューサーは主に RAMMSTEIN の作品を手掛けてきたヤコブ・ヘルナーだった。彼はわざわざ、インダストリアルなアルバムにはならないから心配しないでほしいと書き添えている。Blabbermouth によれば、このセルフタイトル作はストックホルムのポーラーとビッグ・アイランド・サウンドの2つのスタジオで、90日と90夜をかけて録音された。
セルフタイトル作『Backyard Babies』は、本国スウェーデンで発売初週に1位を獲得した。Blabbermouth はあわせて、このアルバムがフィンランドのアルバム・チャートに31位で初登場したことも伝えている。ヨーロッパでの発売は2008年8月18日、レーベルは Billion Dollar Babies/Spinefarm だった。バンドはこの後まもなく活動休止に入るので、結果としてこれが休止前の最後のスタジオ・アルバムになっている。
ペダー・カールソンがカメラを持ったのは1度きりではない。Blabbermouth によれば、2018年の先行シングル「Shovin' Rocks」のビデオも彼が監督している。公式サイトの映像一覧に載る2015年の「Bloody Tears」と合わせて、ドラマーが自分のバンドのビデオを2本撮っていることになる。
『Sliver & Gold』という題は、綴りを間違えたわけではない。ドレゲンが2018年に説明したところによれば、これは言葉遊びで、木片などが刺さって切ってしまうときの sliver を silver に重ねている。バンドのキャリアも同じで、輝かしい瞬間もあれば、ひりつくような時期もあった、というのが彼の言い分である。ちなみにこの題の由来を語ったのは、結成30年を祝う年の1年前だった。
『Sliver & Gold』は2019年3月1日、Century Media Records から出た。Blabbermouth によれば収録は10曲で、冒頭が「Good Morning Midnight」、締めくくりがバラード風の「Laugh Now, Cry Later」である。先行して公開された曲は3つあり、2018年6月の「Shovin' Rocks」、2019年1月25日の「Good Morning Midnight」、そして2月22日の「44 Undead」。バンド公式サイトも同じ順でこの3曲を告知している。
デビュー作『Diesel and Power』は、12年後に中身を足して出し直されている。Blabbermouth によれば、1994年のこのアルバムは2006年に再発され、そのときボーナス・トラックとして「Lies」が、映像として「Electric Suzy」のビデオが加えられた。「Electric Suzy」は1994年のシングルで、公式サイトの映像一覧ではモーテン・レヴィン監督のビデオとして残っている。